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しま・しましま

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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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落選10/40/150首


未来短歌会の「未来」誌に投稿して
掲載されなかった、
つまり選で落とされた短歌が40首になりました。
これはなかなかすごい数じゃないかな。
15回、毎月10首送って、150首。
その中で掲載されたものが110首の、
されなかったものが40首。
未だにそのボーダーがどこにあるのか、
わかっていないわたしですが、
とりあえず自省を促す意味を込めて、
そこから10首ほど引いてみたいと思います。



春の地面はふんわりやわらか転んでも痛くはないよ ひざももさくら

やわらかに匂うニベアよ俯いたともだち連れたともだちの母

ヨーグルトにしずかにホエーはたちこめてわかっていれば終りもおだやか

不安定に重ねる食器こんなにも何かに期待していたなんて

そうだ君はしつこく思い出されるけれどなまえを知らないあの曲みたい

鰯手開きすればこんなに親指へ肉より骨のあたたかいこと

レゴブロックあるだけ縦に繋いだらどこで折れても許されそうだ

心からよかったと思う君がまだシャボンの苦さ覚えているの

昼にみる月はいつでも欠けていてみんなで食べたケーキを思う

すすめられるままにチョコレートをかじる 苺、ですねと口には出さず

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「未来」八、九月号掲載分


八月号は、四首も落とされて、
これはかなりがっくり来ました。
でも、その八月号に掲載されたものについて
人にツイートしてもらったり
十一月号で他の方に引いてもらえて
ショックな号でもありうれしい号でもありました。

ところで、
八月号は四首でしたが、
だいたい私は毎月三首は落とされるんですけども、
五月号から数えて、
もう二十二首が
闇に消えたことになります。
手を入れればなんとかなる素材なのか
このまま闇に葬った方がいいものなのか、
ちょっと悩みますね。

「未来」八月号
今買った映画の券が手の中で折れる桜も散って久しく
たいがいは痛みが先にやってきて傷だとわかる 青草を漕ぐ
目を閉じていても光を追ってしまう眼球という淋しい羽虫
裸婦像の大きな影の中にいてまだ立ち上がることができない
損ばかりしてきたような足の小指に空とおんなじ青のぺディキュア
このあとはだれかの時間顔を拭いたタオルで洗面台を軽く拭う

「未来」九月号
六月のまだひんやりとしすぎてる日影に入る こどもを避けて
「しあわせにくらしました」の過去形に済んだことだと念押しされる
石鹸を三回撫でる 決められてないことばかりに縛られている
エスカレーターの手すりに触れるいつだって君は冷たいことはなかった
「しっぱい」と言われてふいに収縮するエクボがあればその下あたり
まだ家に帰りたくない右の手がパンのトングをかちかち鳴らす
今もちゃんと切符を握っているだろうか時々わたしは手の中をみる

「未来」五、六、七月号掲載分


自分の短歌をある程度まとめておきたいな
って思ってて、
ちょっとずつ、
このブログにアップしていきたいと思います

とりあえず、
まずは結社誌に載ったものから。

今年、2016年の五月号がデビューでした。
あ、
一応付け加えておきますが、
毎月十首投稿しています。


「未来」五月号
いいえマム、あなたが落としたはずですと押しつけらるあらゆる刃物
返信は出すべきだろういくつものポストを過ぎて歪んでいるが
暗闇で握った手袋(なかの手はたしかにあなたの手だったろうか)
反故にした約束だけでできている記憶のなかの町の一角
三連のプリンとシルバニアファミリーどちらも多分来世の家族
早春のひかりを通す無漂白のコーヒーフィルター指でひらいて
アイロンのまだあたたかい 手を触れてこのまま冷たくなるのを看取る

「未来」六月号
チラシと共に押し付けられた花種がかばんの中でひやりと触れる
傷つけることが無闇に怖かった頃もあったねガーゼハンカチ
寝返りのたびにざらざらそば殻のどこかでこぼれるわたしのからだ
くつしたは教えてくれる傷むのはいつも大事なところからだと
最初からバターの入ったロールパンちぎってしょっぱさ噛み締めている
手の中でロックアイスを割りながら冒険の果ても意外に明るい
干しぶどうひとつぶ湖へ投げてやるなんの鳥だか当ててごらんよ

「未来」七月号
どこまでも入れ子のようにドアがあるわたしはどこで諦めましょうか
闘わず手に入れたパン食べこぼすぼろぼろ月のあかりの庭へ
シリアルにバナナスライス昨夜見た月なんてもうとんでっちゃって
少しだけうとうととしていましたか国道はもう海に沿う光
ゆく宛もなく散るさくら賛成を意味するまばらな拍手の底で
シャープナーに鉛筆の先つっこんだままでそこから動けずに日暮
干しおえた布団の熱のとれるまで書かない手紙を考えている

「未来」五月号青羅集


「未来」五月号を読みます。
まずは、わたしが参加してる青羅集から。

わたしが把握しているのは、
青羅集が大島史洋選の欄であること。
その中でも//紺//、//蒼//、//碧//と、三つの青に分かれていること。
三つの青の分け方は、いま一つ分らないんですが、
わたしはその中の//蒼//のところに入ってました。
一番最初に掲載されたものが
「巻頭」とか「今号の主席」みたいな意識が
あるのかないのか分らないんですが、
三つの青それぞれの掲載順は毎号ほぼ同じのような印象です。
欄内の他の会員の方の作品と
順位を競うという相対的な評価はしなくて
自分の短歌そのものの絶対値みたいなところを
さぐっていけって
そういうことかなぁ。
どうなんでしょうね。わかりません。
だとしたら、
思った以上に厳しい欄に参加してしまった……
という思いもしますね。

で、その中身ですが、
見た感じ、年齢層は高そうです。
成人した息子娘、亡き父母、亡き夫、孫、
そういった登場人物が散見されます。
数字も沢山登場します。
作者ご自身に纏わる数字に限らないけど、
夫亡きのちの十七年、
九十一歳、九十二歳、四十年ぶり、
五十年前のまんま、もう九十
七十年経つ、父逝きて二十余年、
退職してのち二十年、四十余年つづけし
なかなか分厚い数字が並びます。
まだ他の選者の欄をじっくり読んでないので、
そうだって言い切れないけど、
もしかしたら
「未来」でも特に平均年齢の高い欄なのかも。
そんな中で、
わたしがいいなって思った作品を
いくつか引いてみます。

少しずつこの世に慣れて私がえらんだ草履の鼻緒は真っ青
(「目ざめたら」萬宮千鶴子)
「私(わたくし)」のきっぱり感がいいなって思います。

昼火事を電車の窓に見つつ過ぐわが人生のこれも読点
(桑田靖之)
仕事の行き帰りのどこかに打たれた小さな読点でしょうか。

紙袋いっぱいに詰めた父の服買い取り価格は二百十円
(神谷鮎美)
このうたの前にあるうたで、「父」が亡くなった後の処分なのだとわかります。
「二百十円」が非情ですよね。この数字が出されたことで、「父の服」が掻き消えてしまいました。

静もれる家ぬちに独り豆を打つ虚しかりけり 鬼なと出でよ
(小島五十鈴)
結句の表白が切なく沁みます。
それまでの、どこかポツリポツリとしたうたの調べから、一マスあけてのこの表白。

見えぬ傷いく千あるらむ我が指に柚子絞りつつ沁みる夕べを
(上條茜)
今まで生きてきて受けた全ての傷が、指に集約されているようでした。

雑煮には焼き餅入るる焼き色は子どもの頃の好きだつた色
(三田村広隆)
「焼き餅」が好きといわずに、「焼き色」が好きだった色って、
このちょっととぼけた感じが好き。
「焼き色」という言葉から、雑煮の映像が浮かび上がってくるようでした。

敬称略で申し訳ありません。

「未来」五月号が届いた


未来短歌会の結社誌「未来」の五月号が我が家に届きました。
この五月号は特別なんですよ。
それは、三ヶ月前に初めて投稿した短歌が掲載される号だから。
これでやっと、「未来短歌会に入ってます」ってはっきり言っても大丈夫そう。
それにしても、三ヶ月って長いなってしみじみ思わされた時間でした。
自分の作品をどう評価してもらえるのか、それが全く分らないまま、
五月号用の最初の投稿、
六月号用の二度目の投稿、
七月号用の三度目の投稿が、あったわけです。
ただ、闇雲に、一方通行で出してたわけで、じわじわ不安が募ってました。
そして、とうとう最初の結果が出る五月号ですよ。
縦書きで、ちょっと詰まり気味で
島根 しま・しましま
って名前を見て、おおーってひとしきり感激してました。
島根 しま・しましま、やばい 個人情報が「しま」しかないに等しい。

さて、
三ヶ月前に十首出したわたしの作品ですが、五月号には七首掲載されてました。
逆に言うと、三首が載らなかったってことですね。
この、載らなかった方が重要なんじゃないかって思ってます。
出した十首のうちで、「これは良い」と思ってもらえたのか、
「これはまあまあ載せてもいいレベル」と思ってもらえたのかは分りませんが、
とにかくそこに七首があって、
そこから一本の線が引かれて、載らなかった三首があるわけです。
この線の意味、載らなかった理由を
次に投稿する月詠に生かさないと選を受ける意味がないかなって。
で、ですね。わたしの三首の内、
一首は、今現在のわたしの頭でも、
これはたしかに落とされるのも仕方がないかなって思うところがあって、
もう一首、わたしはこういうの好きなんだけど、
まったく面白いと感じない場合もあるだろうなって思われるものでした。
最後の一首は、そうか、これも駄目だったのか……と、
今ちょっとしょぼんとしちゃってるところのもの。
次回はせめて、落とされた短歌がすべて、
落とされたことにしょぼんとしちゃう、そういうものを出していかないとなぁ。

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