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しま・しましま

Author:しま・しましま
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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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俳句結社入会時の話から短歌を始めた今の話


昨日ツイッターで、
俳句結社入会時のことを少しリプライしたせいで、
夢の中に今は亡き当時の師が出てきて
なんだかびっくりしてしまった。
会話したとかではなくて、
ただ出てきただけなんだけど。

そうして、
目が覚めてからもなんかつらつらと
当時の事を思い出してます。

うちの結社は大須賀乙字の師系に連なる、
ということで、
その師は二代目の主宰だったんだけど、
とてもそれを大事にされてる方だった。
「俳句は情のねばりを嫌う」とか
「季語は季感が伴わなければ」とか
大須賀乙字の言葉をよく引用されていた。
あと、
「俳句は事よりも、物、景を詠む」
「形容詞から腐る」
とかって言われて、
初心者のわたしはかなり混乱しました。
形容詞無しで描写するって
無理じゃん!
みたいに。
感動を水増ししないために
安易な形容詞を使わない
ってことなんだと
今は思ってます。

あと、
当時の師の選評で
今もよく覚えているのが、
「季語○○は、
事実であったにせよ秀逸な発見である」
という表現。
俳句ってよく客観写生とか写生とかって
「事実」であることが前提っぽく言われることがあるけど、
うちの師は
「事実であったにせよ」
っていうんだって。
実際に合った事としての事実と
詩的事実は違う、
みたいなことを
よくおっしゃってましたね。

ああ、
思い出すとどんどん懐かしくなってしまう。
個人的によく言われたのが
「焦らない」ということ。
どこの先生もそれは同じなんでしょうね。
結果を焦らず詠み続けること
とにかくそれを言われ続けてた気がします。
(つまりめちゃ焦ってた)

短歌を始めて二年目で、
結果を焦らない
というのは、多分一緒なんだろうなと思いつつ、
俳句を始めた当時と、
今のわたしは、
まず年齢が全然違うから、
やっぱりある程度の焦りはどうしてもあるよ
って気もしますが、
逆に
40代後半からのスタートじゃ
20代で俳句を始めた当時のような
野心は持ちようがない
っていうところは
さみしいけどホントのところで、
ぶっちゃけると、
俳句を始めて二年目で、
最初に入った結社の(今もいる)
新人賞を頂いて、
その後誘われて入った全国区の大手結社でも、
三年以内に新人賞をオレは取る!
とか思ってましたもん。
鼻持ちならないでしょw
そんで、総合俳句誌から原稿依頼を貰う
っていう目標をひそかに持ってましたw
今はね、
長く自分なりに楽しめればいい
っていうスタンスでいるんですけどね。
俳句も短歌も。
でも、出来れば
誰かから注目される作家になりたい
という気持はあったりして、
その辺がやっぱり焦らせますね。
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夏の季語としての「水素水」その2にして最終回


引き続き「水素水」を季語として
俳句を実作してみる。
前回は二句一章の形式だったが、
今回は違う形式を試してみたい。
と、その前に、
俳句における二句一章の形式について
説明しておく。
これは文字通り、
二つの語句を一章にまとめる
という形式である。
○○○○○/○○○○○○○○○○○○○○(5音/12音)
○○○○○○○○○○○○○○/○○○○○(12音/5音)
いわゆる切れ字を入れる場合
○○○○や○○~(以下10音)
など。
これは季語が4音から6音ぐらいまでの場合の例。
それ以下かそれ以上の音数の季語であればまた形は変化する。
季語+季語と因果関係はあまりないフレーズ
という構成であることが多いかもしれない。
季語の持つイメージ喚起力を有効活用して
軽いスケッチや心象に季節感や一句をまとめるムードを作る感じ。
なので、
季語の持つイメージ力が弱かったり、
もう片方の語句との相性がイマイチだった場合に
前回も書いたような
「季語が動く」状態になりやすい。
「水素水」は
まだ季語としてのイメージ力が弱いので、
この二句一章という形式では
ぱっと見には俳句っぽい雰囲気を出せても
いま一つ水素水ならではというものにはなりにくいかもしれないのだ。
(とはいうものの、
実はわたし自身は「季語が動く」こと自体は
そこまで俳句のキズだとは思っていないこともここに併記しておく。
そりゃ何でも差し替えようと思えば「動く」だろと内心思っている。)
とまあ、二句一章に関係するはなしはこのぐらいにして、

1 水素水に尻当て猫の通りけり
2 サボテンを水素水よく沁み込みぬ
3 水素水並べアカルイ商店よ

という句を作ってみる。
ちなみに、わたし自身の作句傾向からいうと
一句一章の形式やどちらかというと苦手な方である。
なので、上手くない、
というのはご容赦いただきたいところ。

1は前回と同じように、
ボトルタイプの水素水を物体として捉えてみた。
違うところは現物が実際にわたしの手元にあることである。
ところでこの伊藤園の水素水だが、
アルミボトルのキャップを開けて、
ごくりと一口飲んだとたん、
舌先がうっすらしびれるような刺激があったのだが、
一体これは何だろう。
水素とは舌をしびれさすものだったのか。
それとも気負って飲んだので
舌がその気になってしまっただけなのか。
2は「水」であることをメインにした句。
ちなみに「サボテン」も夏の季語なのだが、
これは花の場合である。
そして、410ミリリットルのこの水素水を
飲みきれなくて始末した、
とかいう話ではない。
3は「水素水」が怪しいうたい文句で売り出されている水
だということを踏まえたもの。
これはややあぶない句になってしまったのではないかと
危惧しているがどうだろうか。
まだ「水素水」が季語として確立されていないので、
「今話題のよくわからん効能を謳った水」を
揶揄するような捉え方は、
時事俳句というよりも、
時事川柳に近くなってしまうのではないだろうか。
しかも下手なやつ。
わたしは川柳についてはまったく知識がないが
時事川柳は批判精神がぴしりと効いている
というイメージを強く持っている。
3の句がそうであるとは言わないが、
方向性は揶揄が含まれているかもしれない。
すくなくとも、
季語というよりは話題のキーワード化してしまった感がある。

さて、
二句一章で詠めばイメージが弱く、
一句一章で詠めば時事川柳と取られかねない。
やはり「水素水」は
少なくとも今現在の段階では夏の季語として、
いや、季語としては適当ではないのだろう。
まあ、やる前から分かっていたことではある。
これは悔し紛れの強弁ではなくて。
というか、
実際に飲んでみて思ったことは、
夏の美味しい飲料水
とはとても言えない。
これでは夏の季語として推挙すること自体が
無理なのである。

ざんねん しま・しましまのぼうけんはここでおわってしまった

夏の季語としての「水素水」その1


水素水は季語になりえるか
について考えてみる。
発端は、ツイッターでみかけた
水素水っていつの季語
というもの。
うん、多分季語なら季節は夏だろうな
と反射的に考えたのが最初だった。
基本的に冷たい状態で楽しむ飲み物はだいたい夏なのだ。
ビール、冷酒、麦茶はその代表的なものと思うが、
アイスコーヒー、アイスティー、
ラムネ、ソーダ、サイダー、
他にも探せばもっとあるだろう。
かなり時代を感じさせるが砂糖水というものもある。
清涼感があって喉を潤すもの、
という観点から言えば、
水素水も季節は夏、と考えてもいけそうだ。
よく考えると、水素水の先輩にあたる
アルカリイオン水、海洋深層水、
なんとか還元水……はまあ横に置いておいても、
これらもまだ夏の季語とはなっていないし、
もっともっと大先輩にあたる
ミネラルウォーターでさえ、正式な季語認定はされてないのではないだろうか。
いや、もしかしたら歳時記によっては
ミネラルウォーターが季語と認定されているものもあるのかもしれないが、
今のところ目に触れないということは、
少なくとも一般的な認知はされていないところであろう。

さて、「水素水」を夏の季語と仮定して、
次にわたしが出来ることはなんだろう。
基本的な、新季語がどうやって決められて認知されていくか、
をおさらいしていく必要があるのかも知れない。
が、新季語が決まる過程というのは
多分はっきりとした決まった道筋はないはずである。
現在は、各派閥、各出版社の歳時記編集の場で
これを新季語として入れるかどうか会議か何かが行われるのかも知れないが、
俳句の歴史を振り返ってみると、
どちらかといえば、
提唱者が実際に使っていくことでなし崩し的に周囲に認めさせる
というパターンの方が多いのではないだろうか。
この辺りについては
多分それを調べるだけでかなりの時間がかかる事が想像されるので、
今回は多分そうじゃないだろうかそうだったらいいなという希望的な想像で
進めさせていただく。

ちょっと待って、
それ以前に、「水素水」ってなんだよ
という疑問が湧くかも知れない。
それについては正直に、
よく知らないけど今話題のやつ、という程度の認識しか
わたしも持っていないことを
先に白状しておくべきだろう。
水素分子のガスを溶解させた水、とWikipediaにはある。
まだ正式に認められていないが健康にいいらしいというふれこみの
無味無臭の水、
つまりひとことでいうと新しい飲料水のひとつ、
という認識でいいだろうか。
遅ればせながら
わたしも伊藤園の水素水を一本購入してみたが、
ちょっと高価な水、という感じ。

さて、
水素水の現物を手に入れるより前に
フライング気味にわたしが
水素水で詠んだ俳句が以下のものである。

相槌をひとつ省略水素水
水素水嫌ひな人へ盾とする
水素水星への願ひ早口に
水素水ふくれつつらを隠しけり
トラックの影に入りぬ水素水
空腹を後生大事に水素水
水素水父より高き母のこゑ
逃げ場にもならないなんて水素水

ボトルタイプの水素水をイメージしてみた。
ついでに

値札まで濡れて海洋深層水
海を見せむと海洋深層水

と、海洋深層水を夏の季語として詠んでもみた。

詠んでみてわかったことは、
「水素水」は妙に語呂がよすぎて
使い勝手がいいのが困る
ということである。
逆に言うとひっかかりがないので
微妙、とも言える。
基本的に
夏の季語というのは、
多くの人に、その言葉だけで
夏っぽい、
しかもだいたい似通ったイメージを喚起させなければならない。
ところが、
われらが「水素水」は、
このイメージ喚起力が圧倒的に弱い。
あるのは多分、
最近話題のあやしい水のひとつ
ぐらいなものだろう。
これは現在水素水を売り出している各メーカーが
夏に喉を潤すなら水素水!
というところをばばーんとみんなに印象付けてくれなければ
どうしようもないところである。
メーカーががんばって認知度を上げ
あやしいイメージを払拭してくれなければ
「水素水」季語化への道のりは遠いのだ。
残念ながらいまのところ、
「水素水」はのっぺらぼうな言葉でしかない。
なのに、
こののっぺらぼうのような言葉が、
半端に使い勝手がよくて、
とりあえずはどうとでも置ける
というのはちょっと困る……
ような気がする。
先にわたしが挙げた句を
例えばソーダ水と入れ替えて読んでみてほしい。
どうだろう、
それはそれでアリという気はしないだろうか。
これが世に言う
「季語が動く」
というやつである。
ついでに詠んだ海洋深層水と較べても、
フックの弱さは否めないところだろうと思うが
どうだろうか。
ただ、
これは二句一章の形式で詠んだもので、
この二句一章という形式そのものが、
季語が動きやすい危険があるものなので、
仕方ないところがあるかも知れない。
違うアプローチで
「水素水」を詠むことが
必要となってくるかも知れない。

というところで、
今回のレポートは終わることにする。
ただ、
最後にどうしても声を大にして言っておきたい。
わたしは、本当にこの「水素水」を季語として定着させたい
という気持をさらさら持っていないということである。
正直、自分のうたの日の成績にがっかりして、
なにかに逃避していたいだけなのだ。
次回、さらなる「水素水」俳句が出来れば
その2の記事がかけると思うが、
問題はすでにわたしが水素水に飽きはじめているということである。
もう少し水素水で粘れるか、
あきらめてうたの日にもどるか、
それは次の水素水俳句の出来次第かもしれない。

ネプリ句集「ぶだうパン」季語その3


ネプリ句集秋の部「ぶだうパン」も
あと二日となりました。
23日から一週間は冬の部「たまごボーロ」の予定です。

芒(すすき)
イネ科の多年草。「薄」とも表記しますね。
田舎在住の所為か、川を眺めるのが好きな所為か、
芒で詠んだ句が多いですね。
この句の「黄泉比良坂」について少し補足。
日本神話において、あの世(黄泉の国)とこの世の境目、
とされる坂、あるいは入り口
ということなんですが、
実はわたしの住む島根に
この「黄泉比良坂」があるんですよ。
現地には大きな岩がいかにもな感じで
どんどんって置いてあって、
この岩のしたに……
という雰囲気。
でもそこに行き着くまでのところに
非常にフレンドリーな案内看板があって、
興をそがれるというか
逆に面白いというか。

蜻蛉(とんばう・とんぼう)
「とんぼ」のロングバージョンといいますか、
古語、なのかな。
トンボは、梅雨時ぐらいから秋の間、
さまざまな種類が活動しますが、
それらを総称した「蜻蛉」は秋の季語。
水辺を飛ぶ真っ黒な羽黒トンボとか、
繊細な糸トンボとか、
あの辺りは夏の季語になりますが、
ほかは大体秋の季語。
「蜻蛉」の別名を
「秋津(あきつ)」って言うぐらいですからね。
蜻蛉って書いてあきつ、もありです。

野分(のわき)
「のわけ」と読んでも間違いじゃない
というところがなんとなくゆるい感じ。
立春より数えて二百十日の頃に吹く、
強い風嵐。
だいたい新暦でいうと9月の上旬。
って秋の台風のことですやん。
この野分の去った後のことを「野分晴」っていって、
それはもう立派な台風一過ですな。
もちろん「台風」そのものも秋の季語です。
上記の「二百十日」も秋の季語で、
稲の開花と台風が被るために
農家はこの頃特に警戒が必要だった
みたいな感じのようで、
この日のことを「厄日」とも言うみたい。
相変わらずもとの季語から離れてしまいますね。
この季語説明って。

山葡萄(やまぶだう・やまぶどう)
「葡萄」そのものも秋の季語なんですが、
「山葡萄」は、それとは独立してます。
「葡萄」の傍題は
「甲州葡萄」「マスカット」「デラウェア」や
「葡萄園」「葡萄狩」「葡萄棚」など。
食用のやつですね。
「山葡萄」は、
品種改良されていない山野に自生してるもの。
実がびっちり付いてなかったりして、
それはそれで雰囲気ありますよね。

紅葉山(もみぢやま・もみじやま)
秋は「月」!
とか言いますが、
やっぱり一般的な秋のアイコンは「紅葉」
じゃないでしょうか。
清少納言先輩に言わせれば
「秋は夕暮れ」の鳥の姿らしいですが。
秋に葉が色づくのを総称して「紅葉」ですが、
もちろん赤くなるのを「紅葉(もみじ・こうよう)」
黄色くなるのを「黄葉(もみじ・こうよう)」
と分けて言うこともありますね。
ところで、
あえてどっちも新かな遣いで
「こうよう」って書いたんですが、
旧かな遣いでひらくと
紅葉(こうえふ)に対して
黄葉はなんと(くわうえふ)。
旧かな遣い怖い。

どんぐり(団栗)
これもあまり説明のいらない季語かなぁ。
季節的にも普通に秋ですよね。
まあ、それでも一応。
ブナ科の落葉樹の実を総称したものですが、
狭義ではクヌギの実のことを言うらしいです。
細いやつ、太ったやつ、
大きいやつ、小さいやつ、
帽子をかぶったやつとか枝がついてるやつとか
子供の頃に夢中になって集めましたよね。
稀によく虫が入ってて、
あとで大変な事になったりしたのも
それはそれでいい思い出。
これは大人になってからなんですが、
椎の実は食べられるんだと聞いて、
食べさせてもらったことがあります。
まあ、よく言えば野趣溢れる味で
うーん、なるほどなぁ(何が)
という感想を口にしたのを覚えてます。
この「椎の実」は、
「どんぐり」とは別に独立した季語として
あるんですが、
食用としてもいける、
という部分から分けてあるんでしょうか。

鉦叩(かねたたき)
秋の鳴く虫のひとつ。
鳴くっていっても、
羽と羽をこすり合わせて音を出すんですけどね。
この鉦叩はチンチンチンチンと
鉦を叩くような澄んだ音を出します。
みためはあんまり可愛らしくないですが
一センチたらずの小さい虫なので、
ある意味可愛いサイズではあります。
「秋の虫」という括りで言うと、
それは「虫の声」を愛でるという感じで、
姿そのものはあまり言われることがないような気がします。

柿熟るる(かきうるる)
「柿熟るる」というか
季語は「柿」ですね。
秋の果物の一つですが、
食べるというよりも、
木に実っているのを詠む方が
わたしは多いです。
というか食べる方で詠んだことないかも。

秋風(あきかぜ)
秋に吹く風のことですね。
「しゅうふう」と読ませることもあります。
「あきかぜ」「しゅうふう」
共に四音で、
特にルビがふってなければ「あきかぜ」って読むことが多い
ような気がしますが、
この「秋風」をどちらで読むべきか、
それが云々された俳句もあります。
たとえば
石田波郷(いしだはきょう)の
「吹きおこる秋風鶴を歩ましむ」の句なんかが
それです。

紅葉且つ散る(もみぢかつちる・もみじかつちる)
ちょっと長い季語ですが、
「紅葉且つ散る」は、そのまま
紅葉しながらその一方で散っていく
という様子を言った季語になります。
七音あるので、
中七にこれを置く俳句が多いでしょうか。
○○○○○/紅葉且つ散る/○○○○○
あと、
もみじ・かつ・ちる
と分けられるので、
上五メインで
紅葉且つ/散る○○○○○/○○○○○
下五メインで
○○○○○/○○○○紅葉/且つ散れり
という使い方があります。

ネプリ句集「ぶだうパン」季語その2


ネプリ句集秋の部
「ぶだうパン」
3月22日までやってます。
セブンイレブンの予約番号は 80747469
それ以外のコンビニはT3XDNU42H3。


秋の動物園(あきのどうぶつゑん)
この句について、
どうしようかと思ったんですが、
自分の中で好きな句だったので入れてしまいました。
この句の季語部分は、「秋」。
季語がかぶらないように30句と思っていたのに、
「秋」を二度も出してしまいました。
さて、この句ですが、
句会に出してウチの編集長から
「あやうい季語」といわれました。
そう、あやういんです。
何がどう危ういかといいますと、
「秋の○○」と「秋の」を付けたら
なんでも秋の季語に見えてしまうという
そういうあやうさ。
それが「秋の」である必要性がないものでも
なんとなく季語として成立しかねない、
そのあたりが危ういわけです。
それが「春の」「夏の」「冬の」
どれでも一応成立してしまう句であれば、
それは「秋の○○」である必要があまりないので
季語がなくてあわてて「秋の」ってくっつけた
みたいな感じになるわけで。
さて、この「秋の動物園」は、
どんな風に受け取られるんでしょうか。

秋桜(あきざくら)
キク科の一年草。九月から十月にかけて白やピンクの花をつける。
という、まあ、いわゆるコスモスです。
わたしの大好きなコスモスの句は
コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ(鈴木しづ子)
鈴木しづ子の句の中で一番衝撃を受けた句ではないけど
一番すきな句がこれ。
コスモス(秋桜)に風は
ベタ過ぎるほどベタだけど、
やっぱそこがいいんじゃんとか思います。

小鳥来る(ことりくる)
「小鳥(ことり)」の傍題。
秋に、日本に渡ってくる鳥や、
山から人里へ降りて来る鳥の中でも、
小鳥に限定して愛でたものがこの季語と思います。
鶸(ひわ)鶫(つぐみ)びょうびたき、あとりなどなど。
その中でも色の美しい小鳥のことを「色鳥」
と言って、
「小鳥」の傍題ではなくて、
独立した季語になってます。

芙蓉(ふよう)
アオイ科の落葉低木。
八月から十月にかけて白やピンクの花をさかせます。
この木がまた繁殖力が強くて、
うちの庭にもどこからかやって来た種で
一つ芽が出て、
放っておいたら立派な木になったんですが、
その後周囲にぼこぼこ芽が出てきて
なかなか困った存在になったりしました。
「白芙蓉」「紅芙蓉」の他、
一つの木に白と紅のどちらも咲かせるものを
「酔芙蓉(すいふよう)」といいます。

案山子(かかし)
稲を鳥から守るために田んぼに立てる人形。
っていう説明もいらないかなという気もしますが。
「かがし」ともいうみたいですね。
同じ鳥除けでも、人形の形状じゃないものは
「鳥威し」と総称されて、
こちらも秋の季語になってます。

満月(まんげつ)
「月」は秋の季語!
ということは、前に書いたと思いますが、
「満月」は「月」の傍題……ではなくて、
「名月」の傍題になります。
これは、特に旧暦八月十五日のいわゆる「中秋の名月」のこと。
「名月」「望月」「今日の月」「月今宵」
「十五夜」「芋名月」などが「満月」の傍題仲間となります。
まあ、中秋の名月が、必ずしも満月とは限らないんですが、
その周辺の満月って感じですかね。
もうひとつ、「良夜」って季語があって、
これも中秋の名月の夜のことなんですが、
「名月」関連の季語の着目点が「月」なのに対して、
「良夜」は、その夜、ということなので
それとは別の独立した季語になってるんでしょうね。

桜紅葉(さくらもみぢ)
「紅葉」の中でも、比較的早くから色づくのが桜。
特に山桜の紅葉は、ほんのり赤みがかってて
かえでの赤とはまた違う美しさがあるように思えます。
ソメイヨシノの紅葉も好きですけどね。

ねこじやらし
「エノコログサ」の別名。
イネ科エノコログサ属の一年草で、
夏から秋にかけてつける花穂が犬の尻尾に似てることから、
犬ころ草→えのころ草となったもの。
漢字で書くと、「狗尾草」
旧かな表記だと「ゑのころぐさ」
「ゑのこぐさ」ともいいますが、
その穂で猫がじゃれてあそぶので、
「ねこじゃらし」という名前もあります。
この「ねこじゃらし」の草そっくりの、
猫をじゃらして遊ぶおもちゃの「ねこじゃらし」も
ありますよね。
みどり色でめっちゃ本家にそっくりのやつ。
名前が猫だったり犬だったりと
可愛らしい雑草です。

鳥の渡り(とりのわたり)
日本で冬を過ごすために渡ってくる鳥全般を「渡り鳥」
「鳥の渡り」は、それの傍題になります。
ちなみに、
一般的な意味での渡り鳥には、
夏鳥(日本で夏をすごす鳥)
冬鳥(日本で冬を過ごす鳥)
旅鳥(夏に北方で繁殖して南方で越冬するために日本を通過する鳥)
とあるらしいですが、
群をなしてやってくるのが冬鳥で、
そこから「渡り鳥」は秋の季語になったんだとか。
「鳥帰る」は、冬鳥が北方へ帰って行くもので、
これは春の季語。
春の部の方で「帰雁」について書いたけど、
ホント渡り鳥関係は知らないとわからない気がします。

毒茸(どくきのこ)
「どくたけ」とも読ませます。
基本的に「茸」全般が秋の季語なんですが、
食用の茸とこの「毒茸」は、
一応分けて考えられてるみたいで、
これはこれで独立した季語みたい。
月夜茸とかイッポンシメジとか、
地味で食用きのこと見間違えそうなものも多いんですが、
メルヘンチックな容貌のやつは
わりと毒きのこって気がします。

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