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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(昭和)

うたの日
4月29日歌題「昭和」

また母が昭和へ帰っているようなかすかなかすかな鼻歌をきく(しま・しましま)

この日のお題は「昭和」「平成」。
「昭和」、わたしの中の昭和ってなんだろうなー。
うーん、光GENJIって昭和だったっけ…
とかの流れでできた歌でした。
ちなみに、母の鼻歌ナンバーワンはアカシアの雨がなんとかいうやつ。

この日わたしが好きだなって思ったのは、
村田馨さんの
永遠に昭和がつづくと信じていた日をなつかしむ 戻れない日々
歌の中に、子供の頃だとはっきり示すものはないけど、
子供の頃ということですよね。
今あるものをすべて疑わずにいて、それが終るとか考えてなかった、
そんな子供時代があって、なつかしいけれど戻れない、
うーん、しみじみいいなって思いました。
ヒヨワくんさんの
ひとひらの恋が臆病風に散る。平成二十七年、四月。
も、好きな歌でした。
「平成二十七年、四月。」って
散りたてじゃないですか。
「臆病風」ってことは、告白できずに散ったのかな。
下の句は、年、月だけなんだけど、句読点付きになってて、
この痛みを噛み締めるみたいで、
そして、自分の中でひとくぎりをつける、みたいな感じがして
いいなーって思いました。

ところで、うたの日では、
現在ビッグイベントが行われてます。
その名も「短歌一武道会
128名がエントリーして、第一回は64のリングで1vs1の闘いをして
第二回はその半分、32のリングで闘う
という、トーナメント形式のイベントです。
リング毎に違うお題が出てて、
わたしは第一回が「結」でした。
ちなみに、運よく第二回に進めることになって、
今、第二回のお題「新品」に悩まされているところ。

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うたの日(砂漠)


うたの日
4月28日歌題「砂漠」

まだどこか砂漠に夢を見るような顔で佇む砂丘のらくだ(しま・しましま)

この日のお題は「スーパー」「砂漠」。
「砂漠」のお題を見たとたん、
らくだ!って思いました。
題詠blog2015でも
044:らくだ 太陽の砂丘をらくだ引きが行く駱駝と影を踏み合ひながら
というのを詠みましたが、
らくだって、なんか惹かれる動物の一つなんですよね。
しかし、
この歌の初案は実は
砂漠生まれ砂塵育ちすれ違うやつはだいたい友達って言いそうな砂丘のらくだ
というヒドイやつだったのでした。
えー、ちなみに
評にも書いていただきましたが、
この砂丘はもちろん鳥取砂丘。
お隣の県なんすよ。
わたしの「しま・しましま」という名前の、
二番目の「しま」は島根のしまだったりします。

この日、わたしが好きだったのは
ナタカさんの
駅前のスーパーの明かり消えていて すまないパパは今日も遅刻だ
あとで、作者さんが、
自分は本当はパパでもママでもない
っておっしゃってましたが、
「駅前のスーパーの明かり」で子供の時間に間に合わない感じを表現したところ、
単なる仕事で帰りが遅くなったパパ設定の想像の歌って
そういう感じはしませんでした。
リアルな具体性がある気がしました。

「砂漠」の題の中で好きなのは、
知己凛さんの
風に乗り届いた砂に惑わされ 次から次へ引き出すティッシュ
この歌の中に直接詠まれているわけじゃないけど、
風に乗って届く砂は黄砂、
黄砂はタクラマカン砂漠やゴビ砂漠からはるばる飛んで来る。
そういうお題の詠み方もいいなって思いました。
その黄砂がイメージさせる色を払拭するような、
真っ白イメージの下の句がまた、素敵でした。

099:聴(しま・しましま)

ふたり分の食器をお湯に沈ませて余った夜の雨音を聴く

うたの日(そんな)


うたの日
4月27日歌題「そんな」

そんなやつ捨てちゃえばって言うときの世界で一番罪深いきみ(しま・しましま)

この日のお題は「そんな」「シチュー」。
今日、一つ前の記事で書いたとおり、
「そんな」にはずいぶん翻弄されてしまいました。

この日あー、もうこれ好きだーっておもったのは
「そんな」では、太田青磁さんの
「手長いね」そんな理由で誘われてトロンボーン吹く十三の春
お題の「そんな」がただ詠み込まれてるだけじゃなくて、
ちゃんと「そんな」に存在感がある素敵な歌でした。
「シチュー」では、月花さんの
母の手に似てるだろうか 何年もしまわれたままのシチュー皿出す
「母の手に似てるだろうか」という独白のような上の句と
そう思いながらの動作を描いた下の句。
うーん惹かれます。
実家に帰って、シチューを作って、盛り付けるためのシチュー皿を出す。
そのシチュー皿は、何年もしまわれたまま。
ということは、この家で何年もシチューを作られなかったのかも知れません。
それは、作り手であるお母さんに何かあったからなのか、
あるいは、シチューが好きだった子供たちがいなくなって、
作る理由がなくなったからかも。
なんか色々と想像させられて、しかも自分のことも投影できて、
ホントステキな歌でした。
うたの日の方に感想を書いたけど、
書き足りなかったので、ながながと書いてしまいました。



うたの日派生のバナナ


それは、
4月27日のうたの日のお題のひとつが
「そんな」
だったことに端を発しました。
なにげなく「そんな」に続きそうなフレーズを考えていたわたしは、
ふいに
「そんなバナナ」という往年のギャグを思い出し、
そしてそのまま
「そんなバナナにだまされて」
と、原由子みたいになってしまいました。
もう、そうなると「そんなバナナにだまされて」が頭の中をぐるぐるしはじめ
他に考えられなくなってしまったのでした。
しかも、これが七五調なので余計に厄介。
これはもう、このフレーズで一首作ってしまわないと、
取り殺されるんじゃないかという勢いでした。

ぼくたちは十日の月から落ちてきたそんなバナナにだまされてやる しま・しましま
という歌を読んで、難を逃れた
はずでした。
ところが、
なんということでしょう。
気が付くと、その後もずっと
何故か「バナナ」で一生懸命歌を詠んでるわたしがいたのです。
と、
前置きが長くなってしまいましたが、
そんな感じで

「バナナ八本」 しま・しましま

寝そべったままソファから手を伸ばす時にわたしはバナナの形

人間はバナナを食べるもののけの森の暗みの猩猩たちよ

死ぬまでに三度ぐらいはあるでしょうバナナの皮ですべったりなど

完熟派の君とは多分同じ日にバナナを食べることができない

バナナの絵を一房まるまる描く人は冷静沈着 (当社調べ)

Eテレは見ない大人のずるやすみ一人でバナナ三本食べる

廃棄率何パーセントでもいいだろうバナナの皮の気持にもなれ

失くしたと思い込んでたあのバナナ、ソファの隙間で化石になってる


098:独(しま・しましま)

地下道へ続く手すりの銀色に触れて孤独は冷えだと知りぬ

うたの日(沈)

うたの日
4月26日歌題「沈」

太陽ってまいにち沈む 涙ってこんなに小さい水のかたまり(しま・しましま)

この日のお題は「フライ」「沈」でした。
もうね、
カキフライが無いなら来なかった(せきしろ×又吉直樹)
しか頭に出てこなくて、「フライ」はあきらめました。

この日好きだったのは、
わんこ山田さんの
風の無い空にぽかんと打ち上げたフライ必ずひとり死ぬはず
きいさんの
植込みのツツジの中に蜜蜂が沈みて花の鮮やかなこと
でした。
わんこ山田さんの歌、
「空」「ぽかん」なんて上の句にあるのに、
下の句の強い印象のフレーズが入ってシャープな感じ。
きいさんの歌は、ホントにきれいで、
結句の「鮮やかなこと」に、思わず同意したくなるぐらい。(わたしは見てないのに)

097:騙(しま・しましま)

気が付けば舳先にをりぬ騙し舟摘んだままでひとりのままで

うたの日(病)


うたの日
4月25日歌題「病」

英樹と書いてよしきと読ます病む父のよんちゃん、よんちゃんと皆に呼ばれる(しま・しましま)

この日のお題は「ブランコ」「病」。
最初は「ブランコ」でいくつか作ってみたんだけど、
結局この歌を出しました。
個人情報てんこもり。(わたしの、ではないけど)

「ブランコ」の没にした歌ですが、
実は、出来るだけ「あの」という言葉を使わない方向で
やってみようと思ってる矢先なのに
あの頃のぶらんこ漕いで蹴り上げた小さなくつを拾ってあるく
ぶらんこを漕ぐとおなかがひゅっとなるあのこのためにぶらんこを漕ぐ
と「あの」連発。
で、その後できたのは
今日はだれも座らせないつもりのブランコが濡れている
という、歌未満のフレーズなんだけど、
これがどうにも短歌の定型に収め切れなかったんだよね。

この日のお題で、それぞれ一番すきなのは
多香子さんの
藤棚に結びしぶらんこ懐かしき 父が揺らしぬ リスも揺らしぬ
涼風あき津さんの
病棟の廊下の手すりきゅっと握り談話室なら明るいと言う
でした。

096:賢(しま・しましま)

蜘蛛の囲のふたつはづれてゐるらしき賢き蜘蛛のまだ動かざる

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