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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(例)


うたの日

5月20日歌題「例」

例のやつと君が目配せする度にまた新しく重ねる秘密(しま・しましま)

この日のお題は「演」「例」でした。
「演」でこの日すきだったのは
ヒヨワくんさん
最後まで道化を演じきるぼくに助演ナントカ賞をください
「助演ナントカ賞」の「ナントカ」がいいなって思いました。
上の句の
「最後まで道化を演じきるぼく」
は、何かの状況において道化を演じるしかない
という諦観のようなものが感じられるんだけど、
その道化芝居を強いられてる舞台から降りてるはずの下の句でも
「助演ナントカ賞」とおどけてみせてるところが
ユーモアの底から悲しさが立ち上ってくるみたいでした。

「例」の歌は、先に選だけして、
あとから感想を入れようと思ってて忘れてました。
普段と違う手順にするとダメだなぁ。
ハートを入れたのは
ニキタ・フユさんの
類友とは例えば君と君だと言い父は母とポチを指さす
すごく好き。
まず、主体と父と母とポチっていう4人(3人と1匹)の
家族の風景が見えるところがいいなぁ。
ポチに対しても「君」というところに、
ポチが家族の一員なんだなっていうのを思わされます。
犬は飼い主に似るとか言うけど、
どっちかがだんだん似てくるんじゃなくて
母とポチを「類友」と断定してる父が面白いですね。
どちらの個性もちゃんと尊重してるような気がしました。
そして、一切自分の感想を入れずに淡々とそれの景を言葉にする
子が主体になってる。
(たしかにー)って思ったのか
(ちょ、お父さんww)
って思ったのかはわからないけど、
一歩退いたところから家族の風景を詠んで
どことなくあたたかい感じが好きでした。

音符を入れた、小宮子々さんの
丁寧に切り分ける肉あなたとの終わりのかたちの一例として
も、いいなと思いました。
最初読んだときは、
おおぅ なんか怖…
って思ったけど、
普通の食事の景ですよね。
丁寧に食事をして終る、そういう終わりもある、という。
あと、
中牧正太さんの
おめでとう北城椿貴 花として例外的に永遠であれ
にも音符をつけました。
作中の「北城椿貴」というのは
うたの日でも歌を詠まれてる作家さんのお名前で、
彼女に実生活上でのお祝い事あって、
それが知らされた直後の歌という感じかな。
歌会ではどうかわからないけど、
句会などではこういう内輪ネタ的な贈答句ってあるんですよね。
そういうのがあるから楽しい、というか。
座の文学
という感じかな。
多分、歌会でも「座」というのは変らないんじゃないかなと
思います。
しかし、上手いですよね。
単にお名前を詠み込んだだけじゃなくて、
そのお名前の中の「椿」をきちんと下の句で反映させてる。
「椿」の花は、花の終りを見せないで、きれいなまま丸ごと落ちてしまうんだけど、
「例外的に永遠であれ」
とか。
こんな歌を贈ってもらえたら嬉しいだろうなと
思います。
ともあれ
北城さん、おめでとうございます。

うたの日(キッチン)


うたの日

5月19日歌題「キッチン」

キッチンの小さな窓をうつ雨の音に冷えゆくくるぶしふたつ(しま・しましま)

この日のお題は「キッチン」「くらげ」。
なんだろうな、最終的に「音」に掛かる言葉が多すぎるような、多いというほどでもないようなもやっとした気持がします。
「キッチンの」「小さな」「窓を」「うつ」「雨の」「音」
うーん、やっぱ多いか。

余談ですが、この「キッチン」の歌を出した後、
ツイッターで
題詠ったーによるお題「わくわく」「帽子」のどちらか、で
わくわくさんの帽子ゴロリの大きなおしり ぬるりと過ぎる発熱の午後
という歌を詠んで、
その後、同じEテレでお馴染みの子供向け番組のキャラクター、
ニャンちゅうの話題から
ニャンちゅうがおぬぇえすわああんと言うときに電気クラゲは身震いをする
という歌が出来てしまいました。
自分で読み返す度に、ややニャンちゅうの物まねで上の句を読んでしまいます。楽しかったー。

それにしても、けっこううたの日で女性っぽさのある歌を出してるので、
さすがにまだ「しま・しましま」の性別を疑う人はいないだろうな
と思ってます。
今度誰かに言われたら、瞬間的にだけど
中の人実写アイコンにしてみようかと思って、
ちょっと自撮したのを加工しておいたんだけど、
使う機会はこないみたい。
あー残念だー(棒)

それは置いておいて
この日わたしが好きだったのは
文佳*さんの
天窓から光こぼれてあかるくてキッチンに立つひとの背がきれい
フレーズひとつひとつに清潔感があって、
なんだかとてもイノセントな雰囲気がしました。
これを詠んでる人は女性で、
「キッチンに立つひとの背がきれい」と思われている人物は
男性なのかなーとか思いました。
佐藤博之さんの
高熱に臥す二月のほのぐらき厨に湯呑茶碗まさぐる
は、逆に男性っぽい歌でしたね。
ちなみに、「二月」は
ナチュラルに「にんがつ」と読んでましたが、
あれってもしかして俳句特有の読み方だったりする?

「くらげ」の歌では
村田馨さんの
海に咲く月も在るらん水に棲む母も居るらんさまよえるもの
は、上手い!って思いましたね。
「海月」「水母」というくらげの漢字表記をばらして、
それぞれに入れた「咲く」「棲む」がすごくすてき。
結句の「さまよえるもの」がまたびしっと決まってて、
海にただようくらげから、なんとなく自分のところまでひっぱってくるように
感じました。
ぱっと見たとき、ああーこれ絶対ハートだなって思ったんですけどね。
実はハートは
エレンさんの
海の中、クラゲぎっしり詰めておき、歩いて渡る関門海峡
に入れてしまいました。
考えたこともないようなすごくすてきな想像だなぁと思って。
関門海峡って、潮流が激しいことでも有名ですよね。
そんな海を「歩いて渡る」ことができるほど
くらげをぎっしり詰める!
わー、ぎっしり詰めたくらげを踏んだとき、どんな踏み心地なんだろう、
どんな色の海になるだろう
と思ったらもうすっかりこの歌にハマってしまいました。
読点はなくてもよさそうだなとか思いましたが、
とにかく発想がすてきでした。

うたの日(片)


うたの日
5月18日歌題「片」

左手と言えぬ子の言うひらりてのひらりひらりと漂っている(しま・しましま)

この日のお題は「片」「先生」。
この歌、最初は旧かなで考えてたんですが
左手と言へぬ子の言ふひらりてのひらりひらりと漂つてゐる
「ひらりて」「ひらりひらり」の印象が薄くなっちゃうかなと
思って新かなにしてみました。

この歌にも、
ありがたいことに評がいくつか頂けました。
片手、片言を言外に思わせるように
というのは意識してたんですが
「ひらりてのひらりひらり」
の中に「てのひら」がある、
というのは、自分では全然気が付きませんでしたが
指摘されて、ああっ!と思いました。
初句と二句目が散文的
という指摘については、
なんとなく、うーんそうなのかなぁ
という感じ。
「左手と言えぬ子の言う」
ってとこですよね。
「ひだりてといえぬこのいうひらりての」
という上の句のリズムと語感が気に入っていただけに、
色々と考えさせられます。

さて、この日わたしがいいなと思った歌は
ハートをつけたのが
天野うずめさんの
靴下の片方ばかり運び来る飼い猫たちの憂鬱な夜
ものすごく感覚的な歌で、
昨夜もどう感想を書こうか悩んで、結局書かなかったんですが、
とりあえず、出来るだけ言葉にしてみます。
飼ってる猫が靴下を咥えていくって情景そのものは、
よくあるシーンで、
多分猫を飼っていなくてもそういうこともあるだろうなって感じじゃないかと
思うんですが、
「運び来る」ということは、飼い主のところへ持ってきてくれるんですよね。
せっせと猫たちが靴下を運んできてくれるけど、
それがどれも片方ばかりでセットにならないな
と、気付いた飼い主のこころのかげり。
対になるのが当たり前のものが対にならない淋しさみたいなものを
猫たちに突きつけられているような気がした、
んじゃないかなぁと。
「片」の歌で音符をつけたのは
たえなかすずさんの
さようなら、さよなら僕の片えくぼ 嗚呼泣くときもあざやかなのか
藤 かづえさんの
真夜中の片づけ終えたキッチンは白くて浅い呼吸をしている
でした。
たえなかさんの歌は、
「僕の片えくぼ」は、僕自身のえくぼじゃなくて、
僕の(好きだった君の)片えくぼ
と、思いました。
なんらかの事情があって、彼女と別れることになって、
その別れのシーン。
受け入れがたい事実を受け止めるとき、
不思議に頭のどこかがすっと冷めてて、
妙に冷静に観察してる一部分がある、
それが彼女の泣き顔にも出来る片えくぼなのかな
って思いました。
藤さんの歌は、
これがまたものすごく感覚的な歌で
なかなか言葉にしにくいんですが、
「白くて浅い呼吸」が
なんとなく、そうだなって気がしました。

「先生」の歌ですきなのは
西村湯呑さんの
One For All,All For One ぼくたちをさがす先生をさがした遠足
「三銃士」の名台詞ですよね。
上の句に英語
下の句が5・8・8
という形式ですが、下の句の字余りがあまり気にならない
大きい切れがとても印象的でした。
内容自体も面白いですよね。
遠足で、クラスの児童を探す先生と
その先生を探す児童たち。
三銃士の言葉が面白くマッチしてると思いました。
先生像も想像されますねー。
普段からこどもたちに「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」
って口癖のように言ってる熱血先生なんだろうなあ
とか。

うたの日(かばん)


うたの日
5月17日歌題「かばん」

あの海を入れるかばんを買いましょう片方の手で提げるぐらいの(しま・しましま)

この日のお題は「罠」「かばん」。
思い出が入るかばんっていうのが最初のイメージでした。
探している→買いました→買いましょう
と動詞の部分を変えていったんだけど、
買いましたと買いましょう、どっちがいいんだろうなって
よくわかりません。

この日すきだったのは
「罠」では希和子さんの
露という露に朝陽を閉じ込めて なんて眩い罠なんだろう
ホントにきれいな歌。
うたの日の感想に、「夜露」とか書いちゃったけど、
そうですね、朝露って書くべきでした。
この歌を見た瞬間、
蜘蛛の巣にびっしり露の雫がついてるところが浮かんできて、
それが朝日に輝いてる。
それを上の句のようなすてきな表現がされてて
ホントすてき。
「なんて眩い罠なんだろう」
という作者の気持がすんなり入ってきました。
もう一つ蜘蛛の巣の歌があって、
それもとても好きでした。
ナタカさんの
蜘蛛の巣に残る羽は陽のもとで最期を過ぎて今なお光る
自然界の非情な部分を切り取って、
しかもその中の美を詠んだ歌ですよね。
蝶のような大きな羽でも、
元の虫はわからないけど、透明な小さい羽でも
主はもう食べられちゃってるのに、羽だけ残って光ってる。
いいなぁ。
うたの日の感想に、二句目が字足らずかなっておもったことを
書いたんですが、
他の方はそんな風に思われなかったようなので、
多分そこが字足らずでも気にならないか、
あるいは「羽」が三文字ぐらいの読み方の出来る言葉なのかも
とか思います。
でも、どっちなんだろうな……って気になってます。

「かばん」の歌では
木鼠さんの
氣がつけば鞄は持ち手だけとなりそれでも旅を続けてゆきぬ
がダントツで好きでした。
長い長い旅の間に、
手荷物がなくなったり擦り切れたりしてって
気が付くと鞄の持ち手だけを握ってる。
クラシックな旅行鞄(の、持ち手)を想像しました。
下の句がまたいいんですよね。
「ぬ」に余韻があります。

うたの日(黒)

うたの日
5月16日歌題「黒」

その黒い背中てらてら光らせてサヨナラほろびゆくコビトカバ(しま・しましま)

この日のお題は「赤」「黒」。
大好きなコビトカバを詠みました。
コビトカバ、マレーグマ、海獣全般
てらてらした動物が好きなんです。
57577の77の部分を三分割したら
面白いかなって思ってやってみました。
さよならということばをカタカナにしたのも
三分割感を強く出すためでした。
レッドリスト入りの動物を言葉遊びを入れて詠むのは
ちょっとひどかったかな。
「てらてら」の部分を「ほろほろ」にして、
わたしがそれを残念だと思う気持を入れた方がよかったかな。
とか、今朝になっても
うーんと考えてます。

この日わたしがいいなと思ったのは
春野あくびさんの
いっせいに歩きだす人うっすらと赤信号の人を残して
この歌に
歩行者用の信号が青になって、いっせいに人が歩き出すのに、そこに立ち止まったままの人たちがいて、その人たちにとって、まだ信号が赤のままなのだと作者は見たということでしょうか。歩き出しながら、その人たちを気にしているのか、あるいは作者も歩き出せない人の一人なのか、なんとなく惹かれる歌でした。
という感想をつけたんですが、
後で作者の春野さんから
「赤信号の中の人型が青になってもうっすら影のように残っていること」
を読んだという自註があって
あー、なるほど、それなー
って気持になりました。
もともとの出発点はとてもシンプルなのに、
思わず読者に深読みさせてしまうなんて
すてきだー
(と、読み間違った自分をさりげなくフォローしたりして)
いや、
ホント今朝読み返しても、いい歌だなって思います。
木鼠さんの
ぼくだって色鉛筆だ今日からは鉛筆呼ばわりするのはやめて
色鉛筆の中のくろ色くんの悲痛な願いですね。
そういえば、鉛筆よばわりまではしないけど、
色鉛筆ケースの中でくろ色としろ色は、
両端に置いてて、どっちもあんまり短くならなかったなぁとか
思い出しました。



うたの日(苺)

うたの日
5月15日歌題「苺」

蛇苺蹴ってつま先も汚れない一緒にあそぼが言い出せなくて(しま・しましま)

この日のお題は「苺」「ハート」。
なにやら可愛らしいお題が並んで、
ちょっとたじろいでしまいました。
でも、
そうだわたしには蛇苺がある!
子供の頃から蛇苺がなんとなく好きで、
こっそり食べたりしていた、
愛着のある植物の一つなんですよね。
俳句でもけっこう使ってる
と、思ったけど、
今探したら
蛇苺またかさぶたに触れてゐる
昼に見る夢のさびしきへびいちご
ぐらいしか見つからなかった。
上手く使えなかったんだなぁやっぱり。

それはそうと、
この日わたしが好きだなって思った歌は、
春野あくびさんの
苺摘む朝のゆびさきまだ青い苺もふふふくすぐってやる
「ふふふ」がすごく好きです。
「ふふふくすぐってやる」いいなぁ。
それまでの短歌短歌したリズムが、ここでくるんとねじられて
作者の言葉にかわるところが好きです。

「ハート」の歌は、
23時半ぐらいに滑り込みで選だけしたので、
感想を書く時間がなかったのが残念。
小宮子々さんの
こんなにもお一人様の夜なのにハートのピノに出会ってしまう
を、それこそハート入れさしてもらいました。
森永乳業の一口大のアイス「ピノ」は、
星型とハート型のレアピノが存在しますが、
そのハート型のピノが入ってた
っていう歌ですよね。
孤独を噛み締めるべき夜に、よりにもよってハートのレアピノ……
孤独感がユーモラスに表現されてて
逆の逆に切ない歌だと思いました。
音符を入れたのは
気球さんの
試し書きらせんの赤が重なってふいにうまれるハートの願い
きつねさんの
一人分ドーナツを買うこんなにもハートマークのあふれる街で
どちらも日常のちょっとしたことに、
気持が絡められてていいなと思いました。
それにしても、たしかに街はハートマークに溢れてますよね。
恋人がいっぱいとか恋愛至上主義社会かっていう意味でも、
図形としてのハートマークとしても。
その一つが、
例えばピノの中のレアハート型だったり
試し書きのぐるぐるがたまたま作ったハートであったりする
かもしれませんねえ。

うたの日(キャラメル)

うたの日
5月14日歌題「キャラメル」

<滋養豊富 風味絶佳>のやはらかをなんども舌にころがしてゐる(しま・しましま)

この日のお題は「キャラメル」「巡」。
わたしの歌は、言わずと知れた森永ミルクキャラメルの黄色のパッケージ
……と、思ってたんだけど、
意外にこのフレーズ知られてなかったのかと
ちょっとびっくりしました。
もっとがんばれ森永製菓。
と、いうのも、
うたの日の評に
「なにかの商品のキャッチフレーズなのだろう。」
「どのメーカーの売り文句かさっぱり覚えていないが」
とあったので。
それにしても、他の人の読みって面白いなって思います。
この歌から旧日本陸軍にまで思いをはせてしまう人がいるとは。
おもわず、ほほぅと思って何度か読み直しておりました。

この日わたしが好きだなって思ったのは
「キャラメル」の歌では沖川泰平さんの
キャラメルが歯にくっついてこの味が永遠につづくと思った、夏に
でした。
キャラメルの強い甘さと粘度が、
青春の思い出につながってるんだなって思いました。
子供の頃の思い出でもいいのかも知れないけど、
なんとなく、子供というよりはもうすこし年が上な感じがしました。
「キャラメルが歯に」から「思った」までの一気感に対しての
「夏に」という不安定な言葉を最後に放り込んだ感じが
なんともいえない味があるように思いました。

ちょっと、長くなりそうですが、
「キャラメル」の歌の感想をもうすこし。
多香子さんの
えごの木に小さな花が垂れる町 父のみやげはサイコロキャラメル
ももさんの
月明かりMeijiを透かし噛みしめる残り一粒もうすぐ夜明け
この二つの歌も、すごくいいなって思いました。
どちらも情景がふわっと浮かんでくるんですよね。
多香子さんの歌は、
まず、えごの木が花盛りな様子が浮かんで、
そこから、それが小さな町の一角にあるんだなってなって、
サイコロキャラメルを受け取る小さな子供が浮かんできます。
なんか、郷愁を感じるいい情景だなぁ。
この見せ方の順番がいいなぁ。
ももさんの歌は、
深夜の女の子とか想像しました。
眠れなくて、何かしてるのかな、と。
明治クリームキャラメルを食べながら、
その半透明の包み紙を、
なんとなく月明かりにすかして、Meijiのロゴを透かしてみてる。
結句の「もうすぐ夜明け」が
ほっとするような、ちょっと惜しんでるような感じで
いいなと思いました。

もう一つ。
真夜中さんの
ハイソフトのカードを祖父に見せている。知らない電車。世はこともなし。
これは、昨夜は「知らない電車。」がちょっとわからなくて
取れなかったんですが、
評を読んで、
ああー、ハイソフトのカードが知らない電車だったんだと思ったら、
本当にいい歌だなあ、
取れなくてもったいないことをしたなぁって思った歌でした。

「巡」の歌では、といじまさんの
大皿が三巡しても余ったらおかわり自由は我が家のルール
がすごく好き。
にぎやかであたたかい食卓が想像されます。
とにかく
「大皿が三巡しても余ったら」
というところが好きです。
大皿でどーんとおかずが盛られてて、
それがつぎつぎとテーブルの上を巡っていくって
なかなかの迫力ですよね。
二巡目も三巡目もおかわりなんじゃ……
と思うけど、そこまでは「自由」なおかわりじゃないという
そこの家庭のルールが面白くて、
きっとおいしいご飯なんだろうなあとほのぼのします。
上の句の「大皿が三巡」おお(ざらがさん)じゅん
下の句の「おかわり自由」お(かわり)じゆう
という韻がさりげなく踏んであるのも楽しい感じ。

うたの日(爬虫類)


うたの日
5月13日歌題「爬虫類」

月光がすべてを水に変えて行きアスファルトすべる蛇にも航跡(しま・しましま)

この日のお題は「変身」「爬虫類」。
うちの方は田舎だから、なんでしょうけど、
けっこう蛇を見かけます。
草むらに消えていくところが多いんですが、
一度だけ、
夜の交差点を大きな蛇が流れるようなスピードで
斜めに突っ切っていくのを見ました。
ホント蛇行ってこういうことを言うんだっていう
大きなZを描いていて、
すごく神秘的でした。
いつか一句これで詠もうと思ってたんだけど、
なかなかまとまらなくて、
今回短歌でチャレンジしてみたわけです。

この日好きだった歌は
春野あくびさんの
変身を終えた紋白蝶つぎはいよいよ風になりかけている
うたの日のコメントにも書いたんですが、
「いよいよ風になりかけている」
がいいなーって思います。
他の蝶と違って、
紋白蝶ってたしかに
風、それもかすかなそよ風そのものかもって
思わせてくれます。
「爬虫類」の歌では
ヒヨワくんさんの
キャンディバーちろちろ舐めて少女らは爬虫類館より現れる
田中ましろさんの
休日の父がウミガメだったので風呂へと運ぶ兄と妹
で、ハートを迷いました。
わたしだけの印象なのかも知れませんが、
ヒヨワくんさんの歌では「少女ら」
田中さんの歌では「兄と妹」
が、どーんとクローズアップされて見えて、
不思議で面白いなぁって思いました。
「ちろちろ舐めて」「爬虫類館」とか
「休日の父がウミガメ」とか、
インパクトの強い言葉が他にあるのに、
「少女ら」「兄と妹」の印象が最後まで強く残る感じ。
田中さんの歌は、「兄と妹」って最後に置かれた言葉なので
まだわかるんだけど、
ヒヨワくんさんの「少女ら」がすごく強いのはなんでなんだろう。
ここからはもっと
自分勝手な考察になりますが、
「キャンディバーちろちろ舐めて」「爬虫類館」
は、イメージが重なるので、表面的に印象がお互いに薄められる。
でも、しっかりと背景としての効果が残るので、
どことなく爬虫類めいた少女らが提示される。
そこにまた、
室内から外へ出てきたときの
すっと目が細くなる感じとかを
読者(というかわたし)が想像するので、
より爬虫類めいた少女らの印象が強くなる、
という感じなのかなあ。
で、
「爬虫類」って、わりとゾッとする系のイメージもあるんで
作者とこの爬虫類めいた少女らの
心理的な距離感とかも想像されるような気がしたり……。
相変わらず歯切れが悪くてすいません。
昨夜見たときから、すごく気になる歌で、
なんとか読み解きたいと思ったんだけど、
むずかしかったです。
でも好きな歌です。





うたの日(ふたり)


うたの日
5月12日歌題「ふたり」

階段の途中のちいさな踊り場にふたりの傘を立てかけておく(しま・しましま)

この日のお題は「ひとり」「ふたり」。
うたの日の評で、「階段の途中」「踊り場」はもったいない
とあって、
ああーっとなりました。
そうですよね、踊り場って大体階段の途中にあるものですからねぇ。

この日の、特に「ひとり」の題はすてきな歌がいっぱいあって、
どれもハート(特選)か音符(並選)か迷うー
と思ってたんですが、
なんと8首が同点で首位の花束。
わたしが選んだ歌のほとんどが花束!
すごいことだなぁ。
悩みに悩んでわたしがハートを入れたのは
佐藤博之さんの
散髮の翌朝、ひとり襟足を剃り直さむとて背中を捻ぢる
そこはかとないユーモアとペーソス、じわじわ味わいが広がる歌だと思いました。
そうそう、後で作者さんがツイッターで「捻ぢる」の文語用法について
かかれてました。
文語口語交じりって、わたし自身はあんまり気にしないけど、
やっぱりその辺りの統一を考えると色々深いものがありますよね。
わたしはこの歌の「捻ぢる」の「ぢる」という送り仮名の、
現代感覚で見たときの面白さは他に変えがたいものがあるなぁって
勝手に思ったりします。
「散髮の翌朝、ひとり襟足を剃り直さむとて」
という読点が入って、句またがりで四句目の字余りがあって、
けっこう重たい感じの流れの最後に
「ぢる」という目で見ておもしろい文字が入ってるんで、
不思議な軽みが出てる……
ような気がしたり。
人の短歌で好き勝手なこと言ってすいません。
404notF0816さんの
ひとりでに割れた土鍋を拾っている遺骨をさらうような気持ちで
荻森美帆さんの
母逝きしのちひよこふれあい広場にてひよこに埋もれわれひとり坐す
も、ハートでもいいなっていうぐらいすてきな歌でした。
「ひとりでに割れた土鍋」「母逝きし」という
どちらもわたし自身はまだ経験のないところですが、
どこか共感するというか、共振させられるような歌でした。

「ふたり」の歌では
門脇篤史さんの
咳の音で起こしたのでせうきみの手がしづかに背中をさすつてゐたり
がいいなと思いました。
佐藤さんの歌とは違って、
こちらはあえての口語(というか話し言葉)文語交じりですね。
「咳の音で起こしたのでせう」がやわらかくてやさしくていいなぁと思います。
そして「たり」で終る余韻がいいなぁ。
夜のくらがりの中の一組の夫婦の姿が浮かんできます。
半ば眠りながら咳き込んだ主体が、
ふと背中をさすってくれる感触で目を覚ます。
自分の咳で目を覚ました人が、自分を気遣って背中をさすってくれていたんだ
と、気付くという、
二点の気付きがホントいいなぁ。やさしいなぁって思いました。

うたの日(餃子)

うたの日
5月11日歌題「餃子」

もっともらしい顔でつまらない話 餃子の羽をぱりぱり割って(しま・しましま)

この日のお題は「仮面」「餃子」
11日は句会があって、その興奮が夜まで続いたのか、
全然短歌の頭にならなかったですねぇ。
なので、選はしたんだけど、
感想はかけなかった。
で、
その選んだ歌ですが。
椋鳥さんの
こわくない 仮面と皮膚の境目に差し込まれている柔らかい指
昨夜選んだときもですが、
今、改めて読んでも、
やっぱり初句の「こわくない」が
「風の谷のナウシカ」のナウシカvsテトのあのシーンみたい。
「こわくない」が、主体の気持なのか、
あるいは「柔らかい指」の持ち主の言葉なのか、
どちらとも取れると言うよりも
シンクロしてるように感じます。
ほら、怖くない、怖くないって口に出していいながら、
手をゆっくり伸ばしてくるから、
ああ、こわくない
って主体も思えるんじゃないかな。
だって、「仮面と皮膚の境目に差し込まれている」って
そうとう怖いことだもん。
そう、この「皮膚」がすごいなって思います。
生理的な怖さがここにあって、
初句のひらがなでやさしくかいた「こわくない」を
「皮膚」が「怖いけどこわくないでもホントは怖い」ものにしてる感じ。
すごい歌だなって思いました。

泳二さんの
言ふべきか言はざるべきか迷ひつつ時は過ぎゆく 餃子がこない
も、一目見て、他をまだ全部見てなかったけど
これはハートだって思った歌。
だって、すごく上の句で悩んでる様子で、
もうハムレットばりといっていいほどなのに、
一字空けて「餃子がこない」です。
「餃子まだー?」って言いたいような、もうちょっと待てば来るかも
みたいな感じかい、
と、
思わせつつ、
読者に、
あれ?でももしかしたら、
中華屋で同席の誰かに何か告白しようと思ってるんだけど、
どうしても口に出す決心がつかない(それはそうと餃子遅いな)
という歌なのかも……
と揺らがせるところが上手いなぁって思いました。
その読者への揺さぶりが作者の意図したものだったのかどうかは
わからないけど、
わたしはそんな感じに揺さぶられました。
結果が出て作者名が発表されてからの感想になるんですが、
この旧かな遣いもあえてのチョイスだったのかなとか思いました。
大仰な感じがあえて旧かなを遣うことでより強まってて、
一字空けからの「餃子がこない」がぽこっとハマる仕掛けかなぁと。

なんか、うたの日にある程度感想を書いておかないと
ここでの感想が長くなるのかも知れない、
と思ったりした今日このごろでした。

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