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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(薄)

うたの日

6月16日歌題「薄」

やり直しきかないことの多すぎて薄い毛布じゃ遮り切れない(しま・しましま)

この日のお題は「薄」「紫」
えと、昨日このブログをアップしたとき、
いつものパターンじゃなくて、
うたの人に関する
というか、うたの人に参加して、そこで頂いた評の中の
「既視感」ということについて書いたんですが、
しばらくして記事を書き直してしまいました。
だいぶ抑えたつもりだったけど、
ちょっと自分の感情が抑えきれてなくて、
変な感じになってしまったことと、
ちょっと嫌な書き方だったと反省してます。
まあ、そんな気持も有りの、
今回の「薄」の歌だったりもします。

この日好きだったのは、
太田宣子さんの
わたくしを薄めたやうな子の泣いていつまで世界は意のままだらう
もう、
ものすごく好きです。
なんて怖い歌なんだろう。
ぱっと見、これは絶対女性の歌だと思いました。
「わたくしを薄めたやうな子」、自分の娘か、あるいは年の離れた妹かなと思いました。
血のつながった同性の幼い子供、そんな存在。
多分自分の娘さんを詠んだんだろうなぁと思います。
竹下しづの女の俳句に
「短夜や乳ぜり泣く子を須可捨焉乎(すてつちまおか)」
というのがあって、俳句を始めた頃に詠んで衝撃を受けましたが、
この歌の子が泣いているのは、
赤ん坊がおなかをすかせて泣いているんじゃなくて、
もう少し大きくなった幼児が泣いているんじゃないかなと思います。
「わたくしを薄めたやうな」という言葉は、自分の血を分けた子というよりも
どことなく言動に「わたくし」の面影が見られる、という意味かなぁと。
で、そういう子が泣いているのを
「泣いて」で片付けてしまう非情さにまずしびれました。
自分の子供が泣いているのを端的に「泣いて」とだけ叙するって
なかなか出来ないことだなあって思います。
その理由だとか、泣かれた自分の気持とか、そういうものを一切出さずに
「泣いて」だけですからねー。
竹下しづの女の句では、泣く子への心情がはっきりと書かれてますが。
ただ、下の句から、
しづの女ほどの激しさは無いけども、イライラした感じが受け取れます。
「いつまで世界は意のままだらう」
何かしてほしいとか、自分の気持をわかってほしいとか
泣くことでそれをかなえてしまえる、叶えられると信じてる、
まだそういう年の子供なんだなと改めて噛み締めてる
と、下の句をそう受け取りました。
同時に、自分はいつからそうではなくなったんだろうと
振り返っているようにも思えて、
味わい深いなぁと思います。

葵の助さんの
母からの説教のあと飲み干した薄いカルピスだけ覚えてる
中村成志さんの
もう腋が濡れているなあまどろみの薄さが連れてくる羽虫ども
も、いいなと思いました。
葵の助さんの歌、映像がぱーっと浮かんでくるようでした。
わたしが昭和育ちなので、昭和の映像で申し訳ありませんが。
長いお説教だったんでしょうね。
カルピスももともとはそんなに薄くなくて、
お説教を聞いてる間に氷が溶けて薄くなったのかなぁ。
コップが汗かいて、お説教を聞いてた子も汗をかいて、
なんだかびちゃびちゃで両手でカルピスを持って飲んでるような
そんな感じがしました。
不思議に一点だけ鮮やかに記憶していることってありますよね。
それが「薄いカルピス」だったんでしょうね。
中村さんの歌は、
眠っても覚醒してもいないぼやっとした意識の中に感じる
ちょっとヤな感じが面白いと思いました。
何かの仕事中なのかな。
「まどろみの薄さが連れてくる羽虫ども」
うっすらと嫌な感じですよね。
ハエみたいに派手にブンブンいうやつじゃなくて、
小さく視線の端を行ったりきたりする虫と思いました。
「まどろみの薄さ」がそれを連れて来ているんだっていう把握のしかたが好きです。
それが
「もう腋が濡れているなあ」
という唐突な感懐から始まる面白さ、
うっすら嫌な感じとうっすら嫌な感じが合わさって、
なんとなく日常から半歩ぐらい下がったところが描かれてるように思いました。

うたの日(背骨)

うたの日

6月15日歌題「背骨」

結び目がいくつも連なる紐状の猫の背中をなでて夕立(しま・しましま)

この日のお題は「背骨」「鎖骨」。
うちの年長の猫は今年14歳。
もうそろそろ老境に入ったらしくて背中をなでていると
以前とはちがう感触がします。
これは、仔猫の時に感じたことがあるやつや!
背骨が毛皮の下に直接あるかんじや!
このこつこつした感じを表現してみました。

この日いいなと思った歌は
柊さんの
恐竜の背骨のカケラと信じてた石にも語れる話が一つ
子供の頃、そう思い込んでしまうことありますよね。
自分の直感が「恐竜の背骨だ」と思わせたのか、
誰かに騙されたのか、
どちらにしても微笑ましいステキな思い出で、
その石にまつわる話があるってことだと思いました。
子供の頃にサンタクロースを信じていた子は、
心の中にサンタの部屋が出来て、
長じてサンタクロースが本当はいないとわかった後、
心の中のサンタの部屋が空き部屋となって
そこにさまざまなワンダーが入る余地が出来るんだ
というような話を聞いたことがあるんですが、
きっと「恐竜の背骨のカケラ」の部屋に、
今いろんなものが入ってるんだろうなって思いました。
下の句の「石にも語れる話が一つ」の
ちょっと落ち着いた感じが、余裕がある感じでいいなと思いました。

うたの日(遠)


うたの日

6月14日歌題「遠」

粒ガムの砂糖衣を噛みながら遠くの風に近づいてゆく(しま・しましま)

この日のお題は「石」「遠」。
わたしの歌ですが、
本当は上の句を
粒ガムの糖衣がりがり噛みながら
としたかったんですが、
「遠」のお題で「遠く」(とおく)を使いながら、「糖衣」(とうい)って
だじゃれっぽく思われたらやだなと思って
泣く泣く言い換えました。
うーん、やっぱり糖衣がりがりの方が好みです。

この日好きだったのは
門脇篤史さん
海近き川のそこひにしづもれる石の丸さを不意に思ひつ
佐々木遥さんの
遠くから来たと思われ遠くから来たひととして話しつづける
でした。
門脇さんの歌の、
なんでもないようなことをふっと考えることありますね。
普段から、海に近い川の丸みを帯びた石を、
見るともなく見てて、
その石の丸さが不意に浮かんできたんでしょうか。
「そこひにしづもれる」の穏やかな表現がいいなと思いました。
佐々木さんの歌の、
「遠くから来た」の繰り返しも好きでした。
うたの日のコメントにも書いたんですが、
どこにいても、不思議と地元感のないタイプの人なのかも。
「違いますよ」と否定せず、そのまま「遠くから来たひと」として
会話を続けることができるのは、
自分自身がそう感じているからなのかもとか思いました。
ふわっとしたユーモアとペーソスが漂う歌だなぁって感じます。

うたの日(ゾンビ)

うたの日

6月13日歌題「ゾンビ」

エキサイティング☆ゾンビ・アクションステージで一番先に君を誤射する(しま・しましま)

この日のお題は「梅雨」「ゾンビ」。
ひるの日の題は、この時期ぴったりの季語!
俳句やってるんだからこっちで作るでしょ!
という気持がなかったわけじゃないけど、
時間がなくてよるの日しか出せませんでした。
まあ、ゾンビが楽しそうだったというのもありますが。
この歌はもう勢いだけで詠みました。

この日私がいいなと思った歌は、
「梅雨」のお題では
塾カレーさんの
濡れそぼつアカシアの花 えぞ梅雨が初夏の香りをしずかに流す
本州が梅雨の頃、梅雨がないといわれる北海道でも長雨が降ることがあって
それを蝦夷梅雨って言うんだそうですね。
梅雨前線の関係とは違う雨だから、厳密には梅雨ではないらしいけど。
さて、アカシアの花っていうとわたしは黄色い花のやつを思い出すんだけど、
この歌のアカシアはニセアカシアの白い花の方かなぁと思いました。
ポンポンみたいな丸い花(黄色)よりも、藤のように垂れた白い花の方が、
「濡れそぼつ」感じに合う気がします。
アカシアの花のアップから、ぐっと視点を広げて、
「初夏の香り」がしずかに流されていくようなしっとりとした「えぞ梅雨」の景になる、
すてきな歌だなぁと思います。

「ゾンビ」の歌は、すきな歌が多すぎて困っちゃうぐらいでした。
ハートを入れたのは
白黒つけたいカフェオーレさんの
人間の頃は自分が嫌だった 夜のガソリンスタンドにいる
「人間の頃は自分が嫌だった」と、今もう人間じゃなくなった主体。
ということは、逆に今は嫌じゃないのかとも思うけど、
なんとなく、嫌も好きもなくなってしまった悲哀みたいなものが
うっすら漂っててしびれるぐらいステキ。
下の句もいいですよね。
ガソリンスタンド、ゾンビにこれ以上似合う場所はないと思うぐらいぴったり。
ハートを入れたくて迷ったのは
藤田美香さんの
捨ててきたはずのあたしのゾンビたち自撮りに皆んな写り込んでる
どういう状況なのか全くわからないんだけど、
超ポップ!ポップを超えたポップさに戦慄しました。
「あたしのゾンビたち」、なんて可愛らしいワードなんだろう。

加賀田優子さんの
腐ってるから傘なんてなんてはにかむ溶けた頬見るために行く
ヒヨワくんさんの
きみ、ゾンビ、ゾンビの順に渡り来る永代橋を月が照らして
もホント楽しかった。
加賀田さんの歌の溢れる愛。
「腐ってるから傘なんて」っていうゾンビに対して
「~なんてはにかむ」という捉え方とか
「溶けた頬見るために行く」という行動とか
ポジティブでアグレッシブな感じがたまらなかったです。
ヒヨワくんさんの歌は、
下の句の雅さがホントステキで、
橋をゆっくりと渡ってきつつあるゾンビの群れと共に絵になります。
「きみ」にまず目が行くところが泣かせるし、
「永代橋」という固有名詞がばっちり効いてると思いました。



うたの日(汗)


うたの日

6月12日歌題「汗」

空耳はいつでも父の声をしてわたしをすこし汗ばませます(しま・しましま)

この日のお題は「Re:」「汗」。
ちなみにうちの父は健在です。
いまはそうでもないんですが、子供の頃はものすごく気難しくて怖い人で、
空耳はいつも、この頃の父の「おいっ」という一言だったりします。
この「おいっ」が子供の頃はもうおそろしくておそろしくて。
わたしの子供たちなどにとっては「いいおじいちゃん」らしくて、
本人もすっかりその気になってますが、
いやいや、すっごく怖い人だったんだよ……
え、おとうさん今日いないの?やったー!!
と思わず小さくガッツポーズをしたくなるぐらいだったんだよ……
と、なぜか子ども達にしつこく言ってみたりして。
高校卒業後に物理的に離れて、それから結婚して、
という長い年月の中で、
父も変わったし、わたし自身も変わったので、
今は父に対する恐怖とか苦手意識は全然ないんですが、
ときたま「おいっ」という声が聞こえてびくぅっっ!!となるのは変わらないという。

この日わたしが好きだと思った歌は
ヒヨワくんさんの
どこまでも頭を下げる午後一の汗で張りつくボクサーショーツ
うーん、すごく好きです。
大人になる、社会人になるってこういうことや!
という感じがします。
汗で張り付くものは何でも不快感があるけど、
こういう状況でかく汗も、
張りついたものも、
これ以上ないほどの
こっこれはツライ……
と思わせるものだなって思います。
「ボクサーショーツ」という具体的な下着の種類、
イメージ的にも、視覚的にもすごく効いてるなって思いました。
体言止め、しかもカタカナの言葉を持ってきて、
「どこまでも~」から切れ目無くつづくフレーズを
びしっと締めているように思いました。

うたの日(鉛筆)

うたの日

6月11日歌題「鉛筆」

鉛筆で書いた未来が読めないよ夏のひかりがみんな持ってく(しま・しましま)

この日のお題は「バニラ」「鉛筆」。
今、打ってて思ったんですが、「バニラ鉛筆」ってありそうですよね。
子供のときに、いい匂いのする文具を集めてましたけど、
バニラの匂いの鉛筆もあったかも。
それはそうとして、
手書き原稿を打ち込むアルバイトをちょこっとしてるんですが、
いつも鉛筆書きの人がいて、強い光の下だと読みにくくて困っちゃう
という気持を形を変えて表現してみました。
読まれることを前提とした原稿はボールペンで書いて欲しいと
切に願います。

さて、この日わたしがいいなと思った歌。
秋山生糸さんの
クロッキーの時間は楽し級友の姿どんどん黒く塗りつつ
これ!
「○○は楽し」って文語なんだけど、
軽快なリズムで楽しさがストレートに表れたいい言葉ですよね。
タイトルや副題なんかに使われたりする感じ。
これが「クロッキーの」時間が楽しいって言ってるわけなんですが、
一音多いんだけど、「クロッキー」という跳ねるような、前半ちょっと早口な感じの言葉で
重くならないというか、より軽快に鉛筆を走らせる感じが出てるような気がします。
そして、下の句。
「級友の姿」うん、向かい合ってお互いをデッサンしあってるのかな
「どんどん」うん?
「黒く塗りつつ」えっなんか重いし怖w
という流れがすごく面白かったです。
小さい子供が描く絵が、本人の気持とは別に、
(例えば輪郭や目鼻を黒で描いてしまったために後で塗った他の色に黒が侵食してしまうような)
黒くなってしまった、
というのとは違う「黒」さがあるように思いました。
思春期の暗い衝動とかほのかな嗜虐性、みたいな。
上の句の軽快な楽しさの由来が「黒く塗る」ことにある暗さがたまらなく好きです。

ガッキさんの
真っ白なあなたの肌を汚してる鉛筆ですら私の物だ
も、ほのかな嗜虐性が漂う歌で、
こっちはエロティックさを強く感じました。
鉛筆で肌が汚れるということは、芯の柔らかい鉛筆かなぁということで
これも絵を描いているところなのかなと想像しました。
「あなた」が一生懸命かいてて、「あなた」の指が鉛筆の芯で汚れている、
そこに嗜虐的なエロチックさを感じているんじゃないかと。
その鉛筆は自分が貸したもので、
そう考えると、
あたかも自分が「あなた」を直接汚しているような気がする、
みたいな感じかなぁと思いました。

うたの日(分)

うたの日

6月10日歌題「分」

図書館のすみに広げた天体図ひそひそ星を分け合っている(しま・しましま)

この日のお題は「おはよう」「分」。
この歌の初案というか、最初に浮かんだフレーズが
禁帯出の星図鑑
で、これをどうお題に寄せていくか考えてたんですが、
いつの間にか最初のフレーズのほとんどの言葉を失っていたというw
今思うと、もうちょっと大胆につくってもよかったかなぁ。

この日いいなとおもった歌は
chariさんの
宝クジ売り場で今日は大安で多分あなたが嫁ぐ日と知る
この歌でわたしがまず惹きつけられたのが
「宝クジ売り場で」「今日は大安で」と
一見無造作に「で」「で」と並べられる上の句でした。
宝くじって、やっぱり大安だと売れやすいんでしょうね。
売り場に掲示があって今日が大安だと知った、
ってとこでしょうか。
それが、微妙に乱暴に事実として並べられてるんですよね。
下の句で、「あなたの嫁ぐ日」が「多分」この大安の今日だろうと思い至ると。
「あなた」に対する微妙な距離、
物理的にも心理的にも、微妙な距離があるのが、
かすかに痛い感じがして好きでした。

北大路京介さんの
血を分けた兄弟だからこそ解るバニーガールになりたがる兄
沼尻つた子さんの
わたしという原野を吹いてゆく風を野分(のわき)と呼べばあなたのことだ
涼風あき津さんの
分銅を秤に載せるしづけさで春の終はりにくちづけよ君
門脇篤史さんの
10分の休憩時間の重なればきみを見つめた3年間だ
も、いいなと思った歌でした。
北大路さんの
「血を分けた兄弟だからこそ解る」という上の句、
魔法の言葉みたいだなぁと思ったりしました。
どんな無茶でも通りそうな説得力がある気がしました。
沼尻さんの歌は、
読んだ瞬間、うわー上手い!!
って思いました。
「原野」に吹き渡る「野分」。
秋に、野の草を分けるように吹く暴風。
慈しみ合うような優しい関係の「あなた」ではないんでしょうね。
「わたしという原野」という詠み出し方もステキで、
結句をきっちりとした断定で結んであるところもステキで、
ホントに上手いなぁと思いました。
涼風さんの
「分銅を秤に載せるしづけさ」という静けさの把握の仕方も好きだし
門脇さんの
「10分の休憩時間」が重なって「3年間」というのが、
学生時代の恋っぽくて好きでした。

うたの日(ビートルズ)

うたの日

6月9日歌題「ビートルズ」

ハンカチを持たないままで手を洗う Ob-La-Di Ob-La-Da まぶしいため息(しま・しましま)

この日のお題は「ギター」「ビートルズ」
うーん、どっちもつくれそうにないなあと
思いつつ、ビートルズの曲から詠んでみました。

この日いいなと思ったのは
ナガセリュウさんの
記憶より白髪の増えた髪を切る床屋のラジカセからイエスタデイ
ふしぎなつくりの歌なんですよね。
上の句は、
この人、前より白髪が増えたんだなぁって思いながら、客の髪を切るという
床屋さんを主体としたものだと思えるんだけど、
下の句で「床屋のラジカセから」と、床屋という場所に対して他人行儀になってる。
なので、本当の主体は今髪を切ってもらってる客で、
床屋にしてみれば「記憶より白髪の増えた」と思ってることだろうって想像するという
そういうことなのかな。
昨夜は、単純に、床屋さんがラジカセから「イエスタデイ」を流して、
久しぶりに髪を切りに来た主体の相手をしてるって読んだんですが、
改めて考えてみると、ちょっと不思議な歌だったかも。
ラジオとか有線をかけてるんじゃなくて、ラジカセってなんとなく面白いなとおもうのは、
昨夜も今も変わりませんが。
加賀田優子さんの
先生の作る例文ではいつもジョンがポールに話しかけてる
も好きです。
John とPaul、中学校とか高校の英語の例文に出てきても全然おかしくないシンプルな名前だし
しかも、ジョンとポールだけで
ビートルズが浮かんでくるし。
「ジョンが」「ポールに」話しかけてる
ってところがまた面白いなぁ。
ポールからは無いんだなぁ。


うたの日(早)

うたの日

6月8日歌題「早」

ヘアピンのかたちの錆にふれてみる 早くも君を忘れかけてる(しま・しましま)

この日のお題は「早」「純」。

この日好きだったのは
杏野カヨさんの
ねむれない夜のぼくらを救済し羊は早朝歩いて帰る
でした。
かわいい!!
「羊がいっぴき、羊が二匹……」ってやつですね。
明け方になってやっとなんとか眠りにつくことができた「ぼくら」と
それを見届けて帰っていく羊たち。
「歩いて帰る」という結句が
あまりの可愛さに胸がぎゅっとなります。
ちなみに、
あの「羊がいっぴき……」って
羊(シープ)が眠れ(スリープ)の音と似てるから、
「シープ、シープ、シープ」が
「眠れ、眠れ、眠れ」って自己催眠的な効果を生むんだとか。
樫本らむさんの
早朝のバスの座席にしみこんだ誰かの夢を引き継いでねむる
中村成志さんの
そんなんじゃだめだあなたが思うより早く歩けるクロコダイルは
も、好きな歌でした。
樫本さんの歌の、「座席にしみこんだ誰かの夢を引き継いで」という発想、
すてきだなって思います。
ホントに同じ夢の続きが見られる座席があったら怖い気もしますが。
居眠り中って、短い時間にけっこう濃い夢見たりするなぁって
なんとなく思ったりしました。
中村さんの歌は、
そういうセリフを何時どういうタイミングで言うんだ
っていうところが面白かったです。

うたの日(限界)


うたの日

6月7日歌題「限界」

限界をこえて滴る水たちの旅の始めのしずかな声だ(しま・しましま)

この日のお題は「和」「限界」
この「滴る水」が、何か、ちょっとわかりずらかった……
というよりも全然具体的ではなかったですね。
岩とか葉っぱとかから、
水滴となって落ちていく水という感じでつくってました。

この日好きだったのは、
希和子さんの
あっけなく限界は来て 三尾めは赤い軌跡を描いて水へ
夏の風物詩、金魚すくいの情景かなぁと思いました。
まあ、わたしは毎回お情けで一匹もらう程度の腕なので
三尾めまでチャレンジできるなら、なかなかいいんじゃないかと
思わなくも無いですが、
「あっけなく限界がきて」
というのは、いかにも紙製のポイの感じだなぁって思います。
「赤い軌跡を描いて水へ」が
「あ!」
っていう一瞬を、スローモーションで見せているようで
鮮やかだなぁ。
好きでした。
あめゆじゅさんの
高速にテールランプの長い列 2キロの我慢 2キロが遠い
は、誰しも経験がある、
トイレに行きたいけど行けない状況を描いた歌かなと思います。
下の句の「2キロの我慢 2キロが遠い」のリフレインが、
いかにも限界をもうすぐ迎えそうな切迫感を出していると思いました。
2キロっていう数字も、高速道路ならではの絶妙な数字だなぁ。
あと2キロで高速を降りられるのか、あるいはサービスエリアがあるのか。
渋滞さえしてなかったら、それこそすぐの距離ですよね。
真篠未成さんの
限界の二文字を空から外したらアンタレスまで飛べたねあたし
も、なんか好きでした。
アンタレスってさそり座の中でもっとも明るい星ですよね。
夏に見える星で、赤いやつ。
この星のチョイスがいいなぁ。ステキ。
空から「限界」を外したら、そこまで飛べる。
「飛べるね」っていう話し言葉が、
誰かに言っているようでもあり、自分に言ってるようでもあり。
ここに「あたし」という、蓮っ葉な感じの一人称がすごくあっている気がしました。
「あたし」が来たことで「アンタレス」の中の「あんた」が呼応してるのかなって
思いました。
ひらりさんの
限界が来るまでは笑っているから 笑っているから 大丈夫だよ
は、一読して
「これは……いちばん大丈夫じゃないタイプの人だ!」
と思って、なんとなく動揺に近いざわめきを感じました。
主体が言っている言葉なのか、
他の人の言葉なのか。
なんかとても気になる歌でした。

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