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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(キャベツ)

うたの日

6月29日歌題「キャベツ」

単純な人でいいねと笑われたいキャベツの中の迷路をひらく(しま・しましま)

この日のお題は「キャベツ」「わがまま」。
キャベツの質感が出るような歌を目指しました。
出てるかなぁ。

この日好きだった歌は
えんどうけいこさんの
丸ごとのキャベツを買って使い切る程度にちゃんと生きようとする
でした。
そうなんだ、みんなそうなんだなぁって共感しきりでした。
「ちゃんと生きる」って
なんとなく分かるけど、実際のところはよく分からない。
それを
「丸ごとのキャベツを買って使い切る」という具体的な方法を提示してくれて、
それが、
あー、それは確かにちゃんと生きてる感じかも
と思わせてくれる感じでした。
「使い切る」で区切れがあるのかと思いきや、
「程度に」と続いて、そこから転調するところも
リズムがステキだなぁ。

山下郁さんの
ぼくにただ生きる意味を教えてるうさぎのために盗んだキャベツ
亜梨さんの
あおむしのころにキャベツを探検し描いた地図を確かめにいく
真夜中さんの
キャベツくんブタヤマさんに笑った日、プールの水面キラキラしてた
エレンさんの
きゃべつから産まれた赤ん坊、体中しわしわで、毛虫ついてる
も、すきな歌でした。
山下さんの歌、
フィクションの歌だと思うんだけど、(当り前か)
「盗んだキャベツ」という体言止めの結句に
なんともいえない切迫感があって、
少なくとも人生のどこかで、
「ただ生きる意味を教えてる」存在がいたことがあって、
それが今でも存在感を放っているんじゃないだろうかって思うぐらいでした。
亜梨さんの歌は、すごく可愛い歌でした。
あおむしが食べたキャベツを地図に見立てる、
しかも、探検して描いたと見るところも、
それを確かめにいくところも好きでした。
キャベツの葉っぱを食べて成長するあおむしは
わたしの知ってる限りではモンシロチョウとかモンキチョウですが、
確かに成体になった後もキャベツ畑でひらひらしてますね。
それを、かつて描いた地図を確かめているって把握の仕方が
可愛くてステキでした。
実はわたしは、
モンシロチョウの幼虫のあおむしが大好き。
もちろん、料理に使おうとしたキャベツにこれが付いてたら
ぎゃー!ですが。
あのふくふくとした手触りやなめらかな存在感、
かわいらしい明るいみどり色。
この歌に登場するのは多分成虫ですが、
あおむしのあの感じが思い出されて、
ふふってなりました。
真夜中さんの歌は、まず「キャベツ」のお題で
長新太の絵本が登場するところに惹かれました。
教室とか図書室でこの絵本を読んだのかな。
窓の外からプールが見えて、
その水面が夏の日差しにキラキラ輝いていた。
すべてが自分の気持と連動したかのような、
幼い頃へのノスタルジーが、
まさか「キャベツくんブタヤマさん」で表現されるとはー
って楽しい歌でした。
エレンさんの歌は、異色作ですよね。
なんだろう。不思議な魅力がありました。
キャベツと赤ん坊、
コウノトリが赤ちゃんを連れてくると同じぐらいメジャーなコンビですよね。
それが、
「体中しわしわで」と本物の新生児のような描写が続いて
「毛虫ついてる」!
実は「体中しわしわ」な赤ちゃんが青虫かと思ったんですよ。
でも「毛虫ついてる」んだから、
多分、たぶん、
キャベツから生れた、体中しわしわの赤ちゃん
そのものなんだろうなぁ、うーん。
しかし、「毛虫」はひどい。
せめて「あおむし」にしてほしかったーw
とか思いながら、妙に気になる歌でした。
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うたの日(台)


うたの日

6月28日歌題「台」

洗面台に両手をつけばちりちりと皮膚のあわだつ発熱の午後(しま・しましま)

この日のお題は「面」「台」。
今月4度目の、「どうやらヤッちまった歌」だったみたい。
票は少なかったけど、
まあ、日常吟的な、日記歌的な感じですかね。
ここしばらくこういう体調だったので。
あと今日を入れて二日ほどありますが、
なんだか今月は各方面から見てさえない一ヶ月でした。
冴えないのは毎月のことだけど、
形として冴えないことを思い知らされる月でした、
と言ったほうが正しいかな。

うたの日 25日~27日

うたの日

6月25日歌題「錆」

錆びついて開かない箱を耳元で振ればさよならばかり聞こえる(しま・しましま)

6月26日歌題「黄昏」

たそがれが境界線を淡くしてどくん波打つてのひらの傷(しま・しましま)

6月27日歌題「図鑑」

重さうに鳥の図鑑を抱へきて読めといふ子のドードーに似て(しま・しましま)

体調を崩して、しばらく寝込んでいて、
ブログ更新が出来ませんでした。
とりあえず、駆け足で三日間の自分の歌だけ。

うたの日(テスト)

うたの日

6月24日歌題「テスト」

追試験会場までをたくさんの人の拍手に送られてゆく(しま・しましま)

この日のお題は「テスト」「お守り」
あんまり褒められた話ではないですが、
高校時代、けっこう追試を受ける羽目になりました。
追試仲間が数人でもいれば気が楽(というのも変だけど)ですが、
一人でうける追試ってちょっとなかなかヘビーでしたね。
ちなみに
最初に「テスト」で考えた歌が
さて、みなさん。テスト用紙は裏返したまま、少し話を聞いてください。
でした。
そして、投稿後にまとまった歌が
テスターの甘い香水かぎあって二匹のこわいわるいうさぎ
でした。

この日好きだったのは
小宮子々さんの
あ、あ、とひろがってゆくその声に不穏なものの兆すステージ
何かのイベントなんでしょうか。
マイクテストの「あ、あ、」という声に、「不穏」なものを感じ取り、
それがステージにそのまま「不穏」の兆しとして残ったという感じかな。
「あ、あ、とひろがってゆくその声」
とあるだけで、マイクテストのあの声が頭の中に聞こえて来るみたいで、
上手いなぁと思います。
「あ、あ、と」という掴み方、印象的ですよね。ステキです。
書いてはないけれど、ハウリング音とかも聞こえたりしそう。
元々が楽しいステージじゃないのかも。
何かのお知らせとか訓示とか、そういうものかもですね。

うたの日(起きて最初に目に入ったもの)

うたの日

6月23日歌題「起きて最初に目に入ったもの」

おずおずとわたしの髪を梳きにくる(爪がぽっちり)これはねこのて(しま・しましま)

この日のお題は「起きて最初に目に入ったもの」「パレード」
まあ、だいたい、猫か朝日が最初に目に入るなと思って詠んだやつです。
にゃーとも言わず、
黙ってわたしの頭を、
最初は爪を出さずになでる感じで、
それからだんだん爪を出してなでてって、
それでも起きないと、
グサグサ爪を出した前足で頭を刺しに来ます。
ホント、その間無言です。怖い猫です。

ところで、
このうたの日で
500日記念のネットプリントを発行するイベントが計画されてます。
うたの日の参加者がそれぞれ一首持ち寄るうたの日主催のものと、
うたの日の参加者がそれぞれにつくる個人のものの二通り。
実際にコンビニのコピー機で出せるようになるのは8月になるとか。
前者の方はもうお気に入りの一首を出したんですが、
後者もやってみようかと思ってます。
ざっと数えてみたんだけど、もううたの日で150首以上詠んでるんだなぁ。
これを15~30首ぐらいにまとめて
なんとか形にしたいなぁ。
なんで15~30首かと言うと、
先日、題詠blog2015のまとめをPDFにしてみたんだけど、
それがA42枚で30首だったから。
これを選ぶときもけっこう苦労しつつ楽しかったので、
うたの日の方もこれから楽しく選ぶ予定。
自分の好きな歌が、かならずしも評価が高かった歌じゃないのが
ちょっと困るところで、
どっちを優先させるべきなのかなぁと思ったり。
まあ、そんな感じです。

うたの日(踏)

うたの日

6月22日歌題「踏」

ことごとく白線踏んでいく人の夏のしずるを引き寄せていく(しま・しましま)

この日のお題は「英」「踏」。
この歌から、それをひっぱり出すのは難しいかも知れないけど、
なんというか、
線を踏むことをためらわない、
細かいことを気にしないでどんどん行くような人って
夏っぽいなぁ
という気持を詠みたかったという感じです。
眩しい人だって気がします。

この日好きだったのは
妖精化師さんの
友達が鯨のようにおおらかで踏み込まれてく心地よさとか
でした。
鯨が大らかかどうかは分からないけど、
確かに鯨って体が大きいんで、
痛みに対して他の生き物よりもすこし鈍感なんじゃないかなと
想像されるところありますね。
自分の痛みについてもそうだし、
そこから
他人の痛みに対してもすこし鈍感になりそうな。
そういうのって、イラッとさせられたりしがちなんですが、
ここでは
「鯨のようにおおらかで」「踏み込まれてく心地よさ」
と「心地よさ」があると。
そういう人っているよなぁって思います。
その辺りが
ただ単に人のパーソナルスペースにずかずか入り込む鈍感さ
ではなくて
「鯨のように大らか」と言ってもらえる人徳みたいなものがあるのかな。
そして、時にはそのぐいぐいくる感じに「心地よさ」を感じることがある。
しかし、
これ、目指してなろうとしたら大やけどするタイプですよ。
意識しない「鯨のようなおおらか」さがあって人徳がある人ならではですねー。

うたの日(A)

うたの日

6月20日歌題「A」

A DAY ただ待つためだけに約束の時間のずっと前に家を出た(しま・しましま)

この日のお題は「ペンキ」「A」
ペンキって全然これってものが浮かばなかったのでAで詠んだんですが、
全然だめっぽかったですね。
結句が字余りでもったり重たくなったからなのか、
「A DAY」が効いてなかったのか。
そんな一日があるのもいいよね、のんびりしてて
って思ってわたしは今でもわりと好き。

この日わたしがいいなと思った歌
七波さんの
君のではないイニシャルのAが胸元で揺れてる ソーダを飲みこむ
結句の「ソーダを飲みこむ」がいいなぁって思いました。
特に「こむ」の部分。
喉に詰まったものをごくっと飲み下す感じがして、
気持ち的なものでもあり、
炭酸水の一かたまりのようでもあって、
そうそう、「のみこむー」って共感しました。
まあ、わたし自身はアルファベットのモチーフのアクセサリーの、
何の文字なのか、それの意味は?ってことを
あんまり気にしないんですけどね。
多分、この歌の、
胸元に「A」を揺らしてる人も、他意はないんだとおもうけど、
好きな人なら、
しかもそれが胸に揺れているとしたら
気になっちゃって、
ソーダもごくんになっちゃうんだろうね。

うたの日(さくらんぼ)

うたの日

6月19日歌題「さくらんぼ」

揺れるって揺らぐことかなさくらんぼつまめばゆれる二つの主体(しま・しましま)

この日のお題は「さくらんぼ」「綺麗」
実はひるの日の投稿締め切り18時の一時間前まで、
「綺麗」の方で二首準備して、
どっちかを出そうと思ってたんですが、
17時に唐突に気が変わって、
こっちを詠んで出しました。

この日、
ツイッターの平成生まれの方限定の企画ではありますが、
「らしからぬ短歌」
というのがあって、
それにちょっと乗っかってみようかなと、少し前から考えてたんですが、
自分の中の「らしからぬ」ってなんだろうなぁと思って、
万葉調、時事、メッセージ性のつよい短歌かなと考えました。
で、それを敢えて詠むとしたら、まず万葉調は素養的に無理すぎるので、
時事ネタで一首取り組んでみました。
それが
恥の多い人生でしたとつぶやけば夏霞みゆく少年Aよ
です。
6月19日は桜桃忌。太宰治の誕生日にして遺体のあがった日なので、
絡めてみました。
で、
そうか、さくらんぼもありだなぁって思って、
綺麗の歌をやめて、さくらんぼにしたという訳なのでした。

この日いいなと思った歌
mis0noさんの
親ながら弱い自分を嘆きつつ、ぽつりと吐いた桜桃の種
あー、すっごく共感します!という歌でした。
子供自身や周囲から望まれる(ていると思われる)強い親像と
そうはなれない自分との乖離って、
程度の差はあるだろうけど、誰しも持つものだろうなと思います。
下の句が、そんな嘆きに合うというか、響く気がします。
さくらんぼの種は小さいけど、硬くて存在感があって、
「ぽつり」がその種でもあり、嘆きの吐露のようでもありました。


うたの日(静)

うたの日

6月18日歌題「静」

いつぴきの蛍が橋のしたを過ぐしづかな暗き甘さのみづだ(しま・しましま)

この日のお題は「技」「静」
この間、正確には12日の夜なんですが、句会帰りに、
短い橋を渡るときに、一匹の蛍を見ました。
あれ?一匹だけ?
どこから来たんだろう?
と不思議な気持になりました。
うちの方は田舎なんで、蛍自体は、
ちょっと足を伸ばせばいそうな気もするんですが、
この川は両岸がコンクリ打ちで蛍が居そうもないし、
その近辺で蛍を今までも見たことが無かったんで、
ホント不思議でした。
蛍は上流に向かってたんで、なんとか他の蛍と合流できたならいいんですが。

この日いいなと思った歌は
小宮子々さんの
未来にもおとぎばなしは必要で静かの海にあしあと光る
ファンタジー感とNASA感がいい感じに混ざり合ったすてきな歌だなって思いました。
「未来にもおとぎばなしは必要で」と詠み出されてるんで、
下の句は、まんまファンタジーとしての月の海に何かの足跡があるようにも思えるけど、
「静かの海」なんですよね。
ここってアポロ11号が着陸した場所だから
もしかしたらこの足跡は、人の足跡かも知れないんだなぁ。
「静かの海」を詠んだ方は他にもいらっしゃって
七波さんの
頭上には静かの海が広がって 波打ち際に君はいますか
の、上の句の感じもすごく好きでした。
月が大きく迫ってくるようでしたね。
藤 かづえさんの
誘導灯消え劇場に訪れる千人分の静けさのとき
舞台が始まる直前の静かな興奮が感じられる「静」。
この瞬間の切り取り方がいいなと思いました。
下弦さんの
蝶々がキャベツの上で蝶々に何か叫んでいる朝だった
これはモンシロチョウとかモンキチョウとか、小さい蝶かなって思います。
「叫んでいる」とあるのに、
少なくとも人間の耳にはまったくの無音なんだろうと思わせられました。
「朝だった」というぶっきらぼうな置き方が好きです。

うたの日(ロボット)


うたの日

6月17日歌題「ロボット」

倒れたら自分で起き上がることを覚えてぼくらの出荷は始まる(しま・しましま)

この日のお題は「ロボット」「くじら」
ううーん、どっちも好きなタイプのお題で、
どっちで詠もうかまず悩みました。
結局ロボットにした訳ですが、
ロボットって色々ありますよね。
みんな大好き人型ロボットから工業用や軍事用のロボットまで。
とりあえず、わたしは自分がロボットになってみました。
ロボットであれ、人間であれ、
社会に出るために必要なことってなんだろうなって考えて
出来たのがコレ。
なんとなく「男坂」のラストシーンみたいになってしまいましたが。

この日わたしが好きだったのは
雀來豆さんの
律儀にも彼は毎年やって来て無沙汰を詫びるロボット訛りで
でした。
「律儀にも彼は毎年やって来て無沙汰を詫びる」「ロボット訛りで」
と二句に切れると読みました。
「ロボット訛りで」「無沙汰を詫びる」「彼」というのは、
その訛りが無ければ、律儀で義理堅い人間のようだけど、
「ロボット訛り」がある、ということは、つまりロボットなんだろうなと思います。
毎年毎年、律儀に来てくれて、その度に無沙汰を詫びてくれる。
例えば、盆暮れの帰省のついでに会いに来てくれるとか、
誰かの命日になると毎年墓参りをしてくれて、ついでに遺族に声を掛けてくれるとか
そういう義理堅い人っていますよね。
この歌の(わたしがそこで切れると思った)上の句からは、
そういう人物像が浮かび上がります。
しかし、その人が「ロボット訛り」なんですよねー。
この律儀で義理堅い、人間だと思った人は、実はロボットだったということと思いました。
そこから、うわーっと世界が広がってって、
そこは高度なロボットが当たり前にあって、
毎年一度無沙汰を詫びるということも「律儀にも」という程度の感慨しか湧かない、
つまり、ロボットの訪問自体は当たり前のような社会なんだなぁって思わされます。
そして、同時に、そこまで高度なロボット社会になっても、
そういう行為をありがたいと思う人の心の機微があって、
それをロボットにも踏襲させている世界なんだって思いました。
しみじみとした上の句の余韻をきっちり残しながら、
「ロボット訛り」という一語で鮮やかに未来を見せてくれる歌だと思いました。

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