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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(からい)


うたの日

7月17日歌題「からい」

あらびきの胡椒の粒のまちまちにつらいの味を噛み締めている(しま・しましま)

この日のお題は「つらい」「怒」「かゆい」

いいなと思ったのは
太田宣子さんの
干乾びるまで吊るされて唐辛子紆余曲折のそれぞれにあり
干し唐辛子の赤色がぱっと浮かんでくる、色彩のあざやかな歌で惹かれました。
みずみずしい唐辛子が収穫されて、
それが結わえて干されて、カラカラになって、いわゆる鷹の爪になっていく時間の流れを
「紆余曲折のそれぞれにあり」と
きっぱり言い切ってあるのがいいなぁと思います。
唐辛子の円熟した辛さを生んだ「紆余曲折」に、
人の生涯の「紆余曲折」が重なるようでした。
あと、
これは今日になって思ったことですが、
文字で読むだけじゃなくて、音で読むと、より味があるなぁって。
「干乾びるまで吊るされて唐辛子」の「吊るされて」の「て」が上手いなぁ。
上の句の「唐辛子」が、ぱっと際立つ感じがします。
蓮さんの
いつまでもかゆい所に手の届く孫の手みたいな後輩でいる
「後輩」が面白いなぁって思いました。
単なる先輩後輩の仲ではないのかなぁと思わされます。
「いつまでもかゆい所に手の届く孫の手みたいな」「後輩でいる」
「いつまでも」「いる」って、これは単なる現状報告ではなくて、
決意表明なのかなって思います。
ずっとついていきたい大切な先輩なんでしょうね。

他にいいなと思った歌は
小向大也さん の
また今日も今日とて2辛に勝てそうで勝てない君を見届けている
うたの日でも書きましたが、可愛いなぁ。
何度も2辛にチャレンジする「君」も、それを見届ける主体も。
ココイチのカレーなのかな。
「2辛」だけで、カレーが連想されて、
ココイチの店内が見えて来るように思えました。
「2辛」という辛さの度合も可愛いですね。
1辛にも勝てないようなら、ノーマルにしなよって感じですし、
3辛以上だと、おっおおぅ……十分辛いの強いよ…
って思っちゃいそう。
椋鳥さんの
この店のタコライスちょっと辛すぎる 今度あなたに会ったら言おう
この歌も可愛いなあって思いました。
あの店のタコライス辛すぎだった!って報告された「あなた」も、
自分に言われても……って感じだろうけど、
可愛い彼女だなぁって微笑ましい気がします。
加賀田優子さんの
孫の手のかわりになっているあいだ見ていた冷蔵庫のゴムの色
これは「かゆい」のお題の歌。
なぜか「かゆい」の歌で票を入れたのがどちらも「孫の手」の歌でした。
「冷蔵庫のゴム」ってパッキンの部分かな。
パッキンの部分がちょっとだけはみ出した、古い冷蔵庫を想像しました。
で、
実家で、お父さんかお母さんに頼まれて背中を掻いてあげてる、
って感じの光景が想像されました。
もういい?もうちょっと、ああーもうちょっと右右、
とか、そういう会話をしながら、
めんどくさいと思いながら、手だけは動かしてる、
そんな感じの、あたたかいような、ちょっとひやっこいような不思議な温度。
ハートが複数つけられたら、これにもハートを入れたかったです。

うたの日(歴史上の人物・深緑)

うたの日

7月15日歌題「歴史上の人物」

ベランダの手すりまで約一歩半お札透かせばかがやく諭吉(しま・しましま)

7月16日歌題「深緑」

帰ること選ばなかった鳥たちのもう深緑に染まりゆく空(しま・しましま)

15日のお題は「練習」「歴史上の人物」「終電」
16日のお題は「黄緑」「虹」「深緑」
16日の歌ですが、
春に北帰をしなかった渡り鳥を想定して詠んだんですが、
分かりにくかったみたいで、
頭の中で自分が分かってることを、どう表現するかの難しさを痛感しました。


15日、いいなと思ったのは
くろじたうさんの
十人の言葉同時に聞けぬから一人ずつ順に聞いてます僕は
でした。
聖徳太子の、同時に住人の人の言葉を聞き分けたというエピソードって
すごく有名ですよね。
今は聖徳太子は想像上の人物で厩戸皇子は歴史上の人物
みたいな説もあるみたいだけど、
やっぱり聖徳太子=厩戸皇子ですよね。
「一人ずつ順に聞いてます」という丁寧さを、
丁寧に言葉にしてあるところがいいなと思いました。

16日、いいなと思った歌は
月丘ナイルさんの
草笛の鳴らし方すら知らなくて千切ればふちに滲む深緑
うたの日の方にも書かせてもらったんですが、
この歌から、淡い悔恨みたいなものを感じて、いいなって思いました。
草笛って昔の子供の遊びの一つですよね。ホイッスル的にピッピッって短く鳴らすやつ。
実際に子供のときにこれで遊んだという経験があってもなくても、
「草笛」ってフレーズは郷愁を湧かせてくれます。
で、
主体は、「草笛の鳴らし方すら知らなくて」という。
知らないことはいっぱいあるけど、その中でも「草笛の鳴らし方」「すら」という表現に
いろんなことをすっとばして大人になってしまった
みたいな思いが聞かれるような気がしました。
下の句の「千切ればふちに滲む深緑」の、
ちぎって手に取ってみた草の切り口の見せ方が鮮やかで、
「滲む深緑」が、どこか主体の思いと重なるように感じました。

うたの日(膝)


うたの日

7月14日歌題「膝」

膝についた砂を払えばきらきらと光るてのひら今なら飛べる(しま・しましま)

この日のお題は「肘」「ピザ」「膝」
割と好きで何度かチャレンジするけど、いつもイマイチ振るわないという
ファンタジーテーマ。
砂の中の雲母とピーターパンの妖精の粉を合体させたんですが、
今改めて読むと分かりにくいですね。
「今なら」がどうなんだって感じで。
もうちょっと雲母を直截に描いて、ファンタジー部分を削った方がよさそう。

この日いいなと思った歌
柊さんの
少しだけ社長の気分で寄りかかる肘掛け椅子がきゅっと縮まる
「肘掛け椅子がぎゅっと縮まる」というフレーズがいいなぁって思います。
デスク用の肘掛け椅子って、たしかにそんな感覚あります。
社長用の椅子ならば余計にそうなんだろうなって
問答無用で納得させてくれる歌でした。
高松紗都子さんの
ピザをつまむ油まみれの指先がこの世の紙を透明にする
言われてみれば確かにーって感じですが、
油で汚れた指から
「この世の」という広がり方がステキだなぁって思いました。
くろじたうさんの
母親の膝にとまりし蚊一匹血を吸ふことなく飛び立ちにけり
うたの日のサイトの方にも書いたんですが、「凝視」の歌だなぁって思います。

うたの日(重)


うたの日

7月13日歌題「重」

すべすべの薬は甘い 舌のうえにぽつりと重さが残されている(しま・しましま)

この日のお題は「重」「題」「山」
この歌につけて頂いた評の中の、
「平凡になりがちな『ぽつり』というオノマトペも」
という箇所、
なるほどーと、
これは気をつけないといけないところなんだなと
思わされました。
「普通の」オノマトペと思ってたんだけど、
それってつまり「平凡」で
安易だな、陳腐だなって思われる可能性もあるフレーズってことですね。
こういうことを教えてくれる評はありがたいです。

この日わたしがいいなと思った歌
永昌さんの
重力と浮力のバランス分からずに背の立つところ選んで泳ぐ
泳げないわけじゃないけど、
いまひとつ自信が無いときってどうしても無難になりがちですよね。
ああ、分かるーって思いました。
みんながみんな「重力と浮力のバランス」がわかった上で泳ぐわけじゃないけど、
この人は、それが分からないのが不安で、
「背の立つところ」をおよぐ場所にしている。
きっと、泳ぎだけじゃなくて、
いろんなことをそうやって無意識に制限しちゃってる自分に気が付いてて
忸怩たる気持を持ってるんじゃないかなって思わされます。

七波さんの
重なった予定を君のために消す必要のない夏が来ました
今年の夏は、そういう夏ということに、
夏になる前に決まっちゃったんですね。
失恋の痛みを、ちょっと軽口っぽく表現してる
前向きなネガティブさがいいなって思いました。
深川銘さんの
千年の時の重みを言われてもやはり要らないものは要らない
この身も蓋もないバッサリ感にしびれます。
「千年の時の重み」がちょっと引っかかりますが、
自分にとっての「要る」「要らない」ですよね?
きいさんの
重たげに幾度も頭を傾けるとなりの人が気になっている
夜の電車などの景でしょうか。
全然知らない人でも、となりでかくんかくんってなってると気になりますよね。
日常の中の、なんでもないようなワンシーンですが、
そういう所に目を留めて、
気にしちゃうところ、なんとなくいいなと思いました。
綿菓子さんの
重力がナカトミビルを支配して大団円の午後十時半
「重」のお題で「ナカトミビル」まで行っちゃう所が面白いです。
映画「ダイハード」に登場するビルですよね。
重大なネタばれになりますが、そんなに問題でもない気がするので書いちゃいますが、
テロリストがビルから落下するんですよね。
そういう「重力」によって、
テロリストという心理的な「重力」に支配されてた「ナカトミビル」が解放されるわけです。
結句の「午後十時半」がまた面白いなぁって思います。
作者の意図した「午後十時半」がはっきり分からないんだけど、
もしかしたらTV放映での「ナカトミビル」解放の時間なのかなぁと
思うと、メタ的な面白さがあるなあって思いました。
実際はどうなんでしょうね。
カットの多いTV放映ならば、午後十時半でも有りな気がしないでもないけど、
長めの映画なんで、十一時に行っちゃうことが多そうだし。
っていうか、実際の映画の中の大団円が十時半の可能性も高いんですよね。

うたの日(普通)


うたの日

7月12日歌題「普通」

信号が歌う通りゃんせとおりゃんせ普通の人はここを渡って(しま・しましま)

この日のお題は「S」「普通」「M」
そういえば、メロディの鳴る信号って見かけなくなりましたね。

この日好きだったのは
スコヲプさんの
ドエスだと表に出さぬわたくしが剥いだレタスで作ったサラダ
この歌を見て、
「おおぅ、ここにドSが降臨している」
って思っちゃいました。
「ドS」ではなくて「ドエス」と表記することで醸し出される猥雑感もいいなと思ったけど、
それ以上に
「わたくしが剥いだレタスで作ったサラダ」にひゃーってなりました。
レタスのサラダなんて、そりゃ作った人がレタスを剥ぐことが当り前で、
それをあえて「わたくしが剥いだ」って言っちゃうところに嗜虐性があって、
しかも、
普段「ドエスだと表に出さぬわたくし」が剥ぐんですから、
剥いだのはレタスなのか、主体の表面なのかって気にさせられます。
このサラダ食べたらやばそうだなって思わされますね。

小野田光さんの
好きすぎて無理だと泣いたその夜に蟹の普通の食べ方を知る
上の句のテンションと下の句のテンションの違いが
すっごく面白いなっておもいました。
上の句の「好きすぎて無理だ」の何が無理だっていうことなのか、
どういう流れで蟹の食べ方を知るに至ったのか、
疑問はいろいろあるけど、
一番の疑問は
「蟹の普通の食べ方」って何だよってことですね。
っていうか、この人はどんな変わった蟹の食べ方をしてたんだって話です。

かつらいすさんの
この夏を終わらせるのは嫌だからオレは諸星あたるでいいよ
この歌は「M」のお題の歌。
諸星あたるのイニシャルのM?
まさかそんなことはないと思いますが、
なかなか悩ましい歌で妙に惹かれました。
諸星あたるというのは、
「うる星やつら」というマンガ/アニメの主人公で
いいかげんな女好きという高校生
押しかけ女房的な鬼っ娘のラムちゃんから
怒りの電撃を落されても落されてもなお他の女の子にフラフラしてる
というキャラクターですよね。
この諸星あたるを(性癖的な)Mと捉えることも出来るかも知れないけど、
それよりも、
終らない夏の中でラムちゃんの電撃くらいながら、
ラムちゃんの手のひらの上で
永遠に遊んでいたいという主体の感覚が
なんとなくMっぽいなぁと思ったりしました。

うたの日(忙)

うたの日

7月11日歌題「忙」

いそがしいいそがしい急いで生き急がなくちゃ兎の穴を影が跳び越す(しま・しましま)

この日のお題は「読」「忙」「寝」
不思議の国のアリスイメージで言葉遊びしてみました。
討ち死に覚悟で
もっともっと言葉で遊んだ感じにすればよかったなぁ。
下の句でちょっと整えちゃった感が出ますね。
この辺りが、真面目な人柄か(え

この日いいなと思った歌を
だだっと並べていきます。
ハートを入れたものから。
太田青磁さんの
武器持たず微笑みのみを盾として読めぬ空気の重みに耐える
ものすごく共感した歌。
わたしも空気を読むのがとても下手なので、
処世術として静かにしておくというのがあります。
丸腰感溢れる頼りない処世術ではありますが。
橘さやかさんの
欲望の淵を渡ってきたあなた わたしは忙しいの今夜は
なんて大人なかっこいい歌なんだろうと
ほわーってなりました。
ミナコさんの
好きじゃない人と寝たっていいじゃない、言うたび喉が乾く気がする
そう、好きじゃない人と寝たっていいよね。
まあその是非は置いといて、
「言うたび喉が乾く」がいいなぁって思いました。
わたしの好みでいえば「気がする」じゃなくて、
実際に乾いてしまう方がより好きなんだけど、
でも、いいなぁって思います。

♪を入れた歌だと
シマネさんの
漱石の猫をひらけば16の父のアンダーラインうるさい
「16の父」の意外性がすごく面白かったです。
綿菓子さんの
あとひとり殺されるまで読みたいが二死満塁で打者小笠原
野球ぜんぜん分からないので「打者小笠原」が持つインパクトが
実はいまひとつ分かってないんですが、
「あとひとり殺されるまで」という区切り方がいいなと思いました。
ナタカさんの
根元から立ち上がった寝癖にも言い分がある日曜の朝
二句目の字足らずが残念だったけど、「寝癖にも言い分がある」が面白いなって思いました。
「にも」だから、寝癖だけじゃなくて、本体にもちゃんと言い分があるんでしょうね。
水色水玉さんの
さいごの日ガーゼの寝巻きあれはやめて 母が逝く日の空は青いか
ハートと迷った歌でした。
「さいごの日」とは下の句に登場する「母が逝く日」なんでしょうか。
今日はさいごの日になるから、この寝巻きにしよう
なんてことを考えられるはずもないのに、
「さいごの日ガーゼの寝巻きあれはやめて」
と無茶なことを言ってる。
これが自分の「さいごの日」を指すなら
わかる感じなんだけど、母のさいごの日っぽいので、
そうなると無茶だなぁって思います。
でも、なんか切ないんだよね、この歌。
さいごの日に着る寝巻きの話、空模様、
きっと主体にとって、
母の死がそう遠くないところにあることが分かってるんだと思われます。
その上で、「あれはやめて」なんて軽口風に口にする。
母自身も、その日が近いことを知っているのかも。
せめてその日の空が青かったらと願うしかないのかなって思いました。

ところで、
うたの日で最近、
評を入れると出てくるおみくじに
今までうたの日に出た歌をミックスした歌が載るようになりました。
「うんで一首」っていうんですが。

それに
国鉄が一速二速塞がって何回見てもたべるためだよ
というのが登場しました。
「国鉄が一速二速塞がって」
という意味不明感。
それが
「何回見てもたべるためだよ」
というフレーズが続くために、
三連プリンみたいな電車が連想されて
思わずうひひって笑いがこぼれてしまいました。
「国鉄が一速二速塞がって」が
国鉄が一連二連繋がって
みたいに見えちゃって……。

うたの日(廊下)

うたの日

7月10日歌題「廊下」

逆光の中で手を振る母らしきかたちへ手を振る長い廊下だ(しま・しましま)

この日のお題は「屋上」「ドア」「廊下」
うたの日の評でも指摘していただきましたが、
結句は自分でもいろいろ迷って、
分からなくなってしまった部分でした。
「廊下」にプラスアルファの意味づけをしないで、
かつ、
「廊下」という言葉をいれて
リズムを整える
って難しいー。

この日わたしがいいなと思った歌
門脇篤史さんの
廊下にも夏は満ちきぬ隅にある消火器の中も夏なのだらう
「消火器の中も夏」ってすごい発想だなって
とにかくびっくりしました。
野外とか、室内は、それぞれの季節ごとに、
その季節が満ちるのが目に見えてわかるけど、
「廊下」にも、夏が満ちて来た。
その感覚はわかるんだけど、
そこから「消火器の中」へ飛ぶ意識ってすごいな。
中牧正太さんの
ともだちとくちづけました押していいですか廊下の火災報知器
の「火災報知機」への意識の飛び方も好きでした。
「ともだちとくちづけました」「押していいですか」
というフレーズ、
同性の友達、
もっというなら少女同士を想像しました。
その場の雰囲気に流されたにしても、
どことなく冷静で、
でも、ちょっと背徳的だからエマージェンシー感出した方がいいかな?
押してもいいですか?火災報知機を
っていう計算があるような感じがして、
その辺りが少女っぽいって思ったりしました。
希和子さんの
病棟の廊下は長く透明な落ち葉のやうに積もる表情
病院の、しかも病棟の廊下は、
たしかにさまざまな人の思いが零れていそうだなって思います。
悲しい表情ばかりではないと思うけど、
やっぱり足を取られてしまいそうなつらい道でもあるんでしょうね。
ののさんの
『初恋』を人形劇で見るように渡り廊下を外で見ている
なんとなく感覚的にわかるような気がする歌でした。
心理的な距離感に虚無感があって、
なんか切ないなぁって思いました。
『初恋』と鍵カッコでくくってあるんで、もしかしたらこの「初恋」は
何かのタイトルなのかも。
わたしはthe 初恋、みたいな感じに捉えたけど、
『初恋』に、もう一つ隠された意味があって、
その一場面が上演されているような渡り廊下での小さなドラマを
遠くから見てるのかも。
「人形劇」という例え方が、
虚無感を漂わせてて、そこがなんとも言えない雰囲気を作ってるなって思います。

うたの日(森)

うたの日

7月9日歌題「森」

水滴が水に吸われていくように森の景色となりゆくビーグル(しま・しましま)

この日のお題は「森」「三」「中」
小さな盛り上がった水滴が、大きな水の塊にドッキングする感じが好きで、
これをなんとか歌にしたいと思ってましたが、
自分でもまさか「森」の「ビーグル」という着地点になるとは
思ってませんでした。
ビーグル犬いいよね。柴系雑種の次にビーグル犬が好きです。
スヌーピーはビーグルとは思ってません。
ところで、
子供の頃、近所に猟犬としてビーグルの多頭飼いをしている家があって、
ビーグル=猟犬というのは知ってましたが、
「森の鈴」「森のトランペッター」と言われるというのは、
今回評に書いていただいて初めて知りました。
「鈴」ってほどいいもんか?という疑問は残りますが、
狩猟愛好家にとっては「鈴」なんでしょうね。

この日わたしが選をしたのは「森」「中」
この二つのお題で好きだったのが
中村由衣さんの
純情は捨てなきゃ駄目だ白雪にりんごを売るためここに来たのよ
大葉れいさんの
宴会を中座したまま戻らないひとがどこかで手を伸ばす星
でした。
中村さんの歌を見たとき、
ぱっと頭の中にわたしの大好きな俳人鈴木しづ子の
夏みかん酸っぱしいまさら純潔など
が浮かびました。
この句は、戦後を生き抜こうとあがく女性の哀しみの詰まった句
(だと、思ってます)ですが、
中村さんの歌の方はもうすこしメルヘンで、蓮っ葉に見えるところはない
んだけれど、やっぱり女性としての切実感があるなぁって思いました。
何かのために、何かを捨てる決心をしなくちゃいけない、
それが自分にとって、あるいは周囲の人から見て大切なものであっても。
おとぎばなしを持ってきてメルヘン寄りに詠ってあるけど、
どっか切ない気がします。
大葉さんの歌は、
下の句の夜空に輝く星と、その夜空の暗さをバックに伸ばした白い手の美しさ
に対しての上の句の
「宴会を中座」という、意外性がすごく面白いなって思いました。

こりけケリ子さんの
とつぜんで驚かれたかもしれません やみきのこなべ中止の知らせ
「中」の歌で、ハートを迷った歌でした。
「やみきのこなべ」なんてステキなフレーズだろう。力持ってる言葉だなぁと
とにかく惹かれました。
しかもそれが「中止の知らせ」という。
残念に思うべきなのか、助かったと思うべきなのか、
上の句のおだやかで丁寧な言葉が、よりダーク感を増してる気がしました。

中牧正太さんの
森に立つ電波の塔へ木の葉投ぐこのわからずやこの筆不精
「木の葉投ぐ」からの「このわからずや」ときて、「この筆不精」で、
あ!ってこの狼藉を働いている主体の心情が腑に落ちるところが面白いなって思いました。
小宮子々さんの
あなた、とは果てしない森行ったまま帰ってこないことばのいくつか
ねえ、聞いてるの?的なこととはちょっと違うんだろうなと思います。
自分の言葉がどうやらこの人には響かないようだと思いつつ、
その人と付き合っていくって空しそうですよね。
フジタレイさんの
森のなか傘もささずに探してるいつか出会った雨の木のこと
この歌の「雨の木」は、いわゆるレインツリー、ねむの木とはまた別の
もっと心情的に主体が命名した木なんだろうなって思います。
蒼井灯さんの
ワインにも箸にも森が香る日だ夜景を映す窓のつめたさ
ホテルのレストランとかかなって想像しました。
いい赤ワインがあって、でも、いまひとつ心浮き立たない。
「森」を都会的に詠んだ歌で目を引きました。
りりーさんの
晴れ女中央線に運ばれて雨はそろそろやみそうである
この「晴れ女」、他人事のように詠んではあるけど、
きっと主体自身のことなんだろうな。
しかもちゃんと仕事してるんだなあと楽しく読みました。

うたの日(萌)

うたの日

7月8日歌題「萌」

口笛をそっと試してみた夜の萌えるってそう、こんなむずがゆさ(しま・しましま)

この日のお題は「萌」「問」
「萌」って草木の発芽から、物事の兆しとか、
あと、いわゆる「萌え」っていうある種の愛の発生的な感情及びその対象のことを
差したりして、なかなか多岐にわたるようで、
その根っこはやっぱり
「めばえ」(あえてひらがな)
的なことだよね。
根っこがめばえとか意味不明だけど。
ちなみに、
めずらしく自解すると、
第二次性徴の頃を詠んでみました。

この日わたしがいいなと思ったのは
橘さやかさんの
草萌える季節の過ぎたわたしにはひとりになりたい夜もあります
「草萌える季節」、実際の季節としての春というだけじゃなくて、
人生の中の春を過ぎたっていうことなんでしょうね。
好き好き好きでいつも一緒にいたいって頃もあったけど、
いまはどんなに好きな人でも、
「ひとりになりたい夜」がある、
という気持。
「夜」という限定がいいなって思います。
「夜」って、基本的には一人ではさびしい時間だけど、
そんな「夜」でも、「ひとりになりたい」ときがある。
フリータイムで「ひとりになりたい」と思う時があるんだったら、
どんな年代の人でももちろんあるんだと思うけど、
「草萌える季節の過ぎたわたし」ならば
ひとり静かに息をつける時間、
やっぱり「夜」の限定が相応しいんだろうなぁ。

木村比呂さんの
大阪が逢坂になる夕まぐれ芯から萌えてまうやんと言う
も上手い歌だなぁいいなぁと思いました。
上五の
「大阪が逢坂になる夕まぐれ」
この「逢坂」って、実際の地名としての「逢坂」ではなくて、
「逢ふ坂」なんだろうなって思います。
「夕まぐれ」→「逢魔が刻」→「逢」→「逢瀬」
→「逢ふ坂」→「しるもしらぬもあふさかのせき」
みたいに連想させられました。
夕暮れ時からの逢瀬もステキですし、
きっとその逢瀬の相手もステキな人なんでしょうね。
「芯から萌えてまうやん」って
言ってみたいですー。

うたの日(願)

うたの日

7月7日歌題「願」

ファミレスの呼び出しボタン連打する だれか世界をお守りください(しま・しましま)

この日のお題は「願」「星」
アルフレッド・ベスターの「願い星叶い星」をうっかり思い出してしまいましたが、
七夕お題ですね。
わたしの地元では七夕祭が八月の、だいたいお盆の一週間前ぐらいにあるんで、
子供の頃から世間の七夕の時期と一ヶ月ずれていて
へんな感じがしてました。

まあ、
それはそうとしてこの日すきだった歌
小宮子々さんの
おこぼれにあずかれるよう平和など願ってみれば降る雨である
ひさしぶりにうたの日の方に
「おこぼれにあずかれるよう」と少し茶化して「平和」の願いを出す感じ、わかるような気がします。真正面から「願い」を言葉にするのはちょっと照れもあるし。そうは言っても、とりあえず「平和」でも願っておくか、という気持というよりは、もう少し切実なものがあるんだと思いました。
慣れないことをするから雨が降ってきたとでもいいそうな結句も面白いと思いました。
という感想を書きましたが、
一晩たって、改めて読んでみても
そんな感じです。
この歌は、もちろん7月7日の「願」の題詠なので、
うたの日で見ると「降る雨」が単なる雨じゃなくて
七夕の雨なんだなぁって思うんだけど、
それらをとっぱらってこの歌単体で見た場合、
少しだけ趣が変わるのも面白いですよね。
「七夕」「笹」「星」「短冊」といった七夕ワードを使わずに
発表した日付のみで七夕だと分かって、
しかも日付なしで七夕と思わずに読んでも
ちゃんと成立してるっていう。

成瀬山水さんの
笹揺れる今日を逃せば移りゆくねがいごとさえ書き起こせまじ
北大路京介さんの
お互いの幸せ願う短冊が寄り添うように七夕の夜
も、いいなって思いました。
成瀬さんの歌の
「今日を逃せば」からのフレーズ、共感しました。
今の願いは今しか言葉に出来ないですよね。
「今日を逃せば」に切実さが伺われるような気がします。
初句の「笹揺れる」が、
その「今日」が七夕なんだなって思わせて
笹の葉のしゃらしゃらと鳴る音が、
より主体を急かしているような気がしました。
結句の文法がおかしいとうたの日の評で指摘されてて、
そこでわたしも初めて気がつきましたが、
文法って難しいですねー。
北大路さんの「七夕の夜」の歌は
笹飾りを詠んだ歌で、軽いスケッチ風ですが、
二枚の短冊に目を留めた主体の
あたたかい気持とか
寄り添うように揺れている短冊に願いを書いた
二人の人物の心境みたいなものが
言外に感じられてステキだなって思いました。
「七夕の夜」という体言止めもいいなって思います。
ここで視点がぐわっと夜空へ広がるような気がしました。

「星」の題では
萩野聡さんの
公園の公衆トイレが光っててそのまま上のベガの輝き
こりけケリ子さんの
かつて星だったあたしが言うのです。アスパラガスの白ってすてき
でハートを迷いました。
萩野の、「公園の公衆トイレ」(しかも夜)という
出来れば近寄りたくもないようなところの光から、
パンアップして星の輝き、
それも織姫星とも呼ばれるベガを発見するっていうのが
とても面白く思いました。
そんなとこ発見するとか、
主体の孤独感のようなものを感じます。
こりけケリ子さんの歌も
すごく面白いって思いました。
上の句の
説得力があるんだかないんだかわからない太鼓判と
下の句の「アスパラガスの白ってすてき」
の突然の告白。
「アスパラガスの白ってすてき」ですよ、
ホントに、
だって、
「 かつて星だったあたしが言うのです」から。
ってことなんだと思うんだけど、
星の光さえ届かないように管理されて育てられたホワイトアスパラガス
の良さを星だった人が太鼓判を押すという
このねじれた感じがすごく面白いと思いました。
たしかにホワイトアスパラはすてきだけど。

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