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しま・しましま

Author:しま・しましま
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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(直・間)

うたの日

7月29日歌題「直」

右斜め四十五度で叩いても直らないんだ雨降りぐせが(しま・しましま)

7月30日歌題「間」

おやゆびとこゆびの間の六本は家族じゃないのそうねまだだね(しま・しましま)

29日は「素」「針」「直」。
いいなと思ったのは
ルイド リツコさんの
ぐるぐると迷う時間が仇になる直前だったら飛び込めたのに
うんうん、そんなもんだよねと素直に共感した歌でした。
何に対する逡巡なのかは様々だけど、そうやってタイミングを逸してしまうということって
誰にでも何度かあること。
「直前だったら」という仮定が面白かったです。
具体的に何に迷うかがないので、その分読み手が自分にぐっと引き付けて読めました。
静ジャックさんの
生きてるかメシはうまいか 友からの手紙をみたびよたびと見直す
この歌も共感性の高い歌なんじゃないかと思います。
「生きてるかメシはうまいか」
この問いかけは「友」から自分に手紙の中で向けられているものなのか、
近況の分からない「友」へ、今自分が問いかけているのか、
どちらと取ってもいいなぁ。
後者であっても、やっぱり跳ね返って自分へのエールと取れる気がするんですよね。
ただ、
お題が「直」だったんで仕方ないんだけど、
「見直す」ではなくて「見る」「読む」の方がもっとストレートに響いてくる歌かなとも
思ったりして。

30日のお題は「アフリカ」「間」「オーストラリア」。
いいなと思った歌は
荻森美帆さんの
星々と間違われるほど輝ける夜間飛行をしているわたし
「夜間飛行をしてるわたし」がイキイキしてていいなぁ。
そんな夜遊びしたいです。
「流星」じゃなくて「星々」と間違われるってとこがまたステキ。
点滅しながらあちこち飛び回ってるのかな。
そこらじゅうに残像を残しながら。
小川けいとさんの
アイスティーぐすぐすレモン潰す君言わなくていい間もなく終わる
「ぐすぐすレモン潰す」というフレーズがなんともいえないムード。
「アイスティー」「レモン」という道具立てで、
こんなに爽やかじゃない雰囲気がつくれるって凄いなって感心しました。
うつむいて、ストローでレモンをもてあそんでるんでしょうか。
「ぐすぐす」がありそうで無かった擬音で、いいなって思いました。
フジタレイさんの
雲のごと浮かれているまにその恋は山の彼方に沈んでいった
「雲のごと浮かれて」というフレーズがとにかく面白いなって思いました。
初めてのお付き合いとかそんな感じかもって思います。
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うたの日(SF)


うたの日

7月28日歌題「SF」

産院跡地は離着陸場 月へいく船がとまっているところです(しま・しましま)

この日のお題は「理」「SF」「解」
わたしが生まれたところは、実は今一部道路一部公園になってるらしいです。
小学校低学年ぐらいまでは産科病院としてまだ存在してて、
気が付いたら潰されて駐車場になってましたが、
紆余曲折あって今はそんな感じ。
で、それをなんか詠みたいと思ってましたが、
まさかこういう形になるとは自分でも思ってなかった。
それにしても、SFってお題難しかったー。
わりとSFというジャンルが好きで、まあまあ読んでるんだけど、
どう詠むかってなると、さっぱり浮かんでこなくて。
他の方のうたを読んで、
具体的なSF作品とか作家をイメージしたものが多かったんで、
あー、そういう方向があったかーってなりました。

この日いいなと思った歌。
加賀田優子さんの
宿題のためのSF小説がゆるい寝息にあわせて浮かぶ
「宿題のためのSF小説」、なるほどそういう「SF」の使い方なのかと思ってたら、
最後の「浮かぶ」で、ぐりっと捻って「SF」の世界の中にいたというところが
ステキだなって思いました。
何による力なんでしょうね。寝息にあわせてふわっふわっと浮かぶ本、
のどかな日常の中の非日常、
でも描かれている世界では丸ごと日常なのかもとか思わせて面白いうただと思いました。

太田宣子さんの
FAX.を瞬間移動のひとつだと理解してゐる母の諸諸
ファクシミリで文字や絵が送れる仕組みが分からなくて、
排出された紙を手にして
「この紙、送ったつもりでもすぐにもどってきちゃうのよ」
というジョークがあったけど、
まんま、そういうお母さんなんでしょうね。
うちの母も、さすがに「瞬間移動」とは思わないだろうけど、
何か人智ならぬじ(ぶ)ん(の)智を超えた謎の力が働いていると
思っている節があります。
自分の知らないことは全部何か分からない不思議なものだとすると、
世界は空想的な超能力や魔法に溢れてるって感じになるんだなぁと思うと、
なんか楽しくなりますね。
FAXじゃなくて「FAX.」という表記、
大文字の略語にピリオドって珍しいなって思ったんだけど、
もしかしたらファクシミリではなくて、もっと別の装置の名前だったりして
とか、勝手に楽しくなってしまいました。
楽水童子さんの
時計じかけのオレンジの児ら その児らの植うる時計じかけのオレンジ
アントニイ・パージェスの小説「時計じかけのオレンジ」
あるいはスタンリー・キューブリックの映画「時計じかけのオレンジ」
どっちかでも知らないと分からないニッチなとこを突いてきたうたですね。
しかも「時計じかけのオレンジ」という長いフレーズを二度も使って、
11音×2。それ以外のフレーズをかき集めたのが11音。
大胆なつくりの歌でびっくりしました。
「時計じかけのオレンジ」というのは、
作中に出てくる言葉で、
とある新しい療法(洗脳的な)によって、
手のつけられない悪の少年が、悪はダメ善はいいっていうのを強制的に植えつけられる、
その、自分で善悪を判断する心がない人間を
「時計じかけのオレンジ」って呼んだ、という感じだったと思います。
読み返さないと正確なところはわからないけど、だいたいそんな感じじゃなかったかな。
なので、
そういう道徳的な判断が自分では出来なくて、すりこまれた善悪判断だけで行動する
そんな人間が
「時計じかけのオレンジの児ら」ってことなのかなと思いました。
わたしは、ディストピアを描いたうただと思ったんだけど、
作者の楽水童子さんによれば、現代日本の歌なんだとか。
うーん、そうだったのか。

うたの日(もやもや・動物園)

うたの日

7月26日歌題「もやもや」

カナル型イヤホン耳にねじ込んで突っ切ってゆくもやもやの中(しま・しましま)

7月27日歌題「動物園」

動物園はきらいわたしに広すぎて風に押されて迷子になるよ(しま・しましま)

26日のお題は「ふわふわ」「軸」「もやもや」
「もやもや」で詠もうと決めたはいいけど、全然イメージが浮かばなくて、
あちこち彷徨ったあげくのこの歌でした。
「もやもや」を気持のそれにするか、
蚊柱の「もやもや」にするかで迷ったあげくに、
どっちつかずになってしまったのは失敗だったなぁ。

27日のお題は「動物園」「Google」「水族館」
これはゾウこれはキリンと置くつみき動物園はひだまりの中
といううたと、どっちを出そうか迷って、これを下げました。
句切れが我ながらわかりにくいなぁって思ったので。

26、27日のいいなと思った歌。
千石 龍さんの
Googleに訊きたい名前が出てこない 文明が今役に立たない
「Google」題の歌ではなくて、「もやもや」を詠んだ歌。
上の句のあるあるを下の句の「文明が今役に立たない」で
深みのある詩にした鮮やかな歌だなって思いました。
大袈裟な表現だけど、実感が籠っている嘆きで、
「今」が効いてるなって思います。
加賀田優子さんの
檻のない動物園でくつしたを脱ぐところから終わりまで見る
不思議な雰囲気の歌でとても気になる歌でした。
「檻のない動物園」
この言葉から想像するのって、
学校とか会社とか、一つの場所に
たくさんの種類の動物に見立てられる人々がいるところ
で、
目に見える檻に囲まれているわけじゃないけど、
自由に動き回ることができない
そんな場所かなって思うんだけど、
このうたは、そういう人がたくさんいる場所には思えない。
というか、見ている主体と見られているだれかの二人きりしかいないみたい。
しかも、
「くつしたを脱ぐところから終わりまで」
って何をしているところのどこからどこまでだか全然わからない。
ただ、一つだけ分かるのは、
見ているということ。
なんで?といわれると自分でもわからないけど、
痛々しくて切ないような気持がする歌だなぁって思います。
うたの日の他の方の評に大人の恋愛ってあったけど、
わたしには恋人を見る視線には思えなくて、
セックス直前の景ではあるんだろうけど、恋人感というかそういうものが感じられなくて、
そこが痛々しい視線のように思えたのかな。
うーん、難しいけど惹かれる歌でした。
雀來豆さんの
まだ生きていたのかぼくがiPhoneのアクアリウムに閉じこめた魚
この歌も、痛々しい切なさを感じる歌でした。
「水族館」というお題としては「iPhoneのアクアリウム」は小さすぎるような気もするけど、
自分だけの小さな水族館ではありますよね。
「まだ生きていたのか」という詠みだしのフレーズに、
そう思ってしまうぐらいの時間の視線の不在があって、
そこが切ないんですよね。

そのほか、
「もやもや」では
南瑠夏さんの
筆洗の水面に揺れるターコイズ 君はどうして泣かなかったの
の、主体の気持のもやもやと筆洗の中のもやもやの感じや
大葉れいさんの
シロップのもやもやを目で追いながら君の話を聞いているふり
の、ガムシロップがドリンクにまざっていくもやもやを見てるから、
君の話を聞いたふりで聞いてない、
っていいつつ、もやもやがそこまで気になるわけでもなさそうな虚無感
が、面白いなって思いました。
「動物園」では
大葉れいさんの
ぼくだけがヘビクイワシのうつくしい瞳を知った閉園まぎわ
の「うつくしい瞳を知った」喜びの描写の美しさに惹かれました。
ヘビクイワシって、姿の美しいことで有名な鳥ですよね。
すらっとした姿とかたてがみのような頭の羽とか。
「ぼく」は、多分その姿の美しさに魅了されて、閉園まぎわまでヘビクイワシの檻の前にいて、
ずっと見てたんだと思います。
で、鳥の向きとか西日の加減とかで、ふいに、ヘビクイワシに「うつくしい瞳」があることに気が付いた
そういう感じかなと思います。
「水族館」では
青葉不偏さんの
窮屈な順路に従う人間を横目に鮫は通りすぎたり
文佳さんの
ゆらゆらと青い容器のなかにいる魚たちには星が降らない
がいいなと思いました。
青葉さんの歌、
鮫エリアって、だいたいどこの水族館でもそういう感じだろうなっていう
実景の描写でありながら、
順路が示されてあれば順路に従う「人間」と、
そういう指示を受けることなく悠々とおよぐ「鮫」との対比、
だけど、もうすこし視線を広げると、
どこへでも歩いていける「人間」と、
水族館の水槽の限られた空間でしか生きられない「鮫」の対比がある。
「人間」「鮫」どちらにもペーソスが漂ういい歌だなって思います。
文佳さんの歌は、
水族館の魚たちの人工の棲処の悲しみが詠んであるんだけど、
とても美しい情景で、
「星が降らない」とあるけれど、
逆に、水槽を照らす光で水中の塵がきらきらと星が降るみたいに見えるのが連想されて、
美しさと悲しさがいいなって思いました。

うーん、二日分の感想を書いてたら
なんだか途中で混乱してしまって、
ちゃんと感想がかけたか分からなくなってしまいました。

うたの日(Tシャツ)


うたの日

7月25日歌題「Tシャツ」

Tシャツを一枚多めにしのばせた鞄で君を夏に発たせる(しま・しましま)

この日のお題は「Tシャツ」「レンズ」「スカート」
いいなと思った歌は、
月花さんの
無造作にひっぱりだしたTシャツは去年の夏の匂いがしてた
実際に、何か「匂い」がしたというよりは、
「去年の夏」のイメージが強く残っていた、ということかなと思います。
選んだわけではなくて「無造作にひっぱりだしたTシャツ」が、
実はたまたま、去年のとある思い出につながるTシャツだった、
ということが、ひっぱり出した瞬間に分かった。
という情景かなぁ、いいなって思いました。
きいさんの
スーパーを出るとすぐさま白くなるレンズを拭いて暮れなずむ町
わたしもメガネの人なので、わかります。
冷房の効いた場所から出た瞬間、メガネが曇っちゃうんですよね。
その、困る感じというか、なんとなく情けない感じと、
「暮れなずむ町」がいい感じだなって思いました。
「暮れなずむ町」が単なる場面の説明に終らずに、
スーパーを出て、曇ったメガネを拭って、
これから家路を辿っていく主体を想像させてくれます。
メガネの曇りを拭ったらそこから
暮れかけてきた街並みが広がって見えるようでもあります。
ゆらさんの
わたしまだ少女だろうか夏前にグレイのチュールスカート買って
この日いち、すきな歌でした。
「夏前」「グレイ」「チュールスカート」
下の句のどのフレーズをとっても、ナイーブで淡くて、
「少女」そのものだなぁって思います。
「わたしまだ少女だろうか」
という(自分への?)問いかけも、
「少女」でなければ出ない疑問なんじゃないかなぁ。
ホントに胸にくるような美しい歌だと思いました。

うたの日(カバ)


うたの日

7月24日歌題「カバ」

名をよんで食べるどうぶつビスケットHIPPOのHのところが欠けて(しま・しましま)

この日のお題は「カバ」「対」「バカ」
うーん、今見返しても、
もうちょっと手を入れるべきだったと思う歌。
初案は
子に分けるたべっ子どうぶつビスケットHIPPOのOのところが欠けて
だったのを
色々考えてるうちに
一枚ずつ分け合うどうぶつビスケットIPPOは多分カバのかけらだ
まで変化したところで、
なぜか元にもどって
名をよんで食べるどうぶつビスケットHIPPOのHのところが欠けて
となってしまったんだけど、
初案の方がまだマシだったかも。
しかしどっちにしても「欠けて」と結んだところが弱い気がします。
初句をもっと別の切り口から持ってきたほうがいいんだろうなぁ。

この日わたしがいいなとおもった歌。
沼尻つた子さんの
桃色のカバの歯磨きするようにバスタブを洗う土曜の夫
バスタブ洗いを「桃色のカバの歯磨き」に見立てるって
すごいな!
ってとにかく一読でやられてしまいました。
言われてみればもうまったく違和感が無い。
のどかでユーモラスなところも好きだし、
何より、「バスタブを洗う夫」から感じられる家族に対する気持と、
その夫を見ている妻の視点という、
ダブルであたたかい家族愛が感じられるところがいいなと思いました。
初句の「桃色の」と、意表を付く暖色を持ってきたところから、
このあたたかさが増している気がします。
気球さんの
対戦のように向かいに座らされ役員会に味方を探す
何の「役員会」なんでしょうか。
とりあえず、
学校のPTAとか自治会とかの初顔合わせの場面を想像してみました。
長方形に並べた短辺のとこに偉い人とかお世話役の人が座ってて、
長辺の部分に、一般役員が座らされてて、
主体も、この長辺の中の一人。
その様子を「対戦のよう」だと捉えているんだと思いました。
あまり知り合いも多くない会で、せめてのよりどころとして、
そっと見回して「味方を探す」。
緊張感溢れる役員会を、緊張感を残したままユーモアを交えて表現されてて
面白いなって思いました。
笹谷香菜さんの
そーやってあなたはいつも唐突でオーストラリアはどうですかばか
いろいろな「バカ」の歌がありましたが、
この歌の「バカ」が一番バカに相応しく、
且つ、
一番やさしい「バカ」だなって思ってハートを入れました。
何にも言わずに勝手にオーストラリアに行っちゃった恋人なんでしょうか。
旅行みたいな短期じゃなくて、語学留学とか、そんな雰囲気がします。
あー、それは恋人にののしられても仕方ないバカだなぁ。
でも、
そんなバカに対して、
「オーストラリアはどうですかばか」と、
やさしく嫌味を言ってくれる恋人。
やさしいなぁ。
ひらがなの「ばか」もやさしく響きます。

うたの日(逃)


うたの日

7月23日歌題「逃」

逃げ切った男と肩がぶつかって「黄泉比良坂まで徒歩三分」(しま・しましま)

この日のお題は「檻」「逃」「鍵」
「黄泉比良坂」ですが、実は島根県にあったりします。
国道から見えるところから「黄泉比良坂→」的な看板が立てられてて、
近くに行けば「徒歩3分」とか具体的な表示もあったりして、
これはなかなか伊邪那岐命にも親切設計。

この日いいなと思った歌は
「檻」ではニキタ・フユさんの
「故郷はここです」という看板のキリンの長く濡れてた睫毛
「この動物園で生まれました」とか、そういう看板のある動物園ありますね。
生命の危機を感じることなくすくすくと育つことが出来る動物園生まれが幸せなのか、
風土にあわせて進化してきたその場所で、
檻に遮られることなく生きた記憶をもつサバンナ生まれが幸せなのか、
そのあたりはキリンに聞けたとしても分からないことだとは思いますが、
キリンの長い睫毛が濡れているように見えたという主体。
「睫毛」という体言止めで、憂いを帯びたキリンの目元をクローズアップして、
主体の心情をきっちり乗せてあるところがいいなと思いました。
中森つんさんの
逃避行したかったよね サンダルが投げ捨てられたままの玄関
どういう状況なのか、全く分からないけど、
分からないままにとても惹かれる歌でした。
一首に、まだ終ってないのに終った感、退廃的なムード、
って感じのものが充満していて切なく感じました。
下の句の「サンダルが投げ捨てられたままの玄関」に
妙なリアリティがあって、
「逃避行したかったよね」のセリフのようなフレーズが生々しく響きました。
まゆまゆさんの
キャンディの空き缶にある一本の合鍵のこと だれもしらない
「キャンディの空き缶」という具体性がいいなって思いました。
多分、そのまま飾ってても違和感の無い可愛らしい空き缶なんでしょうね。
その中に一本の鍵があって、
それが合鍵で、
その合鍵のことは自分しか知らない。
その鍵についてのいくつかの情報が提示されてるのに、
何の合鍵なのかが知らされてないので、めっちゃ謎めいてます。
誰かの持つマスターキーからこっそり作った合鍵でしょうか。
だとしたら、そうとうこわいです。
好きな人の部屋のキーとか。
可愛らしいキャンディの空き缶にしまわれているというのが、
無邪気なような邪気の粋のような感じで
よりこわさを増幅させているようでした。

ハートを入れた歌以外では
佐藤博之さんの
餌入れの蓋もて檻の鳥を追ひ鮮やかなる黄の餌を滿たしつ
加賀田優子さんの
あいているけれど逃げない鳥のため昨夜のパンを粗くちぎった
琥珀さんの
左手に鍵の匂いを染み込ませ開かぬままに大人になった
も、好きな歌でした。
佐藤さんの歌は、
籠の鳥ではなくて「檻の鳥」なので、大型の鳥類を飼育してるのかな。
「餌入れの蓋もて」鳥を追うという動作や、
「鮮やかなる黄の餌」という描写の細かさが
生き生きとしていていいなと思いました。
「満たしつ」の力強さもいいなと思いました。
加賀田さんの歌の、
「昨夜のパンを粗くちぎった」に、
少し硬くなったパンの質感というか手触りまで感じられて、
「あいているけれど逃げない」という悲しい鳥に
その手触りはすごく合うよなぁって思わされました。
琥珀さんの歌は、
「鍵の匂い」がいいなって思います。
鍵って金属だから、やっぱりずっと握ってると金臭い匂いがするんですよね。
鍵の方よりも手に残る感じ。
そういうリアリティがあるんだけども
わたしにはこの「左手」が握ってるのは、
実際の鍵とか鍵の思い出というよりも、何かの秘密のようにも感じました。
「開かぬ」は「明かさない」にも通じるのかな、って。
いつか左手を開いて、しみこんだ鍵の匂いを忘れられるといいなと思いました。

うたの日(だから・靴)


うたの日

7月21日歌題「だから」

チヨコレイトパイナツプルと駆け上がる晴れたら海が見えるんだから(しま・しましま)

7月22日歌題「靴」

町じゅうに散りばめられた真っ黒な矢印たどる黒い靴たち(しま・しましま)

21日のお題は「だから」「女優」「です」
この日は、歌を出すので精一杯で、
選をすることができませんでした。
実はこの歌、三年前に読んだ俳句のリベンジ的な意味合いがあったりします。
というのも、
とある(リアルの)句会で
春の雲ちよこれいとと階(はし)あがる
という句を出したところ、
その句会にいる全員に意味が通じなかったんです。
おやつ持って遠足?的な受け取り方だったり、はなから分からなかったと撥ねられたり。
まあね、その句会はわたしを除くと平均年齢が70歳ぐらいですからね。
そんな遊びしたことないと口々に言われてしまいました。
おそろしやジェネレーションギャップ。
ということで、残念ながらこの遊びをモチーフにするのは諦めてたんですが、
ここで使うことが出来ました。
お題の「だから」を不自然にならずに混ぜることができたかな。

22日のお題は「靴」「朝」「町」
この日わたしがいいなと思った歌は
桔梗さんの
道端にミュール片方転がつて迎への来ないお話もある
上の句の
「道端にミュール片方転がつて」
という描写が鮮やかで、とても印象的な歌でした。
「迎への来ないお話もある」
と一般的な「話」のように言ってるけど、
これは明らかに主体の「今」を切り取って詠んでるんだなぁって
思わされます。
打ちのめされて、自嘲まじりで、
でも自分で立ち上がって、ミュールを拾って帰るしかないんですよね。
ヒリヒリする痛みを感じる歌でした。
廻さんの
もうきっとどこへ行っても町町町 私を産んだおぞましい町
上の句の「町町町」のつらなりが、
鎖のようで、また呪詛のようで、
胸にずしんとくる歌でした。
下の句から、
今まさに血を流して苦しんでいるような作者が見えて来るような
生々しい傷口が見えるみたいでした。
わんこ山田さんの
カステラが生まれる町に越してきて全身甘いあまい生活
この歌も大好きで、ハートを入れたい歌でした。
きっと有名なカステラの町なんでしょうね。
カステラ工場から流れる甘い匂いに満たされた町で、
「全身甘いあまい生活」を始めるってステキだなぁ。
深読みすると、
この「越してきて」というのは新生活を始めるということで、
もしかしたら結婚を機に引っ越ししたのかな、
だから「あまい生活」でもあるのかな、
とも思えますが、
文字通りのカステラのあまい生活も魅力的。
「カステラ」「町」「甘い」「あまい」のA音の明るさと
「生まれる」「全身」の肯定感があいまって、
もう幸せすぎるぐらい幸せな感じが大好きです。

うたの日(陸)


うたの日

7月20日歌題「陸」

新しいシーツをたぐる 台風の上陸を告ぐ深夜のニュース(しま・しましま)

この日のお題は「陸」「海」「空」
ちょうど、この間新しいシーツをおろしたばっかりだったんで、
そのまんま詠んでみました。

この日いいなと思った歌は、
もうなんといっても中村成志さんの
海図ではどうやら陸であるらしいうちあげられてひたひたの海
でした。
一目で好きになってしまいました。
575の上の句と77の下の句で、大きい切れのある歌。
「海図ではどうやら陸であるらしい」
難破した船乗りの、ちょっと硬い感じのモノローグみたいな上の句
で、
「うちあげられてひたひたの海」
と、その状況が描かれている、という感じかな。
ちょ、まだ海から上がりきってませんやん!
みたいな場所で、海図を広げてるのかな
と思うと、おおぅ…この人まだ混乱中なんや…
とか思えたりしてとにかく面白かったです。
あと、この歌で面白いなっておもったのが
「うちあげられてひたひたの海」
という下の句の語感。
もう横たわった全身にひたひたに被るぐらいの水位の海の中に、
自分が横たわってるような気がします。
しかも、上の句の「であるらしい」というひらがな表記のフレーズに
そのままつながるように「うちあげられて」と繋がるところが、
ホントに「ひたひた」な感じがあって、
そこも面白いなぁって思いました。

沼尻つた子さんの
二段式のベッドはコックピットだった幼い兄と離陸を待った
スコヲプさんの
ビーサンの片方だけが転がってそろそろ陸が切れる頃だね
山未知さんの
きっとまた泡に消えると知りながら一歩踏み出す空だけ睨んで
沼尻さんの歌は、
一見、子供時代の楽しいごっこ遊びを懐旧している歌のようで、
「幼い兄」と、現在の自分の視点が混じってるところが
面白いと思いました。
スコヲプさんの歌は、
「そろそろ陸が切れる頃だね」という語りかけの言葉の、
その表現の仕方の面白さと、
そう語り掛ける相手がとなりにいると感じさせて、
海辺のデートかなって思わせるのに、
ビーサンの片方だけころがってるような、
きれいなロケーションといいがたいところがいいなと思いました。
山未知さんの歌は、
「海」も「陸」も出さずに、人魚姫を描いた歌でステキだなって思いました。
そういえば「海」では人魚姫をモチーフにした歌がなかったのに
「陸」では二首ありましたね。
やっぱり陸に上がった後の人魚姫の方が印象が強いんでしょうね。
この歌は、その人魚姫が手に入れたばかりの足で、
初めて上陸するその時を切り取った歌だと思います。
おとぎばなしが何度も繰り返して語られるように、
人魚姫も、もうなんども人魚姫として泡に消えては
生まれ変わって王子様に恋をしてるのかも知れません。
この上陸を果たしてしまったら、あとは泡になる未来があることも、
この一歩から、足の裏にナイフを突き立てられるような痛みが始まることも
全部わかった上での上陸なんだなぁって思うと、
切なくてステキな歌だなって思いました。

うたの日(肌)


うたの日

7月19日歌題「肌」

いつまでも肌ざはり良き人であれ折々に買ふ君のTシャツ(しま・しましま)

この日のお題は「息」「温」「肌」
やっぱり何度も洗った古いTシャツよりも新しいTシャツの方が気持がいいよね。
本人の好みはよく知らないけど、一緒にいる方はとくに。

この日いいなとおもった歌は
ニキタ・フユさんの
息継ぎが上手くできずに放課後の教室はまだ水の匂いだ
小学生時代にたちまちタイムスリップさせられたような気持になる歌でした。
「放課後の教室」に残る「水の匂い」は、
プール授業で上手くいかなかったことを引きずっての
心理的な「水の匂い」で、
息継ぎに失敗して飲んだか鼻に入ってしまった「水の匂い」なんでしょうね。
プールの後のからだのだるい感じとかも思い出して
なんか胸がキュンキュンしました。
杏野カヨさんの
冷房のよく効く部屋にきみといてぬるき夕焼けに音ひとつ無し
「冷房のよく効く部屋」と、
窓の外に見えているんだろう「夕焼け」の対比が鮮やかだなとおもいます。
多分外はすごく暑いんだろうと分かってはいるけれど、その暑さが伝わらない部屋から
「ぬるき」と断定するところがいいなぁ。
うたの日の他の方の評にもありましたが、心象的なものでもあるんでしょうね。
「音ひとつ無し」と結ばれて、
窓の外の夕焼けの風景だけじゃなくて、室内でもふいに沈黙が訪れているような、
静謐な瞬間に世界が閉じ込められたような気がします。
月丘ナイルさん の
水色の肌したミゾレウミウシがその身に映す空を飛ぶ夢
「ミゾレウミウシ」、実はどんなウミウシなのか知らないんですが、
昨夜はあえてぐぐったりせずに、
その語感と想像の姿だけで鑑賞させてもらいました。
「水」の色をもつウミウシ、「ミゾレウミウシ」が、
海でも空でもなく、「空を飛ぶ夢」を映しているって、
ホントすてきだなぁ。
それで、今日になってぐぐってみた訳ですが、
ミゾレウミウシ、想像してたよりもずっと可愛いですね!
なんかポケモン的なかわいさ。
もうちょっとこう、まだらな模様のやつかとおもってましたが、
柄もすごくシンプル。
うーん、これはたしかに空も飛びたいだろうなって思うウミウシでした。

うたの日(落)


うたの日

7月18日歌題「落」

いつか落ちるまで空蝉の一室に小さな風のかわるがわる住む(しま・しましま)

この日のお題は「落」「イヤリング」「欠」
蝉の抜け殻と、現世、二つの「空蝉」をどっちで読んでもいいなって感じに詠んでみました。
俳句で意図的にダブルミーニングを狙うと、
割と鑑賞するときにぼやけちゃいがち(だと思ってる)なので、
わたしのなかでは珍しい詠み方かもって思います。

この日いいなと思った歌。
木原ねこさんの
落ちるのを待てずに子らはどんぐりを求める枝のまま青いまま
たしかに青いどんぐりは魅力的ですよね。
茶色いどんぐりでも、ちっちゃいの、大きいの、細いの、太いの、
ぼうしのないの、まだしっかりぼうしがついてるの
落ちたどんぐりにも色々あるけど、
青いどんぐりは落ちてませんからレア感はあるし、
それにキレイだしね。
こどもとどんぐりという組み合わせに、「落ちるのを待てず」というフレーズで、
可愛くて楽しくて無邪気な感じがします。
下の句の「枝のまま青いまま」は、
そのこどもたちが欲しがった形状をそのまま詠んだようでもあるけど、
リフレインが
どんぐりの木の痛みの言葉のようにも感じられました。
クヌギかなぁミズナラかなぁ。
夏の林の中の風景がこどもと青いどんぐりでぱっと浮かんでくるようでもありました。

小向大也さんの
ほうれん草のピンクの根っこのようだった 好きだよのよを切り落としたい
木原さんのとハートを迷った歌でした。
うたの日にも書きましたが、惹かれるけど、
その魅力を言葉にしづらい歌でもありました。
あえて言うなら
あー、なんか分かるー。
っていう共感。
「好きだよ」と「好きだ」の違い、
「ほうれん草のピンクの根っこ」がついてるのとついてないのの違い。
どっちも、人によっては些細なことのようで、
その辺りに深いこだわりがありそうなことでもありますね。
作者の思いとは違うかもしれないけど、
「好きだよ」の「よ」は、やさしさというか、ちょっとだけ相手におもねるような感じがあって、
そこが微妙にどんくさい感じで、
「ほうれん草のピンクの根っこ」のどんくさい感じと似てる
って感じたのかなぁとか思います。
「切り落としたい」っていうことは、もう既に「好きだよ」をチョイスした後で、
もっとバーンと我を張ればよかったって思ってるのかなぁと思いました。
永昌さんの
手鏡に空を映してのぞきこむ逆さの空へ落ちる誘惑
そういう行為をしたことがないので、
完全に想像ですが、
アレかなぁ、雪や雨が降ってる時に、
空を見上げてるとだんだん上下が分からなくなってくる
あの感じに似てるのかな。
昨夜のうたの日には
手の中に生れた上下逆さの空って魅力的ですね。平面の鏡に、その先が生れたようで、その中へ落ちてみたい気持になるのが分かるような気がします
という感想を書かせてもらいました。
でも、今日になって読み返してて、
手鏡に空を映しても、
覗き込んだら多分自分の顔でいっぱいになっちゃうなぁ……
って思われてきました。
で、だんだんと
もしかしたら、主体は、手鏡の空を覗き込むよりも先に、
「落ちる誘惑」に駆られてたんかなぁ
とも思われてきました。
手鏡の中にあるはずの「逆さの空」へ、
最初から落ちるつもりで覗き込んだのかも。
全部捨てて、どこかへ落ちて行きたい気持になることありますよね。
手鏡の空は、最初からその手段として準備されたものなのかも。

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