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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(500日後へ贈るプレゼント・粘る)


ここのところ体調がいまいちだったり、
仕事が忙しかったりで、
このブログの更新をサボってたら
なんと8日経ってた!
仕事が一山越えたんで、
あわててさかのぼって書きます。
自分が票を入れさせてもらった歌の感想も出来るだけ書こうと思ってますが、
取りこぼしとかあったらごめんなさい。

うたの日

8月13日歌題「500日後へ贈るプレゼント」

まだ遠い未来のようなその時を踏み出すためのblue suede shoes(しま・しましま)

うたの日OPEN500回目のねたの日だったので、
今回のお題はみんなでこれ。

えーと、随分前に作ったようで、
今その時のことを思い出すとちょっと面白いです。
たしか、気分としては
「わたしのことは踏みつけにしても、ブルースエードシューズだけは踏まないでくださいっ」的な気持がうっすらあったと思います。

この日、ハートを入れたのは
多香子さんの
きっと君は500日後には成猫だ、すてきな長靴プレゼントしよう
作者のお名前を見て納得の、ステキな猫短歌。
童話「長靴をはいた猫」を下敷きにして、
子猫への愛情あふれる歌って思いました。
このお題「500日後へ贈るプレゼント」って、
誰に贈るものなのか、
500って数字をどう捉えるかって難しかったんですが、
この500日の間の時間を子猫から成猫へという成長の時間にあてて、
「すてきな長靴」という贈り物って、
ほんとすてきだなぁ。
だから、わたしをフォローしてね
っていう下心があるのかないのかはわかりませんが、
相手は猫ですからね。下心っていっても下心にならないところも
面白かったです。

中牧正太さんの
鉄道と野球が好きで健康なら男の子でも女の子でも
この歌も、ハート入れてもよかったぐらい好きでした。
500日後ですから、今はまだ影も形もない赤ちゃん。
「男の子でも女の子でも」といいつつ、
「鉄道と野球が好き」と、
(多分)自分と一緒に楽しめる趣味を持つ子が欲しいって
これはちょっと男の子寄りなのか、作者が男性なのかって
楽しく読みました。
ほのかな希望のようでもあり、切実な祈りのようでもあって、
今読んでも、じわっといいなぁって気持が湧いてくる歌でした。


8月14日歌題「粘る」

古本の値札シールの剥がし跡ぐらい粘ってみればよかった(しま・しましま)

この日のお題は「粘る」「焦る」「縛る」
そう、ずっと粘りが足りないことを子供の頃から指摘されてて、
自分ではそれでいいって思ってたけど、
もう少し粘ってがんばればよかったなって、
今になって思うことあるんですよね。
古本の値札シール剥がすのに失敗して、
一部分黒くきたなくなったところがあるみたいに、
心の中に小さいひっかかりがあります。

この日いいなと思ったのは、
スコヲプさんの
もう一度写真を見たくなってきて粘着テープの封を剥がした
封をしてしまった後で、
もう一度確認したくなることってありますね。
それが写真だったら、なおさらそうなるかもって思います。
誰かへ送る写真だったのか、
誰かへ返す写真だったのか、
もう見ないつもりで封印した写真だったのか、
どんな写真だったかの手がかりはないけど、
なんとなく切なくて、
ちょっとだけそういう自分が情けないような、
でも剥がしてしまう自分が嫌いじゃないような感じが好きでした。
みどりさんの
(白線を踏まないように)駅からの道をマッキンリーとなしたり
「縛る」のお題でハートを入れた歌。
白線踏まない縛りで帰る、子供の頃あるあるですが、
「駅からの道」ということは、小学校の帰り道とかじゃなくて、
大人になった今のことかなって思いました。
ふいにそんな遊びを思い出して歩き出したとたん、
「駅からの道」が「マッキンリー」になってしまう。
その鮮やかな広がりがいいなって思いました。
「マッキンリー」がいいなぁ。
音の弾み方も、the 冒険的なその山の持つイメージも。
「マッキンリーとなしたり」という、やや大袈裟な言葉が
この歌にすごくあってるなぁって思いました。

その他いいなと思ったのは
藤田美香さんの
もう少し見知らぬ男と恋をしてみたかったのに騒ぐ目覚まし
あー!わたしもそういう夢を見たことあります。
相手は誰だかわからないけど、
もうちょっと楽しく(文字通り)夢の恋愛したかったなって
目が覚めて残念に思うんですよね。
成瀬山水さんの
熱烈な恋をしている今これで十二球目のファールボールだ
「十二球目のファールボール」という粘り方が、
「熱烈な恋」そのものだなぁって思います。
「今これで」ってひとつひとつ数えてる感じが
粘ってる、がんばってるって思えて好きです。
萩野聡さんの
ダンボールをひもで縛って抱えたら四角い夜に星がいっぱい
普通に生活してても、
通販を利用したりして
ダンボールが溜まっちゃうことあると思うけど、
なんとなくこの歌は引っ越し後の新居での景かなって思いました。
荷物をひとつひとつ開けて、片付けて、
最後に使ったダンボールを処理しながら、
窓の外を見ると、この部屋で見るはじめての夜空。
もうこんな時間になっちゃったって驚きと
ささやかだけど、自分の門出を祝ってくれてるような喜びかなぁ
と思いました。

うたの日(絶対)


うたの日

8月12日歌題「絶対」

あの家へけして行ってはいけませんと言われた家へ行きたがる 鞠(しま・しましま)

この日のお題は「多分」「迷」「絶対」
三句目、「いけないと」とするときちんと五音で収まるんですが、
あえての「いけませんと」の字余りを作って
ひっかかりを作ってみたんだけど、どうなんでしょうね。
失敗してるのかそこは成功してるのか。
「鞠」の前の一字空けと合わせて二度のひっかかりで、
逡巡みたいのが出せればなぁって思ったんですが。

この日いいなと思ったのは
七波さんの
世の中の半分はやさしさという名のあきらめで出来てる たぶん
「半分はやさしさ」といえばバファリンですが、
あれは本当に秀逸なキャッチコピーでしたよね。
この歌とは全然関係ないんですが、
バファリンのジェネリック版には、どうもやさしさが配合されていないようで、
飲むとすぐに該当部分の痛みが消えるのはいいけど、
それを打ち消すぐらいの胃の痛みが襲ってくるのが困りモノです。
やっぱりやさしさは必要ですよね。
この歌は、そのやさしさが「あきらめ」なんだというんですが、
さいごに「 たぶん」ってついてる。
この「 たぶん」のところが、
「やさしさという名のあきらめ」を体言してるみたいで、好きでした。
加賀田優子さんの
迷惑じゃなかったけどな おとなりのトランペットはひっこしてった
あんまり上手じゃなくて、
深夜早朝というほど非常識じゃないけど、
それでも割としょっちゅう部屋でトランペットを吹いてた人なんでしょうね。
もしかしたら、おとなりだけど、トランペットを吹いていた人自体には
会ったことも話したこともなかったのかも
とか想像されました。
ひっこしてって、いつものトランペットが聞こえなくなって、
「迷惑じゃなかったけどな」って一人で思うしかない、
ほんのりと喪失感が漂うところが好きでした。
たかはしみさおさんの
『ぜったい?』と息子に問われきっと今あの日の父と同じ顔した
うたの日にも書いたんだけど、
この息子は、まだ幼い子供なんだろうなって思いました。
幼い子の言う「ぜったい?」。
何か大人が気軽に、提案程度の軽さで口にしたことに対して、
こう返してきたんだろうな。
それは疑いの言葉じゃなくて、
「ぜったい」が絶対にあるという信頼のもとでの
確認の言葉だったんじゃないかなって思います。
だからこそ、
その言葉を前にして、
無責任に「そうだ」とも言えず、
だからといって素直に
「いや、絶対ってわけじゃ……」
とも言えず困ってしまう。
そしてそれは自分が幼い頃の自分と父の姿でもあったんだって
最後の気付き方が、
父と子、父と子と続いていくあたたかさのようで
ホントすてきだなって思いました。

うたの日(集中)

うたの日

8月11日歌題「集中」

てのひらをかざせばそこへまっすぐにめがけておいで夏の雨たち(しま・しましま)

この日のお題は「意識」「水着」「集中」
うたの日のビッグイベント「うたの人」と「短杯2015」のことを考えているせいか、頭の中が夏で困ります。
あ、ところで、ブログのテンプレートを変更したら、
自分以外の方の歌の色が目立たなくなってしまったので、
今日からですが、色を変えてみます。

この日いいなと思った歌。
桔梗さんの
運命と思つて欲しい出逢ひには描き足しておく集中線を
「集中線」ってあれですよね。
漫画などで、一つの点に向かって集約するような線がいっぱい引かれてるやつ。
漫画家が作品を描くときならば、当たり前の情景だろうと思いますが、
ここに描かれている「出逢ひ」は、多分実際のもので、
それを漫画に例えたもの。
(この出逢いを漫画で描くならば)ということなんだと思います。
「運命と思つて欲しい」相手は誰なんだろうと思った時、
出逢った相手かなとも思えるし、
この出逢いこそ運命と思いたい自分自身なのかも。
木村比呂さんの
散らかった意識をだれが集めるの ぼくは追われる夢を見ただけ
こわい夢とかから目覚めたとき、まだその夢の余韻の中で、
千々に乱れる気持が続く、
あの感じからゆっくり回復していく時間かなって思います。
「意識」「夢」形のないものを形のないままに詠まれてて
あー、なんか分かる、なんか好きだ
と思わせてくれる歌でした。

その他、いいなと思った歌。
太田青磁さんの
ベルが鳴る ステージ袖の緊張を呼吸ひとつで集中にする
ストレートに「集中」を詠まれたさわやかな歌だなって思いました。
これ、もしかしたら太田さんの歌かなぁって選ぶときから思ってて、
そうすると何かの演奏会のステージ袖なんだろうなとか想像してました。
深呼吸をひとつして、呼吸を整えて、緊張から集中へ。
多分何度もそうやって乗り越えてきた「緊張」なんだろうなという気がします。
ステージに上がる直前のその瞬間を詠んで、
それ以前の主体の積み重ねてきたものまで
髣髴とさせてくれるようなステキな歌でした。
くろじたうさんの
意識したわけじゃないのに殿方の下着コーナーで憩っていたわ
思わずふふっと笑ってしまいました。
「殿方」「いたわ」という言葉に女性性への衒いみたいなのが見えて
大袈裟すぎないけどどことなく皮肉っぽい匂いがするところも面白かったです。
しかも「下着コーナー」で憩う。
なんとなく大型のショッピングセンターとか想像しました。
女性用の下着売り場では、女でもなかなか憩うという気になれませんが、
たしかに男性用の下着売り場は、割と風通しもいいし、商品に寒色が多いし、
夏爽やかに憩えるところかも知れません。
わんこ山田さんの
無意識に挿絵がみんな怖かった小公女に似た生い立ちを持ち
なんだか読んでいて疑問符がいっぱい出るような歌だけど、
妙に惹かれる歌でもありました。
「小公女に似た生い立ち」ってなんだろう。どこが似てたんだろう。
お母さんが早くになくなった?親の仕事の関係で離れていた?
お金持ちから貧乏に急転した?
というか、
「無意識に挿絵がみんな怖かった」はそこで一旦切れるのか、
「小公女」に繋がって
小公女の本の挿絵がみんな怖かった
なのか。
わからない、わからないんだけどホント妙に惹かれる、
不思議なパワーのある歌だと思いました。

うたの日(ストロー)


うたの日

8月10日歌題「ストロー」

八月は祈りのかたちさまざまに曲るストロー丁寧に折る(しま・しましま)

この日のお題は「クリア」「アイス」「ストロー」
そうですね、前日のうたの日に影響されているというか、
前日のみなさんの歌から出来たものです。

この日いいなと思ったのは
木原ねこさんの
もしかして試しているのストローの蛇腹を伸ばすほどの決意を
ひとつの決意、試されているんだろうかと思うような決意を
「ストローの蛇腹を伸ばすほどの」と表現されていて、
なんだろうって思いました。
自嘲的なものなのかなとも思ったんだけど、
それよりも、試されているかもと気付いたときの苛立ちと、
こんな些細な決意なのに試す?という乾いた笑いみたいなものなのかも
と思ったり。
どうなんでしょうね。
「ストロー」という軽いものの裏に、
何か重たい気持が隠されているようで惹かれた歌でした。
千花(ちはな)さんの
内臓の輪郭キリリなぞってく冷たい水で目覚める命
こちらは「クリア」のお題でハートを入れた歌。
朝、冷たい水を飲んでからだの中からクリアに目覚める
みたいな感じと思うんですが、
目覚めるのが「命」っていうところ、いいなって思いました。
日々新たに生まれ変わる命って感じで「クリア」感あるなぁ。
それと、
「内臓の輪郭キリリ」がいいなあ。
この感じ、どう表現すればいいんだろうって思って
うたの日に
質感のあるリアルさ
って書いたけど、黒井真砂さんの評の
身体感覚を伴って
という言葉を見て、おおぅそれだ!って思いました。
それが言いたかったんですー。

その他、いいなと思った歌。
ルイド リツコさん
さようならを言うには少し早すぎる さとすみたいに詰まるタピオカ
「ストロー」の題で「タピオカ」の歌が二つあって、歌意も割と似通ってたんですが、
こちらに♪をつけさせていただきました。
タピオカ入りのドリンクのストローって太いやつだと思うんですが、
それにすら詰まってしまうタピオカ。
「さとすみたいに」っていうのがいいな。
タピオカに諭されてるって感じる感性が好きです。
ほのかな切なさとユーモアがあってステキだなって思いました。
きいさんの
紙パックジュースにストローこぼさずに刺せるほどには大人になった
うたの日に、自嘲がすぎるかなっていうことを書いたんだけど、
ふっと自分を振り返ってこの程度には大人になったんだなって思うことって
たしかにありますよね。
自分自身のことっていつ大人になったのか、いつ考え方感じ方が変化したのかとか
わかりにくいんですが、
それでも、ふっと実感として大人になったなって思うことあります。
ちなみに、紙パックにストローを差すときは、対角線の角を支えるとこぼれにくいです。
面を押さえるとぴゅって出ますからね。
ちっちゃい子供に持たせるときもそれを注意すれば車の中でもこぼれません。
めぐみさんの
耐えかねる重い沈黙の数だけ弄ばれる軽いストロー
ぱっと情景が浮かんでくる、あるある……っていうところを詠んだ歌だと思いました。
その情景の中のストローにだけスポットがあててあるのが印象的。
「重い沈黙の数だけ」二句三句目の句またがりが、もったり重く感じて、
余計に沈黙の重さを感じさせるみたいって思いました。
小宮子々さんの
今日という日をクリアしてささやかなささやかなこのハーゲンダッツ
ハーゲンダッツって日常の中のハレ、みたいな、
それこそ「ささやかなささやかな」特別感があるような気がします。
「今日という日」が特別な一日だったのか、日々積み重ねる毎日の中の一日だったのか
それは分からないけど、ゆっくり時間をかけてハーゲンダッツを食べて締める一日の終りに
満ち足りたものを感じてすきな歌です。
門脇篤史さんの
全クリを目前にしたルイージがクッパの前でバグって止まる
ファミコン時代、うーんスーファミもそうだったかな、
昔のゲームってちょいちょいこんなことがあったような気がします。
猫がリセットボタン踏んだり、誰かがコードに躓いてコンセント抜けたり
昔のゲームは割と突発的な危機が隣り合わせで気が抜けなかった。
まあ、それは置いておいて、
この最後の最後のクッパ戦を目前にしてバグってとまるという痛恨のシーン。
それが「マリオ」じゃなくて「ルイージ」ってところが面白いなって思いました。
「ルイージ」ってそういうトホホが気の毒なぐらい似合うキャラクターな気がします。
「マリオ」でやっとけば行けたかも……とかふと頭をよぎりそうで
何ともいえない面白さのある歌だなって思いました。

うたの日(雨の日に見つけたもの・黙)

うたの日

8月8日歌題「雨の日に見つけたもの」

誰もかれも記号みたいな傘さして雨粒よりもひとは大きい(しま・しましま)

8月9日歌題「黙」

冷房のじんわり沁みたカーテンに触れる(黙って帰っていいよ)(しま・しましま)

8日のお題は「今日最初に見た花」「午後」「雨の日に見つけたもの」
この日は歌だけ出して投票することが出来ませんでした。

9日のお題は「黙」「天」「祈」
この日いいなと思ったのは
沼尻つた子さんの
黙祷を終えた私に目をひらくだけのちからがある 生きている
八月九日は長崎に原爆が投下された日。
この歌の黙祷も、
先の広島、この日の長崎で原爆によって亡くなった人達への鎮魂の祷りだろうと思います。
この歌でホントいいなって思ったのが
「目をひらくだけのちから」ということば。
祷りをぐっと自分へ引き寄せて詠まれた力強さを感じました。
黙祷のためにつむった目をもう一度ひらく。
それに使う力なんてささいなものではあるけど、
生きていないと使えない力なんだという認識。
結句の一字空けの「生きている」の実感とも意思表明とも思える言葉もいいな。
ホントに胸にぐっとくる歌でした。
スコヲプさんの
皿はもう下げられていく上に乗るキャベツもぼくもなにも言わずに
も、すごく好き。
あ、このタイミングでお皿下げちゃうんだ……
ってこと多々ありますよね。
この歌で面白いと思うのは、
やっぱり「上に乗るキャベツもぼくも」という並べ方。
下げられていく間、「キャベツ」も「ぼく」も同じ気持を共有して
同じ言葉をぐっと飲み込んで見詰め合ってるような感じがします。
まあキャベツには口も目もないわけですが。
ほのぼの可笑しくて、ほんわり切ないような気持になる歌でした。

うたの日(事件)


うたの日

8月7日歌題「事件」

喉元を過ぎれば笑える事件だとミントキャンディ噛めばひやひや(しま・しましま)

この日のお題は「事件」「午前」「事故」
下の句にちょっと時間のかかった歌でした。
最初「HALLS」だったんですよ。
でもHALLSにすると色々言い過ぎちゃうかなぁと
あえて字数の多い言葉に置き換えてみました。
そうなんだろうなと思っても、
まだその時期に来てないらしくて笑えないんですよね。

この日いいなと思ったのは
井田さんの
怖いよ なんか事件があったとかでマスコミめっちゃ弁当買ってく
めっちゃ臨場感あります。
「怖いよ」のあとの一字空けが効いているというか、
「あったとかで」の「で」が散文的な味わいというか、
上の句がかなりの破調になってるのが、
下の句のそれこそ「めっちゃ」フレンドリーな口語ではあるけど
定型感を維持してるところも面白かったです。
「怖いよ」という心情をストレートに表現してるところも惹かれます。
大きな事件っぽくていろんな想像が出来て楽しい怖い歌。
中村成志さんの
そうねもうあんまり思い出さないねそりゃあ毎日見てる傷だし
これは「事故」の方でハートをいれた歌。
過去に事故で負った傷について、
誰かとした会話を抜き取ったようなつくりが面白いなって思いました。
初句の「そうねもう」の前に見えないタメがあるみたいで、
多分その事故はかなり大きいもので、
だけどそれからずいぶん時間が経っている
というような印象をうけました。
上の句の「そうね」の話し手と下の句の「そりゃあ」の話し手が
同一人物なのか、二人の会話なのか、
傷があるのはどっちなのか
そのあたりがはっきりとされていないのも
読者の想像を広げさせているように思えました。
っていうか、広げちゃいました。

岡本真帆さんの
食卓に兄は姿を現さず車庫のシャベルが昨日からない
ぎゃー!こわい。
兄の身に何か起こったのか、あるいは兄は何をしているのか
主体の心のざわつきがそのまま読者に伝わる歌だなって思いました。
それにしても「シャベル」がすごく面白い味になってると感じます。
なんだろうこの面白さはって思った時に、
「食卓」「車庫」「シャベル」ってSiの音が並んでて、それが全部拗音になってるんですね。
それがリズムをつくってて、こわい歌なのにおもしろい歌になってるところかな
と思います。
あ、
ちなみにわたしの住んでる地方では「シャベル」はでっかいやつで、
「スコップ」は移植ごてぐらいの大きさのやつを言いますが、
作者もそうだと信じて読んでます。
きつねさんの
事故処理に追われて過ごす一日の終わりに君の鼻歌を聞く
この「事故」は自分が起こした自動車事故とかの事故じゃなくて
誰かの事故の(会社でのこととか)ことかなって思います。
肉体的にも精神的にもくたくたになって帰って、
「君の鼻歌」でほのぼのと癒される。
仕事の時間は終ってプライベートのおだやかな時間なんだなって
ほんのりあたたかく感じました。

うたの日(返)


うたの日

8月6日歌題「返」

この雨に気付いて開く傘たちの弾力はたぶん空への返事(しま・しましま)

この日のお題は「不」「過」「返」
うたの日の評にいただいた「たぶん」について、
たしかに「字数あわせ」と思われてもしかたないゆるみですね。
せっかくの「弾力」なんだから、ここは言い切ってしまった方がいいなって
あとから思いました。
とみいえさん、ありがとうございます。

この日いいなとおもったのは
なぜか全て本(図書館の)がらみの作品で、
自分でもちょっとおかしかったです。
ハートを入れたのはスコヲプさんの
休館日ハードカバーを余韻ごと飲み込んでゆく返却ポスト
是非次に借りたいという目当ての本がない場合、
ギリギリまでは借りっぱなしでいたい本ってありますよね。
ステキな本を図書館で借りると、返すのがつらいんですよね。
本を持ってる間は、読後の余韻がずっと身の回りに漂っているような気がして。
ぎりぎりになって、いやいやながら返しに行くんだけど、
たまたまそれが休館日で、返却ポストに入れるしかない。
「ハードカバー」の重さや手触りが手を離れて、
金属の四角い返却ポストの口に吸い込まれていく様子を
「返却ポスト」に視点を当てて、「余韻ごと飲み込んでゆく」
って表現されてるのがいいなって思いました。
蓮さんの
真夜中の返却ポストに投げ入れた月夜を歩く男の話
こちらも「返却ポスト」のうたですが、
主役はポストに入れた本の中身のお話の方。
幻想的なお話だろうと想像される物語が「投げ入れられる」のが
「真夜中」というのがいいなって思います。
月夜を歩いて本を返しに行く男のうたですね。
「真夜中」「投げ入れた」「歩く」「話」とA音で始まる言葉がちりばめられていて、
月夜の明るさを感じます。
月花さんの
それぞれの旅路を秘めた本たちでひっそり賑わう返却の棚
こちらは図書館の中に入って、「返却の棚」を眺めている主体。
図書館の中には当然だけど、いろいろな本があって、
貸し出し禁止の館内の移動のみの本だったり、
入ってきたばかりの本だったり、
もしかしたら今まで一度も借りられたことのない本もあるかも。
でも、少なくとも「返却の棚」に並べられた本は、それぞれ借り手があって、
それぞれの旅を終えてきた本なんですよね。
「ひっそり賑わう」がなんとも言えずいいなって思います。
まるで本たちが、自分たちの旅路をお互いに
語って聞かせているようで。
くろじたうさんの
返したり売ったりしなくていい本をぎゅっと抱きしめ眠れ妹
「妹」と命令形っていう組み合わせはいいなって思います。
それだけで「妹」への愛情が聞かれる気がする。
このうたも「本」が登場するんだけど、
わたしはあまりこれが「本」でないといけない気がしなくて、
「もの」ぐらいでいいんじゃないかなぁと
昨夜思いながらも♪を入れました。
一晩たって思うんですが、
本を売るという選択肢が、わたしにあまりピンとこなかったんだろうな。
ブックオフを愛用しているにもかかわらず。
返さなきゃいけない本は確かにある、
でも
売らなきゃいけない本ってどういうのだろう。
そう思うと、
やっぱり「もの」ぐらいでも良かったんじゃないかなと思ったりします。
で、あらためてうたの日の他の方の評を読んで、
そうか、「本」だからいいのかと思ったり。
ずっと手放さなくてもいい本、
ということかと。
「売ったりしなくていい」というフレーズから実物としての「本」を考えていたんだけど、
そうじゃないんだな。
心に抱きしめて眠れっていう解釈もありかーと、
♪を入れたにもかかわらず、翌日までうだうだと考えてしまううたでした。

うたの日(雑誌)


うたの日

8月5日歌題「雑誌」

古雑誌くくって風の中にいる夕方はもう潮の匂いだ(しま・しましま)

この日のお題は「雑誌」「言」「手帳」
この日いいなと思ったのは
もりさんの
いつの間に埃のかぶる「山と渓谷」部屋に居残るきみの欠片の
桔梗さんの
『俳句研究』九十九年九月号一冊だけを母は購ひ
どちらのうたも、具体的な雑誌名がとても効いてるうただと思いました。
もりさんのうた、
別れて久しい恋人の残していったものを、
片付けようとして、そこに埃がかぶっていることに気が付いた
といううたかなと思いました。
ようやくふっきれたのかも。
今まで見ないように、触れないようにしてきた痛みが、
埃のかぶる「山と渓谷」
だったのかなと思われました。
恋人は山登りの好きな人で、それは共通の趣味ではなくて、
残った雑誌を手に取ることもなかった、
ということかも。
「きみの欠片」という、ともすればあまく切ないフレーズに、
「山と峡谷」という雑誌名が逆に響くなって気がしました。
桔梗さんのうたは、
「俳句研究」という雑誌名にまず惹かれました。
2011年に終刊となった俳句雑誌で、わたしも愛読してたので。
で、
このうたでは
「九十九年九月号一冊だけ」を母が買っていたといううた。
どういう理由があって、その一冊だけ買ったのか、
それはきっとお母さん自身にしか分からない理由なんでしょうね。
もしかしたら、誰かの句がその号にだけ載っているのかも。
「購ひ」と連用形で止めてあるところから、
その後の「……」が感じられて、
主体もその理由ははっきりと分からないけど、
お母さんはその一冊だけの「俳句研究」を大事にされていた
という感じを受けました。

うたの日(人形・口)

うたの日

8月3日歌題「人形」

お人形並べてお茶の時間です鏡にうつらない子はだあれ(しま・しましま)

8月4日歌題「口」

今宵わたしを食べちゃうために生まれてきた大きな口だと思えば愛しい(しま・しましま)

3日のお題は「人形」「影」「魔法」
この歌を一旦出したものの、
ちょっとあますぎるかなぁとか、
「お人形」「お茶の時間」と「お」がつくフレーズが並ぶと居心地悪いなとか
思って
あなたとはもう遊べない リカちゃんの髪のきしきし撫でれば日暮
に差し替えたつもりだったんですが、替わってなかったという。
多分途中で作業を止めちゃったんでしょうね。
4日のお題は「口」「川」「越」
もうめっちゃ字余り。
77688というほとんどの句が字余りになってます。
わたしの頭の中では、
ゆっくり読み出して、だんだん早口になっていく感じなんですが、
他人が読むとどうなんでしょうね。

3日4日でハートを入れたのは
テレカさんの
ガムテープ貼りつけられても黙ってたあの日の私は人じゃなかった
「人形」のお題のうたです。
「ガムテープ貼りつけられ」たという「あの日」が、
どういう状況下だったのかはわからないんですが、
「人」でなくて人形にならざるを得なかった主体が、
まだヒリヒリと癒えずにいる辛さに胸がずんとなりました。
杏野カヨさんの
魔法ひとつ覚えたハイビスカスがあり花屋であなたに選ばれてった
可愛くてステキな歌だなって思いました。
わたしの大好きな児童文学作家ルーマ・ゴッデンの作品を思い出しました。
ゴッデンの作品は「人形」をモチーフにした作品が多いんですが、
人形たちが出来ることはただ願うだけ、
そしてその強い願いが物事を動かしていくというテーマの作品がいくつかあります。
「クリスマス人形のねがい」という作品では、
この子のところに行きたいと願うクリスマス人形が、
この人形が欲しいと思ってる孤児の少女のところへ行くお話。
カヨさんの歌の「ハイビスカス」も、強い願いをたったひとつの「魔法」で叶えたという、
花もそれを買った「あなた」と主体に呼ばれる人物も幸せでステキだなぁ。
中牧正太さんの
大口の取引先の受付のそうでなければ惚れそうな人
4日の「口」のお題の歌。
「そうでなければ」が効いてて面白いなって思います。
受付のお姉さんってキレイな人が多いですが、
それだけじゃない魅力のある女性だったんでしょうね。
しかし「大口の取引先の受付」というある種の枷を考えると、
ちょっと乗り越えられないなと思う
その「程」良さが受付のお姉さんにすごくぴったりくるなぁ。

その他いいなと思ったのは
こりけケリ子さんの
ありえないほど濃い顔の人形を拾ってしまったら森にいたの
シュールで面白い歌。
「ありえないほど濃い顔の人形」ってどんなだよっていう好奇心と
「ありえない」のは拾ったら森にいたというとこだろって突っ込みが抑えきれない
楽しい歌だと思いました。
小宮子々さんの
(繋がりが欲しい、それだけ)人形の片手を餌に垂れる釣糸
こちらもシュールだけど、()内の主体の気持が「それだけ」といいつつ切迫感があって
切ない気がする歌でした。
餌になりそうな手持ちが「人形の片手」だけだったんでしょうか。
もっとほかになかったのかって思うけど、
きっと人形しかなくて、
頭、胴、足を切り取って餌にするのは躊躇われたのかな。
雀來豆さんの
コウモリやイモリが無い日の婆ちゃんは鰹と昆布でスープを作る
「魔法」のお題の歌でした。
この「婆ちゃん」は実在の「婆ちゃん」なんだろうなと
なんとなく思います。
とても魔法使いのお婆さんっぽい雰囲気の「婆ちゃん」だけど、
ステキに味噌汁が美味い人。
そういう「婆ちゃん」なんじゃないかな。
たまたま主体が見るときは、「コウモリやイモリ」がないから、
「鰹と昆布」で味噌汁を作ってるけど、
もしかしたらそれらが有るときは……
というかわいい歌で「婆ちゃん」への思いも聞かれる歌だと思いました。
蓮さんの
何度でもそこにあること確かめる口内炎の優しき痛み
4日の「口」のお題の歌。
あー、分かるーという共感の歌でした。
「口内炎」を「優しき痛み」という感覚的な捉え方もいいなと思いました。



うたの日(おっぱい・両)


うたの日

8月1日歌題「おっぱい(小さい)」

わたしにも征服したい夜がある(あたらないから)あててんのよ(しま・しましま)

8月2日歌題「両」

会いたいと思えば会える人であり両の腕にシャワー溢らす(しま・しましま)

1日のお題は「おっぱい(大きい)」「顔」「おっぱい(小さい)」
せっかくだからオレはこの小さいおっぱいを選ぶぜということで、
事故的に胸のふくらみが当ることは
小さいおっぱいにはないんだぜという歌。
この日いいなと思ったのは
あみーさんの
どさくさにまぎれて揉んだおっぱいの感触がいつまでも大事だ
大きい方のおっぱいでハートを入れたのがこの歌でした。
すごく面白かったです。
どさくさにまぎれて/揉んだおっぱいの/感触がいつまでも大事だ
あるいは
どさくさにまぎれて揉んだおっぱいの感触が/いつまでも大事だ
で軽く切れるんでしょうか。
句またがりを重ねて切れ目なく散文風に繋がってて、
勢いがある歌だと思いました。
「どさくさにまぎれて」から「いつまでも大事だ」までのスピード感。
その真ん中にある「おっぱい」の存在感がいいなと思います。
かつらいすさんの
こんなにもちいさい胸で六匹の子犬は育つ きみも母なり
こちらはちいさいおっぱいの歌。
愛犬が出産して、一生懸命育児中なんですね。
母犬のけなげさと、全力で命をはぐくむ姿。
一字空けのあとの「きみも母なり」という詠嘆の言葉がすごくいいなと思いました。

2日のお題は「パンツ(男性用)」「両」「パンツ(女性用」
この日はひるの日の「両」だけ選句しました。
野崎アンさんの
風景を取り残しながら北へゆく二両電車の一番うしろ
情景がぱっと浮かんでくるような印象的な歌でした。
ローカル線でしょうか。
電車のうしろの窓から見える景色だけじゃなくて、
主体にまつわるさまざまなものを取り残していくような、
淋しさを感じる歌でした。

その他、いいなと思った歌を二日分。
沢田さんの
肩ひもが食い込むのよと気だるげにミルクバーを舐める団地妻
「肩ひも」「気だるげ」「ミルクバー」「団地妻」どこを切り取っても淫靡でステキ。
昭和のエロを感じます。
大葉れいさんの
悪いけど小さいからと予告した夜のあなたの模範回答
「悪いけど」というちょっと投げやりな初句にドキッとしました。
きっちり張った予防線を軽々と越えてみせた「あなたの模範解答」
これはたしかに記憶に残るなぁ。
冨樫由美子さんの
Aカップアンダーバスト65トリンプ「天使のブラ」で飛べそう
念入りに具体的なサイズと社名プラス商品名の並べ方が面白いなって思いました。
「Aカップアンダーバスト65」上の句がきっちり575になってて、
しかもA音の明るさ、撥音促音拗音をとりまぜてあるリズムが絶妙。
「飛べそう」というやや唐突な結句の飛躍もいいなと思いました。
永昌さんの
平成が四十年になる頃に湘南あたりにトップレス伝来
十六世紀中頃の種子島に鉄砲伝来、みたいな面白さ。
西暦で表現してあったら、よりそれに近くて面白かったかもとか思いました。
多香子さんの
両国に突然雷雨とどろけば江戸博物館が斜めに濡れる
ハートを迷った歌でした。
もうとにかく印象あざやか。固有名詞が効いてると思いました。
「斜めに濡れる」もいいなと思いました。
「両国」「江戸」というフレーズとあいまって、
北斎の描く雨が現代に降っているような歌だと思いました。
桔梗さんの
月光をきみと思へば寝転んで剥き出しのままひらく両腕
「剥き出しのまま」というフレーズが、「両腕」のことの様でもあり、
主体の心のことの様でもあって、キレイで切ない歌だと思いました。
多田まるさんの
両替のようだ心に入り込めるくらいに想いを小さくわける
そのままじゃ大きすぎてうまく伝わらない想いを、
様々な形に変えて伝えるということかなと思います。
それをお札を小銭に替える両替に例えたところが面白いと思いました。

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