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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(遅刻)


うたの日

9月29日歌題「遅刻」

この分じゃ遅刻になるね次の世でリョコウバトとかなりたいけれど(しま・しましま)

この日のお題は「遅刻」「迷子」
リョコウバトは、
18世紀ごろは鳥類の中でも最も多い数を誇ったと言われる渡り鳥。
北アメリカに生息してて、
五大湖からメキシコ湾あたりを渡ってたらしいです。
それが19世紀にがんがん数を減らしてって、
19世紀の終わり頃、
さすがに絶滅を心配して保護へという方向へ向かうんだけど、
ものすごい数がいた、ということは、
その数がなければ生きていけない弱い個体だったということで、
一定数が保てなくなってからはただ絶滅していくだけだったみたい。
保護、という意識が出てきて10年ぐらいで、
最後の野生のリョコウバトが死んで、
それから10年足らずで、
飼育されてた最後の最後のリョコウバトも死んじゃって、
完全に絶滅した訳なんですが、
それから100年、
今またリョコウバトを科学の力で復活させるプロジェクトとか
あるらしいです。
気になる鳥です。

この日いいなと思った歌。
門脇篤史さんの
食パンをくわえて走れ地の文はきみをはげましているはずだから
「地の文」がいいなぁ。
誰もがそれぞれを主人公にした物語を生きてる
って感じがします。
主体が、遅刻しそうであわてている誰かを見て、
そう思ったって歌なんでしょうね。
「地の文はきみをはげましているはずだから」
「きみ」を中心とした世界は、「きみ」をはげましてる。
そして、そう思ってる主体も「きみ」にエールを送ってる。
ってところがすてきです。

気球さんの
来ぬヒトを何分待つかの判断がじょうずな人の横で頷く
藤原定家の
来ぬ人を まつ帆の浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ

の本歌取りの歌かな。
ずらし方が面白いなぁって思いました。
遅刻の人を、どの程度なら待てるか
って、実際何度か待たされる羽目になった人なら
考えちゃうところですよね。
この歌の主役が、待つ人でも待たされる人でもなくて
「何分待つかの判断がじょうずな人」
っていうのが、すごく面白かったです。
しかも「横で頷く」が可愛くて楽しいです。
判断がじょうずな人の話って、
その説明も上手なんでしょうね。
もう、ただただ頷くしかないような。
雪間さとこさんの
きょう一日ペンギンになると決めたのでぺたぺた歩いて遅刻しました
うん、やっぱりペンギンとか可愛いですよね。
わたしもなりたいです。
でも、わたしがペンギンになったら、
多分それを理由に約束はノーカンにしちゃいそうですが。
「ぺたぺた歩いて」
の語感のペンギンっぽい可愛らしさがいいですよね。
しかも、外から見たら、ペンギンになりきった「人」が
そうやって歩いてるんだって思うと、
面白いなあって思いました。
木原ねこさんの
食パンをくわえて家を飛び出して期待しすぎたのが理由です
遅刻の言い訳だと思うんですが、
「期待しすぎた」から遅刻したって、
面白くて、可愛くて、
それからじわじわ悲しくなってきますね。
「食パンをくわえて家を飛び出し」
ってことは、
つまり出会いがしらに運命の人とぶつかる、という出逢いへの期待で、
それを期待してたけど、叶わなかった。
しかも、遅刻するほど期待してたってところが……
もう、じわじわ悲しい気がします。
ぎょめさんの
すいませんでしたと言うためだけに着るスーツ灰色でも明るすぎる
「すみませんでした」が、遅刻したことの謝罪なんだと思うけど、
他のいろんなシーンに当てはめられるので、
「遅刻」というお題から離れて鑑賞した方が、
ずっと面白いうたなんじゃないかなって思いました。
でも、ホントいいうただなって思います。
主体はサラリーマンなんだと思うんですが、
なんか、いろいろと上手くいかない残念な感じの人なんだろうなぁ。
で、遅刻しかり、他のことなんかでも、
なんだか毎日あやまってばっかりで、
仕事のためにスーツ着てるのか、謝罪をするためにスーツ着てるのか
って暗い気持になっちゃう。
句またがり+結句の字余りが
気持のどよどよんとした感じと合ってて、
そこもいいなぁって思いました。
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うたの日(ぬいぐるみ)


うたの日

9月28日歌題「ぬいぐるみ」

ぬいぐるみみんなティッシュで寝かしつけられてことりとも出来ない夜(しま・しましま)

この日のお題は「ぬいぐるみ」「ガム」
31文字の破調、というのをやってみましたが、
やっぱり破調は読みづらいですね。
っていうか、あえてやるようなことでもなかったなぁ。

ところで、この日は「ぬいぐるみ」の評をつけておいて、
選自体をしてなかったという失敗。
したつもりだったんだけど、途中のまんまだったんでしょうね。
特選に入れるつもりだった歌が、
花束に一点たりない状態だったのを見て、冷や汗が出ました。
うわーん、ホント申し訳ないです。

この日いいなと思ったのは
秋山生糸さんの
くま、いるか、いぬ、ねこ、ゴジラ全員に避難袋を子は用意せり
うーん、すごく好きです。
お家で人間用の避難袋が準備されて、そのまねっこでしょうか。
それとも、テレビ等で災害の様子を見て、強い印象を持った子供が、
自分自身で考えて、ぬいぐるみたちにも準備してやったんでしょうか。
ありったけのかばんや袋状のものを
総動員した「避難袋」を想像しました。
もしかしたら、最後の方のぬいぐるみは買い物袋になったかも。
中身も、ハンカチとか積み木の三角のひとつとか、
ティッシュとかトミカとか、
そんなもので、それを何に見立てて入れたのか、
その子がひとつひとつ主体(お母さんかな)に
説明しながら準備したのかなと想像して、
微笑ましくも、何か心が痛いような気がしました。
「くま、いるか、いぬ、ねこ、ゴジラ」と、
ぬいぐるみひとつひとつを数え上げるような上の句に、
熱心にたくさんのぬいぐるみたちに避難袋を準備する子へ
じっと温かい眼差しを向けている主体が感じられていいなぁ。
わたしが選を失敗しなければ、秋山さんも花束だった……
と、思うとホント申し訳ないです。
こりけケリ子さんの
ものすごい頓智つかいの少年がコーヒーガムをかみながら来る
ものすごいおもしろい歌でした。
「ものすごい頓知つかいの少年」という、
よくわからないけどすごさだけは伝わってくるキャラクターと、
「コーヒーガム」のインパクト!
しかも
「かみながら来る」
と言われて、なにやら道の向うからゆっくりと歩いてくる少年が
わたしの目の前にやってきそう。
しかし、
そうか「コーヒーガム」か……
と、もうこのガムのチョイスだけでも
特選級の味わいがあるなぁって思います。

楽水童子さんの
テディ・ベアに綿をつめこむ手をとめて君は何をか聴く十三夜
わたし自身は作ったことがないけど、
大昔いもうとがよく作っていたことを思い出しました。
テディベアの綿詰めって、
かなりぎゅうぎゅうかたくかたく詰め込むんですよね。
綿の詰まり方の様子を見ながら。
このうたの「君」も、休憩を入れたり、
綿がしっかり詰まってるか確認したりするのに、
「手をとめ」たのかと思います。
その姿を、
「何をか聴く」と主体が見ているところがいいなぁって思います。
近くにいて、「どうしたの?」「何を聴いてるの?」って
聞かないで、ただ、「何をか聴」いてるんだなって思ってる。
そこに、熱心に作業してる「君」を邪魔しないように、
すこし離れたところで見守ってる主体の立ち位置を感じました。
「十三夜」のしずかな夜のたたずまいもいいなぁって思います。
永昌さんの
鬼らしく生きるためにはいらぬもの桃にくるんで川に流した
最初見たとき、
ぬい…ぐるみ…?
って疑問がふっと湧きました。
でも、じわじわ面白くて、じわじわこれは深い何かがあるのかも
って気になってきます。
鬼が島の鬼が、立派な鬼となるために、
幼い頃から愛情を注いだ何かを捨てる
という通過儀礼があったら、
と思うと、ぐっときますね。
このうたの場合は、それが多分ぬいぐるみだったんでしょう。
川下に住む老夫婦が川から拾い上げたのは、
たまたま赤ん坊入りの桃でしたが、
桃を切ったら、なにやら古びたぬいぐるみやら玩具やら入ってた
ということがあったら、
それはそれで、面白いなぁ。
冨樫由美子さんの
この部屋を訪れるたびふえてゐる繁殖力のつよいミッフィー
思わずふふっと頬が緩むようなたのしい歌でした。
訪れるたびに数が多くなっているミッフィーのぬいぐるみを
「繁殖力のつよい」と表現されているのが
たのしいですね。
ミッフィーのぬいぐるみって、
なんとなく赤ちゃん用かなって気もしましたが、
「この部屋を訪れるたび」の「部屋」とあるので、
一人暮らしの女性なのかも知れません。
ぬいぐるみをどんどん増やしていく部屋の主ではなくて、
ミッフィーそのものを詠んでるところもいいなって思います。
小川けいとさんの
ガムを噛むふりをしてみる ショーウィンドウ映る私はガムを噛んでる
「ガム」のお題のうたは、
ダントツで好きなものが二つあって、
このうたも、ハートで選を入れたい!という気持でした。
街角のガラスに自分が映っているのを見て、
ふと「ガムを噛むふりをしてみる」
そしたら、ショーウィンドウに映った自分は
「ガムを噛んでる」私になってた。
という歌ですが、
日常のなかの、ふっとした空虚さが感じられて、
いい歌だなぁって思います。
自分と、ガラスに映る自分が乖離してしまう一瞬を、
「ガムを噛むふり」で自分から作り出しているところが、
なんとも言えず好きです。

うたの日(9月27日)


うたの日

9月27日 投稿なし

この日のお題は「料理」「ガラス」

この日いいなと思った歌は
こりけケリ子さんの
間違えてアンコウなんて買ってきていきなり鍋が光りはじめる
スピード感あふれる流れと、
いきなり光りはじめた鍋が神々しくていいですね。
何と間違えたらアンコウ買ってきちゃうんだろう。
なんだかとても魅力的でした。
西村湯呑さんの
廃校のガラスはほわりあたたかく完結せずともよい物語
「廃校」を描いて、こんなにあたたかい雰囲気っていうところが
まずとにかく魅力的でした。
「廃校のガラスはほわりあたたかく」という上の句ですが、
廃校になってある程度時間の経った、
ほこりでうすく曇った窓ガラスなどを連想しました。
侘しいといえばわびしい情景ですが、
たしかになんとなくほわりとしているような気もします。
ガラスの持ち味である硬質でクリアなところが、
経年によってつもった埃で「ほわり」に見える。
廃校をそういう風に見る「目」がすてきだなぁ。
下の句の
「完結せずともよい物語」
そこにあるだけで、それでいいってことやものって
沢山ありますよね。

天野うずめさんの
駅前にフィリピン料理の店がありいつも何かのゴミがでている
少しだけ、この歌を採るのに躊躇しました。
ぱっと見は駅前にある料理店を外から見た軽いスケッチ的なんだけど、
なんとなく、不穏な感じがします。
飲食店脇にゴミ袋が出ているというのは、
営業時間外とかごみ収集時間前であれば、
割と普通の光景なんじゃないかなと思うんですが、
主体、あるいは作者は、「駅前のフィリピン料理の店」に注目してます。
で、「いつも何かのゴミがでている」という。
主体は、駅前のそのフィリピン料理の店に行った事がなくて、
というかフィリピン料理がどういうものかもあまり分からない人なのかなって
そう思いました。
分からないけど、なんとなく気になる店でもある。
どういう料理がどんな風に出ているだろう、
そんな、想像が追いつかない謎の料理店で、
いつも出ているゴミ袋、その中にも、何か分からないゴミが入っているかもと
そう思って見るから気になって「いつも何かのゴミがでている」
って見えちゃうのかなぁって思いました。
大葉れいさんの
息詰めてカバーガラスをかけるとき世界のふちに触れている指
理科の実験とかでさわったっきりの記憶ですが、
スライドガラスの上に被せる、すっごく薄い正方形のガラスのことかな
って思いました。
プレパラートを一つの世界と感じるところがいいなぁと思います。
緊張した指に掛かるガラスの感触もいいなぁ。
「息詰めて」と、自身の肉体的なことから、
四角いガラス二枚に閉じ込められた「世界」へ、
そしてそこからまた「指」という自身の肉体へ戻っていくところが、
上手いなぁって感心しきりでした。
中牧正太さんの
振り上げてしまった槍をおろせないガラスケースのスパゲッティも
なんだろう、なんとなくユーモラスなトホホ感の漂う、
やり場のない怒りの歌かなって思います。
振り上げてしまっておろせないって、普通だと拳とか、刃とかになるのかな。
でもここで登場する振り上げてしまったものが「槍」っていう。
どこかの部族っぽくて面白いなって思います。
この「槍」が、下の句の、
半分パスタが巻き上げられた状態で固まっている、
例の見本のスパゲッティのフォークと響き合うんですが、
それにしても「槍」を振り上げているのが日常生活と乖離しすぎてて
面白いなって思いました。

うたの日(9月26日)


うたの日

9月26日 投稿なし

この日のお題は「葡萄」「鬱」
画数多いお題ですね。
「葡萄」の選だけさせてもらいました。

この日いいなと思ったのは
千花さんの
結論に届かないままデラウェアちびちび両端からむしり合う
「デラウェア」って葡萄の品種の感じがすごくする歌でした。
粒が小さくて「ちびちび」って感じでむしるのもそうだし、
すごく甘いから一房を二人で分けあうのも、そうそう!って思います。
で、これは作者が意図して置かれたのか分からないけど、
真ん中に「デラウェア」という言葉が置かれているのが、
まんまデラウェアの現在の状況みたいで面白かったですね。

恋人同士かなぁって思って読みました。夫婦でもいいんだろうけど。
テーブルに向かい合ってデラウェアを食べながら、
話をしてるんだけどなかなか結論にいかない、と。
話があっちいったりこっちいったりしてっていう感じじゃなくて、
ちょっとずつしか進まない、
葡萄一粒ごとに一言ぐらいの速度なのかなぁって思ったりしました。
「むしり合う」ってフレーズがちょっときつくて、
どういう話だったんだろう、
ほのぼのした話ではなさそうな……って思いました。

門脇篤史さんの
なにひとつ希望を持てぬゆふぐれに食べる種なしぶだうぞ甘き
まず上の句が重いです。
この上の句の重さを、下の句のぶどうの甘さが救って……
…救ってない…?!
というところが、実は好きです。
このぶどうが「種なしぶだう」ってところですよね。
希望って、未来へ持つものだと思うんですが、
それを「なにひとつ」持てない、しかも一日の終り近くで、
種子を内包しない果物を食べる。
なんて重たいんだって思いますね。
種なしぶどうって、そういう種類があるんじゃなくて、
受粉させずに実をつくらせるらしいですね。
それを考えると、
「種なしぶだうぞ甘き」の「ぞ」という強調が沁みるような気がします。
えんどうけいこさんの
オザケンの95年武道館ライヴの余韻で今も生きてる
ぱっと見で、
おいおい長い余韻だなぁって思ったんですが、
その後で、じわじわと、
でも、そうだよねぇ、そういうことってあるよねぇ……
ってなってきました。
「オザケンの95年武道館ライヴ」の具体性が、
あとからあとからじわじわきますね。
くろじたうさんの
会議後にすぐほしぶどうばらまいてようやくサンタに転職できた
楽しい歌でいいなぁって思いました。
初句の「会議後」でスーツ着たサラリーマンが、
「サンタに転職」で、もうあの赤い上下のサンタ服を着込んでるところが
想像されてたのしいなぁ。
ばらまいてサンタに転職できるものって、
「ほしぶどう」以外にあるだろうかって考えたとき、
うーん、やっぱり「ほしぶどう」動かないなぁって思います。
ドライフルーツってクリスマスイメージありますし、
中でも「ほしぶどう」のフレンドリーさは別格な気がします。

妖精化師さんの
寝返りの打てないままの病室で食べるぶどうに季節感じる
この歌、選ではとらなかったんですが、
作者がわかってから、ああーってなったもの。
作者さんは現在入院中っていうのは知ってたので、
そうか、めっちゃ実感の歌だったんだなぁって思いました。
こういう鑑賞の仕方は、いいかどうかわかりませんが、
作者がわかって、より深まるというのは、
実際のところ短歌でも俳句でもあると思います。
「病室で食べるぶどうに季節感じる」というフレーズが、
いささかストレートすぎるような気がして採らなかったんですが、
あれこれ捻らずに、素直に今の気持を表現されているのが、
実際現在入院中の作者の心情と思うと、
このストレートさがいいんだなぁって思います。
現金かもしれませんが。

うたの日(9月25日)


うたの日

9月25日 投稿なし

この日のお題は「ごっこ」「りおこさんの写真」
「りおこさんの写真」は、
写真をテーマに詠む、というものだったみたい。

この日いいなと思った歌は
気球さんの
鬼ごっこ鬼のまんまで帰る日の気を許したらすぐ脱げる靴
うわー、めっちゃ好き!
って思いました。
下の句がホント好き。
「気を許したらすぐ脱げる靴」
そういえば、子供のときってなんかしょっちゅう靴が脱げてたような。
えっ、それって靴が脱げそうだから
しっかり追いかけられなくて、鬼のまんまだったんじゃないの的な
雰囲気をただよわせつつも、
そうじゃないんだよ、逆なんだよ!
って、この歌のこどもに同化して言いたくなっちゃう。
足遅いからね、仕方ないよねって自分でもわかってて、
基本的に鬼ごっことか嫌いじゃないんだよね。
でも、やっぱりずっと鬼のまんまっていうのはツライよね。
木原ねこさんの
不都合を何かのせいにしたくって「いるんでしょう?」と問う部屋の隅
とある部屋の一部を写した写真がお題になってるんですが、
わー、そうそう、あるある!
って同意する気持と、
今現在、たしかに主体に何か「不都合」があるらしい感じが
なんかいいなぁって思いました。
実際いたら困るんですけどね、
でも、そんないたら困るなにやらでも、
そいつに濡れ衣かぶせられるなら居てほしい、
その気持は痛いほどよくわかりますね。うん。

冨樫由美子さんの
鬼ごっこのさいごの鬼になった子が帰る影には角がいっぽん
この歌を読んで、
わたしは絵本「おにたのぼうし」を思い出しちゃいました。
節分の夜の切ない鬼の子のおはなしですが、
あの鬼の子が、
こどもたちの鬼ごっこに混じって遊んでいるような
そんな感じがして、
じわんとあったかかったり切なかったり。
意識して「おにたのぼうし」イメージを切り離して読むと、
一人で帰っていく子が、夕日の中にいて、
そこからにょいんって長く影が伸びて、
他の子ども達の足元にその子の頭の部分の影があって、
そこにぽっちり角がいっぽんある、
みたいな感じかな。
楽水童子さんの
まともぢやない まともぢやないと狼狽へる遊びに上手く馴染めずにゐる
「まともぢやない まともぢやない」
のリフレインがすごくいいなぁ。
そこに続く「狼狽」(と書いてうろたえると読む)というフレーズがあって
何か非常に切迫感があります。
子供の頃って、
恐ろしく内輪受けのハイテンションさが突然湧き出して、
それが皆にあっという間に伝染したりしますよね。
たまたまその伝染をまぬがれてしまった子供は、
きっとこんな感じなのかも。
えっ、何?なにが面白いの?えっえっ??
みたいな感じで内心パニックなんだけど、
それでも一応それっぽく輪の中に混じってたりして。
この歌の遊びがどんなものなのかは分からないけど、
暴力的だったり不道徳的な遊び
という風にはわたしは受けとらなかったんですが、
そっちの方で読むとまた雰囲気が変わりますね。
桔梗さんの
この壁の向かうで眠つてゐるひとも泣いて生まれたひと、だと思ふ
写真で詠む、というのがわたしにはとても難しくて、
しかも今回の写真は、わかる人だけにわかる現場の状況もあったりして、
どう鑑賞すればいいのかなぁって思いました。
この写真の主(というのかな)さんを
ツイッターでフォローさせて頂いてることもあって、
わたしは「この壁の向かう」の人が、この部屋の主にとってどういう人なのか
ぼんやり分かるわけですが、
そういう「なんらかの関係性」のある人物を、
とてもすてきな視線で詠まれた歌だと思いました。
結句の「ひと、だと思ふ」の読点がいいですよね。
一瞬の迷いと、自分にそう言い聞かせる時間のような気がします。
上から目線で、こう見ればいいんだよっていうんじゃなくて、
そう思いつつも迷いがあるところが、
繊細ですてきだなぁって思いました。
うーん、良く考えたら
この写真がなくても、やっぱり鑑賞が変わらないかも。
やっぱりいいですよね。うん。
沼尻つた子さんの
味噌汁の精が助けたお礼にとくれたエアコン(設置料別)
この写真に、インスタントの味噌汁と
未設置の窓付けエアコンが写ってるので
それらを詠まれた方多かったですね。
そこから、にょいんって飛躍して、
「味噌汁の精」を登場させたところがすごく面白かったです。
「助けたお礼」って「助けたお礼」って……
て思わせるところがまたいいですね。
お礼の品については、
この写真のエアコンが窓付けじゃなくて壁付けだったら、
結句がより効いて面白かったんじゃないかなぁって思います。
窓付けって基本購入者が自分でつけると思うので。

うたの日(コピー)


うたの日

9月24日歌題「コピー」

夕暮れはあたたかきものを欲しがりて幾枚かほどコピーを取りぬ(しま・しましま)

この日のお題は「コピー」「キー」
ふんわり文語w
「取りぬ」で留めたかったので、
他の箇所もそれに倣ったって感じです。

この日いいなと思ったのは
萩野聡さんの
コピー機がどんどん白を吐き出して静かなオフィスがすこし満ちていく
うたの日にも書いたけど、
この「静かなオフィス」は、もともと社員が少ないか、
あるいは営業さんが外出した後とかの、
部屋の中の人数のすくないオフィスを想像しました。
静かなだけじゃなくて、ちょっとがらんと淋しい感じ。
そこに、コピーされた紙が吐き出されてて、
それを「オフィスがすこし満ちていく」
っていう風に表現されてるところが、
なんだかいいなぁって思いました。
桔梗さんの
お土産のキーホルダーは渡せずにきつね二匹を一緒につなぐ
きつねのキーホルダーをお土産にするって
なんとなく懐かしい感じがして、
もうそこからいいなって思いました。
しかも、お土産なのに渡せなくて、
その上、自分用に買った同じキーホルダーにつないじゃうという。
なんて可愛くて切ないうたなんだろう。
「キーホルダー」、もちろん今もお土産売り場に並んでる
現役グッズだとは思うんだけど、
そこはかとなく昭和の香りがして、
これは回想の歌かなぁって思います。

きつねさんの
ああそうだコピーバンドがオリジナルソングを歌えばこんな空気だ
「ああそうだ」と言われて、
すんっと腑に落ちる空気がなんとも言えないですね。
可笑しいんだけど、そこを笑っちゃいけないような……。
文乃さんの
わたくしのコピーロボット三人と仲良く家事を分けあう未来
「コピーロボット」っていうと、
真っ先にパーマンやドラえもんが浮かんでしまうけど、
もしかしたら、別にそういう奴ではないのかも知れませんね。
最初からオリジナルをコピーして作られるロボットを
注文制作してくれる、そんな未来があるのかも。
良く考えると
そこまで高度なテクノロジーがありながら、
三人で分けあうほどの家事があるところも
なんとなく微笑ましいような、
逆に怖いような気がします。
太田宣子さんの
かんたんに複製されて鰯雲いちまい増えたうろこがひかる
この歌の意図するところは、正直分からなかったですが、
「うろこがひかる」がなんとなく気持悪い感じで、
それが「鰯雲」、
鰯の群のように空いっぱいに小さな雲が無数に浮かんでる様子のことですが、
空いっぱいの鰯(のような雲)の
たった一枚増えた鱗
の、ひかり。
上の句の「かんたんに複製されて」というフレーズが、
そのひかりと結びついて、
現代のコピー関係の問題について言われているような気がしました。
ももさんの
流し目で手を重ねられ残業のオフィスでF1キーをたたく
セクハラでしょうか?セクハラ上司でしょうか?
気持の悪いセクハラ上司に、きっぱりと意思表示できなくて、
必死で声なき「help」を叩き続けるOLさん。
無事逃げられたのかが気になるところですが。
希和子さんの
例に洩れずわたしも冷たいキーを持つただ一つのドアまた開ける為
この歌も、実はいまいち歌意はつかめてないんですが、
うたの日にも書いたように、
「例に洩れず」と、いきなり「皆がそうだけど」的に世界を広げてて、
最終的に一枚のドアへ収束していく形式が面白いなと思いました。

うたの日(うまい棒)


うたの日

9月23日歌題「うまい棒」

うまい棒でつくったお家がさがさと少年少女(その他)を誘う(しま・しましま)

この日のお題は「うまい棒」「死語」
めっちゃむずかしいお題でしたね。
普段はよるの日の方に出すことが多いんですが、
ひるの日に出してみました。
そして、ほぼ玉砕に近かったw
♪一つでも、身にしみて嬉しいです。

この日いいなと思った歌。
文乃さんの
うまい棒ぐしゃりと潰す野蛮さで少年たちは夏を越えてく
うまいなぁって思いました。
いや、うまい棒だけに、じゃなくて。
この歌の「少年たち」、わたしの中では小学生じゃなくて、
もうすこし年長の、中高生を想像しました。
「うまい棒ぐしゃりと潰す野蛮さ」という「野蛮さ」の度合が、
ほどよく文明的で、小学生の野蛮さとは一味違う……
ような気がします。
夏を越えて、少年から青年へと移り変わっていくはざまの感じがして
好きな歌でした。

気球さんの
渡された残念賞はうまい棒 鞄の余白にふわっと入れる
この歌も、ハート級に好きでした。
「残念賞」って、まあつまりは参加賞みたいなもので、
賞品があったとしても「残念」なんですよね。
何の残念賞なのかは分かりませんが、
わたしはくじ引きのようなものの残念賞ではなくて、
何かのイベントに参加して、賞をもらいそこねた残念賞と想像しました。
ぎゅっと握れば簡単につぶれてしまうようなうまい棒、
そんな残念賞と、主体の残念な気持を、
そっと鞄のすきまに「ふわっと」入れる感じ、
あー、なんかいいな、ふわっと残念だったんだろうな
って思いました。
ただ、「鞄の余白」という表現が、わたしにとってはピンとこなかったです。
月花さんの
くじ引きの残念賞のうまい棒10本もらう豊穣の秋
こちらの「残念賞」ははっきりと「くじ引き」ですね。
しかも、10本という、残念賞としてはちょっと豪華な感じ。
この歌で、わたしが好きなのは「豊穣の秋」という結句。
「hojo no aki」字面もそうだけど、音的にもすごく豊かな感じで、
「残念賞」なのに、なんだかとても豊かな広がりがあって、
すてきだなぁ。
「うまい棒10本」に対して、この大袈裟な豊かさが、楽しいです。
永昌さんの
もういっそ認めてしまえうまえもん君は猫型ロボットだろう
「うまえもん」ってwww
うまい棒とどらえもん混じってる、いや似てるけど!
と、めっちゃ面白かったんですが、
調べてみたら、あのキャラクターの正式名称が「うまえもん」だったんですね。
そうか、そうなんだ。
今回別の方が読まれていた「うまいBOY」
なぜか私はそっちがあのキャラクターの正式名称だと思ってたんですが、
あっちは愛称みたいなもんだったんですね。

というわけで、
最後にわたしの好きなうまい棒のフレーバーを発表して終ります。
ちゃっちゃらちゃっちゃちゃーっちゃちゃーっ
はい
チキンカレー!

うたの日(人)


うたの日

9月22日歌題「人」

さて、みなさん。解答用紙を裏返しにしたまま大人になってください。(しま・しましま)

この日のお題は「鳥」「人」
大人になるまでに出てきた問題を大人になるまでに解答しないといけない
ってことはないんじゃないかなって思います。
なんか、
めずらしくメッセージ性が強くなったような歌になってしまって
投稿した自分自身のおしりがむずむずしますね。

この日いいなと思った歌。
千花さんの
俯いて歩く私の足裏をすり抜けて追い越す鳥の影
「足裏」というフレーズがすごくいいなと思った歌でした。
この、「鳥の影」の肉薄感。
うつむいて歩いてて、何かが足元をすり抜けたような気がして、
うわってたたらを踏む感じになって、
その後すぐ空を見上げたら、その何かが鳥の影だったんだなって分かる
みたいな歌と思ったんですが、
「俯いて」「歩く」「すり抜け」「追い」「越す」
一首にここまで動詞が詰め込まれていて、
冗漫になりがちなところを、
それが全部一瞬の出来事だったように思わせるところがすごいなって思います。
ナイス害さんの
ギンヤンマ追いかけていた人はみな羽根の持ち方知っているんだ
上の句のぐわーっとイメージの広がる感じから、
下の句で、追いかけたその後が、
指とトンボの羽根へのズームアップに切り替わるとこがいいなと思います。
下手に持つと、必死に逃げようとするので羽根が切れそうになったり、
噛まれたりしちゃいますからね。
「羽根の持ち方」は確かにあるなぁ。
「ギンヤンマ」という初句のトンボの名称の持ってきかたも好きです。
「ギンヤンマ」そのもののかっこよさもですが、
切れのある音が気持いいなぁ。

冨樫由美子さんの
なつかしい香りのハンドクリームを使ひだすころ冬鳥がくる
北の方から、越冬するための鳥が渡ってくる頃の、
だんだんと気温は下がって、空気は乾いてくるけど、
心情的にはほかほか暖かい秋の感じがあって、
やさしくてすてきな歌だなぁって思いました。
やっぱりニベアの香りですよね。
きっと、主体のおかあさんも、それを愛用してたんだろうなぁとか
もう、この感じは毎年のことなんだろうなって思われます。
こりけケリ子さんの
二つ目のお願いとしてフクロウをアフロヘアーに飼わせてもらう
すっごく面白い歌でした。
まず、「二つ目のお願い」が好き。
唐突に、もう二つ目に突入してるところもいいし、
これだけで読者に、お願いは三つ叶えられる、
みたいに思わせるところがあるのも面白いです。
飼いたいものが「フクロウ」っていうのも、
普通なら、たしかに許されないかもしれないもので、
飼ってみたいものでもあって、これも絶妙なチョイスだなぁ。
で、なんといっても
「アフロヘアー」の存在感!
「二つ目のお願い」も「フクロウ」も霞むぐらいの
圧倒的な存在感がありますね。すてきでした。
ルオさんの
鳥でさえいつか落ちると言いながらその目は今も空を見ている
主体にとって、とても大切な人なんだろうなって思います。
「鳥でさえいつか落ちる」なんて厭世的なことを言っちゃう人は。
でも、そう言いながら、落ちる鳥よりも飛ぶ鳥を見ていたい、
そういう人なんでしょうね。
すてきな二人だなぁって思いました。
新井蜜さんの
夕焼けと説得、赤い瓦屋根、空をゆく鴉、終末まぢか
こういう歌は、言葉による鑑賞が必要ないんじゃないか
とか思います。
モンタージュの様に切り取られた「夕焼けと説得」の風景が印象的でした。
太田宣子さんの
鳥を喰ひ獣を喰うて秋うらら 舌の肥ゆれば沈黙も肥ゆ
「鳥を喰ひ獣を喰う」と「舌の肥ゆれば沈黙も肥ゆ」
という二つの、どちらも強い印象を残すフレーズのリフレインを、
「秋うらら」というのんびりした言葉でつないであるのが、
すごく面白いなぁって思いました。
「沈黙も肥ゆ」という表現が意表をついてるのに、
なんか納得するところが凄いですね。
虫武一俊さんの
他人から遅れるおれが空き缶を爪弾いている 信号は青
捨てそびれたコーヒーの空き缶の、縁とかタブの部分を指で弾いてる、
なんとなく所在無い感じがいいなって思います。
もともと、他人からちょっと遅れてて、
今信号が青に切り替わったけど、
多分そこでも横断歩道に踏み出すタイミングは遅れそう。
でも、ケ・セラ・セラな感じがして、好きでした。
はだしさんの
宗教をやってる人が笑ってる時間をとりあえず横にいる
うたの日の方にも書いたけど、
正直、この歌意は多分ほとんどつかめてないと思います。
でも、
「宗教をやってる人」という、ある特定の人物に対する把握の仕方が
まず面白いのと、なんとなく分かるなぁって感じ。
それと、
「笑ってる時間」を「とりあえず横にいる」という
なんとなく、なんとなくな距離感がいいなって思います。
「宗教」については分からないし、分かりたい気持も予定もないけど、
すくなくとも、この人のことは嫌いじゃないんだろうなって気がします。

うたの日(原チャリ)


うたの日

9月21日歌題「原チャリ」

原動機付自転車のシート下から永遠にハトが出てきて白い国道(しま・しましま)

この日のお題は「可愛い」「原チャリ」
今回投稿した歌ですが、
初案は
原付のシート下からえんえんとハトが出てきて平和な国道
だったんですが、
思い切って、字余りにしてみようと思い立ちまして
原動機付自転車のシート下からいつまでもいつまでもハトが出てきて白い国道
になって、
いやしかし、これはさすがに長すぎるだろう……
と思い直して、
初句だけ思い切った字余りにしてみたわけです。
たまたま、余った音数が二句目と間違ってしまいそうな7音だったので、
読む人を混乱させてしまったかも知れません。
読みながら、
これは初句の字余り部分だなって
分かるような字余りじゃないとダメですね。
(そういう問題でいいのか?)

これは俳句の話で申し訳ないんですが、
この間、うちの結社の編集長と、
どのぐらい字を余らせても定型感を保てるか
という話をしました。
これは、その編集長自身の考えで、うちの結社の考えではないんですが、
基本的には俳句は五七五とは言っても
○○○○○×××(上五)
○○○○○○○×(中七)
○○○○○×××(下五)
の八拍のリズムで、
その中の下五の五音は揺るがしてはいけない
っていうんですよね。
ここは絶対。
で、
中七は、ギリ八音までは定型感を損なわないでいける。
この二つがキモ。
で、ぶっちゃけ上五は
そこさえ押さえておけばいくら余らせても
わりと定型の字余りですで通る
って編集長は言うわけです。
ちなみに、字足らずの方は、絶対に許されないという考えらしいです。
これは俳句の、
しかもうちの編集長の考えなんですが、
短歌の場合の
破調ではなくて定型感を保ったままの字余りの
限度ってどこにあるんだろうなぁ
って思ったりしてます。
まあ定型もまだ身について無いのに
何言ってんだって話ではありますが。

この日いいなと思った歌。
冨樫由美子さんの
バスタブであたしはあたしを抱きしめるかはいいあなたのかはいいあたし
ちゃんと読んでみると、ふつうに意味の通る、
どこもおかしくない歌なんですが、
ぱっと見だと、
「かわいい」の旧かな遣い表記の「かはいい」が
「はい」「いい」に分解されて見えちゃって、
「あたし」「あたし」「はい」「いい」「あなた」「はい」「いい」「あたし」
って言葉が前面に出ちゃって不思議な歌だなぁって思いました。
わたしだけだったかも知れませんが。
「あたし」「はい(yes)」「いい」の繰り返しが、
めっちゃ自己肯定みたいで、その圧倒的な自己肯定のフレーズが、
逆に切実な自己否定を後に隠してるような気がしました。
自分自身を自分で抱きしめておかないと、
「あなた」が可愛いと言ってくれる自分が消えてしまいそうで、
切ない歌だなって思いました。
井田了平さんの
爺ちゃんは出かけるらしい原チャリと古いラジオとガムを残して
上の句の、のんびりした感じを、最後まで残したまま、
え、ということは爺ちゃんは……ってハッとさせられる歌でした。
いつもはどこへ行くのも原チャリなんでしょうね。
その爺ちゃんが、原チャリも、愛用のラジオも、
封を切ったばかりのガムも残して
どこかへ「出かけるらしい」。
今現在、病院にいる爺ちゃんを想像しました。
爺ちゃんを看取りながら、主体は、爺ちゃんが家に残してきたものを考えてる。
歌には並べられていないけど、
残されたものの中に「ぼく」も含まれているようでした。

中村成志さんの
縁側もようやく冷えて「可愛い」を聞かされ続けふくらんだ猫
あー、わかります!わかります!
って思うたのしい歌でした。
縁側でばあちゃんがばあちゃん友達と長いお茶を楽しんでたのかなって
思いました。
そこでみんなから「可愛い」「可愛い」って言われて、
縁側の暖かい日差しを受けて、
ふっくらと丸まった猫。
夕方になって縁側はもう冷えてきているけど、
猫の方はまだまんまるなんですね。
猫って、絶対人間の言葉わかってるなって思うことあります。
この猫も「可愛い」をちゃんと聞き分けてたんだろうなって思うと
ホントに楽しいなぁ。
雨宮司さんの
可愛いと言われうれしい歳ならばとうに過ぎてるおっさんの我
「おっさん」ならぬおばさんのわたしですが、
やっぱり「可愛い」と言われてもうれしい歳とはいえないですね。
でも、おばさんがそう言っちゃうのと、
「おっさん」がそう言っちゃうのでは、
纏う雰囲気がかなり違う気がします。
おばさんが言う分には、どっか嫌味な感じがしそうですが、
「おっさん」だと、そうは言っても
実際「可愛い」って言われたら
まんざらでもない気持ちになりそうだなって
多分自分でもうっすら思ってそうだなぁっていう
ちょっと複雑な感じがして、
それ自体が「可愛い」なぁって思います。
気球さんの
夕暮れの駐輪場で挿す鍵の変わりはしない浅い手ごたえ
なんてこともない、日常の中のワンシーンを、
「浅い手ごたえ」で、すぱっと切り抜いた印象的な歌と思いました。
自動車のキーでも自転車の鍵でも、この感じは違うんだろうなぁ。、
がやがやした駅前とかの、自転車やバイクでごたごたっとした駐輪場が、
夕暮れの暗いオレンジに染められてて、
そこから主体の手元にズームアップする感じがいいなぁって思いました。
小宮子々さんの
きみどりの原チャに名などつけながらあれもひとつの恋であったよ
初めてのバイクがこの、「きみどりの原チャ」だったのかな
って思いました。
やっぱり、名前とかつけて、大切に大切に乗り回しますよね。
高校生ぐらいか、
あるいは高校卒業して、普通自動車の免許はとったけど、車はない、
というぐらいの時期かなぁ。
「愛車」っていう言葉があるぐらいだから、
「愛」がそこに芽生えてるんでしょうね。

うたの日(爆・岸)


うたの日

9月19日歌題「爆」

火のどこかぱちんと爆ぜて手が止まる燃やせば消えるわけでもないか(しま・しましま)

この日のお題は「速」「爆」
「火のどこか~」のうた、下の句がもうちょっと練られたらなぁって我ながら思います。
っていうか、相変わらず全体像がよくわからないうたになってんなぁ。

この日いいなと思った歌。
きいさんの
じゃあねって別れたあとで加速する後ろ姿を見送っている
「じゃあね」って言う別れって、
多分日常の中の一こま的な、軽い別れなんだと思います。
学生が自転車で下校するシーンとか想像しました。
友達同士でも恋人同士でもどちらでも読めますね。
普段は「じゃあね」で別れて、
自分もそのまま自転車で帰っちゃうんだけど、
その日はなんとなく相手を見送ってしまって、
そのぐんぐん加速していく後ろ姿を見ちゃった。
(普段は自分も多分そうやって帰ってるはずなんだけど)
ちょっとは振り返ってくれないかな、とか
作者がそんなことを書いているわけじゃないのに、
色々と「加速する後ろ姿」から想像されて、
ほんわり切ないところがいいなぁって思いました。
楽水童子さんの
天高く正午の発破こだまして山喰ふ町に吾は棲みをり
うーん、いいなぁっておもう歌です。
「発破」「山喰ふ」というワードから、
採石場があるのか、山を削って何かをするのが日常的にある町を想像しました。
わたしが住んでいる町、ではないんだけど、
近くの町にも採石場があって、よくそこを見ながら通り過ぎるんですが、
ぐわっと削られた山肌と、その裾に山肌と同じ色の、
トラックなどに踏み固められた平地が広がる光景は、
「山を喰う」という感じがたしかにある気がします。
もちろん、これは外部の人間が通り過ぎるときに感じるものなので、
そこの町に住んで、発破音を聞いて暮す人ならば、
もっと深い感懐での「山喰ふ」なんだと思われます。
初句の「天高く」が、あざやかでいいなぁって思います。

太田宣子さんの
わたくしの速度を思ふ生きてきた距離を四十四年で割つて
距離÷時間=速度、というのは小学生で習う公式ですが、
それで「わたくしの速度」というのが面白いなぁ。
多分、作者ご自身の年齢が「四十四年」なんだと思いますが、
こうやって具体的な数字を出してきて、
衒いがあまり感じられないところがいいなと思います。
chariさんの
すれ違う列車の音はどちらへも行けずその場に置き去りになる
そういえばそういうことって考えたことなかったな……
っていうものを詠まれて、
「その場に置き去りになる」
と言い切られると、
そうか、そうだよなあって思わず納得してしまいますね。
どこへもついていけない切ない「音」、
それを「速」というお題から導き出すという発想がすてきでした。
えがぷりさんの
15段変速チェーンがよくはずれ要らなくなったライダー自転車
子供用の自転車(しかもライダー自転車)で15段変速!
っていう大袈裟な感じがいいですね。
ギミックに満ち溢れた昭和の子供用自転車の感じが
ありありと浮かんできます。
大目のギミックは少年たちを大興奮させてくれるけど、
手間がかかるものを愛せるほど子供ってのんびりしてないんですよね。
切ないなぁって思います。
荻森美帆さんの
眠れずにプリングルズを食べる手の速度で底のある夜が明ける
プリングルズの筒形の容器の底を、
夜の底と重ねてあるところが面白いなって思いました。
「プリングルズを食べる手の速度」っていうのも、
なんとなくいいな。
これがチップスターだったら、
夜が明けるのを待たずに底がきちゃうような気がします。
門脇篤史さんの
爆発物処理班のやうな面持ちでやりがいのある飲み会に行く
「やりがいのある飲み会に行く」
って、よく考えるとちょっと変わった言い回しだなぁって思います。
「やりがいのある飲み会」って言うと、
飲み会の幹事としてやりがいがある、っぽいけど、
そこに「に行く」がつくと、幹事ではなくて一参加者っぽい。
「飲み会」なのに「やりがいのある」ということは、
「飲み」の部分よりも重要な「やること」がある会のような気がします。
で、
その「飲み会」に、
「爆発物処理班のやうな面持ちで」行くっていうわけです。
気持じゃなくて「面持ち」なんで、
自分自身を、すこし外側から客観的に見た感じなのかな。
もしかしたら、飲み会の会場へ行く途中、
どこかのガラスなどに映った自分の顔が、そう見えたということなのかも。
我ながら緊張してるな、みたいな顔だったのかなぁと思います。


9月20日歌題「岸」

秋草の黄色ゆらゆら揺れるから此岸を少しはみ出している(しま・しましま)

この日のお題は「彼」「岸」
前にも書いた気がするけど、
わたし、秋の黄色い花が大好きなんです。
特にセイタカアワダチソウが好きで、
それを見るために秋になると川べりを意味なく通ったりしてました。
まあ、秋の花粉症を発症してしまったので、
今は車で通り過ぎるときに見る程度ですが。

この日いいなと思った歌。
希和子さん
岸辺へとあなたにゆっくりいざなわれ両足が着く ここがふるさと
不思議な感触のする歌だなぁって惹かれました。
現実として、そういうことがあったようにも、
夢っぽい、あるいは何かの比喩的でもあるような感じ。
「あなた」の「ふるさと」が、どこかの島で、
そこへ案内された、とも読めるんですが、
なんとなくほのかにエロティックな感じがして、
むーん、言葉にしようとすると難しいけど、なんか好きだ
ってなりました。

ナタカさんの
この人と他人になること予感して名前も知らぬ海岸を行く
この歌も、
現実として読むことが出来るんだけど、
どこか現実感が薄くて、不思議な感触。
夢の中の出来事みたいな、ふわふわした感じが
やわらかい痛みの予感みたいで好きかも。
蓮さんの
国道を大型トラック走り抜けここも三途の岸辺であらん
「国道」「大型トラック」「三途」
どきっとする言葉が並んでいて、
だけど、どぎつく感じないところがいいなと思います。
普段は同じような場所、同じような状況にあっても、
特に何も感じないのに、
ふいにセンシティブに
「死」と隣り合わせにあるように思われることってあるなぁ。
佐藤博之さんの
デモ隊の中に岸上大作とスクラムを組み暗く更くる夜
「岸上大作」、
まずこの人名でおおっとなりました。
60年安保の時代の歌人で、恋に死んだ岸上大作が、
今、ここで出てくるかーって感じでした。
いや、今だから出てくるのかも。
この歌の「デモ隊」は、現在の安保のデモだと思われます。
作者がこのところの「デモ隊」について、
どういう考えをお持ちなのかはこの際置いておいて、
とにかくここに「岸上大作」を連れてきて、
「スクラムを組」んでいるところがいいなぁ。
作者の年齢は分かりませんが、
多分彼が亡くなってから生まれた人ではあるんじゃないでしょうか。
で、多分(たぶんたぶんてうるさいですね)
岸上大作が亡くなった年齢よりも、ある程度年上なんだと思います。
最近のデモに実際参加されたのか、TVなどでその姿を見たのか、
とにかく、デモの中に「岸上大作」と自分を入れて、
スクラムを組ませるというのは、
過ぎ去った青春性への強い憧憬のようなものを感じました。
結句の「暗く更くる夜」がまた、いいなぁ。
ハートを迷って、結局♪を入れるに留まってしまいましたが、
やっぱりこの歌すきだなぁ。

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