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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(見)


うたの日

10月17日歌題「見」

怖い夢見ていたのっていいながら夢に戻りたそうな微笑み(しま・しましま)

この日のお題は「見」「ギリギリ」
両方の選をするのは、久し振りな気がします。
昨日の記事は比較的短かったけど、
今回はまた長くなりそうな予感。

この日いいなと思った歌。
小川けいとさんの
終電をよろよろ降りる乗客のどれを獲れるかじっと見る闇
怖い歌ですよね。うん、めっちゃ怖い。
「どれを獲るか」じゃなくて、
「どれを獲れるか」ってところがまず怖い。
「終電をよろよろ降りる」といういかにも弱った人間の
その中でも特に弱った個体を選んでるみたい。
こんな歌を見ちゃうと、
くたくたでよろよろの夜も、
とりあえず空元気出しておきたい気になります。
「終電を」
「よろよろ降りる」
「乗客の」
と、電車→降り口の人のかたまり→降りた客それぞれの顔
みたいな視線の流れがあって、
それを見てるのが、「闇」そのものなのがまた怖いです。
闇の中に何かいるんじゃなくて、「闇」がじっと見てるんですよね。
これは怖い。
ホームの奥の方から、電車の下の隙間から、
闇がじわじわ広がっていくような気がします。
多田なのさんの
ギリギリのところで星になれなくて地面に落ちた犬の遠吠え
まず、言外に前提として「遠吠えが星になる」というのがあるんだ
ってところがすてきです。
月じゃなくて星ってところがいいなぁ。ホントすてきです。
そして、この歌の「犬の遠吠え」は、
「ギリギリのところで」なれなかった。
声量でしょうか、
うたの日の他の方が書かれているように、
途中で叱られてしまったのかも知れません。
切ないですね。
犬を人に替えても替えなくても、切ないいい歌だと思いました。

南瑠夏さんの
昇ってくサイダーの泡をじっと見る 涙はみんな天国へ行く
サイダーの泡をじっと見て、
いろんなものがあがって行く、昇華していくって
そう思える感覚っていいなぁ。
「涙」を詠んで、
こんなに爽やかで明るくてやさしいのがすてきでした。
吉川みほさんの
廃線はここで途切れていたのかと見つけてしまい そこからが冬
分断ってやっぱり「冬」みたいなイメージあります。
「廃線」「途切れ」「冬」という
ちょっとさみしい言葉がちりばめられてますが、
その中にある(お題でもある)「見つけて」が、
どこかあたたかに感じます。主体の体温でしょうか。
文乃さんの
物干し台登りつめたる雨蛙おまえそこから何が見えるの
「物干し台」
「登りつめたる雨蛙」
この二つのフレーズが助詞で繋がってないので、
単に助詞を省いただけとも、
二つの「モノ」の並列のようにも思えます。
なので、なんとなくですが、
よじよじと雨蛙がこの物干し台を登っているところを
主体は見てないんじゃないかなぁと思ったりしました。
ふと物干し台を見たら、
もうすでに登りつめてしまった雨蛙がいた、みたいな。
物干し台に注目するっていうことは、
洗濯物を干しに出たところだと思うんですが、
干し物をするのにジャマな雨蛙に対しての
下の句のといかけがやさしいですね。
藤田美香さんの
つま先がギリギリのとこで耐えている行っちゃいけない恋もあるから
直球のするどさ
みたいな歌だなって思います。
行っちゃいけない恋を、「行っちゃいけない恋」と言い切ってて
それを「ギリギリのとこで耐えてる」。
どストレートにその辛さが表現されてて
胸を打たれました。
気持じゃなくて「つま先」が耐えてるっていうのも
「ギリギリ」感が痛いほどあるなぁ。
「ギリギリ」がもう音がするぐらい耐えてる感があるって思えました。
気球さんの
「のりぴーがタイプ」と言ってた先輩がサモハンキンポーを連れて出てくる
ギリギリ……なの、か?
という「ギリギリ」の歌。
「サモハンキンポー」のどこかに「のりぴー」感を必死に探して、
最終的に「ギリギリ」という判断を主体は下したんでしょうね。
もしかしたら、ギリギリアウト、の方かもしれませんが、
それにしても「ギリギリ」は無いような気がしなくもないですが、
どこかにあったんだろうなぁ。
しかし、
「のりぴーがタイプ」ということは
このつれてこられたサモハンは女性だと推測されますが、
サモハンはヒドイ。
ヒドすぎて面白すぎでした。

うたの日(輪)


うたの日

10月16日歌題「輪」

重なつたとこから滲む水の輪が夜のしづかを乱してゐます(しま・しましま)

この日のお題は「栗」「輪」
そうですね、もうひと味たりないなって、
食卓でちょっと何かを掛けるように、
旧かな遣いにしてみるという安易な手法に頼っているような
そんな気が我ながらします。
でも、
口語・旧かな遣いって面白い味わいがあって好きなんですよ。
古い童話の導入部分の中から切り取ったような雰囲気を目指して見ました。

この日いいなと思った歌。
きつねさんの
後輪は避けきれなくてアスファルトに擦り付けるように蛇行す
人間みたいな大きいものではないものと接触事故を起した瞬間を
描いているんだと取りました。
バイク、というのも考えられるけど、
やっぱりこれは自転車かなぁ。
ぱっと飛び出してきたものに対して、
あっと思ってハンドルを切ったけど、よけ切れなくて
ちょっと後輪が接触してしまったのかな。
「アスファルトに擦り付けるように」がリアルな気がします。
一瞬のことで、パニックにもなってるけど、
同時に妙に冷静な感じで見てる自分もいる、
みたいなことってありますよね。
結句の字足らずがじわっと後味が悪くて、
避け切れなかった辛さの表われのようで印象的でした。

フジタレイさんの
川べりに停めた二台の自転車の車輪の向こうに広がる荒野
「青年は荒野をめざす」
を思い出しました。
いえ、そのタイトルだけしか知らないんですが。
「車輪の向こう」だけに見える「荒野」って、
彼らの目的地みたいな気がします。

うたの日(書)


うたの日

10月15日歌題「書」

今までに何度書いたか分からない祝の文字が書けないペンだ(しま・しましま)

この日のお題は「失敗」「書」
もー、困ったペンです。

この日いいなと思ったのは
なつさんの
鉛筆の2Bはやわらかく崩れわたしの名前となってゆきます
わー、すてき!すてきだー!
と、読んだ瞬間からほわわわ~っとなってしまいました。
鉛筆の芯が崩れて文字になっていくっていう把握の仕方、
その通りなのに、そんな風に考えたことなかったです。
2Bだからこその「やわらかく崩れ」る感じが出るんでしょうね。
これはわたしの個人的な線引きかもしれないですが、
2Bまでが普通に文字を書くための鉛筆って気がします。
それより柔らかくなると、お習字的なものか、絵を描くためのものって
そんな感じがします。
ただの文字ではなくて「わたしの名前」になっていくというのも
いいなぁって思いますね。
自分の名前を愛おしむような感じで。
「やわらかく」「わたしの」「なってゆきます」の
ひらがな表記や「わ」とか「ゆ」のやわらかな音も、
2B鉛筆っぽくていいなぁ。

吉川みほさんの
冬を待つ白いおはなしを書き留めた小さな紙を落としてしまう
この歌もすてきでした。
ほわわわ~でした。
小さな紙に書かれた「白いおはなし」
というのがまずその存在自体がすてきだし、
それが「冬を待」っているんだっていうのもすてき。
そして、
その「小さな紙を落としてしまう」という
小さいけど、なにげに深く痛そうな喪失感がいいなって思いました。
二句目が字余りになってしまっているけど、
「はなし」ではなくて「おはなし」となっているところも
好きなポイントでした。
字余りになっても、丁寧に言わなくては、
この小さな紙を落としてしまった痛みは出てこないかも
とか、思いました。
桜望子さんの
「さよなら」と書かれてあった教室の机で過ごした最後の1年
中学か高校の三年生でしょうね。
卒業していった誰かが書いた机の「さよなら」の落書きの文字。
それを消さずに過した主体の一年間。
やさしいなあ。
「~書かれてあった」というフレーズと「教室の」が、
どちらも「机」に掛かってるので、
ちょっと語順的に混乱してしまうのと、
「1年」という数字の表記が残念だったかなぁと思いますが、
やさしくてせつない一年間の雰囲気がすてきでした。

うたの日(回)


うたの日

10月14日歌題「回」

この日のお題は「ドジ」「回」
歌題「回」って書きましたが、
実は、用意してたのに投稿するのを忘れていたのでした。
生涯の果ての回転寿司屋にて二人組みになってーを強いられる甘海老
という歌をツイッターに流して遊んでたのに。

この日いいなと思った歌。
吉川みほさんの
密室の孤独に少しめまいする 回転ドアをくぐり抜けるとき
あー、なんかその感じわかる!
って気がしました。
もちろん「回転ドア」は密室ではないし、
「めまい」が「回転」に付き過ぎるというところはありそうだけど、
あの、一人ずつしか通り抜けられない、
小さく切り分けられたようなスペースを過ぎる一瞬を、
「密室の孤独」という感じ、
こうだから、こうですね、というはっきりした言葉には出来ないけど、
あー、わかるー
って気がしました。
結句の一字余りの不安定さもいいなと思います。

クララ・ゼーゼマンさんの
かざぐるまが回つてしまひさうになる きみがわたしの名を呼ぶたびに
言葉の選び方とか、全体的にわたしの好みの歌でした。
「きみ」に名前を呼ばれるたびに、
ざわっと気持の中で風が吹くんでしょうね。
ざわって言っちゃうとちょっと違うかな。
もっとドキドキするような風がたつ感じで。
宇野なずきさんの
前回のあらすじ 君に捨てられてナイフを向けているのであった
なんて端的で、きっちり情景をあらわしたあらすじなんだろう。
前回と今回の切れ目って、
リアルな世界ではないんだけど、
振られてかっとなってとっさにナイフを向けてしまった
のが、前回で、
次の瞬間、はっと我に返った、
その「はっ」が切れ目なのかなぁって思います。
今回、そのナイフを捨てて「ごめん」とか言う展開になるのか、
もうどうにでもなれって突き進んじゃう展開になるのか。
印象に残る歌です。

うたの日(おでこ)

うたの日

10月14日歌題「おでこ」

水槽のガラスの冷えを貼り付けてさみしいおでこさみしい魚(しま・しましま)

この日のお題は「おでこ」「外」
「水槽」「おでこ」で詠もうと思って、
水槽の冷たさか、エアーポンプの振動か、
と詠んでみて、一番しっくりくるのがこれでした。
もう一つ
ありがたいお経が皮脂で浮いちゃうのおでこと、それと鼻のあたまの
という耳なし芳一おでこバージョンも出来ちゃったんですが、
これはツイッターで流すだけにしました。

この日いいなと思った歌。
死んでる死刑囚さんの
父さんが大きなおでこで風邪を引く どこに貼るのか熱さまシート
この父さんの「大きなおでこ」は、
もともと大きいのかも知れないけど、
もしかしたら年々大きくなるタイプのやつかも。
父さんの大きなおでこ
は、家族ジョークとして愛されてるんだろうなって思います。
愛情に裏打ちされた家族ならではの
冗談めかした心配の仕方があたたかいなって思いました。
こんなことを言うと、
世のお父さんに逆に失礼かもしれないけど、
「お父さんの風邪」
っていうものに着目していること自体が、
あたたかいって思うんですが、いかがでしょう。

文屋亮さんの
冗談に呼びゐたるうちに自らを指して子は言ふ「おでこちやんです」
この歌も、家族のあたたかさに溢れてて、
ハートを迷った歌でした。
単純に、ずっとそう呼ばれているから、
自分の事を「おでこちゃん」と思っちゃった
というのではなくて、
「おでこちゃん」と呼ばれるときの、
自分の周囲の楽しい雰囲気を、
この子は覚えたんだろうなぁって思います。
ホント愛らしい歌です。
「おでこちやんです」というせりふも、かわいらしいですね。
この愛らしさを、文語旧かな遣いで表現されていて、
どこかおっとりとした昭和初期の雰囲気もあって、
そこも好きです。
二句目の「呼びゐたるうちに」の一字余りもおっとり感があって好き。
きつねさんの
十二時をまわって熱を帯びてくる おでこにされたキスの魔法は
おでこにキス
それだけでもうファンタジーなような気がしますが、
世の中にはきっとそういう体験を実際にする幸運な人もいるんでしょうね。
と、
そういう方向で考えるとついやさぐれてしまいますが、
それは置いておいて。
普通のキスじゃなくておでこにキスが
時限式発動魔法な感じ、わかるような気がします。
「十二時」「魔法」というフレーズからシンデレラ姫とかも連想されて、
ロマンチックなとこもすてきですね。
萩野聡さんの
電柱にそっとおでこを押しつけて夜のましたの風邪の静けさ
コンクリート製の電柱ってひんやりしてて、
火照った顔をくっつけたくなりますね。
「そっとおでこを押しつけて」「夜のましたの」という
二句目から四句目までの流れが
ふわっと甘い感じなのに、
それを「電柱」と「風邪」というあんまり甘くないもので挟んであって
ちょっと面白いなって思いました。

うたの日(笛)


うたの日

10月11日歌題「笛」

叱られるたびに縮んでいく僕の口笛だけがうまくなってく(しま・しましま)

この日のお題は「笛」「信号」
あとで思ったことなんですが、
この日わたしが出した歌、
叱られるたびに縮んでいく
僕の口笛だけがうまくなってく
という並列にも読めますね。
そうするとリズムは乱れてるし、
「いく」「く」と表記が違うのがすごく気になりますねぇ。
叱られるたびに縮んでいく僕の
口笛だけがうまくなってく
と、分けたいんですが、
「僕の」の部分で軽く切れる方法が思いつかないんですよね。
うーん。
どっかで考え方そのものを再考して作り直したほうがよさそう。

この日いいなと思った歌。
文乃さんの
次々に船の汽笛が鳴り出してふるさとの夜に新年が来る
うたの日にも書きましたが、
大晦日に汽笛を鳴らすというと、横浜が思い浮かびます。
でも、別の海の町でもそういうことがありそう。
まあ、ある程度大きい船が着く港のある町、で。
「新年が来る」という結句のおき方がいいなぁって思います。
うちの地元では~みたいな大晦日の説明に終らずに、
広がりのある叙情性が、この結句でうまれたように思います。

まゆまゆさんの
笛の音のいきなり高き音のして子供神輿は動き始める
「子供神輿」がいいなぁって思いました。
お祭の情景だけど、
この「笛」は、和笛じゃなくてホイッスル的なものかなと思いました。
ホイッスルの高い音が響いて、
お神輿を中心にした子供たちのわやわやしたあつまりが、
「子供神輿」として動き始める、
というのが印象的だし、情景が浮かんできます。
月花さんの
縦笛の赤い袋のチューリップ 私のことを覚えているか
手作りのリコーダーケースでしょうか
細長いきんちゃくタイプの。
お母さんがアップリケを貼ってくれたのかなぁとか
想像しました。
ピアニカからリコーダーに変わるのが
小学校の何年生からだったか、
自分の娘のことを思い出そうとしても
ちょっと昔すぎて思い出せないんですが、
まあ、小学生時代の数年、愛用してきた袋が
何かの折に出てきた、という感じでしょうか。
「私のことを覚えているか」という下の句、
袋のチューリップに向かって言っているようでもあるし、
そこから思い出した
小学生の頃の友達へ言っているようにも思えます。
太田宣子さんの
少年の日の草の笛小心でくちびるばかりいつも熱くて
わたしが子供のときに遊んだ草笛は
カラスノエンドウ(通称ピーピーまめ)か
スズメノテッポウ(通称ピーピーぐさ)でした。
っていうか、まったくひねりのない通称でちょっと恥ずかしいですね。
このうたの「草の笛」は、
もうちょっと音を出すのにコツがいりそうな
平たい葉っぱを使ったものかも。
言いたいことがいえなくて、
あるいは、なかなか遊びの輪に入れなくて、
道端の草をちぎって鳴らしていたんでしょうか。

うたの日(中国)


うたの日

10月9日歌題「中国」

一日中国中くにじゅうはちの巣をつついたような一日だった(しま・しましま)

この日のお題は「画面」「中国」
♪二つという結果ではありましたが、
自分では割と気に入ってたりします。
お題が「中国」なので漢字表記しないと成立しなかったんですが、
ひらがな表記の方がたのしいかなぁっておもったり。
いちにちじゅう国じゅうくにじゅうはちの巣をつついたような一日だった

この日いいなと思った歌。
小川けいとさんの
生なつめ日本にないの?じゃあおまけ両手いっぱい赤い赤い実
うたの日の方に、「セリフだけなのに」と書いちゃいましたが、
「両手いっぱい赤い赤い実」はセリフじゃないですね。
「生なつめ日本にないの?じゃあおまけ」
というのがセリフ部分ですね。
「中国」という直接のワードはないんだけど、
中国でのワンシーンなんだなっていうのが想像されますね。
「生なつめ」と、フレンドリーなセリフの主のキャラクターが
全面にあふれてる感じ。
主体のよろこびもあふれてるようなリズミカルな四句から結句が
素直にすてきだなぁ。

東風めかりさんの
桟橋の隅にころがる可口可楽(コカコーラ) 大河に消ゆる船の遠影
小川さんの歌と同点で花束だった歌で、
わたしは♪を入れたんですが、
これもハートを入れたい印象的な歌でした。
コカコーラの(多分)空瓶という近景と、
「大河に消ゆる船の遠影」の遠景の対比がいいですよね。
孤帆遠影碧空盡
惟見長江天際流

の本歌取りだと思うんですが、
「遠影」というフレーズを残したところが上手いなぁ。
そこに合わせる「可口可楽」が見事だなぁ
と、しみじみ思います。

こりけケリ子さんの
陳さんの腱鞘炎の再発にチャーハン自粛の町内会決議
この歌、ぱっと見たときにもう
あの町内会か!
って思っちゃいました。
猫仙人のいる町の町内会。
きっとすっごくチャーハンのおいしい中華の達人なんでしょうね。
みんなが食べたがる。
すごくたのしい歌でした。
須磨蛍さんの
国境は厳然とあり甘栗をほおばりチャイナタウンを歩く
日本のようにぐるりを海で取り囲まれてると、
「国境」というものが、概念としてか、
あるいは遠くの国のもののように感じられるところがあるように思います。
主体も、日本国内にあるチャイナタウンを
甘栗なんてほおばりながら歩いてて、
多分「国境」が実感としてあるわけではない気がしますが、
でもやっぱり「厳然と」「国境」というのはあるんですよね。
西村湯呑さんの
やんわりと「中国料理」と言いなおすあなたの角煮は箸で切れてく
何料理と言ったのを「中国料理」と言いなおされたんでしょうか。
箸で切れるほどやわらかい角煮(というかトンポーロウ?)と、
言葉は「やんわり」でもゆずれないこだわりのある「あなた」の対比が
面白いなと思いました。
フジタレイさんの
自転車のベル一斉に鳴り響く南京路(ナンジンルー)が奏でるソナタ
自転車のベルとナンジンルーという言葉が響き合うようで
いいなって思いました。
「南京路」という漢字表記にも、華やかさがあるような気がします。
ただ、「ソナタ」なのかなぁと、
そこだけちょっと浮いてるようで気になりました。

うたの日(ビル)


うたの日

10月8日歌題「ビル」

ビル解体 いつかこの外階段を駆け下りる日がくるはずだった(しま・しましま)

この日のお題は「ビル」「比喩」
非常階段とか、非常時に滑り台っぽい筒を滑り降りるやつ、
子供の頃、ああいうものに憧れがありました。
幸か不幸か、多分幸いにもと言ったほうがいいけど、
いまのところその機会はないままです。

この日いいなと思った歌。
藤 かづえさん
星空に近きがゆゑにさびしさはまさるやうなりビルの屋上
うわーすてきだなって思いました。
「星空に近きがゆゑにさびしさはまさるやうなり」
という、ゆったりとした雅な調べ。
そこからの「ビルの屋上」という現代的で無機質な光景を
ぱっと出してくるところ、
ホントすてき。
「なり」の使い方が上手いなぁ。
俳句的に言うと、「なり」は切れ字の一つなんですが、
この切れがきっちり効いてるなぁって思います。
助詞を一切省かないで丁寧に心情を詠んで、
「なり」と一旦切って、
結句に「ビルの屋上」という言葉がぽんと置かれて
ぐっと主体の「さびしさ」が身近に感じられるような
印象的な歌でした。

松木秀さんの
北海道育ちのわれも震えあがる大東京のすごいビル風
「ビル風」だけにきっちりスポットを当てて、
そのすごさを詠まれた歌。
北海道でも東京でもないところに住んでいるのに、
なんかすごそう!と思わせられます。
「震えあがる」「大東京」「すごい」
という大仰な言葉が並びますが、
そこに違和感がなくて、
その冷たさや風圧が想像されるようでした。
塾カレーさんの
昼下がりつかの間カフェに流れたるBill Evans(ビル・エヴァンス)にかたむく意識
オシャレなカフェですな。
「昼下がり」で「かたむく意識」
で、眠くなっちゃったかとも思いましたが、(すいません)
ビル・エヴァンスの端正なピアノが、逆に集中させたという感じかなぁ。
「流れたる」と言う言葉から、
さまざまなジャズが店内に流されていて、
その中のビル・エヴァンスの曲に、
「おっ」と思って、
そこからその曲に集中していくという感じでしょうか。
二句目の「つかの間」がちょっと分からなくて、
主体がカフェにいたのが「つかの間」なのか、
カフェにいた間の中の「つかの間」だけビル・エヴァンスが流れたのか。
どちらにしても、耳で聞いた曲から、
その後は自分の頭の中でビル・エヴァンスを楽しんだ
ということかなって思いました。
中牧正太さんの
ふれたくてゆるされたくてビルたちが空にかかげる天国(ヘブン)のH
ビルの屋上のヘリポートを、
「天国のH」としたところに、
その発想は読めなかった!このリハクの目をもってしても!
と思いました。

うたの日(象)


うたの日

10月7日歌題「象」

西日差す象舎の脇の扉より厳しき顔の飼育員出づ(しま・しましま)

この日のお題は「象」「嵐」
これは以前実際に見た光景。
こんなところに飼育員の出入口があったのか、
とびっくりしたことがあります。
ところで久し振りに文語・旧かな遣いの短歌です。
「出づ」を使いたかった、
ただそれだけだったんですが。
っていうか、出来てしまえば、
当の「出づ」以外にあんまり該当するワードがなかったという。

「出づ」といえば、
文語・旧かな遣い 文語・新かな遣い
口語・旧かな遣い 口語・新かな遣い
と、表現方法は色々あると思うんですが、
この中の
文語・新かな遣い
選択の場合、「出づ」ってどうするんだろうと
以前からちょっと気になってました。
やっぱり「出ず」ですかね。
出るのか出ないのかわからなくならないのかなぁ
って疑問なんですが、
どうなんでしょうね。

この日いいなと思った歌。
藤 かづえさんの
そのときは象を手本にひっそりと群れから離れ逝きたいと父
「そのときは」の重さに、はっとさせられる歌でした。
いわゆる「象の墓場伝説」っていわれるやつかと思います。
それを手本に「ひっそり群れから離れ逝きたい」という父の願いを
家族はどういう顔で受け止めればいいんでしょうか。
胸の痛くなる歌です。
ちなみに、
象は家族単位で群を作っていて、
その仲間の死に対して、
明らかに悼む様子が見られたりするらしいですよ。

きつねさんの
象印マホービンからきらきらとこぼれてきっと最後の魔法
このうたの、
「マホービン」からこぼれた「最後の魔法」が何なのか、
はっきりわかりませんでした。
でも、「マホービン」「きらきら」というワードから、
子供のときに家にあった「マホービン」のことを思い出しちゃいました。
覗き込むとガラス張りになっていて、鏡のように「きらきら」してました。
落とすと当然ですが中のガラスが割れて……
というようなことを、わーっと思い出して、
とても懐かしい気持になりました。
太田宣子さんの
ぞうさんは母さんに似てながいはな ああ、わたしくしも母に似てをり
童謡「ぞうさん」から、
ぐっと自分へ引き寄せての下の句がいいなぁって思いました。
下の句の初めの「ああ、」の詠嘆が、
一首をドラマチックな構成にしてると思います。
母と似ていることが、嬉しくての「ああ」なのか、
嬉しくない方の「ああ」なのか
多分、複雑にこんがらがった「ああ」なのかなと思ったりしました。
童謡「ぞうさん」の二番は、
別の部位が誰に似てるというのでなくて、
「だれがすきなの」「あのね かあさんがすきなのよ」
と歌われます。
沼尻つた子さんの
木製の象のさしだす鼻先に時計あずけてあなたは眠る
「象」というお題で、
さらっと恋愛中のワンシーンを切り取ってるところ
上手いなぁって思います。
象の形のアクセサリー掛けとか小物置きって、
ああ、ありそうっていう感じで
すごく自然に「象」が詠まれてるんですね。
「時計」を象の鼻にあずけて眠る「あなた」は、
その時間を主体に預けているんだろうなって思いました。
吉川みほさんの
長い鼻ひるがえる耳やわらかく許される心地する大きなものに
この日出てた短歌の中で、
一番、あーわかるー
って共感する歌でした。
自分が弱っているときは余計に、
大きいものの近くに寄りたくなります。
大きいってだけで、なんとなく安心感があって、
ここでなら息をしても大丈夫みたいな、
そんな気持になったりします。
たぶんアフリカ象かなと思います。
陸上で最大の動物だけに、
余計に「許される心地」になるんでしょうね。

うたの日(鈴木)


うたの日

10月5日歌題「鈴木」

いつの間に君は鈴木になっていて昔のことをカッコでとじる(しま・しましま)

この日のお題は「でも」「鈴木」
事前にツイッターで、
どうやらジェームズ鈴木さんが全首評をするらしいと聞きつけて、
これは彼を詠まないと!
と思っちゃったわけです。
ちなみに、ジェームズ鈴木さんは、
このブログで何度かうたをひかせていただいた
塾カレーさんの新しい名前。
で、この歌を詠んだときは、ツイッターで
ジェームズ鈴木(塾カレー)
という表記になっていたのを、
そのまま詠んだという。
なんでこんなにここに書いてるかっていうと、
実はまた彼のツイッターでの名前表記が変わってしまったので、
あっもう成立しない……と思ったからでした。

歌会という「座」だから成立する短歌ですが、
よく考えると、ずっと残るので、
なんだよ、この歌……ってそのうちなりそうですねw

この日いいなと思った歌。
ルイド リツコさんの
その名もMaison Bell Tree 一階で大家の鈴木が目を光らせる
下の句がなんとも言えず怖くて、
その怖い感じが面白いなぁって思いました。
で、
上の句の破調から、するっと定型に戻ってるリズムも好きでした。
いや、破調ではないのかな。
「Maison Bell Tree」と英語表記なので
それっぽく読むのか、カタカナで読むのかで、
また破調具合が変わりますよね。
うーん、賃貸住宅の名前なので、やっぱりカタカナ読みかな。
とすると、
上の句は「そのなも」「メゾンベルツリー」で4・8か、
あるいは「そのなも(ここで気持ためて)メゾン」「ベルツリー」
で、7・5になるのかな。
どちらにしても「その名も」という詠み出し方が
ちょっと見得を切ってるみたいで好きですねー。

きむろみさんの
まず払い止めてかさねて愛おしく鈴木と名乗る始まりの紙
このうた、最初は毛筆で書く「鈴木」かなと思って、
赤ちゃんの命名書かなって思ったんですが、
よく考えるとあれって下の名前だけですよね。
だから、出生届の方かなぁって思いました。
まあ、婚姻届というのもちらっと思いましたが、
あれは自分の名前は旧姓で書くんじゃなかったかなって
思って、
うーん、やっぱり出生届かなぁと
そう考えたわけです。
「まず払い」「止めて」「かさねて」と
丁寧に「鈴木」の「鈴」の文字を、
「愛おしく」書くというのも、
新しく同じ苗字を名乗るわが子への愛情かなと思ったんですが、
「鈴木と名乗る始まりの紙」は
今日になって考えるとやっぱり普通に婚姻届っぽいですよね。
わたしが婚姻届を実際に書いたのが
もうずいぶん昔なので、どうだったかうろ覚えで、
勝手に、
婚姻届じゃないだろ
って決め付けて申し訳ないような気がしてます。


10月6日歌題「声」

泣いている途中で覚めた夢のなか泣き声だけを持ってきちゃった(しま・しましま)

この日のお題は「誰」「声」
今いるのは「なか」なのか「そと」なのか
その辺をあえてあいまいにしてみました。

この日いいなと思ったのは
門脇篤史さんの
朝食は食べねばならぬといふ声に屈して吸つたゼリーの甘さ
「朝食は食べねばならぬ」の
「声」の重さにやられました。
誰の「声」なんでしょうか。母親かなぁ。
実際に同居している母の、直接の「声」と見てもいいけど、
親元にいるときにさんざん言われた言葉が
住いを別にしてても、頭の中に残っていて、
それに抗うことが出来ずに、
とりあえず手軽なウィダーインゼリー的なものを口にする、
みたいな情景でもいいなと思いました。
しかも「甘い」んですよね。
たしかにゼリーは「甘い」けど、
それだけの「甘さ」なのかな。
自分を心配してくれる人がいる(あるいは、いた)ことの「甘さ」
とも思えるし、
ひねくれて読めば、
「~ねばならぬ」という高圧的な言葉に屈した自分に、
皮肉にゼリーの「甘さ」を感じる
ともとれます。
わたしは素直に前者でいただいたけど。

宮嶋いつくさんの
いい声で「はい」と返事をするだけの機械を全国民に配りぬ
ごりごりの全体社会というディストピアへ向かう途中を描いた
SF小説のようで、惹かれました。
「配りぬ」なので、この歌の主体は体制側の下っ端なのかな。
深く考えずに配ってしまった後で、
あれはちょっとヤバいものだったんじゃないかと
一抹の不安を持ってる、
みたいな感じで面白いなって思いました。
折りしもマイナンバー制が始まるところだし、
そういう意味合いも込められているのかも知れませんが、
そこを加味しても加味しなくても、
ぞわっと怖い歌でした。
中牧正太さんの
目をとじれば一夫多妻のワンルームご飯が炊けたお風呂が沸いた
思わずふふっと笑ってしまうような歌でした。
うちの炊飯器はピピーなんだけど(以前は曲だった)
声で知らせてくれるものもありそう。
そういえば、ああいう音声案内って女性の声ですよね。
それが全部違う女性の声だという発見を
「一夫多妻」と表現したところが上手いなぁって思いました。

黒井真砂さんの
声帯も肉であるらし 七(しち)箇月臥せりしのちの痩せたおはよう
票は結局入れなかったんですが、
この歌もいいなと思った歌でした。
「声帯も肉であるらし」
って、すごく印象的で、
下の句も、声の痩せ加減がわかるような
説得力のある歌だったと思います。
ただ、
「七箇月」の「七」に、「しち」とルビが振ってあるんですが、
ここがちょっと気になっちゃって。
サ行、特に「シ」が重なると、読み難いなぁ
とか思って、
作者の「しちかげつ」と読んで欲しい意図が
ちょっと分からなかったのが、
最後までひっかかってしまいました。
でもやっぱり、票を入れればよかったなっておもう歌でした。

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