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しま・しましま

Author:しま・しましま
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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(父)


うたの日

10月30日歌題「父」

カキフライにレモン絞つて去年より一つ年取る父でありける(しま・しましま)

この日のお題は「父」「エロ」
「ありける」あえて終止形で言い切らずに「ける」としてみました。
言い切らずに、もう一つ言い切らない言葉があるのを省略した感じ。
ありけれども、っていうと大袈裟かなぁと思ったりして、
でも、どうだろう。
成功してるのかどうかは自分でもイマイチわかりませんが。

この日いいなと思ったのは
まゆまゆさんの
リビングを行きつ戻りつそわそわと子供にかえる「父の日」の父
父の日に、当の父がなんだかそわそわしていて子供みたい。
可愛くて微笑ましい歌ですよね。
これは、
毎年「父の日」を家族でやってるお家のお父さんですね。
今年は何かな、
うーん、子供も大きくなったけど、今年はあるかな
ううーん、子供は自立したけど、「父の日」覚えてるかな
っていろいろなうろうろがあるんでしょうね。

えんどうけいこさんの
ジャイアンツ、マイルドセブン、時代劇、麻雀、ビール、要するに父
昭和のお父さんを思わせるような名詞が並びます。
マイルドセブンはメビウスに名称が変り、
テレビから時代劇が消え(て、はいないのかな?)、
ビールはもしかしたら発泡酒や第三のビールに
ちょいちょい変るかも知れないけど、
今でもある年代以上のお父さんっていうのは、
こういう好みで構成されているのかも。
子から、「要するに父」と、断定されてしまう主体の父
微笑ましいような、なんだか切ないような気がします。
水色水玉さんの
ネロ帝とかつて重ねしわが父をじいじだっこと子らは囲めり
自分の話になってしまいますが、
うちの父が、とても怒りっぽくて、
しかもわりあい鉄拳教育的な人間だったので、
子供のときに父に親しみとか
あんまり感じたことがありませんでした。
大人になって、
あれだけ苦手だった父と会話が出来るようになって、
まあ、それは父がやっていた俳句の世界に
自分も入ったので、
共通の言葉が出来た、というところと、
自分が大人になって、苦手な人にも歩み寄れるようになった
のかと思ってましたが、
自分に子供が出来て、
おじいちゃんと孫、の図を見ていると、
あれ?普通に優しいおじいちゃんで、
子供たちも慕ってる……。
とすると、父自身もめっちゃ丸くなったんだなぁ……
って気が付いたわけですが、
あれだけ怒りっぽくて家族を振り回した人が、
孫にやさしくて人気者とか!
と、なんとなく腑に落ちないものを感じたりしました。
長くなっちゃいましたが、
この水色さんのお歌、
そういう自分の父を重ねてとても共感しました。
多香子さんさんの
月見草黄に咲くときの夜の夢に父が笑って肩車する
月見草って、白とかうすいピンクとかの花が咲きますが、
このお歌では「黄に咲くときの」といいます。
そんな夜の夢に、
「父が笑って肩車する」
ということは、
もしかしたら、作者の父は、ずっと月見草と待宵草を間違えてて
作者も、割と長い間、その父の影響で
月見草は黄色い花だと思ってたのかなと思います。
太宰治も「富嶽百景」で黄金色の月見草って書いてるし。
でも、作者はもう
太宰も父も、月見草を間違って黄色と覚えていた
ということを知っていて、
だからこそ、
「黄に咲くときの夜の夢」に、
若い頃の壮健な父が笑顔で出てきてくれるんじゃないかな。
そう思うと、
切なく甘い父恋の歌と思いました。
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うたの日(はしご)


うたの日

10月29日歌題「はしご」

柿の木に長いはしごを立てかけて蟹の子色の夕日をつかむ(しま・しましま)

この日のお題は「はしご」「銀河」
うちの家の道路を挟んだ斜め向いに大きな柿の木があって、
秋になると朝夕この柿の木を眺めながら暮らしてます。
この柿は多分渋柿なんじゃないかな。
というのは、この柿の木の柿を、人が取っている所を見たことが無いから。
でも、この柿の木にはしごを掛けるなら、
けっこう長いはしごが必要なんじゃないかなぁって思ったり。
ちなみに、蟹の子色についてですが、
赤いのは火を通した蟹だろって心の中でつっこんだりしますが、
さるかに合戦の絵本の蟹って、どれも赤いんですよね。
さるが実写的に描いてある絵本でも、蟹の色は赤っぽいという。
不思議ですよねー。

この日すきだった歌。
気球さんの
屋上に続く梯子を降りてくる男子が告げるもう開かないと
跳ね上げ式の戸につづくはしご。
わたしは、最初「屋上」「男子」という言葉から、
これは学校なのかなって思って、
それから、学校に跳ね上げ式の戸で屋上へ行くって余りないかなぁ
って思ったりしたんですが、
作者の気球さんによると、やっぱり学校でよかったみたいです。
なんとなく、不穏で緊迫した雰囲気も感じられて、
とても惹かれる歌でした。
文佳さんの
きみはまた銀河の星になりたがりつまさきを少しとがらせている
この歌も、強い青春性と不穏な雰囲気があって、
とても惹かれる歌でした。
「きみ」のちょっと生き急いでいるように見える様子を
「つまさきを少しとがらせている」
と表現されているところ、
素敵だなぁ。
「きみ」から目を離したらどうなっちゃうかわからなくて、
ずっと心配してる主体が感じられます。

天野うずめさんの
はしご車も展示しており秋空の下のはたらく車祭りは
「はたらく車」って言うだけで、
何かわくわくするものがありますが、
「はたらく車祭り」!
(あ、わたしの好みの話ですが祭に送り仮名が無いほうが、
イベント感があるような気がします)
農業関係のはたらく車の展示会みたいなのをやっているのを
見たことはありますが、
JAの展示販売会とは違うんだよっていう
楽しさやスケールの大きさがいいですよね。
「秋空の下」っていうのが気持ちよくて、
すてきな歌でした。
くろじたうさんの
久々に別れた女に会いましたおさげは既に縄梯子でした
面白い歌だなぁ。
別れた女に久し振りにあったら、
おさげが縄梯子になっていた。
ってどういう?
「既に」という一語から、
別れる前から、
なんとなく縄梯子化しそうな予感があったおさげだったのかな
って思わせるものがありますね。
縄梯子は登るためのもの。
長い髪の毛を使って登らせる……
となるとラプンツェルが浮かんできますが、
さすがにラプンツェルもそこまでしますかね。
という、なんとなく泥臭い尽くすタイプの女が
浮かんだり消えたりします。
日常の中に、当り前の顔をして変なところが混じるような
こういうミラクルワールド大好きです。
桔梗さんの
終電の窓の向かうにすれ違ふカムパネルラは微笑んでゐた
「銀河」のお題を「銀河鉄道の夜」の登場人物で表現するって
すてきだなぁ。
「カムパネルラ」は、少年(少女)時代、
あるいは「銀河鉄道の夜」を愛読していた頃の自分の象徴でしょうか。
疲れて家路についた「終電」の中で、
窓の向こう、それもすれ違うという一瞬に、
彼の姿を見たというところに強い喪失感があるようにも思えますが、
結句の「微笑んでゐた」がいいなって思います。
三畑幾良さんの
屋上で今お汁粉を飲む人は銀河の中で一人だけだよ
缶入りのお汁粉ですよね
って確認したいけど、
「銀河の中で一人だけ」
って断じられるということは、
もしかしたら缶しるこではないのかも。
「屋上で今お汁粉を飲む人」
という、
おいおい藪から棒にレアケースだな
って思った瞬間
「銀河の中で一人だけだよ」
ってくるので、
セルフ突っ込み来た!みたいな面白さがありました。
そういう面白さもですが、
それを「銀河」というスケールの大きさで
表現してあるところが魅力的でした。
平らな屋上から、ぐりんって夜空がパノラマに展開するようなイメージ。
桜望子さんの
渦を巻くミルクに銀河見出していると知らずに君飲むカフェ・オ・レ
「渦を巻くミルクに銀河を見い出している」
というところも好きですが、
見い出している主体と、
それを知らずにいる君
というところがいいなって思いました。
ただ、
「君飲むカフェ・オ・レ」で急に助詞が消えて、
詰まった感じになってるのが残念な気がします。




ところで、
俳句でも時々見かけて気になってたんですが、
「生れる」という言葉を、
「うまれる」ではなくて「あれる」と読むというもの、
文語だと「生る」(うまる・ある)。
うまれる、の方は確かに産れるというんだけども、
あれる、の方は神とかそういう神聖なものの出現のこと
だと思うんですよね。
俳句でも
「蜻蛉生る」みたいな「○○生る」という季語を
「とんぼある」って読ませる人がいるんだけど、
それって違うんじゃないかなぁと常々思ってます。
五音で使いやすいかも知れないけど、
「とんぼうまる」「とんぼううまる」が正しいんじゃないかなぁ。
とか、思ったりした日でした。

うたの日(命)


うたの日

10月28日歌題「命」

濡れた手に貼りつく米よ運命はそろそろ路線を変えないかしら(しま・しましま)

この日のお題は「℃」「命」
濡れた手に張り付くものって、だいたいが気持悪いよね。
自分の髪の毛でももやしのひげ根でも
ひいぃーってなっちゃう。

この日いいなと思った歌。
きつねさん
僕だけが知らないローカルルールにて失敗に終わる貧民の革命
トランプゲームの「大貧民」(大富豪とも呼びますね)かなと思います。
「革命」は、
そのトランプの数の大きさによる「富」を反転させる
という技ですが、
まあトランプゲームは特にローカルルールが多いと思うんで、
この「僕」の「革命」は失敗してしまった、と。
革命返しくらっちゃったのかも。
「僕だけが知らないローカルルール」で失敗してしまうという、
たんなる失敗よりも後味の悪い結果。
それも「貧民の革命」の失敗、というところが、ぞわっとします。
「僕だけが知らない~」と、ふわっと入っていっての、
結句の「貧民の革命」という重さで終るという不安定な感じもあいまって、
うーん、もしかしてこれって、ゲームの話ではないのかな
とか、思ったりしました。

静ジャックさんの
運命の描かれている手のひらを陽にかざしたらほんのりと赤
自分の「運命」自分の「命」を、
てのひらを通して描かれてあって、
そのストレートさがいいなぁって思います。
うたの中の行為そのものは、
「てのひらを太陽に」みたいな感じですが、
その「手のひら」に手相があること、
それを「運命の描かれている」と表現されているところがすてきです。
まゆまゆさんの
鶏のお世話係となりし日の温き卵を今も忘れず
「命」って、目に見えないし、触れないし、
もしかしたら概念だけのものなのかも知れないものなんだけど、
この歌では、見て、触って、
ああ、これが「命」なんだな
って実感した、というところでしょうか。
「鶏のお世話係」は、小学校で飼っているにわとりの当番なのかな。
「鶏」と漢字を使うよりも、「にわとり」「ニワトリ」と開いたほうが、
より小学校っぽい気がしますが、
もしかしたら、お家で鶏を飼っていて、
それのお世話係に家族から任命されたのかも知れませんね。
とにかく、普段触れる鶏卵は、だいたい冷たいものですが、
生みたての卵を手にとって、
その温かさに触れた、
それを今も忘れないという作者(主体?)の感覚がすてきだなと思いました。
だゆうさんの
旅に出る眼鏡ケースに困り果て命とは何か深く考えさせられる
面白い歌だなって思ってまず惹かれました。
この歌について、うたの日で

とある眼鏡ケースが旅に出ると言い張って困り果てているのか、もう行っちゃって、眼鏡の入れ物がなくなって困り果ててるのか、もしかしたら、この人のところにくる眼鏡ケースはみんなそのうち旅に出てしまうから困り果てているのかも。
一寸の虫にも…といいますが、たしかに「命ってなんだろう」と考えさせられる事案ですね。

って書いたんですが、
別の方が、眼鏡ケースを失くしてしまう、
ということを書かれていて、
あっそうか、そういう……
と、ちょっとびっくりしてしまいました。
考えてみればそうですよね。普通そうですよねぇ。
最初に完全に眼鏡ケースを擬人化して考えちゃったので、
そういう当り前の方向に考えが至りませんでした。
それにしても、
この歌面白いですよね。
内容もですが、
「旅に出る/眼鏡ケースに/困り果て」
という五七五の上の句から、
「命とは何か/深く考えさせられる」
八、十二
と、ぐいぐい音数を伸ばしてしまう下の句。
もう、最後の方、
考えすぎて思考のループにはまっちゃってるんじゃないかと
思われるほどの長さですね。

うたの日(溶ける・くるぶし)


うたの日

10月26日歌題「溶ける」

マフラーを二重巻きしてくれる手の冷たさにでも溶ける 涙は(しま・しましま)

この日のお題は「同級生」「溶ける」
結句の「涙は」
なんか、♪飾りじゃないのよ涙は
の、涙はの置き方みたいだったなぁ。

この日いいなと思った歌。
文乃さんの
ほろほろとわたしの輪郭溶けてゆき静かな湯船に呼吸が浮かぶ
これからの寒い時期のお風呂のありがたさ
みたいなのを思い出させてくれるなぁ。
お湯に同化してって、
静かに身も心もあったまっちゃう感じが、
下の句に出てるようでした。

ルオさんの
女子会はラストオーダーまで続きバニラアイスは静かに溶ける
おしゃべりの止まらない女子会のテーブルのにぎやかな様子から、
そのテーブルの端っこに置かれたバニラアイスにカメラが移って、
ゆっくり溶け始めたアイスがくるっと回る
みたいな映像が想像されました。
でも、
その手をつけられないまんまで忘れられかけてるアイスに
注目してしまうあたり、
主体は女子会に参加しつつ、
どことなく楽しそうなほかのメンバーと心理的な距離がありそうな……。
気球さんの
かき混ぜる箸をカチカチ響かせて姉が仕上げたパウダージュース
全年齢タイプ(?)の平成の粉末ジュースもあるかと思いますが、
昭和の駄菓子系のものを思い出して、
なんかとても懐かしくなりました。
コーラ味のものとか、溶かすとちっちゃなお菓子が浮いてくるやつとか
ちょっと名称が分からないんだけども。
テーブルにはりついて、出来上がるのを待つ妹(あるいは弟)と、
パウダージュースを仕上げてくれる姉
っていう感じかな。
「姉」がいいですよね。
私には姉がいないけど、いかにもジュース作ってくれそう。
カルピスとかの濃縮系ジュースを仕上げてくれるのはお母さんでもいいけど、
パウダージュースだと、母というよりは姉が相応しい感じがします。
マドラー代わりの「箸」がまた泣かせます。
多田なのさんの
あの熱に溶けたすべてをまた忘れ 夏を恋しく思いましたね
「あの熱に溶けた」もの、
なんだろうな。
「溶けた」ことを「忘れ」ることで「恋しく思」うっていうことは、
「溶けた」こと自体がちょっと辛いことだった
んだろうなって思います。
単純に体や頭が溶けるような暑さかもしれないし、
恋愛のことかも。
どちらにしても、しばらくしたらまたその辛さを忘れちゃう
っていうのは、人間の記憶力のいいとこでもあるんだろうなあ。
それにしても、
わたしがこの歌で一番惹かれたのは
「思いましたね」という結句。
笑ゥせぇるすまんの喪黒福造っぽく
「思いましたね、ドーン!」みたいな感じなのか、
「いや恋しく思いましたね」とかいう感じの自分のセリフなのか。
どっちで読んでもよさそうだけど、
やっぱり後者かなぁ。
雨宮司さんの
わずかでも油が混じれば溶けてしまう乾燥ナマコをゆっくり戻す
乾燥ナマコ、食べたことも扱ったこともない食材です。
この歌は、乾燥ナマコの戻し方という薀蓄の歌
のような気もするけど、
「わずかでも油が混じれば溶けてしまう乾燥ナマコ」
という散文っぽい薀蓄の部分を
「ゆっくり戻す」でゆったり受け止めてるところがいいなと思います。
「ゆっくり戻す」も、
乾燥ナマコの戻し方のポイントでもあるんだろうと思うんだけど、
主体にナマコをぐっとひきつけてる気がします。
それにしても、
「わずかでも油が混じれば溶けてしまう」
というのが、なんだか気持がざわざわしてしまう。
不思議な性質の食材なんですねぇ。



10月27日歌題「くるぶし」

凩がだれかの名前を呼ぶ夜の丁寧すぎるくるぶしのケア(しま・しましま)

この日のお題は「続」「くるぶし」
こがらしとくるぶし、しかもくるぶしのケア
というのがまるっと被った歌があって、
ああーってなっちゃいました。
しかし、低調が続きすぎて、
こんなところで人のお歌の感想なんて書いてる場合かね
とか思ったりして。

この日いいなと思ったのは
希和子さんの
手術後の浮腫み予防のソックスの白さに馴染まぬ父のくるぶし
そういえば、父のソックスって、白のイメージないですね。
「手術後の浮腫み防止のソックスの白さ」という丁寧な表現に、
「父」への思いがこめられているような気がします。
「くるぶし」に注目したところに、ほんのりユーモアがあって、
いいなぁって思いました。

月花さんの
くるぶしを4つ並べてぶらぶらと踊り子号待つ熱海の足湯
気のおけない女友達との二人旅
とか想像しました。
「ぶらぶらと」に、「足湯」のリラックスの上に
さらなる気楽な感じがあって、
楽しい旅になったんだろうなって思われます。
「踊り子号」「熱海の足湯」という
具体的なフレーズもいいなって思いました。
小宮子々さんの
くるぶしが冷たい こんな格好で泣かなきゃとうに帰り付いてた
「こんな格好」がどんな格好か描写されていないので、
どんな格好だったんだろうと想像されます。
ちなみに、
ハロウィン衣装とか想像したりしたことをここに白状しておきます。
まあ、
それはともかく
帰り道の途中で泣き出しちゃって歩けなかったんでしょうね。
体がすっかり冷え切って、
とくにくるぶしが冷たくて辛くて。
格好はどうであれ、
切なくて、トホホで、
好きだなぁって思います。
堂那灼風さんの
くるぶしをつかまれたような気がしたがなんのことはない血だまりでして
いやぁ、くるぶしを掴まれたような気がして
ふりかえったんすが、
これが
なんてことはなくて
ただの血だまりでしてー
と、
わたしの中で岡っ引きが同心の親分に報告してる
という感じで再現されてしまいました。
いや、くるぶし掴まれるって
どんなホラーだよ
っていうか、
足元に血だまりを、なんてことはないって言うな
って親分にツッコまれそう。
「でして」というのが、
なんか妙に岡っ引き感があるんですよね。
藤田美香さんの
くるぶしにたこ焼きをひとつ入れてますホームシックにならないように
くるぶしのでっぱり、
そういわれるとたしかにたこ焼き一つぐらい入ってそうでもありますね。
大阪出身なんでしょうか。
ホームシックにならないおまじないっぽいんですが、
なんかもうすでにややホームシックになってそうな雰囲気も
ほわーっと漂ってきてるような。

うたの日(別)


うたの日

10月26日歌題「別」

君がいない間に少し雨が降り別のわたしを濡らしてしまう(しま・しましま)

この日のお題は「別」「笑」
このうた、「わたし」の部分を替えたら、
多分ぎりぎりでアウトになるような気がして
どうなんだろうと思ったりして。
まあ、そこまで直接的なエロを想定したわけじゃないんですが
そっち方向に読まれてもいい
っていうか、うっすらそっち方向な感じだったり。
まー、わたしぶりっこですから。

この日いいなと思った歌。
永昌さんの
これ以上無理だと言ったあの人の腹におさまるフルーツタルト
この歌を読んで、最初に浮かんできた光景は、
純喫茶的なカフェで、わしわしフルーツタルトを食べてる男性で、
そのタルトが運ばれてくるまで
「これ以上(関係を続けることは)無理だ」っていう
別れの場面だったのに、
みたいなものでした。
「フルーツタルト」の可愛くて明るい感じと
「腹におさまる」というガツンとした表現のアンバランスさ
別れの愁嘆場とフルーツタルトというミスマッチ
が、面白いなーって。
お題の「別」を「別れ」って読んでたんですが、
ふと、
あれ?これって普通に「別腹」じゃね?
って気が付いて、
あるぇー?ってなっちゃいました。
詠み込みじゃなくてテーマ詠としての「別」で、
「別れ」と「別腹」という全然違う方向に
自然な感じで読めちゃうって面白いなぁ。
(意地でもどっちかが読み違いとは言わない)
と、思ってハートを入れさせていただきました。

松木秀さんの
改修中の幌別駅の階段はせまくなりたり足場組まれて
うたの日にも書いたんだけど、
「幌別駅」の階段がもともとどうだったのか、
それをわたしは知りません。
感想にあえてそれを書く必要はなかったのかも知れないけど、
今まで利用したことも、興味をもったこともなかった、
遠くのとある駅の、
それも改修中で足場が組まれてせまくなったという
どちらかというと、
今現在は不便なマイナス状況が詠まれてて
でも、主体に、いや、作者に取っては
その駅の階段が「せまくなりたり」と
ある種の感懐を持たれているのを読むことで、
私(読者)←→短歌(作者)←→幌別駅
って繋がるんだなぁってちょっと嬉しくなったりして。
太田宣子さんの
別に、つて口癖だつた日日のあり前髪ばつかり指にいぢつて
反抗期の頃でしょうか。
「別に」って確かに言った言ったって思い出して
ほほってなりました。
前髪が気になるのも、その頃ならではですよね。
制服にノーメイク、
せめて髪型ぐらいはっていう気持もあるし、
前髪をいじるって、不安定な心を感じさせる行為でもありますね。
この歌の中に、
「つて」「だつた」「ばつかり」「いぢつて」
と、旧かな遣いだから大きい「つ」ではあるけど、
促音が沢山ちりばめられていること、
旧かな遣いだけど口語というところ、
どことなく舌足らずな幼なさを表現されたのかなって思いました。

うたの日(ジャム・思い出の一曲)


うたの日

10月23日「ジャム」

ジャム開けて蓋にスプーン乗せるくせ今日を乗り切る無言の祈り(しま・しましま)

この日のお題は「ジャム」「カレンダー」
だったんですが、
夕方からずっと家でなんだか色々あって、
歌を出すのが精一杯でした。
しかも、なんか下の句がはっきりしない感じで……。

10月24日「思い出の一曲」

ひえピタの隙間から見た窓の外「きみが、ぼくを、しってる」今でも?(しま・しましま)

この日のお題は「結」「思い出の一曲」
22日一票23日一票、で、とうとう24日は0票でした。
たしかにぐだった歌ですね。
RCサクセションの「君が僕を知ってる」という曲を、
実際に知っててかろうじて分かるか分からないか
って感じでしょうか。
いや、知ってても伝わらないかもという気がしてきました。
弱ってる時って、何もかもが遠くに感じて、
お守り代わりの大切な歌でさえも、今は遠い気がする
みたいな感じを出したかったです。

この日いいなと思ったのは
東風めかりさんの
稽古場にこっそり真似た真夜中の BILLIE JEAN と月面歩行
上の句の「稽古場にこっそり真似た」がいいなって思いました。
何の稽古場でしょうか、ダンスかお芝居か、
とにかく大きな鏡のある広いスペースで、
人がいなくなってから、マイケル・ジャクソンの真似をしてみた、
みたいな歌だと思います。
強い青春性、というか、
青春時代のわくわくが、その夜のどきどきが、
マイケルのビリージーンを聴くたびに
主体の中に蘇ってくるって感じがしました。
ホント衝撃的にかっこよくて、
それまでマイケル・ジャクソンに興味の無かった人でも、
うわっかっこいい!って思ったはず。
真似したくなる気持わかります。
でも見よう見まねで完成形から程遠くて、
恥ずかしいから一人っきりになるのを待って、真似てみた、
みたいな感じかなぁ。
ムーンウォークを「月面歩行」と言ったことで、
そのころの熱に浮かされたようなふわふわした足元が感じられて、
今現在そういうことは
もう出来ないと言外に言って懐かしんでいるようでした。

真夜中さんの
「ずっとこうしていたいの」とCharaの声たった一度のあなたとのキス
下の句が激あまなんですが、
それがCharaの「やさしい気持ち」の甘さとあいまって、
きゅんってなりました。
歌、じゃなくて「声」っていうところがいいですよね。
「Charaの声」で♪を入れたような気もしてきます。
心伝さんの
カラオケで校歌を皆で歌う時同じところで音程外す
まあ、まずカラオケに校歌があるところ、
それを「皆で歌う」ところ、
そうか、そういう世界もあるんだ
ってびっくりしました。
在校中ではないですよね。
卒業しても、そうやって集まって、
同じ校歌を歌っちゃう。
うーん、わたしからしたらどんなファンタジーなんだって思えるぐらいですが、
「同じところで音程外す」
という下の句の、なんとなくリアルな感じが、
そうか、そういう世界はあるんだ!
って実感させられました。
その学年だけ、なぜか間違って覚えちゃったんでしょうかね。
みんなで音程外しちゃう箇所があるってところも
「the 思い出の曲」っぽくてうらやましいですね。

うたの日(つまらない)


うたの日

10月22日歌題「つまらない」

つまらないたいせつな意地団栗を落葉を踏むたびまた湧き上がる(しま・しましま)

この日のお題は「蝶」「つまらない」
「蝶」で詠みたかったんですが、うっかり時間が過ぎちゃってて、
「つまらない」の方でつくりました。
うーん、「つまらない」って難しいですね。
こんなに世界に溢れてるのに。

この日いいなと思った歌。
雨宮司さんの
キタテハが熟柿に群がり豹紋を開閉しながら果汁をすする
蝶が果物の果汁を吸っている
という情景なんですが、
この蝶がキタテハ(オレンジっぽい色に茶の斑点)で、
果物が熟柿、(じゅくし・完熟の柿)で、
群がってて、
羽根を開閉してるってところがもう……
想像するだにえぐい。
でも、あえてえぐいフレーズが使ってあるとか、
大袈裟に表現してあるとかじゃなくて、
キタテハをしっかりと描写してあるだけなんですよね。
しっかりと描写することで、
ここまでえぐい世界観を生み出すんだなぁって
ちょっと感動を覚えた歌でした。
荻森美帆さんの
つまらないメルマガ書いてそれなのに絶賛されて崇められたい
あー、大声では言えないけど、
その気持わかります。
ずんの飯尾和樹のギャグの
「平日の昼間からごろごろーごろごろー」
「あーあ、なんでも10円で買えたらなあ」とか
「あーあ、ミスチル一人募集しねえかなあ」とかって
あれを思い出しました。
いわゆる現実逃避ですね。
すてきなメルマガを書くんじゃなくて
「つまらないメルマガ」というところがこの歌の面白いところかなぁ。
メルマガ界にはちっともくわしくないんですが、
現行で人気があるのはそういうものだって言いたげなところも
後ろ向きで好きです。

千花さんの
目の前で光に溶けた蝶ここは春にもロマンスにもほど遠く
蝶、これはモンシロチョウとかの白っぽいものかなぁ。
意外とモンシロチョウって秋にもいたりしますよね。
まあ春でもいいんだけど、
「ここは春にもロマンスにもほど遠く」ってあるんで、
今頃の季節かなって思います。
アゲハチョウとかの派手な夏の蝶ではないような気がします。
うん、わたしはモンシロチョウに一票。
(投票募ってない)
あ、蝶
って思った次の瞬間に、明るい光の中にまぎれてきえてしまった。
という状況でしょうか。
「目の前で」「溶けた」
という言葉から、手に入れ損ねたもののさみしさみたいな
そんな感じがしました。
明るい日の中に居ながら、
ちょうちょ一匹眺めても居られないんだなという
さみしさを感じる歌でした。
静ジャックさんの
つまらない本をそれでも読み終えて前より少し上を向いてる
つまんない本ってありますよね。
いや、つまんないと感じる、自分には合わない本。
つまんない本読んじゃったなぁ、時間の無駄だったなぁと
思う反面、
このつまんない本でも、きっちり読了できたという達成感
みたいなものもあったりしますね。
つまんないからって見捨てなかったぜ
っていう自負もあったりするかも。
本が単なる情報取得のための手段ではない人の楽しみが
そこはかとなく感じられて、いいなって思いました。
「つまらない本」といいながらも、
どっか優しい眼差しがありますよね。
ほしくんさんの
「つまらない男」と振られた時こそが吾の人生の入口だった
「つまらない男」という理由で振られるというのは、
ある程度は大人になってからのことだと思うんですが、
それが「吾が人生の入口だった」というのは
うーん、おだやかじゃない気がします。
ここから、
武田鉄矢じゃないですがふられ人生が始まった
というのでなければいいなぁと思います。
どうなのかな、ここから
「つまらない男」返上してめくるめく人生が始まった
なのかな。
「時こそが」「吾の人生の」
という固くてちょっと大仰に言ったところが面白くて、
どちらの人生をそれから歩まれたにせよ
今は割と楽しくやってらっしゃるんじゃないかと思ったりしました。

うたの日(船)


うたの日

10月21日歌題「船」

切り離す側に痛みはないのかしら例えば船から手を振るこども(しま・しましま)

この日のお題は「ひげ」「船」
この今月に入ってからずっとというと大袈裟だけど、
割とそういう事を考えてブルーになったりしています。
例えば子供の成長だとか、そういう発展的解消みたいな事であったり、
痛けりゃ放せ的な切り離しだったり、
雑誌についてる応募用の葉書の切り取りの場合もあるかな、
まあ色々な別離があるわけですが。
どちらにしても、その痛みの大小はあるにせよ、
きっと切り離された側も切り離した方も
痛いんですよ。

ところで、今回、いいなと思う歌が多くて、
その分記事も長くなることを先に書いておきます。

この日いいなと思った歌。
太田宣子さんの
週末を髭も剃らずにきみとゐて一重のきみも好きだと思ふ
怠惰にすごす週末の感じがすごく好きです。
髭をそらないままの主体とノーメイクの彼女。
で、
「一重のきみも好きだと思ふ」
の、「思ふ」がまたいいなぁ。
口にも出さないという怠惰さ!
でもこれ、
多分本当にそう思っても口に出さない主体が正解ですよね。
西村湯呑さんの
愛、なんて船ゆうれいがつぶやいて思わず渡してしまったタライ
「船ゆうれい」といえば、海で死んだものの亡霊で、柄杓を欲しがり、
その柄杓で海水を船に注いで船を沈没させてしまうっていう
あの「船ゆうれい」のことですよね。
その「船ゆうれい」に乞われるまま「タライ」を渡してしまうとは
なんてうかつな!
でも、
「愛」なんてつぶやかれたら、びっくりして渡してしまうかも。
「あい」ってかわいく手を出してきたんでしょうか。
「愛」の言葉のような気もして、
恐ろしい容貌の日本の「船ゆうれい」じゃなくて、
美しい容貌のセイレーンみたいなのだったのかもとか
想像されました。

こりけケリ子さんの
あらぶれば三人力の髭太郎きょうも一日雲を見ている
すごく面白くて、ハートを迷った歌でした。
「あらぶれば三人力」
という、条件付の怪力、しかも三人力という微妙さ。
しかも、どうやら荒ぶる気配なしの様子がいいですね。
○人力っていうと、
日本の昔話に登場する某太郎を連想するけど、
ぼやっとしてるところが楽しいし、
「きょうも一日雲を見ている」という下の句の爽快感が好きです。
まな!さんの
目とひげを書けばなんでもパパになるノートもミカンもお家の壁も
微笑ましいお絵かきがどんどん場所を移動していくところが面白くて、
可愛いなって思いました。
幼い子のミニマムな「パパ」、目に浮かぶようです。
点をふたつ書いて目、これでもう「人」で、
そこにひげを付け足したら、これは「パパ」。
「これは?」「パパ!」「これは?」「パパ!」「これは?」「パパ!」
という会話が聞こえるようでした。
404notF0816さんの
スポンジにひげ根をぎちと絡ませて貝割れ大根まだ生きてをり
貝割れ大根のスポンジ、たしかに根っこがぎっちり絡んでますよね。
「ぎちと絡ませ」「まだ生きており」
力強い言葉でその「命」を詠った歌ですが、
その裏に、そうやって販売しなければ無理なぐらい
弱々しい野菜でもあるって思うと
貝割れ大根の悲哀を感じますね。
えんどうけいこさんの
歯みがきをするより前にひげを剃る 知らないことはきっとまだある
初めて一緒に朝を迎えたカップルの、
女性側からの視点の歌かなと思います。
今初めて知ったこと、
これからも少しずつこの人の事を知っていくんだろうなって
そういう未来のほんのりした明るさがいいなって思いました。
照屋沙流堂さんの
なにもかもやる気をなくし部屋に寝てそれでもまあたらしきひげである
本体の方はすっかりやる気をなくしてても、
ひげだけは生えてくる。
無常感のようでもあり、
ひげだけやる気まんまんなユーモアのようでもあって
面白いなって思いました。
「あたらしき」ではなくて「まあたらしき」の「ま」に、
なんとなく明るさを感じます。
朝月さんの
少年は旅立つひとり船を漕ぎ世界史教師の声に揺られて
上手いなーって唸らせられますね。
居眠りのことを「船を漕ぐ」っていいますが、
たしかにたいくつな授業って眠くなっちゃいますよね。
それを「少年は旅立つ」「ひとり船を漕ぎ」
と表現されたところが凛々しくてすてき。
しかもそれが「世界史教師の声に揺られて」なので、
旅立った先が「世界史」の広がりのようにも感じられました。
水色水玉さんの
黒船はあの日すでに知っていた アワダチソウやハロウィンの秋を
この歌に、「アワダチソウ」を登場させたところが、
もうすごくいいなって思いました。
明治に入ってきて、昭和にはもうかなり繁殖してたらしいこのアワダチソウって
もうすでに、同じ秋の黄色い花であるオミナエシを抜いて
秋の野山、川辺の風景として一番勢いがある植物なんじゃないでしょうか。
アワダチソウが駆逐してしまった日本固有の植物のことも
頭に浮かんで、ちょっと切ないですよね。
あと、
「黒」船に、アワダチソウの「黄」、
そこにハロウィンの「黒×オレンジ」の色合いが想像されて
色彩的にもあざやかでした。
静ジャックさんの
ちっぽけな船を浮かべた公園の池が僕らの大洋だった
幼い頃、おもちゃの船を持ち寄って遊んだ公園の池。
「ちっぽけな」という形容詞は、「船」にしかついてないけど、
多分、「公園」も「池」も、もちろん「僕ら」も
小さかったんでしょうね。
大人になって、その小ささに気付くけど、
当時感じたわくわくは小さくならないですよね。
「大洋」という表現もいいなって思いました。
「タイヨウ」という音から、太陽も想像されて、
きっとその池は(実際はそうでなくても)公園のど真ん中にある、
わくわくの源のような存在だったんじゃないかと思います。
南瑠夏さんの
虹色の光と泳ぐ 湯船ではみんな人魚の記憶があるの
「虹色」「光」「船」「人魚」「記憶」
ロマンチックな想像がふくらむ言葉が並んでいて、
ちょっとくすぐったいようなぐらい。
お風呂で人魚になりきって遊んだ子供の頃
という解釈でいいのかな?
って、ちょっと不安になりますが、
わたしはそのロマンチックさと
あるあるのギャップが面白いなって思っていただきました。
だゆうさんの
名称は「日本財団」に変りたる「日本船舶振興会」はも
「日本財団」って言われても、すぐには分からないけど、
競艇とかの元締め的な存在のとこですよね。
以前の名前はそれっぽいんですが。
大昔、この会の笹川会長みずから出演した
「戸締り用心火の用心」「一日一善」
ってCMありましたよね。
そんなことを思い出しました。
さて、作者は「船」というお題で、
この会の名称変更のことを詠もうと思われたわけですが、
そこに至る心境がはっきり描かれているわけではありません。
が、「はも」という一語に、
なにやら万感の思いがあるみたい。
ポジティブな方向なのかネガティブな方向なのかは
わかりませんが、
なんとなく胸に来るものがありました。

うたの日(ポケット)


うたの日

10月20日歌題「ポケット」

ポケットの中にポケット大人ってちっちゃな秘密隠してんだよ(しま・しましま)

この日のお題は「ポケット」「テレビ」
ジーンズって、ポケットの中にちっちゃいポケットが一つありますよね。
子供のとき、
あれは親指を入れるところだと教えられて
あーそういえばそういうポーズとってる写真とかあるな
と、長い間信じてました。
実際のところは、
あそこにコインとかライターを入れて仕事してた名残らしいですね。

この日いいなと思った歌。
こりけケリ子さんの
ぱんぱんに膨らみきったポケットで木枯小僧が森を出てくる
「木枯小僧」がいいですね。
北風小僧でも風の又三郎でもなくて「木枯小僧」。
北風小僧っていうと、もうそのまんま風の妖精みたいな感じで
又旅姿で「寒うござんす」っていうイメージなんだけど、
この「木枯小僧」はどうなんでしょうね。
気のいい笑顔の風の妖精かも知れないし、
もしかしたら、単純に冷たい風にも負けずに外で遊ぶ男の子なのかも。
「ぱんぱんに膨らみきったポケット」には
森の秋がいっぱい詰まってるんでしょうね。

水色水玉さんの
ポケットをポケツと言いしじいちゃんは小さな街の仕立屋なりし
主体はこども心に、じいちゃんの「ポケツ」に
微妙な違和感があったんでしょうね。
成長して、それが「仕立屋」のじいちゃんの言葉ってわかるようになって、
「ポケット」といえば、
じいちゃんのポケツ
と、懐かしく思い出すようになった。
きっと丁寧な仕事ぶりの、昔ながらの仕立屋さんだったんでしょうね。
あたたかなノスタルジーを感じる歌でした。
藤田美香さんの
ポケットは裏返しにして洗います子らの宇宙を(ごめん)壊して
「ポケット」が「子らの宇宙」というのは、
なるほどー言い得て妙ってやつだなぁって思います。
ちっちゃなおもちゃ、小石、小枝、砂、お菓子の包み紙
ありそうなものから、思いがけないものまで、
あのちっちゃいポケットに入ってますね。
だからこその「裏返しにして洗います」にも繋がるんだけど。
中村成志さんの
百円を感触のみで選り分ける右に一枚残ってたはず
「ポケット」という言葉は出てこないけど、
強烈に「ポケット」感ありますよね。
ポケットに裸のコインを入れているところ、
その中の一枚の百円玉をさがしているところ、
ざらっとした寂しさを感じます。
結句の「残ってたはず」の
ちょっと幼いような言葉と字足らずは
狙いなのかも知れませんが、効いてるのかどうか分かりませんでした。

うたの日(封筒・かぼちゃ)


うたの日

10月18日歌題「封筒」

かどっこで何度も頬を刺されつつ書類封筒かかえて帰る(しま・しましま)

この日のお題は「封筒」「パジャマ」
複数の書類封筒って持ちにくいですよね。

この日いいなと思った歌は
えんどうけいこさんの
長すぎる手紙を書いてしまうので封筒だけがいつでも余る
ああー、わかる!
と共感の歌でした。
まあ、わたしの場合は書き損じで便箋が減るんですが。
「長すぎる手紙を書いてしまう」がいいですよね。
書き損じではダメ。
書きたいこと、伝えたいことがありすぎるんでしょうね。
厳選したレターセットなんだろうなぁって思います。

南瑠夏さんの
晴れの日は旅立っていく封筒にまっすぐまっすぐ祈りの折り目
「晴れの日」は天候のことなのかも知れないけど、
何かの慶事には、という意味かなって思いました。
封筒の封をするとき、
まあ、すでにのりが付いてるものがほとんどだと思うんですが、
それを丁寧に押さえるところを
「まっすぐまっすぐ祈りの折り目」と
詠まれたんじゃないかなって思います。
きつねさんの
封筒に入りきらない思いまで届けと願い選んだ切手
うたの日で、他の方が評に書いてらっしゃいますが、
たしかに動詞が多い歌です。
でも、あんまりそれがうるさい感じはしなかったです。
「封筒に入りきらない」→「思い」(まで)「届け」→「願い」
「願い」→「選んだ」→「切手」
と、「切手」への流れがスムーズだからかも。
大切な、自分の思いをこめた手紙は、
やっぱりレターセットだけじゃなくて、切手にも気を使いますよね。
衣未さんの
晴れ渡るあおぞら色の封筒に盛りだくさんに詰めこんだ秋
わたしがこの歌でとても好きなのが、
「晴れ渡るあおぞら色の封筒」
うーん、とてもすてきな表現です。
思わず、口に出してその爽やかさを確認したくなる、
そんな色の表現でした。
俳句の季語にも「天高し」「秋高し」というのがあります。
秋になって空気が澄んできて空が高くなったような気がするって
まあそういう言葉なんですが、
まさに「晴れ渡るあおぞら」な感じ。
封筒の中も外も、嬉しい秋って感じですてきでした。
松木秀さんの
晩秋の雨の降る中わたくしの机の上にある茶封筒
「雨」と(机の上の)「封筒」
それだけしか登場しないんですが、
その分、いろんな想像を許してくれる歌だと思いました。
とはいえ、「雨」は「晩秋の雨」ですし、
「封筒」は「茶封筒」なんで、
プライベートで楽しいお手紙、
という方向には行きませんが。



10月19日歌題「かぼちゃ」

この頃はジャック・オー・ランタン溢れてて隣で寝ててもびっくりしない(しま・しましま)

この日のお題は「困」「かぼちゃ」
「かぼちゃ」というお題で、
もうずっと「パンプキンヘッドのジャック」が
頭を離れなくて、
それこそ「困」っちゃいました。
パンプキンヘッドのジャックって、
「オズの魔法使い」の続編の「虹の国」に登場するキャラクターで、
この「虹の国」と「オズマ姫」を合体させた映画
「リターン・トゥ・オズ」にも登場します。
が、これは余りにもマイナーだろうと
泣く泣く諦めて、
もうちょっとメジャーなハロウィンのおばけにしました。
まあわたしの中では永遠に
「ヒーホー」って言うかわいいキャラでもあるんですが。
余談ですがこのジャック・オー・ランタンって
もともとはカブで、カボチャじゃなかったんですよね。
ジブリアニメの「ハウルの動く城」でも
かぶ頭のかかしが登場しますが、それと関係あるんでしょうかね。

この日いいなと思った歌は
小宮子々さんの
奪うよりたたかうよりも全力で厚く重たい実を切っている
実際の歌意は違うのかもしれませんが、
わたしはこの歌を読んだとき、
ひとりキッチンでかぼちゃと格闘している家庭の主婦を想像しました。
夫は、もしかしたら浮気してる人なのかも。
あるいは、友人がそういう恋を楽しんでいるという話を聞いたのかも。
でも、自分は家庭の主婦なんだから、
まずは家族にご飯をつくらなきゃ。
みたいな情景。
こころのどっかには
「あたしだって!」
みたいな気持があるかもしれないけど、
それもみんな、くっそ堅い丸ごとのカボチャを切り分ける力に使ってる
そんな情景を思い浮かべました。
ところで、マジで堅いカボチャありますよね。
わたしも何度、
半分突き刺した包丁と共にカボチャを捨ててしまいたいと思ったことか……。

荻森美帆さんの
数日はこれで生きると決めてから切ったかぼちゃをめんつゆで煮る
生活感のあるようなないような、
トホホ感漂うところが面白い歌でした。
「数日はこれで生きると決めてから」の「から」が
すごく面白いなって思いました。
お、おお。
って思わず頷かされてしまうような切迫感があります。
いろんな料理にして楽しくいただくんじゃなくて、
「めんつゆ」で煮ちゃうだけっていうところも、
今時のトホホ感がありますね。
雀來豆さんの
旨ければいいが夕餉の煮かぼちゃは宇宙と同じく僕が創った
荻森さんの歌が「お、おお。」なら、
こちらは「おおーっ」ってなっちゃう。
「煮かぼちゃ」と「宇宙」を並列に語っちゃう、
しかも、どちらも「創った」とは!
壮大ですてきすぎる。
なのに、詠み出しが
「旨ければいいが」っていう、
上からだけど、自信満々というほどでもないところがまた……。
「旨」「創」という漢字のチョイスもすてきですね。
妖精化師さんの
うたの日の締切時間に間に合わずかぼちゃのバスが城を出て行く
これはまたドがつくぐらいメタな……
って思いましたが、「かぼちゃのバス」でやられました。
面白すぎる。
あ、これ「バス」だ
って気が付いたとき、思わずぬふってへんな声が出そうになりました。
バスってことは、自分を残して、
みんながバスに乗り込んで行っちゃったのかなぁ。
と思ってたら、
お城へ向かうんじゃなくて、「城を出て行く」という。
帰るんかい!
と、脱力系のシュールにシュールを重ねるという技に
もう参っちゃいました。

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