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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(イルカ)


うたの日

11月17日歌題「イルカ」

シロイルカもたいへんですねバブルリングおかしなとこからあわ立つくらし(しま・しましま)

この日のお題は「放課後」「イルカ」
この歌、バブルリングとしてしまったんですが、
本当はマジックリングでした。
バブルリングはシロイルカの口から吐き出されるんで、
別におかしなところではないんですが、
マジックリングはシロイルカの鼻の部分から出される気泡でできた輪。
鼻っつっても、それがある場所は頭部上辺なんですよね。
噴気孔とも言って、
そう、鯨なら潮を吹くとこです。
ここからわっかになった気泡を出すことができるのは、
島根県の水族館アクアスのシロイルカだけなんだとか。
超ご当地ネタで申し訳ない。
シロイルカも人間も
思ってもなかった所から出てきたもので
ひょうたんからこまだったり、
藪から棒だったり、
棚からぼたもちだったり
二階から目薬だったり(ちがうか)
そんな日々を送ってるわけですね。

この日いいなと思った歌。
小向大也さんの
去年よりずっときれいになったって今年の君に言われたかった
歌手の方のイルカの「なごり雪」ですね。
「なごり雪」は別れの場面での
「去年よりずっときれいになった」
というフレーズになるわけですが、
小向さんの歌は
それ以前に既に別れがあって、
そう言って欲しかった、と。
唐突に
「あー、きれいになったって言われたかったな」
っていうよりも、
何か「きれいになった」と言われたい
きっかけがあるのかもって思いました。
イルカの「なごり雪」をベースにして考えると
何かしら主体は「大人になった」と
自分自身をそう感じる出来事があって、
そんな自分を、
(それより前に別れてしまったけど)
「君」に言われたかった
……んじゃないかなって思うと、
なかなかぐっとくるものがあります。
そして、ある部分では大人になったけど、
まだ前の恋を引きずっちゃってるところも
なんかいいなぁって思います。

まゆまゆさんの
スーパーでイルカの切り身を見つけた日だれにも言えず走って帰る
近年、日本のイルカ漁が国際的に物議をかもしてますが、
もちろんこの歌はそれを非難した歌
というわけではないと思います。
が、やっぱりスーパーで食品として
「イルカ」のラベルを貼られて並んでいるところを
目の当たりにするのはショックがあるだろうなぁ。
下の句の
「だれにも言えずに走って帰る」
の雰囲気から、その衝撃の強さが感じられます。
「帰った」ではなくて「帰る」というところに、
今もまざまざと何かイケナイものを見たような
背徳感というか裏切り感のようなものが深く残っている
そんな感じがします。
木原ねこさんの
スーパーにイルカ並べば足を止め「冬ね」と母は楽しげに言う
スーパーにイルカ、
そういうものが出回らない地域に住んでいる人間からすると
食べる地域もあると知ってはいても、
けっこう衝撃的な事実ですね。
まゆまゆさんの歌もそうですが、
「スーパー」で「イルカ」
というなかなかのユーザー(?)フレンドリーなところが
より衝撃的。
そして、
「冬ね」という母の感想が、
イルカが切り身になって食卓に上るのが
冬の風物詩的な存在なんだなぁって
衝撃を通り越して、ほほぅと思わされます。
多分、ですが、
ここんちの食卓にそれが登場したことはなくって、
母も自分では買わないけど、
イルカ肉がスーパーに出ると「冬ね」って気がする、
そんな感じかなぁと思います。
ある意味無邪気な母の一言をきりとった
非情の情、
のようなものを感じる歌でした。
ちなみに、
わたしの住んでる地域では
スーパーにたまに「ワニ」の切り身が登場します。
精肉コーナーではなくて鮮魚コーナーに。
これは鰐じゃなくて、サメなんですよね。ほんとは。
藤田美香さんの
何もかも知ってイルカは飛ぶのだろう囲われた海のボール目掛けて
イルカショーのイルカが、
何を何処まで知っているんだろう。
うまく出来れば、拍手とおやつをもらえて、
飼育員さんから褒めてもらえる、
知っているのはそれだけじゃない、
何もかも知っているんだろうという歌。
海水を満たしただけの擬似的な海が海じゃないこと、
その向うの向うに、本物の海があって、
そこが自分の本来いるべき場所であること、
ボールなんて目掛けて飛ぶ必要なんてないこと、
全部知って、それでも飛んでるんだと
そう思うと、しみじみとイルカをねぎらいたい気持になりますね。

うたの日(雲・ピンク)


うたの日

11月15日歌題「雲」

うしろから「聞こえませーん」と野次られてだんだん雲が濃くなってゆく(しま・しましま)

この日のお題は「雲」「スープ」
正直、「聞こえませーん」って言っちゃうやつは亡びて欲しい。
こっちは発言なんてしたくないのに、嫌々させられてるんだよ。
という小学生時代。

この日いいなと思ったのは
太田宣子さんの
雲を抜け雲にまみれて雲に着く頂きのない夢ばかり見る 
「雲を抜け雲にまみれて雲に着く」
という上の句のスピード感がいいなと思いました。
最後「雲に着く」と言っているのに
「頂きのない夢」なので、
その雲が夢のクライマックスではないんですね。
夢の中で理不尽に翻弄されてるような
ほんわりした不安な感じと満たされない感じがすきです。

小野田光さんの
雲少しある青空は安心でメトロから出て二駅歩く
「雲少しある青空」が安心っていうのは
すごく分かるなぁ。
雲が多くて、雨が降りそうで降らないのは
それはそれで不安があるけど、
雲一つない青空は、
それとは違う不安感を誘いますね。
「メトロ」もいいな。
「地下鉄」ではなく「メトロ」といったところに、
明るさをかんじます。
まゆまゆさんの
熱だして布団の国の人となる窓の向こうの雲はながれて
熱を出して昼間に寝ている(横になってる)時って
普段よりも窓の外が遠い気がします。
家の中がしんとしているから、外の音も聞こえやすいですよね。
近所のおばちゃんの声が聞こえてきたり、
鳥の声が聞こえてきたり。
遠い窓の向うの雲がゆっくり流れていくのを見ながら、
普段なら今頃してることを考えたり。
「布団の国の人となる」
という表現に、子供の頃の思い出かなと思ったりしました。
お母さんから、布団から出ちゃダメって厳命されて、
布団の周りに水とかティッシュ、
暇つぶし用の漫画とか置いてあって、
「布団の国」って感じがするんですが、どうでしょう。
吉川みほさんの
わたくしを通り抜け出てゆく呼気で雲は高く高くなっていた
この日わたしがハートをつけた太田さんの歌は、
「雲」と「夢」だけで構成された歌でしたが、
こちらの吉川さんの歌も、
「呼気」と「雲」というはっきりした形のないものだけで
構成されてます。
ものすごく鋭敏な感覚を詠まれてて、
どう表現すればいいのか分かりませんが、
強い孤独感があって、あーいいなって思います。
「出てゆく呼気」「高く高くなって」いく雲、
どれも自分自身から離れていくものばかり。
雲が高く高くなっていくのに対して、
「わたくし」が地上で小さくなっていくように思いました。


11月16日歌題「ピンク」

恋愛運上げるんだってさ指先ではじくちっちゃなピンクオパール(しま・しましま)

この日のお題は「ピンク」「紺」
天然石をつないだお数珠みたいなブレスレットありますよね。
石ひとつひとつに意味がある、みたいな。
黄色系は金運、ピンク系は恋愛とか
色味の雰囲気かよ
みたいな面白さがあるなぁって思います。
あと、雑誌裏の通信販売のアクセサリーぽい。

この日いいなと思った歌。
気球さんの
ピンクってそういう意味かコンパニオン来るってだけで衝撃なのに
うたの日のコメントで
男性の職場の(あるいは何かの会の)忘年会とかで、今でも密かに毎年若者がこの衝撃の洗礼を受けてるのかも。
ピンク=ピンクの発見の衝撃がリアリティあって面白いなと思いました。
って入れたんですが、
何が衝撃って、
実はこれが気球さんの作品だったことだったりして。
男性の歌と思って鑑賞してました。
女性の作として読むと、また違った雰囲気がありますね。
まず、ピンクコンパニオンの話をしている相手がいる
という感じかな。
「ピンク」が「エロ」の別表現だという発見を改めてさせられた
ってところは同じだけど、
渦中ではないんですね。
うん、それはそれでやっぱり面白いなって思います。
そういえば、
エロ系を「ピンク」という表現、どこか前時代的な感じがしますね。
完全男性社会だった頃の、
ある意味おおらかな隠語、みたいな。

楽水童子さんの
銃声の鳴らない夜明けピンサロの客引きだけが礼装の街
下の句がいいなぁって思いました。
「ピンサロの客引きだけが礼装の街」
ハッとさせられます。
まあ実際はどうかわかりませんが、
猥雑な繁華街の住民だけが礼装をしている
というのが印象的でした。
下の句がとても良かっただけに、
上の句が盛り過ぎの感があるような気も
しないでもないですが……。
木原ねこさんの
恋なんてしてないってばいちご味はどうしてみんなピンク色なの
はー、
なんてかわいらしいんだろう。
「恋」「いちご味」「ピンク色」
という可愛いワードに
「してないってば」「どうして~なの」
という女の子全開な話し言葉。
このオンナノコ全開な感じで、
どことなく投げやりなイライラ感がいいなって思いました。
「いちご味はどうしてみんなピンク色なの」
という疑問もいいな。
実際いちごっていちごそのものでいえば赤だよね。
でも、いちご味といえばピンクだし、
ピンクのパッケージを見れば、
これはいちご味バージョンかなって思ってしまう。
(まあ、さくらんぼ味もアリだけど)
いちご味が好きなだけで、
別に可愛いピンクを選んだわけじゃないんだよ
可愛いを求めてるわけでも、恋をしてるわけでもないんだから
枠にはめないで欲しい
という、
ある種のジェンダー的な問題がうんぬんかんぬん……
……
脱線したような気がするので、
今日はこんなところで終ります。

うたの日(道・本のタイトル)


うたの日

11月13日歌題「道」

ジェルソミーナ、ジェルソミーナ。浜に寄す波が犬ころ洗ってゆくよ(しま・しましま)

この日のお題は「ナルシスト」「道」
ジェルソミーナの名前から分かる人は分かると思いますが、フェリーニの「道」のラストシーンの感じです。

この日いいなと思った歌。
天野うずめさんの
道側の窓に置かれるミッキーとミニーの人形日に焼けている
よく見かける情景ですよね。
可愛らしく飾られた窓辺にお人形の背中が見えている
って。
「ミッキーとミニーの人形」
もしかしたら、
この家の持ち主の結婚式のウェルカムドールを務めた人形なのかも。
それがずっと窓辺に飾られていて、
多分部屋の中で見ると正面はそうでもないんだろうけど、
窓の外から見るとその背中が日に焼けている。
時間の経過がほんのりと侘しさを感じさせます。

ナタカさんの
次はいつ会えるだろうか会えるのかつま先ばかり見る帰り道
いつも会えるわけじゃない人とのデート(?)の帰り道。
多分まだその人と一緒にいるのに、
次のことを考えて「つま先ばかり」見ている主体が、
かわいらしくてさみしいですね。
「次はいつ会えるだろうか」という疑問に被せるように
「会えるのか」と、
もしかしたら次がないかも
なんて思っちゃうのが切ないですね。
404notF0816さんの
日向ぼこしていた北風小僧らがピュッと消え去る歩道の段差
日の当る「歩道の段差」
そこに躓いちゃったのかなと思います。
うん、歩道に段差なんてつけちゃいけません。
それはそうとして、
何か躓いたときに、「あっ」と思うものがあったんでしょうね。
で、それを作者は、そこに「北風小僧」が「日向ぼこ」していた
それを自分が躓いたときにどかしてしまった
と思ったのかも知れません。
「ピュッ」という短い擬音がいいなと思います。
「北風小僧」という呼び名から、
「みんなのうた」のあの股旅姿の小さな北風小僧が連想されて、
かわいいなって思いました。
中村成志さんの
参道の砂利より昇るしめやかな冷気 銀杏はまだ色づかず
神社の参道に敷かれた玉砂利を踏んで歩くたびに、
音と共に「しめやかな冷気」が昇る
という感じがいいなと思います。
暦上の晩秋な雰囲気。
遠くの山の方は、赤や黄色がちらほらあって、
周囲も、他の草木は赤や黄色に染まりつつあるけど、
大きな銀杏はまだ。
きっとこの銀杏が黄葉すると壮観なんでしょうね。
そのことを知っている作者の目線が感じられるようでした。


11月14日歌題「本のタイトル」

行き過ぎる制服にふとあめの匂い初恋素描帖ひらくごとく(しま・しましま)

この日のお題は「本のタイトル」「はさみ」
わたしが詠んだのは、豊島ミホの「初恋素描帖」。
数少ない、好きだと思った恋愛小説です。
中学のとある一クラスの生徒たちの様々な恋愛模様を
連作短編的にというかリレー形式というか
そんな感じで描かれた作品です。
濡れた制服の匂い、甘いキャンディの匂い、
そのどっちもがある作品だと思います。
興味が湧いたら是非読んでみてほしいです。

この日いいなと思った歌。
小川けいとさんの
醜惡な芋蟲のごとき憎しみを投げ落とさうと覗く古井戸
江戸川乱歩の「芋虫」でしょうか。
「古井戸」だからやっぱり「芋虫」なんでしょうね。
いやー、「醜惡な芋蟲」という字面のすごさが、
あの手足のなくなってしまった夫の内面をあらわしているようで
戦慄を覚えました。
「古井戸」という体言止めで終るところもいいですね。
ぐっときます。
この歌では「覗く」までしか描かれていませんが、
その後に「古井戸」だけが残っているような……。
それにも増していいなと思うのが、
その身を、ではなく「憎しみを」投げ落とそうというところ。
救いのない物語に、一筋の救いの光がさすようでした。

くろじたうさんの
「河童」でも出そうな川にぽつねんとオーパーツめいて置かれし「歯車」
芥川龍之介の二作品のタイトルを使って、
日常の中の風景のような、
それでいてどこか怪しげな風景が描かれていると思いました。
お題の使い方が絶妙だなぁって思います。
きつねさんの
読書好きと聞いて話せば次々と僕の知らない本のタイトル
意外に少なかった「本のタイトル」をそのまま詠み込む形式。
そうそう、そんなもんだよねー
って共感しきりです。
「読書好きと」「聞いて話せば」「次々と」
の初句の字余りから続くフレーズのリズムが心地よくて、
残念な気持もありつつの本の話をしている楽しさがあるようでした。
松木秀さんの
アマゾンで一万円の『親切な郷愁』うちに四十部ある
思わずアマゾンで確認しちゃいました。
たしかに一万円……。
著作者ならではの歌だなぁ。
うーん。
なにか恐ろしくシビアなものを見たような気がします。
月花さんの
不意打ちで囁かれたから信じてる『肩甲骨は翼のなごり』
デイヴィッド・アーモンド「肩胛骨は翼のなごり」を出されたら
これはもう票を入れるでしょう!
いや、本のタイトルだけで入れたわけではありませんが。
元になる作品を読んでないと、分からないような気がしないでもないですが
この上の句の甘い感じが、すごくいいなと思いました。
タイトル自体にも甘さがあるので、
甘すぎる一首のようにも思えますが、
デイヴィッド・アーモンドの作品にある、
しんと冷えた夜の空気のような美しさと、上の句の甘さが合うんですよね。
雀來豆さんの
冬空にレンズを向ける少年に微笑み返す「小さな王子」
わたしはずっと「星の王子さま」育ちなので、
この歌をぱっと見たときに、
この「王子さま」ってテグジュベリの「星の王子さま」みたいだけど、
でも違うかも…
アクセル・ハッケの「ちいさなちいさな王様」…いやあれは王様だ
と、ちょっと混乱しました。
そういえば、光文社から新訳出てたなって確認して、
やっと「あー、やっぱり星の王子さまだった」となりました。
冬空に望遠鏡を向けたら、
もしかしたら王子さまの星や、
彼が旅した星が見えるかもしれないですね。
宮木水葉さんの
海からきた少女去りぬるわたつみをあくがれはてて身は老いにけり
立原えりかの「海からきた少女」だ!
と、思わずうれしくなってしまいました。
うたの日にコメントを入れた時点では、
もしかしたら違う作品を念頭に詠まれたのかも
と思ってたんですが、やっぱり立原えりか作だったみたい。
昭和中期ぐらいに書かれた日本の児童文学とか童話って
文章も情景も美しくて素敵なものが多いですよね。
宮木さんの歌も、格調高い詠みぶりが素敵だなって思いました。
「わたつみをあくがれはてて身は老いにけり」
うろおぼえで申し訳ないんですが、
「海からきた少女」に出てきた少年と、
作者自身が重ねてあるのかなと思いました。

うたの日(丼)


うたの日

11月10日歌題「丼」

どんぶりの底に沈んだ一滴の涙に触れず食わねばならぬ(しま・しましま)

この日のお題は「いい人」「丼」
「いい人」っつったら、「伊豆の踊り子」ですよねー。
というかそこから抜け出せなくて「丼」にしました。
うん、飯食ってる時に泣くなよ
という歌
とも言えるでしょうという歌でした。

この日いいなと思った歌。
加賀田優子さんの
青い目出し帽のほうが二、三回手首の跡をさすってくれた
「いい人」と言わずに出す「いい人」感……
っていうか、この歌の状況を想像するに、
これは「いい人」ではなくて「わるい人」の一人ではないんだろうか。
多分ですが、この歌の主体は、
なにか犯罪に巻き込まれていて
というか、ぶっちゃけ人質になっていて、
黒や茶色の目出し帽をかぶった人よりも、青い目出し帽の人の方が
比較的「いい人」という判断を下した
ということなんでしょうね。
この程度で「いい人」認定してしまうなんて、
ちょろい、あんたちょろいよ……
って思ってしまうんですが、
非日常の中にいるとその辺の感覚もちょっとおかしくなるのかも。
意外な方向からの「いい人」へのアプローチが面白かったです。
薄荷。さんの
予想よりミニ丼が大きくて世間との差を噛み締めている
ミニ丼っていうから、このぐらいかなって思ったら、
意外に大きくて、ちょっとご飯多すぎて食べきれないかも……
という、割とあるあるなシーン。
些細なことなんだけど、
これを「世間との差」ってやや大袈裟に捉えてしまうところが
なんか分かるなって思いました。
些細なことが、妙に大きく心に響いちゃうことありますよね。

さわらさんの
いい人になれはしないと知った夜の無念と安堵を忘れずにいる
今回のお題の「いい人」、
社会的道徳的に「いい人」
(お向いの山本さんのご主人、ホントにいい人なのよ、的な、
「伊豆の踊り子」的な)
恋愛対象としてみた場合の「いい人」
(紳士的行動をする安全な人、
あるいは、いい人なんだけどという前置きのための言葉としての)
いわゆる恋人、愛人としての呼び方
(好い人、佳い人、「雨の慕情」で連れて来て欲しいって言われる人ね)
など、いろいろあると思うんですが、
この歌の「いい人」は、
一番目のタイプを指してるのかなと思います。
主体は多分、自分が「わるい人」ではないことを前提に、
何か「いい人」と呼ばれることになるかもしれないチャンスのような
そんな出来事に遭遇して、
でも、結局そう呼ばれるかもしれない行動が出来なかった、
という感じかなって思いました。
その夜噛み締めた「無念と安堵」、
ほんのりとした諦観が切ないなって思いました。
照屋沙流堂さんの
いい人になってしまった帰り道ふたりでホッとしたのもたしか
こちらの歌は、わたしは上記の分別で言うと、
二番目のタイプかなって読んだんですが、
うたの日の他の方のコメントのように、一番目のタイプとしても
確かに読めますね。
デートの帰り道かなってわたしは読みました。
「ホッとしたのもたしか」という言葉から、
ホッとしないのが一般的な事柄なのかな、と思ったんで、
きっと照屋さんの歌も、さわらさんの歌同様「安堵と無念」が、
ほんのりあったのかなぁ。
でも、この歌は一人でそれを噛み締めるんじゃなくて、
「ふたりでホッと」してるんで、
そこまで重たい出来事ではないような気がします。
まあ、「いい人になってしまった」方なので、それは当り前かもだけど。
勇気がなかったのか、チャンスがなかったのか
とにかく紳士的なデートに終ってしまって、
ふたりの仲がぐっと進展するようなことにならなかったけど、
それはそれでよかったのかも
っていう歌かなって思いました。
なんとなくほんわりとした空気と含羞がいいな。
松木秀さんの
天丼の旨い町なり室蘭は特に『天勝』と『蛯天』がよい
「丼」の歌は、いろんな○○丼が登場して、
どれも見てるだけでお腹がすいちゃう感じだったんですが、
中でもこの「天丼」が美味しそうで、
もう参っちゃいました。
北海道室蘭、行ったこともな場所ですが、
いかにも天ぷらの材料が新鮮そうな気がします。
「『天勝』と『蛯天』がよい」という
店の名前を二つ出して断定してあるところも
「天丼の旨い町なり室蘭は」という上の句に
説得力があったように思いました。
木原ねこさんの
男児から青年になる茶碗からどんぶりになるおかわりもする
「男児から青年になる」
多分、ほんの十年足らずの間のことで、
言葉にすればこんなに短いけど、
現在まだ「男児」のお子さんをお持ちのお母さんにとっては、
(もちろん、すでに「青年」になったお子さんのお母さんにとっても)
長い長い時間になるんだと思います。
その間にある、様々な成長の様子を
「茶碗」から「どんぶり」になる「おかわりもする」
とご飯の量で表現されているところがいいなって思いました。
この畳み掛けるようなご飯量のステップアップが
読んでいて心地よくて好きな歌でした。
桔梗さんの
真夜中のラーメン店にひとりゐて対話のやうに飲み干すスープ
この歌の対話は、
もちろん「対話のやうに」なので比喩としてのものですが、
誰との対話のように、ということなのかを、
ラーメンそのものとの対話かなって読みました。
「真夜中」に「ひとり」で「ラーメン店」。
そこまでして食べたいラーメンなのかと思いますが、
多分そんなラーメンがあるんでしょうねと判断したわけです。
しかも結句「飲み干すスープ」ですし。
最初から最後まで、このラーメン、スープ一滴までも味わう
という意思に満ち溢れた歌って思いました。
樫本らむさんの
鰻丼をかきこんでたら口の中に違和感、指環、ほほえむあなた
これはまた……
こんな「プロポーズはいやだ」みたいな歌で、
妙な魅力のある歌でした。
鰻丼を食べていて、ふと「口の中に違和感」
というのが、まず生理的な嫌さがあって、
多分口に手を入れて取り出してみたんでしょうね。
そしたら
「指輪」
で、思わず顔を上げたら
「ほほえむあなた」
という目線の順番がまた……
「ほほえむあなた」じゃねぇよ…って感じの
うすら怖い情景な気がしますがどうでしょうか。

うたの日(雑・酒)


うたの日

11月8日歌題「雑」

音のない夢を見たんだと思うんですとても明るい雑踏でした(しま・しましま)

この日のお題は「雑」「端」
記憶の中に、他の何とも連結しない情景だけがぽつんとある
みたいなのってありますよね。
そういうのを詠んでみました。
あえて字余りになっても丁寧に口語で言う事で
なんとなく、なんとなーくの寄る辺ない不安な感じが出る
と、いいなって思います。

この日いいなと思った歌。
こりけケリ子さんの
伊賀甲賀よりも風魔がすてきねと雑賀乙女のうわさ花咲く
そう言われると、たしかに「風魔」はすてきな気がします。
「風」という文字も「魔」という文字も
そして、主である北条家が亡びた後に風魔もほろびちゃうところも
ぐっと来るものがあります。
しかも、そのうわさ話をしてるのが雑賀衆の乙女っていうのがいいなぁ。
風魔滅亡に先んじて(まあ忍者じゃないけど)
織田信長・豊臣秀吉に滅ぼされた雑賀衆の子孫が、
江戸時代に入ってから、かつての戦いの日々から離れて
のんびりとうわさ話に「花咲く」という。
こののんびり感がいいなって思いました。

ナタカさんの
雑巾にされると知って水色のタオルは少し湿ってしまう
雑巾には雑巾の活躍ぶりがあるんだって言っても、
やっぱりタオルとして使ってもらうんじゃなくて、
雑巾にされるというのは一段も二段も落ちるような感じが、
タオル自身にもあっておかしくないのかも。
「水色のタオル」っていうのがいいなぁ。
「水」「湿ってしまう」の涙の水分量を感じさせるところもそうですが、
「えっえっ!雑巾用のタオルっていえば白でしょ!
まさか水色の自分が……」
って思ってそう。
せっかくのきれいな色も、雑巾になったら台無しですし。
フジタレイさんの
次々と蝶や蜂など訪れてかぐわしき薔薇の煩雑な日々
実はこの歌、
一目惚れに近いぐらいすてきだなって思いました。
「次々と蝶や蜂など訪れて」という華やかさに
「かぐわしき薔薇」という華やかさをかけて、
香りも姿も美しい薔薇を描かれてるんですが、
そこから「煩雑な」という、
薔薇自身の心情を吐露したようなところに転じたところが面白くて。
遠目から、薔薇へズームアップして、
そのまま内心まで行っちゃう視点が素敵でした。
ただ、これはわたしの好みだとは思うんですが、
「日々」という結びで、せっかくのズームがまた引きになって、
ちょっと最後に緩んじゃったかなぁって残念でした。


11月9日歌題「酒」

カップ酒のプルタブ引いてこれからは一雨ごとに寒くなるから(しま・しましま)

この日のお題は「国」「酒」
わたしカップ酒を開けるのが下手で、
よくちょびっと零しちゃうんですよね。
上手にカパッと開けて、すかさずぐびっていく人を見ると、
なんかかっこいいって思うんだけど、
よく考えたらあんまりかっこいい姿ではないかも。
カップ酒飲む人自体が。

この日いいなと思った歌。
きつねさんの
やりきれぬ夜は下戸にもやってきて三口のためにチューハイを買う
下の句がぐっと来ました。
たった「三口のため」でもチューハイを買わなければいけない。
そんな夜はきっと誰にもあるんだと思います。
「やりきれぬ夜」という詠み出しに、
主体(作者)だけでなく、読む側も、
その夜から容易に逃げ出せないような圧迫感が感じられて、
とても惹かれました。

三畑幾良さんの
今年から日本酒を呑む弟は世界の話をするようになり
主体は男性で、最近急に生意気になった弟を面白がっているのかな
って思いました。
弟さん、まだ若いのかな。
去年までは、ビールとかサワーとかを浴びていたのに、
今年から日本酒を飲むようになって、
お酒の薀蓄から世界情勢などの話までするようになって、
それを面白く見てる兄、って感じを想像しました。
中村成志さんの
細いほそい雨がつむじを濡らしゆき酒でなくともよい時はある
上手く、この歌の感想が書ける気がしないので、
この歌から頭に浮かんだ妄想を書きます。
酒を飲んで酔うというけど、
酔うために酒を飲まなければいけないっていうわけじゃない。
例えば今の自分がそう。
話せば長い話だからここでは言わないけど、
酔うってことは自分の気持にどっぷり浸かりこむことなのかも。
まだ酔ったように自分の奥深くにひたりながらの帰り道、
細いほそい雨が降ってたけど気にはならなかった。
うーん
もしかしたら全然違う情景を詠まれていたかも知れないですね。

うたの日(百・並)


うたの日

11月6日歌題「百」

玉葱を百回剥かばその中に(真珠/辣韮)いづれか出でむ(しま・しましま)

この日のお題は「百」「毛糸」
玉葱のまんなかにあるのがらっきょう、
だと、子供のときに誰かから教わって、
わりと長い間それを信じていました。
今考えるととなりの県の人に叱られそうです。

いいなと思った歌。
吉川みほさんの
山百合が知らない場所で燃えること燃えうつること燃えつきること
うたの日にもコメントしたんですが、
とにかくまず、「山百合」を「燃える」って表現されていることに
ハッとさせられました。
赤い花、群生するものを「燃える」と表現するのは、
俳句などでもよくある、というか
ありすぎて逆にハイハイってなっちゃうんですが、
山百合のような白い花を「燃える」と表現されたのが意表をつかれました。
でも、言われてみると、
あの白さ、大きさ、あの強い雰囲気は、
たしかに「燃える」という言葉に相応しいかも。
それも「知らない場所で」自生している山百合を想像するときに、
「燃える」とおもうところが素敵だなって思います。
そして、「燃えつきる」ところまでを思うってところが、
なんか、いいなって思いました。
「知らない場所で」咲いているだろうけれど、
それはひっそり咲いているわけではなくて、
きっと、(私は見てはいないけど)荒ぶっているんだろう
って感じがしました。

きいさんの
百均の棚より来たるガジュマルが足を踏ん張り大きく育つ
百均で販売されている小さな植物、
上手く気長に育てると、結構どれもしっかり育つらしいですね。
このお歌では「ガジュマル」ですが、
サボテンとかポトスとかパキラとかじゃなくて
「ガジュマル」っていうのがいいですよね。
あのぼこぼこした幹(?)のユーモラスな感じ、
あれがいかにも
「足を踏ん張り」って感じで、
まるでその足で百均の棚からそのまま歩いてきたみたい。
生命力のかたまりみたいで楽しい歌だなって思いました。
加賀田優子さんの
ともだちを百人つくってあいうえお順に絶交していくんでしょ
SNS時代の、というか、携帯電話時代に生まれ育った人の歌って
そんな感じがしました。
ともだち百人
っていったら、やっぱり富士山の上でおにぎりかって
思っちゃうけど、
あいうえお順のリストにして、上から順に絶交していくという……。
友達の、目に見える形でのリスト化って
携帯のアドレス帳とか、フレンドリストって感じがして、
平成時代の人の歌だなぁってしみじみ思ったわけです。
「ともだち百人」「あいうえお」「絶交」という言葉の無邪気さが
リアリティというか実体のない空虚な感じで、
寒々しいようなユーモラスなような、不思議な雰囲気がしました。



11月7日歌題「並」

遊びつつ帰る子供に追い越され並木もわたしも景色のひとつ(しま・しましま)

この日のお題は「並」「茄子」
この日出した歌は、
実はぺんぎんぱんつ賞に投稿した連作から外したものから
連想的に出てきたもの。
つまり、
ぺんぎんぱんつ賞に投稿しました、
という特に意味の無い報告。

この日いいなと思った歌。
天野うずめさんの
解説の都並敏史の声聞こゆ負けているらし日本代表
サッカーについて、わたしは多分そこらへんのおばあちゃん並に
知らないし、興味も持ってないんですが、
「解説の都並敏史」で、
あ、これは多分サッカーの国際試合なんだなって思いました。
「都並敏史」という人を知っているから、
ではなくて、
「解説のツナミ」という部分に聞き覚えがあったから。
その後ググッて、あー、やっぱりサッカーの人だった、
と、確認しました。
ちなみに「敏史」という名前の部分は、どう読むのかわかりませんでした。
と、長々と自分の事を書きましたが、
それを踏まえて、
この歌の主体も、あまりサッカーに興味の無い人で、
家族が見ている試合の中継を、
何かほかの事をしながら聞くともなしに聞いている
という情景かなと思いました。
この歌に直接出てこない、
「テレビ中継を見ている家族」が感じられるところが
いいなと思います。
沼尻つた子さんの
野菜界でいちばん嘘が上手そうなつやつやの茄子を揚げてやる
「野菜界でいちばん嘘が上手そう」って
なんかいいですね。
多分、茄子全般がそうなんじゃなくて、
つやつやで皮に弾力があるぴちぴちぱんぱんの茄子が、
そうなんじゃないかと思います。
このつやつやの茄子を、よりによって「揚げてやる」なんて
ああ、
なんておいしそうなんだろう。
晩ご飯の後なのに、揚げ茄子食べたくなって困る歌でした。
結句が五音なのが、ちょっと気になるところでしたが、
「茄子」のうたの中で一番おいしそうでした。

吉川みほさんの
点々と並ぶ錠剤飲み終えてまぶたを閉じたあとの粉雪
「点々と並ぶ錠剤」を、
昨夜の時点では、「テーブルに広げた今飲む錠剤」
の描写だと思ったんですが、
今日になって、
あ、もしかして薬シートの描写だったかな、
と思ったりしました。
前者だと複数の錠剤、複数の病状それぞれの薬を
一度に飲まなければいけないことへの
何かしらのひやっとした気持かなって思うけど、
後者なら、たとえば鎮痛剤とか眠剤を服用して、
それが効くまで待っている時間のひんやり感かな
と思ったりして。
下の句の「まぶたを閉じたあとの粉雪」が
ホントに印象的で、
特に体言止めの「粉雪」が、
拡散されていく意識の広がりのような気がしました。
雪間さとこさんの
君の言葉アルパカ並みにあたたかく思い浮かべて枕にしてる
もう、一目見た瞬間から、
あっかわいいな、すてきだな
って思いました。
いつも自分が座ってる傍に置いて肝に銘じる、みたいな言葉のことを
座右の銘
っていいますが、
このお歌の言葉は、もっと近くて、
「枕にしてる」っていうところ、
「アルパカ並み」っていうぐらいだから、
単にあたたかいだけじゃなくて、ふわふわで心地よくて、
あー、なんてうらやましくさせる歌なんだろう。
(と、感想すら放棄させるうらやましい歌でした)
文乃さんの
端の木が今年も最初に色づいて銀杏並木の秋が始まる
銀杏並木っていいですよね。
あのあざやかな黄色は、風景全体で言えば秋の終りの感じだけど、
銀杏並木自身からしたら、たしかに秋の始まりかも。
ぼんやりしてたら、どの木から色づき始めたのか、
気が付かないまま、全体的に黄葉してしまうだろうけど、
作者は、毎年、端っこの木から色づくことを知ってる
ってところがいいなと思います。
毎日見る並木なんでしょうね。
色彩のイメージ力の強さと広がりがすてきでした。
ルオさんの
ばあちゃんの茄子素麺は本州じゃ食えない味と家を出て知る
「茄子素麺」!
しかも「ばあちゃんの」!
どういう食べ物なのかわかりませんが、
ものすごくおいしそうで、
しかもしかも
「本州じゃ食えない味」と先に言われてしまうという
この切なさ。
破壊力抜群でした。
西村湯呑さんの
ときどきはおばけみたいなナスが獲れ、ボーナスと呼んでます。 生きてます。
「ボーナスと呼んでます。」からの
一字空けの「生きてます。」がもうツボでした。
よかった、
駄洒落の寒さに凍え死んだ人も、羞恥の余り舌を噛んだ人もいなかったんだ。
と、思ったんですが、
もっと素直に、
ときどきボーナスが獲れる生活をしながら、
のんびりと生きている人
と読んでも楽しいですよね。
小宮子々さんの
もし君が私を捨てたなら一生茄子を食べられなくなる呪い
なんという恐ろしい呪い……
ん?おそろ…しいのか?
という、
人によっては全然恐ろしくないどころか、
上等とも思えるかもしれない呪いで
脅すところが可愛くて好きでした。
っていうか、その呪いを主体自身がかけたのか、かけるっていうのか、
誰かがすでにかけているのか、
それがはっきりしないところも面白いなって思いました。

うたの日(占)


うたの日

11月5日歌題「占」

独り占めできないものを抱え込みちょっとすっぱい梨の真ん中(しま・しましま)

この日のお題は「たまご焼き」「占」
「たまご焼き」の締め切りに遅れ、「占」で詠むしかない
とは思うものの、
えー、「占い」って意外に難しいな、詠めないなぁ
と思って悩んでたけど、
あ、「占い」じゃなくて、漢字一字の「占」か
と気が付き、その上ツイッターで「独り占め」を人に提案してもらって
それで出来た歌でした。

この日いいなと思った歌。
きつねさんの
きみは知る由もないけどこのたまご焼きのたまごはふたごだったよ
「たまご焼き」の歌は、どれもあたたかみがあって、
いいなって思うものが多かったんですが、
この歌のふわっとしたやさしいあたたかさに惹かれました。
卵を割って、思いがけなく黄身が二つあったときの
気持の弾む感じ、
その時「きみ」が近くにいれば、主体も声を掛けて
ふたごの卵を見せたかも知れないけど、
多分卵焼きの完成品しか目にすることができない状況だったんでしょうね。
黄身を溶いて焼いてしまえば、
わざわざ報告するほどのことではないような気がして
黙っているけども、
実はスペシャルな卵焼きだったんだよと
心の中だけで思ってるのかも知れません。
「このたまご焼きのたまごはふたご」
というフレーズの、
思わず声に出してみたくなる可愛い感じもいいなと思いました。
静ジャックさんの
独り占めしたくなるような青空を君のタバコの煙がよぎる
抜けるような青空がまず想像されて、
もうそれだけで素敵だなって思いました。
情景としては色々と読む側の自由に想像できる、
「青空」と「君のタバコの煙」しか出てこないシンプルな歌で、
「タバコの煙」に対しての気持も、
否定的なのか肯定的なのか明かされてないんですが、
私は「タバコの煙」というよりも、
「君」の存在をほんのり肯定するというところかなと思いました。
ここからは完全に私の妄想ですが、
RCサクセションの「トランジスタラジオ」の世界観に、
教室で教科書広げてるはずの「君」も、
一緒に屋上にいるような、
一緒に寝転んでラジオから流れる曲を聞いているような
そんな想像をして、
ほわわわ~ってなりました。

堂那灼風さんの
カウントをゼロに戻して人類が最初の卵焼きを巻く朝
ずいぶん大きく戻したような、
意外とそうでもないような不思議な感じと、
それでもやっぱり壮大なところがいいなと思いました。
「カウントをゼロに戻して人類が」というところまで、
無慈悲ななにかを感じるんですが、
「卵焼き」をそこに登場させたことで、
作者がまだ人類に見切りをつけてなさそうな
あたたかみがあるような気がしました。
何かをやり直すことを、「蒔き直し」といいますが、
「最初の卵焼きを巻く朝」は、
それにかけてあるのかも。
木原ねこさんの
いいにおいまとって正しくおかあさんできているかと焼くたまごやき
一読で、童謡「おかあさん」が浮かんできて、
わ!すてきって思った歌でした。
二番の
おかあさん なあに
おかあさんていいにおい
おりょうりしていたにおいでしょ
たまごやきのにおいでしょ
ですね。
「いいにおい」「おかあさん」「たまごやき」
のひらがな表記も優しくて、
歌の中から抜け出してきたみたい。
で、そこから
ぐっと作者の方へ近づけて、
「正しくおかあさんできているかと」
という「おかあさん」としての立場から詠まれてるところが
いいなと思いました。
子供を育てることで、
明らかな大失敗はまああるかも知れないけど、
普通に育てていって、
これが正解、不正解ってないので、
「正しくおかあさんできているか」という命題は
自分自身に常にあるものだと思います。
根拠はないけども、
大丈夫、おかあさんできてます。
沼尻つた子さんの
キッチンへ届く朝日を巻きこんで金色に仕上がる玉子焼き
上手いなぁってただただ感心する歌でした。
お弁当用か、朝ごはん用か、
たしかに卵焼きって朝つくるイメージですね。
「届く」「朝日」「金色」「仕上がる」
の肯定的なフレーズも、
「キッチン」の促音の明るさも、
幸せの象徴みたいでいいなと思いました。
永昌さんの
占の字をみつめていたらへた付きのみかんにみえて冬のはじまり
「占」、たしかにへた付き葉っぱ付きのみかんに見えますね。
いろんな果物に(当然ながら)旬があるけど、
夏のすいか、冬のみかんは、
その季節の果物として100人中100人が頷くんじゃないかと
思うイメージ力の強い果物ですよね。
占→みかんのかたち→こたつでみかん→the冬
そんな連想が浮かぶのも、「冬のはじまり」ならではかも。
小宮子々さんの
七割も占拠されてちゃ仕方ないこうも勝手にこぼれる水だ
一読目は、ん?という感じで
どういうことか分からなかったんですが、
「七割」の「水」って
もしかして人間の体の中の水分量のことかな
と、気付き、
「こうも勝手にこぼれる水」が
あ、涙か
って分かったときに、
おおー!ってなって、思わず♪を入れてしまいました。
アハ体験的な楽しさというんでしょうか。
樫本らむさんの
凶兆だ!と何かにつけて叫んでた人がほんとに帰ってこない
「つまり、人類は滅亡する!」「な…なんだってー!!」
という一連の流れを思い出してしまいました。
いや、なかなかヤバい状態で笑い事じゃないですね。
どこかの終末論関係のコミューンに参加してて、
そのうちひょっこり
「人類滅亡しなかったわ てへぺろ」
って帰ってくればいいんですが。
塾カレーさんの
「きっと好き」「絶対好き」をくりかえし花占いはないものねだり
花占いなんて五弁の花でやればいいんですよ。
というのは暴論ですが、
「きっと好き」「絶対好き」だけの花占いっていいですね。
新しい花占いへのアプローチじゃないでしょうか。
「好き」のリフレインなのに、
「きっと」「絶対」という粘りのある感じが、
恋に恋する少女というよりは、
何か思いつめたものを感じて
「ないものねだり」が強く切なく感じます。

うたの日(窓・首)


うたの日

11月3日「窓」

夜になるとぼくたちは窓辺に凭れ昼にはわかない気持に浸る(しま・しましま)

この日のお題は「大学」「窓」
夜だけに湧いてくる気持って何でしょうね。
深夜以降に手紙や日記を書くと、
なんかポエムになっちゃうのと
同じ由来のものではないかと思います。

この日いいなと思った歌。
きつねさんの
終電の窓越しに君が何か言う わからないけどわたしもと言う
最終電車に乗り込んだ「君」が、窓ごしに、
あきらかに自分に向かって何か言っている
という口の動き。
なんて言ったのか実はわからなかったけど、
「わたしも」という。
もちろんその声も相手には届かないだろうけど、
きっと、わからないけどうなずいてくれたでしょうね。
会話をキャッチボールに例えることがあるけど、
この歌の会話はエアキャッチボール。
それでも成立するのが恋人だよねって思って、
思わずふわっと楽しくなりました。

吉川みほさんの
しあわせな遺跡のようだ 夕焼けの団地の窓に子供の気配
「団地」というと、公営団地、老朽化、住民の高年齢化、
っていうイメージが湧いてきますが、
ここの団地は、
まだ子供の気配がはっきりとわかる現役の団地のようです。
「しあわせな遺跡」という比喩が、
団地へ向けるまなざしの優しさを感じられていいなと思いました。
「夕焼けの団地」という表現も、
わたしはすてきだなって思います。
実際は外壁がもう随分汚れているのかも知れないけど、
白っぽい壁にオレンジの夕焼けがうつって、
あたたかな光景が想像されました。
もしかしたら、この夕焼けに染まった団地のあたたかな見た目から、
「窓に子供の気配」を夢想して、
実際にもしあわせな団地であって欲しいと
主体が願っているのかも、とか思ったりもします。
藤田美香さんの
窓際に星がすたすた堕ちてきて願いは何だと聞くのだ 妻よ
童話のようなすてきな歌だなって思います。
「星がすたすた堕ちてきて」
という表現から、
まるで夜空を見ていたら、その中の一つの星が、
急ににょっきりと足を生やして、
男のもとへ歩いてきたようにも思えます。
さて、
どんな願いを男は口にしたのか、
その願いは叶えられたのか、
そして、そう聞かされた妻はどう答えたのか、
色々と想像が膨らんできます。
一字空けの「妻よ」が、
すごく好みの感じでした。



11月4日「首」

ああこれはやっちゃったなと首をすくめ生え際に襟の冷たさがある(しま・しましま)

この日のお題は「県」「首」
これからの季節、ジャケットの襟が触れてひやっとすることありますよね。

この日いいなと思った歌。
千花さんの
もう自由だよと首輪を外しても毛が分かれてる梳いても梳いても
犬の首輪を外す、
それ自体はいろいろな理由が考えられますが、
「もう自由だよ」と外してやるというのは、
もしかしたら亡くなった後だけなのかも。
長い間つけていたせいで、生え際からもう癖になってしまって、
なでても梳いても、首とその下とが分かれてしまう。
切ない歌です。
「梳いても梳いても」のリフレインに
ずんと胸を打たれました。

吉川みほさんの
セロニアス・モンクの紡ぐ音のなぞ首をかしげて聴く僕の犬
セロニアス・モンクの曲は、
どういったら正しいか分かりませんが、
唐突だったりたどたどしかったり、
それでいて好きな人にはたまらない魅力があるところ、
たしかに「なぞ」と言える感じですね。
「僕の犬」ですら、「首をかしげて」聴いているというのが
可愛くもあり、面白い歌だと思いました。
首をかしげる犬というと、
ビクター犬も連想されて、
LP盤で曲を聴いているような気もしました。
三畑幾良さんの
我などは話もできぬ清廉の首すじにひとつ虫さされの紅
この歌をパッと見たときに、
京極夏彦の「魍魎の匣」を思い出しましたが、
あれはたしか虫さされじゃなくてにきびでしたね。
憧れの人の、美しい真っ白なうなじに、
ぽつんと赤い虫刺され跡。
エロティックなようでもあり、
「我などは話もできぬ清廉」の人の持つ、
唯一の、自分と同じ高さにある徴のようでもあり、
あってはならない瑕のようでもあり、
とても惹かれる歌でした。
小宮子々さんの
愛などを口にするのかこんなにも花の首ばっかりの野はらで
この歌の意図するところが、
はっきりわかった上でいただいた
という訳ではありませんが、
なんとなく惹かれる歌でした。
「愛」「花」「野はら」
美しいイメージのフレーズに
「口」「首」というフレーズが生々しく混じって、
寒々しいものを感じました。

うたの日(エレベーター)


うたの日

11月2日歌題「エレベーター」

エルマー・エレベーター、エルマー・エレベーター、猫のお皿にミルクを入れて(しま・しましま)

この日のお題は「エレベーター」「助」
エルマー・エレベーターは「エルマーのぼうけん」の主人公。
野良猫にミルクをやったことから冒険が始まります。
しかし、
上の句を575じゃなくて4646にするという冒険ならぬ暴挙、
ありだったのかなしだったのか、
うたの日の結果が出た後も、ちょっと分からないまんまですね。

この日いいなと思ったのは
楽水童子さんの
カントリーエレベーターを照射する甍の群れとして ニュータウン
「カントリーエレベーター」JAとかの、巨大で真っ白な建物で、
穀物とかを貯蔵しているやつですね。
この歌を素直に読んだら、
カントリーエレベーターの近くにニュータウンが出来ていて、
ニュータウンの真新しい家々の瓦が日差しを返すから
カントリーエレベーターが照っている
みたいな感じでしょうか。
わたしの個人的な感覚ですが、
カントリーエレベーターがあるのは、
周囲に建物がなにもないようなだだっぴろい平野で、
ニュータウンは、
山を削って作られるもの、
という感じがしますが、
もしかしたら、耕作しなくなった田んぼが多くなって、
そこをニュータウンとして再生させる
ということもあるかも知れません。
じわじわと宅地に侵食される農地
と言うイメージが湧いてきます。
ずらっと並んだ瓦が何かのパネルの様にも見えて来ます。
普段目にするカントリーエレベーターはとても無機質な感じで
正直異様な建物にも見えるんですが、
この歌では、
カントリーエレベーターに親しみがあって、
人が住んでいる方のニュータウンが無機質で怖いもの
みたいにも感じられます。
「甍」が「夢」にも見えて、
皮肉な感じもしますね。

文乃さんの
エレベーター下降を終えてわたくしの芯が僅かに遅れて届く
一読して、
ああー、分かる!
と思った歌でした。
酔うというほどではないんですが、
エレベーターが止まった後で、ちょっと遅れてずんと来る
あのズレた感じ、
あの感じだなぁって。
あの「ずん」っていうのが、
「わたくしの芯」が
「僅かに遅れて届く」と表現されているのが
もう、そう言われると
確かにそう。
というかそうでしかない
って気になりますね。
なつさんの
最後まで「ひらく」ボタンを押すひとの人差し指はすこし分厚い
こういう人は、
いつも「ひらく」ボタンを押す人で、
最初に「ひらく」ボタンを押す人で、
後から乗り込んでくる人が、
ちゃんと入りきったのを確認してから
「ひらく」ボタンから指を離す人なんでしょうね。
一般論として詠んでいるようにも思えるけど、
きっと
人差し指が「すこし分厚い」、
「ひらく」ボタンを押す人が、作者の身近にいるんだろうなと思います。
松木秀さんの
何か見えろ見えろと思いシースルーエレベーターを下から覗く
思わず笑ってしまいました。
「何か見えろ見えろ」
の切実感。
出来ればパンツ、
いやそこまではっきりじゃなくてもこの期待を満足させる「何か」
「何か」がちらっとでも見たい
という熱い思い。
「シースルー」なんていうから
そんな期待を持っちゃうんでしょうか。

うたの日(ハロウィン・犬)


うたの日

10月31日歌題「ハロウィン」

したイタズラされたイタズラ一つずつ最後に甘いお菓子をもらう(しま・しましま)

この日のお題は「四字熟語」「ハロウィン」
「トリック・オア・トリート」
このイタズラって、例えばどんなことをするんだろうって
思ったんですが、
庭の木にトイレットペーパーをかけたり、家に卵をぶつけたり
という感じらしいですね。
そういえば、ハロウィンって行事、
日本では近年になってぐわーっと盛り上がってるという話ですが、
わたしが「ハロウィン」で思い出すのって、
往年の少女マンガ「ファミリー!」と、
ドイツのメタルバンド(まあヘロウィンかもだけど)です。

この日いいなと思った歌。
小宮子々さんの
ハロウィンに含まれますか似合わないスーツも値引きされたプリンも
「似合わないスーツ」、就活スーツかなと思いました。
世の中はハロウィンで大騒ぎだけど、
就活で心身共にいっぱいいっぱいの主体。
コンビニで値引きされたお菓子を目にして、
ハロウィンとは縁が無いけど、
これを買ったらちょっとはハロウィンの端っこにいた、
ってことになるのかな……
って考えたのかもと思います。
就職活動のために着ているスーツも、
考えようによっては仮装みたいなものだし
ってところなのかな。
時々、自分の中の流れと世間の流れがずれてるなって
思うことありますよね。
ほんの少しだけでも、世間の流れの方にも身を寄せたいなって
思ったりしますよね。

荻森美帆さんの
ハロウィンはたぶん楽しいスリラーがかかるラジオを聴きつつ眠る
この歌も、ハロウィン不参加側からのハロウィン感を詠んだもの
と、思います。
どこかで行われてるハロウィンパーティやパレード、
きっと参加すれば楽しいんだろうね、参加すれば……
でも、ね
という気持があるのかも。
マイケル・ジャクソンの「スリラー」が
ラジオから聞こえるところがいいなって思いました。
ルオさんの
しゅるしゅるとシーツおばけはとけてゆきお菓子両手に眠る幼子
微笑ましい情景がぱっと頭の中に浮かんできます。
外でお菓子を貰って歩くような年齢ではなくて、
自宅で楽しくハロウィンの遊びをした幼児かなと思います。
シーツを被っただけの簡単なおばけになって、
家族からお菓子を沢山貰ったんでしょうね。
さっきまでにぎやかだったのが、
いつの間にか静かになっていて、
そっとシーツを外してやると、可愛い寝顔だった、
って感じでしょうか。
「しゅるしゅる」という擬音がやさしくて、
眠ってしまった幼子を起さないようにという
親心が感じられました。



11月1日歌題「犬」

あの頃はばらいろだつたはずだつた毛布にながい鼻をうづめる(しま・しましま)

この日のお題は「サッカー」「犬」
さて、ばらいろだったのは「あの頃」か「あの頃の毛布」か。
年老いて自由に体を動かすのがしんどくなっている姿を
目の当たりにするのは飼い主の方もつらいですね。
現在わたしが実際に見ているのは、
犬ではなくて猫ですが。

この日いいなと思ったのは
きいさんの
出入り口だけを見つめて犬が待つスーパーの灯に照らされながら
こういう光景、スーパーやコンビニでたまに見かけますね。
適当なポールとか車止めのアーチとかに
リードが結わえてあって、
飼い主が買い物をして戻ってくるのを
ひしっと待ってる犬。
切ないような、いとおしいような
そんな気持にかられます。

小宮子々さんの
来るならば犬のかたちで来てほしい秋の日差しのにおいをさせて
天国へいってしまった犬へ、かな。
生まれ変わっても、ということなのかも知れないし、
霊として、ということなのかも知れないですが、
ちゃんと、わたしがわかるようにしてね、
犬のかたちで、散歩のあとのあの背中の匂いをさせて。
そうすれば、またちゃんと抱きしめてあげられるから。
そんな気持かなと思いました。
小川けいとさんの
あの雲がきみの背中の白ぶちと同じで消えるまで見届ける
この「背中の白ぶち」の犬も、
今は主体の近くにいないのかなと思います。
ふっと見上げた空に、
二つ三つの雲が浮かんでて、
ああ、あれはあの子の背中のぶちの模様と一緒だなって
思っちゃったらもう、色々思い出しちゃって、
空に浮かんでいる雲が消えるまで、
たくさんあの子のことを思い出すから、
それまではここを立ち去れない。
犬に限らないですが、
ペットが飼い主に愛されていた様子は、
ホント胸がぎゅっとなりますね。

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