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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(術)


うたの日

11月29日歌題「術」

占星術はじめましたの張り紙にほんのり透ける冷麺の文字(しま・しましま)

この日のお題は「イケメン」「術」
本当は「冷麺」ではなくて
「冷やし中華」にしたかったんですが、
文字数が結句で大余りするのは避けたかったのと、
「占星術はじめました」と「冷やし中華(はじめました)」
で意味的に繋がるよりも
「SEN-SEI-JUTU」と「REI-MEN」
の音の対比の方が面白いかなあ
と思ったりして。

この日いいなと思った歌。
萩野聡さんの
電飾がぼやけてきれいで世界には泣きやむ術がたくさんあるよ
こういう世界を肯定的に捉えた歌って
もうそれだけで好きだなぁってところがあります。
電飾ということは、
クリスマス近い街なのかも。
泣いてる誰かに向かって、
あるいは泣いている自分へかも知れないけど、
こうやって人を泣かせる世界でもあるけど、
この世界には「泣きやむ術がたくさんある」
と言う。
そういうの、やさしい眼差しだなあと思います。

太田青磁さんの
普段より色の名前が増えている美術館帰りの夕空は
美術館で、たくさんの絵画を鑑賞しての帰り道、
いつもと同じ夕空でも、
豊かな色彩に触れた余韻で、
夕空を表現する「色の名前」が
普段よりも増えている、
という発見がいいなって思いました。
衒いのない、ストレートな喜びが
気持がいい歌でした。
中牧正太さんの
父の為す術など歌うほかになし おくすりイェーイおくすりワオ
面白いなって思いました。
上の句の
ややぎこちなく句またがりで詠み出した
固い文語調から、
一字あけでいきなりの
「おくすりイェーイおくすりワオ」
意表を突かれたハイテンションでした。
普段そういうキャラじゃないお父さんが、
幼い子供に薬を飲ませる一助として
考えた上での
「おくすりイェーイおくすりワオ」
という盛り上げ方だったのかな
と、思いました。
作者の中牧さんには少し申し訳ないような
そんな気もしますが、
堅く始まって、ハイテンションになるのが面白くて、
そのあとじわじわと侘しさが漂ってくるような
三段構えの味わいがいいなと思いました。
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うたの日(半濁音)


うたの日

11月28日歌題「半濁音」

フエラムネ咥え未来がどのくらい明るいものか吹きあった午後(しま・しましま)

この日のお題は「消」「半濁音」
「半濁音」、ぱぴぷぺぽ。
これを詠むって、どう詠めばいいんだろう……
って悩んで、
言葉で遊んでみよう
ってことにしました。
「半濁音」というフレーズを詠み込まず、
「パピプペポ」の文字を詠み込まず、
それが感じられるような……。
ということで、
フエのピーピーだけで会話する、
という子供っぽい遊びの情景。
明るくて楽しいけど、どこか陰影があると面白いかなぁって思って、
「フエラムネ」を「吹く」
「未来」の話を「吹く」(大ボラを吹く的な)
「くらい」「明るい」
というのを仕込んでみました。
さて、全部種明かししましたが、
どのぐらいの仕込みが成功したと言えるんでしょうか。

この日いいなと思ったのは
太田青磁さんの
全身をポップなピンクに染め上げた林家ぺーとパー子のふたり
もう、一読でこれがハートだ!
ってなりました。
いいですね、めっちゃポップです。
まず、
「全身をポップなピンクに染め上げた」
という上の句のリズムが好きです。
前のめりなポップさを感じます。
で、
「林家ぺーとパー子」です。
あのすてきなピンクの衣装
ぺーさんのセリフにやや食い気味で被さるパー子さんの笑い声
時折二人が見せる単なる倦怠期の夫婦のような暗さ、
すべてが激しくポップ、いやロック……
やっぱりポップな佇まいです。
「半濁音」ってお題で、
林家ぺー・パー子さんに辿り着いて、
ポップを引き出してきたって凄い!

沼尻つた子さんの
くちびるが上下に離れあっさりと言えて淋しいきゃりーぱみゅぱみゅ
太田さんの「林家ぺーとパー子」よりも、
「きゃりーぱみゅぱみゅ」の方が、
ポップアイコンとしては一般的なんじゃないかと思いますが、
そこに「淋しい」を持ってきたところが上手いなぁって思いました。
噛むこと前提みたいな「きゃりーぱみゅぱみゅ」が
あっさりと言えてしまう淋しさというのも、
共感します。
真篠未成さんの
濁音で言うよりずっとやさしくてパカパカパカってあなたをたたく
これはかわいい!
「バカバカバカ」って言いながら女の子が彼を叩くのも
それはそれで可愛いですが、
ホントに「よりずっとやさしく」
「パカパカパカ」ですからねー。
軽い叩き方と怒り方がかわいいですね。

うたの日(11月27日分)


うたの日

11月27日

この日のお題は「凛」「昔」
「昔」で投稿したんですが、
連想される先行歌があるようなので、
今回はここにアップすることを取りやめました。

この日いいなと思ったうた。
葵の助さんの
国道で見かけた老婆海草を売り歩いていた昔のままで
すごくおもしろいなって思いました。
しょいこで海産物を背負って
山間地でそれらを売り歩く行商の女性、
かつてはうちの地方でもわりとポピュラーだったと聞いてますが、
まだそうやって売り歩く人があるんですね。
そういう人をごく最近見かけた
というものだと思いますが、
それが、「昔のまま」の姿だったという驚き。
「行商する老婆」という種類の人が「昔のまま」だった
とも読めることは読めるんですが、
昔見た人と同一人物が、「昔のままで」今も国道を歩いている
という姿に目を止めたような感じで、
どことなくホラーちっくな謎めいたところが面白かったです。
昔、もしかしたら子供の頃の記憶かも知れません。
子供の頃って、ある程度年齢が上の人は
みんなお年寄りに見えたりするし、
行商の人ならば背中に荷物があるから
どうしても腰をまげてあるくことになるから、
余計に老婆に見えた、というだけかも知れませんが。

桔梗さんの
窓辺から雪の気配のする夜にすこしむかしの話をしよう
「すこしむかしの話をしよう」
という、下の句が、
なんとなくですが翻訳小説の中のフレーズのようで、
そういうところに非常にくすぐられるものがありました。
「窓辺から雪の気配」
具体的にはどういう状況かは分かりませんが、
室内の静かで暖かな様子が感じられて、
誰かにせがまれて、ではなくて
自分から
昔の話を切り出すゆったりした雰囲気がいいなと思いました。
薄荷。さんの
「世が世なら」突如始まる母上の家系自慢を聞き流し居り
詠み出しの鍵カッコの「世が世なら」に
インパクトがあって、
ぐっと引き込まれました。
唐突ですよねー。この唐突な感じと、
「母上」の「家系自慢」が「突如始まる」感じがリンクして
うはーって思ってしまいました。
吉川みほさんの
昔々どこかで出会ったことがあるわたしの知ってる雪のにおいだ
全体の雰囲気がとても素敵だなと思う歌でした。
「昔々」と字余り気味でゆったり詠まれていて、
ふわっと心地よいリズム。
ふと「雪のにおい」を感知して、
しかもそれが旧知の何か特別な雪の匂いと思うという
繊細な感覚がそのリズムにとてもよく合っているように思いました。
朝月さんの
手作りの曲目ラベルあの頃を閉じ込めているカセットテープ
「カセットテープ」なつかしいですねー。
わたしの世代だと大体そうかと思いますが、
昔のCD用のポータブル機器って
めっちゃ乾電池を必要として、
且つすぐに電池切れになっちゃうという代物で、
やっぱりカセットにダビングするという作業が必要でした。
複数のアルバムから曲を集めて
オリジナルのカセットを作ったりもしますし。
「手作りの曲目ラベル」のぬくもりもいいなぁ。
今再生する事はもしかしたら出来ないのかも知れないけど、
この曲目ラベルを眺めるだけでも
なんだか「あの頃」がよみがえりそうな気がします。

うたの日(瓶)


うたの日

11月26日歌題「瓶」

いつの間に空っぽになる香水壜ついにあなたは気が付かなかった(しま・しましま)

この日のお題は「好きだった教科」「瓶」
「瓶」のうた、
ホントに素敵なものが多くて、
ここ最近で一番たくさん音符を入れたんじゃないかな。

この日いいなと思った歌。
藤田美香さんの
自販機のサミシイボタンでワンカップ大関が出る町に住んでる
「サミシイボタン」っていいなと思いました。
サミシイ人のために「サミシイボタン」が自販機に用意されてる、
そんなやさしい町っていいなぁ。
「サミシイボタン」で出てくるものがココアとかホットミルクのような
いかにも優しいものでなくて
「ワンカップ大関」っていうのもいいですね。
サミシイ大人のためのボタンっていう気がして、
より「サミシイ」が増幅されるようでありながら、
固有名詞がなんとなくキュートにも感じられます。

雀來豆さんの
瓶のなかカットライムを押し込めば夜が俄かに泡立ってゆく
「瓶のなかカットライムを」といえば、
ぱっとコロナビールが浮かんできます。
他にもそういう飲み方をするものがあるのかも知れないけど、
やっぱりコロナビール。
おしゃれなバーなんかにも置いてあるだろうけど、
沖縄とか、もともとの原産国メキシコのイメージが
ライムを押し込んだときにしゅわーって出る泡と共に
広がるような気がしました。
まだ昼の熱気が残る夏の夜の感じ。
「夜が俄かに泡立ってゆく」がいいなと思いました。
葵の助さんの
午前2時 消毒液にひたしたら哺乳瓶こぽとあぶくをひとつ
赤ちゃんがまだ本当に小さい頃は、
授乳は何時間置きとかで、
それが午前二時にかかる頃ということもありますね。
空になった哺乳瓶をすぐに消毒するというところも
まだまだ赤ちゃんが小さい感じを思わせます。
深夜ひとりでキッチンに立つ若いお母さんの孤独感が
「午後2時」の後の一字空けに隠れていそう。
それを、「こぽとあぶくをひとつ」のひらがなのやさしい感じが、
甘く包んでくれているように思いました。
ナタカさんの
ガラス瓶ガランゴロンと煮沸してまだもう少し生きていけそう
大きなお鍋で保存瓶をまとめて煮沸してる様子が浮かんできます。
これから、ジャムなのかピクルスなのか、
もしかしたら佃煮とかかも知れないけど、
とにかくそのガラス瓶に保存食をつめるということですよね。
自宅用かなと昨夜は思ってコメントを入れたけど、
もしかしたら誰かにあげるためなのかも。
何かを保存するということは、
それを使う未来があるっていうことでもありますよね。
それを食べてくれる人の顔とか
想像するだけでも、「もう少し生きていけそう」な気持になるのかも。
七海奏一郎さんの
瓶越しの銀の帆船をながめれば父の書斎は海へとかわる
「父の書斎」って、それだけでもういかめしい感じで、
子供が勝手にうろちょろ出入りすることを許されないイメージ。
うちの父の書斎は、単なる書籍の物置と化してて、
すてきな置物が飾ってあったりはしなかったので
出入り自由でしたが、
ボトルシップ、しかも「銀の帆船」が入ったような
いかにも繊細な雰囲気の置物が飾ってあるような書斎は
そうとう子供に敷居の高い場所だっただろうなと思われます。
勝手に触ってもダメだったんでしょうね。
こっそり入り込んで、ただそのボトルシップを眺めている。
その不自由さと、
そこから想像の海が広がっていく感じがすてきでした。
大嶋航さんの
瓶入りのビタミン剤を手で振れば確かに1000錠が響きあう
1000錠入りのビタミン剤の瓶、
想像してみると、めっちゃ大瓶ですね。
両手で持って、瓶そのものだけでもかなりの重みがありそう。
そこにぎっしりとビタミン剤が詰まってて、
これはもうかなりの重さじゃないかと思われます。
それをゆっくり振って、
1000錠のビタミン剤がかちゃかちゃ鳴るのを
聞いている主体。
手にある重みも、1000錠が響き合う音も、
なんとなく頼もしい感じがします。
でも、同時にどことなく頼りないというか、
侘しい、切ないような雰囲気も漂います。
「確かに1000錠が響きあう」
という、句またがりの不安定さと、
そのせいで
「響きあう」と言いつつもその余韻を打ち消してるような
リズムのせいかも。
えんどうけいこさんの
一週間分の空き瓶捨てるときふと考える人生の意味
ゴミって、生活ぶりが出ちゃいますよね。
まあ、生活していく上で出るものだから
当り前ではありますが。
「一週間分」という小さい単位の「空き瓶」
その数も種類も分かりませんが、
なにか主体に
「ふと」「人生の意味」を考えさせるものがあったんでしょうね。
そんなに重たい「人生の意味」ではなさそうな
そんな気もしますが。

うたの日(貝・凶器)


うたの日

11月24日歌題「貝」

貝の口へねじ込むナイフ出来るならさっきの嘘をつきなおしたい(しま・しましま)

この日のお題は「貝」「席」
嘘を嘘で上書きするんじゃなくて、
あ、ああいえばよかったなって思うことありますよね。

この日いいなとおもったのは
楽水童子さんの
「貧(ヒン)」は貝がつく「富(フ)」はつかない(金持ちはカネなんて気にかけねえか)
面白い歌だなって思いました。
「貧」と「富」という字をなんとなく眺めていて、
「貧」の方にだけ、貝という文字が入っていることに
注目した主体。
貝って、古代中国やその他の国で通貨として使われたもので、
貝=金って感じなのになんか皮肉だなぁ
とか思いかけて、
それを
(金持ちはカネなんて気にかけねえか)
ってあっさり打ち消す主体。
破調のリズムや「かけねえか」というやや乱暴な言葉遣いもあいまって
毎日のやりきれなさから
つい投げやりになってしまう感じが出てて
いいなって思いました。

塾カレーさんの
ひとつ、またひとつと開きゆく貝につひに開かぬものの混じれり
他の貝はひとつひとつ開いていくのに、
最後まで開かなかったものがあった
って、あるあるのようで、
「つひに開かぬもの」、取り残されてしまう貝の
なんともいえない残念さ、
侘しさが感じられていいなと思いました。
ハート級にいいなと思ったんですが、
「混じれり」で、急に貝と自分との距離感が出来たような
そんな気がして……
わたし自身が開かない貝みたいに読んでたんで
あれ?って気になってしまいました。
吉川みほさんの
貝殻の螺旋の中の「しん」という音が聴こえる 水から生まれた
巻貝などを耳に当てたとき、ゴォーって音が聞こえますよね。
潮騒のような音だけど、
本当は自分の体を流れる血液の音だと聞いたとき、
それはそれでロマンチックだなぁと思った覚えがあります。
この歌では、その音ではなくて
「しん」という音が聞こえる、と。
「しん」という音ということは、聞こえない音が聞こえた
ってことかなと思います。
その聞こえない音が「水から生まれた」っていうところが
素敵だなぁと思いました。
いや、もうこの結句の「水から生まれた」のフレーズだけに
やられたような気もするぐらい素敵でした。
水から生まれたのは、「しん」という音でもあり、貝殻であり、
その貝殻から「しん」を聞き取った主体そのものであるんでしょうか。
成瀬山水さんの
自分には真珠があると信じてた 蓋を開けると何もなかった
上の句の
「真珠があると」という気持、
「何もなかった」という気持、
分かります。すごくわかります。
「信じてた」「なかった」の過去形の並列が
切なさを増幅させますね。
まだ何もしていない十代のころの万能感と
その後いくつかのことを経験してからの挫折感。
それが痛いほどわかって、うんうんと共感する歌でした。
でも実際のところ、
まだ「真珠」を巻いている途中だったりもするんですよね。
何もなかったと判断するには、
作者の年齢には関係なく、
早過ぎる
気がします。
真珠でも巨神兵でも、
何らかの成果や形になるには
時間が必要ですよ。うん。
と、わたし自身に言い聞かせております。

11月25日歌題「凶器」

君に捧げるバールのようなものにあるバールのようなものの影濃く(しま・しましま)

この日のお題は「病院」「凶器」
「凶器」と言われて浮かんだのが
「鈍器のようなもの」と「バールのようなもの」でした。
こういうときに、
あー、わたしってあるある星人なんだなぁと
しみじみ思って反省したり。

この日いいなと思った歌。
ひらたてるさんの
僕ひとり殺せるだろう包丁で切ったトマトをふたりで食べる
包丁の持つ潜在能力について
多分彼女と思われる人がそれを使っているのを
後から眺めながら考えている。
というのはかなり怖い情景だなぁと思います。
これが立場が逆だったら、
わりとあるような気がするんですが。
彼ひとり殺せるだろう包丁で……
みたいな、ね。
多分多分で申し訳ないけど、
多分包丁を使う彼女は、普段そういう言動をするような
そんな人じゃなくて、すごく優しい人なんじゃないかな、
でも、主体はついそういうことを考えてしまう。
「トマト」がまたいいなって思います。
包丁の切れ味を示すのに、完熟トマトがよく使われますが、
そういう点から、きっとよく切れる包丁なんだろうな、とか
「トマト」を切った時、赤い液体が出るのが
ちょっとだけ血液を連想させるな、とか
それでいて
「トマト」を食べるというのは
なんとなくカジュアルで明るい雰囲気があるようで、
そのギャップが怖い歌だと思いました。

小宮子々さんの
今はただブックエンドを演じつついつか凶器となる広辞苑
あるときは本が倒れないように支えるブックエンド、
あるときは人を傷つけるための凶器、
しかしてその正体は
言葉を調べるための辞書。
そうか、広辞苑っていうものには
さまざまな用途の可能性があるんですね。
この歌では、正しい用途については
一切言及されてないところに
ほろりとユーモアがあって面白いなと思いました。
それにしても、
あの分厚い広辞苑で殴られたら、
多分死にはしないと思いますが、
そうとう痛いだろうなと思われます。
宮木水葉さんの
一振りを手挟み立てり市ヶ谷の空は遥かに遠くなりしか
11月25日「市ヶ谷」
といえば、三島由紀夫の割腹自決。
この日のことを「憂国忌」とも言いますね。
主体は、そのことに思いを寄せて、
「市ヶ谷の空」
今現在の空ではなくて、その日の空が
「遥かに遠く」なったのかと考えている
という情景かなと思いました。
上の句の
「一振りを手挟み立てり」
が、動詞がごちゃっとしてるような気がして、
せっかくの「一振り」がすこしぼんやりしたかな
って思ったりしました。

うたの日(イチョウ)


うたの日

11月23日歌題「イチョウ」

私生活に立ち入るつもりはないけれど銀杏落葉をきみのかばんへ(しま・しましま)

この日のお題は「イチョウ」「謎」
銀杏の落ち葉って、きれいでつやがあって、
拾ってしまうと、捨てるのがもったいないような
そんな気持になります。
まあ、捨てるしかないんですが。

ところで「イチョウ」(銀杏・公孫樹)の旧かな表記ですが、
「いてふ」「いちやう」
どっちもありますよね。
江戸時代からずっと「いてふ」だったらしいんですが、
語源が原産地である中国での呼び名であることから
「いちやう」が正しいってなったのが
昭和初期のことらしいです。
でも、「いてふ」も味わいがありますよねー。
ちなみに
「胃腸」の方は「ゐちやう」になります。

この日いいなと思った歌。
吉川みほさんの
停留所の銀杏落葉降りつづき祝福されてバスは止まった
情景がわーっと浮かんで来るような歌でした。
銀杏の黄葉ってほんとあざやかで、
葉っぱも大きめなので、
はらはらと降る様子ってホントその周辺が輝いているようですよね。
初冬の明るい日差しの中で、
銀杏が葉を落としている中に、
バスがやってきて、止まる。
傍目にも「祝福されて」いるといわれると
そうだろうなって思える光景です。
主体はきっと、そのバスの乗客の一人で、
その銀杏の停留所で降りた人なんだと思いました。
バスも、主体も、
明るい黄色の光の中で祝福されているような
素敵な歌でした。
ところで、
二句目の「銀杏落葉」は
「いちょうらくよう」って読むんでしょうか。
「銀杏落葉降りつづき」のところだけ、
なんとなく読んでて緊迫感というかざわっとするような
そんな気がしましたが、
「停留所の銀杏/落葉/降りつづき」
と、切れ切れなのかな?違うのかな?
という、どう読めば正解なのかわからない
そんな不安で自分が緊張しちゃったのかもしれないなって思いました。

フジタレイさんの
神の居る傍にはいつも落ちているそうなと祖母はギンナンを炒る
おばあちゃんの傍にくっついて、
お話を聞いてる孫の姿が想像されていいなって思いました。
おやつ用なのかな。
銀杏を炒りながら、
「ギンナンといえばね」って銀杏に纏わる昔話とかしてくれて
「いるそうな」で、お話を締める。
食べる時にも、たくさん食べちゃいけない理由を
昔話を絡ませながら教えてくれそうとか
勝手に想像して、
ほわっと楽しくなってしまいました。
天野うずめさんの
御堂筋のイチョウは雄に植え替わり古き記憶よ銀杏の香は
銀杏の実は匂いが強いんで、
並木には向かないですよね。
御堂筋の銀杏並木が、
もともとは雌も混じっていたとは知らなかったんですが、
雄に植え替えられてしまえば、
毎年の、あの匂いの思い出も
年々古びてしまうと思うと切ないような、
大切なような気がします。

うたの日(結婚)


うたの日

11月22日歌題「結婚」

結局はしないに傾く結婚の残り香だけがほのぼのとある(しま・しましま)

この日のお題は「ラブレター」「結婚」
ここ最近(21日はそうじゃなかったけど)
きゅんとする恋歌を目指して詠んでますが、
だんだんと一連の短歌の主体が
自分を離れてなんとなくキャラ付けがされてきそうで
なんとなく怖いなと思ったり。

この日いいなと思った歌。
木原ねこさんの
ラブレターあのとき封をした指は今はきりりと春巻きを巻く
なんの変哲もない縦長の封筒なら、
ぴりっとシートを剥がすとべたっとした糊部分が登場しますが、
ラブレター用の封筒って、
一応糊がついていても、
指を使って、自分でちゃんと糊付けの必要がありますね。
あの感じと、
春巻きの巻き終りの指使いの感じが重ねてあるのが
まずいいなって思いました。
「きりり」がまたいいですね。
少し手が込んでる「春巻き」をささっと作っちゃうところに
新婚さんではない主婦感があるような気がしました。
あの時出したラブレターの結果はどうだったかは置いておいて、
今はこうやって、きりっと夕食の準備をする主婦になってる。
っていう感慨がいいなぁ。
「きりり」だけじゃなく「はるまき」の音の明るさも好きです。

これはわたしの好みの押し付けなのかなとも
うっすら思いますが、
「指は今は」と「○○は」が二つ続くことで、
せっかくの「指」が少しぼんやりしてしまうような気がします。
でも、
どうなんだろうなぁ。
先般行われた「うたの人」の評でも、
わたしだけが重箱の隅をつついたようなことを書いている
ような気がすることが多々あって、
もしかしたら、本当にただの重箱の隅つつき女なだけかもとか
思ったり……
だとしたら非常に申し訳ない気持で、
うたの人のコメントも気にしないでもらえるとありがたい
とか思ったりしています。

文乃さんの
二十年経っても知らぬことがありそれでも同じ海を見ている
結婚して一緒に暮らすようになって、
長い時間が経っても、
それでもまだ知らないことがある
って、本当にそうだなぁと共感しきりでした。
長いからこそ生まれる「知らぬこと」もあるんでしょうね。
5年10年20年、そしてこれから、
少しずつ知って行ったりちょっと忘れちゃったりしながら
一緒に生きる
「結婚」ってそういうものなのかも知れないですね。

augさんの
封筒の中身は、いっしょに行ってみたいお店の名前を並べた便箋。
一目見て、「うわーかわいい」って思っちゃいました。
受け取った相手次第では意味不明な手紙にもなりそうだけど、可愛いなぁ。
永昌さんの
好きですといえない僕のしたためるお元気ですかで始める手紙
不器用な男性像がほわほわっと浮かんできます。
とぼけた感じの穏やかなユーモアがいいなと思いました。
藤 かづえさんの
とりどりの便箋、くさぐさの言葉、渡せぬままの手紙のために
(色)取り取りの便箋と、種々の言葉
ラブレターを書くために集めたものを
575部分を二つに分けてゆったり詠まれているところが
古風な言葉にあっていて素敵だなって思いました。
鳥や草がなんとなく連想されるひらがな表記もいいなぁ。
小向大也さんの
花嫁と呼ばれるきみを明日から何と呼びつつ暮らしてゆこう
花嫁と主体の関係が今一つはっきりしないんですが、
花婿として読むと、かわいくてうらやましい悩みだなって思えます。
沼尻つた子さんの
サムシングブルーとしての憂鬱をすこしたずさえあなたは嫁ぐ
結婚の時に何か青いものを身につけると幸せという「サムシングブルー」
そのブルーとして「憂鬱」のブルー
というのはおしゃれな視点だなって思いました。
きいさんの
理想的な父親である君といて独り占めしている結婚である
「君といて独り占めしている」というのが「結婚」というのは、
かわいい結婚観だなって思います。
しかも「理想的な父親」でもあるのに独り占めとは贅沢ですね。
お子さんが寝てるすきの独り占めでしょうか。

うたの日(全校生徒600名の前で一首)


うたの日

11月21日歌題「全校生徒600名の前で一首」

あがらない呪文「カボチャの頭」ってホントは前からおもってました(しま・しましま)

この日のお題はこれひとつ。
うたの日が開催されてから600回目の記念詠的なねたの日。
友達以外はみんなカボチャ
そう思っていた時期がわたしにもありました。
でもね、
だからって大勢の前で何かを発表するとか
あがらなくなるわけではないんですよ。
ちょっと考えてみてほしい。
600個のカボチャが並んだだだっぴろい場所で
たった一人声を張り上げるところを。
それはそうとう変な状況よ。
しかもそのカボチャには目と口があるんだよ
普通に人前でしゃべった方がましだわ
と、
気付いたときにわたしも真人間になれました。
というのはうそですが。
極度の恥ずかしがり屋をこじらせて
誰も自分を気にしてない
誰も自分に注目なんてしてない
誰も見てない
わたしは透明人間みんなはカボチャ
という境地いや窮地に至ったことは本当でした。

この日いいなと思った歌。
文乃さんの
きみたちが600通りの声をして今歌いだす校歌斉唱
一目見て、いいなぁって思って、
その後もじわじわといいなぁって思える歌でした。
この日のお題である
「全校生徒600名の前で一首」
というのを忘れても、
きちんと成立する端正な歌。
「校歌斉唱」がいいですよね。
何かの式典、
全校生徒が集まっているということで
卒業式とかを想像しました。
高い声、低い声、
男の子の声、女の子の声、
大きい声、小さい声、
いろんな声があって、
そのひとつひとつの声には
それぞれの学生生活をしてきたバックがあって
それがまた味わいがあるという……。

須磨蛍さんの
カボチャだと思えば一面一様なジャックオーランタンほの笑う
お、カボチャ
というところでまず目を引かれました。
あがり防止にたくさん並んだ人の頭を
「カボチャ」に例えるのと「ジャガイモ」に例えるの
どっちが一般的かなぁと思ったんですが、
須磨蛍さんの歌で、
もしかして「カボチャ」優勢なのかな、と思ったりして。
まあ、それはいいんですが。
「みんなカボチャだと思えば……」「思えば……」ちらっ
という状況で、
そのカボチャが、目の部分を暗く繰り抜かれて、
薄ら笑いの形に口があるジャック・オー・ランタンの方だった
って、
怖すぎます。
何にも言わずにニヤニヤ笑いを浮かべてる聴衆……
いや、めっちゃ怖い歌でした。
静ジャックさんの
1000人を超えてたこともあったのに 恋をしようよ楽しく生きよう
「恋をしようよ楽しく生きよう」
この一見Jポップ的な(?)軽いフレーズ。
でもよく考えたら
「命短し恋せよ乙女」とか、大正時代からの定番フレーズですよね。
上の句の
「1000人を超えてたこともあったのに」
という、嘆きにも似た言葉。
少子化ゆえの生徒減少なんだろうと思いますが、
誰視点の言葉なんだろうなって思いました。
校長先生だって、
そんなに長く同じ学校にいるってわけじゃないですよね。
理事長?
って思うと今度は学校経営の生々しさが前に出ちゃって、
下の句が響いてこないな……
ということで、
もしかしたら、学校の校舎とか、シンボルツリーとか
そういう、人間じゃないものの視点かなぁって思いました。
(命短し)「恋をしようよ楽しく生きよう」(人間のこどもたちよ)
みたいな。

うたの日(レンガ)


うたの日

11月20日歌題「レンガ」

かたく積んだレンガの家からオオカミが口笛一つで連れ出す少女(しま・しましま)

この日のお題は「レンガ」「架空の動物」
なんていうか、
ボーイミーツガールな感じを出したかったんですが、
どうやら失敗したみたい。
ちなみに
かたく積みたるレンガの家ゆ狼の口笛一つに連れ出されたり
という、
なんちゃって文語バージョンと
どっちを出すか選んだんですが、
どうせ点数ないなら、より冒険した方を出せばよかったです。

この日いいなと思った歌。
笠和ささねさんの
赤レンガ建てたこぶたが探してる未経験からはじめるシゴト
いやー、てっきり
「レンガ」「こぶた」で
三匹の子豚モチーフのユーモアにまぶした社会詠と思ってました。
で、
うたの日の方に
経験というか腕に覚えのありそうな仕事にはつきたくないという、何かこだわりがあるのか、あるいはもうレンガ造りの建物に関係する仕事がほとんどないのかも知れませんね。
後者だとすると、なかなか時代の流れが身につまされるような気がします。
と、コメント入れたんですが。
(まあ、それは違うと誰にも言われてはいないけど。)

うたの日で他の方が指摘されたように、
求人情報のタウンワークのキャラクターのこぶた
というものがありましたね。
自分の投稿したやつで大はずしした日は
読みまで自信がなくなってしまう
ような気がします。

塾カレーさんの
開拓の歴史に耐へる重さもて赤レンガの道庁建ちたり
多分、この世に「道庁」と呼ばれるものは二つしかなくて、
そのうちの一つが「赤レンガの道庁」
北海道庁旧本庁者だと思われます。
今現在の視点を持ったまま、
この道庁の竣工当時へ心をとばしたような歌で、
「重さ」がずしっと感じられるように思いました。
気球さんの
売られゆく前のレンガの湿り気が漂うホームセンターの裏
非常にわたくしごとではありますが、
この間、
猫のための墓標になるものをさがしに
ホームセンター通いをしておりました。
屋外の建材コーナーって、
石くさいというか土くさいというか
なんともいえない物寂しい匂いが漂っていたんですが、
そうか、あれは「湿り気」の匂いだったのかも
と、なんとなく納得したりする歌でした。

うたの日(出・短)


うたの日

11月18日歌題「出」

嘘をつくことも出来たね 君の手が足裏の傷に触ったときに(しま・しましま)

この日のお題は「飛行機」「出」
実はわたしの右足の裏には古い古い傷がありまして。
母の貝印のI字カミソリを妹が遊びに使って、
そのまま部屋になげっぱなしにしていて
それをざっくりと踏んでしまったという。
I字カミソリっつっても、
あれですよ。昭和の、柄の部分まで全部金属のやつ。
冬になるといまだに足の裏の奥がずきっと傷んだりするんですよね。

この日いいなと思ったのは
だゆうさんの
出向を見送る我等飛行機や大型船を紙で作った
同僚が子会社か関連会社に出向が決まって、
そのはなむけとして「飛行機や大型船を紙で作った」
ということなのかな。
もしかしたら海外にある会社への出向で、
その見送りのボードに貼られたものなのかも。
実は「出向」って、
あんまりよいイメージを持ってないんですが、
この歌の場合が栄転なのか左遷なのかはわかりません。
ただ、
社会人が集まって工作をして、
同僚の門出を飾ろうとしてるっていうのは
その人のキャラクターの良さとか
彼の前途を祈る気持が出ているようでいいなって思いました。
上の句の「出向を見送る我等」というのが、
なんとなく昭和の団体感があるっぽいところも
実はわたしの好みでした。

椋鳥さんの
なかなかに楽しい迷路だったんだ出口の向こうがまだこわいんだ
その中にいるときは出口を、
出口のその先の開放感を目指す迷路も、
出口が見えて来るとちょっとさみしくなるのかも。
遊びの時間の終りですしね。
学生時代も迷路みたいなものですよね。
入り口と出口があって、
入ったからにはちゃんと出ないといけない
あちこちで行き止まりにぶつかったり、
どっちへ行けばいいのか悩む分岐の連続で
途中で、あーめんどくさい!って思うこともあるけど、
でもやっぱり終りが見えて来るとさみしいという。
「だったんだ」「こわいんだ」という話し言葉が、
大きい声ではいえないけど、
みたいなつぶやきみたいでいいなって思いました。
三畑幾良さんの
家出した母に連れ添い家出した 鼻をすすって日記に書いた
面白い、といったら語弊があるかもしれないけど、
でも、面白い情景だなって思います。
母親が家出をするときに、子供も連れて行く
というのはアルことだと思うんですが、
着いていった子供が
「鼻をすすって日記」にそのことを書いているというのは
なかなか聞かない話ですが、
子供視点でいうと、そういうこともアルのかも
って気がします。
家出の荷物に、毎日書いている日記帳も忍ばせてたんでしょうか。
これから自分たちはどうなるんだろうって
思わず涙ぐみながら、いつものように日記を書いたんでしょうね。
家出先でも。
ところで、この歌の
「連れ添い」という部分、ちょっと違和感がありました。
夫婦になるとか夫婦でいる、みたいな意味の言葉だと思ったんですが、
どうなんでしょうね。



11月19日歌題「短」

木のスプーンアイスに刺して席を立つ短くはない電話のようだ(しま・しましま)

この日のお題は「虫」「短」
さて、
18日、19日の二つのわたしの短歌を見て、
何か気付かれたことがあるでしょうか。
実は
恋歌チャレンジ中なのでした!
かねてから、
読んだ人がきゅんってなるような歌を、
出来れば恋歌を詠みたい
って思ってたんですが、
どうでしょうか
きゅんはまだ遠い気がしますが、
ちゃんと恋の歌として伝わるでしょうか。
しかし明日のお題は「レンガ」「架空の動物」
うーん、こっから恋歌になだれ込むのは、
恋歌初心者としては難しい……。

この日いいなと思った歌。
きつねさんの
違和感はあるけど君がくれたので丈の短い靴下をはく
靴下をプレゼントに貰う、
と言う事自体に違和感があるんですが、
まあプレゼントだったかもしれないし、
なにか別の理由でくれたのかもしれません。
でも、主体は「君が」くれたから、
普段ははかないような「丈の短い靴下」だって履いちゃうんですね。
そういうほんのりしたあたたかさが魅力的でした。
「丈の短い靴下」というのも、
ほんのりあたたかアイテムですし、
ほんのりユーモアとほんのりあたたかさが
なんともいえない可愛い歌だなって思いました。

大嶋航さんの
短編を読むかのような指先に剥がされていくバウムクーヘン
上の句のきれいな情景と、
そこから、
バウムクーヘンを剥がして食べるという
ちょっとお行儀が悪いけどチャーミングな行為への流れが
上手いなぁって思いました。
すごくきれいな指先とその動きだったんだろうなって
「短編を読むかのような」
ってフレーズから思われます。
「バウムクーヘン」で終るところ、
まるで自分がそのバウムクーヘンになって剥がされていきたいような
そんな感じがします。
秋山生糸さんの
青色のクーピーばかりいつだって短くさせる世界が好きだ
海、空、雨、
風景を描くときに青色は欠かせないですよね。
お絵かきをするときに、
ついつい風景を描くことを選んでしまう人だから
「世界が好き」なのか、
「世界が好き」だから、風景画を選んでしまうのか。
視線の高さ、視界の広さが心地よくていいなって思います。
「青色のクーピー」が「短く」なるという
「世界」の把握の仕方自体もすごく素敵でした。
雪間さとこさんの
前髪を自分で切った三歳のわたしがピースしてるカレンダー
今回のお題「短」で、髪を短くするものが
意外なぐらい多かったんですが、
この歌は、「短」という言葉を使わずに、
でも、鮮やかに、
一部分だけ前髪が短くなってる、
満面の笑顔の女の子が見えてきて、
思わず微笑んでしまいますね。
三歳の子が、いたずらでハサミを使って、
自分の前髪をざっくりやっちゃったら
絶対怒られる!
って思うんですが、
この歌では、どうやら叱られなかったみたい。
それどころか、ピースで写真撮ってもらってる
っていう家族のあたたかい眼差しも感じられていいなって思います。
三歳ぐらいなら、当の本人はそのことを覚えてないかもですが、
きっと、折に触れては家族間で
その時の話が話題に上ったりしてそうで、
愛されてるなぁってあったかくなりますね。

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