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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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2015年、うたの日ベスト(といいつつ多いよ)


2015年、うたの日で鑑賞させていただいた短歌から、
ものすごく好きだった歌を選んでみました。
どんなに絞っても、45首から絞りきれずに、
とりあえず、
衝撃的だったものを10首ほど、
ツイッターに流しました。
それ以外の35首も、ここに発表します。
っていうか、
「ひみつの海」に今までピックアップさせてもらったもの自体が、
好き!素敵!いいな!
って歌ばかりなんですけどね。
多分、作者の方ご自身のベストとは違うんだと思いますが、
どれも、初見で衝撃を受けるぐらい好きだった作品です。

笠和ささねさん
クリスマスケーキを君とわかち合ういちごハウスの夜景を前に
(12月24日「年に一度」)

沼尻つた子さんの
金色のキリンがパレードするような公孫樹並木をあなたと歩む
(12月11日「きりん」)

藤田美香さんの
自販機のサミシイボタンでワンカップ大関が出る町に住んでる
(11月26日「瓶」)

小川けいとさんの
醜惡な芋蟲のごとき憎しみを投げ落とさうと覗く古井戸
(11月14日「本のタイトル」)

吉川みほさんの
山百合が知らない場所で燃えること燃えうつること燃えつきること
(11月6日歌題「百」)

多田なのさんの
ギリギリのところで星になれなくて地面に落ちた犬の遠吠え
(10月17日「ギリギリ」)

中村成志さんの
コーヒーをまたあたためる 火星でも水は下へと沁みるだろうか
(10月1日「重力」)

ナイス害さんの
ギンヤンマ追いかけていた人はみな羽根の持ち方知っているんだ
(9月22日「人」)

冨樫由美子さんの
バスタブであたしはあたしを抱きしめるかはいいあなたのかはいいあたし
(9月21日「可愛い」)

松木秀さんの
「レモン汁」書かれた中身かけて食うほっともっとのからあげ弁当
(9月16日「レモン」)

みどりさんの
酔鯨のひびき美し沖縄のガラスの酒器をしずかに満たす
(9月15日「くじら」)

こりけケリ子さんの
猫たちにごはんをあげる仙人が町内会に叱られている
(8月29日「ごはん」)

虫武一俊さんの
半島を持ち寄る会にひとりだけ離れ小島で来てしまって
(8月17日「島」)

スコヲプさんの
もう一度写真を見たくなってきて粘着テープの封を剥がした
(8月14日「粘る」)

加賀田優子さんの
迷惑じゃなかったけどな おとなりのトランペットはひっこしてった
(8月12日「迷」)

ニキタ・フユさんの
息継ぎが上手くできずに放課後の教室はまだ水の匂いだ
(7月19日「息」)

木原ねこさんの
落ちるのを待てずに子らはどんぐりを求める枝のまま青いまま
(7月18日「落」)

ミナコさんの
好きじゃない人と寝たっていいじゃない、言うたび喉が乾く気がする
(7月11日「寝」)

大葉れいさんの
宴会を中座したまま戻らないひとがどこかで手を伸ばす星
(7月9日「中」)

小宮子々さんの
おこぼれにあずかれるよう平和など願ってみれば降る雨である
(7月7日「願」)

ヒヨワくんさんの
標本になりたいくらい完璧に雌雄だったね二十歳の夏は
(7月6日「標」)

妖精化師さんの
友達が鯨のようにおおらかで踏み込まれてく心地よさとか
(6月22日「踏」)

mis0noさんの
親ながら弱い自分を嘆きつつ、ぽつりと吐いた桜桃の種
(6月19日「さくらんぼ」)

雀來豆さんの
律儀にも彼は毎年やって来て無沙汰を詫びるロボット訛りで
(6月17日「ロボット」)

塾カレーさんの
濡れそぼつアカシアの花 えぞ梅雨が初夏の香りをしずかに流す
(6月13日「梅雨」)

ガッキさんの
真っ白なあなたの肌を汚してる鉛筆ですら私の物だ
(6月11日「鉛筆」)

小向大也さんの
ばよえ~ん!になれば一緒にばよえ~ん!叫ぶと決めた夏の夕さり
(6月1日「遊」)

春野あくびさんの
苺摘む朝のゆびさきまだ青い苺もふふふくすぐってやる
(5月15日「苺」)

佐藤博之さんの
散髮の翌朝、ひとり襟足を剃り直さむとて背中を捻ぢる
(5月12日「ひとり」)

多香子さんの
サーカスも空き地もとうになくなりてかすかに聞こゆる「美しき天然」
(5月3日「天然」)

わんこ山田さんの
風の無い空にぽかんと打ち上げたフライ必ずひとり死ぬはず
(4月26日「フライ」)

きいさんの
植込みのツツジの中に蜜蜂が沈みて花の鮮やかなこと
(4月26日「沈」)

中牧正太さんの
こうちゃんと呼べば野山のにおい立つみずほ銀行支店長室
(4月22日「ちゃん」)

桔梗さんの
いつぴきのてんたうむしが乗りこんでメトロはあをい森へと変はる
(4月7日「地下鉄」)

月丘ナイルさんの
左右違う長くつ下をはくように私は私と笑えるように
(4月6日「ソックス」)


ツイッターで流したのはこちらでした。↓

水沼朔太郎さんの
やったあ!(これは楽しい既視感)初体験のおよそ八割
(12月7日「既視感」)

太田青磁さんの
全身をポップなピンクに染め上げた林家ぺーとパー子のふたり
(11月28日「半濁音」)

楽水童子さんの
カントリーエレベーターを照射する甍の群れとして ニュータウン
(11月2日「エレベーター」)

雨宮司さんの
キタテハが熟柿に群がり豹紋を開閉しながら果汁をすする
(10月22日「蝶」)

門脇篤史さんの
朝食は食べねばならぬといふ声に屈して吸つたゼリーの甘さ
(10月6日「声」)

太田宣子さんの
わたくしを薄めたやうな子の泣いていつまで世界は意のままだらう
(6月16日「薄」)

白黒つけたいカフェオーレさんの
人間の頃は自分が嫌だった 夜のガソリンスタンドにいる
(6月13日「ゾンビ」)

荻森美帆さんの
「何が出るかな何が出るかな」病院のテレビ見ながら流れ出る何か
(5月4日「ライオン」)

juさんの
散財の果ての荒野にきみは立ち、きれい。きれいだよ。愛してるよ。
(3月12日「財」)

気球さんの
正しさを突きつけるごと汁に浮く短冊切りの母の大根
(3月2日「冊」)
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うたの日(12月28日29日)


うたの日

12月28日のお題は「バイオリン」「魔」

魔が差してみたいゆうぐれ六分割されたりんごに楊枝を刺して(しま・しましま)

この日いいなと思った歌は、
沼尻つた子さんの
吾のなかにくらやみはあり胸深く破魔矢いだきて境内をゆく
緊迫感と力強さのある歌と思います。
「吾のなか」「に」こそ、「くらやみはあり」
と詠み出されて、
「境内をゆく」と締められているところから、
除夜詣ででの景かなと思いました。
夜の暗闇を篝火(や、その他もろもろの光)で照らしてはいるけども、
やっぱり深夜の神社はどことなく暗い。
でも、その暗さ以上に、自分の中に闇がある、
ということでしょうか。
それに対抗するように、
さっき頂いた「破魔矢」をぎゅっと胸元で抱きしめて歩く。
ゆっくりと
でも、しっかりとした主体の足取りが感じられるような気がします。

西村湯呑さんの
うっかりと善いことをしてワルプルギスに出られなかった魔女に降る星
この歌を見て、
プロイスラーの「小さい魔女」という作品を思い出しました。
良い魔女になるつもりで一年間がんばったら、
人間に対して「良い魔女」ではなくて、
人間に対して悪いことをするのが「良い魔女」だったと知って…
という話なんですが、
それのお話の小さい魔女の悲しみに、
星を降らせてくれる優しい眼差しがいいなって思いました。


12月29日のお題は「肉」「チュ」。

ぎこちなく左側から肉片にされゆくステーキ遠くかみなり(しま・しましま)

この日いいなと思った歌。
那須ジョンさんの
金持ちの友達はみな性格もいいからいい肉食っているはず
いいな、このストレートに吐露した真情が、
びよっとねじれてる感じ。
「金持ちの友達」という表現が、
もうすでに、下から上へのやっかみ目線なのに、
彼らの悪口は一切言ってないんですよね。
「金持ちの友達はみな性格」「も」「いいから」
そう、なぜか金持ちの友達って良い奴ばかりですよね。
まあ性格の悪い金持ちとは、
まず友達じゃないから、
ってこともあるんだろうけど。
で、
良いのは多分性格だけじゃないんですよ。
顔もその他も、
くやしいけど良いところが多いんだろうと思います。
それで、
わたしがいい感じにねじれてるなって思うのは、
「性格もいいから」「いい肉食っているはず」
という推論に至るところ。
「いい肉食っている」から「性格もいい」
ではないんですね。
世の中の「いい肉」が、
まるで「金持ち」で「性格のいい」奴のところにだけ
集まるみたいで、
面白いなって思いました。

こりけケリ子さんの
ああ、これはイメージだけで昔よく作ったホイコーローと同じだ
冒頭の唐突な「ああ、」が、めっちゃ楽しいなって思います。
わたしも実はホイコーローはイメージだけで作ってますが、
さて、この歌の「これ」は、
ホイコーローなんでしょうか、
それとも別のものなんでしょうか。
そんなことを考えて、
なんだかとても楽しくなってしまいました。
北大路京介さんの
いい人と呼ばれるたびに顔の肉重く感じてあげる口角
「いい人」認定されることの、
心の機微が覗える歌と思います。
「いい人」と言われて「顔の肉重く感じ」ることも、
「いい人」と言われて「あげる口角」というのも、
それぞれ、あるあるってところですよね。
前者は「いい人」認定に何か心苦しいものを感じてて、
後者は「いい人」認定に対して、それに見合う自分でいようとする
そんな感じで。
それが、どちらも自分の反応にあるんだっていうところが
いいな、って思います。
小野田光さんの
ひき肉をはじめてこねし吾子の目のとまどいもハンバーグまでの道のり
幼い子供が初めてひき肉をこねている、
その目の輝き
想像するだけでほわっと楽しくなります。
我が家は全く何もかも本格派から遠いので、
ハンバーグの種は
全部ビニール袋に入れてモミモミするんですが、
子供が小さい頃は、それは子供の仕事でした。
そういうことも思い出して、
いいなぁって思いました。
何よりいいなって思ったのが、
「吾子の目のとまどい」という言葉。
ひき肉のこね具合よりも何よりも、
子供の表情の方に注目してしまうところ、
「はじめて」ならではですよね。
たのしくて、わたし的になつかしい歌でした。
天野うずめさんの
豚肉の角煮のレシピが書いてある『美味しんぼ』読むトイレの中で
なんだろう、
うまく表現できないけど、
ほのぼのと侘しさがつのる歌でした。
『美味しんぼ』って、あんまり読まないので
ちょっと分からないけど、
多分、レシピを調べないと作れないタイプの人向けの
簡単レシピではないような気がします。
それを、
そのレシピ目当てなのか、
たまたまレシピが載ってるだけなのかは
分からないけど読んでいる主体。
しかも「トイレの中で」。
うーん、
なんとなく、
ざわっとした感じが心に残ります。

うたの日(12月27日)


うたの日

12月27日のお題は「名」「ドレス」

下敷きをかざせば消えるマーカーでわたしを名前ごと塗りつぶす(しま・しましま)

この日いいなと思った歌。
中牧正太さんの
今日会った人は六名だれもみな何かしながらわたしと話す
一日の終りに、
今日はなんとなくパッとしない一日だったなって
思うことありますよね。
つらつらっと振り返ってみて、
そういえば、「今日会った人は」「みな何かしながらわたしと話」していた
と、気付く主体。
それが辛かったとか、いやだったって言う訳ではないし、
師走の忙しい時期だしなぁ……でも、なぁ……
みたいな感じかなぁ。
「六名」という具体的な人数がいいですよね。
この微妙でリアルな六という数字。

雀來豆さんの
「別姓」の話しの筈がいつか子の名の話しへと変わりゆく夜
先ごろ「夫婦別姓」に関する裁判がありましたね。
それについての意見を、夫婦でされてたのかな。
カップルで、それぞれの意見が違う場合なら、
割とそれ自体が白熱するだろうし、
そうじゃなければ、それ以上膨らまないような気がします。
すでに「夫婦同姓」を受け入れて結婚して、
ある程度年数のたったご夫婦が、
そういう話題から、
どんどんずれてって、気がつくと「子の名」の話へと
移行していて、
どちらかというと、そっちの方が熱く語っていた
って感じかなぁって思います。
結句の「夜」が余韻を広げますね。
木原ねこさんの
ひらがなで書いていた名にひとつだけ漢字が混じり二学期終わる
わたしには珍しく、
もしかしてこの歌の作者は……
と、思い至る方のあった歌でした。
うん、
小学一年生の名前かなぁ。
習った漢字があったら、それを使って書きましょうね
とか指導があるのかな。
それとも、自分の名前の漢字を習った嬉しさかな。
どちらにしても可愛らしいですね。
この歌の主体は、「ひとつだけ漢字が混じ」っていることに
気がついたお母さんかな。
子供の、目に見える形の成長は、
子供自身も、親も感慨深いですよね。

うたの日(12月6日)


うたの日

12月26日のお題は「餌」「サイコロ」でした。

神さまが振らないはずのさいころがいやに煤けてころがっている(しま・しましま)
出そうかな、どうしようかなと思ったんですが、
作ってみたら、
意図してなかったけどアカギっぽいなと思って、
出してみることにしました。
子供の頃、なぜかサイコロを道で拾うことが多かったんですが、
あれは何なんでしょうね。

この日いいなと思った歌。
ナタカさんの
手品師の見習いのようにパン屑を撒く子は鳩の羽ばたきの中
「手品師の見習い」という詠み出しのフレーズにまず惹かれました。
そこから、「パン屑を撒く子」で、
幼い子供が、神妙な顔で、ややぎこちなく、
パン屑を撒いている姿が浮かんできました。
きっと鳩たちが周囲に集まってたんでしょうね。
それが、次の瞬間、
何かのきっかけで一斉にその鳩たちが羽ばたいて、
「パン屑を撒く子」を隠してしまった。
という、一瞬を捉えた歌と思いました。
情景がわーっと浮かんできてホントすてきですね。
「餌」esa って使い方によっては強すぎる印象の言葉ですが、
それを直接使わずに、鳥に餌をやる子供を鮮やかに描いてあって、
うーん、さすがだなぁって感じです。
藤原蛍さんの
掌の数字はなんにも語らない 信じるひとだけ救われたらいい
アインシュタインの
「神はサイコロを振らない」
を踏まえた歌と思いました。
うーん、
うまく表現できないんですが、
下の句の「信じるひとだけ救われたらいい」
というフレーズ、
投げやりなようでいて、
でも、
信じきることができないでいるけど、
救われたい
って主体が願っているように思って、
胸が痛くなるようでした。
「掌の数字」、
その手は開かれてるんだろうか、
硬く握られてるんだろうか、
そんなことを考えました。
うーん、わたしも救われたいんですよね。実際。

文屋亮さんの
煌めきて嘘は美し魚(うを)たちを陸に呼ぶため疑似餌はひかり
一読、うわーきれいな歌だなって思いました。
漢字がきれい。
「煌」「嘘」「美」「魚」「陸」「呼」「擬似」「餌」
あれ?
並べてみたらそうまでじゃなかった…
というのが上の句の印象マジックか?
って感じで楽しかったです。
リズムもすごくいいんですよね。
「きらめきて-うそはうつくし」5・7の上の句の流れるような調べと
「うを-たち-を」「りく-に-よぶ-ため」「ぎじえ-は-ひかり」
5・7・7の下の句の2と3音を重ねたリズムが緩急があって
定型がぱきっと決まってるって気がします。
上の句と下の句を、「う」で始まる言葉でつないであるのも、
なめらかでいいですよね。
嘘、疑似餌(ルアー)という、
「煌き」からすぐにイメージされるものではないけど、
たしかにそうだなって思うものを持って来たところも
素敵だな、すてきだなー。
吉川みほさんの
おみやげにハコベを摘んで帰りましょうわたしの黄色いインコのために
うわー、これも好きだ!
って思いました。
「餌」の歌は、もうすでに三つもハート候補が出てきて、
どうしようかと思いましたね。
「ハコベ」がいいですよね。
田舎道の雰囲気とか、あたたかさを感じます。
「おみやげに~帰りましょう」というやさしい言葉遣いが
「わたしの黄色いインコ」への
愛情の深さを感じさせますし。
実際そうなのかもしれないけど、
「黄色いインコ」なのもいいなぁ。
やさしいあたたかさがあります。
もうとにかく、飼っている鳥への愛情にあふれてて、
やさしくてすきでした。
塾カレーさんの
いつぴきのみみずは白くふやけをりつひに魚のかかること無し
ふふふ。
キモチワルイですね。
「みみず」というだけでも、
すでに気持ち悪いのに、
「白くふやけ」てるっていう描写が
さらに気持ち悪いですね。
旧かなで書かれて、
「白く」に続く「ふやけをり」「つひに」
の言葉がぱっと見に
切れ目なく繋がってるように見えるところも
白くふやけたミミズみたいで
実に気持ち悪くて、
こういうの、嫌いじゃない。
っていうか、好きだなぁ。
萩野聡さんの
進むには疲れすぎてる触れぬまま朝陽を何度も受けるサイコロ
自発的な1回休みを続けてる
って感じかな、と思いました。
そういうことってありますよね。
「疲れすぎてる」と感じる人を詠まずに、
振られることのないサイコロの方に焦点をあててあるのがいいな。
「人」の情景は見えないけど、
「サイコロ」の景が見えることで
イメージが紡がれるように思いました。

うたの日(12月25日)


うたの日

12月25日のお題は「おもちゃ」「25」でした。

この日いいなと思った歌。
雀來豆さんの
まだ暗い海に飛び立つ燕らにチャントを贈る玩具の笛で
明け方の「まだ暗い海」へ向かって、
「燕ら」が南方へと渡るのを、
「玩具の笛」で見送るという歌と思います。
主体は、
これから長い旅をするはずの燕に、旅の安全と、
また春になったら戻ってきて欲しいという願いを
持って見送る少年かな。
彼が出来る精一杯のはなむけが、
手持ちのおもちゃの笛を吹くことだった
と思うと、
あー、いいな
って思います。
「チャント」というかたかなのフレーズが
漢字の多い一首の中で浮き上がってきて、
主体の祈りの気持がクリアに見えてるところもいいなって思いました。
沼尻つた子さんの
笑える日ばかりじゃないけどママチャリのキー番号は2525にする
「ママチャリ」を愛用するのは、
ママだけじゃなくて、
学生さんとかもそうだと思うんですが、
この歌の「ママチャリ」の持ち主は、
ママなんだろうなって気がします。
仕事、家事、育児その他、
いろんなしなきゃいけないこと、したいことに囲まれて、
「笑える日ばかりじゃないけど」
やっぱり出来れば笑っていたい。
その決意表明としての
「2525(にこにこ)」なんでしょうね。
前かごに通勤かばん、子供座席に子供を座らせて、
出勤前に保育園に子供を連れて行くお母さんを
想像しました。

多香子さんの
野坂逝く「おもちゃのチャチャチャ」歌いつつ深くて暗い河を渡って
今月9日に亡くなった野坂昭如氏への追悼の思いの歌。
飄々としつつ、暗いカオスのただよう氏の感じが、
ほうふつとするような歌と思いました。
「深くて暗い河を渡って」
という77が味わいありますよね。
「男と女のあいだにはふかくてくて暗い河がある」
という「黒の舟唄」は、
野坂のために書かれた歌詞だそうですが、
この重たい河を、
軽快な「おもちゃのチャチャチャ」(野坂作詞)を歌いながら
舟を漕いで逝かれたと、
作者は考えられたんでしょうね。

小川けいとさんの
25分停まった電車は再開し「死んでないね」と誰かが言った
無意識の悪意、
というか悪意のない毒に触れて、
ひやっと体の芯が冷たくなるような
そんな歌でした。
裏を返せば、
それだけ電車での人身事故が多くて、
電車が突然長時間止まると誰もがそれに思い至る
ということだと思います。
だから、25分程度でまた運行が再開して、
ほっとする中で、
誰かの「死んでないね」の一言が、
自分の頭の中によぎったことと同じで、
ぎょっとするのかもと思いました。
「電車が再開し」というフレーズは、
ちょっと違和感があるかな。
ナタカさんの
昨日より悪い大人になりたくてコンビニで酒を買う25時
思わずふふっと微笑んでしまうような、
かわいい歌だなって思いました。
主体は「大人」になって、
まだあまり年数が経ってない、
フレッシュな大人なんだろうなって気がします。
「悪い大人」ってどういう大人だろう。
うーん、
誰かをがっかりさせるのが悪い大人かなぁって
思います。
そう考えると、
深夜1時に、コンビニでお酒を買うという行為は、
誰かというか、
自分をがっかりさせる大人になりたい、
そういう感じなのかなと。
たまに妙にやさぐれた気持になって、
その気持のはけ口としてではなくて、
その気持にもう一つヤケをのっけるために
「コンビニで酒を買う」って
やっぱり可愛いらしいなって思いました。
ところで、
「昨日より」の「昨日」って、
つまり何時の事?
って、ちょっと思ったりしましたが、
どうなんでしょうね。
「25時」と結句にあることから、
この時間は、一時間ちょっと前の日付と、
心情的には同日(のロスタイム)
かと思うので、
ええと、
いつ?

うたの日(12月24日)


うたの日

12月24日のお題は「前」「年に一度」

しばらく出さないといいつつ
年に一度せかいの子供に(あなたを含む)ゆたかな眠りが降りますように(しま・しましま)
出しちゃいました。
68787という、だらだら長いやつ。
クリスマスの願い、みたいな感じです。

この日いいなと思った歌。
笠和ささねさん
クリスマスケーキを君とわかち合ういちごハウスの夜景を前に
最初に読んだ瞬間、わーコレ好きって思いました。
「いちごハウス」って、いちご農家のビニールハウスと読みました。
冬季のいちごのハウスは、やっぱり日照時間を長く感じさせるために、
ライト付けるんでしょうね。
恋人同士がクリスマスケーキを「わかち合う」という
ほんわかした上の句。
それが、
「いちごハウスの夜景を前に」で、
ぐっと具体的な情景として頭の中に浮かび上がりました。
どちらかの自宅でクリスマスをお祝いしたんでしょうね。
そこはちょっと郊外で、
窓の向こうには農家のビニールハウスが並んでて、
これはどちらかといえばロマンチックムードを欠いた情景なのに
それを出来るだけロマンチックに表現してるところが
いいなぁ。その心情にほわっとします。
ケーキ食べてるのは主体の自宅なのかも。
だから、外からは単なるビニールハウスでも、
それがいちごのハウスだってわかってるのかも。
胡瓜ハウスとかじゃなくて、ホントによかった。

加賀田優子さん
前列に父をみつけた少年がベルをぶんぶん回しはじめる
もう、想像するだけで可愛い情景ですね。
緊張しながらステージに立った少年が、
客席に「父」がいるのを発見して、
ぐわーっと嬉しくてテンションあがったんでしょうね。
「前列」「ベル」からの「ぶんぶん」の
テンションがあがる感じの語感も楽しいなと思いました。
太田宣子さん
岬立てばまへもうしろも冬の浪 ちからはちからとぶつかり合ひたし
いや、比喩だから!
比喩だから!
って叱られそうですが、
「岬立てばまへもうしろも冬の浪」
という上の句が面白いなって思いました。
ちょっと
私の脳内でのイメージを図にすると
こんな感じと思ったら
misaki01.png
こんな感じだった!?
misaki02.png

みたいな。
めっちゃかっこいいことを言ってるようで、
ちょっとずれてる?
面白い!
みたいな感じでした。

うたの日(12月23日)


うたの日

12月23日のお題は「吊」「静」
12月23日、天皇誕生日ですね。
クリスマスイブの前日でもあるんですが、
家に未成年者がいなくなると、
何日になってもクリスマス近い!みたいな気分にならないですね。
数年前は、今頃大忙しだったことを思うと
別の世界で暮らしてるみたい。
(と、別段書く事がないからって日記的なことを書いてみたりして)

この日いいなと思った歌。
クララ・ゼーゼマンさんの
反省を促すやうに渋柿のひとつひとつを吊るしてをりぬ
祖母が生きてた頃、
秋になると二階の物干し場の一部を使って、
干し柿を作っていたことを思い出しました。
皮を剥いたり消毒したり、
干すまでにも結構手がかかるんですよね。
さて、クララさんの歌ですが、
「渋柿」が渋いことについて「反省を促す」、
というのが面白いなと思いました。
廊下に立っていなさい!
的な、「吊るし」みたい。
でも、この歌の良さって、
「反省を促すやうに」という表現の面白さの上の句に、
「渋柿のひとつひとつを吊るしてをりぬ」の
実景としての描写があることだと思います。
「ひとつひとつを」がいいなぁ。
丁寧に渋柿に手をかけている、
その「手」が見えるような気がします。
ののさんの
二十四時、サティの裏で踏切はとても静かに鳴り響いてた
「サティ」はショッピングセンターのSATYだなって、
なんの疑いもなく思いました。
あそこのイオンも、あっちのイオンも、
ついこの間までSATYだったし、
という記憶が、
比較的新しい部類にはいっているからかも。
ショッピングセンターの営業時間が終わると、
人通りもぱったりと途絶えて、車の通行もぐっと減って、
めっちゃさみしい場所になりますね。
まして「サティの裏」ならば、余計にさみしいかも。
深夜0時、多分誰も遮断機が上がるのを待ってない状態で、
踏切の警報機が鳴っている。
それを
「とても静かに鳴り響いてた」
という、主観を強く押し出したところがすごく好きです。
「鳴り響いてた」の口語の言い切った感じの
やや幼さのあるところとあいまって、
なんともいえない孤独感が漂う気がします。

葵の助さんの
潮風に負けないような歓声が上がるアンコウ吊るし切りショー
アンコウはかなり大型の魚で、
身が柔らかくて、ぬるぬるしてるので、
高いところに吊るして解体するというのが
伝統的な切り分け方だそうですね。
わたしは実際にそれを見たことはないんですが、
きっと迫力のあるものなんだろうと思います。
「潮風に負けないような」とあるので、
屋外でのことですね。漁港で行われているのかな。
沢山の観客が、
吊るされたアンコウが見事に解体されていくのを、
要所要所で歓声を上げながら見守っている。
いいな、わたしも一度見てみたいなと思ったり。
ただ、実際にそれが「ショー」として行われていて、
「アンコウ吊るし切りショー」という名称だったとしても、
「ショー」とまで詠んでしまうと、
やや詩情をそぐような気がするのと、
視点が「アンコウ」ではなくて「ショー」の方にあるのかな、
とも思えたりしました。
月花さんの
粛々と授乳している真夜中の過不足のない真夜中の音
「静」の方の歌です。
真夜中の授乳があるってことは、
まだ月齢の低い赤ちゃんのいるお母さんなのかな
って思います。
「粛々と」が「授乳」につくの、
意表をつくけど、いいなぁって思いました。
単純な「静けさ」だけではなく、
おごそかな静けさ、敬虔な思いが聞かれるようです。
「過不足のない真夜中の音」がまたいいですよね。
満たされたものを感じます。
ただ、
上の句にも「真夜中」というフレーズがあって、
あえて二つ重ねてしまうのはちょっともったいないような
そんな気がしたりしました。
瓜久リエさんの
静けさが入店音にかき消され何度も何度も聞こえなくなる
「入店音」というフレーズから、
まっさきに浮かんできたのがファミマの入店音だったんですが、
多分、コンビニではないんだろうな、
と思います。はい。
どういう店に主体がいるのかは分からないんですが、
ある程度長くそこに居て、
店内の「静けさ」を聞いている。
それが、時折、「入店音」によって、
「聞こえなくなる」
という感じかな。
「静けさ」が「聞こえなくなる」
と、
あたかも静けさに音があるように表現されているところが
すてきだなって思いました。
中牧正太さんの
大空をあらわすためにひらかれた君の腕(かいな)の静脈の青
情景がぱっと分かる、
きれいな歌と思いました。
「大空をあらわすためにひらかれた」で、
いっぱいに広げられた両手をイメージするのと同時に、
その手の主が表現したかった「大空」が
重なって想像されました。
で、
主体の視点的には、
腕の内側の真っ白さと、
あざやかに浮き出た「静脈の青」が
印象にのこった
って感じでしょうか。
大きな身振りで何かを表現するって、
ちょっと幼い感じがして、
もしかして「君」っていうのは
子供なのかも……
とも思ったんですが、
「腕の静脈の青」
の、ほんのりとした肉体感は、
大人かなぁと思います。

うたの日(12月22日)


うたの日

12月22日のお題は「遅刻」「いいえ」

ちょっと思うところがあって、
しばらくうたの日の投稿をお休みすることにしました。
その間は、
「詠む」ではなくて
「読む」方をやっていこうか、と思ってます。
昨日は
「ぺんぎんぱんつの紙二十枚目 第二回ぺんぎんぱんつ賞」
というネットプリントを読んでました。

「読む」期間なので、
もちろん、うたの日の選も継続してさせてもらいます。
この日は「いいえ」の方で。

この日いいなと思った歌は
小川けいとさんの
黄さんのいいえは強く溌剌としている中国風味のいいえ
気持のいい「いいえ」で、好きだなぁ。
「黄さん」はホァンさんって読むのかな。
コウさんとかオウさんとか呼ばれる人なのかな。
わたしも、
そんなに沢山の中国系の人を知ってるわけじゃないけど、
確かに中国系の人は、
「はい」「いいえ」をはっきり言うこと多いですね。
にっこりきっぱり「いいえ」って言ってる黄さんが
彷彿とするようです。
(知らない人ですが)
国民性として「いいえ」がはっきり言えるところも
あるんだと思いますが、
「黄さん」のキャラクターもあるんでしょうね。
「強く溌剌としている」
という「いいえ」と言われても、
肯定的に受け取ってしまう主体は、
「黄さん」のそういうところが、
驚きつつも、うらやましいような、まぶしいような
そんな思いを抱いていそう。
「中国風味のいいえ」もいいな。
短い「いいえ」という言葉の中にも、
カタコト感、それも中国風味があるってところが
楽しい気がしました。

気球さんの
痒いところ訊かれてちいさく頷いてあわい眠りのふちから上がる
面白いお題の「いいえ」の使い方だなって思いました。
美容院で髪を洗ってもらってるときの情景ですよね。
「痒いところありませんか?」
と聞かれて、
答えは、「ありません」の意味で「いいえ」。
でも、
ボディランゲージ的には、
「はい、大丈夫です」の意味で、「ちいさく頷」いたのかな、
と、思いました。
下の句の
「あわい眠りのふちから上がる」が
またいいなぁって思います。
シャンプーが気持ちよくて、
うとうとっとしてしまった意識が、
「痒いところはございませんか?」の声で、
ふっと戻ってくる感じが、
繊細なイメージで素敵。
月花さんの
これからも共に歩いてくれますか いいえいいえと下がる靴下
実は、
いまひとつ情景が浮かんでこなかったんですが、
「いいえいいえと下がる靴下」が
面白すぎるなと思って票を入れました。
ひっぱり上げてもゆるゆるっと下がってしまう靴下を
「いいえいいえ」と見られたところ、
面白いなぁ。

うたの日(椅子)


うたの日

12月21日歌題「椅子」

るすばんのゆか一面に広がった椅子の林でくらすくまたち(しま・しましま)

この日のお題は「リモコン」「椅子」
ダイニングテーブルの下って、
幼い子供にとって、使い勝手の良い遊び場な気がします。
ぐるりを椅子の足に囲まれて、
天井があって、
視界はいいけどほどよく隠れてる感があって。
西日が差す頃になると、
実際の椅子やテーブルの脚に、斜めの影がプラスされて
林の中にいるような楽しさがあったな
という歌でした。

この日いいなと思った歌。
フジタレイさんの
車椅子押していくうち少しだけ切ってあげたくなる祖母の髪
情景と主体の思ったことが、少しずつ見えて来る
という形式で、
「車椅子押して」という大まかな情景から詠み出して、
「祖母の髪」へとズームアップされるのがいいなと思いました。
車椅子を押していると、
どうしても視線は車椅子に乗っている人の頭に行きますね。
で、
ああ、髪の毛が伸びてきてるな
という発見があって、
うーん、気になるなぁ
から、
少しだけ、切ってあげたいな
という気持になるという主体の心のうごきが見えるようでした。
「祖母」そのものではなくて、
「祖母の髪」を詠んでいるところに、
車椅子を後ろから押して歩いている感じがリアルに伝わる気がしました。
あたたかい歌でした。

瓜久リエさんの
椅子の背のかすかなたわみに寄り沿ってわたしの背骨もわずかにたわむ
自分自身の体を、
繊細な感覚で詠まれててすてきだなって思いました。
「椅子の背」の「かすか」に、
「わたしの背骨」の「わずか」が
響き合ってて、
あーこれは好きなやつだ!
って思いました。
きいさんの
くるぶしで椅子をつついて本を読むきみの猫背はバリケードだね
「くるぶしで椅子をつついて本を読む」
という描写がとても好き。
自分の座っている椅子の脚の内側に、
かるく自分のくるぶしを当ててるんでしょうね。
夢中になって前傾姿勢で本を読んでいる姿が
目に浮かぶようでした。
本を読む人の、
意識が届いてない足の方に視線が向けられてるのって
なんか新鮮だなぁ。

うたの日(歯・温泉)


うたの日

12月18日歌題「歯」

まっすぐに突き通せない自己主張くし切りレモンに歯形を残す(しま・しましま)

この日のお題は「歯」「ヤンキー」
「ヤンキー」の方で、
かなり盛り上がっていたようで、
そっちに参加できなくて残念なような。

この日いいなと思った歌。
葵の助さんの
息をするたびこそばゆい風が吹く筆箱に歯を放り込んだら
小学生の頃、そういうことあったなぁって
懐かしく思う歌でした。
しばらく前からぐらぐらしていた歯が、
よりにもよって学校で取れてしまって、
しかたなく筆箱にその歯を入れておく。
うん、わかります。
なんか捨てられないですよね。
家に帰って、親に見せなきゃって気持になりますね。
手洗い場の鏡でイーして見たり、
すふーすふーと息をして、
その風の通り方を楽しんだり。
それに飽きた後も、
「息をするたびこそばゆい風」を感じるのは、
実際に風が抜けるのと、
赤ちゃんの歯と一つ別れたという気持からなのかも。

吉川みほさんの
恐竜の夢をみながら羊歯の葉は星空の下眠りに落ちる
羊歯ってやっぱり太陽の下よりは夜が似合いますね。
月もいいけど、もっと遠い星というのが
「恐竜の夢」の遠い過去のロマンに相応しい気がします。
恐竜の頃の羊歯よりはずっと矮小化してしまっていますが、
何か脈々と古代の記憶を受け継いでいるんだと
そう思うとロマンですよね。
すてきなお歌でした。
冨樫由美子さんの
歯科医院待合室にku:nelがあることだけを支へに通ふ
歯医者通いって、
大体の人が好きではないですよね。
歯の治療そのものも、
歯科医院の雰囲気も、
あと、ちまちま通わなければいけないわずらわしさも。
それを、待合室にある特定の雑誌を読む
ということを支えにして通うって
いいなー、それいいなって感じの歌でした。
その雑誌が「ku:nel」ってところがいいですね。
わたしは読まないんですが、
書店で、いつもセンスの良い表紙の本だなって
思ってました。
うたの日の結果が出て、
作者が冨樫さんとわかって、
軽く心の中でおおーって思いました。
「ku:nel」と冨樫さん、
なんかとても似合ってます。
大塚亜希さんの
歯の痕が残るまで噛む幸せでなくても帰りたい場所がある
小さい子供が、
言いたいことが満足に言葉で表現できなかったとき、
頭の中では出来ることを疑ってなかったのに
実際は自分の体の動きの拙さゆえに、
出来なかったときとか、
そのイライラを噛むことで表現したりしますよね。
大塚さんの歌の「噛む」も、
そういう噛むなのかな、
と思いました。
「幸せでなくても帰りたい場所」
それがどういう場所なのか
具体的には分からないけど、
今の場所にいる空虚さよりも、
帰りたいと思っている場所にいて
辛い思いをした方がいいんだと思うという
なんとなく、歯がゆい感じが好きです。
もうちょっと色っぽい方にも
読めるけど、
わたしの好みで、あえてそれに断定しないで
雰囲気を楽しみました。


12月19日歌題「温泉」

温泉旅館の裏で飼われているという半野良猿のこわいまなざし(しま・しましま)

この日のお題は「温泉」「噂」
ほぼ実体験の歌ですね。
まあ、割とわたしの歌は実体験であることが多いんですが。
温泉旅館の人が捕まえて飼っているという噂の猿が、
その旅館の裏手にいて、
子供のときに何度か見に行ったことがあります。
すごく気性が荒い猿で、
何気なく檻に近づくと、
ものすごい力で髪をひっぱられるという。
はい、
わたしも髪をひっぱられた一人です。
突然頭に衝撃的な痛みがきたと思ったら、
ばしっと体が金網にたたきつけられて、
マジで何事が起ったのかわかりませんでした。
ホント怖い猿でした。
今も生きてるんだろうか……そんなハズはないか。

この日いいなと思った歌。
照屋沙流堂さんの
海岸の海獣の群れにわれもいて温泉保養センターの午後
うおー、いいな!いいな!
という素敵な情景。
「海岸の海獣」は具体的にはなんだったんでしょうね。
アシカでしょうかトドでしょうか。
群の中に人間が入っていっても、
ちっとも気にしないんですね。
「温泉保養センターの午後」という下の句の、
なんともいえない鄙びた感じのほっこりした雰囲気も、
「海獣の群れ」に混じっている不思議な感じと合っていて
ホントに素敵でうらやましい情景でした。

笠和ささねさんの
制服も少し世慣れた香りする温泉街から通う級友
「温泉街」を、その外円から見たときの、
ちょっと特別な感じ、
あー、なんとなく分かるなぁって気がします。
高校生ぐらいでしょうか。
その級友が実際に
何か世慣れた感じの言動があったのか
なかったのかはわかりませんが、
「温泉街」から通ってくるというだけでも、
何か世の中の、自分たちの知らないことをしっていそうで
それが制服からも香っているように思ってしまう。
ありそうだなって思います。
見た目も少し垢抜けた子なんでしょうね。
藤 かづえさんの
冬枯れに灯りのやうなからすうり白濁の湯に肩までつかる
露天風呂の周囲に、からすうりがつるを這わせている。
夏場はきっと、キモチ目隠し的な存在になるのかも。
それが冬になると、周囲の草木が葉を落としたり枯れたりして
それはそれで風情のある眺めなんだろうなぁ。
からすうり自体も葉を落として、赤や黄色のからすうりの実だけが
あちこちで目立ってる
みたいな光景を想像しました。

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