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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(1月30日)


うたの日

1月30日のお題は「線」「駄目」でした。

駄目なものあつめて遊ぶ口内炎にまた触れているやわらかい舌(しま・しましま)
生産性のない遊びって、
なんとなく自分に甘いやさしい遊びって気がします。

この日いいなと思った歌。
西村曜さんの
ああ駄目だ小でいいのにまた大で流してしまった駄目だわたしは
ものすごく情景が浮かんできて、
そういう(一日の間に)よくある小さな出来事に対して
「ああ駄目だ」「駄目だわたしは」
って二度も、
そこまで悲嘆にくれるんだ
ってぐらいに大袈裟に嘆いてるところが
めっちゃ面白かったです。
些細なことなんだけど、
些細なことだからこそ、
出来てない自分が駄目に感じる、
そういうのって分かるなぁって思いました。

山本左足さんの
「あなたって駄目な人ね」と姪は言うおもちゃの食器片付けながら
幼い子供って、意外と「大人の会話」をよく聞いていて、
何気ないときに、ドキッとすることを言ったりしますね。
「あなたって駄目な人ね」
って、ドラマの中のセリフみたいでいいですね。
何か彼女の琴線に触れて、記憶に残ったセリフだったんでしょうか。
彼女が「姪」っていうところがいいなぁ。
自分の娘だったら、「いつもの」おしゃまさで終わることもあるけど、
たまにしか会わない幼い「姪」の口から
というと、叔父さんびっくりしちゃいますよね。
で、
このセリフを口にする情景がまたいいなぁ。
「おもちゃの食器片付けながら」です。
「おもちゃの」がなかったら、
そのままドラマのワンシーンですよ。
そこで言うんだ!ってぐっときました。
ゆらさんの
くちびるがもうダメいやだと言うたびに湿気るマフラーくらいさみしい
うつむいて、口の辺りがマフラーの中にあると、
呼気でだんだん湿ってきますが、
あれって嫌ですよね。
あの嫌な感じを
「さみしい」と捉えたところがいいなぁって思いました。
このうたを読んだ時、
ぱっと
深夜の住宅街をとぼとぼ歩く姿が浮かんできました。
マフラーぐるぐる巻きにして、
うつむいて歩いてる姿。
胸の中にしまっておいたら爆発しそうな、
「もうダメだいやだ」が、
くちびるから声にならない声でもれてる、
みたいな情景かなと。
で、なんで「深夜の住宅街」と思ったんだろう
と、改めて考えたんですが
「湿気るマフラーくらいさみしい」
の「くらいさみしい」が
暗い・淋しい
だからなんだろうなって。
希和子さんの
滲みゆく町は霙に覆われて駄目な私に居場所をくれる
うたの日に
霙に覆われて滲んでいくのではなくて、すでに何らかの理由で滲みはじめているっていうことでしょうか。既に「滲みゆく町」に霙が覆うことで、より町の輪郭がぼやけてるって感じなのかな。
雪ではなくて霙というところがウェットでいいなって思いました。
ってコメント入れたんですが、
「滲みゆく町」は、
多分、
駄目な私に思わず涙が滲んでそう見える町、
ってことなんでしょうね。
で、
そこに霙が降ってきて、
「駄目な私に思わず涙ぐんで、滲んで見えた町」
そのものが、掻き消えていく。
そういう感じなのかなって思います。
無かった事にしてくれる、
そういう感じかなと。
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うたの日(1月29日)


うたの日

1月29日のお題は「ルール」「君」でした。

給食は持ち帰らないのがルールですそれがあの子のパンだとしても(しま・しましま)
「給食のパンを届けに来る 君だけがたより
お願いだから
どんなに離れていても 必ず遊びに来てね
どんなに忙しくても Don't say good-by」
というのはECHOESの「訪問者(ヴィジター)」という歌の一節。
いきなり自分語りですが、
わたしと同じクラスの男の子で、
うちの家のななめ前に住んでる子が
長期の不登校で、
毎日のようにプリントと給食のパンを届けてました。
玄関でその子のお母さんに渡すだけなんですけどね。
ところが最近は、給食のパンって持ち帰らないらしいですね。
時代の流れですなぁ。

この日いいなと思った歌。
ナタカさんの
輪の外でルールを教えてもらえないままの大富豪を見ている
トランプゲームの「大富豪」でしょうか。
ルールを知らなくて、
しかも盛り上がってるメンバー誰も教えてくれなくて、
ただ外側から楽しそうな様子を見てる
みたいな情景なのかな。
「ルールを教えてもらえないまま」で十分、
主体の立場的なものの雰囲気や
わびしい疎外感と、
輪の中に入りたいという気持が感じられるので
初句の「輪の外で」は
いわずもがなかなぁとも思ったんですが、
でも、この日一番好きだなって思ったうたでした。
もう一つ、
「大富豪」について、
こういう見方でも、
じわじわくるなぁって思ったのが、
「大富豪」がトランプゲームではなくて、
大金持ちの人の「大富豪」のパターン。
平民の何か楽しくルールに則ってわいわいしてるのを
大富豪の人はルールも知らずに輪の外から見てるだけ。
で、
その輪の外のまた外側で、
そんな大富豪の姿を見ている主体
みたいな。
どう表現していいのか分からないんですが、
何かじわじわ来ませんか?

照屋沙流堂さんの
この男いくつのルールで出来ていてどこを突つつけばかわいくなるか
自分なりのルールがいっぱいある
めっちゃめんどくさい男なんでしょうか。
どう眺めても、
かわいくないんでしょうね。
それをじっくり多方面から眺めて、
「どこを突けば」
って考えてるという面白い歌でした。
立体パズルの攻略みたい。
しかも
「かわいくなるか」
っていうとこが面白いですね。
「この男」自体よりも、
主体がどんな人物なのか興味が湧きます。
女性だったら、
恋愛的な攻略の糸口というパターンもあるでしょうけど、
別に女性だなって判断するほどの情報もないので、
男性の場合も考えられますよね。
その場合、誰をどう攻略したいんでしょうね。
かわいくない後輩を
かわいくさせたいんでしょうか。
「この男」という詠みだし方もそうだけど、
妙にハードボイルドな雰囲気もあって、
そこも面白いなぁって思いました。
えんどうけいこさんの
本当に好きな人ならしてもいいというルールを二十歳で破る
このうたを最初見たとき、
「二十歳でつくる」んじゃなくて
「二十歳で破る」なんだ
ってことに、妙に感銘を受けました。
「本当に好きな人ならしてもいい」
何を、と言いたいところだけども、
まあそういうことだろうなと思います。
で、このルールは
誰が作ったものなんだろうと気になりますね。
多分、十代の頃の自分がつくったルールではないかと思うんだけど、
だとしたら、
破ったという事実をもうちょっと重たく捉えそうな
そんな気もするんですが。
「というルールを」という四句目の言い方の軽い感じが
なんとなく面白いなって思いました。
「本当に好きな人ならしてもいい」
って、穴だらけのルールにも見えちゃうんですが、
主体にも、そう見えてるのかも。

うたの日(1月28日)


うたの日

1月28日のお題は「髪」「切」でした。

この人を守って生きると決めてよりあざやかすぎるシャケの切り身も(しま・しましま)
わりとさぱっと詠んで、
あんまり悩まなかったうたですが、
「鮭」か「シャケ」かで少し考えました。
で、
上の句が意味的にかっこいい感じだったので
バランスを取るつもりで
「シャケ」。
一から十までかっこいい感じで通してしまうと
なんとなく恥ずかしいような……
あっ、でも
「鮭の切り身」だとしても
「切り身」の時点でそんなにかっこよくなかったか。

この日いいなと思った歌。
笠和ささねさんの
コロコロがうまく剥けない長すぎる髪と不安がこんがらがって
コロコロ、それだけでアレだなってわかるところが
すごい器具だなぁ。
今正式名称はなんなのかググッてみたんですが
どうやら
「粘着カーペットクリーナー」
とか言うらしいです。
ちなみに「コロコロ」はニトムズの商品名だとか。
まあ、
それはどうでもいいんですが。
そのコロコロが「うまく剥けない」
っていうのがめっちゃいいなって思いました。
確かに、
あれを剥くのに、
長い髪が巻きついていると困ります。
あるある系なのに、「不安」と結びつけて
何かセンシティブな気持になってしまった主体が
浮き上がってくるようなうたでした。
シュンイチさんの
見えてきたゴールテープはもしかして白じゃないかもしれない 走れ!
一読して、
うわっこれ好きだ!
絶対ハート!
と決めました。
まず、
「ゴールテープはもしかして白じゃないかもしれない」
っていうのがいいなぁ。
多分そうだろうなと思ってることが
実際そうかどうかは分からない。
自分でゴールテープを切って、
目視するしかないですよね。
それにしても
「白じゃないかもしれない」
というだけで、
何かふつふつと鼓舞されるようなものがあります。
わたしもゴールテープを切りたい
という気持になっちゃいますね。
そして
「白じゃないかもしれない、走れ!」
の、つんのめりそうになるぐらいの勢いのあるフレーズ。
もう、「かもしれない」のあたりで
もう速度が一段も二段も上がってる気がします。

せなかさんの
自分では見えないところをまたひとつ見られてしまう髪を梳かれて
読んでいるわたしも
なんだかドキドキしてしまいますね。
「自分では見えないところ」は体の中でいくつかあるけど、
「髪を梳かれて」見られてしまうところ、
相手の息遣いまで届きそうで
余計にどきどきしてしまいそう。
ゆったりとしたリズムと
ひらがなの多さによって
見られてしまったのが、
どこか自分の中のとてもやわらかな秘密のようでした。
西村湯呑さんの
アボカドをふたつに割って新緑の琵琶湖をおもう東京の冬
いやー、上手いな。
めっちゃ上手いなって思いました。
「アボカドをふたつに割って」「東京の冬」
という実景があって、
その中に
(新緑の琵琶湖をおもう)という
「アボカド」からの連想がするっと入ってるわけですね。
アボカドの断面からの
「新緑の琵琶湖」は、
すとんと理解して共感できるところですよね。
縁のみどり色から中心にむかって淡くなっていく感じ。
琵琶湖周りのあざやかな新緑まで
ふわっと想像されます。
で、
上手いなぁって思うのは、
結句を「東京の冬」でまた現実へ戻してるところ。
状況説明みたいにも思えますが、
ここでイメージ的にグレイっぽい「東京の冬」が
くることで、
より「アボカド」と「琵琶湖」の
明るい色彩が映えるように思えました。
東京に新緑の季節が来るのは
もう少し先、みたいな
主体の思いみたいなものが聞かれるような気がします。
吉川みほさんの
空中で凍りながら散るシャボン玉 薄い切片まみれで君は
極度に低い気温の中で
シャボン玉が凍りつく映像を見たことがあります。
透明なシャボン玉が白く凍りながら散ってしまう、
それだけで儚くも美しい景です。
その向こう側に「君」が居て、
空中で砕けてしまったシャボン玉の「薄い切片」を
かぶってしまう、
その一瞬が素敵に切り取られてると思って、
ほわわわーんとなってしまいました。
「君は」の「は」が
またいいんですよね。
言葉にならない瞬間の美しさが
「は」に込められているようでした。
蛇足ですが、
「シャボン玉」は俳句でいうと春の季語です。
多分、冬のシャボン玉は
そんな感じで儚すぎて、
子供の遊びには向かないんでしょうね。
亀山真実さんの
千切られた四肢を繕う 人形の目からこぼれたこれは埃だ
このうた、とにかくもう
下の句の
「人形の目からこぼれたこれは埃だ」
がステキすぎて……。
「目からこぼれた」といっても
涙じゃない。
人形ですからね、
涙じゃない。
でも、人形の目から何かがこぼれた瞬間、
涙かもって思いますよね。
とっさに拭って見ちゃいますよね。

うたの日(1月27日)


うたの日

1月27日のお題「並」「偽」

フォークからめて立ってるパスタ 本物と思って傷つくなんてバカ(しま・しましま)
77が前で575が後という形になってしまいました。
これを逆さにすることも
考えないではなかったんですが、
そうするとサンプル食品がメインになっちゃうかなぁと。

この日いいなと思った歌。
静ジャックさんの
偽物を「コレニセモノ」と売りに来るシンガポールは誠実な街
いいな、すてきな眼差しのうただな
って思ってハートでした。
偽物を本物といつわるのではなく、
偽物をニセモノとして売る
うーん、たしかに「誠実」といえば「誠実」
……なの?
でも、それを「誠実」と言い切るところがいいな。
そして
「シンガポールは誠実な街」
の「街」がすごくいいなって思いました。
「国」だとひろがりすぎてぼやけてしまうところを
「街」でびしっと
シンガポールの街のイメージが際立ったと思いました。

村田馨さんの
偽薬(プラセボ)でなおる病もあるという心やさしき治験者ならば
うーん、
皮肉たっぷりの作品だなぁって思いました。
「治験」ってあれですよね。医薬品などの臨床実験。
「治験者」ということは、
それを受ける人のことだと思われます。
よくハイリスクハイリターンの単発アルバイトに
都市伝説のように登場する「治験」ですが、
このうたの場合は、その後の段階の
実際にその病気の人に対してのものなんでしょうね。
ところが
それが「偽薬(プラセボ)でなおる病もあるという」
っていうジレンマ?
実際に明らかな病気の人に
実験、ひいては医療の進歩のためだとしても
「偽薬」を投与したりする
っていうのもヒドイ話だなとかも思いますが、
どちらにしても
それで治っちゃったら実験としては失敗ですよね。
その失敗が「心やさしき治験者」によってもたらされる。
多分、
一心に医者、医療を信じて治りたいと思ってる
そんな「心やさしき」患者なんでしょうね。
矢波多恵さんの
にせもののようにきれいだ あふれでたブーゲンビリアをひとひらちぎる
「にせもののようにきれいだ」
実感のあることばな気がします。
そういうきれいさって確かにありますよね。
下の句の
「あふれでたブーゲンビリア」
の色彩の「あふれでた」感も、
それを「ひとひらちぎる」
というふとした自分の仕種に気が付くのも、
この上の句の
「にせもののようにきれいだ」
をしっかりと受けとめるだけの
パワーがあるように思えました。
泳二さんの
にせものの月が昇るとお城から螺鈿細工の弟子が出てきた
からくり時計とか、そういう装置を連想しました。
夜の一定の時間になると、
ぜんまい仕掛けの月があがって、
お城の扉が開いて、キャラクターが登場する、
みたいな。
ところが、
その扉から出てきたのは、
王子でも姫でもなく、
もちろん城の兵士でもなく
「弟子」という意外性が面白いなって思いました。
メインでスポットライトを浴びる人物でなく、
最前線に出てしかるべき人物でもなく
「弟子」
いや弟子って何の弟子だよ
って気もしなくはないですが、
まあ、なんの弟子でもいいような気もします。
スポットライトではなく、
「にせものの月」の下。
偽物だから月の明りもなくて、
その代わりなのか、
「螺鈿細工」できらめく「弟子」。
そんなことを考えてとても楽しく読ませていただきました。
もしかしたら
「魔法使いの弟子」なのかも知れないですが。

うたの日(1月26日)


うたの日

1月26日のお題は「面」「シャツ」でした。

持ち主に似てくるんでしょうベランダで日を跳ね返す白いTシャツ(しま・しましま)
うたの日の評で「清々しい」という言葉を頂いたんですが、
そうか、うーん……
と思ってしまいました。
下の句で、出したい雰囲気を
詠みきれてなかったかな。
短いコメント一言だけなので、
それでコメントの意図や
他の方の受け取り方を理解することは不可能なんだけども、
多分、うまく詠めてなかったんだろうな
っていうか、
あらためて読んでみて、
確かに「清々しい」という景になっても仕方ないのかな
とか思ってます。
なんて意固地なんだろう
といううたのつもりでした。

この日いいなと思った歌。
藤田美香さんの
きらきらが袖口からも溢れてるあなたこいびとできたのですね
うわーすてきだな
って一目見た瞬間から思っちゃいました。
「きらきら」
うん、わたし「きらきら」に弱いんですよね。
しかもその「きらきら」が
「袖口からも溢れてる」なんて。
もうどこもかしこも「きらきら」の人。
言い古された言葉ではありますが
恋してる、って感じの「きらきら」なんでしょうね。
ところで
それを指摘するような下の句
「あなたこいびとできたのですね」
って、なんかちょっとこわくないですか?
「こいびと」とひらがなに開かれたことで
棒読みっぽい印象とか
一音ずつ句切っているようにも思えて、
なんかこわいなー
って思えるんですが。
「きらきら」で始まって
なんかこわい感じが漂う着地点
っていうところが面白いなって思いました。

借みねさんの
予備のシャツもうないんだと言われればなおさら君とプールに落ちたし
やだまぶしい!
といううたでした。
いや、ほんとは嫌じゃないけども。
後先考えずに、というよりも
後がないのが分かってても
落ちたいのが恋ですよねー。
まあこの場合プールなので
びしょびしょのまま、二人で笑っておうちに帰れる
そんな「後」がありそうですが。
「落ちたい」のに暗さがない。
「予備のシャツもうない」から「なおさら」
ってところが青春すなぁ。
健康的で光あふれる青春の無軌道な勢い
みたいな感じがいいなって思いました。
スコヲプさんの
こんなにも似合わないシャツばっかりであなたを連れていない服屋は
普段は「あなた」が主体の服をチョイスしてくれてたんでしょうか。
別れた後なのか、
たまたま一人でふらっと入った服屋なのかな。
どのシャツを手にとっても、
どれも自分には似合わない気がする。
いいねって言ってくれる人がいないからなんでしょうか。
よそよそしいシャツに囲まれた
主体の戸惑いや、
ぽっかりと穴の開いたような喪失感が
ほわっと漂うようなうたでした。
りりーさんの
ヘンゼルとグレーテルみたく落としてくシャツにスカートそれからそれから
「ヘンゼルとグレーテルみたく」
と、童話めかして詠まれたうた。
行き先は暗い森か、あるいはお菓子の家か。
くつ、コート、ジャケット、って
ドアを閉めてからひとつひとつ脱いで行く順番が想像される
「シャツにスカート」でした。
「ヘンゼルとグレーテル」がいいですよね。
迷子になりそうな予感のあるふたり
っていう気がします。
結句の「それからそれから」も
童話感があるフレーズではありますが、
わたしの好みで言わせてもらうと
トゥーマッチかなって思ってちょっと残念でした。

うたの日(1月25日)


うたの日

1月25日のお題は「はちみつ」「うどん」

はちみつをたらふく食べてはちみつの振りしてはちみつ採りに行くよ春(しま・しましま)
最後が「蜂」だったら、という評を頂きました。
ああー、確かに、たしかに。
クマははちみつを沢山食べると蜂毒に抗体が出来る
っていうのをフィクション作品の何かで呼んだことがあるんだけど
それが書かれている作品がなんだったのか
思い出せなくて昨夜から、
ちょっと気持の悪い状態にいます。

この日は久しぶりに両方の選をしました。

この日いいなと思ったうた。
こたきひろしさんの
そういえば思い出したよあったのを遺品の中に蜂蜜の瓶
唐突に「そういえば」と始まる歌。
何を受けての「そういえば」なのかは分かりませんが、
「思い出したよあったのを」
なので、
「あったかなかったか」という話が出たんだろうなって思います。
どういう情景、どういう顔ぶれ、どういう話の流れで
ということは一切なくて、
ただ、
「遺品の中」の「蜂蜜の瓶」
だけがバンと提示されることで、
「蜂蜜の瓶」が鮮やかに浮かび上がってくるうただと思いました。
それにしても、
遺品の中に食品というのは、
なんだか不思議な感じがします。
例えば故人が一人暮らしをしていたとしても、
あまり戸棚や冷蔵庫の中身を
「遺品」って言いませんよね。
でもこれが「蜂蜜の瓶」だと、
なんとなく、ありそうな気がしないでもない。
中身はからっぽの瓶だけっていう場合もあるかも。
そう考えると、
物を大事に使っていた故人の生活態度などが
ふわっと浮かんで来るような気もします。
その人の思い出話のついでに、
「蜂蜜の瓶」の話が出たのかもしれません。
「そういえば」と軽い感じの詠み出しですが、
「蜂蜜の瓶」の話をしている人達にとって、
とても大切な人だったんだろうなって気がします。
大切な人を亡くしてすこし時間が経って、
そうやって軽く口に出せるようになった
とか想像してしまいました。

雨さんの
いま白いのはかけ饂飩だけでいい湯気の向こうのあなたはいやだ
どういうことなんだろう
と、思いつつ、
ただ強い拒絶が伝わって来ます。
「あなたはいやだ」
って結句で言ってますからね。
でも、どんな「あなた」が嫌なのか。
「湯気の向こう」の「あなた」が嫌みたいなんですが、
「湯気の向こうのあなた」そのものじゃなくて、
どうやら「白い」のが嫌っぽいですね。
湯気の向こうでぼやっと白くなってるのが嫌なのかな?
向かい合ってかけうどんを食べてるのかな?
じぶんのうどんの湯気と相手のうどんの湯気の
ダブル湯気で、
より白っぽくなってる??
っていうか、
かけうどんって白いか?
それってうどんが白いだけじゃない?
と、
疑問がわんわん浮かんで来るんですが、
とにかくきっぱりと
「いま白いのはかけ饂飩だけでいい」
「あなたはいやだ」
って言い切ってるところが魅力的でした。
もう、統合性みたいなものを全部ほっぽりだして
「いい」と「いやだ」を言い切っちゃうという
このわがままさんなところが
めんどくさくて可愛い恋人って気がします。

はたの小石(葵の助)さんの
はちみつをあふれさせるの私だけ傷ついてると思う朝には
「私だけ傷ついていると思う朝」
という下の句のフレーズから、
傷ついてなさそうな人が同じ「朝」の場面にいるのか、
あるいはそういう人と「朝」を迎えたかと思います。
つまり
昨夜の喧嘩か、それに準じるもめごとのしこりを
自分だけが引きずってるか、
相手(多分配偶者か恋人)は気がついてないけど、
わたしを傷つけてたんだって思ってる
って感じかなと思いました。
で、一人でとる朝食の
パンケーキとかトーストとかに
せめて「はちみつをあふれさせる」ことで
傷ついた自分をいたわってる
みたいな光景を想像しました。
はちみつって殺菌作用とかあるらしいし
多分こころの傷にも効くんじゃないでしょうか。
「あふれさせる」という小さな贅沢感も
きっとこころに効くんじゃないかなぁ。
流川透明さんの
パンケーキのふわふわの日々とろけてくわたしはバター君はハチミツ
「パンケーキのふわふわの日々」
この上の句のふわふわあまあまな感じ。
そして「とろけてく」であり
「君はハチミツ」ですからねー。
さらに甘くてとろとろです。
恋愛初期の地に足がつかない感じでしょうか。
昨夜は「わたしはバター」の「バター」のしょっぱさが
面白いなって思ったんですが、
今日改めて読むと、
っていうか「バター」とろけてるやん!
ってことで、
バターのしょっぱさが引き締めているというよりは
よりとろとろあまあまさが増してるなっ!
という感じですね。
この一部の隙もないふわとろあまあま感、
昨夜とはやや違う理由になりましたが、
やっぱり音符を入れたいうたでした。
ふひひ。
小宮子々さんの
この冬の底のあたりでくたくたのうどんを好きになりかけている
とうとつにじぶんうどん語りを始めちゃいますが、
わたしはくたくたうどん大好き。
なんか前にもどこかで書いた気がするけど、
大昔、松江城の近くに、
めっちゃやわらかくて箸で持ち上げたら切れちゃうような
そんなうどんを出す(というか、たしかそれしかない)うどん屋さんがありました。
そのうどんのやさしいイメージもあって
くたくたうどんは、何か疲れた体や心に沁みるもの
という気がします。
「この冬の底」って
丁度今頃のことかな。
深い雪や強い寒気の夜って「底」感ありますよね。
主体は普段は腰の強いうどんが好きな人なのかも。
そういう人も、こういう夜はくたくたうどん、いいなって思うのかも。
薄荷。さんの
母さんは見てるからねと言いたげにうどんにのってる半熟玉子
受験勉強の夜食、みたいなのを想像しました。
鍋焼きうどんでしょうか。
がんばってるあなたの後姿、ちゃんと見てるよって
そういうメッセージ。
母の優しさですよねー。
といいつつ、
実はこのうた、めっちゃ怖いなって思って票をいれたのでした。
「母さんは見てるからね」
って、
監視されてるみたいな気がしちゃって。
ヤバい、半熟玉子の黄身を見つめちゃったら、
視線が合っちゃう?
みたいな想像まではさすがにしないけど。
(実はさっきした)
母親の視線恐怖症みたいなのが
わたしのなかにうっすら(?)あるから
ということなんでしょうか。

うたの日(1月24日)


うたの日

1月24日のお題は「平凡」「眉」

平凡なもののつよさを信じるよ例えば春の祭の皿とか(しま・しましま)
ヤマザキ春のパン祭りのお皿、
実は強化ガラス製だというその強度もですが、
どんな時にも使えるプレーンな白いお皿って
やっぱり「つよい」気がします。

この日いいなと思ったうた。
西村曜さんの
かつてぼくが当たり前だとあざけった普通の人に俺はなりたい
このうたで詠まれているのは
「普通の人になりたい」
ということ。
普通、普通って何だろう。
このうたでは「普通の人」に掛かる上の句で
「かつてぼくが当たり前だとあざけった」
とあります。
語弊を招く言い方になりますが、
例えば健康な人とかそういう「普通」ではないみたい。
主体の一人称がまだ「ぼく」だった頃、
当たり前の言動しかしない、
平凡で冒険がなくて退屈そうで面白味のない「普通」
そんな「普通の人」かなって思います。
そういう「普通の人」をあざけりつつ、
多分自分もいつかはそういう大人になるんだろう
って思ってたのかも知れません。
成長して、「ぼく」が「俺」になってみて
自分で驚くほど、その「普通の人」から
(多分心情的に)離れてることに気付いたのかな
と、読みました。
その成長過程で「普通」の良さみたいなのを改めて感じる、
何か挫折のようなものがあったのかなぁ。
ヒリヒリしてて辛いうたと思います。
ところで
結句の「俺はなりたい」って
海賊王になりたい人っぽい言い方じゃないですか?
その辺意識されて詠まれたのかなぁって
気になったりします。
ちょっと作者の心情が出すぎたかなって思って
あえてこういう言い方にしてみたのかな
とか
いらんことまで思っちゃいました。
この逡巡の跡みたいなのに弱いんですよね。

大槻和央さんの
我が母は狂人なりきといふことはカレーうどんのやうに平凡
うーん、これは感想を書くのが難しい。
というか、
どこまで踏み込んでいいのか
というところに悩むうたでした。
「我が母は狂人なりき」
と、子に言われる母。
そういわれてしまう病気を患ってらっしゃるのか
あるいは
そう思われてしまう言動のある方なのか。
どちらにしても
「我が母は狂人なりき」
重たい言葉です。
下の句の
「カレーうどんのやうに平凡」は、
うどんとしてはやや毛色が違うけど、
でも一般的なメニューである
「カレーうどん」の平凡さ。
上の句と下の句が
「は」という
フラットな並列になる助詞で繋がれているところに
胸を突かれました。
吉川みほさんの
園芸の日々の喜び平凡社ライブラリーのチャペックを読む
チェコの作家カレル・チャペックの「園芸家の一年」。
平凡社からも出ていたんですね。
うたの日のコメントにも書きましたが、
最初図書館で読んだのが恒文社から出たもので、
現在わたしが所有しているのは中公文庫版なので、
そうなんだ!という驚きがありました。
チャペックは、
「ロボット」という言葉を作ったとも言われる作家で、
SF作品からミステリー、ユーモア小説、
そして園芸について書いた「園芸家の一年」や
犬や猫について書いた「ダーシェンカ」などの本を書いてます。
という脱線をしつつ……
吉川さんの短歌の方に戻りますが、
お題の「平凡」を、
「平凡社ライブラリー」で直接読み込みながら、
「園芸の日々の喜び」の平凡で満ち足りた日々を
さらっと詠まれているところが好きでした。
終栗夢さんの
平凡でつまらないよと笑うけど笑えるならばいいんじゃないの
一読して、
うわっシニカルやな
って思いました。
「平凡でつまらないよ」
多分誰かが自分の事をそう言ったんですかね。
そう言った人の笑顔を見て
「笑えるならばいいんじゃないの」
うーん、
なんって言っていいのかなぁ。
うまくいえないけど、
こわくて凄みのあるうただと思いました。
うーん、なんでこんなにこわく感じるんだろうって
改めて考えるんですが、
言葉にするのが難しい。
「いいんじゃないの」が
言い捨てのように見えるからでしょうか。

「ナタカウタ3 春を待たない」を読みました


「ナカタウタ3 春を待たない」 ナタカ

ナタカさんのネットプリントを出してきました。

いま影が触れ合ってること気づかずにじゃあねって言う鈍感なひと
僕だけが時計を外して会っていて君は十時の電車で帰る

細やかに目が行き届いていて、
それについて敏感に反応する人
だから、そうでない人特に好きな人がそうでないことに
つらい思いをするんだろうなって思います。
「じゃあね」っていう時、
その人は多分、相手の顔を見てるから、
「影が触れ合ってること」には気が付かない。
「十時の電車で帰る」ために、時計をつけてるのも、
それはその人の生活リズムがあるんだから仕方ない。
わかってても、
それでも分かち合えないことの淋しさが
いいなって思いました。

その話知らんかったわとは言えずそうやそうやなそうやったよな
「そうや」「そうやな」「そうやったよな」
「知らんかった」話ではあるけど、
少しずつ語尾が変わってくる共感の言葉で
自分自身も騙されて、
最初から知ってた話のような気がしてくる
みたいな、
二重のうそみたいな感じがしました。

もぐらないモグラをみんな捕まえて残らずもぐるモグラに変える
もぐもぐ言ってて語感はすごく可愛らしいけど、
残酷なうただなぁって思って
その残酷さに惹かれます。
「もぐらないモグラ」ってどういうモグラだろう。
生涯の多くを地中ですごすモグラもいれば、
地中というほど深くもぐらないモグラや
枯れ葉の下にいるモグラもいますが、
そういうモグラなのかな。
縄張り争いに負けて地上へ追い出されるモグラも
まれに居るらしいですけども。
どちらにしても、
「みんな捕まえて」「残らずもぐるモグラに変える」
モグラはもぐるものだ
という無邪気で独善的な決め付けが
怖いうたでした。

他にもいいなって思ううたがいっぱいあって、
どれを書こうかと迷ったけど、
この四首、
最初の二首と後の二首、
この雰囲気の違いが面白いなって思って
取上げることにしました。

うたの日(1月23日)


うたの日

1月23日のお題は「レンズ」「メニュー」

合皮張りの重たいメニュー今日はもうへとへとなんだわかってほしい(しま・しましま)
たまに、びっくりするほど重たいメニュー表ありますよね。
そして、たまにですが、
それを開く気力が湧かない日もあったりします。

この日いいなと思った歌。
宮嶋いつくさんの
父親が気取ってオーダーしたメニュー「舌平目のエマニエル」とは
いわゆる「おもしろい」系の作品ですよね。
大喜利とかサラリーマン川柳っぽい。
でも、これがなんかじわじわとキちゃったかんじ。
「舌平目のムニエル」って言いたかったんですよね。
でも、「ムニエル」を差し置いて、
お父さんの頭の片隅にあった「エマニエル」って言葉が
先に出ちゃった。
うーん、やりおったよね。
お父さんの頭の片隅にいた「エマニエル」は、
いつかどこかで口から零れる気まんまんで、
待機してたんだと思うんですよ。
あ、もちろん、
往年の名画「エマニエル夫人」の「エマニエル」ね。
お父さんが若い頃、なにやらエッチな映画、として
インプットされてた言葉と思います。
映画自体は観てないかも。
とにかく衝撃的にエッチな映画、という「エマニエル」。
それが「舌平目」という呼び水で、
「ムニエル」を差し置いて口から出てきちゃったと。
で、ですね。
わたしがいいなぁって思うのは、
これが「父親」だってこと。
オーダーを取りに来た若いウェイターは、
「エマニエル夫人」を知らないかも知れない。
もしかしたら、
「エマニエル坊や」の方が先に思い浮かんだかも知れない。
(それはないか)
単なる言い間違えって脳内で処理してくれたかも知れないけど、
この「エマニエル」が「エッチな映画エマニエル夫人」由来って
分かってる父親自身と、その息子だけが
とても恥ずかしい気持になる……
「気取ってオーダーした」だけに余計に……
って、何かめっちゃぐっときませんか?
ああ、なんか熱く語ってしまいましたが、
面白くて切ない想像がいくらでも膨らむうたでした。

借みねさんの
メニューへと戻らないまま立ち去りぬ図書検索機に指紋残して
そういえば、
メニューって言っても
別に食べ物のメニューだけじゃなかったな
ってこのうたを読んで思われた方、
多かったんじゃないでしょうか。
わたしもです。
そういうお題の使い方もですが、
やりがちな日常のささいな行動を
さらっと描いてあって好感の持てるうたでした。
メニュー画面に戻しておかないのも、
指紋を残してるのも、
なんだか雑な行動な感じがしますよね。
もしくはせかせかした感じ。
何か目当ての書籍を発見して、
あわてて席を立ったんでしょうか。
切羽詰ってる状況だったのかも。
図書検索機に残ってたのは、
指紋だけじゃなくて、その書籍データもですね。
そこは詮索してあげないところが
ちょっと優しいですよね。
スコヲプさんの
いつからかメニューを見ない喫茶店わたしも街のひとりになって
新しい街に引っ越して、
いきつけのお店が増えて。
この喫茶店もその一つなんでしょうね。
いつものように席に着いて、
いつものように定番を頼んで、
ふっと周りを見るとメニューを眺めてる客が目に入った。
そういえばいつからか…
って自分を振り返った感じを想像しました。
この街にも馴染んじゃって、「街のひとり」になってしまった、
それは、
うれしくもあり、何かさみしいような気持なのかも。
「なって」と止めてあるところ、
続く感慨を飲み込んでるような感じがして
何か余韻が漂うようでした。
えがぷりさんの
日曜の夜は必ずチャーハンと決まってるから文句言わない
チャーハンは土曜の昼やろ
って思ったけど、
それは昭和の話でした。
しかもうち限定。
「文句言わない」という結句から、
文句が出てもおかしくはない情景なのかな
と、思いました。
ということは、お店で食べるチャーハンではなくて、
家で食べるチャーハンなのかなぁ。
日曜の夜だということ、
目の前にすでにチャーハンがあること、
主体が多分誰かといること
だけがうっすらと想像されて、
あとは描かれていないのだけど、
なにか裏にドラマがありそうでなさそうなところが
なんとなく魅力的でした。

うたの日(1月21日22日)

うたの日

1月21日のお題は「木」「平気」。

てつぺんに残つた柿の実おとしたらあとはがうがう風の木となる(しま・しましま)

この日いいなと思った歌。
西村曜さんの
歌いたいことほど歌にならなくてその日のぼくは楡の木だった
うたの日に比較的長いコメントを入れました。
上の句はストレートに共感しますが、「ぼくは楡の木だった」の「楡の木」をどうイメージすればいいのかなと悩みます。でも分からないなでほっとけないような魅力があるように思いました。
イメージとしては大きく枝を広げていい感じがするんですが、自分の代わりに風や小鳥に歌わせるということなのか、あるいは「楡家の人びと」とか、「エルム」から連想する暗さと繋がるのかなとも思ったり。多分違うと思うので、前者の方で読みました。
と。
今改めて鑑賞するんですが、
やっぱり「楡の木」をどう見るか、ですよね。
冬の楡の木か、
夏の楡の木か、でも
随分雰囲気が変るような気がします。
今は冬なので、冬の楡の木として考えると、
あちこちに広げた枝のどの葉も落ちていて、
そこに冷たい風が吹いてる。
ふっと「歌いたいこと」が風に乗ってくるんだけど、
枝は空しく風が抜けていくばかりだ。
みたいな感じにも取れます。
なんで「楡」だったのかは分からないけど、
作者の脳裏にもしも「楡」が浮かんできたのかもしれないし、
何か「楡」に意味があるのかも。
でも今回の読み方をした場合、
やっぱり「楡」がいいなって思います。
また春が巡ってくれば若葉が沢山茂っていく、
そういう未来の明るさを感じさせるような気がするので。

たかはしりおこさんの
木曜日生まれの人と知ってから雨粒さえも弾む木曜
うたの日にも書いたんですが、
マザーグースなどで何曜日生まれはなんとかかんとか
みたいなのありますが、
なかなか生まれた曜日って
自分のでさえ知らない人が多いような気がします。
まあ、今はネットで調べれば簡単に分かるんだろうけど。
このうたでは、すでにその情報をゲットしている主体。
誰のかって言えば、
多分好きな人あるいは気になってる人でしょうね。
直接教えてもらったのか、
生年月日を教えてもらって自分で調べたのか、
まあそんなことはどうでもいいんですが。
「木曜日生まれ」ってわかってから、
木曜が好きになる、みたいな感じだと思うんですが、
「雨粒さえも弾む」っていうのがかわいいですね。
週の真ん中。それが雨なら今まではどよよんだったのに、
この現金さがホントかわいらしい。
「あ(まつぶ)さ(えも)は(ずむ)」
のあ音の明るさの連なりもかわいいなって思います。
文屋亮さんの
芽吹くまで木は夢を見てゐるのだらう夢の狭間に鳥をとまらせ
下の句の「夢の狭間に鳥をとまらせ」
というフレーズがすてきでした。
冬の間、葉を落とした木が眠っている、
深い眠りではなくて、うつらうつらとしてて
その枝に鳥が止まったときは、
半分夢からさめたりするのかな。
一見さむざむとして見える木も、
中身はほんわりあたたかい夢ごこちなのかも。


1月22日のお題「印」「横」。

うそをついた印でしょうかさかむけがあとからあとからあふれる毎日(しま・しましま)
これを出した後で、
「さかむけ」って方言とまでは言わないけども、
全国的な言葉ではないと知って、
ちょっとあせっちゃいました。
「ささくれ」という地域も多いみたいですね。
わたしの中では「ささくれ」は、
木製の手すりががさがさになって刺がささるような状態になった
みたいな奴だったので、
「ささくれ」っていうと違和感ありますが。

この日いいなと思ったうた。
きつねさんの
美容室はつぶれたけれどオレンジの壁は変わらず目印となる
「オレンジの壁」がいいなって思います。
実景上でもハッと目を引くだろうけど、
短歌の上でも「オレンジ」の文字が真先に飛び込んできました。
この「オレンジ」が、うたの中でも目印になってるって
いいなって思いました。
オレンジの中身は変わって行っても
変わらずちゃんと目に飛び込んできてくれる。
そういう不変もいいですね。
「美容院はつぶれたけれど」と
きちんとそこにも言及してあるところを見ると、
少なくとも何度かは利用したことのある、
中身の方への思いも聞かれるようなところも好きでした。

柊さんの
コンパスの針で名前を削るとか先輩意外に普通の人だ
多分、
自他共にちょっと人と違う「先輩」だったんでしょうね。
主体はそんな「先輩」に憧れてた、
か、どうかは分かりませんが、
単なる学年が上の人の一人ではなかったのかと思います。
しかし、「先輩」の机を見たら、
本人の名前が彫ってあったのを発見。
うわ……コンパスの針でせっせと彫ってたんだ……
って感じでしょうか。
だっせ…と思ったのか、
親近感が湧いたのか、
どちらにしても「普通だ」というのが
感慨として出てくるところが面白いうたでした。
木原ねこさんの
「奥様の覚悟ですね」と行員は氏名を刻んだ実印に言う
うーん、情景がもやっと浮かぶような浮かばないような。
実印が苗字だけのものではなく
氏名が刻まれているのは普通かなと思うし
夫婦でそれぞれ実印を登録しているというのも
特に変わったところはないような気がします。
そうすると、
この行員さんが「奥様の覚悟ですね」と言ったのは、
印鑑についての言葉ではなくて、
実印を行員の前で押さなくてはいけない状況について
思わず口に出してしまったことなのかな。
何かドラマがありそうだけど、
それを明らかにしていないところに惹かれます。
奥様本人に言うのではなくて、
「実印」に向かって呟いたのを、
奥様は聞き逃さなかったというのも、
その場の緊張感があっていいなと思いました。

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