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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(2月14日)


うたの日

2月14日のお題は「ハート」「愛」「告白」。
theバレンタインデー
みたいなお題が並びました。

告白を急かされているどこまでもハート溢れるアーケード街(しま・しましま)
バレンタイン前って
ホントどこもかしこもハートだらけで
私は別にこれから誰かに告白なんて
する予定ないんですが、
こんな気持にさせられてしまう
ような。

この日いいなと思った歌。
ナタカさんの
告白のようなことさえできないで春一番の吹く道を行く
飛ばされそうに強い風の中を、
うつむいて歩いてる人の姿が想像されました。
「告白」どころか
「告白のようなこと」さえ出来ないでいる
そんな自分をふがいなく思って、
風の中を歩いているんでしょうか。
「春一番」は、
立春から春分までの間に
南方から吹く強い風のこと。
春一番の後、ちょっと天気が荒れることも
あるけど、
春の初めの強い風のあとは
暖かい春が来るんですよね。
「春一番」という風の斡旋がいいなって思いました。

潮道さんの
ほんまはな行きたないねん自販機に小さく小さく告白をする
誰にも言えなかった気持を
「自販機に小さく小さく告白する」
っていうところ、いいなって思いました。
返事をくれないというか、
聞いてもくれない機械にだけ
しかも「小さく小さく」告白するって
どこかに吐き出さないと潰れてしまうような
そんな切羽詰った感じがしました。
「ほんまはな行きたないねん」
っていう告白、
誰がどこへ行きたくないって思ってるんだろう。
その辺りは、ちょっと歌の中にてがかりがなくて
なんともいえませんが、
どことなく子供っぽくて、
小学生の男の子が親の都合で転校することになった
みたいな感じもします。
でも、
(これはわたしの感覚ではありますが)
小学生って自販機に告白するほど
自販機と親しいかなぁ。
と、思って、
もうちょっと年齢は上で、
ついつい子供っぽく打ち明けてしまう
みたいな感じかなぁとか
色々想像させていただきました。

もう一首ほど感想を。
静ジャックさんの
告白の一歩を踏み出せないままに歌詞を失くした校歌を歌う
この歌、票を入れるかどうかとても迷いました。
「歌詞を失くした校歌を歌う」
という下の句がとても好き。
ふと思い出して、自分が卒業した学校、
中学か高校かな、
その校歌を口遊もうと思うんだけど、
歌詞が出てこなくて、
ところどころふふふんで歌っちゃう、
そういう情景かと思います。
自分が校歌の歌詞を忘れたんじゃなくて、
自分の中の校歌が歌詞を失くしてしまった
っていうところが好きです。
ただ、
上の句がどういうことなんだろうなって
思っちゃって。
「告白の一歩を踏み出せないままに」
というのは、
現在進行形のようで。
多分、下の句と響き合わせるとしたら
まだ校歌が歌詞を失くす前の恋だった
って考える方がいいだろうな
って思って、
票を入れられなかったという感じです。

うたの日(2月12日13日)


うたの日

2月12日のお題は「味」「ちゃんと」「素」でした。

あきらめの果ての光よラーメンにキューピー味の葱を山盛り(しま・しましま)
ラーメン屋の刻み葱って、
たまにめっちゃキューピー人形味しませんか?
上の句はもうちょっと重々しく硬く大袈裟にしたらよかったな
とか、いまさら考えてみたりして。

この日いいなと思った歌。
潮道さんの
サクラ式ドロップと呼ぶあなたから貰う薄荷は春の味です
正式名称はサクマ式ドロップスですね。
でも、たしかにドロップって春のイメージ。
サクラ式って言っちゃいたくなります。
いくつかのフレーバーがある中で、
あえての「薄荷」。
なんであえて「薄荷」をくれるんだろう
と、思わなくもないですが、
もしかして、
「あなた」は幼い子供という場合もありそう。
あの白い色とひんやり甘いところを
「春の味です」
と言い切るところがいいなって思いました。

秋山生糸さんの
ハワイアンブルーの舌を見せあって進化していく僕らの味覚
「ハワイアンブルー」がいいですね。
かき氷のシロップのあのあざやかなブルーが
わーっと頭の中に浮かんで来ます。
幼い頃の思い出の青い舌からスタートして
さまざまな経験を経ての「進化していく僕らの味覚」
なのかもと思いますが、
わたしは、主体の現在の視点が
「舌を見せあって」いるところかな
とか思って、
素朴な色、素朴な味の「舌」から
ありえないほど青くそまった「舌」の
人工的な感じを未来感と捉えての
「進化していく」
なのかなぁって思ったりしました。
西村湯呑さんの
おとことは雑でやさしいいきもので「リセッシュ買うけど何味だっけ?」
思わずふふっと笑ってしまうような
楽しいシーン。
「何味ってw」
って突っ込みたくなる彼女が想像されました。
「雑でやさしい」が
下の句のセリフに過不足なく表現されてますね。
しかも「リセッシュ」という。
このチョイスが好きです。
ファブリーズじゃなくて「リセッシュ」っていうところに
生活感があっていいなって思いました。
いや、なんとなくですが。



2月13日のお題は「スキップ」「穏」「ストップ」でした。

バラードは全部飛ばして聴く夜の不揃すぎるてるてるぼうず(しま・しましま)

この日好きだった歌は、
サリーBさんの
どうしても代わりばんこに片足で飛び跳ねられぬわたしのジェニー
うわー、この歌好きだ
って、一目見て思っちゃいました。
「わたしのジェニー」にやられました。
このジェニーって、多分着せ替え人形のジェニーと思います。
リカちゃん人形よりもおしゃれ感があって、
マテル社のバービーほどは尖ってない、
あのジェニー。
でも、あのジェニーだけど、
「あのジェニー(全般)」ではなくて
「わたしのジェニー」なんですよね。
もう、このフレーズだけで
わたしの中でわーっとイメージが膨らみます。
結句のフレーズなので遮られることなく
それはもうとめどなく……。
まあ、それは置いておいて、
「どうしても代わりばんこに片足で飛び跳ねられぬ」
どんなにがんばっても「スキップ」が出来ない
という不甲斐ない不器用さ。
でもそれが自分の足じゃなくて、
「わたしのジェニー」なので、
自分の手であるってところも
上手いなぁって思います。
幼い頃(今は器用になったというわけでもないですが)の
自分のイメージするところに
あわせて動けない不器用さへのいらだちを
この歌でうっかり思い出してしまいました。
ところで、
わたしがとめどなくイメージを膨らませた件ですが、
ミッチ・カレンの「タイドランド」へ辿り着いたことを
お知らせしておきます。

ナタカさんの
誕生日おめでとうって言いたくて今日から明日へスキップで行く
おおぅ、これは可愛い「スキップ」!
「誕生日おめでとうって言いたくて」
というだけでももう可愛すぎるのに、
「スキップで行く」という可愛さ!
「今日から明日へ」で、
直接まっすぐに「おめでとう」って言いたい人へ
といわないところが憎いほど可愛いなって思いました。
「今日から明日へ」って
自宅で、心情的にスキップするっていうことにも
もうすでに家を出て、日付の変る深夜の道をスキップしてる
という情景にも読めますが、
常識的に考えたら前者、になるのかな。
とにかく、
誰より早く一番に「おめでとう」が言いたい
「おめでとう」って言える幸せ
そんな気持が「スキップ」の足取りにあらわれてて
すてきだなって思いました。
森下裕隆さんの
スキップのしかたで前世占います。あんたとあんたはアントワネット
この歌は、もう
「あんたとあんたはアントワネット」
の魅力溢れる下の句にやられました。
「あんたとあんたは」
っていう雑にもほどがある言葉。
上の句では
「占います。」って丁寧に言っておきながらの
「あんたとあんた」
の雑さがめっちゃ面白かったです。
選べる前世が十ぐらいしかなさそうですよね。
ふわっとしたスキップならマリー・アントワネット、
敦盛風なら織田信長、
みたいなことを想像してしまいました。

うたの日(2月10日11日)


うたの日

2月10日のお題は「飾り」「眼鏡」「銃」でした。

正しいことしか言わないんだね眼鏡ごと君をなんどもなぞってやりたい(しま・しましま)
このうたの前半分の元ネタは、
実は現在開催中の「うたの人」の「ツッコミ」の歌。
正しいことしか言わないところが小憎らしい人へ
いつかくるツッコミのために素振り練習しとこう
みたいなのを考えてたんですが、
お題の「ツッコミ」を前書き代りに使わないと
成立しそうもなかったんでボツにしたものでした。
で、
どうせツッコめるチャンスがないなら
逆切れして意地悪しちゃう、みたいな感じになりました。

この日いいなと思った歌。
音叉さんの
ここだけの世界を耳に引っ掛けてレンズの傷に反射する夜
眼鏡をかけて見える世界を、
「ここだけの世界」って表現したところが
不思議でステキだなぁって思います。
そんな世界の端っこ(レンズの傷)で、
夜が反射してるっていうのが
また!!
具体的にどういう情景とか
読み解きとかなくて、
とにかくステキでした。

吉川みほさんの
明るい日眼鏡をはずす世界中乱反射する 春のひとになる
明るい日射しがきらっきらで、
「春のひと」そのものになっちゃうところが
いいなぁって思いました。
眼鏡をはずして見える世界を「世界中乱反射する」
って、なかなか言えない言葉だなあ。
ただ、気になったのが一字開けのところ。
「眼鏡をはずす」「世界中乱反射する」「春のひとになる」の
リズムを、
多分、意味的な理由があるとは思うんだけど、
一字開けでせき止めちゃったかなって気がしました。
でも、意味的に見ると、
多分それでいいんのかも。
うーん、難しいです。
菊池優花さんの
じゃあ僕が君の眼鏡を受け継いできれいなものをたくさん見るよ
なにか一つのセリフ丸ごと、
あるいはつぶやき丸ごとのようで
印象的な歌でした。
この眼鏡も、「きれいなもの」を見るためのものという
そういう位置づけがされてるところが好き。
もとの眼鏡の持ち主である「君」が
眼鏡を必要としなくなった理由は分からないですが、
そこはあんまり重要ではない、
というようなスタンスもいいなって思いました。


2月11日のお題は「未来」「日本」「wow wow」でした。
まさかのモーニング娘。!

年老いた牡蠣のように目をつぶり首を横に振る「ここは安全みらいは怖い」(しま・しましま)
相変わらず平気で
11、5、8という破調の上の句を平気で持ってくるという。
ディズニーアニメの「不思議の国のアリス」の中の
(原作では「鏡の国のアリス」に登場するんですが)
「年老いたかきは目をつぶり、首を横に振る」
という歌詞そのままいただいちゃいました。

この日好きだった歌。
潮道さんの
停車した駅の数だけ考えた未来が胸でひかって笑う
自分のうたの未来はどう考えても明るくないのに、
人の未来は明るくあってほしいという
なんというわがままな。
という感じですが、
このうたの明るさがとても好きです。
主体は、何か進路について悩んでて、
毎日の通学(通勤?)の電車の中でも、
ずっとそのことを考えてたんだろうなって思います。
それを
「停車した駅の数」で表現されてるところが
「未来」をぐっと自分に強く引き寄せてるようで
ステキだなって思いました。
いろんな未来のビジョンがあって、
それらが、主体の「胸でひかって笑う」
そういう着地に至ったっていうのも、ホント好き。

南瑠夏さん
向日葵が光の方を向くように君は未来を信じているね
この歌も明るさがあって好きでした。
まあ、この歌の場合、
明るい未来を信じてるのは、
主体ではなくて「君」なんですが。
そんな君を眩しく思う主体ですが、
それが眩しくて、嬉しいと思うってことは
やっぱり主体も未来を信じてる、
あるいは、
未来を信じたい、
少なくとも「君」の未来は信じたい
っていう感じなのかなって思いました。
羽島かよ子さんの
間取り図を未来で埋めるその前にあなたの旅行鞄を置いた
「間取り図」って、実際にそこに住み始めてたら
あんまり見ないものですよね。
ということで、多分新居として見る「間取り図」。
新しい暮し、新しい家族、そんなイメージ。
「未来で埋める」という広がりがいいなって思います。
で、「あなたの旅行鞄」を
どう取ったらいいんだろうと
少し悩みました。
鞄ひとつで自分のところへ来た「あなた」
あるいは
新婚旅行の鞄?
男性の歌かなって思って、
新婚旅行のための「あなたの旅行鞄」を、
「あなた」のかわりに持ってあげてたのかな
とか考えました。

うたの日(2月9日)


うたの日

2月9日のお題は「鍵」「あだ名」「縞」でした。

したの日のお題「縞」で、
しま・しましま全首コメントという
しま・しましま劇場を展開してしまいました。
コメントを入れると、
どの歌にもせめて音符をつけたい
そんな気持になっちゃいますね。
それにしても三部制になってからでよかった……。
あと10首多かったら多分全部にはコメント無理でした。

ビー玉に波打つ縞を閉じこめて弾けば海がかすかにゆれる(しま・しましま)

この日いいなと思った歌。
飴町ゆゆきさんの
臆病を不遜に隠し月に吠ゆ我も汝も一匹の李徴
「李徴」といえば、あれですよね。虎になっちゃう人。
中国のもともとの人虎伝ではなくて、
中島敦の「山月記」の「李徴」なんだってことが
上の句から覗われます。
詩人、というか歌人としての「我も汝も」、
本当は「一匹の李徴」ではないかって
言い切っちゃうところがいいなって思いました。
そうだってわかってても、
それでも月に吠えずにはいられない、
そういう感覚でしょうか。
「汝も」って、読者を巻き込んじゃう感じが好きですね。

雀來豆さんの
縞島に住むもの 歌ふ縞 歌ひ狂ふ縞 その恋人の縞
この歌を一目みて、
ああっ!って思いました。
これは雀來豆さんの
熊島に住むもの 飛べぬ熊 力のない熊、その恋人の熊
をベースにしたものだ!
それにしても、めっちゃ思い切ったところに、
お題の「縞」が入ってて、
しかも、熊島の熊と比べて、
恐ろしいほどにアグレッシブ。
見ているうちに、
だんだんと、
もしかして、もしかしてこれは
わたし、しま・しましまのために
詠んでくれた歌なのではないだろうか
とか、勝手に興奮しちゃって、
うっかりうたの日のコメントで
お名前呼び捨てで書いてしまうほどでした。
これも「縞三つです!」とハートを入れたかった歌でした。

薄荷。さんの
なんとなくシャツの縞々数えてた話の続きを聞きたくなくて
一対一の会話、
というか、一対一でいて一方通行になってる話、
って感じがしました。
目線を下げて、全然話を聞いてなさそうなのに、
聞きたくもない「話の続き」が
続けられてたから、
「シャツの縞々数えてた」んだなって思ったら、
うわー、切なすぎるよって思っちゃいました。
相手は「この話を最後までする」ことだけが必要だったのかな。
お互いに顔見ながら話してなかったのかな。
「数えてた」「聞きたくなくて」
というちょっと舌足らずな語感が、
より切なく感じました。
西村曜さんの
そのシャツのストライプなら春雨にさらしてつくると聞いております
ゆったりした話し言葉がホントに心地よくて、
「春雨」感とぴったり合うなって思いました。
サ行の音の連なりが、
カタカナから漢字、ひらがなと移行して、
「聞いております」としっとり着地するところも
気持がいいなって思いました。
塾カレーさんの
「横浜が強かった頃、」(あったんだ)「縦縞の虎は最下位やった。」
非情に非情を重ねた意外性のある歌でした。
わたしはあんまりプロ野球について知らないんだけども、
それでも、この非情な(あったんだ)からのオチの持って行き方
面白いなって思いました。
佐藤博之さんの
物干しに眞つ直ぐ垂るる縱縞のシヤツの華やぐ春のベランダ
明るくて気持がいい歌ですよね。
衒いの無い明るさがいいなぁ。
「物干しに眞つ直ぐ垂るる」、
今干し上げたばっかりの、
まだ水分を多く含んでいるシャツの感じが出てるような気がします。
干されたシャツの縞模様も、
きっと春物の明るい色だったんだろうなって思いました。
瀬戸さやかさんの
久留米縞の反物ぽんと買う母の気前のよさが悲しい病
この歌、
最初読んだ時に、
「母の気前のよさ」が「病」で、それが「悲しい」のか、
「母の気前のよさ」を「悲しい」と思ってしまう「病」なのか
どっちかなって思ったんですが、
多分前者だろうなって思いました。
まず病気があって、
色々考えがあっての高価なものを購入する気前良さか、
何も考えずにそういう高価なものを気前よく買ってしまうのも
病気の症状なのか
どちらにしても、
それを見ている子の悲しみが、
歌からじわっと広がっているようでした。

うたの日(2月8日)


うたの日

2月8日のお題は「復活」「部屋」「増加」。
この日から、
また三部制。
右からうえの日(旧よるの日)、ひるの日、したの日(旧よるの日)。

古本の端に書かれた暗号のどう見てもそれはふっかつのじゅもん(しま・しましま)

この日いいなと思ったのは、
久哲さんの
復活をしたであります!破れ目で極ひかえめに鳥を飼います!
句切れごとに「!」があるという、
めっちゃテンションの高い歌ですね。
「復活」の喜び、
というよりは、
なんとなくヤケクソ的なハイテンションの雰囲気。
で、
下の句が、妙に魅力的なんですよね。
「極ひかえめに」っていいながら
「飼います!」のテンションの高さも好きだけど、
「破れ目で」「鳥を飼」うって、
なんだかいいなって思いました。
「破れ目」ってなんだろう、
わたしは、
「復活」の前後のあたりに出来た心象的な「破れ目」
なのかなって思います。
復活の前と後とでほとんど変わりなく、
という訳にもいかなくて、
どうしても出来てしまう「破れ目」というか、
段差とか隙間とか、そういうところで
鳥を飼おうと思うところに、
なんとなくですが、
これからはもうちょっとゆったり余裕を持っていきたい
みたいな気持が見えるような気がします。
で、
それなのに、その報告がハイテンション。
ねじれてて楽しいなと思いました。

真夜中さんの
もうLINE復活しないと決めてから少し世界にやさしくなった
最近はSNSの種類がいっぱいあるけど、
中でもLINEは、リアルの人間関係が反映されるもの
って感じがします。
わたしはLINEは家族としかしてないので、
今一つわかってないかもですが、
リアルの人間関係なのにSNSを通してる分、
いろいろと面倒なこじれ方をしたりもするのかも。
主体は、「もうLINE復活しない」と決めて、
ほっとしている感じです。
自分を中心とした世界を、
ツールを一つ無くすことで少し小さくして、
やっと、
無かったころのようなやさしいゆとりが持てるようになった
みたいな感じでしょうか。
「世界がやさしくなった」ではなくて
「世界にやさしくなった」
という結句がいいなって思いました。
犬飼あきさんの
復活!とピースサインをしたけれど充電はまだ半分くらい
あー、なんとなくわかるなぁって思いました。
あえて「復活」宣言を出す人って、
周囲に心配かけちゃいけないって
気遣いでよけいに電力を消費しちゃう人な気がします。
ピースサインまでしての「復活!」
でも、それって完全復活じゃなくて、
やっと起動できるぐらいだったりしそう。
スマホなどの機器の充電のパーセントを想像させて、
目に見えない、人の充電具合を
表現するところがいいなって思いました。
葵の助さんの
束の間の復活だとは思ってた 子の熱がまた上がる夕暮れ
子育てあるあるですよね。
具合の悪い子供って、
朝と夕は、熱があって、
不思議と昼間一旦熱が下がったり、体調が戻ったりしがち。
主体も、それを何度か経験して、
昼の元気が「束の間の復活」だとは思ってたけど、
でも、やっぱり、ああー。
っていう夕暮れ。
流石に初日、二日目ぐらいだと、
本調子じゃないと思うんだけど、
三日目、四日目の昼に体調がいいと、
頭のどこかで、
このまま快方に向かうかもって
期待してしまうところもあるように思います。
その、淡い期待が夕方再び砕かれての、
「束の間の復活だとは思ってた」
のなげきに繋がるんだろうなって共感しました。
衣未さんの
何度でも復活しちゃう恋心 ほんとにわたし愚かでごめん
うわー、可愛い!
って思いました。
下の句が特に可愛い。
「ほんとにわたし愚かでごめん」
って誰に謝ってるんでしょうね。
恋の相手か、いつも相談に乗ってくれる友達か、
あるいは自分自身へか。
しかし確かに困った恋心ですなぁ
とか思ってしまいました。

うたの日(2月7日)


うたの日

2月7日のお題は「缶」「カラス」でした。

丁度いいかわいそうさにくるまれてもも缶の桃つるつるすべる(しま・しましま)
わたし、「かわいそうさ」というか、
自己憐憫に塗れた感じが
なんとなく大好きだったりして、
もも缶とかって、そういう味がするなって思いますが、
みなさんはどうでしょう?

この日いいなと思った歌。
南瑠夏さんの
てのひらで缶コーヒーを温める 待つためだけに病院にいる
主体は今病院にいて、
それは「待つため」だけっていう。
それだけで、何か切ない気持がします。
誰かの治療が終わるのを待ってるのか、
誰かあるいは自分の診断結果が出るのを待っているのか、
とにかく、
ずっと病院で「待つ」ことだけをしているから、
もう
「待つためだけに病院にいる」
ような気持になってくるんでしょうね。
多分最初は温かかった缶コーヒーが
すっかり冷たくなって、
それをまた手の中でもてあそんで、
少しずつ温まってしまう。
そんな長い時間が感じられました。

きつねさんの
温もりは値上がりをした 百円玉じゃ缶コーヒーも買えなくなって
おおぅ、尾崎豊ですなぁ。
尾崎豊が「百円玉で買える温もり」と歌った昭和も
もう大昔になってしまいました。
缶コーヒーが値上がりしたのではなくて
「温もり」が値上がりしたと捉えたところに、
人淋しさが感じられていいなって思いました。
「は」という接続詞が上手いですよね。
さりげない社会風刺のニュアンスが漂います。
小川窓子さんの
軽作業ならアルミ缶スチール缶分別する仕事もあると紹介されもして
すごく好きな歌だなって思いました。
さらっと詠んで、
社会性のある重い余韻が漂う気がします。
ただ、
「アルミ缶スチール缶(を)分別する」
の(を)がはぶかれてるので、
なんとなく舌足らずな感じがする気がします。
もともとけっこう破調なので、そこ一字抜く必要があったのかな
とか思ってしまって。
そこがいいんだ
そこは気にならないっていう意見もあるかと思いますが。
萩野聡さんの
蹴り上げて光のさなかに消えてつた空き缶をまだ探してゐるわれ
幼い頃にやった缶蹴り遊び、
あの最後の一蹴りの行方が今も気になってる
みたいなイメージが浮かんできて、
すてきだなって思いました。
「光のさなか」の「さなか」が少し意味がとりにくくて
ちょっとひっかかりましたが、
ずっとどこかしら子供の頃のことを引きずってる部分って
ありますよね。

うたの日(2月5日6日)


うたの日

2月5日のお題は「紙」「ココア」でした。

ガスコンロのあおい炎にかざしたら手紙はオレンジいろにかがやき(しま・しましま)
あえての連用形で終わってみました。
手紙を燃やすという行為って、
ある種の情感みたいなのが付きまとうんだけども、
その辺りを感じさせないつくりを目指してみました。

この日いいなと思った歌。
雨さんの
しなやかな指でページの角を折る私に跡を付ける仕草で
ほんのりエロティックで
そのほんのり感がいいなって思いました。
いわゆるドッグイヤーってやつでしょうか。
書籍のページを折るって、
愛書家さんには嫌われる行為ですよね。
多分作者の雨さんも、
本当は嫌いな行為だと思ってらっしゃるんじゃなかな。
いやだな、
って、思うんだけど、
その「しなやかな指」に惹かれてしまう「私」。
それが下の句の
「私に跡を付ける仕草」に思えてしまうのかも。

南瑠夏さんの
しあわせが途切れないよう祈ります 春の匂いのする感熱紙
「感熱紙」最近あんまり見ない気がするけど、
一部のファックスとか、
あとレシートとかでしょうか。
この歌の感熱紙は、
印字後ではなくて、
機械にセットする前のものを想像しました。
あの、独特の光沢を持った紙の感じや、
熱によって文字が浮き出るしくみ、
そういわれると「春の匂い」がしそうです。
上の句のやさしい語感と「祈り」を、
この「春の匂い」がふわっと受けていて
あーなんかいいなぁって思いました。
多香子さんの
折り紙の動物園を並べつつ君待つあいだに春はあけぼの
「春はあけぼの」
枕草子の有名すぎるフレーズを使って
上手い!って感じで締められたうた
という気がします。
この日は2月5日。立春の翌日です。
というか、厳密に言うと、
2月3日の節分の翌日の4日から、2月18日ぐらいまで
その期間を「立春」っていうらしいんですけどね。
ちなみに19日からは「雨水」という期間。
と、脱線してしまいましたが、
「君待つあいだに春はあけ」
と、立春を言っているようでもあり、
「春はあけぼの」と言ってるという
ええと、掛詞っていうんでしたっけ。
「君待つあいだ」というフレーズも
どこかクラシックで、この掛詞とあってる気がします。
ただ、上の句の
「折り紙の動物園を並べつつ」
の、「動物園を並べ」というフレーズに
ちょっと違和感があるので強く推せなかったという感じでした。
一晩中「君」を待って折った折り紙が
動物園がひらけるぐらいの数になってしまった
みたいな歌意かな、と思います。
その歌意もどこかクラシックで好きです。


2月6日のお題は「村」「氷」でした。

薄氷の下を魚の見えるとき命は凍らないのだと知る(しま・しましま)
うっかりルビを振るのを忘れてましたが、
薄氷(うすらい)です。

この日いいなと思った歌。
/* */さんの
豚肉が棚から出ない 藍色の冷凍室に響く賛美歌
この歌を一読して、
倉庫タイプの冷蔵室で、
でっかい凍った豚肉を棚から引き出そうと苦労してる人
というのがわーっと浮かんできちゃいました。
実際のところは、一般的な冷蔵庫の冷蔵室なのかもしれないけど、
なんとなく。
豚肉を棚から出そうとがんばってる
という「仕事」=「生」
藍色の冷凍室、凍った豚肉という「死」を感じさせるもの
この二つを纏め上げるのが
「賛美歌」
というのがいいなぁって思いました。

スコヲプさんの
安全な冒険としてウイスキーグラスの中の流氷に触れ
うたの日のコメントにも書きましたが、
最後の「触れ」という一言がホントいいな。
琥珀のウィスキーの海に漂うロックアイスのイメージとか
「冒険」というフレーズ、
「流氷」という見立て(実際に流氷由来の氷なのかもですが)、
それらを、
最後にぐぐっと自身にひきつけるのが「触れ」
という動作って気がしました。
桜望子さんの
雪国の木琴奏者となりし朝シャベルで氷柱を叩いて落とす
この歌も、動作がいいなって思いました。
「シャベルで氷柱を叩いて落とす」という下の句ですね。
ちなみに、
わたしの住んでる地方では、
大体シャベルが大きい方でスコップを小さい方で言うんですが、
東日本では逆で言う事が多いとか。
雪国っていうと東日本側にある事が多い
ような気がしなくもないですが、
この歌のシャベルはやっぱり大きい方ですよね。
大きいシャベルを構えて、という大事感がいいなって思いました。
外川菊絵さんの
言い当てる凶器は氷だったのだ挿し絵の男が流す薄い血
「言い当てる/凶器は氷だったのだ/挿し絵の男が流す薄い血」
という、
俳句だと三段切れとかって言うんですが、
そういうちょっとブツ切れ的な表現で
ごたついた感じがしますが、
まあ事件現場だから、そういうのもありかなぁ。
とか思ってたら、
「挿し絵の男」ですよ。
血を流して死んでいる男の絵の、
血の色が薄くて、
まるで凶器が溶けて水になって、
流れた血が薄まったみたいに見えた。
ってことなんでしょうね。
「凶器は氷」
って、ベタ過ぎて逆にうまく扱えないようなところを
うまくネジってあるなって思いました。
楽しい歌でした。

うたの日(2月4日)


うたの日

2月4日のお題は「西」「会」でした。

この会はもうないのよって言いながら会員カードで集めるパン屑(しま・しましま)

この日いいなと思ったうた。
すずきさんの
洗っても取れない墨汁の匂いあさひ会館を出れば夕焼け
なんだか郷愁に駆られますね
って書道教室通ってなかったけど。
「洗っても取れない墨汁の」まで読んで、
そうそう、
墨汁って服に付くと取れないんだよね
って思ったんですが、
それに続く言葉が「匂い」だったので、
あっ、服じゃなくて手に付いた墨汁なんだ
っていう、
ちょっとマントでいなされた闘牛の気持を味わいました。
それにしても
「あさひ会館」という固有名詞がいいなぁ。
いかにも、書道教室やってそう。
結句の「出れば夕焼け」で場面転換して
夕焼け空のイメージがぱっと広がって、
より郷愁を誘うようでした。

安西大樹さんの
どピンクのレインコートで会いにゆく音符のような雨弾かせて
わたしはどうやら、
「ピンク」に弱いようで、
この歌も
「どピンクのレインコート」にやられました。
「音符のような雨弾かせて」で
その弾む心と足取りは想像されますが、
そこに
「どピンクのレインコート」が登場することで
破壊力(というか、ある意味暴力的なほどの)
女の子らしいパワーが備わったような気がします。
ふんわり甘くてやさしいだけじゃない、
その力強さが可愛くていいなって思いました。
まゆまゆさんの
荷台には箱いっぱいの餌はこぶハトおばさんに今朝も出会えり
うたの日の他の方のコメントを見て、
ああ、そういうこともあるんだ……
と、思った歌でした。
自宅でめっちゃ鳩を飼ってる町内の密かな有名人の
「ハトおばさん」
って思って詠んでました。
餌を運ぶ姿に「今朝も出会えり」だから、
早朝、野生のハトに餌をやる人、
なのかも知れませんね。
というか、そうなのかも。
でも、その行為の是非はおいておいて、
やっぱり主体は、「ハトおばさん」に出会うことが
嬉しいんじゃないかな。
ちょっと(かなり?)迷惑な人でも、
めっちゃ変わった人で知り合いにはなりたくない人でも
密かな有名人で、
元気でいるところを見かけると
嬉しくなるような、
そういうことってありますよね。

うたの日(2月3日)


うたの日

2月3日のお題は「右」「目」でした。

自転車を押しつつ君とかえる道ただしくはない右折の手順で(しま・しましま)
高校のとき、学校には無許可でしたが
自転車通学してました。

この日いいなと思った歌。
すずきさんの
この街のことはすこしもわからない 海を右にしてひたすら進む
不思議な感触を残す歌で、
その感触がいいなって思いました。
なにかとても淡々としてますよね。
「この街のことはすこしもわからない」
という上の句。
そして、その上の句をフォローするんでもなくって
下の句で
「海を右にしてひたすら進む」
という。
この街のことは分からないけども、
別に分からなくてもいい、
そういうことなのかな。
通過するだけの街、
名前しか知らない街、
この道沿いの一部分しか知らない街
そういう街ってありますよね。
「すこしもわからない」
と言い切ってはいるけど、
なんとなく気になる街でもあったんでしょうか。
下の句の最初、四句目のところで
ちょっとだけ字余りでリズムが崩れるところが、
ちょっと心を動かされかけて、
またあわてて前を向いたような、
「ひたすら」さ、
みたいな感じを受けました。

衣未さんの
右にあるきみのエクボと笑い皺見たくていつも繋ぐ左手
とにかく可愛らしいなって思います。
手を繋ぐときの主導権が
この二人の間では主体の方にあるんですね。
うたの中に「エクボ」と「笑い皺」と「左手」が
言葉として登場するんですが、
そのうちの
「エクボ」と「笑い皺」は、
主体が手を繋ぎたい相手にあって、見たいと思うもので、
「左手」は主体のもので、
実際そこに差し出されてるものですよね。
結句の体言止めの「左手」で
主体がすっと伸ばす手が印象付けられてる気がします。
片エクボっていうのは割とあるけど、
片笑い皺ってあんまりないんで、
どっちも、
左から見たものよりも、
右から見たものの方がチャーミングなのかなって
思ったりしました。
なかばまち子さんの
一晩で終わる女を守るよりその右側に私を入れろ
なんだかめっちゃ強気で
面白くて好きだなって思いました。
好きな人が別の女性をエスコートして歩いてたのを
目撃したんでしょうか。
「一晩で終わる女」という決め付け方の
その乱暴さと
「その右側に私を入れろ」
という命令形。
やけくそが半周回って強気に転じたような
そんな面白さがありました。

うたの日(2月1日2日)


うたの日

2月1日のお題は「剣」「盾」でした。

二つ目の町からはもう使わなくなった木の盾捨てられずいる(しま・しましま)
まあ、わたしが初期装備の木の盾で思い出すのは
FF11のラワンシールドなんですけれども。

この日いいなと思った歌。
きいさんの
寝ころんで単行本を盾にするあなたは武器を持とうとしない
上の句の描写で、
なんとなく景が見えるようです。
「単行本を盾にする」
週刊誌や新聞でないだけマシなのかな
と、思ったけど、
(勝手な思い込みではありますが)
「単行本」だと、だいたいに普段から無口な人
というイメージになるような気がします。
奥さんや彼女が近くでワーワー言っても、
何も言わずに読書してる。
下の句の「武器」は、
この歌の場合「言葉」なのかなって思います。
「武器を持とうとしない」ことは戦いを嫌う平和主義とも取れるけど、
相手と同じ土俵に最初から立つ気がないっていうのは
それだけで相手を傷つけたりするよね
とか色々思わされる歌でした。

スコヲプさんの
ささやかな誇りを重ね続くいま珠算二級の盾を取り出す
子供の頃からの「ささやかな誇り」を
少しずつ重ねて、今がある
ってことだと思いました。
「珠算二級の盾」は、その中の一つで、
きっと子供のときに得たものなんでしょうね。
「取り出す」がいいなって思います。
思い出す、ではなくて、
実際に取り出して手に取ることで、
「ささやかな誇り」の一例が
質感を持って主体に蘇っているように思えました。
つんさんの
母親の言葉が槍で降ってくる左右正しくつけるイヤホン
この歌、下の句の、
特に「左右正しくつける」
というところが好きでした。
普段から愛用してるイヤホンは、
左右をそうそう間違えてつけることも
あんまりないとは思いますが、
そこを敢えて
「左右正しくつける」ことに留意する。
「母親の言葉」に対する「盾」としての
「イヤホン」の存在感が
その敢えて感に出てるように思いました。


2月2日のお題は「電話」「香」でした。

ここにあった公衆電話で泣き出したこともあったと指差す空だ(しま・しましま)
わたしは昭和生まれ昭和育ちなんで、
わりと公衆電話にも思い出があったりします。
あの頃利用してた公衆電話ボックス、
もうほとんど撤去されててないんですけども。

加賀田優子さんの
ゆうぐれの公衆電話がなりひびき遠巻きに見るランドセルたち
公衆電話のベルが鳴る
って、都市伝説か、
あるいはドラマでの誘拐犯人の一昔前の意志伝達手段
みたいなイメージ。
でも、実際のところは公衆電話がまれに鳴るのって
単なる掛け間違いだったりするらしいですね。
というのは、どうでもいいんですが、
どこから掛かって来てるのか、
突然公衆電話のベルが鳴り響いたら、
やっぱりびっくりしちゃいますよね。
何か妖しいところから掛けてきてそうで。
うたの日にも
「日の短い冬の夕方」
とコメントを入れましたが、
帰宅途中のランドセル背負った男の子たちがいて
すでに「ゆうぐれ」ということは、
今頃の時期かなぁって思います。
冬の怪談っぽくて楽しいなぁ。
これが夏だと、ランドセル君たちもパワーがあって、
好奇心に負けて公衆電話に近づいてしまいそう。

藤 かづえさんの
電話機の中に正解がありそうでよく振ってから発信をする
作者の藤さんのコメントに
「電話をかける、ということが昔よりも特別なことのように思えて」
とありました。
そうかー、そうかも……
と、改めて思ったりして。
たしかにメールで済ませられることだと
メールしちゃいますよね。
わたしはこの歌を読んだ時、
家電話の子機を想像して、
振って出すタイプのおみくじみたいに、
子機を振ったら、内蔵された「正解」が
出てくるような感じがしました。
大嶋航さんの
真夜中のエールは僕へ電線をからまりながらまっすぐ届く
厳密に言うと、
そうでもないのかもですが、
「電線をからまりながら」
とあるのことから
家電話からのエールなのかな、
と思いました。
というか、
もうちょっと言うと、
実家からの電話とか想像しました。(甚だ勝手に)
「真夜中のエール」が
「まっすぐ届く」
って、
なんとなく分かるような、
嬉しいような気がします。
真夜中って、妙に素直に自分が出せたりするので、
昼間は照れてしまうような
ストレートなエールが言えちゃうし、
それをまっすぐ受け取ることも出来るのかも。

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