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しま・しましま

Author:しま・しましま
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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(2月28日)


うたの日

2月28日のお題は「いつもの」「鞭」「宇宙」でした。

たくさんのスプートニクに乗ってったそれより多くの犬たち(いぬたち)(しま・しましま)
結句の(いぬたち)のリフレインについて、評で意見を頂きました。
ありがとうございます。
スプートニクは旧ソ連の人工衛星のシリーズで、10号まで作られました。
その全てに犬が乗っていたわけではないですが。

この日いいなと思ったうた。
宮木水葉さんの
深宇宙探査行きたるバルカンの彼に見せむと高く手を上ぐ
「深宇宙探査」「バルカンの彼」でおおぅって思いました。
「スタートレック」!
「バルカンの彼」といえば、やっぱりミスター・スポックですよね。
そういえば、彼を演じたレナード・ニモイが亡くなったのは、
去年の2月27日だったかと思ってはっとさせられました。
多分主体(あるいは作者)も、
はっと思い出したのかも知れません。
思わず見上げた空の、
ずっと向うの宇宙のどこかに、
彼を乗せたエンタープライズ号が
深宇宙探査の途についてる。
結句の
「高く手を上ぐ」がいいなぁ。
思いが籠ってる気がします。

須磨蛍さんの
宇宙から撮られていると知ってればもっと綺麗に干していたのに
楽しいうたでした。
「撮られてると知ってればもっと」
みたいなことって、
よくある感じですが、
それが
「宇宙から撮られてる」
で、
「綺麗に干していたのに」
という嘆きになるところが面白ーい。
宇宙から撮ると言えば、やっぱり衛星写真でしょうか。
他の方が評されてましたが、
ホントこの対比がいいなぁ。
口語ものんびりしてて
明るいユーモアが素敵です。
実はさっき、グーグルマップで
自分ちを最大にズームしてみたんですが、
さすがに洗濯物のしわまでは見えなかったです。
でも、もしかしたらおねしょ布団干してたら
分かるかも知れないなぁとか
そんなことを考えたりして。
西村曜さんの
宇宙エレベーターおよびエレベーターガールのあくび「上へ参ります」
「宇宙エレベーター」という胸熱なものに、
クラシカルな「エレベーターガール」を配置
というのが、さらに胸を熱くさせますね。
「エレベーターガールのあくび」
のなまめかしさも素敵。
一般的に外側からの予想図みたいなものが
想像される「宇宙エレベーター」の、
その中の、
搭乗員にまでズームしてるところがいいなぁって思います。
想像力の豊かさですよねー。
塾カレーさんの
父母に両手を引かれゐたる子の宇宙より来てまだ日の浅き
このうたを読んで、
引っ越してきたばかりで
まだ出かけるときは両親と一緒でないと不安な
幼い子供を想像しました。
「まだ日の浅き」
という結句から、
主体がその子を見るのが初めてではない
んではないかと思われます。
近所に引っ越してきた子なのかも。
うーん、それにしても引越し前は「宇宙」だったとは。
この日常的な風景から、
さらっとSF的な背景に摺り変えられた感じが
面白いなぁって思いました。
うたの日で、他の方の評をみて、
ああ、そういう見方もあったかーってなってます。
「宇宙からの授かりもの」
というの、素敵な視点だなあ。
永昌さんの
手枕にまなこ押し付け伏すときの瞼の裏に広がる宇宙
ああっ、あれだ、あれっ
って思う感じ。
なんだっけ、アハ体験?
ちょっと違うかな。
あんな感じで、おおって思いました。
単に目をつぶったときの暗闇とも違う
アノ感じを
「宇宙」って言ったところが素敵ですよね。
「瞼の裏に広がる宇宙」
わーっと世界が広がるようでした。
ニキタ・フユさんの
プレアデス星団付近は事故のため一般車両制限されます
このうたを読んだ時、
脳裏に「宇宙家族ジェットソン」のママのジェーンが
電子レンジに向かって
「冥王星バーガーをひとつ」
っていう、
カートゥーンネットワークの同番組のCMを思い出しました。
っていうか、
「宇宙家族ジェットソン」の世界観っぽいな
って思ったんですが、
もうちょっと硬派なSFをイメージしてもいいですよね。
「事故のため一般車両制限されます」
の日常生活にわりと身近な紋切り型なフレーズが
未来の日常生活アニメの「宇宙家族ジェットソン」を
わたしに連想させたのかも。
「プレアデス星団」のチョイスが
詩的ですてきです。
桔梗さんの
月火水木金土日と星々をひとめぐりして明日がはじまる
「月火水木金土日」といえば、
一週間であり、
月・火星・水星・木星・金星・土星・太陽
のことでもありますね。
それをさらっと
「星々をひとめぐり」
と表現されてるところが素敵だなって思います。
ちょうど28日のこの回は日曜の夜。
うたの通り、
また新しい週が「明日から」始まります。
日曜の夜、明日のことを考えるのは
割とネガティブになりがちだけど、
「星をひとめぐりして明日がはじまる」
の明るさに救われる感じ。
とみいえひろこさんの
宇宙より嘘ひとつ受け取るブランコいつもあの子はぐっと踏み込む
正直に言うと、
上の句の「宇宙より嘘ひとつ受け取る」
というのがどういう感じなのか
今一つ分からなかったんですが、
「宇宙」と「ブランコ」の対比は
とても好きな感じ。
もう少し言うと、
「宇宙」から降ってくる何か、と「ブランコ」。
この
あ、好きな感じ……
というのに、
「いつもあの子はぐっと踏み込む」
という身体的な手触りのするフレーズが
いいな
に後押ししてくれた感じです。
ブランコ立ちこぎするときの、
ぐっと踏み込む感じの力強さ、
いいなって思いました。
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うたの日(2月27日)


うたの日

2月27日のお題は「極」「コップ」「ホステス」でした。

昨夜買った缶コーヒーを飲みながら昼の仕事もいいなと思う(しま・しましま)
お題が「ホステス」!
テーブル席で接客するタイプではなかったけど
水商売系のバイトをしてたわたしとしては
これはもう、詠まなきゃなって思ったんですが、
意外と(意外でもないか)形になるのに時間がかかりました。
わたし自身を含めてですが、
このうたみたいな
意識低い系のアルバイトホステスさんばっかり身近にいたので
こんな感じになっちゃいました。

この日いいなと思った歌。
猫丸頬子さんの
ほんとうは娘のために考えた名前の名刺使っています
名前どうする?
ってなったときに、咄嗟に出てきたのが、
「ほんとうは娘のために考えた名前」
だったんだろうなって思うと
いろいろとクるものがありますね。
大袈裟じゃなくて
ほんのりわびしいような可笑しいような感じが
魅力的でした。
「ほんとうは」の
ひらがなに開いた言葉の詠み出しが
モノローグっぽくていいなと思います。

北大路京介さんの
日経を読むと頭が痒くなるホステスやめてベコと暮らすだ
吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」の
ホステスバージョンですね。
「頭が痒くなる」といいつつ「日経」読んでるとか、
これは、多分ちゃんとしたホステスさん。
お金ためて
東京でベコ買って暮らすんですね。
冗談めかして言ってるけど、
実際にそんな夢を口にするホステスさんって
いそうだなぁ。
長くやれる仕事じゃないだけに、
常にその時のことを意識したりしますよね。
このうたの主体は、
水商売でのし上がりたい系の転職を狙ってそうで、
それだから余計に
たまに全部やめて「ベコと暮らす」って
夢に遊んだりしてそう。
つんさんの
おやつ代三百円を追加してひととき限り夢のねこカフェ
おっと、これは可愛いホステスさん!
って惹かれました。
「おやつ代三百円」「追加」の具体性がいいですね。
もうちょっと、もうちょっと
この可愛いホステスさんと遊びたい、
でも、
「ひととき」だけの夢の時間なんですね。

うたの日(2月25日26日)


うたの日

2月25日のお題は「LINE」「豚」「今更」でした。

豚肉に塩擦りこんで指先の小さな傷と痛みを分かつ(しま・しましま)
わたしも痛いし傷も痛い、
そして(多分)豚肉も痛いのかも。

この日いいなと思った歌。
工藤吉生さんの
「豚」と呼んじゃいけなくなったサトさんにそれきりなんのあだ名もつかず
「サトさん」という人のあだ名について、
それだけを読まれてて、
他が一切言及されてないところが
めっちゃ非情なうただなぁって思いました。
「サトさん」と「豚」というあだ名について
作者の思いは全然出てきませんが、
それが作者の「サトさん」像なのかな。
本当は「サトさん」は、佐藤って苗字なのかも知れないけども、
みんなが「サトさん」って言ってるから
「サトさん」って人なんだな
っていう程度の認識の間柄なのかも。
「豚」と呼んじゃいけなくなった
という所にだけドラマがあった的な感じが
なんだかぞわぞわっとして
気になる歌でした。

中牧正太さんの
養豚と百回言うと養豚のことを忘れてうまく踊れる
「踊る」が実際に踊るという意味なのか、
何か別の意味をもった言葉なのかが
分からないんですが、
インパクトのある歌だなって思います。
「養豚」って、なんで「養豚」なんだろうな。
普段、気にしたことが無い職業っていろいろあるけど、
養豚も忘れないと何かが出来ないようなものというよりも
普段はそういう職業があることすら意識してない
そんなものだと思うけど、
このうたの主体は、
「養豚」をゲシュタルト崩壊させないと、
何か心の安定が図れない
ってことなのかな。
食肉になるまでの過程のことを考えると
落ち着かないから忘れちゃおう
みたいなことなのかなぁとか
考えましたが、どうなんでしょうね。
葵の助さんの
湿っぽい話もいいね親友とつつく角煮はほろほろ甘い
「湿っぽい話もいいね」が
うん、いいよね、たまには
って共感を誘います。
「親友」だから、たまにこうして
しんみりするのもいい、
そういう感じなんでしょうね。
居酒屋とかちょっとしたお酒の席かなあ。
人と角煮をつつくというのが、
イメージしにくいなって思ったんですが、
「親友」と、居酒屋とかでなら、
そういうのもあるのかも。


2月26日のお題は「音楽室」「それぞれ」「保健室」でした。

この日、本当は「それぞれ」の方に出そうと思ってたんですが、
うっかり締め切り時間を過ぎてしまったので、
「保健室」に変更。
「音楽室」「保健室」共に、
あまりわたしにとっては親しみの湧かない場所なんですが、
「音楽室」って、
ちょっと眩しすぎるかなぁって……。

音楽室は空に保健室は地に近くおいてあるのはどうして?せんせい(しま・しましま)
「音楽室」「保健室」どちらも入ってますが、
「保険室」の方に出しました。
こういう疑問って
多分「保健室」の子からしか出ない
ような気がするんですがどうでしょうか。
ちなみに
出せなかった「それぞれ」のうたですが、
それぞれが忙しい朝ソレが歯を磨けばゾレが靴下を履く
でした。

この日いいなと思ったのは
前田沙耶子さんの
先生は仮病を見逃してくれた それを友情だと思ってた
ああっ、なんか分かる、分かるよー
という歌でした。
大人の冷静な判断を、自分への共感と思って、
それは友情から来たものだって
「思ってた」。
過去形ということは、
そういうことではなかったんだ
って事を分かっちゃったところが
うわー、切ないな
って思います。
上の句の句またがりが
ただの事実の部分を表現する感じがあって、
一字明けも効いてるなぁって気がします。

きいさんの
カーテンに薄く映った先生の影に揺られて午後の保健室
小学生の頃、
途中で発熱したりして
保健室で休ませてもらってたときのことを
思い出しました。
ベッドの置いてあるスペースが、
白いカーテンで句切ってあって、
保健室の先生が何か立ち働いてる影だけ
ゆらゆらっと見えるんですよね。
カーテンで句切られてることも、
その向うに黙っている先生がいることも
なんとなく安心するんですよね。
まどろんじゃいますよね。

うたの日(2月23日24日)


うたの日

2月23日のお題は「火花」「綿」「傘」でした。

甘やかすことの甘さよ雨傘の雫をつよくつよく振り切る(しま・しましま)
誰かを甘やかすことって、
甘やかす方が楽しくてやってるんですよね。
共依存とまでは言わないけど、
わたしも猫と成人した娘をめっちゃ甘やかしちゃって。

この日いいなと思った歌。
きいさんの
食いしばるように握った雨傘が地下鉄の床を小さく濡らす
情景がわーっと浮かんで来るような歌でした。
ぎゅっと強く傘の柄を握るのを
「食いしばるように」
と、その一言だけで主体の心情が覗える感じで、
ただ、傘の先から滴ってできる小さな水たまりが
より際立つようでした。

きよだまさきさんの
傘を打つ雨はますます強くなり涙を我慢できそうにない
傘から雨、涙(泣く)という連想のうたはいくつかありましたが、
わたしの好きなストレートさで、
いいな、うん、好きだなって思いました。
中でもこのうたのストレートさが好きで、
この日は二つ票を入れたんですが、
どっちもハートを入れたかったですね。
もうね、
とにかくどうしようもなく泣いちゃいそうな感じ。
どしゃぶりの雨の中を傘を差してるのが精一杯で、
涙をこらえる余力もない
ってところがなんだか胸を打ちました。
「我慢できそうにない」
ってことは、
それでも一応我慢はしてて、
出来れば我慢しつづけたい主体がいて、
でも、
「我慢できそうにない」。
いいなって思います。


2月24日のお題は「血」「服」「絶交」でした。

絶交ね絶交ねって言い交わしわずかに色づくリップクリーム(しま・しましま)
「絶交」って、
なんか甘酸っぱい幼さのイメージ。

この日いいなと思った歌は、
小向大也さんの
好きだって言ってたあれを買ったから明日会えたら見せてあげない
うわー、元小学生ごころをくすぐる!
って思いました。
「あれを買ったから」「見せてあげない」
っていうの、めっちゃいいですね。
「絶交」はしたけど、
毎日学校で顔を合わせる小学生ならでは。
しかも
「好きだって言ってたあれ」っていうのが、
もうすごくいい。
もうバリバリ意識してるんですよね。
かわいい意地悪だなぁ。

文屋亮さんの
絶交は甘やかな語よ南国の果実のやうな交友ののち
いや、もっと評価されてもいい!
と、思った歌でした。
勝手な想像ですが、
多分わたしが投稿したものと、
作者の出発点は同じかなぁって思います。
この「絶交」は、女の子の「絶交」じゃないかな。
「南国の果実のやうな交友」
あまーくて、しかもそのあまーい匂いも強い「南国の果実」、
そんな「交友ののち」の「絶交」は
たしかに「甘やか」ですよね。
そう、こう、こういう感じに詠みたかった
という歌でした。
ナタカさんの
もう二度と話さないって言ったけど良いよ今だけ消しゴムを貸す
小学校か中学校の授業中の風景でしょうか。
かわいいなって思いました。
隣の席か、前の席にいる友達と絶交したんだけども、
その子が、授業中消しゴムがなくて困ってるらしい姿を見て、
「良いよ今だけ消しゴムを貸す」
なのかな。
ひとりでキョロキョロしたりガサゴソしたりして
めっちゃ困ってる姿だったんだろうな
ええ子やな(なぜ関西弁なのか)
って思いました。

うたの日(2月21日22日)


うたの日

2月21日のお題は「亀」「イジメ」「バネ」でした。

笑ってるような泣き顔バネ式で飛び出すピエロの頭のような(しま・しましま)
びっくり箱の切なさって、
飛び出したら戻れないのに、
ずっと笑ってる顔がぐらぐらしてるとこ
じゃないかなぁとか思ったりします。

この日いいなと思った歌。
前田沙耶子さんの
ミニチュアの虹が家出を試みてしゃこしゃこと階段を降りていく
正式な名前は分からないけど、
そういうオモチャありますね。
あの虹色のオモチャをズバリ「ミニチュアの虹」って
言い切ったところがまず好きでした。
で、
「しゃこしゃこ」という擬音のチョイスがめっちゃいいな
って思いました。
言われてみれば、
あの音は「しゃこしゃこ」以外にありえないな
って思わせられるぐらい、しゃこしゃこ降りますね。
可愛らしくて明るくて
楽しい歌でした。

遠井海さんの
今までの失敗ぜんぶバネにして飛んだら月に届いちゃいそう
ネガティブに前向きで、
面白いなって思いました。
「失敗をバネにして」って
わりとよく聞くフレーズですが、
これの「失敗」でつくる「バネ」が、
恐ろしく強靭あるいは大きいってことは、
それだけ自分が失敗してきたってことですよね。
そういうネガティブな部分を
「月に届いちゃいそう」と
軽く言っちゃうところがいいなって思いました。

ゆきやなぎなぎ子さんの
床の上寝ころぶバネは思うのだ あいつはちゃんとやれてるのかな
「床の上に寝ころぶバネ」
いろんな情景を想像します。
だいたい、日常生活のなかに、
けっこう色々とバネが潜んでるんで、
そのどれが床に落ちていても不思議じゃない。
実際、たまに我が家でも落ちてますし。
なんのバネなんだろうというちっちゃなバネが。
シャープペンのバネかなとか思うんだけど、
いや、そもそもなんでそれが落ちてるんだ
っていう。
このバネも、そういう日常の中の謎バネかも知れないし、
何か組み立て式のキットの中の予備の部品の一つかも知れないし、
バネ工場で何かの弾みにベルトコンベアを落ちたものかも。
「あいつはちゃんとやれてるのかな」
というバネのモノローグですが、
「あいつ」は、どこかで
そのバネと親しくなった別のバネでしょうか。
自分はもうこんな感じで、
どうなるか分からないけど、
「あいつ」はどうなんだろうな
って思ってると想像すると、
切ないような、誰か知らんが「あいつ」に幸あれって
そういう気持にさせられますね。


2月22日のお題は「3D」「糸」「電車」でした。

3Dメガネをかけて笑いあう メガネのこどもが一番笑う(しま・しましま)
今日ブログにアップした二つの自作、
どちらも音符一つだけいただいた歌で、
せめてどっちかがもう少し人気が出た歌だったら
これを書くのも弾みがつくのになぁ
とか、
しょうもないこと考えたりして。
それはそうと、
子供ってサングラスとかかけないから、
ごくごくたまにそういうものをかけると
みんなすごく楽しそうでかわいいなって思います。
一番楽しそうなのが、
普段からメガネかけてる子が、
一番楽しそうに笑ってて、
みんなちがってみんないい
とは言え、
みんな一緒っていうのも楽しいですよね。

この日いいなと思った歌。
中牧正太さんの
3D映画のあとの手のひらの雨粒もうひとつ来い雨粒
すごくいいなと思うと同時に、
これにハートをつけていいのかなって
悩む歌でした。
うたの日に
3D映画を見た直後、てのひらに落ちた雨粒がなんとなく頼りない感じで、もう一度手に受けて、質感をきちんと体感したかった、という感じかなと思って、すごくいいなって思いました。ただ下の句でリズムが崩れるのが残念な気がします。
というコメントをつけたんですが、
うーん、
ホントに内容的にはすごく好きでした。
下の句の破調の受け取り方、ですよね。
四句目の「雨粒」のあと、
「雨粒」という体言止めになってるんですが、
それをつなぐ
「もうひとつ来い」が
なんとなく間延びしてて、
リズムがなぁ…って思ったんですよね。
で、
今日になって改めてじっくり見てて、
もしかしたら
「3D映画のあとの手のひらの雨粒//もうひとつ来い雨粒」
と、意味的にだけじゃなくて、
そう読んだらいいのかなって気がつきました。
下の句が破調、と考えて読むから違和感があって、
最初から破調で読んだら、そこまで違和感はない
……のかも。
いろいろとハートを付けた後でも
考えさせられる歌で楽しいです。

ルイドリツコさんの
ほんとうにやられちゃったな君だけが浮き出て見えるハチ公前で
「3D」というインパクトのあるお題で、
こんなにきれいに、ナチュラルに恋心が詠まれてて
とにかく、めっちゃ感動しました。
たしかに、好きな人って他の人が全部背景になるぐらい
浮き出て見えることってありますよね。
「ハチ公前で」という結句で、
それがデートの待ち合わせで、
顔を合わせる直前のシーンだっていうことが分かる、
うーん、上手いなぁ、やられちゃったなぁって思って、
ハートを迷った歌でした。
北大路京介さんの
テレビから飛び出してきた誰かの手熱いポテトを掴んで消えた
思わずふふっと笑ってしまう歌でした。
テレビから出てくる、といえば
やっぱり貞子的なこわいものをイメージするけど、
その手が、
「熱いポテトを掴んで消えた」
って、意外すぎてめっちゃ面白いです。
取られた方も、
ぎゃーって言うより先に
は?
ってなりそう。
そしてその「誰かの手」は、
きっと熱々ポテトで火傷してるんだろうなとか思って
すごく楽しかったです。

うたの日(2月19日20日)


うたの日

2月19日のお題は「蜜柑」「薬」「穴」でした。

零したら春が始まる色とりどりの穴あけパンチに溜まった詩篇(しま・しましま)
子供の頃、
うーん、実は今もそうかもですが、
穴あけパンチの底に溜まった
小さな丸い紙を見るのが好きでした。
クーピーの削りカスとか、
色鉛筆を削ったときにきれいにくるんと丸まった削りカスとかも。
さすがにゴミなんで、それを大事に取っておく、
ということはしなかったけど、
見るのが好きでした。
ところで、
三句目の「色とりどりの」が四句目の「穴あけパンチ」に掛かるように読める
という指摘を頂いたので、
ちょっと手を入れてみました。
こぼしたら色とりどりの春になる穴あけパンチに溜まった詩篇

この日いいなと思った歌。
飴町ゆゆきさんの
なにとなく指に差したる頃思ひちくわれんこん箸を運べり
わー、いいなって思いました。
食べ物を指に差して遊ぶという子供っぽさを、
大人でないと詠めない形で詠まれた歌
っていう気がします。
まず、「なにとなく」という詠み出しがいいなぁ。
クラシックな言葉で、さりげなく郷愁へ誘う感じ。
下の句の
「ちくわれんこん箸を運べり」
のリズムの良さと、「ちくわ」「れんこん」というチョイス。
ほんのりとしたユーモアでほんのりと郷愁を包んであって、
歌の姿は端正って
もうステキすぎませんか。

塾カレーさんの
生きるとはその身の内に洞穴(ほらあな)を抱へることか倒れし楡よ
目の前に朽ちて倒れた楡の木があって、
その木に対して
「倒れし楡よ」と
問いかけている歌
ではないかと思います。
その倒れた楡に
きっと大きな「洞穴」があったんでしょうね。
そこからの
「生きるとは」という疑問になって、
それを直接、楡にぶつけてみた。
この歌で面白いなと思うのは、
主体(あるいは作者)の考えが
示されてないところ。
わたしは19日の夜に読んだ時、
その「洞穴」をどちらかというとプラスの意味で受け取って
そういうコメントを書いたんですが、
あらためて、この作品を読んでみて、
「身の内に洞穴を抱へること」が
「生きる」ことだとしても、
それが木にとってのプラスなのかマイナスなのか、
その辺どう作者が考えてるかは書かれてないんですよね。
ただ、浮かんだ疑問を、楡に直接ぶつけてる。
うたの中では楡にぶつけられてるんだけども、
読んだ時、こんどはこの疑問は
読者に投げられてるようにも思えて、
うーん、これは迂闊にどうこう言えないぞ
と、思ってしまうヤバい歌だと気付きました。
前田沙耶子さんの
アナグマは自分がイタチだと知らず生きる クマとして今日も生きる
えっ、どういうこと?
って思わず二度見三度見しました。
えーと、つまりこの主体は、
自分の事をアナグマだと思いながら、
何らかの事情からクマとして生きているんだけども、
実は自分がアナグマだということ自体がまちがってて、
本当はイタチ……。
頭がこんがらがっちゃいますね。
イタチがアナグマとして生きること自体、
他のアナグマが黙ってないだろうって
気がしますが、
実際にはそれどころか
イタチがクマとして生きてるわけですから、
他のクマからツッコミは無いんでしょうか。
そう考えたところで、
うわー、もしかして、
ずっと一匹で生きて来たんじゃないかな
このイタチ(アナグマ)の生き方って
めっちゃハードだな
って愕然としました。
動物の名前が三つも出てきて、
一見ほのぼの系かと思わせて、
めっちゃねじれきってるところが面白かったです。


2月20日のお題は「マニキュア」「エプロン」「ラブホテル」でした。

光りたいものから光れマニキュアのまだ乾かない指を掲げて(しま・しましま)

この日いいなと思った歌。
冨樫由美子さんの
ていねいにマニキュア塗ればうつくしいことをしてきた手のやうになる
申し分なくきれいにマニキュアが塗れると
嬉しくなって、手を惚れ惚れと眺めちゃいますよね。
さっきまでの自分の手とは
全然ちがう人の手のような。
自分自身は「うつくしいことをしてきた」訳じゃないけど、
まるで「うつくしいことをしてきた」人の手のよう
っていう感覚が、
自己愛と卑下の微妙な思いに揺れてて
ステキだなって思います。
下の句の
「うつくしいことをしてきた手のやうになる」
のリズムのうねり加減も、
あー好きだなぁって思います。

多田なのさんの
涙拭う指にはよれたマニキュアが こんなんだから泣く羽目になる
なにかの理由で
マニキュアがまだ乾かないうちに泣いちゃって
涙を指でぬぐったら、
指先に、その所為でよれてしまったマニキュアが見えた、
みたいな情景かなって思いました。
こんな考えなしに動いちゃう自分だから、
こうやって「泣く羽目になる」
って感じかと。
下の句の
「こんなんだから泣く羽目になる」
でまた、うわーって泣いちゃうような
そんな勢いがあって、
めっちゃ共感しました。
流川透明さんの
眠ってる爪に私の色を塗るこれを頼りにまた見つけてね
かわいいいたずらだけど、
どう見てもこれは
一晩だけの遊びのつきあい
に見えるんですが、どうなのかな。
「また見つけてね」の結句が
切ないなぁって思いました。
マニキュア一色だけの手がかりって
また会いたいわけじゃないけど、
「見つけて」くれたら嬉しい、
そういう気持かな。
伊織さんの
切れかけた風呂場の照明に紛れてピンクのマニキュアを剥がしている
分厚く重ね付けしたマニキュアを
お風呂で、
ぺりぺり剥いてるところかな。
痛々しくて辛い歌でした。
「切れかけた風呂場の照明」や
全体的に破調なところから、
自傷行為の一つみたいにも思えます。
明るすぎる照明の下で輝いていた「ピンクのマニキュア」と
剥がすときの荒涼とした雰囲気の落差を想像して、
ホント痛々しい。

うたの日(2月18日)


うたの日

2月18日のお題は「湯」「二度見」「各」でした。

書き出した手紙の中で彷徨える湯冷めの頃をとおく過ぎても(しま・しましま)
ふっと「夢見る頃を過ぎても」という言葉を思い出して、
そこから出来た歌でした。
この間、本当に久しぶりに手紙的なものを書く事になって、
うーんうーんと困ってた時の感じです。
いや、ホントに手紙とか、特定の人に宛てた文章を書くのが
めっちゃ苦手なんですよ。

この日いいなと思った歌。
西村曜さんの
白湯飲めば白湯の味する不思議さよ臥せる窓辺にひかりは満ちて
何か具合が悪くて寝付いてしまった人が、
少しだけよくなってきた、
というところなのかなと思います。
「白湯飲めば白湯の味する」
ということを「不思議さ」と表現されたことに
回復期のよろこびとイノセントさを感じます。
白湯が白湯の味、
当たり前なんだけど、
それを味わうことが出来ることって
どこか自分にそれだけの余裕がある
そういうことでもあるのかな、と。
この作品を読んで、北原白秋の詩を思い出しました。
有名な詩ですが、
短いものなんで、ここにマルッと引いてみます。

「薔薇二曲」



薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花咲ク。

ナニゴトノ不思議ナケレド。



薔薇ノ花。
ナニゴトノ不思議ナケレド。

照リ極マレバ木ヨリコボルル。
光リコボルル。



白秋は薔薇の木に薔薇の花咲く当たり前さを
「不思議ナケレド」
といい、
西村さんは
「白湯飲めば白湯の味する」
ことを
「不思議さよ」
と言ってますが、
どちらも、ある種のセンス・オブ・ワンダーの
喜びが「ひかり」になって溢れてる
ような気がします。
すてきな歌でした。

薄荷。さんの
君の分買い揃えていく嬉しさよ湯呑み茶碗のうさぎもはねる
嬉しさですよね。
ハートを入れた西村さんの作品と
似た構成の作品だったんだなって
今日になって気がつきました。
こちらは下の句がダメ押し的にも感じられますが。
でも、「嬉しさ」のダメ押しって
わたしはわりと好きですね。
「嬉しさ」と直截に言ってしまっても
まだ有り余る嬉しさみたいな
もう、あちこち跳ね回ってるような
嬉しさが微笑ましいなって思えて。
一緒に暮すようになる、
あるいは、頻繁に同じ家で食事をするようになる
そういう「君」のために
生活用品を買い揃えていくという
そういう場面で
「うさぎ」のついた湯呑み茶碗をチョイスするところ、
かわいいなって思います。
ただ、うたの日のコメントにもあったように、
「うさぎも」の「も」はダメ押しのダメ押しだったかもです。
主体の気持はすでに「嬉しさよ」で
はっきり出されてるので、
「うさぎも」(わたしも)「はねる」
と読まれてしまう「も」で繋がない方がよかったかな
って思いました。
秋山生糸さんの
帰宅して冷えきった手を洗うためお湯が出るまで流される水
給湯器のスイッチを入れて、
蛇口から水じゃなくてお湯が出るまでの間っていう
誰もが冬季毎日何気なく体験してる時間を、
その間流れる「水」だけにスポットを当ててあって、
おおっって思わされる歌でした。
清々しいほどに
「水」だけを描かれてるところが
面白いなって思います。
流川透明さんの
今日を過去に洗い流して湯船から吾をリユース、多少キズあり
今日あったいろんな出来事を
お風呂の中で洗い流して、
また新たな明日のための自分になる
みたいな感じでしょうか。
「吾をリユース、多少キズあり」
がすごく好きです。
言い方を変えると重くなることを
カタカナで、
すごくフラットな感じに、
リズミカルに畳み込むところが
明日への勢いをつけてるようで好きです。

うたの日(2月16日17日)


うたの日

2月16日のお題は「杏」「藍」「飴」でした。

夜はもう藍より出でて君の覚むる朝へ寄りたる Happy Birthday(しま・しましま)
これは、わたしより若い知人の誕生日が
ちょうど17日だったと思い出して詠んだもの。
結句を色々考えたんだけど、
シンプルにおめでとうの言葉にしてしまいました。

この日いいなと思った歌は
西村曜さんの
藍色の遮光カーテン思いきり開ける この日の息継ぎとして
重たい遮光カーテンを「思いきり開ける」
という、アクションを
「この日の息継ぎ」とするってステキだなって思います。
その力加減とか、体の開き方とか、
深呼吸のためのアクションにも似てますよね。
遮光カーテンを閉じている間の、
重たい、暗い感じから、
ぱっと明るくひらけるところも
「息継ぎ」な感じがします。

照屋沙流堂さんの
その色に染まりし服に身を包みきみはしづかな植物になる
下の句の「きみはしづかな植物になる」が
めっちゃいいですね。
藍色に染めた服を着た「きみ」が
「しづかな植物」になるってホントいい表現。
おとなしいようだけれども
芯の強い女性とか想像されました。
「その色」の「その」は、
お題の「藍」の色。
多分、色としてのいわゆる「藍色」ではなくて、
植物としての「藍」を表現したくて
「その」という指示語を使われたんじゃないかな
って思ったりしました。
ふたりさんの
脱ぎ捨てたジーンズが昨夜の雨をとどめていて哀しくなる朝
破調のうた。
55768の構成ですね。
もっと言うと、
55/76//8
って感じでしょうか。
結句で「哀しくなる朝」と、
感情をストレートな言葉で表現されてるところも
意欲的な歌だなぁって思いました。
「脱ぎ捨てたジーンズ」が
「昨夜の雨をとどめている」というのは、
単純に、湿っているということでしょうか。
「哀しくなる」のは、
ジーンズが湿ったままだったからでしょうか。
昨夜の哀しさが
一晩寝ただけでは処理しきれずに
残ってしまったような
そんな「哀しさ」があるなぁ
って思わせられる歌でした。



2月17日のお題は「兄」「怪獣」「弟」でした。

この人はこんな声だったかと思う法事を伝える兄の留守電(しま・しましま)
わたしには三歳違いの兄がいるんですが、
ホント子供の頃から没交渉で、
兄、といって浮かんで来るのが
だいたいこんな感じ。
あと、
結句の体言止めは失敗だったかなぁ
と思ったりしてます。
字余りでも「に」とつけた方が良かったかな。
上の句と下の句ひっくり返したほうが良かったかな
と思ったりしてますが、
どうなんでしょうね。

この日いいなと思った歌。
秋山生糸さんの
寝返りを打った拍子に思い出すわたしのために叱られた兄
わー!この歌好きだ!
って読んだ瞬間思いました。
めっちゃ「兄」感あるなって思います。
ほんとなんでもないときに、
何かふっと大昔のことが思い出されることって
ありますよねー。
あります。
何気なく打った寝返りの拍子に、
「わたしのために叱られた兄」
を思い出す。
そういう夜もあるんだろうな。
ほんとに何気なくて、
その何気なさゆえに
次に寝返り打ったらまた忘れちゃいそうなのに
ちゃんとこんなステキに歌に出来るって
いいなぁ。

宮田ふゆこさんの
春の夕やわらかく来て新しい歌のおにいさんにもなじみゆく
「歌のおにいさん」といえば
Eテレの「おかあさんといっしょ」。
もしかしたら、
それとは違う「歌のおにいさん」なのかも知れませんが、
やっぱり「おかあさんといっしょ」を
連想してしまいます。
歌のおにいさんもおねえさんも
あまり頻繁に交代するイメージはないけど、
その分、
新しいおにいさんおねえさんになると
見慣れるのにもすこし時間がかかるのかも。
「春の夕やわらかく来て」
の、このやわらかさ!
「春」で「夕」で「やわらかく来て」!
どこをとってもやわらかい、
ふんわりほんわりした上の句がもう魅力的ですね。
そこに
「新しい歌のおにいさん」という
意外性のあるものがあって、
結句の「なじみゆく」の
これまたやわらかい感じで、
上の句のふんわりさに戻っていく
みたいな感じが好きでした。
ちなみに、今年の「おかあさんといっしょ」は、
「歌のおにいさん」は9年目続投のようですね。
楽水童子さんの
兄はいまだ兄であらうか、妹よ。ケニアはけふも晴れてゐるかい? 
「兄はいまだ兄であらうか」
「ケニアはけふも晴れているか」
という、二つの疑問で構成された歌。
遠く離れて住んでいる、
ある程度の年齢の兄妹なんだろうなって
想像します。
子供の頃は「兄」って
そこに居るだけでも「兄」だったけども、
年齢があがってくると、
何か「兄らしいこと」がないと
「兄」ではないような、
そんな気持がしてくるのかも知れないなって
そんなことを思いました。
わたしは
兄と妹に挟まれた三人きょうだいの真ん中なんですが、
少なくとも妹とはほぼ同列な感じで、
呼び名だけが姉としての名残をとどめてる
という気がします。
ちなみに、前述した通り、
兄とは没交渉なんですけれど。
って自分のことはどうでもいいんですけどもね。
「兄はまだ兄であろうか」
ふとそんな疑問が頭をよぎっても
なかなかそれを妹に
実際口に出しては聞けないですよね。
「ケニアはけふも晴れているかい?」
代りに出たのがこの言葉だけども、
元気でやってるか、
聞きたいのは、こういうことなんじゃないかな
って思いました。

結社に入ったよという話


 ツイッターの方ではお知らせしたんですが、この度、短歌結社「未来短歌会」に入会しました。大島史洋という先生の青羅集という欄です。3ヵ月後あたりに、第一回目の投稿が掲載されるんじゃないでしょうか。ドキドキですね。最初の投稿の結果が出ないまま、もう3月15日までに二度目の投稿締め切りが待ってます。

 結社に入るというのがわたしの選択肢の一つに登場したのは実は去年の夏前。それで「塔」とか「短歌人」の見本誌を取り寄せたり、人からお話を覗ったりはしてたんですが、その後、別の会のお話があって結社に入会というのは一度消えてしまいました。まあ、その別の会については残念ながら途中退会してしまって、秋からずっと、ぼんやりとは結社のことを考えたりしてましたけども、今年に入って心を決めたのは、もう一段短歌に進んでみようっていう気持が強くなったからですね。

 結社に入って活動する、というのは、わたしの中では二つのイメージがありました。
一つ目は、結社という利点を最大限に生かして、それを足がかりに羽ばたいていくつもりのパターン。
足がかりっていうと足蹴にしてるみたいで悪い言葉になっちゃうかな。そういう悪い意味ではなくて、
1結社でがっちり学ぶこと、
2結社の中で存在感を出すこと、
3結社のネームバリューで結社外にも名前を出すこと。
という感じかな。
二つ目は、がっちり学ぶことは当然として、結社誌というホームというか自作の発表の場とみんなでわいわいやっていく場を得て、楽しく長くやっていくパターン。
 えーと、ちなみにこれらのイメージは短歌結社というよりも、俳句結社のイメージで言ってたりします。うん、実は俳句結社ってそういう感じだったりするんですよ。前者が望めるのは、大手の結社に限るという気もしますが。

 で、わたしなんですが、基本的には二つ目の方に近いところを望んで結社に入会しようと思った感じになるのかな。近いけども違うんですけどもね。
楽しく長く短歌で遊ぶ場が欲しかったというのはあります。でも、それだけだったら、今のスタンスで十分なところありますし。自分の軸みたいなものが欲しかったというのが一番の理由かなぁ。
 どこに発表するにしても、まず歌を詠んで、それから、それらを発表するかしないか、どれを発表するかという「自選」ってありますよね。その自選のための判定基準のようなもの、自分はこういう短歌の方向性、という軸を作るのに、その支えになる「誰かからの絶対評価」みたいなものが欲しかった、っていう感じでしょうか。
 まあね、スタート時点ですでに40代半ばな訳ですよ。自力でゆっくり軸を作ってくにはちょっと時間が足りないかもとか思っちゃうんですよね。

 「塔」っていう短歌結社は、選者が入れ替わるという話を聞いて、それはわたしの望んでる選ではないなぁ、
「短歌人」は固定の選者を選べるようですが、どういう作風の選者さんなのかがちょっと分からなかったということで、
固定の選者が選べて、且つ、選者の名前が明記された「○○集」があって、選者さんそれぞれ、どういう作風の方なのか分かりやすかった「未来」に入会を決めました。

 ちなみに、今まで通り、筆名は「しま・しましま」で行こうと思ってます。もうね、わたしの中に自分の名前って本名と俳号(ほぼ本名)と「しま」しか浮かばないんですよ。今更別の名前を作っても、他人名義で詠んでるような変な感じがしそう。

そんなわけで、短歌結社に入りまーすというお話でした。

うたの日(2月15日)


うたの日

2月15日のお題は「科学」「靴」「三角」。

天辺に乗せる三角まだ誰も住んではいない積み木の城に(しま・しましま)

この日いいなと思った歌。
前田沙耶子さんの
ローファーに潜むこびとが あっちだ とまた学校を素通りさせる
思わずふふっと微笑んじゃいますね。
そうか、わたしのローファーにも、
きっとあの頃こびとが潜んでたんだろうなぁ。
毎朝毎朝学校行ってる場合じゃないって
そういう気持になっちゃうことって
多分多くの学生にあることだと思うんですが、
そういう時、こびとのいたずらが
学校を素通りさせちゃうんだって考えるの
ステキだなぁ。
ゆりぐもさんの
三角の転がるようなスキップを笑ってくれる陽だまりの道
不器用でぎこちないスキップを
「三角の転がるような」っていう表現されてるのが
いいなぁって思います。
かったんかったんって
ぎこちないけども楽しそう。
穏やかで暖かな春の日の嬉しさが感じられて、
明るくて好きな歌でした。

文佳さんの
靴裏に挟まっていた土、青葉 歩いた場所の春があつまる
いろんな「春」の感じ方ってあるけど、
この歌の
「歩いた場所の春があつまる」
って、めっちゃいいなって思いました。
それまでに、
靴の持ち主は、あちこちを歩いて、
春を実感したと思うんですが、
その集大成として
靴底に注目するってステキだなぁ。
西村曜さんの
向き合わねばならぬ痛みと知りつつも逃げるかたちの玄関の靴
向き合わなければいけないのだけれども、
本当は逃げてしまいたい
そういう場面って
人生の中でなんども訪れますよね。
その中でも、
靴を脱いで上がらなければいけない
というのは、
なかなかヘビーな状況の場合じゃないかって思います。
「逃げるかたちの玄関の靴」
いくつかのかたちが想像されるんですが、
逃げる足取りのように乱雑に脱ぎ捨てられた靴
というよりも、
玄関の外側に向けて置かれた靴を
想像しました。
自分はこれから中へ入っていくんだけど、
靴だけはもう外を向いている、
そっちの方が自分の気持なんだけど
みたいな感じかなって。
三原雨菜さんの
シーソーに一人で乗った おにぎりがかばんの中でぐにゃりと歪む
おにぎり持ってて、
シーソーに乗る
という状況って、
もしかしてもしかして
小学生の遠足なのかな……
って思ったら、
もう辛すぎます。
なんで一人でシーソーなんだろう。
なんでおにぎりが歪んじゃうんだろう。
と、考えてて、
やっぱり遠足ならリュックだから、
シーソーでもおにぎり歪まないよね、
ということは、
誰かにすっぽかされて一人の公園で、
なんとなくシーソーにまたがってみた
って情景かなって思い直しました。
二人で食べるつもりの三角おにぎりの入ったかばんを
シーソーの上でぎゅっと抱いたら、
中のおにぎりまで歪んでしまった、
そういうことなのかも。
おんやっこさんの
春が来て三角座りのあたしにも立って踊れと迫ってくるよう
「三角座り」って、
学校の外ではあまりしない姿勢かなって思います。
するとしたら、なんとなく気落ちしてる時とか。
そんな自分に、
「春」がやってきて、
(踊ってみせてから)
ほらほらって自分にも「立って踊れ」っていう。
たしかに春って、
急き立てるような押しの強さが
あるって気がする人もあるかも。
物理的に明るく暖かくなりますしね。
「三角座りのあたし」という自意識の出し方も
好きな感じで、
いいなぁって思いました。
ただ、私の好みだと、
ここは「迫ってくるよう」というよりも
迫ってきていてほしいんですが、
その辺りは個人差かなと思います。

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