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しま・しましま

Author:しま・しましま
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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(3月18日19日)


うたの日

3月18日のお題は「雲」「細胞」「ハードル」でした。

校庭に白いラインを引きながらふと雲影の中へと入る(しま・しましま)

この日は投票が出来なくて残念。


3月19日のお題は「学」「失敗」「塩」でした。

あれは母の手だったでしょうかうつむいて清めの塩を振られるままで(しま・しましま)

この日いいなと思った歌。
すみみさんの
ひらがなのめだまやきには塩こしょう 跨線橋には花びら降って
下の句がいいなって思いました。
「花びら」はやっぱり桜の花びらでしょうか。
とすると、この跨線橋は、駅の中にあるやつじゃなくて、
外の陸橋かなぁとか想像します。
明るい春の日差しの感じと、
上の句の「ひらがなのめだまやき」というフレーズの
明るくてやさしい感じが合ってる気がします。

外川菊絵さんの
フォカッチャの上の岩塩キラキラと触れればこぼれる弱虫だった
「フォカッチャの上の岩塩」かー。
こういう、あっそういえばそういうものも……
的な存在を詠んであるの好きですね。
それに「弱虫」。
これはこういう感じですねと
はっきり言葉に出来ないけども、
なんかいいなって思いました。
飛躍の大きいものが繋げてあって、
きちんと言葉で鑑賞するのは
やっぱり難しいですね。
「触れればこぼれる」感じや、
ざっくりしたフォカッチャの上の岩塩に
「キラキラ」を見る感じの繊細さと
フォカッチャの雰囲気そのままの
言葉自体は飾らない感じも好きでした。
綴紡さんの
アイロンも上手に巻けたしスカートもいい塩梅だ今日こそ決戦!!
「いい塩梅」という、
もうあまり使わなくなった古いフレーズと
上の句の女子っぽさが妙な味わい。
「今日こそ決戦!!」という結句の「決戦」も
なんとなく漫画チックで、
不思議に面白いなと思いました。
「今日こそ」の「こそ」に、
それ以前にあった主体の葛藤みたいなのが
うっすら見えるところにドラマが感じられます。
二句目の「上手に巻けたし」は、
「上手く巻けたし」ですっきり七音に収められてたら
よかったかなとも思いました。

ネプリ句集「ぶだうパン」季語その3


ネプリ句集秋の部「ぶだうパン」も
あと二日となりました。
23日から一週間は冬の部「たまごボーロ」の予定です。

芒(すすき)
イネ科の多年草。「薄」とも表記しますね。
田舎在住の所為か、川を眺めるのが好きな所為か、
芒で詠んだ句が多いですね。
この句の「黄泉比良坂」について少し補足。
日本神話において、あの世(黄泉の国)とこの世の境目、
とされる坂、あるいは入り口
ということなんですが、
実はわたしの住む島根に
この「黄泉比良坂」があるんですよ。
現地には大きな岩がいかにもな感じで
どんどんって置いてあって、
この岩のしたに……
という雰囲気。
でもそこに行き着くまでのところに
非常にフレンドリーな案内看板があって、
興をそがれるというか
逆に面白いというか。

蜻蛉(とんばう・とんぼう)
「とんぼ」のロングバージョンといいますか、
古語、なのかな。
トンボは、梅雨時ぐらいから秋の間、
さまざまな種類が活動しますが、
それらを総称した「蜻蛉」は秋の季語。
水辺を飛ぶ真っ黒な羽黒トンボとか、
繊細な糸トンボとか、
あの辺りは夏の季語になりますが、
ほかは大体秋の季語。
「蜻蛉」の別名を
「秋津(あきつ)」って言うぐらいですからね。
蜻蛉って書いてあきつ、もありです。

野分(のわき)
「のわけ」と読んでも間違いじゃない
というところがなんとなくゆるい感じ。
立春より数えて二百十日の頃に吹く、
強い風嵐。
だいたい新暦でいうと9月の上旬。
って秋の台風のことですやん。
この野分の去った後のことを「野分晴」っていって、
それはもう立派な台風一過ですな。
もちろん「台風」そのものも秋の季語です。
上記の「二百十日」も秋の季語で、
稲の開花と台風が被るために
農家はこの頃特に警戒が必要だった
みたいな感じのようで、
この日のことを「厄日」とも言うみたい。
相変わらずもとの季語から離れてしまいますね。
この季語説明って。

山葡萄(やまぶだう・やまぶどう)
「葡萄」そのものも秋の季語なんですが、
「山葡萄」は、それとは独立してます。
「葡萄」の傍題は
「甲州葡萄」「マスカット」「デラウェア」や
「葡萄園」「葡萄狩」「葡萄棚」など。
食用のやつですね。
「山葡萄」は、
品種改良されていない山野に自生してるもの。
実がびっちり付いてなかったりして、
それはそれで雰囲気ありますよね。

紅葉山(もみぢやま・もみじやま)
秋は「月」!
とか言いますが、
やっぱり一般的な秋のアイコンは「紅葉」
じゃないでしょうか。
清少納言先輩に言わせれば
「秋は夕暮れ」の鳥の姿らしいですが。
秋に葉が色づくのを総称して「紅葉」ですが、
もちろん赤くなるのを「紅葉(もみじ・こうよう)」
黄色くなるのを「黄葉(もみじ・こうよう)」
と分けて言うこともありますね。
ところで、
あえてどっちも新かな遣いで
「こうよう」って書いたんですが、
旧かな遣いでひらくと
紅葉(こうえふ)に対して
黄葉はなんと(くわうえふ)。
旧かな遣い怖い。

どんぐり(団栗)
これもあまり説明のいらない季語かなぁ。
季節的にも普通に秋ですよね。
まあ、それでも一応。
ブナ科の落葉樹の実を総称したものですが、
狭義ではクヌギの実のことを言うらしいです。
細いやつ、太ったやつ、
大きいやつ、小さいやつ、
帽子をかぶったやつとか枝がついてるやつとか
子供の頃に夢中になって集めましたよね。
稀によく虫が入ってて、
あとで大変な事になったりしたのも
それはそれでいい思い出。
これは大人になってからなんですが、
椎の実は食べられるんだと聞いて、
食べさせてもらったことがあります。
まあ、よく言えば野趣溢れる味で
うーん、なるほどなぁ(何が)
という感想を口にしたのを覚えてます。
この「椎の実」は、
「どんぐり」とは別に独立した季語として
あるんですが、
食用としてもいける、
という部分から分けてあるんでしょうか。

鉦叩(かねたたき)
秋の鳴く虫のひとつ。
鳴くっていっても、
羽と羽をこすり合わせて音を出すんですけどね。
この鉦叩はチンチンチンチンと
鉦を叩くような澄んだ音を出します。
みためはあんまり可愛らしくないですが
一センチたらずの小さい虫なので、
ある意味可愛いサイズではあります。
「秋の虫」という括りで言うと、
それは「虫の声」を愛でるという感じで、
姿そのものはあまり言われることがないような気がします。

柿熟るる(かきうるる)
「柿熟るる」というか
季語は「柿」ですね。
秋の果物の一つですが、
食べるというよりも、
木に実っているのを詠む方が
わたしは多いです。
というか食べる方で詠んだことないかも。

秋風(あきかぜ)
秋に吹く風のことですね。
「しゅうふう」と読ませることもあります。
「あきかぜ」「しゅうふう」
共に四音で、
特にルビがふってなければ「あきかぜ」って読むことが多い
ような気がしますが、
この「秋風」をどちらで読むべきか、
それが云々された俳句もあります。
たとえば
石田波郷(いしだはきょう)の
「吹きおこる秋風鶴を歩ましむ」の句なんかが
それです。

紅葉且つ散る(もみぢかつちる・もみじかつちる)
ちょっと長い季語ですが、
「紅葉且つ散る」は、そのまま
紅葉しながらその一方で散っていく
という様子を言った季語になります。
七音あるので、
中七にこれを置く俳句が多いでしょうか。
○○○○○/紅葉且つ散る/○○○○○
あと、
もみじ・かつ・ちる
と分けられるので、
上五メインで
紅葉且つ/散る○○○○○/○○○○○
下五メインで
○○○○○/○○○○紅葉/且つ散れり
という使い方があります。

うたの日(3月17日)


うたの日

3月17日のお題は「魚」「&」「芋」でした。

温かくフライドポテトの油沁み知らないことは怖がれなかった(しま・しましま)

この日いいなと思った歌。
きいさんの
芋けんぴを摘まむ指先とがらせて母の小さな愚痴がこぼれる
このうた、
作者は女性じゃないかなって思いました。
「母の小さな愚痴」に対する労りの気持と、
それを聞かされることへの微妙な嫌悪感
みたいなものが
あるなぁって気がします。
どんな愚痴だったのかとか
どんな表情だったのかではなく、
「芋けんぴ」をつまむ指先にスポットがあててあるところとか、
母の愚痴を聞く娘の心象が
うっすらと聞こえるような気がしました。

前田沙耶子さんの
じゃがいもの芽を取るような気軽さであなたに穴を開けてしまった
どこに穴を開けちゃったんだろうな、
素直に受け取ったら、
「あなたに穴を開けてしまった」
だから、
あなたの肉体に、ってことなんだろうな。
一般常識をそこに当てはめたら、
まあ、人が人に開けられる穴っていえば、
ピアスかなぁ
とか思いましたが、
まあ、そこはどこにどんな穴でもいいかな(よくないけど)。
この句は、
何かしら人を傷つける行為を
「じゃがいもの芽を取るような気軽さで」
という軽さ、というのが
面白いなって思いました。
言われてみれば、
たしかに
じゃがいもの芽を取るのって
何にも考えずに気軽にぐっさりですね。
心に穴を開けてしまったんだとしても、
予定に穴を開けてしまったんだとしても、
耳にピアス穴を開ける手伝いだったとしても
どてっぱらに穴を開けてしまったとしても、
「じゃがいもの芽を取る」ような気軽さだったという
そのアンバランスさが怖くてすきです。
桔梗さんの
ストーブのうへに転がす焼きいものひとつひとつにひかりが宿る
わたし実は、
「焼きいも」を自分で作ったことがないので、
うーん、そういう感じになるのかな
という感じではありますが、
「ひとつひとつにひかりが宿る」
の心弾む感じが、
焼きいもが出来上がる喜びっぽくて
いいなって思いました。
まだ焼きあがってはないけども、
出来上がりを待つ間も、
焼きいもをほくっと割ったときの
あのうれしさがイメージされてるんだろうなって。
亜梨さんの
部活後の星がきれいに見えた日は芋ジャーのまま語らう決まり
お題の「芋」から、
学校指定の体育ジャージを持ってこられたところ
うーん、すきだなって思いました。
星が見える夜にかかる時間にまで
部活が延長した日の、
まだ興奮の冷めない感じが
「芋ジャーのまま語らう」
にぴったりで、
それが「決まり」になってるところも好きです。
楽しい学校生活だったんだろうなぁ。
天野うずめさんの
山形は芋煮の季節になったろう 今日は冷たく感じるビル風
山形出身の方か、
あるいは山形で芋煮を体験されたことのある方なんでしょうね。
でも現在はそこから遠い場所で
ビル風に吹かれながら生活してる。
あたたかな芋煮会を思い出すと、
特に「今日は冷たく感じる」のも、
わかるなぁってうたでした。
ただ、
うーん。
「芋煮の季節になったろう」「今日は」
と、このうたの中の今現在を詠んでるのに、
季節が全然外れてる、
というところは、
歌会という場ではどうなんだろうなって気がうっすらしました。

ネプリ句集「ぶだうパン」季語その2


ネプリ句集秋の部
「ぶだうパン」
3月22日までやってます。
セブンイレブンの予約番号は 80747469
それ以外のコンビニはT3XDNU42H3。


秋の動物園(あきのどうぶつゑん)
この句について、
どうしようかと思ったんですが、
自分の中で好きな句だったので入れてしまいました。
この句の季語部分は、「秋」。
季語がかぶらないように30句と思っていたのに、
「秋」を二度も出してしまいました。
さて、この句ですが、
句会に出してウチの編集長から
「あやうい季語」といわれました。
そう、あやういんです。
何がどう危ういかといいますと、
「秋の○○」と「秋の」を付けたら
なんでも秋の季語に見えてしまうという
そういうあやうさ。
それが「秋の」である必要性がないものでも
なんとなく季語として成立しかねない、
そのあたりが危ういわけです。
それが「春の」「夏の」「冬の」
どれでも一応成立してしまう句であれば、
それは「秋の○○」である必要があまりないので
季語がなくてあわてて「秋の」ってくっつけた
みたいな感じになるわけで。
さて、この「秋の動物園」は、
どんな風に受け取られるんでしょうか。

秋桜(あきざくら)
キク科の一年草。九月から十月にかけて白やピンクの花をつける。
という、まあ、いわゆるコスモスです。
わたしの大好きなコスモスの句は
コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ(鈴木しづ子)
鈴木しづ子の句の中で一番衝撃を受けた句ではないけど
一番すきな句がこれ。
コスモス(秋桜)に風は
ベタ過ぎるほどベタだけど、
やっぱそこがいいんじゃんとか思います。

小鳥来る(ことりくる)
「小鳥(ことり)」の傍題。
秋に、日本に渡ってくる鳥や、
山から人里へ降りて来る鳥の中でも、
小鳥に限定して愛でたものがこの季語と思います。
鶸(ひわ)鶫(つぐみ)びょうびたき、あとりなどなど。
その中でも色の美しい小鳥のことを「色鳥」
と言って、
「小鳥」の傍題ではなくて、
独立した季語になってます。

芙蓉(ふよう)
アオイ科の落葉低木。
八月から十月にかけて白やピンクの花をさかせます。
この木がまた繁殖力が強くて、
うちの庭にもどこからかやって来た種で
一つ芽が出て、
放っておいたら立派な木になったんですが、
その後周囲にぼこぼこ芽が出てきて
なかなか困った存在になったりしました。
「白芙蓉」「紅芙蓉」の他、
一つの木に白と紅のどちらも咲かせるものを
「酔芙蓉(すいふよう)」といいます。

案山子(かかし)
稲を鳥から守るために田んぼに立てる人形。
っていう説明もいらないかなという気もしますが。
「かがし」ともいうみたいですね。
同じ鳥除けでも、人形の形状じゃないものは
「鳥威し」と総称されて、
こちらも秋の季語になってます。

満月(まんげつ)
「月」は秋の季語!
ということは、前に書いたと思いますが、
「満月」は「月」の傍題……ではなくて、
「名月」の傍題になります。
これは、特に旧暦八月十五日のいわゆる「中秋の名月」のこと。
「名月」「望月」「今日の月」「月今宵」
「十五夜」「芋名月」などが「満月」の傍題仲間となります。
まあ、中秋の名月が、必ずしも満月とは限らないんですが、
その周辺の満月って感じですかね。
もうひとつ、「良夜」って季語があって、
これも中秋の名月の夜のことなんですが、
「名月」関連の季語の着目点が「月」なのに対して、
「良夜」は、その夜、ということなので
それとは別の独立した季語になってるんでしょうね。

桜紅葉(さくらもみぢ)
「紅葉」の中でも、比較的早くから色づくのが桜。
特に山桜の紅葉は、ほんのり赤みがかってて
かえでの赤とはまた違う美しさがあるように思えます。
ソメイヨシノの紅葉も好きですけどね。

ねこじやらし
「エノコログサ」の別名。
イネ科エノコログサ属の一年草で、
夏から秋にかけてつける花穂が犬の尻尾に似てることから、
犬ころ草→えのころ草となったもの。
漢字で書くと、「狗尾草」
旧かな表記だと「ゑのころぐさ」
「ゑのこぐさ」ともいいますが、
その穂で猫がじゃれてあそぶので、
「ねこじゃらし」という名前もあります。
この「ねこじゃらし」の草そっくりの、
猫をじゃらして遊ぶおもちゃの「ねこじゃらし」も
ありますよね。
みどり色でめっちゃ本家にそっくりのやつ。
名前が猫だったり犬だったりと
可愛らしい雑草です。

鳥の渡り(とりのわたり)
日本で冬を過ごすために渡ってくる鳥全般を「渡り鳥」
「鳥の渡り」は、それの傍題になります。
ちなみに、
一般的な意味での渡り鳥には、
夏鳥(日本で夏をすごす鳥)
冬鳥(日本で冬を過ごす鳥)
旅鳥(夏に北方で繁殖して南方で越冬するために日本を通過する鳥)
とあるらしいですが、
群をなしてやってくるのが冬鳥で、
そこから「渡り鳥」は秋の季語になったんだとか。
「鳥帰る」は、冬鳥が北方へ帰って行くもので、
これは春の季語。
春の部の方で「帰雁」について書いたけど、
ホント渡り鳥関係は知らないとわからない気がします。

毒茸(どくきのこ)
「どくたけ」とも読ませます。
基本的に「茸」全般が秋の季語なんですが、
食用の茸とこの「毒茸」は、
一応分けて考えられてるみたいで、
これはこれで独立した季語みたい。
月夜茸とかイッポンシメジとか、
地味で食用きのこと見間違えそうなものも多いんですが、
メルヘンチックな容貌のやつは
わりと毒きのこって気がします。

うたの日(3月16日)


うたの日

3月16日のお題は「ピンク」「イエロー」「どどめ色」でした。
「どどめ色」って!
ってググッたら、
どうやら桑の実が完熟したときの色らしいですね。
うーん、ちょっとぴんとこない色です。
この日は、
わたしは「イエロー」の方に出したんですが、
「ピンク」好きなので、
そっちも選をしちゃいました。

明るさはからだに悪いとつぶやいてパレットにしぼるカドミウムイエロー(しま・しましま)
カドミウムイエロー、なかなかお高い絵の具ですが、
不透明性が高くて鮮やかな黄がすてきな色です。

この日いいなと思った歌。
菊池優花さんの
ほんとうはかなしいけれど全身をピンクで包み春にまぎれる
「ほんとうはかなしいけれど」
の上の句のひらがな表記が、
はかなくかなしい感じで
「春にまぎれる」も、
そのはかなさかなしさを包んでます。
が、
そこに割ってはいる
「全身をピンクで包み」
のインパクト、すごいですね。
いや別に全身タイツでピンクという訳ではないんだろうけど、
なにかものすごいインパクトがありました。
南瑠夏さんの
友だちがいくらでもいる友だちのダンスシューズはぜんぶイエロー
いいな、このうた好きだ!
って一目でハートを決めました。
「イエロー」の強い言葉ががっちり決まってる気がします。
「友だちがいくらでもいる友だち」がいいですね。
社交性があって、明るくて積極的なんでしょうね。
しかもダンスやってるという。
対して主体は、
ダンスはやってるのかもしれないですが、
友だちはあんまり多いほうではなさそう。
だからこそ、
「友だちがいくらでもいる友だち」が
まぶしく、複雑な思いで、
ダンスシューズなんかチェックしちゃうんでしょうね
って思いました。
それがまた「ぜんぶイエロー」という破壊力。
敵わないなって気がします。

宮嶋いつくさんの
着メロのピンクパンサー流れだしただの散歩じゃいられなくなる
思わずふふっと笑ってしまいました。
さらっと軽く「ピンク」が詠んであって、
うん、楽しいなって思います。
外出中に着メロが鳴ると、
まあ誰でも一瞬「あっ」ってなりますが、
それが「ピンクパンサー」ですからね。
それはそれは不穏な足取りになったことと思われます。
ちなみに、
このうたを読んでわたしの脳裏に蘇ったのは、
ピンクの豹でもクルーゾー警部でもなく
ドリフターズの泥棒コントでした。
StarLighterさんの
「ショッキングピンク」という色あるけれど「ピンク」だけでもオレにはショック
おもわずクスっとしてしまいました。
(前述の「ふふっ」とは微妙に違う笑いです)
「ショック」と「ピンク」と「オレ」しかない!
ってとこが面白かったです。
「という色あるけれど」の部分が
やや説明的かなと思わないでもないですが、
「ピンク」の破壊力が生きたうたって思いました。
吉田一美さんの
わたくしのさだめる夜の空色にレモンイエローつけたすあなた
しずかな雰囲気で、
色合いの美しいうただなって惹かれました。
「わたくしのさだめる」
がいいなぁって思います。
「わたしが決めた」ではこの雰囲気にならない。
実際の夜空の色とか
自分が絵に描いた夜空の色とかじゃなくて、
自分の心の中にある、
もっとも私性の高いところにある夜空の色
って感じがします。
「夜の空色」って表現も素敵ですね。
そこへぱっと明るくて透明感のある
「レモンイエロー」をつけたしてくれた「あなた」。
月かも知れないし、星かもしれない。
とにかく、明るさをくれた
ってところがホント素敵。
なんて美しくてほんのり切なくて、
あたたかいんだろう。

うたの日(3月15日)


うたの日

3月15日のお題は「牛乳」「恥」「噛む」でした。

パーカーのファスナーシャツを噛みて春夕焼け色に飲み込まれゆく(しま・しましま)
どこで切って読むんだよ
ってところを狙ってみました。
パーカーのファスナー/シャツを噛みて/春//
夕焼け色に/飲み込まれゆく
と読むのがいいんだろうな、
って思わせつつ
「春夕焼」という俳句の季語を
(自分の頭の中では)取り入れて、
パーカーのファスナー/シャツを噛みて//
春夕焼け色に/飲み込まれゆく
感を出したかったんですが、
よく考えたら、
「春」「夕焼け」が並んでても
「春夕焼け」ってひとまとめにする人は
あまりいない可能性が高かったですね。
あと、このうたは地味な文語に仕立ててみました。
助詞を省く場合、文語の方が決まるような気がして。
どうでしょうかね。
そういうことを気軽に聞ける先生が、
身近にあると嬉しいんだけど。
ホント。まじで。

この日いいなと思った歌。
もりのさとさんの
幼犬に噛み砕かれた兵隊が散らばっているベトベトなまま
おっ、これは好きだなって思いました。
「噛み砕かれ」「散らばっている」に、
付け足された結句の
「ベトベトなまま」がすきです。
うたの日のコメントにも書いたけど、
無残な状態になったものが、
より無残な形のままで残ってる
ってところが、
何かぐっとくるものがあります。
多分、この兵隊はオモチャなんでしょうね。
オモチャがあるということは、
それで遊んだ子供がいるということ。
(まあ、その子供が今は成長して
子供そのものはいないかもですが)
その子供がこの情景を目にした時の気持みたいなものは、
一切このうたから感じられません。
ただその情景だけを描写してる。
犯人(人?)である「犬」についても、
「幼犬」としか表現されてなくて、
あんまり作中主体(あるいは作者)との
親しい感じは表現されてなくて、
どちらかというとかなり距離感のある感じ。
もしかして、
「幼犬」「兵隊」はそれぞれ、
何かの象徴として描かれてるのかな、
とも思いましたが、
どうなんでしょうね。
そのままの情景として、いいなと思いましたが。

小川けいとさんの
ごめんとも言えず視線も向けられず羽二重餅をむちむちと噛む
上の句の状況、
どういう状況なのかはわかりませんが、
とにかく気まずい雰囲気なんでしょうね。
「ごめんとも言えず」
ということは、
「ごめん」と、もしかしたら言う人もいるというような
そんな感じなんでしょうか。
言うべきじゃない場合なのか、
言える雰囲気じゃなかったのか、
言いたくなかったのか
その辺りはわからないんだけど、
相手>自分
という感じがします。
が、そこで
「羽二重餅」を食べちゃう人!
っていうのが可愛かったですね。
しかも「むちむちと」噛んでるという。
羽二重餅って
言われてみればいかにも「むちむち」噛む感じです。
「羽二重餅」ってチョイスも素敵。
唐突すぎるほどの純和菓子で、
非日常的なような、そうでもないような
素敵なところにあるのが「羽二重餅」って気がします。
わたし自身は求肥とか餅菓子系苦手なんですが、
こういう状況になったら、
むちむちしたくなっちゃいますね。
三田たたみさんの
こりこりと歯ごたえのある夢を噛み故郷の空を思い出してる
「ベトベト」だとか
「むちむち」だとか
そしてこの「こりこり」だとか
ちょっと擬音ハンターっぽいですね。わたし。
「こりこり」の「歯ごたえ」
って面白いなぁって思いました。
確かに「こりこりとした歯ごたえ」っていうのはありますが、
「歯ごたえのある○○」っていうと、
もうちょっとがっつり噛み応えのあるタフな感じ。
そして
「歯ごたえのある」何かが「夢」という
もやもやんとしたもので、
でもそれを「噛」んでるという。
このちょっとずつずらされる感覚が
めっちゃ面白いなって思いました。
下の句は、
「故郷の空を思い出してる」
と、やや甘め正統派にさらっと描かれてて、
多分「夢」と呼応してるんだと思います。
「夢」と「故郷の空」って組み合わせは、
なんとなく「カントリーロード」的な、
しんみりしつつ自分を鼓舞する
みたいな雰囲気あったりしますが、
「こりこり」から始まるこのうたに、
そういうウェットな感じはしないので、
そのあたりも面白かったです。
小宮子々さんの
何度でも噛む何度でも(よつぴいてひやうどはなつて)射落とす夕陽
うーん、不思議なうた。
()内のフレーズは平家物語の那須与一のくだりの一節。
授業でやったなぁって懐かしく思いました。
まあ、それは置いといて。
まず、なにを噛んだんだろうって思います。
しかも「何度でも」「何度でも」。
「何度も」ではなくて「何度でも」って
この違いの感じは、
ちょっと「噛む」ことにアグレッシブさを感じます。
そして
(よつぴいてひやうどはなつて)
の緊迫感と、読んだ時のスピード感。
そして、
「射落とす夕陽」(体言止めなのもポイントかな)。
なにか激しく青春性を感じるなぁって思いました。

うたの日(3月13日14日)


うたの日

3月13日のお題は「王」「ひよこ」「軋み」でした。

多分これは前世の記憶身じろぎも出来ぬひよこに取り囲まれて(しま・しましま)
自分とほぼ同じ大きさで、
周囲をぎゅうぎゅうにひよこたちに取り囲まれていたら、
これは夢か、
あるいは前世の記憶がリアルに蘇ってきたのか、
と、思うかなぁ。
という(どういう?)
ひよこで怖いシチュエーション
というのを考えてみました。

この日いいなと思った歌。
きつねさんの
そういえばカラーひよこを喜んでもらってきたのもお前だったね
もう、一読して
うわっ怖い、なんか怖い
って思ったんですが、
他の方のコメントを読んで、
あっ、そういう……
と我に返りました。
「お前だったね」の「ね」が、
ねっとりしてるなって思ったけど、
受け取り方によっては
何かを共有するときの「ね」
っていうのもアリですね。
「カラーひよこ」の
やわかかくてかわいくて、
でもその背景や多くのカラーひよこの行く末を考えると
がつっと重たいイメージが、
「ね」を念押しのねっとり感に思わせたのかも。

月花さんの
しあわせの概念としてアップリケされたるひよこ(褪せてるひよこ)
「しあわせの概念としてアップリケされたるひよこ」と
一息に読み下すところが面白いなって思いました。
「しあわせ」ってだいたいこんな感じという「概念」が
「ひよこ」の形になってるっていうのも
不思議な感じで面白いですね。
まあ、しあわせってこんなもんだろうっていう、
なんとなくやっつけ感のあるアップリケなのに、
そのアップリケのひよこが色褪せるまで使われたんだと思うと、
やっぱり「しあわせ」の「ひよこ」だったんだろうなぁ。
アップリケのひよこしか登場しないのに、
入り組んでて不思議で、
うーん、面白いなって思いました。
つんさんの
ひよこ豆ばかりつまんで食べてても母にわとりが起こしに来ない
なんか、あとからじわじわと面白さが増してくるうたでした。
「ひよこ豆」ばかり食べてても、
ひよこになるわけじゃないし、
さっきまで人間だったものがひよこに変身してしまったからって
「母にわとり」という存在が出来るわけじゃないし、
そもそも「母にわとり」は、
ひよこを起こしに来てくれるものなのか。
と、思うと、
それはそうだろうね、としか言いようがないんだけど、
妙にじわるものがあります。
そして、ほんのりとさみしい余韻。
好きなものだけ食べるような生き方してても
起こしにきてくれるような存在が、
時々はほしいなぁ。
お月ちゃんさんの
はえかけの坊主頭を指さして 「ヒヨコみたい!」と言い笑う君
「ひよこ」の題で、
こうきたかっていう面白さがありました。
ねこっ毛の人の坊主頭は、
ひよこっぽいのかもですね。
結句の「言い笑う君」のあたり、
「言い」がちょっと余計な気もしますが、
シンプルで楽しいうたでした。


3月14日のお題は「男」「贈る」「あれ」でした。

あれはいやこれはいやってテーブルのミルクの輪染み乱してばかり(しま・しましま)

この日いいなとおもったのは
桔梗さんの
飛んでゆく声が聞こえる 白鳥はあれがさいごの一羽と思ふ
白鳥も北へ帰ってしまいましたね。
上の句の
「飛んでゆく声が聞こえる」の後の一マス空けが
そこで読者も一緒に、
白鳥の声に耳を澄ませるポイントみたいで、
いいなぁって思いました。
「あれ」の使い方も上手いですよね。
「あれが」と言う言葉で、
上の句で聞いた声に、
飛んで行く白鳥一羽の姿が浮かんで来る。
「さいごの一羽と思ふ」
の「思ふ」に余韻が広がります。

須磨蛍さんの
また消えた傘を忘れるため吊すてるてる坊主 君に幸あれ
「また消えた傘」、
自分が忘れてしまったのか、
とられてしまったのか、
失った傘を忘れるために
「てるてる坊主」を吊す、
というのは、雨繋がりではあるけども、
あんまり統合性がないですね。
そんな「君に幸あれ」。
一マス空けに、
なにか万感の思いを込めた
「君に幸あれ」な感じがしますね。
わたしもそう思います。

ネプリ句集「ぶだうパン」季語その1


ネプリ句集秋の部
「ぶだうパン」スタートしました。
セブンイレブンの予約番号は 80747469
それ以外のコンビニはT3XDNU42H3。

正直、この季語説明いるんかな……
と、思わないでもないんですが、
ちょっと自分でも楽しくなってきたので、
最後までやります。
興味のある方は読んでやってください。

新涼(しんりやう・しんりょう)
秋に入ってから感じる涼しさのこと。
「涼し」は夏の季語で、夏の暑さの中に感じる涼感のことなんですが、
「新涼」は、秋に入って過ごしやすくなりましたね的なことです。

カンナ
夏から秋の長い期間で咲く花ですね。
なかなか派手でえぐい美しさのある花だと思うんですが、
まあその辺はわたしの思うことなだけなんですけども。

秋天(しゆうてん・しゅうてん)
「秋の空」の傍題。
俗に「男心/女心と秋の空」といえば、
秋の変りやすい空模様に心変わりをかけた言葉ですが、
季語の「秋の空」は、ずばり晴れの空を指すことが多いです。
移動性高気圧のおかげでからっと晴れ上がった爽やかな空。
似てるけど違う季語に
「天高し」「秋高し」というのがありますが、
こちらはその秋の空の中でも、
特に大気が澄んで空がずっと高く感じるような晴れの日の空のこと。

秋(あき)
立秋(8月上旬)から立冬(11月上旬)の前日までを
俳句の季語としては「秋」といいます。
まあ普通に9月10月あたりは、
現代感覚でも旧暦由来の季語感覚でも
秋なので、そんなに感覚に齟齬はないかと思います。

秋暑し(あきあつし)
「残暑」の傍題。
ほら、よくお盆過ぎたら(立秋過ぎたら)
暑中見舞いじゃなくて残暑見舞いですよ
って言うじゃないですか。
あれです。
暦の上では秋になりましたが、
そんなこと言ってもまだまだ暑いですよねー
というやつです。

鰯雲(いわしぐも)
秋の巻積雲のこと。
鰯の群れのように見えるから「鰯雲」ですが、
魚の鱗に見立てて「鱗雲」
鯖の模様みたいだってことで「鯖雲」とも言うみたいですね。
秋の雲の形状から付いた名前では
「ひつじ雲」が有名じゃないかと思うんですが、
あれは高積雲のこと。
えっと、
わかりやすく言うと、
鰯雲はさざ波状になっていて、
ひつじ雲はぽこぽこって塊状に見えます。

桃(もも)
春の「桜」のときに書いたんですが、
「桜」といえば花ですが、
「桃」とだけ言うと、実の方を差して秋の季語になります。
もうちょっと丁寧に
「桃の実」「白桃」「水蜜桃」なんてのが傍題。
ついでに、
掲載した「桃」の句に「昼の月」が登場します。
もちろん「昼の月」も「月」の傍題の一つで、
それをメインに詠めば「昼の月」が秋の季語になります。
ということで季重なりということになるんですが、
この「昼の月」って、
多くの人が季語としては弱いと思ってるのか、
メインの季語として詠まれない場合が多いんですよね。
こちらのサイトの「昼の月」の句を見ていただけるとわかると思うんですが。

いちぢく(無花果・いちじく)
秋の果物のひとつ。
という以外にとくに書く事もないんですが、
漢字で書くと「無花果」花の無い果実なんですけど、
もちろん花は咲きます。
どこにどんな風に咲くのかというと、
あのいわゆる無花果の実と思われるものの
内側に小さい花がびっしり。
わたしたちが食べてるのは
無花果の実、というよりも花嚢なんですね。

秋の夜(あきのよる)
文字通り秋季の夜の時間なわけですが、
夜時間がだんだん長くなって、
静かで落ち着いた雰囲気でしょうか。
「子狐」も実は季語。「狐の子」の傍題で、
春の季語になります。
が、
もちろんこれは「指の子狐」なので
本物の狐の子じゃありません。
絵に描いた餅状態なんで。

金木犀(きんもくせい)
「木犀」「木犀の花」の傍題。
木犀の花の、オレンジの方が金木犀、
白い花の方が銀木犀ですね。
金木犀は特に花の香りが強くて、
花が目に入らなくても
あっ金木犀……ってわかりますよね。

ネプリ句集の季語夏編3

ちょっとバタバタしてたら、
もう「アイスバー」最終日でした。
というわけで、
最後はギリギリで間に合わない感じになっちゃって
申し訳ない。

百日紅(さるすべり)
同じ漢字で「ひゃくじつこう」とも読みます。
梅雨明けから九月末ぐらいまでという
花期の長さからの「百日紅」で
幹の肌がとてもすべすべで猿も滑るから「さるすべり」。
濃いピンクのイメージが強いですが、
白い百日紅もあるとか。

日焼(ひやけ)
今は四季を通じて紫外線対策が言われてますが、
夏といえば日焼け。日焼けといえば夏。
ところで、この「日焼」に限りませんが、

遠花火(とおはなび)
はい、実は「花火」は秋季の季語だったりします。
なんでだよ、夏だろ、
夏祭りの華だろって思うでしょ。
でも、秋の季語だって言われたら、
そうなんですねー(棒)って言うしかないのです。
だからと言って、
別に秋に詠まなければいけないというわけじゃないので、
平気で夏の部に「遠花火」の句をぶっこんでしまいました。
ちなみにだいたい8月7日か8日ぐらいから
いわゆる「暦の上では秋」となります。

火蛾(ひが)
「火取虫(ひとりむし)」の傍題。
夏の夜、明かりに集まってくる虫のことです。
「火蛾」はそれの蛾のこと。
「蛾」そのものも夏の季語ですけども。
大きくて真っ白い蛾とかもう、
めっちゃドキッとしますよね。

夕焼(ゆふやけ・ゆうやけ)
「ゆやけ」とも読みますね。
夕焼けなんて四季を通じて見られるものですが、
特に夏の夕焼けの壮大さから、
夏の季語となってるみたいです。
時間的にも一番長く見られますしね。
「西日」も夏の季語です。

アイスバー
「アイスクリーム」「アイスキャンデー」
「かき氷」「ソフトクリーム」
「シャーベット」「氷菓」
みんな夏の季語。
この句、もともとは
「あずきバー」(井村屋のやつ)にしてたんですが、
もう少し普遍性を持たせておこうとおもって
「アイスバー」にしたら、
句会で、「アイスバー懐かしい!」「あの銀の紙で包んである」
と、なぜかホームランバーの話で
お年寄りが盛り上がっていたことを付け加えておきます。

夕顔(ゆふがほ・ゆうがお)
「朝顔」「昼顔」「夕顔」「夜顔」
四つともヒルガオ科の蔓性植物ですが、
実は季語の分類でいうと、
秋・夏・夏・秋
となります。
なんででしょうね。
ちなみに夕顔の実はかんぴょうになります。

八月(はちぐわつ・はちがつ)
上の方で、8月7日か8日から秋と書きましたが、
そういうわけで、
実は八月は秋の季語となっています。
でも現代人の気持としては
どう考えても夏真っ盛りなんですけどねっ。
旧暦八月の方で考えると、
新暦8月の下旬から10月上旬ごろにあたるので、
そう考えると秋ともいえるけど……
今普通に八月って詠めば新暦8月のことだろう、
と、なんだかこんがらがってしまう言葉ですね。

晩夏光(ばんかこう)
「晩夏」の傍題。
晩夏の頃の日の光のことですが、
あれですよ、
八月の終わり、夏季の終わりのやや力弱くなったような光
……のことではなくて、
七月の終わりから八月の初めのころの、
まだギラギラとした光のことです。
夏は終るっていうのに、
まだ全く衰えない光、みたいな感じです。

夜の秋(よるのあき)
「花火」も「朝顔」も、
「八月」までもが秋の季語なのに
この「夜の秋」は夏の季語なんですね。
「秋」ってあるのに夏の季語!
この矛盾。
「竹の秋」が春の季語で「麦の秋」が夏の季語なのと
同じような感じでしょうか(違います)
この季語は、
夏の終わりの頃、
夜になると昼間より少し涼しく感じて、
なんとなく秋っぽいような気がする感じをいった言葉です。
ちなみに「秋の夜」は、普通に秋季の夜の時間のことです。

というわけで、
少し遅くなってしまいましたが、
「アイスバー」の季語でした。

うたの日(3月11日12日)


うたの日

3月11日のお題は「奥」「細」「道」でした。

驚いてそれから少し腹を立てた急に知ってる道なんかに出て(しま・しましま)

この日いいなと思った歌。
大橋春人さんの
ボヘミアン・ラプソディを聞きつつ帰るぺんぺん草の伸びてる道を
うーん、
すごく郷愁を感じさせてくれて好きなうたです。
中高校生ぐらいのとき、
こんな感じだったなぁって思い出します。
今ならスマホかiPodあたりなんだろうけど、
わたしの時代だと
カセットテープかCDを再生するウォークマンですね。
まあ当時のCDウォークマンは
めっちゃ乾電池を使う割りに、
アルバム三回聴けるか聴けないかぐらいで
電池切れになっちゃうものだったので、
やっぱりカセットのウォークマンかも。
どこにいくのにもこれが必須という感じ。
わたしの場合は中学も高校も
自宅から1キロ以内の近いところにあったんで、
登下校時はそこまでのんびりしてなかったけど、
まあなにせ暇をもてあましてたので、
あちこちダラダラしてたころを思い出させてくれました。
と、だいぶ自分語りしちゃいましたが、
このうたの
「ボヘミアン・ラプソディ」のチョイスと、
「ぺんぺん草」がいいなと思います。
広がりがありますよね。
「ぺんぺん草」が「伸びてる」っていうささやかな叙景も
ちゃんと「ぺんぺん草」、ナズナのことですが、
これが生えてる感じが見えるとこと思います。

きいさんの
それぞれの出口に向かう足音が朝の地下道吹き抜けてゆく
このうたも、ホントいいなって思って、
ハートを迷いました。
「足音」が「吹き抜けてゆく」
ってところが好きなんですよ。
これね、
結句が違えば、
作者が違えばもしかしたら、
めっちゃ重たい足音を響かせたかも知れない。
それを結句で
力強く、明るい未来へ吹き抜けさせちゃった
という感じがして感銘を受けました。
井田直さんの
海のある町に生まれていつからかきみを見上げる坂道が好き
「海のある町」で坂の多い町って
けっこうありますよね。
神戸長崎尾道などがぱっと浮かびますが、
このうたの町も、
そんな坂の多い町なんじゃないかと思います。
もともと坂道は日常生活の中で見慣れたものだけど、
その中でも
「きみを見上げる坂道が好き」になったのは
いつからなんだろう、と
坂道のことを言いながら、
どのぐらいきみのことがずっと好きかが
表現してあって、
さわやかでいいなぁって思います。
「海のある町」「坂道」で、
脳裏にぱっと風景があざやかに浮かび上がりました。



3月12日のお題は「長」「()」「優」でした。
まんなかの()は、丸かっこ。
バーレンというそうです。
短歌するまで知らなかった言葉です。

優しいは重いんだろう天秤がやさしい人に傾いている(しま・しましま)

この日いいなと思った歌は
くろじたうさんの
優先もくそもあるかと桟橋を行き交う霊はいきいきと群れ
霊が行き交う「桟橋」って、
やっぱり三途の川のほとりにあるんでしょうか。
「優先もくそもあるか」の毒づきがまず面白くて惹かれます。
逆に考えると、
やっぱり三途の川でも優先がある場合があるんでしょうか。
だとしたら、どういう人が優先で舟に乗れるんだろう。
ともあれ賑やかに「いきいきと」霊たちが群れている
という、
死者なのにホント「いきいき」してそう。
っていうか、
「行き交う」ってことは戻ることもあるってこと?
と思って、
うーん、こんなに生き生きしてたら、
そういう霊もいるのかもとか思ったりします。
楽しいうたでした。

琥珀さんの
優しさの象徴としてそこにあるシルバーシートに座る夕焼け
うたの日にもコメントしましたが、
このうたを読んで、
吉野弘の「夕焼け」という詩を思い出しました。
あの詩はシルバーシートではないですが、
満員電車で少女が老人に席をゆずり、
老人が降りたので席に座り、
別の老人が乗ってきたので、
少女はまた席をゆずり、
老人は電車を降り、少女が座り、
そして三度目の老人にはゆずらなかった
というような流れ。
(めっちゃはしょってますが)
琥珀さんの短歌では、
シルバーシートがあり、
そこに座っているのは
老人でも娘でもなく「夕焼け」。
吉野弘の詩のなかの少女も、
きっと「シルバーシート」であれば
座らずに席を空かせていたと思うんですよね。
美しい夕焼けも見ないで、
うつむいて座り続けることもなかった。
そう思うと、
このうたの「優しさの象徴」が、
なんだか沁みるなぁって思います。
春森糸結さんの
優しいといわれるたびに減ってゆくわたしのなかの尖った子ども
子供の頃、
父から「人の痛みがわかるようになれ」と言われて、
「わかるよ、友達が転んで泣いてたらわたしも泣いちゃうし」
と、そう答えた頃は、
まだ人の痛みがわかってなかったんですよね。
大人の優しさって、
この「人の痛みがわかる」ってことなんだと
わたしは思ってますが、
人の痛みがわからないのが、
逆に言えば子供の尖がった部分かなと。
「優しい」と人から言われることで、
それがまた呪縛になって、
人の顔色をつい見ちゃうってことも
あるよね。うん、あるある。
大人社会でスムーズに生きていくには、
「尖った子ども」は必要ないかも知れないけど、
失ってしまうのはつらいですよね。
前田沙耶子さんの
馬鹿だな と笑い差し出す左手がお皿のように優しいかたち
「お皿のように優しいかたち」
が、めっちゃ好きです。
大きくて平たくて、いかにも頼れそうですよね。
もう全身まるごと乗っけても大丈夫そう。
上の句がやや詰まっているようにも感じますが、
「お皿のように優しい」という表現が
とてもすてきでした。

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