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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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題詠blog2015二周目(61~80)


061:宗
改宗の最後のチャンスだったんだろう呪詛のごとくに祈った夜が
062:万年
こまごまと万年筆で記された祖父の葉書に残る祖母の名
063:丁
包丁の刃がパプリカに触れるときふと思い出す蛹の温度
064:裕
余裕なきことの苦しさこんなに強い風にそよともできないベンチ
065:スロー
あの夜の毛布との距離はかるようにもう一度聴くスローバラード
066:缶
念のため念のためっていいながらかばんに潜ます缶切りひとつ
067:府
こっち見てないって知っててだまって頷いた そろそろ府中町を抜ける
068:煌
膝に落ちた西瓜の種と塩を払う煌めくように夏は終るね
069:銅
銅版画の挿絵うつくし後ろ足で立つ動物とスカートの襞
070:本
本当にあなたはやさしい人だから炎といえば赤色という
071:粉
小麦粉の袋の底よりいっぽんの果物ナイフ春のゆうぐれ
072:諸
ここで諸君に事件のあらましをお話ししておこう といって犬が立ち上がる
073:会場
パーティ会場、いや事件現場はここですかとあわてて猫も駆け込んでくる
074:唾
唾棄すべき行いでしょう果物を分かつナイフで肉を切るとは
075:短
残念だ 舞台をさっていく人へ短評としてこいびとの声
076:舎
キリン舎を出てくるキリンの低い腰どうもどうもと頭をさげて
077:等
ペットボトルの数だけ並ぶ参加者の等間隔に置かれて無口
078:ソース
もう誰もソースとってと言わないでだまって近くの塩を振るだけ
079:筆
どちらかが果てれば終わるものだろう背中合わせの赤青鉛筆
080:標
さみしいと言うんだろうか灯台がときおり照らす小さな浮標(ブイ)は 

61から80のうちの「スロー」と「府」は
ホントぜんぜん出てこなくて、
しかたなく一周目のアンサーソングみたいなやつにしました。
ちなみに
どこにでも行けてどこにも行かなくてカーラジオからスローバラード

なんとなく語尾が疑問符だつたからさうだねと言ふ 府中へ入る
ってのが一周目のやつでした。
ちなみに、
RCサクセションの「スローバラード」と
広島県安芸郡の府中町を詠んでます。
あと、
「粉」から「短」までは
自分の中では一繋がりになってます。

うたの日(6月20日)


うたの日

6月20日のお題は「従兄弟」「禁」「止」「野球」「海苔」でした。

ベテランの自転車のりの従兄弟からもらう木苺ひとつかみ分(しま・しましま)
年上のいとこって、
なんとなく頼れる人みたいな感じ。
実の兄がいるんですが、
彼を頼れる人だと思ったことは一度もないんですよ。
たまにあう年上のいとこは
まぶしかったですね。

ハートを入れたうた。
吉川みほさんの
ブラジルの美しい蝶の標本を会ったことのない従兄弟がくれた
「ブラジルの美しい蝶の標本」
と文字で見ただけで、
その美しさが想像されるようなフレーズで、
それだけでも
ほわわーってなります。
熱帯の色鮮やかだったり妖しい模様の入った蝶なのかな、
今まで見たこともないような蝶だったかな
ってイメージが広がります。
「会ったことのない従兄弟がくれた」
というのも、想像が広がりますよね。
「会ったことのない」ということは、
主体が生まれる前にブラジルへ行ってしまった人なのか、
最初からブラジルで生まれた人なのか、
主体がそういうものを集めてると聞いて
わざわざ贈ってくれたのかな
とか。
二句目と四句目が字余りになってますが、
あんまりもたついた感じがなくて、
初句から結句まで
すっと読み下して最後に余韻を残す
という感じがしました。

音符を入れたうた。
森下裕隆さんの
斎場で黙礼を交わす 豚の仔のようにくすぐりあった従兄と
どなたか親族の葬儀の場で
久しぶりに従兄とあった主体。
そういう場だったってこともあるんでしょうけれど、
ここ数年、(もしかしたら十数年)
そういう場でもないと顔を合わすことがなかった、
そんな従兄を想像します。
そこからふっと、
子供のときに遊んだことを思い出した
って感じでしょうか。
「豚の仔のようにくすぐりあった」
ってフレーズが、
いいなぁって思います。
何の気持の垣根もなく、
一塊になって遊んだ感じ。
現在と過去がふっと一瞬だけ
交差するような感覚が好きだなって思います。
けらさんの
「ゲームする?」それきり話すことなくて 入道雲と従兄弟のケンちゃん
あー、めっちゃわかるー
みたいな感覚のうたでした。
年が近いから、子供同士なんだから、
みたいな理由で一緒にされても、
普段会わない従兄弟と急に打ち解けるとか出来ない感じ。
「ゲームする?」のそっけない感じも
リアルだなぁって思いました。
DSか時代をさかのぼってゲームボーイか
て想像したんですが、
うたの日の作者のけらさんのコメントでは
ゲームウォッチの時代だとか。
おお、ぎりぎりゲームウォッチの時代の小学生だったので
この景にゲームウォッチを当てはめて、
やばいコレは経験があるかも…と
ひとりで勝手に悶絶しております。
「入道雲」がいいなぁ。
お盆休みに親戚が集まる、
みたいな背景が想像されます。
ゲーム貸しちゃって、
相手は黙ってゲーム始めてるしで
仕方なく空なんか眺めてる感じかなって思いました。

うたの日(6月19日)


うたの日

6月19日のお題は「罪」「箸」「接」「下ネタ」「武勇伝」でした。

ついこの間も「箸」で出したんですが、
再びの「箸」に、
再チャレンジしてみました。

あいまいな気持にも名をつけたがるあなたのきれいな割り箸づかい(しま・しましま)
割り箸で何かを食べるって、
例えば市販の弁当を食べる時とかカップめんを食べる時とか
めっちゃプライベートな方向の時と、
ちょっと雑めの会食(折り詰系とか)の場合がありますよね。
そのどっちの場面でも、
ちゃんと割り箸を扱える人って、
なんかすごいなって思ったりします。
絶対に真ん中からぱっきり割れる人とかね。
わたしの狭い世界でいえば、
そういう人って、ちょっとめんどくさい人が多かったりして、
すごいけど、すごいけどね、ってなったりします。

ハートを入れたうた。
西村湯呑さんの
わたくしの取るに足らない日々だけど箸をおろさず聞くひとがいる
このうたの感想なんですが、
うたの日の他の方のコメントを見て、
あれれ……ってなりました。
うーん、そうか、
わたしズレてたかなぁと。
「わたくしの取るに足らない日々」「だけど」
「箸をおろさず」「聞くひとがいる」
自分のちょっとした話なんかを、
聞いてくれる人がいる
ってうたと思いますが、
「だけど」と「箸をおろさず」の部分で、
解釈が違ってるなぁって。
「箸をおろさず聞く」ってどういう状態なんでしょうね。
わたしは、
「箸をおろす」っていうと、
食べるのをやめるような感じがするんで、
「箸をおろさず」は、
逆に食べるのをやめない感じって受け取りました。
食べ続けながらも、ちゃんと聞いてくれる、みたいな。
でね、
「取るに足らない日々」を送る自分の話を、ながら状態で聞く
っていうだけなら、
「だけど」っていう逆接には普通ならないですよね。
この「だけど」には、
主体がうれしいと思う気持が込められてるんだと思うので、
「箸をおろさず聞く」ことが、
主体にとってはうれしことなんですよね。
っていうことは、
さりげなく、食べながら聞いていてくれることがうれしい、
みたいな感じなのかなって思います。
自分の「取るに足らない日々」の話を、
聞いてないようでもちゃんと聞いてくれてる人がいる、
だから「わたくしの取るに足らない日々」ではあるけど、
幸せな日々なんだ、
みたいなうれしさを詠んだうたって思いました。
この話し相手、
自分の話を、食べる手を止めて、
真正面からじっと耳を傾けてくれる、
というほどではないところが、
いいんだろうなって思うと、
すっごく距離の近い人か、
自分に興味を持ってくれてはいるけど、
食いつくほどに自分のことを知りたがってるほどではない人か、
どっちかかなぁって想像します。
聞いてないかと思ったら、
後から、「あの話さぁ」とか言い出して、
あ、聞いてくれてたんだ、とかっていいなぁって思います。

音符を入れたうた。
太田青磁さんの
割り箸のピストルを手に携えてちびっこギャングら荒野を歩く
一読して、かわいいなって思いますね。
(心の中では)
ワイルドサイドを悠々と歩いてる
(つもりになってる)
幼い子供たちの
その手には割り箸で作ったピストル。
うおっかわいい!
ってなりました。
で、
このうたでは、
まず「割り箸のピストル」が先に提示されてるところが
面白いなって思いました。
割り箸でつくったピストルって
形を似せただけのものでも
ちゃんと輪ゴムが飛ぶタイプのでも、
正直、ちょっとピストルというには
不細工だったりしますよね。
それでも大満足で、
すっかりその気になってるという。
大人目線で見ると、まずその手作りピストルが目に入っちゃう
っていうのが自然な感じ。
結句が「荒野を歩く」がまたいいですよね。
たぶんこの「荒野」はちびっこたちの心象風景なんだろうな
って主体が思ってるんだと思うんですが、
同時に、
今は心強い武器を携えて歩いてる荒野だけど、
いつかは「割り箸のピストル」から卒業して、
丸腰で荒野を歩いていかなければならない
そんなちびっこの未来への大人からのエールにも
思える……
っていったら深読みしすぎでしょうか。
ただ、
「ちびっこギャング」という表現は、
わたし的には残念だなぁって気がします。
すでに面白っぽい意味で流通しているフレーズで、
せっかくの「割り箸のピストル」の面白さが
「ちびっこギャング」で薄れるような気がするような……。
大塚亜希さんの
二人暮らせば二膳で足りるおそろい桧の箸でたぐるボンゴレ
は…破調なうただなぁって
まず思いました。

「二人暮らせば二膳で足りる」
「おそろい桧の」
「箸でたぐるボンゴレ」
って切って読むのかな……

「二人暮」「せば二膳で足」「りるおそろ」「い桧の箸」「でたぐるボンゴレ」
で57577?
いやそれは無理すぎる……
でも、面白いから破調すぎるで切って捨てたくないな
ってずいぶん一人で唸ってました。
たった二膳しか箸がない二人暮らしの生活、
二人だから二膳、
しかもおそろい。
っていうか二膳しか箸がないんじゃなくて、
二膳の箸しかなくて、
パスタだってそれで食べちゃう
っていうの、
二人の生活を始めたばっかりの頃みたいで
楽しくないですか。
で、なんども口の上にのせてたんですが、
だんだんと
「おそろいひのき」という語感が
楽しくなってきて、
「箸でたぐるボンゴレ」の字余り気味な感じも
「ボンゴレ」の「ボン」の弾む感じが
重くさせてないなぁ
とか、まあ色々思ったわけですよ。
ところが!
これが単なる入力ミスで
本当は
「二人暮らせば二膳で足りるおそろいの桧の箸でたぐるボンゴレ」
だったという!!
「の」が一つ落ちてたらしいんですが、
なんとこの「の」を一つ入れるだけで
「二人暮らせば」「二膳で足りる」「おそろいの」「桧の箸で」「たぐるボンゴレ」
と、初句字余りではありますが、
なんの不安もないどっしり定型になっているという。
一音のすごさ、
みたいなのをひしひしと感じる結果となりました。
っていうか、
「おそろいひのき」が楽しいな
って思ったわたしって……。
ちょっと恥ずかしいけど、すでにうたの日で
そうコメントしちゃったから
無かったことにもできなくて、
ここに、今顔が赤らむぐらい恥ずかしがってることをお伝えして
今日の記事を締めさせていただきます。

題詠blog2015二周目(41~60)


041:扇
嘘をつく口の動きをごまかした団扇に残るくちべにの色
042:特
ありがとうこんな大きな氏名欄特別立派なわたしじゃないけど
043:旧
旧き良き記憶の中でウェハースはいつもやさしい(アイスを添えて)
044:らくだ
なんてさびしいらくだのまつり目のさめるようなすすけた毛布をかけて
045:売
どんぐりの量り売り屋は手量りに落葉二枚で三つ買えたり
046:貨
無言で回されるカンパ用紙コップ硬貨ばかりで底が抜けそう
047:四国
来週は四国出張という夫が「四国も近くなった」っていう
048:負
じゃんけんに負けて階段上れない遠くで雲雀のような手が振られ
049:尼
尼僧に侍る尼僧ありけりその声の高さばかりを覚えておりぬ
050:答
本当に答えていいのアメリカンチェリーに暗い情熱のつや
051:緯
経緯とか知らないままに抱きとめるなんならそのまま倒れてもいい
052:サイト
アボカドの実を崩さずに種をとる ウェブサイトでもとめたナイフで
053:腐
時間だけが記憶を薄めるからからの高野豆腐をゆっくり戻す
054:踵
痛くない傷つき方もあるらしく猫の踵にうっすらとハゲ
055:夫
パーカーのおなかんとこのポケットに手をつっこんめば(うん)まだ大丈夫
056:リボン
まだ薄くあの日の海の匂いして端のほつれた帽子のリボン
057:析
君がふと眉根を寄せた瞬間を分析せずに焼き付けている
058:士
士と書いてさむらいと読む 黄昏も十一月はすこし短い
059:税
この雨もいつかどこかで税金のかかった水で、わたしは濡れる
060:孔雀
美しいことが悪だというように母はことさら孔雀を嫌う

41から60で難しかった題は
「尼」「緯」でした。
一周目の時からすでに苦しかったですし。
ていうか、他のうたも割と苦し紛れ的なのが多いエリアな気がします。
ちょっと再掲するのが恥ずかしいような
でも、どう手を入れたらいいのかなってのが
いっぱいありますね。

うたの日(6月18日)


うたの日

6月18日のお題は「今度」「神社」「巴」「5分」「豹」でした。

今度は何でにじんだんだろ近況をつづった(らしい)読めないはがき(しま・しましま)
うたの日がリニューアルして、
主席が花束からバラに変わって、
初めての主席だったかもです。
「今度」って、
今回を言う場合と次回を言う場合がありますが、
わたしが詠んだのは今回の場合。
ほとんどの方が次回の場合で詠まれてたのが
ちょっと意外な感じでした。

ハートを入れたうた。
こりけケリ子さんの
ねむたさと闘い負ける人生だ今度生まれるときはカエルだ
いろんなイメージがわーっと湧いてくるうたでした。
「ねむたさと闘い負ける人生」
うん、わかるー。
ねむたさと闘って勝てるってなかなかないですよね。
色んなことで「負ける人生」ではあるけども、
実はなかなか「闘い負ける」って無かったりしますよね。
真正面から闘って、でも負けてばっかり。
その一番多い勝負はたしかに眠気だったりするかも。
そこに、下の句の
「今度生まれるときはカエルだ」
という意外性のある下の句が来ます。
だから、なのか、それはそうとして、なのか分かりませんが、
唐突なようでいて、
ねむたさとカエルはどっか通じるものがあるような気がするので
だから、に近いのかなぁとか思ったりして。
うたの日のコメントで
「蛙の目借時」という季語について言及しましたが、
コレ、春の眠くて眠くて仕方がない時期、
ちょうどその頃地面の上に出てきて、
しきりに春を謳歌してるカエルに、
自分の目を借りられてしまったんじゃないだろうか
みたいな春の季語なんです。
今度生まれてくるときには、
借りられる側ではなくて
借りる側になるぞー!
みたいなのを想像してふふってなりました。
もう一つ、イメージしたのは、
もうちょっと辛い情景。
うちの甥っ子が幼いときの話なんですが、
母親(妹ですが)に厳しく叱られてるときに、
なぜか泣きながらこっくりこっくりとねむってしまう
という癖(?)がありました。
それがさらに母親を怒らせる結果になってしまうわけなんですが、
どうしても急に眠くなってしまうんだとか。
後から知ったけど、
これって一つの防御反応なんですね。
叱られて、ぺたんとはいつくばって、
うとうととしてしまう……
なんとなくそんな甥っ子の姿も思い出して切なくなってしまいました。

音符を入れたうた。
温子さんの
夫聞く今度の休み何しよう掃除洗濯海が見たいわ
次回という場合の「今度」の中で、
このうただけが具体的な「今度」で目を引きました。
二句目から以降は
「今度の休み何しよう」「掃除洗濯海が見たいわ」
と、会話形式のようでもありますが、
「今度の休み何しよう」(掃除洗濯海が見たいわ)
とか
「今度の休み何しよう」(掃除洗濯)「海が見たいわ」
とか
「今度の休み何しよう」「掃除洗濯」(海が見たいわ)
とか、色々なパターンが想像されます。
「掃除洗濯海が見たいわ」がいいですよね。
海を見に行きたいというロマンチックな希望と
でも平日の分が溜まってるから、掃除洗濯がありますから
っていう現実感。
ちくりと夫への皮肉が感じられますが
でも本当は「海が見たいわ」なんだろうなってところが
すごく好きです。
ただ、初句の「夫聞く」の、
助詞が省いてあるところが気になりました。
御泉水さんの
じゃあまたね今度はないと知りながらふたりでついた嘘の優しさ
「今度今度って、今度っていうのはつまりナシってことの婉曲な表現でしょ」
という「今度はない」ではなくて、
「またね」の方がないんだっていうことですよね。
「またね」っていうのは「また今度ね」ってことだけど
その「今度」はきっとない。
でもわかれる時にお互いに「またね」でわかれるという「嘘」。
それを「ふたりでついた」っていうところが
めっちゃやさしいなって思いました。
お互いに責めない別れ、なんですよね。
ごめんねでもばかやろーでもなくて、
「じゃあまたね」。
うーん、この穏やかさがドラマチックだなぁ。
キョースケさんの
「また今度」また繰り返すその言葉あなたの悪気をのぞいてみたい
具体的なプランのない「今度」って、
一度や二度ならついうっかりかも知れないけど、
「また繰り返す」っていうほど多用するなら、
それはやっぱり意図的な逃げの言葉ですよね。
まだそんなに親しくない「あなた」なら、
そうなんだ……で諦めるところだと思いますが、
そこに「悪意」という言葉を見い出すとこに、
ある程度親しい関係の「あなた」なんだろうなって気がします。
で、それを言い立てるんじゃなくって、
「あなたの悪意をのぞいてみたい」
ってところにどきっとします。
ちょっと被虐的な感じがします。

題詠blog2015二周目(21~40)


021:小
ハリボーのグミひとつずつ日に透かす(いつも心に小さな太陽)
022:砕
手の中で氷を砕く嫌いな人の代りに好きな人を思って
023:柱
電柱はただしく等間隔にない六年間でそれはわかった
024:真
雨脚はますます強く真実をかざせば鈍器のごとき輝き
025:さらさら
さらさらの方が表といわれてもあなたはどこもさらさらしてて
026:湿
湿っぽいことが嫌いなねこだった そろそろ泣かずに名前を呼べる
027:ダウン
トム・ウェイツの曲で始まるあの映画ガラガラの席ダウン・バイ・ロー
028:改
夏休み中に重ねた改造で自主登校を始めるロボット
029:尺
巻尺をぴしゃんと戻す青空のはしっこ少し巻き込みながら
030:物
今はもう地上にいないものたちのページで割れた動物図鑑
031:認
洗面台はたぶん溺死に向いてない誰もが認めるところだろうか
032:昏
ついさっきコーラを買った自販機がもう黄昏を吐き出している
033:逸
父の家のまえを通れば父の声道を逸れても追いかけてくる
034:前
開いた窓の前に佇みああなんて緑は遠近感を乱すんだろう
035:液
修正液、と念押しされて買われくる修正テープの立場はどうだ
036:バス
うろたえることも手早く済ませなさい前のドアから降りるバスです
037:療
白すぎてだんだんこわくなっていく真昼休日救急診療
038:読
読み捨てるつもりで読んだらくがきがなんで今頃効いてくるんだ
039:せっかく
まわたでもくびをしめたらくるしいよ「せっかくこうおっしゃってくれているんだから」
040:清
真っ白なマネキンたちが清潔な家族の姿をかたどる真昼

21から40までで、キツいなーって思ったのは
「ダウン」。
そうだろうなと思われた方もあると思いますが、
「ダウン」から
映画「ダウン・バイ・ロー」を連想したとたん、
そこから一歩も動けなくなっちゃいました。
それから「湿」のうた、
実のところ、わたしは毎日のように、
今は亡きちゃーの名前を呼んでいます。
だって今いるねこ(うー)と呼び間違えてしまうから。
これが新しい恋人と死んだ恋人だった場合、
最悪な人ですね、きっと。

うたの日(6月17日)


うたの日

6月17日のお題は「液」「ズーム」「叩く」「舌」「喜劇」でした。

間違いは何でも消せるけしゴムを舐めたら舌の裏まで苦い(しま・しましま)
「間違いが」「間違いを」「間違いの」
色々考えて「間違いは」としました。
間違いしか消せない不便な感じとかが「は」に出てたらいいなと思います。

ハートを入れたうた。
中山とりこさんの
「牛タンは厚切りなんだ」と言っていた君と初めて向かうふるさと
「君と初めて向かうふるさと」
ここだけ切り取ると、
誰のふるさとへ「君」と行くのか
ちょっと分かりにくいんですが、
これは「君」のふるさとのことなんだな
って、最初から読むとわかります。
単なる旅行なのかも知れないけど、
もしかしたら、
もっと幸せな意味のある旅行かなって思います。
「牛タンは厚切りなんだ」
いいですよね。
美味しそうで、うれしそう。
きっと普段から
ふるさと自慢をしてくれる彼なんだろうな
って思います。
どんなとこ?って彼女の方から
色々聞き出した中の一つなのかもしれないけど。
うん、それはそれでいい感じですね。
とにかく、
郷土愛にあふれた彼と、彼が大好きな彼女の、
このうたで詠まれてるシーンの、
それ以前に重ねたエピソードがふわっと浮かんで来るような
しあわせな感じのうたって思いました。

音符を入れたうた。
森下裕隆さんの
詩語として文語の森へ放たれた百舌鳥(もず)よもう良い還っておいで
うーん、
作者の意図したところが
なんとなくわかるなぁとか、
ここがとてもよい表現だったから
という理由で票を入れられなくて申し訳ない。
このうたはパッと見から、
なにやら意味深で
わかんないなって放り投げたくない気がする、
そんな魅力がありました。
ということで、
以下の文は
もう恐ろしく妄想入ってますが、
しばらくおつきあいください。
「百舌鳥」、モズってたしかに短詩でよく詠まれる鳥の一つだな
って思います。
というか、俳句では結構登場しますね。
鵙高音(もずたかね)とか鵙猛る(もずたける)とか
だいたい、秋の鵙の高鳴きのことを詠む場合が多いんですが、
他にも鵙の贄(もずのにえ)とか、郭公の託卵被害とか
エピソードに事欠かないところが印象に残るんでしょうか。
で、この鳥を
「詩語として文語の森へ放たれた」
という作者。
これは何かの元ネタがあるのか、
作者オリジナルなのかわからないんですが、
とにかく「文語の森へ放たれた」わけ。
「詩語」「文語」とくると、
伝統的短詩の世界、みたいなイメージで、
しばらくそこで遊ばせていたのを、
「もう良い還っておいで」って言ってるんですよね。
この声かけが不思議な感じでした。
何が「もう良」くて、どこへ「還っておいで」っていうんでしょう。
これは、「百舌鳥」が「文語の森」へ放たれたのに、
何か裏の理由がありそうな気がします。
さて、この日のお題は「舌」でした。
だから、「モズ」でも「鵙」でもなくて
「百舌鳥」という表記なんだとは思いますが、
この「百舌」ってところが、
なにやらアヤシイ……とうがってみます。
嘘つきのことを「二枚舌」とか言いますが、
これは百の舌です。
それを駆使したら、さぞかし大混乱が起きることでしょう。
「文語の森」もきっと穏やかではいられないのではないかな。
もしかして、
「百舌鳥」は「文語の森」をめちゃめちゃにするために
送り込まれた刺客だったのでは……
そして、「もう良い」ってことは、
送り込んだ主にとって、ある程度満足のいく結果が得られた
ということでは……
ブルブル…まさかそんな……
という想像をして、
一人ニヤニヤしてしまいました。
作者の意図は全然別のところにあるし、
文語に対してそんなことはちっとも考えてない!
って叱られそうでもありますが、
なんとなく想像が妄想を呼んで、
こんな結果になってしまいました。てへ。
桔梗さんの
店先の舌なめづりのペコちやんがぢつと見てゐるわたしのかほを
不二家のショップ前に置かれたペコちゃん人形。
可愛いといえば可愛いけど、
こわいと言えばちょっとこわい見た目でもあります。
あんまりあの人形が自分を見ているって
思うことないんですが、
たまたまちょうど絶妙な立ち位置に主体がいたのかも。
あのぺろりと出した舌を
「舌なめづり」と見てしまうのも、
普段はあまり見ない角度から見てしまったからなのかな
とか思いました。
ついうっかり、そこで立ち止まってしまったために
「ぢつと見てゐる」ような、
そんな気持になったのかな、
とか、想像しました。
そういえば
ペコちゃんが舌を出してる本当の理由、
みたいな都市伝説もあったなぁ。

題詠blog2015二周目(01~20)


ふと思いついて、
題詠blog2015二周目
ってのを勝手にツイッター上で一人開催してました。
約一年経ってから、
同じ題でどんな違った短歌が出来るんだろう
っていう単純な好奇心からだったんですが、
いやー、難しかった!
一周目は、旧かな遣いで統一しましたが、
今回は、普段からそうなので、新かな遣いで統一。
さて、少しは成長してるんでしょうか。

一部作品を取り替えたり、
修正したものもありますが、
おおむねツイートしたものとなってます。

001:呼
そう呼べばいつか芒もそうなってゆくのでしょうか ベランダに月
002:急
急に来てパックおはぎを置いていくいつまでも母どこまでも母
003:要
要点は多分そこではないけれど声がいいので頷いている
004:栄
栄えあれ チュッパチャップス差しこんだ幼き我が溢れさす蟻
005:中心
いっそ委ねてしまえばいい ぐるぐるの中心にあるさらにぐるぐる
006:婦
裸婦像のそのたくましきすっぴんの誰にも似てて誰にも似てない
007:度
忘れ物するためにする念入りな支度 最初にふとんをかぶる
008:ジャム
夕べにはしおれることも分っててアヲハタジャムの空き瓶に挿す
009:異
ゆうぐれのシンクの中で貝たちはみんな異なるあぶくを吐ける
010:玉
玉乗りが出来て一人前ならばぼくはゾウにはなれないままだ
011:怪
怪しさの深さをはかる手を入れて手首あたりを掴まれている
012:おろか
夜中を起きて見る夢おろかさのこんなに甘いものであること
013:刊
復刊のうわさそわそわカーディガンのボタンホールをするりとボタン
014:込
駆け込んで来て振り払う雨粒のうつくしすぎる冷たさだった
015:衛
それがもし人工衛星だとしても指を差すまでひかりは希望
016:荒
落とし所のないもやもやを捨てたくて手荒に揺らす無人のブランコ
017:画面
電源を切れば画面に何度でもよみがえるからゾンビみたいだ
018:救
救われて欲しいとおもうあんなにも真面目に泣いたきみなんだから
019:靴
ドアノブに手袋イスの足に靴不思議のリビングの赤の女王
020:亜
赤ちゃんが生まれましたの看板へ届く亜細亜象の水しぶき

やっぱり「栄」と「亜」は難しかったですね。
一周目の小池栄子よりはマシになったんじゃないかと
思ったりはしますが。
あっ、ちなみにツイッターの方は既に削除しております。

うたの日(6月16日)


うたの日

6月16日のお題は「虹」「水」「葉」「淡」「藤」でした。

明日返す本の名前をつぶやいてまだ水みたいなシャワーをはじく(しま・しましま)
ああって思われるのか、
えーって思われるのか分かりませんが、
わたしはわりと気が短くて、
寒い時期はさすがに無理ですが、
シャワーも完全にあたたかくなるのを待てないタイプです。

ハートを入れたうた。
こたきひろしさんの
地獄って熱中症の極みだよ 水は必ず持っていくべし
めっちゃ面白いって思いました。
下の句の
「水は必ず持っていくべし」
という強めのアドバイスがすごく好きです。
「必ず」「べし」
強いですよね。
ところが、それを持ってけっていう先が
「地獄」なわけです。
いや、地獄って死んでから行くところで
準備万端で行けるところでも
手荷物OKな場所でもないでしょう。
っていうか「熱中症の極み」?
灼熱地獄とかの熱さの極みじゃなくて
「熱中症の極み」。
言葉の意味はわからないけど、
とにかく何か凄いヒドイということが伝わるフレーズです。
この
「水は必ず持っていくべし」
という強い、でもズレたアドバイスの
理由になる部分が
すでにズレズレになってるところが
めっちゃ面白いなぁって思いました。

音符を入れたうた。
千歳ちとさんの
水たまりせーので跳んだ帰り道 世界まるごと遊び場だった
幼い頃の回想のうただと思いますが、
今目の前にある水たまりを見て、
ぱっと幼い頃の水たまりをジャンプした記憶が蘇ったような
明るい感じがいいなって思いました。
「せーの」の掛け声に、
その頃の仲良しさんといつも一緒に帰ったこととか
同じノリを共有してたんだなとか
想像されます。
「世界まるごと遊び場だった」
も、
いかにも子供の世界っぽくていいなって思いました。
たぶん、目の前の水たまりも、
「せーので跳んだ」水たまりも、
大人の主体にとってはジャンプしなくても
ちょっと大またで跨げるぐらいの大きさなんだと思います。
同じように、当時の「世界」も、
きっと今の主体が感じる世界よりも
実際はもっと狭い世界だったんだろうな、
でも、
そのなかをを全部遊び場として使っちゃうパワーが
幼い頃にはあったんだろうな
って思うと、
ほんわりしたり、現在と較べてみて、ちょっと切なくなっちゃったり。
深読みしすぎたかもですが、
そういう想像が広がるうたでした。
七緒さんの
こんな夜に涙ばっかりあたたかで 檸檬ケーキをほたほた濡らす
「涙ばっかりあたたか」にやられたうたでした。
もうこの言葉を目にしてから、
そういえば涙はあたたかいな、
でもすぐに冷たくなっちゃうんだよね、
どの辺りまではあたたかいままなんだろう
って
そんなことばっかり考えてしまいました。
うん、すごくわかる表現で、
泣いてるのにあたたかな、ちょっと悔しい感じが
いいなって思います。
「檸檬ケーキ」もいいですよね。
レモンケーキといえば、
やっぱり昔ながらのレモン形のアレであってほしい。
やさしいクリームイエローの
ぽてっとした形で、
ガナッシュ(?アイシング?)がかかってるやつ。
「ほたほた」落ちた涙が、
ケーキにしみ込まないで流れていきそう。
西村曜さんの
かんぜんにイントネーション「水死体」だったよいまの「恋したい」って
思わず「恋したい」を二度口にしてしまいました。
「水死体」のイントネーションで。
ここからは完全なわたしの妄想なんですが、
失恋の痛手をまだ少し引きずりつつも、
ある程度時間がたったぐらいの女友達と二人でいるところ
とかが浮かんで来ます。
いろんなことをしゃべってて、
ふと
「恋したい」って呟いた友達への
ツッコミの言葉っぽい気がします。
もしかしたら、
女友達じゃなくて、自分のひとりごとに
セルフツッコミという場面なのかも知れないけど、
友達として読む方が楽しいかなって思いました。
全部わかってつっこんでる、みたいな
やさしさがなんとなくあるような気がします。
加賀田優子さんの
そもそも自分なんてないのにおもしろい手のひらですくった水を浴びる
破調ですよね。
目で読むとすごく破調で、
口に出して読むと、
最初は破調、
二度目はなんとなく七五調にも読める感じ。
「そもそも自分なんてないのにおもしろい」
って不思議な感じ。
主体の感じる「おもしろい」は
まったく分からないんですが、
するんふわんとした雰囲気は面白いなって思いました。
で、そこに
「手のひらですくった水を浴びる」
っていう質感のあるものが来るところが
いいな、好きだなって思いました。
「手のひらですくった水」
って、ちょっとやわらかくて、
あたたかくて、あかるい感じがします。
「自分なんてない」って言い切ってる人に、
体温のあたたかさがあるって
いいなって思いました。

うたの日(6月15日)


うたの日

6月15日のお題は「顔」「他」「箸」「梅雨」「脱」でした。

綿あめの無惨に張りつく割り箸はきっとすべての終りのしるし(しま・しましま)
ひしゃげた綿あめと割り箸って
なんか残念なものの象徴みたいな気がします。
子供の頃、お祭りで綿あめ買ってほしくて、
よくねだってたんですが、
子供にはお祭の綿あめって量が多いんですよね。

ハートを入れたうた。
知己凛さんの
さし箸をしてでも止める掴めずに君は転げていきそうだから
「君」がまるで里芋みたいで、
思わずふふってなってしまったうたでした。
つかみどころが無くて、
しかも失敗したらどこかへ逃げちゃいそうな「君」を
とっさの「さし箸」になってもいいから
しっかりと繋ぎとめておきたいって
なんかこの勢いのある気持がいいなって思いました。
「さし箸を/してでも」からの「止める」「掴めずに」
という流れというかリズムというかが、
さし箸をしないとつかめないような、
なんともいえないぬるっとした感じに合ってる気がしました。
「さし(箸)」「して」「止める」「掴めず」「転げて」「いきそう」
終止形にすると
「さす」「する」「とめる」「つかむ」「ころげる」「いく」
という言葉が並んでて、
そこも面白いなぁって思いました。
やっぱり里芋感あります。

音符を入れたうた。
ホシキョウイチさんの
じいさんのお骨をつまむ見た目より脆くてわれた 母が拾った
お骨上げの景を詠まれたうた。
普段使う箸よりも長くて不慣れなので
それだけでも掴みづらいお骨ですが、
お年寄りの骨だと、
それこそ「見た目より脆」いという場合もあると思います。
もちろん、ショックでうまく掴めない
ってこともあると思います。
「見た目より脆くてわれた 母が拾った」
と、
事実だけを淡々と叙することで、
祖父の死、祖父のお骨上げについての
言葉にならないショックが、
余韻として漂ってくるようなうたと思いました。
すかさずお母さんがフォローしてくれるという情景に、
主体がまだ幼いのか、
あるいは祖父と主体に親密な関係があったことを
十分知っているんだろうなと想像されます。
箸を使う場面ではありますが、
やや「箸」の題としては弱いかなって気もしますが、
いいうただなってしみじみ思いました。
こりけケリ子さんの
箸で食うかき氷ツアー’16の真の野望が今明らかに
「箸で食うかき氷ツアー’16」
ツアータイトルだけでは
まったくどういうツアーなのか分からないのに、
さらに
「真の野望」
という、
実は裏があるらしく、
しかも、
「今明らかに」
といいつつ、まったく明らかにされていない
というヒドイ煽り。
でも、その勢いが好きだなって思いました。

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