プロフィール

しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

うたの日(8月11日~20日)出詠分まとめ


うたの日
しま・しましま出詠分

8月11日「自由詠」
好きがみんな免罪符になどなりはしないキウイ食べれば喉がかゆいよ

キウイもなんですが、
去年ぐらいからトマトを食べても
喉がかゆくなるようになってしまいました。
特にトマトは好きだっただけにとても残念でした。
というのはあんまり関係がない話だけど、
686という上の句全部余らせていくスタイルで
不快感が強調されればって思いました。

8月12日「アイス」
まだ海は見えないけれどコンビニでガリガリ君を買えば潮風

404notF0816さんから評をいただきました。
ガリガリ君といえばやっぱりソーダ味ですよね。シンプルに。

8月13日「Siri」
濡れた指じゃマジックカットもちぎれない Hey Siri 明日は晴れるだろうか

特にキッチンで作業してる時に一番いらっとくるのがコレ。
こんな短気なわたしで大丈夫だろうか。
あと、一作業ごとに手は拭け、という気持。

8月14日「怖い話」
赤いとりいくぐっていいえいいえ、はい 帰ってください いいえ、いいえ

全国的ではないかも知れないけど、
わたしの子供の頃にはやったコックリさんは、
紙の上部に赤ペンで鳥居を書くところから始まりました。
そこからスタートしてそこへ戻って終わり。
その頃は「コックリサン」が何かは知らなかったけど
狐狗狸さんなんですよね。
ということは赤い鳥居はお稲荷さん?

8月15日「平」
手で均すベッドシーツの平らかにわたしの影だけ正確に落つ

「平」という一文字から連想するのが、
ベッドにシーツをかける動作ぐらいしか
その時にうかばなかったんですよね。
というか、
ひとつイメージが浮かぶとそれに囚われちゃって
選択の余地が出来ないというか。

8月16日「卵」
欲しいのはこんなんじゃない卵の殻つまみ出す指つっこみながら

久しぶりのどんまい!つまりゼロ票でした。
「卵の殻つまみ出す指つっこみながら」って
めっちゃガタガタしてますね。
白身のかたまりに邪魔されながら、
ぬるぬるの中を小さい白い殻を指で探ってると、
ホント何やってんだって気持になります。

8月17日「はい」
新しいわたしをつくる「はい」だけで診断チャートをぐいぐい進め

正確判断とかの診断チャート、全部自分の反対を選んだら、
今の真逆になるのかと思うんですが、どうなんでしょうね。
ところでこのうたの結句というか締めの部分なんですが、
「進め」って微妙だったなぁと投票時間に入ってから気がつきました。
命令形のつもりだったんですが、
仮定形にも取れる表現ですよね。
こういう揺れは気をつけないといけないところですね。

8月18日「ルール」
水筒の麦茶ちゃぷちゃぷこどもらがルールの上を渡ってゆくよ

堂那灼風さんから評をいただきました。
そこで解説が欲しいってあったんで、
一応自解をコメント欄に入れておきました。
多重にイメージを重ねた感じに詠んでみたんですが、
チャレンジングな意欲がちょっと空回りしちゃったかなって気もうっすら。

8月19日「俳句」
まだ夏の暑さを曳きて橋を渡る高浜虚子へは連ならぬ吾

「俳句」って題、これは出さないと!
って意気込んだのはいいけど、
「俳句」をどう詠めばいいんだろうってちょっと悩みました。
で、俳句側から見た自分を詠むことにしました。
わたしは俳句では基本文語旧仮名を使うんで、
このうたもそれに準じる感じで。
って言っても旧仮名変換するポイントがたまたま無かったんですけども。
で、俳句に親しみがないと分らないことかも知れないけど、
「高浜虚子」って近代俳句の祖である正岡子規よりも
大きい存在だったりするんですよね。
単に正岡子規の弟子で「ホトトギス」という大結社の主宰だった
というだけには終らない、超ビッグネーム。
大概の有名俳人も、ずーっと師系を辿っていくと高浜虚子に辿り着くという。
ところがわたしは大須賀乙字師系を標榜している結社で育ってて、
虚子の系列ではないんです。
だから何かといえば別にそうだよっていうだけではあるんですけども。

8月20日「紐」
引けば秋のあかりとなりぬひんやりと薄暗がりにぶらさがる紐を

多分、昨日の「俳句」を少し引きずったところのあるうたかな
と自分でも思います。
「引けば秋のあかりとなりぬ」のところとか、
いかにもわたしがつくりそうな俳句の上五中七な感じ。
「り」が多くてちょっとうるさいですね。

スポンサーサイト

うたの日(8月2日~10日)出詠分まとめ


うたの日
しま・しましま出詠分

8月2日「靴下」
靴下をぬぐ片膝を立てながら長い旅路も半ばの顔で

太田宣子さんから評をいただきました。
靴下ぬぐとき片膝立てると逆に脱ぎにくくない?みたいな話が
その後ツイッターであった気がします。
子供の頃からの癖なんだと思いますが、
履くときも脱ぐ時も座って膝立ててることが多いですね。

8月3日「痛」
夢のなかで撃たれた胸に手をあてるどんな痛みもこの世のものだ

シュンイチさんから評をいただきました。
よく言われることですが、夢だから痛くないってやつ、
実際思い返してみても夢の中で痛かったこと思い出せないんですよね。

8月4日「注」
新聞でつくった筒に注ぐ水、なかったことには出来ない涙

マジックで新聞に注いだ水が紙ふぶきになるやつ、
子供の頃ホント不思議でした。
水が紙ふぶきにかわるというよりも
水がどこかへ消えて、紙ふぶきが突如現れる
そんなイメージで。

8月5日「泥」
逡巡のためのパンさえ持ってなくあっさり泥に足をしずめる

8月4日がアンデルセンの命日だったそうで、
ツイッターのTLにアンデルセンがちょこちょこ登場してたので、
こういう「泥」イメージにつながりました。
「パンを踏んだ娘」から想起した一首。

8月6日「いつか」
びしょぬれのままのホースを巻きながらいつか晩夏へかたむく西日

「いつか」という言葉を、「いつの間にか」の意味で使いました。
世間ではまだお盆前で夏真っ盛りな感じなんですが、
今って実は「晩夏」なんだよなあと。
ちなみに今年は8月7日が立秋でした。

8月7日「ベランダ」
銀河決壊したときの為ベランダは何も置かずにあけておく

太田宣子さんと太田青磁さんから評をいただきました。
以前から77575で詠んでみたいって思ってたのを
やっと形に出来たかなっていう一首。
太田青磁さんの書かれているとおり「銀河決壊」をどうしても頭に置きたくて、
普段なら77577の字余りで行くんだけど、
がたがたの落ち着かない形にした方が
なんとなくいいかなあって思って77575に。

8月8日「八」
白雪姫を足して八人こびとの家は息苦しさに魔女を待ってる

必然性のある「八」ってどんな「八」だろうって考えて、
「こびとの家」にしてみました。
この日、おなじ「八」の部屋に出されてた
加賀田優子さんの作品が、
多分同じところを詠まれてると思うんですが、
うわー、めっちゃ優しいまなざしだ!って思って、
これはもう絶対ハート!って感じでした。

8月9日「蛾」
身を焦がす熱はいらない 純白の蛾はまたたきもせず月を待つ

「蛾」というと、
自分の俳句なんですが、
「肉焼いて火蛾を親しくしたりけり」
がお気に入りで、
どうしても「火蛾」
つまり火(灯)に来る蛾をイメージしてしまうので、
それをあえて遠くしてみようと思った一首です。

8月10日「花火」
シャンプーの一部始終に目をつむりどおんどおんととおくで花火

かざなぎりんさんから評をいただきました。
見なかった花火を詠んでみました。

うたの日(8月1日)


うたの日

8月1日のお題は「後」「雫」「あるある」「ポケモン」「おっぱい」でした。
と、
当たり前のように書き始めましたが、
実に一ヶ月近くのブランクがあるんですよね。
まあ、
うたの日参加自体は、
この間書いたように、
ちょこちょこやってはいたんですけども。

というわけで、
また8月からは、
しま・しましま名義でやっていって、
毎回になるかは分りませんが、
感想をここに書いていきたいと思ってます。
さて
この日は「雫」で出しました。
閉じた傘のしずくで描くたくさんの星座がどれもうっすら歪(しま・しましま)
うちの玄関前はコンクリートのたたきになってて、
そこでがっつり傘の雫を切ってから
玄関に入ります。
「閉じた傘の」と、ここ、
字余り覚悟で言うほどの情報なのか、
説明的なフレーズなんじゃないかと
自分でもうっすらと思うんですが、
開閉でばしっばしっと水滴を飛ばしても
星座っぽく見えないこともないので、
ここは雫のたれる傘でひっかいた星座の感じを出したかったのと、
初句で字余りして、
結句「うっすら歪」のどことなく不安定な体言止めを
より不安定な雰囲気にさせられるかな
って気持から、
「閉じた傘の」で決定してみました。
多分「歪(いびつ)」よりも
「歪む(ゆがむ)」の方が安定感はあるかなぁと思いつつ、
あえて。

この日ハートを入れたのは、
木蓮さんの
霧けむる山の雫に魅せられた君が白馬と同化してゆく
うたの日に
白馬が白い馬なのか地名なのかがはっきり分りませんでしたが、後者かなって思って詠みました。結句の「同化してゆく」の余韻がいいなと思いました。高原の涼しさとかのびやかさとかリリカルさがあって、ステキでした。
と、コメントを入れましたが、
作者の木蓮さんのお話では、白い馬の方だったみたいです。
わたしは、
瑞々しい山に魅せられた人が、
だんだんとその山と呼吸を合わせていって
ついに同化していってしまうようだ
みたいな感じかなって思ったんですが、
ちょっと違ってましたね。
ところで、
このうたを拝見してぱっと、
西東三鬼の
白馬を少女瀆れて下りにけむ
という俳句を思い出しました。
あれも、白い馬か、白馬岳かという
二つの読みをされた俳句だったと思います。
この俳句のイメージもあって、
このうたには、三鬼の俳句とは逆に、
手の届かないぐらいの清らかさがあるなって気がしました。

音符を入れたうた。
都草さんの
夏草に朝の雫が並んでる一つ一つに丸い青空
一読して、光景がすぐに浮かんで来て、
夏の明るさ、早朝の爽やかさが感じられるうた
って思いました。
「草」の「雫」に「丸い青空」という景を、
丁寧に詠まれててそこがいいなって思いました。
うたの日で、
「並んでる」のい抜き言葉がやや幼く感じられて気になる
って書きましたが、
そうでもないのかな
って思って、
だとしたら申し訳なかったかなぁと反省してます。
もしかしたら、
これはわたしだけの感覚なのかも知れないので、
話半分以下で受け取ってほしいところですが、
ちょっとだけ続けさせてください。
日常の中のちょっとした発見って
子供の得意分野っていうか、
大人だと、当たり前の光景過ぎて気にならないところに、
ぱっとスポットライトを当てて感激しちゃうっていう、
こども心みたいなものがないと
詠めないところかなって気がします。
この大人だけどこども心、
みたいなギャップがステキなポイントかなって思うと、
表現に大人っぽさがあると、
よりステキになったかな
って思った次第です。
文月郁葉さんの
湯あがりの肌が弾きし水滴のひとつかわれも易く抱かれて
セクシーで、
且つ影があるところがステキなうたでした。
「湯あがりの肌」は、
主体自身の肌なんじゃないかと思ったんですが、
その自分の肌が弾いた「水滴」に、
自分自身を投影するっていうところが
なんだかハッとさせられました。
「易く」という言葉もどきっとさせられました。

| ホーム |


 ホーム