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しま・しましま

Author:しま・しましま
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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(10月18日)


10月18日のお題は「墓」「足」「外」「離」でした。

「外」
受けて立つとは手を汚すこと不器用にアサリの殻を外しつづける(しま・しましま)
なんかでっかく出ちゃった気がしますが、
実際、受けて立つって、あんまりカッコいいものではない
ような気がしてます。
わたしのもう一つのブログの方で、
おととしの暮れに書いた記事に、
「諦めるとは受けて立つことではないか」
ってのがありますが、
まあとにかく受けて立つ、腹をくくる、みたいなことは
大なり小なり日常に溢れてますが、
少なくとも私の場合は
たいがいかっこ悪い感じですね。
ちなみにホント不器用なので、
ボンゴレのアサリもつい手を使ってしまいます。

ハートを入れたうた。
たかだ牛道さんの
日の暮れて外回りより戻り来ぬ ほほゑみを脱ぐ鏡のわたし
このうた、
わたしは会社に戻ったと読んだんですが、
どうなんでしょうね。
「外回りより戻り来ぬ」ですから、
外回りから直帰、ではないような気がします。
で、そこがすごく面白いなと思ったんです。
対人用の、よそいきの外面、
そういうものを我が家に帰ってやっと外す、
みたいなことってよく見かけますよね。
それだけに誰もが共感するところだとも言えますが。
それが、自分の家ではなくって、
まだ会社っていうところが、
おおーって驚きでした。
ここで全部の鎧を脱ぐわけではないと思いますが、
営業用の「ほほゑみ」だけでも
会社で外すことができる。
ある程度、会社にホーム感があるんだろうなって気がしました。
それを脱いだら、
リラックスした顔になるのか、
仏頂面になるのかは分りませんが、
それがそのまま出せる、ってことですよね。

音符を入れたうた。
小川けいとさんの
君はもう外側にいて冷めた目で私がたたむ傘を見ている
うわー想像するだけでもう、
なんかいたたまれないような情景って思います。
「もう外側にいて」「たたむ傘」
ってことは、
少なくともさっきまでは同じ傘の内側に居たんだと
思われるんですが、
目的地に着いたのか、
あるいは雨があがったのか、
二人とも傘を必要としなくなった、
って情景ですよね。
傘をたたむのが主体ということは、
傘を掲げていたのも、もともと傘を持っていたのも、
主体、ということと思います。
この「君」が、
主体とどういう関係にあるのかはわかりませんが、
たまたま行き先が同じで、
傘が主体のもっていた一つしかなかったから
仕方なく相合傘になってしまった知人とか同僚、
みたいな距離感ではないだろうなって思います。
多分、想像ですが、
そういう人なら、なにかしら言葉があると思うんですよ。
単純に感謝の言葉だとか、
間をもたすための軽口だとか、
なにかしらね。
ところがこのうたの「君」は
「冷めた目で」「傘を見ている」という。
なんだろ、この感じ。
それに気づいてしまう「主体」がまた、
うーん、なんかいたたまれない。

潤さんの
戦力外通告を受けみずいろのサマーワンピースは頽(くずお)れる
着用してない状態の衣服を詠む
って色々とあると思いますが、
「戦力外通告」を受けた服って
面白いなぁって思いました。
「頽れる」っていうのは、
ショックの余りその場にへたへたとしちゃう
みたいな言葉ですよね。
そうか、そういう漢字を使うんだ
ってちょっと勉強させてもらいました。
って、ちょっと脱線しましたが、
夏用の薄手の生地のワンピースを、
うーんこれは、
もう着ないな…って床に落とした状態でしょうか。
いかにもサマーワンピースの質感っぽいです。
このうたで特に面白いなって思ったのは
「戦力外通告」をした(と思われる)側が、
された側に成り代わってそのショックを表現してる
っていうちょっと皮肉なところ。
でも、その皮肉さが、あんまりつよくないのは
「みずいろのサマーワンピース」のもつ
明るさとか爽やかさかも知れないなとか
思ったりしました。
ちょっとリズムが悪いのが気になりましたが、
面白いうたでした。

おたまじゃくし先生さんの
節分でない日も僕ら思ってる とにもかくにも鬼は外って
このうた、
なんともいえない軽さが魅力的だなって思いました。
まず「節分でない日も」て
いきなり唐突ですよね。
で、「鬼は外」。
「外」っていうお題から「鬼は外」が浮かんできたのかな、
とにかく「鬼は外」だったのかな
ってぐらいの唐突さなんですが、
あーたしかにそれはあるねってなっちゃって
そこもちょっと面白い感じ。
「鬼は外」と「節分」。
もともと「鬼遣い(おにやらい)」って宮中行事だったんですよね。
疫病を蔓延させる鬼を払う、みたいな。
たしか岡野玲子の「陰陽師」にも
そういうシーンがあったような。
まあそれがだんだんと一般化したと。
そうやって行事的なアクションを起こすのは節分の日だけだけど、
いつだって鬼=負の要因は
外に出てって欲しいし、
もっと言えば外にあってほしい。
そうおもうと、
「とにもかくにも鬼は外」だよねぇ。
とか思いつつ、
このうたはそういうぐだぐだとした鑑賞を
振り払うようにふわっとかるい詠み口で、
そこが魅力的だなあって思います。

うたの日(10月17日)+うたの人


10月17日のお題は「散歩」「残」「エロ」「答」でした。

「答」
一番いい答えをさがす明太子じわじわ箸でほぐしていって(しま・しましま)
この日は、
ちょっと帰りが遅くなっちゃって、
気が付いたら「エロ」と「答」しか部屋が残ってなかったという。
「エロ」で考える時間もあんまり残されてないし
詠める自信もなかったので「答」を選びました。
という感じで、
だいたいわたしが「答」を出すのって、
こういうぐだぐだの末の消去法だったりします。
一番いい答え、なんてずるいことを考えながら、
ずれたところでぐだぐだしてる。
そんな感じ。

ハートを入れたうた。
多田なのさんの
質問のかたちじゃなくてもいいからね全部にうんって答えていくよ
うーん、これは……
なかなか攻撃的なうただなってまず思いました。
やだ面白い!(やじゃない)
って思ったんですが、
それをどう言葉にしたらいいかちょっと難しい。
うーん。
「全部にうんって答え」るって
それだけだと、平和な雰囲気もするんですが、
「答えていくよ」って宣言してるようにも見えて、
おっ
ってなります。
問答無用で肯定するよって、
それはなかなか想定外の挑発で
それだけでも面白いなっておもうんですが、
それがしかも
「質問のかたちじゃなくてもいいからね」
と前置きされてるところが
ほんとアグレッシブで面白いです。
どういう状況で、
どういう相手に対する言葉なのか、
具体的なことはまったくうたに登場しないんですが、
思わず引き込まれる力強さが好きだなって思います。
あれこれうたの背景を想像するよりも、
自分(読者としてのわたし)に
直接つきつけられる言葉みたいに読んで、
妙に惹きつけられるうたでした。

音符を入れたうた。
静ジャックさんの
青春に正しい答えなどないと助手席で聴く中島みゆき
うたの日に
中島みゆきさんに疎いので、よくわからないんですが、「青春に正しい答えなどない」って何かで歌ってらっしゃるんでしょうか。
「助手席で聴く」というところに微妙な味があるなぁって思いました。
とコメントしたんですが、
ホントに中島みゆきさんに疎くて申し訳ない。
「青春に正しい答えなどない」が、
実際のところ
カーステレオで聴いた中島みゆきの歌なのか、
そういう心情に至った主体が助手席で
中島みゆきの歌を聴いているのか、
どちらかなんだろうなぁ。
わたしがもう少し中島みゆきについて知ってたら、
どっちで読むべきか分るのかも知れないですね。
で、
こっからはいつもの深読みなんですが、
主体が「助手席」にいるっていうのが、
ポイントだなぁって思うんですよ。
誰かに車に乗せてもらってるわけですよね。
多分、中島みゆきも、
ドライバーの好みかなって思われます。
色々なシチュエーションが浮かんで来ますが、
まだ自分で運転してどこかへ行く
ということの出来ない年齢の主体が、
自身の悩みになんとか答を出そうとしてて
結局
「正しい答えなどない」と知る。
それも、「青春に」、なので
もうしばらくはこのまま悩んだり失敗したりしてていいんだ
って思うって感じかなぁ。
すぱっと爽やかな感じがあまりしないのは
全体的に受動的な感じがあるからでしょうか。
そういうところも、
未成年ゆえのはがゆさみたいでいいなって思いました。

まここさんの
Aばかり続くマークシートは怖いけど選んでほしいずっとあたしを
マークシートにAばかりチェックが付いてること自体は、
ああ、こいつ投げやがったな
って感じもしないでもないですが、
もしそれが全部正解だったら、
たしかに怖いかもって思います。
でも、ともだちとして、恋人として、配偶者として、
パートナーとして選ぶなら、
答は全部「あたし」を選択してほしい
っていう。
ストレートに「選んで欲しいずっとあたしを」
っていうところ、嫌いじゃないなぁって思います。
しかも倒置法で最後に「あたしを」って持ってくるあたり、
受身のようでいて、これはそうとう押しが強いなぁ
って思うと余計に
うん、嫌いじゃないなぁって思います。


ところで17日はうたの人の結果発表の日でもありました。
わたしは今回不参加で、
選評にも参加しなかったんですが、
あとから、
(作者の名前込み・各評込みになりますが)
面白いなって思ったのは、
ねむけさんの
なつかない猫が今夜はオレの書くヘタな手紙をずっと見ている
雀來豆さんの
結論は助けてからにしませんかスープの中に落ちた子猫を
スコヲプさんの
逃げるのも生きるためだと傍らに猫を背負えるようなリュックを
えだまめさんの
肉球と握手をさせてくださいと 少年Aは今朝も立ち寄る
西村湯呑さんの
買ったコレ「猫まねき」なんじゃないのって笑ったぼくらに福がきていた
でした。
「なつかない猫」って、まじで近寄りもしないですからね。
それが手紙を書くのを近くにきて「ずっと見ている」。
猫、来てるなってことは気が付いても、
苦心しながら手紙を書く事に集中してる主体がいいなって思います。
「スープの中に落ちた子猫」は、
なにか食卓で議論してる二人の手つかずのスープの皿の中に、
いたずらな子猫が落ちちゃった、
みたいなシーンを想像しました。
「猫を背負えるようなリュック」の、
最低自分とペットの猫の命だけは、という身軽さがいいなぁ。
「肉球と握手」したい「少年A」、
線が細い中学生ぐらいを想像してしまいました。
猫の飼い主である主体も、なんとなく気になる少年なんでしょうね。
「猫まねき」で福じゃなくて猫があつまって、
それからちゃんと「福」がまねかれてたことに気づくっていう、
ふわっと軽くてやさしいの、いいなあ。

うたの日(10月16日)


10月16日のお題は「黄昏」「黒糖」「紅葉」「茶髪」でした。

「紅葉」
わたしたちは火に飢えていて紅葉の燃え立つような朱にも触れる(しま・しましま)
村田馨さんから評をいただきました。
はい、「紅葉」を「燃える」と表現するというのは
非常にベタです。
わたしも、俳句でそういう表現があったら、
多分問答無用でスルーするかと思います。
そんなベタな表現から、
逆にリアルの「火」が引き出せたらおもしろいな
っていうのがこのうたの始まりでした。
ちなみに「紅葉」は、
「もみじ」と「こうよう」と二通りの読み方がありますが、
このうたの場合は「こうよう」と読んでほしいです。
そして「朱」も、
「しゅ」ではなくて「あか/あけ」と読んでほしい。
あか、あけ、その辺はどちらでもかまいませんが。

ハートを入れたうた。
淡海わこさんの
つべたいと差し出すお手々はもみじ葉のようだ手袋編んであげるね
幼い子供の手を紅葉のようだとするのは、
これもまたベタです。
ベタっていうか、
紅葉のような手というのが慣用句として
辞書に載ってるぐらい。
でも、それに
「つべたい」っていう子供のそのままの言葉と、
「手袋編んであげるね」というアンサーが乗っかって、
ほわーっと気持が温かくなるようでした。
「お手々」「もみじ葉」「手袋」「編んで」(手編み)
と、手に纏わるワードが並ぶところも
あったかい感じ。
一つだけ難を言えば、
「お手々」という表現がやや気になるかも。
「つべたい」という言葉や
手が「もみじ葉のよう」というところから、
この手が子供のものだっていうことはわかりますし、
何より、
「もみじ葉のようだ」というかための言葉は、
主体の心情だと思われるので、
「お手々」とそこだけ幼い言葉になるのは
ちょっと違和感があるかなぁって。

音符を入れたうた。
一〇〇八さんの
ワイパーにつかまっているもみじ葉がずっと手を振る ずっとさよなら
車のワイパーの端っこに、
はらりと落ちた紅葉の葉っぱがひっかかってて、
発車させた後も飛ばされずに、
ずっとフロントグラスの端っこでひらひらしてる、
みたいな情景かと思います。
これも、
「紅葉のような手」という慣用句からの連想
かも知れません。
その状態を「つかまっている」と言い、
「手を振る」と言ってるところとか
そんな感じがします。
わたしがこのうたでいいなって思ったのが
結句の「ずっとさよなら」。
一マスあけの「ずっとさよなら」が
ホントいいなあ。
最初主体は、
もみじの葉がひらひらしているのを
「ずっと手を振る」と見て、
その後、
あ、これは「さよなら」なんだ
って気が付く、みたいな時間があったような気がします。
で、
「ずっとさよなら」。
「さよなら」って一過性っていうか
別れのその場だけのことだと思うんですが、
それが「ずっと」続いてるっていう矛盾。
何か辛いことを、
ずっと目の前に突きつけられているようにも思えて、
なんだかさみしいというか、
つらい情景だなあって思ったりしました。
実際の景は、多分秋らしい微笑ましい情景だと思うのに、
「ずっとさよなら」と結論付けられている意外性が
いいなって思いました。

うたの日(10月15日)


10月15日のお題は「鋭」「梨」「世界一」「栞」でした。

「栞」
君がさした栞はずっと動かないどうやら誰も死なないようだ(しま・しましま)
きつねさんから評をいただきました。
我が家では、ほぼ本を読むのはわたしのみ。
かろうじて、長女が読むかなぁって程度。
次女にいたっては、
マンガですら長くは読んでいられない
っていう。
幼い頃から、絵本や本が家に沢山ある環境で、
読み聞かせも「ねないこだれだ」から
「ハリーポッター」まで、いろいろしてたんですが、
うーん、
こういうのも個人差だなぁって思いますね。
これから話が大きく動くんだよ、始まるんだよ
ってところでずっと止まったままだと、
やっぱり気になりますね。

ハートを入れたうた。
宮本背水さんの
ふくろふの羽根をしをりにホメロスの叙事詩を猫に読み聞かせけり
音読ってけっこうハマりますよね。
出来れば聴衆が欲しくて、
わたしは家族に無理矢理聞かせたりしてましたが、
このうたでは「猫」に読み聞かせてる。
猫ですからね、
全然聞いてくれないどころか、
下手したら一章もまたずにあっちへ行っちゃうかも。
そうなるとやっぱり栞が必要になってきますよねぇ。
って、
かなり自分にひきつけて読んでしまいました。
とはいっても
このうたの場合はとにかく道具立てがステキで、
そんな自分の俗っぽいのとは全然雰囲気違うんですが。
このうたの
「ふくろふの羽根」
これはもう、ホメロスのために用意したものなんだろうな
って思います。
もしかしたら羽根が手に入ったので、
ホメロスの叙事詩を読もうと思い立ったのかも。
もしかしたら、
猫も、単なる聴衆として選ばれたんじゃなくて、
神話の登場人物から名前を貰った猫だったのかな
とか、
楽しく想像が膨らみました。

音符を入れたうた。
焼きみかんさんの
あなたから借りた歌集に挟まれた栞 DOUTORのレシート¥220
このうた、最初は
下の句、大胆な破調だなって思いました。
「あなたから/借りた歌集に/挟まれた/栞(…)DOUTORの/レシート¥220」
最後の「¥220」は「にひゃくにじゅうえん」って読むのかな。
さすがに結句でここまでの字余りは
字余りというよりも破調って言った方がいいぐらい。
どちらかと言えば目で読む系かなぁ。
でも、うーん
と、考えながらもう一回読んでみて、
「あなたから/借りた歌集に/挟まれた栞//DOUTORのレシート/¥220」
で全体的に字余りを分散させて読む方が自然かな
って思い直しました。
うん、すっきり読める気がする。
で、
このうたは、
借りた本にドトールのレシートが挟まれていて、
きっとこれを栞の代りにしたんだろうなって
作者が思ってるっていううたって思います。
もうちょっと深読みすると、
220円ってことは、コーヒー一杯ぐらいだから、
買ったコーヒー飲みながら歌集を読んでたのかな、
このページに気になるうたが載ってたのかも
みたいな想像がふくらみます。
「あなた」の私生活をちらっと覗き見したみたいな
ちょっとしたサプライズな栞って感じがします。

西淳子さんの
図書室で爆弾の絵が描いてある栞を本にはさみ立ち去る
うたの日で他の方も評にかいてらしたけど、
梶井基次郎の「檸檬」をふっと連想させるうたでした。
檸檬より直接的で、且つ迂遠な感じの
「爆弾の絵が描いてある栞」、
いいなって思いました。
書店でも図書館でもなくて
「図書室」っていうところ。
すぐに学校を連想して、
思春期の鬱屈をこういう形で晴らす
みたいな感じに思いました。
誰にも気づかれない、真意は伝わらないだろう形。
そして、
それにはやっぱり「立ち去る」までが
一セットだよなぁと
ひとりうんうんと頷いてました。

nu_koさんの
思い出の栞みたいなあの歌がふいにながれてラジオを消した
思い出の歌
っていうか、特定の思い出を引き出す歌って
たしかにありますよね。
それを
「思い出の栞みたいな」って表現されてるところが
いいなって思いました。
「みたいな」が好きだなぁ。
そこはさらっと触れるだけ、みたいな流し方って
そんな気がします。
このうたの眼目っていうか、
ここだよねっていうのは
「ふいにながれてラジオを消した」
にあるんじゃないかなあって思うので。
自分にとって大切な歌で、
折に触れて思い出すものではあるけど、
今ここで、「ふいに」聴かされたくないんだ
って感じがします。
結句の「ラジオを消した」
っていうアクションのその後の、
無音がじわっと余韻のように広がる感じもいいなって思いました。

うたの日(10月14日)


10月14日のお題は「太陽」「端」「折」「ください」でした。

「端」
秋霖の傘をはみ出すつま先が蹴り上げている雨の切れ端(しま・しましま)
松岡拓司さんと久哲さんから評をいただきました。
「秋霖」は秋の雨。
ただの雨じゃなくて、長雨のことです。
雰囲気のある言葉なんで、
逆にちょっと強めっていうとか乱暴な言葉を使ってみました。

この日は7時過ぎから10時半ぐらいまで句会があったので、
票を入れるのが精一杯で、
うたの日にコメントいれられませんでした。

ハートを入れたうた。
だっきーさんの
のびのびとしたくて一人旅なのに湯船は端に座ってしまう
あるあるな楽しいうたでした。
広い温泉に浸かってるシーンとか想像すると、
面白いですよね。
もっとゆったりできる広さがあるのに、
「端に」、
しかも「座ってしまう」っていう言い方が面白いです。
「のびのびとしたくて一人旅」なのに
気が付くとつい、
みたいな
ちょっとしたトホホ感。
「座ってしまう」っていう結句の雰囲気も好きですね。
ふっと気づいてしまった、みたいな感じで。

音符を入れたうた。
むうこさんの
弁当に毎日入る卵焼きおいしい端っこ最後に食べる
うたの日の評とご本人のコメントを見ていて、
「玉子巻き」「卵巻き」って言葉が出て来るんですが、
ん、いわゆる卵焼きではないのかな?
って今ちょっと混乱してます。
「弁当に毎日入る」ってあるんで、
「卵焼き」で考えていいんですよね?
お弁当に入れる卵料理、いろいろ在りますが、
やっぱり大定番は卵焼きって思います。
だし巻きではなくて、
もうちょっと庶民的な
ちょっと甘い卵焼きとか。
で、
主体はその「端っこ」がお好きなんですね。
それを最後に食べる、と。
なんだろう、めっちゃかわいいなって思いました。
端っこがおいしいとか、
それを最後に食べるとか、
超個人的な話なんですが、
それをストレートに詠まれてるところがかわいいのかも。
「おいしい端っこ」って表現も
かわいいですよね。
「弁当に毎日入る卵焼き」の「おいしい端っこ」を/は「最後に食べる」
ていう、助詞の省き方がちょっとカタコトっぽくて
このかわいい感じを増幅させるような気がしました。
「おいしい」って人を無邪気にさせるような気がします。

アサノツキさんの
端っこで控えめにVサインする人とだいたい気が合う不思議
写真撮影とかそういう場面で、
って感じかなと思います。
たんにいつも「端っこ」にいる人ではなくて
そこで「控えめにVサインする人」
っていう、控えめだけど場の空気とかも読める人、かな。
もしかしたら、
主体自身もそういうところがある人かもとか思います。
最後の「不思議」は、
要らないかなぁって気もしますが、
「端っこで控えめにVサインする」っていう
確かにいるいるーって思うんだけど、
とっさには出てこないような人を
「端」っていうお題で出されてるのがいいなって思いました。

小川けいとさんの
吹き溜まりゴミが集まる場所がある車両の端に心の端に
風や人の動きなんかで小さな埃とかゴミとか、
そういうものが溜まる場所として
「車両の端に」「心の端に」と並べられてるところ
あっと思わせられました。
最初にぱっと電車の床の隅っこの映像が浮かんで、
次に、映像化できない「心の端」っていう
この並べ方、うまいなぁって思います。
普段生活してるときは、
そんなに気が付かないんだけど、
きっとちょっとした気がかりとか、
忘れたつもりの悩みなんかが、
心の端っこに吹き溜まってるままなんだろうなって。
それが、
先に「車両の端に」と、
映像化しやすいものを出されたことで、
よりくっきりと、
それと、最後につよく残る印象として
「心の端に」が効いてる気がします。
ちょっとだけ気になったのが
「吹き溜まりゴミが集まる場所」のところ。
「吹き溜まり」って名詞として考えると、
つまり「ゴミが集まる場所」とほぼ同意ですよね。
このうたの場合はもしかしたら
「吹き溜まる」の活用として使われてるのかもしれませんが。
でも、なんとなく違和感が残るような気もします。

うたの日(10月13日)



10月13日のお題は「落葉」「ぎりぎり」「浮」「交差点」でした。

「浮」
浮かばれない枕だったねこわい夢ばかりぐっしょり吸わされちゃって(しま・しましま)
一時期、怖い夢をたて続けに見ていたことがありました。
だいたい死体を隠して生きている
っていう設定の夢だったんですけども。
ある時は、匂いをすごく気にしてる夢で
ある時は、布団に死体を隠してるんだけど、
どう見てもつま先がその布団から出てて、
誰か来たら絶対にばれるなって思いながら、
でも死体に触りたくないからそのまんまにしてる
みたいな夢。
その後そういう方向の夢は見なくなったけど、
あの頃はどういう心理状況であんな夢ばかり見てたんだろう
って思います。

ハートを入れたうた。
守宮やもりさんの
(取り取りのスーパーボール浮かぶ風呂)海賊船は勇ましく行く
楽しいうたでした。
「海賊船は勇ましく行く」
いいですよね。
「海賊船」「勇ましく」「行く」
どれをとっても、心が沸き立つようなフレーズ。
現実世界の海賊っていうとソマリアなどの
そんなカッコいい憧れのものではないんだけど、
ONE PIECEとかパイレーツ・オブ・カリビアンとか、
いや、それらの作品がまだなかった頃から、
何か「海賊船」はロマンのかたまりみたいな存在でした。
このうたは、
お子さんとお風呂に入って、
一緒に遊んでるシーンかなって思います。
たくさんのスーパーボールとオモチャの船を浮かべて。
たぶん、船はふつうのお船のオモチャだったりするんだろうな、
この日は海賊になりたかったんだろうな
って楽しく想像しました。
上の句の
「(取り取りのスーパーボール浮かぶ風呂)」
はリアルの情景を描いたものですが、
それが()で閉じてある事で、
それは一旦置いておいて、みたいな感じになってるところも
楽しくていいなって思いました。

音符を入れたうた。
ミルトンさんの
乗客は助かったのかまっしろな紙飛行機が浮いている池
こちらもおもちゃの乗物のうた
って言えるかな。
メインは「紙飛行機」ではなくて、
それが浮いている「池」ではありますが。
目の前の池に、
ぽつんと白い紙飛行機が浮かんでいる。
「まっしろな紙飛行機」なので、
まず目に飛び込んできたのがこの紙飛行機なんだろうなって
そんな気がします。
どこからか飛んできて、
この池に墜落してしまった紙飛行機から、
リアルな飛行機事故を連想されたのだと思います。
実際にどこかで飛行機事故があって、
それへの思いなのかも知れませんが、
わたしは、この紙飛行機の乗客、と思って読みました。
「飛ぶ」という観点からしか考えてなかった「紙飛行機」に
「乗る」っていう見方もあったのか
って思って、ハッとさせられました。

うたの日(10月12日)


10月12日のお題は「おでこ」「関係」「ベッド」「燃」でした。

「燃」
どっちに付けば正解だろうこまごまと不燃可燃を分別しつつ(しま・しましま)
かざなぎりんさん、ぶ太郎すさんから評をいただきました。
自分ひとりのことだったら、
まあ適当でもよかったりするんですが、
相手がいることだと、
これがなんだかうだうだ考えちゃうんですよね。

ハートを入れたうた。
下弦さんの
「燃やしたいものがあるなら持っといで」青い帽子のおじさんが言う
一読して、ちょっとぞわっとするような、
でも考えてみれば普通の、焚火かなんかしてるおじさんか
と思ったり、
でもやっぱり
ちょっと怖いようなところがあるうたで
そのちょっと怖いところが魅力的なうたでした。
「燃やしたいものがあるなら持っといで」
という、
話し言葉がいいですよね。
ほんとにそうやって声を掛けられたみたい。
うちの祖母なんかも、
家の前にあるささやかな畑スペースで火を焚いて、
燃やしてあげるよって言ってました。
きっとそういう、「ついでだから」っていう感じで
声を掛けてくれたおじさんなんだ
って思うんですが、
でも、
なんでも燃やすことが出来るおじさん
という可能性が捨てきれない。
「青い帽子」も、
普通の作業用の帽子じゃなくて、
なにかあやしげにおもえちゃって。
この日常の中の景のようにも思えるけど、
もしかしたら……っていう怖さがすごく好きです。

音符を入れたうた。
梶原一人さんの
変電所どこかで燃えているらしいぼくのたい焼き冷たいままだ
ちょうどこの日、埼玉の変電所で火災があって、
そのために都内を含めた大規模停電が起きたんだとか。
わたしは関東から遠くに住んでるんで、
へー
ぐらいの感覚でニュースを見てたんですが、
このうたの主体は、
多分その影響下にあるどこかにいるんだと思います。
でも
「変電所どこかで燃えているらしい」
って、結構他人事っぽい捉え方。
そんなことよりも、
「ぼくのたい焼き」の冷たいままなのが
気になる事だから、
遠くにある原因よりも、身近なこの結果だから
みたいな。
この、時事ネタをさらっと詠み込んであるところが
上手いなぁって思いました。
ガタッと席を立つような勢いで詠むんじゃなくて、
さらっと触れて自分のフィールドに持ち込んじゃうところとか
こういう捉え方好きだなって思いました。
そういうものだよねって共感できるというか。
今日でなければ詠めない/読めないうたっていう
そういう作者と読者が同時に体験したことを読んでいるんだけど
今日でなければ読めないうたに留まらない、
そんな共感があるうたって思いました。
完全な他人事で、どうでもいいって思うんじゃなくて、
たい焼きが冷たいままっていう心もとない思いをしてる
っていうところもいいなって思いました。

たかだ牛道さんの
燃えやすいものから燃やす順番で桃色豚は一番になる
情景がぱーっと浮かんで来るうたでした。
うたの日に
このうたを読んで、いろんな不用品、思い出の品をどんどん焼いていく情景が浮かんできました。「桃色豚」は前の彼からのプレゼントのぬいぐるみだったりしてとか楽しく想像してしまいました。
ってコメントしたんですが、
この、わたしが思い浮かべた情景、
今改めて考えてみると
「桃色豚」というフレーズからの連想かなって思います。
「桃色豚」、ん、なんだろう
って疑問から、
ピンクのぶただな、ぬいぐるみかな
ってなって、
それが
燃やそうとした時に一番燃えやすいと判断される
そして一番先に燃やしてもいいやって思われる
ということは……。
みたいな感じでした。
そういう風に思うと、
あとからあとからわーっとその周りのドラマが想像されて、
楽しかったです。

ヤシローさんの
走っても走ってもおれの愛すべき脂肪はいまだ燃えず現役
面白くてつい音符を入れてしまいました。
ダイエット始めたら、誰でも思うところですが
「おれの愛すべき脂肪」っていうところがいいですよね。
おじさんぽいユーモアだけど、
そこがなんとも言えないとぼけた味になってるなぁ
って思います。
ちなみに、有酸素運動って、
まず血液中の脂肪から燃焼するらしいんで
皮下脂肪にあまり変化がないように見えても
血液はサラサラになってる
ってことはあるかも。
このうた、リズムも面白いんですよね。
句またがり句またがりでラップっぽくて。

票を入れなかったうたについても少し。
知己凛さんの
燃えるゴミ燃やせるゴミのどうせなら燃えるの方でお願いします
可燃ゴミの表記で、
「燃えるゴミ」と「燃やせるゴミ」って
どっちもありますよね。
このうたではそれを
「燃えるゴミ」の方にしてほしいっていう。
ささいなことだけど、
自分なりに理由があってこっちの方が好ましいんだけど
みたいなことってありますよね。
譲れないってほどじゃないけど、
できれば、みたいなそういう感じかなって思います。
そういう機微をすくった感じ、
好きな感じではあります。
ただ主体の「燃える」推しの理由がわからないのが
わたし的にネックになってしまいました。
「どうせなら」「お願いします」
という、唐突な陳情感。
「どうせなら」ってあるけど、
多分、表記を統一しようとか、
そういう提案があった、みたいな前提はないと思うんですよ。
でも「どうせなら」って言っちゃう。
これはかなり面白いなぁって思ったんですが、
同時に、
「どうせなら」っていうぐらいには
推したい理由があるんだろうな
なんで「燃える」の方がいいんだろう
って、つい疑問を持ってしまうんですよね。

票を入れなかったけど感想書いてもいいですか
ってお願いに、
挙手してくれた知己凛さん、ありがとうございました。
この間の小川けいとさん、塾カレーさんも
いいよって言ってくれたので、
書かせてもらいましたが、
ホントにありがとうございました。
なんでこのうたに票を入れなかったんだろうって
翌日になって読み返して、
それを文章にするって
なかなか刺激的でした。

うたの日(10月11日)


10月11日のお題は「納豆」「裸」「チャンス」「ゆらさんの写真」でした。

「納豆」
今更なねばりと思う納豆のフィルムが指にはり付くなんて(しま・しましま)
今回どのお題も難しそうだなって思って
「納豆」にしましたが、
やっぱり難しいですね。
家族は納豆食べるんですけど、
わたしは食べないんですよねー。
っていうか
家族に同意をもらえないんですが、
納豆、うっすら苦くないですか?
はっきり苦いのは大丈夫なんだけど、
うっすら苦いのって駄目なんですよ。
金柑とか銀杏とか。

ハートを入れたうた。
えんどうけいこさんの
納豆をパンにはさんでいる君が朝の普通の風景となる
そこいくと、
このうたで詠まれてる「君」は、
多分めっちゃ納豆がすきなんでしょうね。
オリジナルの味わい方をゲットするぐらい。
いやそういうの、クックパッドとかで探すと
けっこうあるんで、
好きな人にはアリなんでしょうね。
で、
主体も初めてそれを食べているのを見たときは
びっくりされたんでしょうね。
「普通の風景」ではなかった。
でも、それもいつか「普通の風景」になってしまうぐらい
そんな姿を見てきたってことですよね。
しかも「朝の」ってことは、
多分一緒に暮らしはじめてから、
ってことなんだと思います。
いいですよね。
ゆるやかな時間の経過と穏やかな朝が想像されます。
多分、主体自身は、
この納豆サンドは食べたいとも思ってはなさそうですが。

音符を入れたうた。
一佇さんの
納豆をかきまわしつつ粘り気を増しゆく今朝の子の口ごたえ
うたの日のコメントに、
おもいっきり「お母さん」なんて書いちゃいましたが、
作者名が判明してみると、
これはどうやらお父さん、
なのでしょうか。
どちらにしても、
子供とずれた時間に食事をされているようです。
そこで、「今朝の子の口ごたえ」のことを
考えながら納豆をかきまわしてる。
うん、
ついかき混ぜすぎてしまうんでしょうね。
箸がだんだんその粘り気で重くなるように、
気持もずずんって重くなってるような感じがします。

希和子さんの
野良猫に餌やったのかと問われればしどろもどろで納豆をかく
このうたも面白かったですね。
いったいどういう状況にあるんだろう。
野良猫に餌ってことは、
やっちゃいけないこと、なのかな。
最近野良猫をよく見かけるけど、
まさか餌やってるんじゃないだろうなって
言われたんでしょうか。
で、心当たりのある主体は
しどろもどろになっちゃう
みたいな感じかな。
「納豆をかく」って表現も面白いですね。
あんまり聞かないことばだけど、
めっちゃ混ぜてる感じします。
不器用だけどやさしい人なんだろうなって、
微笑ましくもなりますね。

西村湯呑さんの
納豆のパックの積み重ねの上にあやうく立って明日も生きてく
うたの日の方にコメントを入れられなかったんですが、
毎日納豆を食べる習慣のある人なんだろうなって
まず思ったうたでした。
そういえば
納豆のパックって、
三個の納豆が重ねられてセットになってることが多いですよね。
くるっと巻いてあるやつを取ると、
とたんに不安定になっちゃうこととか思い出します。
そこまで頼り切ってるわけでもないだろうけど、
健康的な食生活、としての朝の納豆
みたいなところもあるのかな。
日々の生活は、
たぶん自分自身で、どっか頼りなく生きてるような
そんな感じではあるけど、
「明日も生きてく」っていうのが
いいなって思いました。

桜枝巧さんの
午前五時冷蔵庫から納豆と世界をひとつ取り出している
このうたも、コメントを入れられなかったもの。
ちょっと難しいうたですよね。
コメントしづらいというか。
冷蔵庫っていう閉じた入れ物の中に、
「世界」が入ってて、
それを「ひとつ」取り出すっていうのが
なんかいいなって思います。
「午前五時」、結構な早朝ですよねー。
こう、
一日が自分のこの行動から始まるんだっていう
そういう意味での「世界」なのかもって気もします。

うたの日(10月10日)


10月10日のお題は「自由詠」
全室「自由詠」なんですが、
わたしは最後の部屋に投稿しました。

「自由詠」
意地悪な姉さんたちとまま母のいない方の人生を生きてきました(しま・しましま)
須磨蛍さんから評を頂きました。
そうですね、たしかに四句目の字余りは多すぎました。
でもどの言葉も削れないーって今なってます。
一度全部分解して、再構築したほうがいいのかな。

ハートを入れたうた。
梶原一人さんの
玉入れの玉早々になくなった僕らの空はすこし明るい
このうたを読んだときまっさきに
玉を投げ入れていた玉がなくなった、
と読んでしまって、
全くそれ以外の情景を思い浮かべなかったんですが、
ほかの方の評を見て、
あっ、そうか、
籠に入った玉を数えながら出してって、
それが「草々になくなった」って
たしかにそういう場面とも思えますね。
っていうか、そっちの方がナチュラルだろって
思いました。
でも、こう、
競技中に見上げる空ともう投げるものがなくなった空との対比は
どの場面だとしてもいいなって思うんですよね。
ただ、勝ち負けでいうと、
はっきり違う結果になってしまうので、
「すこし明るい」の心理的な部分は、
かなり違っちゃいますね。
うーん、そう考えると難しいな。
でも、秋の空の高さと明るさの清々しさと、
どことなく虚をつかれたような雰囲気が
ホントすてきだなって思いました。

音符を入れたうた。
有櫛由之さんの
島を出る覚悟のやうに強い眼でコーヒーに湯をゆつくりそそぐ
このうたも、
結果発表後にほかの方の評を読んで、
あっ、というかあれっと思ったうたでした。
わたしは、「強い眼でコーヒーに湯を」注いだのは、
主体ではなくて、
主体の目の前にいる人物って思って読んだんですが、
どうなんでしょうね。
自分のことを描写するのに
「強い眼」って、
なかなか言えないんじゃないかなって思って、
これは主体がじっと見ている人なんじゃないかな
って読んだわけですが。
「島を出る覚悟」を固めるための時間のような、
コーヒーを入れるゆっくりした動作。
この人は島を出て行くんだなって思いながら、
それを見つめているんだなって思うと、
それまでに積み重なっていただろうドラマを感じさせて
いいなぁって思いました。

雀來豆さんの
私は、窓がひとつ欲しい 廃線を横切る鹿ときみを見るため
うたの日に
今見たいものがその二つしかないのかなって思うと、ちょっとさみしい窓ですね。二句目までのリズムの乱れが、うたにならない呟きみたいでいいなって思いました。
とコメントしましたが、
見たいもののうちの「廃線を横切る鹿」が
すごく印象的だなって思いました。
色々想像しちゃいますよね。
窓が欲しいってことは、
それは今「私」がいる家だと思うんだけど、
そこから見える(はず)の所にあるのは
「廃線」で
見たいものが
それを横切る「鹿」なわけです。
森のはずれの一軒家で、
その近くにはかつてはそこと町とを繋ぐ線路が生きていた
みたいなところを想像します。
メルヘンといえばメルヘンだけど、
心理的に引きこもっている人の場所みたい。
で、そこから見たいものが
「廃線を横切る鹿ときみ」の二つだけっていう。
「きみ」とすら繋がってはいないでいいんだっていう感じがして
さみしいなって思いました。

椋鳥さんの
人生にきみがいるならもう少し健康的に生きてみようか
この日書いたコメントのほとんどが、
あっ、もしかして読み違えてるかな
って思うところがあったんですが、
さすがにこれは読み違えてはない、
と思います。
歌意は一目瞭然ですよね。
誰かがいてくれるから、
いてくれる間だけでも生きたい、
より良く生きたい
って気になるのって、
当り前のようでいて、
そういう「きみ」が存在することの幸せって
なかなか得られないような気もします。
そして、
照れ隠しの迂遠な表現だとしても、
きみがいてくれてよかったと
思ってくれる人がいる「きみ」も羨ましいなっておもいます。

うにがわえりもさんの
目の前がきれいな花でいっぱいに 湯気たちのぼるのりたまごはん
ん、読み間違ったかな?
いや、わたしはこう読めちゃったんだし……
これは読み違うってことはないだろう
とか、
今回の感想を書きながら色々揺れ動いてしまいましたが、
少なくとも、このうたに関しては
「読み」のブレみたいなものは気にしない事にしました。
なぜなら、
ちょっとどういうシーンなのか
未だに掴めてないから。
ただ、「のりたまごはん」が目の前にあるんだなって
それはわかります。
湯気のたつご飯って、
それだけでも幸せの象徴みたいなんだけど、
それが
「のりたまごはん」であることで、
なんとなく子供のココロで感じる幸せ
みたいな気がします。
○○だから幸せみたいな理由がなくて、
ただ幸せな気持が湧き上がってくる、みたいな。
でも、なんだろうな、
幸せでいっぱい過ぎて、
なんか読んでて不安になってしまう。
そのほんのりした不安な感じが魅力でした。

うたの日(10月9日)


10月9日のお題は「滝」「振」「ドジ」「みちくささんの写真」でした。

「振」
ひとつまみ肉に振る塩 この秋は予定の数だけ雨の日がある(しま・しましま)
塾カレーさんから評をいただきました。
うちで一番食卓に登場することが多いお肉は
豚肉!
豚肉美味しいですよね。

ハートを入れたうた。
堀口万理奈さんの
最後尾車両に乗って振り向けばこんなに早く離れるホーム
普段とちょっとだけ違う視点で見た時に、
はっとするような発見があったりしますよね。
このうたではホームが「こんなに早く離れる」こと。
「こんなに」っていうところにぐっときました。
万感の思いっていったら大袈裟になっちゃいますが、
主体の何かしらの思いがこめられてるような気がします。
例えばわたしは、
自分が思っていた以上のスピードで
岸から切り離されたボートに乗ってるような
かすかな興奮と不安と、
岸(ホーム)に対する若干の未練、
みたいなものとかを
つい想像しちゃいました。

音符を入れたうた。
樫本らむさんの
助手席できみは静かに首を振る 湾岸線に連なるひかり
きれいなうただなぁってまず思ったうたでした。
実はうたの日で
夜の湾岸線をドライブしているふたり、でしょうか。なにか切ない美しいうたって思いました。
というコメントを書いたんですが、
後になって、
夜のドライブではあるんだろうけども、
「湾岸線に連なるひかり」は、見えている光景だと思うから、
この光の中にいるんじゃないんだなぁって気が付きました。
少し遠くに湾岸線にそって車の光が繋がって見えてるんですよね。
どういう状況で「きみ」が首を振ったのかはわかりませんが、
しずかなドラマがあって
改めて読んでみても
やっぱりすてきなうたでした。

いずみ 美帆さんの
振り向けば微笑む母がいるような金木犀の香る夕焼け
「金木犀の香る夕焼け」
いいですよね。ふんわり甘い秋の夕暮れ時。
それだけで郷愁を覚えるような情景ですよね。
主体も、金木犀の甘い香りに誘われて、
ふっと子供の頃にもどったような気持になったんだなって思います。
「振り向けば微笑む母」っていう、
母の立ち位置がまた、いいなあ。
「振り向けば」は、
今現在の主体が過去を振り返る
っていう意味が含まれてると思いますが、
同時に、
主体が振り向くと、
ちゃんと母が後方にいてくれた、
そんな安心感のある子供時代を過ごされてたんだろうな
って気がします。

しずくさんの
腕ふれば大正浪漫の風が吹く わたしの祖父の母の振袖
このうたは、
もうとにかく上の句がいいなって思いました。
「腕ふれば大正浪漫の風が吹く」。
「大正浪漫の風が吹く」って、
実は割と見かける言葉だと思うんですよ。
大正風の雰囲気に包まれる的な、
そういう感じの言葉かと思うんですけども。
このうたでは
「大正浪漫の風」を
実際に腕を振って作ってるところがいいなって思います。
本物の大正時代の振袖で、
腕を振って風をたたすとか、
その元気さが楽しいなって思いました。
「はいからさんが通る」の紅緒さん的な
明るくて元気な感じを想像しました。

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