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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(10月30日)


10月30日のお題は「沈」「トンボ」「ですます調」「迷」でした。

「ですます調」
この森に葉っぱを隠しにきました、とこれはていねいな秋の挨拶です(しま・しましま)
普段からわりと
ですます調の短歌を詠んでるような気がしますが、
あえて詠むってなると
これがなかなか難しいですね。
もうちょっと力を抜いて詠みたい感じ。

ハートを入れたうた。
久哲さんの
わたくしはほぼヒヨコです。エレベーター、自動ドアにはよく噛まれます。
ふしぎなうただなぁって思いました。
「わたくしはほぼヒヨコです」
まあ、ここはいいでしょう。
そういう人もいるかも知れません。
しかし
「エレベーター、自動ドアにはよく噛まれます。」
と言われると、
ええっ ほぼヒヨコなのに大丈夫?
って心配してしまいます。
カートゥーンアニメみたいに、
閉まったドアが再び開いたとき、
紙のようにぺったんこになったヒヨコが
ひらーっと隙間から出て来るような
そんな想像を一瞬してしまいます。
でもよく考えたら、
主体は
「ヒヨコです」ではなくて
「ほぼヒヨコです」って言ってるので、
体の作り的には人間なのかもしれない
と思い直しました。
だとしたら、
何が「ほぼヒヨコ」だったんでしょうか。
そして、
「エレベーター、自動ドアにはよく噛まれます」
という事実とそれが、
どういう関係にあるんでしょうか。
よくわからないんですが、
「ですます調」のとぼけた感じと合ってて
そういうのもアリかなぁって思ったりしました。
です。ます。と歯切れ良く言いながら、
その内容がぼわっとしてるところの不安定さとか、
面白いなぁ。
いや、そもそも
エレベーターや自動ドアによく噛まれるという
トホホな話が
わたしは大好物なだけかも知れませんが。
とにかく
面白くて好きなうたでした。

音符を入れたうた。
璃子さんの
海見ては「元気ですか」と叫んでたあなたでしたね 元気でいます
このうたも、ほんのりとトホホ感があって、
そこが魅力的だなって思いました。
まず、
『海見ては「元気ですか」と叫んでたあなた』
という存在がそもそもトホホな感じがします。
ご自身の元気はたしかに有り余ってそうですが、
なぜ海を見て叫ぶのが
アントニオ猪木なのか。
二重にオリジナリティの無さと
センスの悪さ。(失礼)
でも、それも思い出の中でなら、
微笑ましいのかも知れないなぁって思います。
ふとそんなことを思い出して、
「元気でいます」
と、過去の「あなた」に答えてあげる主体、
やさしいなぁって思いました。

山川翠さんの
街はもう映画色です 頂いたミントのガムで始めています
この日、すぐには映像が頭の中に結べない
そんなうたばかり選んでしまったような気がしますが、
このうたも、
浮かびそうで浮かばない、
ちょっとつかみどころの無いところが
逆に魅力に感じました。
まず映画色ってどういう感じなんだろう
っていうところから
ふわっと疑問が浮かぶんですよね。
映画のようにどことなく現実感の無い風景、
みたいなことなのかな。
違うかな。
松田聖子の「瞳はダイアモンド」にも
「映画色の街」って登場しますが、
あれは追憶の中の風景のようなイメージがするので、
これもセピア色、みたいに考えた方がいいのかな。
そして、
「頂いたミントのガムで始めています」
の、何を?という部分。
これについては
多分作者の山川さんも
何をということをはっきりわかって欲しい
というわけじゃないんだろうな
って思うんですけどもどうなんでしょうね。
ガムをくれた人は今居ないけども、
みたいな感じかなぁって思います。
ですます調と「頂いた」という丁寧な言葉で、
いろんな見えない部分はあるけども
ふわっとまとまったような感じがしました。
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うたの日(10月29日)


10月29日のお題は「煙突」「ちゃん」「蠅」「キス」でした。

「蠅」
図書館の窓に小さな , ありそれが蝿だと知るまでの秋(しま・しましま)
「,」にコンマってルビ振ったほうがよかったかな。
別に蝿じゃなくてもいいんですが、
なにかにあっと思わされる前と後では、
何かが微妙に変ってくるような気がします。

ハートを入れたうた。
詩音さんの
いくつものノルマが交差する脳を蠅が一匹飛び回ってる
「脳」と「蠅」
いい組み合わせだなって直感的にハートに決めました。
えーと、
なんだったかな。
たしか古いマンガだったと思うんですが、
人間の脳が蠅一匹分ずつ死滅する
みたいなことが書いてあったのを不意に思い出しました。
うーん、
岡野玲子のファンシイダンス辺りがアヤシイと思うんだけど、
違うかな……
手元にないし電子書籍化されてないから
すぐにチェックも出来ないな……
みたいな感じで
超あやふやですいません。
あとね、
ザ・ルースターズの「FLY」とかも
同時に思い出しました。
いやいや、関係ないから
って作者さんに叱られそうですね。
これは「脳」「蠅」で
わたしが連想したものです。
パシッパシッと信号が行き交う脳を
「ノルマが交差する」
っていう表現で、
慌ただしさみたいなものを感じさせるところから、
「蠅が一匹飛び回ってる」という
どこか気が抜けたようなものを持ってきてるところが
面白い作品だなって思いました。
音的には、
逆にそうとうイライラするんだろうなとも
思ったりして。

音符を入れたうた。
一〇〇八さんの
血縁は絶えた静かな家に一人猫一匹とハエトリ草と
小さなハエトリ草と猫と人間。
ハエトリ草の数は書かれていませんが、
これも一鉢と想像しました。
静かな、
でもほんのりと「生」の匂いが感じられるような
そんな生活を思います。
ちょっと気になったのは
「血縁は絶えた」の「は」。
「は」で繋いであると、
「血縁は絶えた」で一回切れるように思ってしまうんですが、
どうなんでしょうか。
まあ、血縁の絶えた家
という場合の「家」と
「静かな家に」
という場合の「家」って
ホームとハウスの違いというか、
微妙に違うもののような気がするので、
「絶えた」で切れるのが正解なのかも知れませんが
ちょっと分りにくかったかなぁって思います。
それにしても、
「ハエトリ草」の存在感がすごくいいなって思いました。

笠和ささねさんの
キゴシハナアブになりたい蠅がいてドレスを買いにうちを出て行く
面白いなぁって思ったうたでした。
まず、
実際に主体が見たのは
「蠅がいて」「うちを出て行く」
ところだと思うんですが、
それを「ドレスを買いに」行くんだ
って思うところが、
えーそんな想像!ってまずびっくりしちゃいました。
しかも
「キゴシハナアブになりたい」から。
花虻を着飾った虫って考えたことがなかったので、
そうかドレスか……
って思って、
それから、
何になりたいにしても衣裳は変えないといけないかも
って思い直して、
なんとなく楽しくなりました。
この蠅がうまくキゴシハナアブになれたことを祈ってます。

うたの日(10月28日)


10月28日のお題は「あと」「苗字」「栓」「爽」でした。

「栓」
味の素の粒子きらきら栓抜きでビールあければ生き返る父(しま・しましま)
潤さんから評を、
ツイッターで小川けいとさんからも感想をいただきました。
昭和の食卓、みたいな感じ。
最初
なんどでもビールあければ生き返る父
としてたんですが、
うーん、ちょっと詠みたい方向がずれるかなぁ
って思って、
「なんどでも」を削りました。

ハートを入れたうた。
透明さんの
抜くときにコルクの栓をボロボロにした共通の思い出に酔う
ワインのコルク栓を抜くのに失敗しちゃうこと、
ありますよねー。
っていうか、
わたしはけっこう回数あって、
一番ヒドイ時は、
全部瓶の中に落としこんでしまって、
茶漉しでコルク滓を漉しながら注ぐ、
みたいな羽目になったことも。
さすがにそこまでではないかもですが、
そうか、
やっぱりみんなやっちゃってんだな
って思うと、
なんかちょっと嬉しくなっちゃいますね。
「栓をボロボロにした共通の思い出」に
わたしも混じって、
あるあるーってなっちゃいました。
で、
このうたが単なるあるある話に終らないのが、
「酔う」の一語だと思ったんですよ。
この「酔う」で、
主体の今にぐっとあるある話が引き寄せられて、
その場の景がわーっと浮かぶような気がしました。
何人かでワインをあけてて、
そういえばコルク栓って……
って誰かが言い始めて、
あるあるーってなって、
その話で盛り上がって酔いも進む、
みたいな。
楽しいお酒のシーンが想像されていいなぁって思いました。

音符を入れたうた。
祐鈴さんの
栓抜きを探す男の部屋の中(前の男はカギで開けてた)
栓抜き代わりにカギって
それはかなり器用なんだなぁ
て思ったんですが、
後から調べてみたら、
意外に栓抜きの代用としてはメジャーっぽいですね。
てこの原理か、
そうだよね、うーん
試してみたい!
って今そういう気持でいっぱいなんですが、
なかなか栓抜きを使う機会がないんですよね。
家では。
うん、昨今ではどこの家でもそういうもんですよね。
だからこそ、
めったにない栓抜きを使うシーンで
栓抜きが見つからないってことになる、と。
自分の家で、
今使いたいものを探すのでもイライラしますが、
(それはわたしの気が短いから?)
人の家で自分が探すってなったら、
それは余計にイライラするだろうなぁって
思います。
そうすると、ふっと、
(前の男はカギで開けてた)
ことなんかを思い出して、
ついつい比べてしまう。
あー、なんか分るなぁって気がします。
「男」っていう
ちょっと雑な言い方もこの感じにあってるなぁって思いました。

松木秀さんの
栓抜きの必要性が薄れだす私は酒を飲まないからね
「栓抜きの必要性が薄れだす」
というフレーズから、
それが現代の一般論的なことかと思うんだけど、
そこから
「私は酒を飲まないからね」
という下の句で、
主体にとっての、
あるいは主体の家にとっての必要性の話だったんだな
ってなりました。
かつては、
酒を飲む人がいて、
栓抜きが日常的に使われてたんだけど、
その必要性が今は薄れ始めている、
みたいな。
「飲まないからね」の「ね」に
なんともいえない味わいがあるなぁって気がします。
なんとなく乾いた笑いみたいな、
そんな感じがしました。

うたの日(10月27日)


10月27日のお題は「探」「インク」「鎖帷子」「罰」でした。

「探」
いいよもう月もこんなに欠けてきた つめきり探すのにも飽き飽き(しま・しましま)
爪切り、綿棒、3DSのACアダプター
これが我が家の三大見失いがちアイテムです。
モノを探してるのか、
最後に使った犯人を探してるのか、
だんだんわからなくなってしまうんですよね。

ハートを入れたうた。
潤さんの
エピローグ終えてさびしい名探偵 正しい作法で紅茶を淹れる
全て、悲劇か喜劇かの終りを終えて、
その後の行方も語られ終わって、
さて、名探偵ももうすることがない。
読み終わった読者もですけど、
作中の名探偵も、
それを「さびしい」と感じるっていうところが
面白いなって思いました。
さて、
紅茶好きの名探偵って
誰がいたかなぁって
想像が膨らみます。
アガサ・クリスティの作品の名探偵は
紅茶が好きそうだけど、
コージーミステリの女性探偵さんたちも
紅茶好きそう。
事件が終ってしまった本の中で、
丁寧に紅茶を入れて
次の事件までゆったりしてるようで
たのしいうたって思いました。

音符を入れたうた。
ナタカさんの
探してたことも忘れた思い出がヨックモックの缶で見つかる
全然探してなんてなかったのに、
ふいに出てきたモノを見て、
ああそうだよ、これ、あったあった
ってなることありますね。
前に探したけど見つからなくて、
そのままになってたものでも、
実際に探してはなかったけど、
探したいモノだったって気がつく場合も。
それが
「ヨックモックの缶」にあったって
なんかいいなって思います。
割と焼き菓子の入ってた缶って
各家庭で小物入れとか
裁縫箱になってたりしますが、
特に「ヨックモック」のって、
幼い子供が
大切なものを入れておく
っていうのに相応しい感じがします。

亀山真実さんの
どこにいく時も五人で一列の探検隊の一番最後
子供時代の回想のうたでしょうか。
微笑ましいなって思います。
五人の探検隊の、
いつも「一番最後」
ということは、
みんなよりも少し年下だったのかな。
お兄ちゃんと、
お兄ちゃんの近所の友達と
主体
っていうグループだったのかな。
と、想像して、
かわいいなって思いました。

うたの日(10月26日)


10月26日のお題は「一人」「安」「リフレイン」「瓶」でした。

「リフレイン」
君がくれたしらない花の絵はがきのしらない花のしらない香り(しま・しましま)
「リフレイン」
軽い気持で手を出してみたら、
思った以上にむずかしいお題でした。
うん、
選の方もむずかしかったです。

ハートを入れたうた。
中牧正太さんの
たづねれば教へてくれた あれは何 あれは何何 ばかりおもひで
子供の頃、あるいは
幼かった(と自分で思ってる)時代の思い出なんでしょうね。
「あれは何」って
聞いてばかりいたことの思い出ではなくて
それにいつも答えてくれていた、その人の思い出。
それが誰なのかはわかりませんが、
大切な、やわらかい心にしまってある思い出なんだろうな
って思います。
「たづねれば教へてくれた」
という、やや粘度のある入り方とか、
大切な思い出で、
それを取り出すときにはうっかり
現在の自分までちょっと幼くなってしまうような
そんな感じがしました。

音符を入れたうた。
矢波多恵さんの
カイリカイリ胸掻きむしる優しいと言われ私は胸掻きむしる
初句の「カイリカイリ」、
乾いた肌を掻くときの音のようでもあり、
「優しい」と本当の自分との「乖離」を、
心の中にもう納めて置けない、
みたいな言葉のようでもあります。
「優しい」って言われることが
二度も「胸掻きむしる」って
繰り返さなければならないぐらい
違和感があるのって、
そうじゃない、優しくない自分とのズレと、
じっさいに「優しい」と見られたい自分とのズレも
あるのかなぁって気がします。
気になるうたでした。

うたの日(10月25日)


10月25日のお題は「登」「クッキー」「普通」「始」でした。

「普通」
「普通でいい」なんて言葉を聞きながらうっすら汗をかいてるニトリで(しま・しましま)
金子りささんから評をいただきました。
この日、ちょうどニトリに行ったんですよ。
冬用のふとんカバーとか買いに。
ふとんカバーが欲しいっていう本人が
「普通でいいから、普通でいいから」
って言うんだけども、
普通って何だよ
こっちは柄聞いてるんだよ
みたいな。
だんだんと、
普通って何だろうなって気持になってしまいました。
一緒に暮す家族で、
たしかに価値観は共通のものがあるけど、
でもやっぱり
お前の普通なんて知らないよ
って気持になっちゃう。
それにしても、
金子さんの評の通り、
「ニトリで」はややニトリに力が入りすぎでした。

ハートを入れたうた。
森下裕隆さんの
君の言う「普通」に今日は合わせよう ご飯の上にシチューをかける
うちではしないですが、
たまに耳にするので、
「ご飯の上にシチュー」って
それはそれでシチューの食べ方の
定番のひとつだったりするのかも。
このうたがいいなって思ったのは、
『君の言う「普通」に今日は会わせよう』
という上の句。
「えー、そんなのしたことない」
「普通だよ」「普通じゃないよ」
「うちでは普通だったよ、おいしいからやってみて」
みたいな会話がひとしきりあって、
そこからのこの上の句かなって思います。
「ご飯の上にシチュー」なので、
おうちでごはんという状況かな。
初々しい距離感があって、
それを少しずつ近づけている
そんな一コマみたいですてきでした。

音符を入れたうた。
御泉水さんの
話さないことが普通になってからまるで君とは知らない同士
このうた、
とにかく個人的にずしんと胸が痛いうたでした。
うたの日のコメントには
恋人だった、あるいは昔の友達と考えても切ないなぁって思います。
って書いたんですが、
実は完全に友達読みをして、
ひとりでぐっとなってました。
そういう友達がいたんですよね。
「話さないことが普通」になる
それを意識してからが、
切ないんですよね。
ECHOESの「SOMEONE LIKE YOU」って曲があるんですが、
それも思い出しちゃいました。

外川菊絵さんの
何食べてもおいしい、私の機嫌と体調はどうやら普通に戻りつつある
しばらく何を食べても美味しいと感じなかったのが、
今、何を食べてもおいしい
と感じる。
っていう、
前は「普通」だったことが
ちゃんと自分に戻ってきてるっていう
そういう幸せな感じが
上の句、というか初句といえばいいのかな
「何食べてもおいしい」
に感じられていいなって思いました。
思い切った字余りで、
通常5音のところを倍の10音。
ちょっと早口で切れ目なく
「何食べてもおいしい」
だと思って読んで、
ひとつひとつをじっくり味わうっていうよりは
あれもこれも、
あー、何食べてもおいしいや
っていううれしさが
この大幅字余りの初句にあるような気がしました。

うたの日(10月23日)


10月23日のお題は「根」「礼」「余」「きむろみさんの絵」でした。

「余」
ほとんどを眠って過ごす日曜の余りの時間でうどんを茹でる(しま・しましま)
ホントに昨日はちょっと体調を崩して、
ほぼベッドにいた感じ。

ハートを入れたうた。
須磨蛍さんの
余ったら捨ててもええと母からの干し柿届く 息災と知る
このうたは
なんといっても「余ったら捨ててもええ」という
話し言葉がそのまま使われてるところが
ホントすてきだなって思います。
主体、あるいは主体の家族への
二重の気遣いが感じられる、
ぶっきらぼうにも思えるけど、あたたかい言葉だなって。
「干し柿」っていうのもいいですよね。
きっとご自宅で作られたものなんだろうな
毎年送ってこられるんだろうな
送るためにいつも多めに作られるんだろうな
って、想像が広がります。
そこからの一マス空けての
「息災と知る」
が、またいいなぁって思います。
これが
「~干し柿届き息災と知る」
だと出せない、
離れて暮す母への思いが感じられるように思えます。

音符を入れたうた。
大葉れいさんの
思い出のかけらのように抽斗で出番を待っている余り布
うちにも、余り布というか、
何かに使えるかもって
木綿の子供の服を解いてとってあったりします。
このうたの「余り布」は、
何かを作ったあとの布かと思います。
作ったこと、それを使ったこと、
あるいは誰かにそれをプレゼントしたこと、
いろんな思い出の余りそのものですよね。
それが大切に、
「出番を待って」抽斗にしまわれてるのって、
なんかあったかくていいなって思いました。

といじまさんの
一昨日の私のナイスアシストで弁当箱の余白が埋まる
主体が「一昨日」何かを提案、
あるいはちょっとしたことをしたことで
今日の弁当に一品増えた、
そのことでほんのりとした満足感を覚えてる
みたいなうたかなって思いました。
まず「一昨日」っていうのがいいなって思いました。
妙にリアリティがある感じ。
実際にお弁当を作るのは、
多分主体ではないんじゃないかなって思うんですが、
おっ、お弁当のすかすか感がない、
あっ、これアレだわ
みたいな感じかなぁ。
「ナイスアシスト」っていうフレーズも
楽しくて好きです。


10月24日のお題は「埃」「ココア」「踊」「入」でした。

「入」
ヨーグルトにしずかにホエーたちこめて別れの朝のスプーンを入れる(しま・しましま)
この日は選に参加できませんでした。
でも、
今見てるんですが、
いいなって思ううたが多くて
うーん、残念だったなって思ってます。

うたの日(10月22日)


10月22日のお題は「前」「働」「窓」「知己凛さんの写真」でした。

「窓」
窓の灯を慕いてガラス搏つ虫の自由とはかく淋しい夜か(しま・しましま)
蛾もね、
光にこだわらずに飛んだら、
背中側には広い世界が広がってると思うんですよ。

ハートを入れたうた。
ミルトンさんの
こうこうと光をはなつ満月に窓辺の梨が対峙している
今って多くの果物が一年中楽しめるんですが、
梨ってやっぱり秋の果物って感じがしますよね。
なので、このうたも、
秋の満月と梨との対比として読みました。
誰がそこに置いたのかはわからないけど、
窓辺に梨が一つ置かれているのを、
「満月に」「対峙している」
という見方がいいなって思います。
「こうこうと」はひらがなですが、
「皓々と」かなぁ。
白っぽくさえざえと輝く感じがします。
言われてみれば、
満月と梨、似てるような気がします。
梨の方が満月を意識してる感じが面白いなって思いました。

音符を入れたうた。
雀來豆さん。
いま窓に絵を書いているところですまだ言い訳はできていません
面白いなって思いました。
あんまりこのうたの背景的なものは
詮索しないで、
ふわっとした面白さを味わえばいいのかな。
言い訳した方がいいんだろうな、
でもしたくはないな
みたいな感じがしますよね。
IMG_2839.jpg
みたいな感じで、
子供がそんなことをしてるって思っても
楽しいなって思います。

小川けいとさんの
はっきりと嫌いと言ってしまいたい 深夜に窓を叩く雨音
深夜の雨って、
なんとなく家の形をくっきりとさせるというか、
降り込められている圧迫感とか閉塞感があるような気がします。
そうでなくても、
主体にはなにか日常の、
特に人間関係で息苦しさを感じてて、
それをどうにかしたいと思ってる、
それがこんな雨の日には強まってしまって、
「嫌い」とはっきり言ってやれたら……
みたいな気持になるのかな。
共感するうただなって思いました。

うたの日(10月21日)


10月21日のお題は「明日」「鍵」「柿」「月経」でした。

「鍵」
簡単に傷つくきみの純真にうすく傷つく革のキーケース(しま・しましま)
自分が優しくないなって思うのは、
あえてこういうことを詠んでみたくなるところかも
って、二日ほど経てそんなことを考えます。
あっ、そういうことで傷ついちゃうんだな
っていうことがたまに
やってられないなって気持になってしまうことがあります。

ハートを入れたうた。
木蓮さんの
ミッキーのキーホルダーが揺れている 風も君もない空っぽの部屋
もともとは君がいた部屋。
主体と「君」との関係性は分りませんが、
君と一緒にくらした部屋を出て行くところと読んでもよさそうだし、
そうじゃなくて、
何かの理由で君がその部屋を出て行って、
空き部屋になってしまったのを見ているとも読めます。
かつてはその部屋には君がいて、
ものが置いてあって、
窓を開ければ風が入ってくるし、
窓が閉まってても君がささやかな風を立てた。
そういうのがすべて過去のものっていう
喪失感みたいなのが、
直接的でつよい詠嘆ではなくて詠まれてるところが
いいなって思いました。
ミッキーのキーホルダーは、
君の趣味だったのかな。
「ミッキーのキーホルダー」は
裸の鍵よりもどこか無個性な感じがして、
空虚な感じがより漂うようにも思えました。

音符を入れたうた。
志稲さんの
適正な数も重さもとうに超えやぶれかぶれのキーホルダーだ
うたの日で
持つ鍵が多くなる程、責任とか所属とかに縛られていくような気がします。自分の適正な鍵の数っていうのはひとそれぞれだとは思いますが、キーホルダーにも主体自身にもたくさんの鍵がぶらさがって重たいって感じでしょうか。「やぶれかぶれの」というのは主体の気持でもあるんだろうなって思いました。
とコメントしました。

票は入れなかったけど、
気になってたのが
塾カレーさんの
鍵穴に鍵を差し込むときにふとわれは産まざることを思へり
うーん、これね。
「われは産まざることを思」うって
主体が男性なのか女性なのか
そこでこのうたの持つイメージががらっと変るような
そんな気がするんですよ。
「産まないことを積極的に選択した」
「結局産まないということになってしまった」
「産めなかった」
「そもそも産めないのが当り前ではあるけども」
それぞれ、違うと思うんです。
「鍵穴に鍵を差し込む」
出るところなのか入るところなのか、
それはどちらでもいいのかも知れないけど
わたしはパッと夜帰宅してきたシーンを想像しました。
一人暮らしで、
自分で鍵を開いて入らなければならない。
そこにふと孤独感を感じ、
自分が子供を持たないことに思いが至る、
みたいな感じをまず思ったんです。
でも、
単なる孤独感とは違うような気もします。
「産まざること」に何らかの感慨があるわけですから。
で、ここで、
主体が男性か女性か、
少なくともその手がかりがあればなって
そう思ったわけです。
作者は塾カレーさんで、
それが分ってしまえば、
ああ、これは男性視点のうたとして読んでいいんだな
ってわたしの気も楽になって、
このうたの「ふと」が
ホントにふっとそういう思いを起こさせた、
痛みみたいなものよりは
ペーソスとほんのりしたユーモア、
みたいなうたとして読んでもよさそうだ
って安心できるような気がします。
作者がわかって安心して好きだっていえる
っていうのも変な話かも知れないけど。

うたの日(10月19日20日)


10月19日のお題は「失」「実」「田中」「石」でした。

「実」
実物大の航路をつくる小指まで気を抜かないでつけた足跡(しま・しましま)
はだしの足跡がきれいについてると、
なんだか嬉しくなって、
やたらと歩き回って足跡だらけにしたこととか
思い出しました。

ハートを入れたうた。
えだまめさんの
作業着のポケットにあるどんぐりを洗濯機前で取り出している
もう一目でハートを決めちゃったうたでした。
どんぐり、いいですよね。
日本には20種類ぐらいのどんぐりがあるとか聞きますが、
太ったの、ちっちゃいの、細いの、
つやつやしてて思わず拾い集めたくなってしまいますよね。
子供の時は。
それがこのうたでは
「作業服のポケット」から出て来るところに
まずぐっときました。
作業服ってことは大人で、しかも仕事中と思われます。
そのポケットに入っているどんぐり。
なんとなくですが、複数個あるような気がします。
最初、
ご自分の作業着のポケットから
思わず拾っちゃったどんぐりのことを思い出して、
洗濯前に取り出してるところを想像してたんですが、
これは家族の作業着と見ても面白いですよね。
っていうかそっちの方がステキかなぁ。
あれっ、何か入ってる……
って思って手を入れたらどんぐり。
あ、まだある……
ってひとつひとつ取り出してるとか。
ほんわりと温かい家庭が想像されます。

音符を入れたうた。
花代さんの
強風で落ちたシイの実ばらんばらんトタンの屋根でうれしく跳ねる
うたの日のコメントにも書いたんですが、
身近に椎の木がなくて、
その実が落ちるところってどんな感じなのかわからないんですが、
「ばらんばらん」と
「うれしく跳ねる」がいいなって思いました。
木の実が枝から外れて落ちるぐらいだから、
かなりの強風なんだろうなってまず思います。
そうすると、風そのものの音やら、椎の葉っぱが鳴る音とか、
それはもうすでに賑やかなんだろうなって。
で、
そこにトタン屋根を打つ、
「ばらんばらん」が聞こえてきて、
主体はそれが「強風で落ちたシイの実」の音だ
って、たぶん、すぐにわかったんだろうなぁ。
で、
このうたでは
「シイの実」自身が「うれしく跳ねる」
なんですが、
主体が、強風の立てるさまざまな音の中で、
シイの実が落ちる音を聞き分けたことの
その喜びが跳ねてるみたいに感じます。
「ばらんばらん」も楽しそうな音ですよね。
童謡あるいは童詩のような雰囲気もすてきだなって思いました。

nonたんさんの
このくらいあるんだろうか実際に見たことがない牛久大仏
あとからあとから
じわじわと面白くなるうたでした。
あれですよね、牛久大仏。
奈良の大仏が手のひらにのっちゃうぐらいの大きさ。
身長100メートル、台座込みなら120メートルとか。
とにかくめっちゃでかいということだけは存じてます。
この主体も「実際に見たことがない」ってことですが、
その大きさを
「このくらい」って表現してるところがツボでした。
まず最初に
このくらいってどのぐらいだよw
ってツッコミを入れそうになって、
そのあと、
どういう動作をしながら
あるいは何と比べながら
「このくらい」って言ってるんだろうなって
想像したらもう……
面白すぎるなって思いました。
「実」というお題から、
「見たことがない牛久大仏」を引っ張ってくるという
その力技もホントたのしいなぁって思います。
まあ作者本人が見たことないとは限りませんが。

淡海わこさんの
現実と夢の境目わからずに猫の背中に埋もれてみる
ふっと目が覚めると、
自分の顔の前に猫が背中を向けて一緒に寝ている
みたいなことってありますね。
まだ完全には目が覚めてないんですが、
おもわずそのふかふかに顔を埋めてみる。
あー、分るし、気持がいいよね!
ってなりました。


10月20日のお題は「揉む」「虎」「隙」「小」でした。

「隙」
まだここに隙間があるというような風が落葉を敷き詰めてゆく(しま・しましま)
20日の夜は忙しくて、
投稿はしたんだけど、選をすることができませんでした。

ということで
結果発表後に見て、
いいなって思ったものの感想を
少しだけ書かせていただきます。

西村曜さんの
隙間風べつの隙間へ抜けていくあの部屋をまた借りたいのです
隙間風だらけの部屋を借りていたあの頃、
みたいな、
昭和というか60年、70年代の
回顧っぽい雰囲気がステキでした。

ミシシッピアカガメさんの
雨粒が花びらの隙間埋めていく 私もいつか満たされればいい
雨粒が開いた花の中に溜まるのを
隙間を埋めたと見られたところ、
それが「満たされ」ていると感じられたところが
なんか好きです。

Dear平尾誠二さんの
君とぼくの隙間に咲く赤い花 風がある日も散らないように
赤い糸、というほどしっかりしてない
もしかしたら「風がある日」に散ってしまうかもしれない
そんな「赤い花」を
大事に大事に慈しんでる感じ、いいなって思いました。
ただ、初句二句のリズムがやや悪くてそこが気になります。
6・6で、あわせれば確かに5・7と同じ12になるんですが
字余りではいって字足らずになってるようで、
いきなりつんのめってしまうような気がしました。

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