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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(11月15日)


11月15日のお題は「静」「悪」「90年代」「ページ」でした。

「悪」
ハーゲンダッツ買って行くから またこわいわるい二匹のうさぎになろう(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
雀來豆さんの
悪人とばかり思っていた母が魔女だと知った夜のキッチン
「夜のキッチン」
って、それだけで何か雰囲気がありますよね。
「かいじゅうだちのいるところ」で有名な
モーリス・センダックの絵本にも
「まよなかのだいどころ」って本がありますが、
あれは幼い少年の、不思議で楽しくて、
ちょっと怖い気もする冒険のお話。
このうたの「夜のキッチン」は、
子供が入っちゃいけない、危険な匂いのする、
「母」だけの聖域って感じがします。
子供ごころに、その「母」を「悪人」だと思っていたという、
子である主体。
それは、もしかしたら余り深い意味はなくて、
ただ「悪い人なんじゃないかな」っていうだけのもの
だったのかも知れないんですが、
まずそう子に思わせる母親ってどういう感じなんだろうって
興味をひかれました。
周囲の真面目な感じのお母さんと比べて、
ぼくの母は違う、
そういう感じだったのかなって思いますが、
どうなんでしょう。
それが、ある夜、
ふと見えてしまったキッチンで……
みたいな、そういうドラマを想像しました。
「魔女」ってものの捉え方で、
かなり雰囲気というか方向性というかが
違ってくるんじゃないかと思いますが、
かわいいファンタジックな「魔女」というよりも、
禁忌としての「魔女」を思って、
ショックを受けつつ、
なんとなく納得もする、みたいな少年を思って、
うーん、好きだなぁって思いました。

音符を入れたうた。
照屋沙流堂さんの
腹が減っては悪事もできぬとキッチンで袋麺さがす、正しく作る
「腹が減っては戦は出来ぬ」
ということわざがありますが、
この言葉は使い勝手がいいみたいで、
戦の部分を何かと替えて使われているのを
よく見かけます。
このうたでは「悪事」。
単に「悪事は出来ぬ」ではなくて、
「悪事も出来ぬ」というところに
なんとなく作者の含羞を感じます。
というか、
ホントに思わず口を突いて来た言葉みたいな
そんな感じがしますね。
勝手に妄想しちゃいますが、
時間帯は夜。
主体の他に家族がいるとしても、
もう寝てるところとか想像します。
あまり大きな音を立てないようにしながら、
ごそごそと袋ラーメンを探して、
裏に表示してある通りに
「正しく」作るラーメン。
基本真面目な人なんだろうなって思います。
「腹が減っては~」ということわざを使うにしても、
定型をはみ出してもその辺はきちんと使ってしまう
というところにも、
その真面目さがうかがえるようで、
こんなに破調な感じなのに、
真面目そうなイメージが面白いなって思いました。

山縣 春さんの
わるいことしてきた人がたべさせてくれるクリーム餡のぬるいたい焼き
このうたの「わるいこと」は、
主体ではない別の人物がしてきたことなんですね。
どんな悪い事かははっきり明記しない
というよりも、
主体も、どんな悪い事なのか、
実はよく知らないのかもって思いました。
それにしても、
なんだか、ぞわぞわと生理的な気持悪さの募るうたで、
そこが妙に味があるなぁって思いました。
「たべさせてくれる」
という、
あたかも「わるいことしてきた人」に
庇護されて生きているような感じと、
「餡のぬるいたい焼き」
しかも「クリーム餡」!
という、
食べさせてもらうとしたら、
これはちょっとなにか、
うーん、
べたっとして気持が悪いような……。
このぞわっと落ち着かない気持にさせるところが
このうたの魅力だなぁって思います。

一〇〇八さんの
おやすみが過ぎたキッチンこっそりと悪だくみするプリンとビール
一読して、その現場が想像されて
あーかわいいっ
って思ったうたでした。
「プリンとビール」が「悪だくみ」。
それはきっと、
まだ厳格に就寝時間が決められてる幼い子供と、
そのお父さんって気がします。
「おやすみ」って言って、
もう本当は寝ていなくてはいけないプリンと
本当は寝かせなくてはいけない方のビールが、
こっそりキッチンで悪だくみ。
うん、かわいすぎるなぁ。
前述で、
「夜のキッチン」を母の聖域と書きましたが、
このうたの「夜のキッチン」は、
管理者不在のおいしいものが隠れている場所
って感じでしょうか。
昼間のキッチンで食べるプリンとくらべて
特別な味がするのは
多分「悪」の隠し味なんでしょうね。
ところで、
「おやすみが過ぎたキッチン」という表現、
「おやすみ(の時間)が過ぎたキッチン」なのか、
「おやすみ(の言葉を)が」
「過ぎた(=交わされた後の)キッチン」
なのか、
大体状況としては同じようなものですが、
微妙に違うような気がするので、
どっちなんだろうなって思ったりします。

UrbanBluesさんの
建て付けの悪い机に気になっていたらどうにも夏が終わった
何の机なのかは分かりませんが、
なんだか妙にがたつく、
あるいは引き出しが軋む
みたいなことが気になって仕方がない
なんてことで、
うだうだしてて
気がついたら夏が終ってしまった。
という感じかなって思います。
まあ、
うだうだしててってのは、
わたしが勝手に脳内で付け足したんですが。
そんなことにかまけてる場合じゃなかった!
みたいな思いって
だいたい後の祭りだったりするんですよね。
「どうにも」という一語が
じんわり味があっていいなぁって思います。
わたしの大好物のトホホ感がこの一語から漂います。
ただ、
ただですね、
「建て付けの悪い机に気になっていたら」
の「に」という一語、
わたしはこれが気になります。

笠和ささねさんの
ねぇ どうして インコがページ噛んだこと返すときうまく言えないんだろう
「インコがページ噛んだこと」を
その本を返すときにうまく言えない
って、
なんかすごくいいなって思いました。
インコ!インコって!
みたいな。
ありそうでなさそうで、
でも、インコ飼ってたらそういうこともあるのかな
っていう微妙なリアリティと、
それが「うまく言えない」ことのリアリティ。
すごーく好きな感じなんですが、
それをなんでドリカム包みなんだろうなって
そこがとても気になるうたでした。

過去の短歌


今年もうたの日イベントとして
「短歌一武道会」が開催されるようですが、
前回の「短歌一武道会」に
わたしも参加しました。

その時の作品です。

第一回戦
「結」
ラッピングリボンのように一度だけ結ばれあって終ればいいよ

第二回戦
「新品」
カラオケのソファに誰も凭れない新品の友情持て余しながら

第三回戦
「黒」
幸せがきざすところをいつも見ない バナナの最初の黒い点とか

第四回戦
「パンフレット」
日に褪せたパンフレットのめくり癖 ひとりがさみしいと知らなかった

準々決勝
「南」
南から北へまっすぐ吹き抜けて全部もってけ祈りのことば

うたの日(11月14日)


11月14日のお題は「先生」「私」「酒」「別」でした。

「酒」
カップ酒ちょっとこぼして開けながら馬鹿になるってたまにしんどい(しま・しましま)
年取ったなぁ
って思うことのひとつに、
酒量が減った
というか、あんまり飲めなくなった
ってのがあるんですが、
それでもなんだかんだで毎日何かしら飲んでるわたしです。
でもそういえば、
カップ酒って年に一、二度ぐらいしか飲まないですね。
だからなのか、
単純に不器用だからなのか、
蓋を開ける時にいつもちょびっとこぼしてしまいます。
実はカップ酒って、いいイメージないんですよね。
随分前のことなんですが、
ぱっと見普通の40代か50代ぐらいの女の人が、
お酒の自販機につかつかとやってきて、
カップ酒を買って、
もうびっしょびしょにこぼしながら蓋を開けて
その場でぐいーっとあおって、
もう一つ買って、
今度は端から見てもかなり気をつけて蓋をあけて、
それもその場で一気に飲んで去っていったのを
バスを待ちながら目撃してしまって、
あれはとても衝撃的でした。
普通の奥さんぽいかっこをした、
普通の女性だったんですけども。
いや、うたとは全然関係ないカップ酒の思い出なんですけどね。

そういえば、
「酒」という題でしたが、
あんまり酒飲みさんは参加されてなかったのかな
っていう印象。

あー、いい酒飲んでるなぁって思ったうたを
選んだ感じになりました。

ハートを入れたうた。
たかだ牛道さんの
酔うほどに歌論を熱くたたかわす男が今日は恋に終始す
わーいいなって思いました。
まず、
「酔うほどに歌論を熱くたたかわす」
って、いいなぁ。
そういう正面から語り合える人がいるって
いいですよね。
さすがにここで
「歌論」
なんて言葉がバーンと出てるからでしょうか。
文語が効いてるうただなって思います。
選をしていたときは、
詠われてる内容と、「恋に終始す」という結句がいいな
って思ったんですが、
改めて読んでみると、
微妙に主体の身の乗り出し方というか、
テンションの違いが感じられて面白いなって思いました。
「酔うほどに歌論を熱くたたかわす」
の、A音の多さに対して、
「今日は恋に終始す」では、
ほとんどA音がないという。
歌論ほどは熱く語り合えないけど、
それでも、今夜はそれで付き合うよ
みたいな感じでしょうか。

音符を入れたうた。
松岡拓司さんの
酒旨し只それだけを云うために語尾を重ねる酒呑みである
酔うために飲むんじゃなくて、
旨いから、
旨いって云うために飲む
って、それは幸せな飲み方なんだろうなって思います。
うたの日のコメントにもちょっと書きましたが、
「語尾を重ねる」
という表現が、
余り見慣れなくて、
うーん、たぶんこう言う事かな?
程度の把握になっちゃったんですが、
「旨いなぁ」「なあ」
ってことでホントに良かったでしょうか。
ともかく、
確かに旨そうな感じがして、
あーなんかいいなって思いました。

西村曜さんの
スパークリングの日本酒飲んでわたしたちそれはすてきな誤読でしたね
「スパークリングの日本酒」と「すてきな誤読」
この、どちらも本気で入り込みすぎない立ち位置と
おしゃれ感あるけどおしゃれ過ぎない、
みたいな雰囲気が、
すごく似合うなぁって気がしました。
このうたの「わたしたち」、
知り合ってそんなに長くない男女と想像しましたが、
どうなんでしょうね。
女性同士で、
ちょっといたずらっぽく言うのもステキではありますが。

うたの日(11月13日)


11月13日のお題は「門」「?」「美人」「指輪」でした。

「指輪」
それもまた誰かの尺度になるんだろう 指輪をしない日々を重ねて(しま・しましま)
うちの夫の結婚指輪は、
結婚初年度にわたしが洗面所で流してしまったので、
ほぼ結婚指輪をしない男として過してきました。
申し訳ないので、わたしもしてません。
夫の方はその所為なのか、本人のキャラクターからなのか、
未だに結婚しないの?とか再婚したらどう?とか
仕事関係の人から言われたりするそうです。
さて、わたしは直接誰かから何か言われたことはないんですが、
どう思われてるんでしょう。

ハートを入れたうた。
七緒さんの
いつだって私にいちばん似合うのは私が買った私の指輪
あー、なんかかわいくて好きだな
って思いました。
うん、そうなんだよね、
自分が自分で選んだ指輪が
自分に一番似合うよね
好きに選べるからねぇ
と、思うんですが、
このうたは、単純にそういう意味だけではないと
思うんですがどうでしょう。
このうたには「私」が三度も出てきます。
「私に」「私が」「私の」
まるで私がいればそれでいいんだって
強がってるようにも聞こえて、
うーん、
そこがすきだなぁって思いました。
「いつだって」「いちばん」
という強調のしかたも、
強がりっぽくて、
そうだそうだ、負けるなー
みたいなエールをつい送りたくなってしまいました。

音符を入れたうた。
小宮子々さんの
約束をときどき破るふたりだし安い指輪でじゅうぶんですよ
このうた、
最初、結婚指輪かな
って思ったけど、
さすがに
「安い指輪」で十分な理由が
「約束をときどき破るふたり」だから
ってのはどうなんだろうって思って、
エンゲージリングは安いのでいいよ
って指輪を用意しようとしてる彼に言ってるのか、
まだそこまで至らない、
ペアリングの段階なのかな
って思ったり。
「安い指輪でじゅうぶんですよ」
っていう、
ちょっと軽めの冗談めかした感じに
結婚の約束みたいな重いものって
どうかなぁ、
わたしが彼なら、
じゃあやめとこうかって思っちゃいそうで、
このうた、
ペアリングぐらいの指輪であってほしい、
そう思ったうたでした。

うたの日(11月12日)


11月12日のお題は「親」「確」「週末」「本」でした。

「本」
本棚のわきに積まれる本たちの声がうるさい 背表紙を隠す(しま・しましま)
本にカバーをつけてもらわない派ということも
あるんだと思いますが、
本の背表紙って意外とカラフルで床置きしてると
がちゃがちゃ色味がうるさいなって思うことあります。

ハートを入れたうた。
ロコンさんの
図書館の歌集一首に○あれば特別な歌に思えて来たり
図書館の本に書き込み、
私的には超いらっとするものなんですが、
多分それは主体も同じと思います。
最初、あっ書き込んでる(イラッ)
って思って、
その後だんだんと
気持が変化してきたんじゃないかなって思います。
小説とかだと、
何か書き込みがしてあるページも
そのくだりを読めばあとはあまり振り返らないけど、
歌集だと、
なんどもパラパラと捲ってしまったりしますよね。
そういう時に、
書き込みってすごく目を引くんですよね。
で、ついつい他のうたよりも、
その丸印のついたうたの方が気になってしまって、
ついには、
「特別な歌に思えて来た」と。
で、ですね。
このうたがステキだなっておもうのは、
そういう自分の気持の変化を
素直に表わしてるところ。
そういうのって大切にしたいところだなぁ
って思いました。

音符を入れたうた。
森下裕隆さんの
ばっぽんてきかいかくと聞くたび脳内でトイレ詰まりが解消される
「ばっぽんてきかいかく」
目で見るとピンと来ないけど、
読んでみると、
あ、抜本的改革か、たしかに「本」……
ってなります。
たしかにねー
「ばっぽんてき」って、
ラバーカップの擬音の
「スッポン」とか「カッポン」
っていうよりも、
より、ぽいような気がします。
真面目な会議などの場面で、
「抜本的改革うんぬん」
って話のたびに、
「あ」
って脳内ですっきりしてる人がいると思うと
めっちゃ面白いですね。
初句二句が句またがりで且つそれぞれ字余りなんですが、
わたしはそれに三句目までを繋げて、
「ばっぽんてきかいかく」
「と聞くたび脳内で」
「トイレ詰まりが」
「解消される」
っていうリズムで読んでしまいます。
「ばっぽんてき」の押し出しがすごくて、
なんとなくスムーズに読ませてくれる気がします。

うたの日(11月11日)


11月11日のお題は「トランプ」「祭」「漫画」「一(いち)」でした。

「一」
頼りなく夜の帳が揺れている十一月のミルクの膜に(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
睡さんの
一年がたっても君がおはようと言った気がして動けなくなる
空耳ってありますよね。
前にも書いたけど、
わたしの定番の空耳は父の声だったりするんですが
(あ、健在ですが)
このうたでは
「君が」「おはよう」って言った声。
一年前は当り前のように聞いていた言葉が、
一年たっても、
まだリアルな質感を持って聞こえて来る。
ハッとする気持と、
まだそんな自分なんだと思う気持で
その場に棒立ちになっちゃう感じ、
あー多分ああいうのだろうなってわかる気がして
いいなって思いました。
「動けなくなる」の結句に緊張感があるような気がしました。

音符を入れたうた。
田村穂隆さんの
風呂のため衣服を脱いでいくときの一つずつ弱くなっていくおれ
お風呂に入るために、
服をひとつひとつ脱いでいく。
うん、とても当り前の行為だと思います。
服は身を守るためのものでもあるので、
やっぱりひとつひとつ脱ぐたびに、
ひとつひとつ弱くなっていく、
これも、そうだよねー
って感じではあるんですが、
それをあえて、
改めて言葉にして確認してるところが
なんか好きだなって思いました。
それはそうなんだけど、
毎回お風呂に入るたびに、
そう感じながら脱ぐってワケじゃないですよね。
このうたの主体は、
なにかがあって、
そういうことにすら、弱味みたいなものを感じてしまうぐらい
ナーバスになってる
とも思えます。
「おれ」がひらがな表記なのも、
なんとなく、弱っぽくていいなって思いました。

薄荷。さんの
癖までもお揃いであるわたしたちはじめの一歩は左足から
「お揃い」っていいですよね。
意識して揃えるのもいいんだけど、
あ、同じだ
って気がつくような、
そういうお揃いはもっとうれしい。
色々似てるところが多いんだけど、
中でも
「はじめの一歩」が同じ足からっていうの、
二人がこれから歩いて行く道の明るさが感じられて、
いいなって思いました。
「はじめの一歩は左足から」って
まあ、右足か左足かの二択ではあるけど、
多分圧倒的に右足から出る人の方が多そう。
だからよけいに、
親近感がぐっと湧くんでしょうね。

うたの日(11月10日)


11月10日のお題は「自由詠」でした。

わたしは最後の部屋の「自由詠」に出しました。
さっちゃんはコアラみたいな顔だったねと言われて記憶が上書きされる(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
梶原一人さんの
船を待つ待合室の長椅子にいつまでもある父の外套
わー、これいい!
って思って、
うたの日のコメントも思わず文字数多めになっちゃいました。
全文引くと
なんとも言えない静けさがあって、とても惹かれるうたでした。
自宅でもなくて、いつも立ち寄るような場所でもなさそうな「船を待つ待合室」(この言い方については、もしかしたらもっと良い言葉があるのかも知れませんが)に、「いつまでもある」という長すぎる時間と長椅子にある外套という父の不在を示すもの。どこへ行くための何の船なんだろうって気になりました。
ね、ながーい。
「待合室の長椅子」「父の外套」
どちらも、きっと年代ものと言ってもいい、
使い込まれたものなんだろうなとか想像すると、
なんとなく、それらの匂いまで感じられそう。

音符を入れたうた。
杉本茜さんの
ものすごい懺悔を1人でした後のわたしに黙って剥かれる葡萄
このうた、
「黙って剥かれる葡萄」の、
粒感みたいなものが想像されて、
そこがなんかすごく好きだなって思いました。
ただ、「葡萄」って言った場合、
だいたい房の葡萄を連想させると思うんですが、
このうたでは、
ただただ、黙って皮を主体に剥かれている一粒
な、わけですよね。
もちろん葡萄が黙っていないで何か言うとか
そういうことは無いんですが、
ひとしきり一人懺悔のあとの主体には、
その静かさが、
なにかコイツだけは自分を何も言わずに許してくれる
みたいな気持になって、
「黙って剥かれ」てくれると思えちゃうんでしょうね。

常盤このはさんの
渡せずにいたものばかりに気がついて今日は娘に戻っています
うわー、切ないな
って最初読んだ時思いました。
そして、そういう事って
わたしにもいつか来るんだろうなって
そう思いました。
このうたでは、
はっきりとは誰に「渡せずにいた」のか表現されていませんが、
「娘に戻」るというので、
多分、主体の親なんだろうなって思います。
「渡せずにいたもの」は、
例えばプレゼントだったり、何かのお祝いだったり、
そういうモノでもあるんでしょうけれど、
それ以外の、
感謝の気持だとか、何かの言葉だとか、
もうとにかく、
思い出したら、あれもこれも……
ってなってしまいそう。
でも、何かの理由でそれを実際に渡すことができないので、
「娘」として思いを馳せている、
みたいな感じかな
って思うとホント切ないなって。
「今日は娘に戻っています」
しみじみといいなぁ。

小宮子々さんの
またひとつ何かを捨てて誕生日死んだ詩人の本をあがなう
誕生日に自分へ特別な本を買うこと、
何かを捨てたその空白を埋めるのが、
その特別な本であること、
そういうのステキだなって思いました。

木村比呂さんの
眠ってるあいだに時効が訪れたこどもの横でもう寝てしまう
「眠ってるあいだに時効が訪れたこども」
寝る前にしたいたずらや失敗が、
眠った後で発覚しちゃったんでしょうか。
でも、今起こして叱っても仕方ない。
朝まで待って叱るほどのことでもない。
「もう」の一語が、
怒りたいけど怒れない、というか
寝顔を見てたら怒る気もなくなったお母さんの心情っぽくて
いいなって思いました。

うたの日(11月9日)


11月9日のお題は「午前」「棘」「大阪」「殺」でした。

「棘」
人類は木星に着きあの日ささった棘はとうとう心臓に着く(しま・しましま)
子供の頃、指に刺さった棘を放っておくと、
だんだん体の中に吸収されて、
それが血管の中に入り込んで、
いつか心臓に辿り着いて死ぬ
みたいな話で震え上がったものですが、
何度か棘をほっといたんですが、
今のところは大丈夫みたい。

ハートを入れたうた。
ミルトンさんの
とげとげのひっつき虫をポケットにかくしてきみの隙をうかがう
素直に、
かわいいうただなって思ってハートでした。
「とげとげのひっつき虫」
っていう表現がまずかわいい。
ポケットに隠せるぐらいだから、
これはオナモミのひっつき虫かなぁ。
オナモミの実を発見して、
急に子供の頃を思い出しちゃって、
ついいたずら心がむくむく。
そんな事気付いてない「君」に
くっつけようと思うだけで、
くすぐったいような興奮が湧いてくる
みたいな状況を想像してしまいました。
ところで、
このひっつき虫ですが、
実は「オナモミ」って絶滅危惧種なんだそうですね。
普段わたしたちが目にするのは、
外来種の「オオオナモミ」なんだとか。
っても、
1960年代にはすでに絶滅に瀕していたみたいなので、
わたしが子供の頃の思い出のひっつき虫も
オオオナモミの思い出なんでしょうね。
話が脱線しちゃいましたが。
主体のワクワクした気持が感じられて、
ホントかわいいうたって思いました。

音符を入れたうた。
文月郁葉さんの
抜くときも痛むだらうか一本の棘はまつすぐ海馬に立ちて
何か記憶のなかに、
「一本の棘」としてささってる痛みがあるんでしょうか。
今ももちろん考えるだけで痛いけど、
「抜くときも」痛いのかもしれない、
もっと痛いかも知れない
そう思うと、その痛みをなんとかしようとする気持が
ちょっとぐらついてしまう
みたいな感じかなって思います。
場所が「海馬」ですからね。
比較的新しい記憶の痛みだと思うんで、
早く抜くことができれば、
それがいいんだろうけれど、
もっとその時は痛いかもって思うと、
なかなか……
って思う気持、なんとなくわかるなぁって思いました。

ぽつりさんの
意地悪は意地悪にしかわからない 見えない棘を潜ませる場所
あー、わかる。
わたしも意地悪だから分るわー
ってなったうたでした。
本当に心のきれいな、疑うことを知らない人は、
その嫌味や嫌がらせに気がつかないんですよね。
しかも、
実際に「意地悪」さんは、
どこにそれを潜ませたら効果的なのか
とか、考えてちくちくやってる訳です。
伝わらないなんて考えもしないで。
伝わるのは、同じ「意地悪」さんにだけ、
なのかもしれません。
ところで、
このうたの「意地悪は意地悪にしかわからない」の
最初の「意地悪」と
次の「意地悪」って、
微妙に意味が違うことば、
ですよね?
「意地悪(な、行為)」と「意地悪(をする人)」
「意地悪」さんを判別できるのが「意地悪」さんである
ということではないだろう、
と思って読みましたが、
この辺がやや読みが揺らぐところかなって
ちょっとそんな気がしました。

うたの日(11月8日)


11月8日のお題は「連絡」「背」「殻」「描く」でした。

「描く」
もう月が消えてしまったこれからは何のひかりで描けばいいの(しま・しましま)
最近うたの日にコメントを入れてなくて、
なんとなく気になってます。
一言ずつでも入れておきたいです。

ハートを入れたうた。
中山とりこさんの
桃色があふれる君のキャンバスに描かれて僕も桃色になる
あー、なんかいいなって思いました。
「桃色」、
色んな意味に取れる色だと思うんですが、
わたしは普通に
色味としての「桃色」と取りました。
女の子っぽい、明るくてかわいい色味。
実際の「僕」自身は、
そういう色合いじゃないんだけど、
「君」のフィルターを通すと、
「僕」が「桃色」になってるんだ
っていうことを
肉眼で確認した
みたいな感じかなぁ。
「君」も幸せで、
「僕」もうれしい、
って感じがしてすてきなうただなって思いました。

音符を入れたうた。
有櫛由之さんの
犬に眉描くのが上手い少年が引越してきてざわめきの町
マジックで犬に眉毛を描いちゃう少年。
おっとそれは少年時代のうちの夫と同じ。
本人は「絶対よろこんでた!顔がうれしそうだった!」
って言い張るんですが、
それは描いた眉の効果だろって気がしますが、
まあ、
そんなに匂いのきつくないマジックなら、
犬も遊んでもらえて嬉しいのかも。
このうたで、
特にいいなって思ったのが、
結句の「ざわめきの町」。
この体言止めがびしっと決ってるなぁって思いました。
俗な内容を詩的に昇華させてるような
そんな気がします。

天使きらりさんの
クレヨンで大きな丸を描きし子は丸に入りてまた丸を描く
お子さんの一生懸命な様子が
目に浮かぶようなうたでした。
いくつもの丸が登場して、
ぐるぐるぐるぐるってなる(うーん、伝わるでしょうか?)
夢中な感じ。
ただ、
わたしは
この「描きし子は」は、
「子の」ってさらっと続けた方が
それに続く「丸に入りてまた丸を描く」が
鮮明になるような気がしたんですが、
その辺は多分好みなんだろうなって思います。

過去の短歌(うたの日題詠派生の連作ふたつ)


わたしはあまり、どこかに出すための連作って
作ったことがなくて、
うーん、
多分、一番最近だと千原こはぎさんの「おいしい短歌」、
あと、同じくこはぎさんのネプリ「獅子座同盟4」
それと、なんたる星大賞と第二回ぺんぎんぱんつ賞に
チャレンジしたくらいですね。

で、遊びではちょこちょこ作ってて、
その中に、
うたの日の題詠から、
勢いあまって連作に仕立てちゃった、
というものがいくつかあります。
というか
過去、このサイトに掲載した連作のうち、
50音童話短歌
以外は、みんなそうかも。

「無題」
アーヴィングの海に漂う剥製のいぬの名前はソロー(悲しみ)という
(悲しみが沈むことなく漂うの、それって水より軽いからなの?)
たくさんのスプートニクに乗ってったそれより多くの犬たち(いぬたち)
(マイライフ・アズ・ア・ドッグってあったよね、イズ・ア・ドッグって思ってたけど)
クドリャフカ、バルス、リシチカ、プチョールカ、ムーシュカ今はいない名を呼ぶ
(時々は空を見上げていいんじゃない?開いた窓の前に立ってさ)
ライカ犬という呼び名でぼくたちは宇宙に漂うソローを思う

「月とりんご」
もう少しでザムザ氏を穿つところだったと窓辺のりんごがつぶやく月夜
青白い月の光のなかでさえほのかにりんごは赤さを増した
「それ以来わたしはザムザ氏を見ない」だから…とりんごが見上げる月だ
窓ガラス夜風が打てばカーテンのかすかに立てるカサという 音
「さあて、ねえ。わたしが知りうるザムザ氏は毒虫であるザムザ氏だけだ」
毒虫?いいえウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)
毒を持つ身はどちらだろうとりんごは笑う「なにしろわたしはりんごなのだし」
もう月がこんなに淡いぶるるるん身震いをして夜を払おう
朝になれば夜中眠っていたものが目覚める だけど昨日のままで?

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