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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(11月13日)


11月13日のお題は「門」「?」「美人」「指輪」でした。

「指輪」
それもまた誰かの尺度になるんだろう 指輪をしない日々を重ねて(しま・しましま)
うちの夫の結婚指輪は、
結婚初年度にわたしが洗面所で流してしまったので、
ほぼ結婚指輪をしない男として過してきました。
申し訳ないので、わたしもしてません。
夫の方はその所為なのか、本人のキャラクターからなのか、
未だに結婚しないの?とか再婚したらどう?とか
仕事関係の人から言われたりするそうです。
さて、わたしは直接誰かから何か言われたことはないんですが、
どう思われてるんでしょう。

ハートを入れたうた。
七緒さんの
いつだって私にいちばん似合うのは私が買った私の指輪
あー、なんかかわいくて好きだな
って思いました。
うん、そうなんだよね、
自分が自分で選んだ指輪が
自分に一番似合うよね
好きに選べるからねぇ
と、思うんですが、
このうたは、単純にそういう意味だけではないと
思うんですがどうでしょう。
このうたには「私」が三度も出てきます。
「私に」「私が」「私の」
まるで私がいればそれでいいんだって
強がってるようにも聞こえて、
うーん、
そこがすきだなぁって思いました。
「いつだって」「いちばん」
という強調のしかたも、
強がりっぽくて、
そうだそうだ、負けるなー
みたいなエールをつい送りたくなってしまいました。

音符を入れたうた。
小宮子々さんの
約束をときどき破るふたりだし安い指輪でじゅうぶんですよ
このうた、
最初、結婚指輪かな
って思ったけど、
さすがに
「安い指輪」で十分な理由が
「約束をときどき破るふたり」だから
ってのはどうなんだろうって思って、
エンゲージリングは安いのでいいよ
って指輪を用意しようとしてる彼に言ってるのか、
まだそこまで至らない、
ペアリングの段階なのかな
って思ったり。
「安い指輪でじゅうぶんですよ」
っていう、
ちょっと軽めの冗談めかした感じに
結婚の約束みたいな重いものって
どうかなぁ、
わたしが彼なら、
じゃあやめとこうかって思っちゃいそうで、
このうた、
ペアリングぐらいの指輪であってほしい、
そう思ったうたでした。

うたの日(11月12日)


11月12日のお題は「親」「確」「週末」「本」でした。

「本」
本棚のわきに積まれる本たちの声がうるさい 背表紙を隠す(しま・しましま)
本にカバーをつけてもらわない派ということも
あるんだと思いますが、
本の背表紙って意外とカラフルで床置きしてると
がちゃがちゃ色味がうるさいなって思うことあります。

ハートを入れたうた。
ロコンさんの
図書館の歌集一首に○あれば特別な歌に思えて来たり
図書館の本に書き込み、
私的には超いらっとするものなんですが、
多分それは主体も同じと思います。
最初、あっ書き込んでる(イラッ)
って思って、
その後だんだんと
気持が変化してきたんじゃないかなって思います。
小説とかだと、
何か書き込みがしてあるページも
そのくだりを読めばあとはあまり振り返らないけど、
歌集だと、
なんどもパラパラと捲ってしまったりしますよね。
そういう時に、
書き込みってすごく目を引くんですよね。
で、ついつい他のうたよりも、
その丸印のついたうたの方が気になってしまって、
ついには、
「特別な歌に思えて来た」と。
で、ですね。
このうたがステキだなっておもうのは、
そういう自分の気持の変化を
素直に表わしてるところ。
そういうのって大切にしたいところだなぁ
って思いました。

音符を入れたうた。
森下裕隆さんの
ばっぽんてきかいかくと聞くたび脳内でトイレ詰まりが解消される
「ばっぽんてきかいかく」
目で見るとピンと来ないけど、
読んでみると、
あ、抜本的改革か、たしかに「本」……
ってなります。
たしかにねー
「ばっぽんてき」って、
ラバーカップの擬音の
「スッポン」とか「カッポン」
っていうよりも、
より、ぽいような気がします。
真面目な会議などの場面で、
「抜本的改革うんぬん」
って話のたびに、
「あ」
って脳内ですっきりしてる人がいると思うと
めっちゃ面白いですね。
初句二句が句またがりで且つそれぞれ字余りなんですが、
わたしはそれに三句目までを繋げて、
「ばっぽんてきかいかく」
「と聞くたび脳内で」
「トイレ詰まりが」
「解消される」
っていうリズムで読んでしまいます。
「ばっぽんてき」の押し出しがすごくて、
なんとなくスムーズに読ませてくれる気がします。

うたの日(11月11日)


11月11日のお題は「トランプ」「祭」「漫画」「一(いち)」でした。

「一」
頼りなく夜の帳が揺れている十一月のミルクの膜に(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
睡さんの
一年がたっても君がおはようと言った気がして動けなくなる
空耳ってありますよね。
前にも書いたけど、
わたしの定番の空耳は父の声だったりするんですが
(あ、健在ですが)
このうたでは
「君が」「おはよう」って言った声。
一年前は当り前のように聞いていた言葉が、
一年たっても、
まだリアルな質感を持って聞こえて来る。
ハッとする気持と、
まだそんな自分なんだと思う気持で
その場に棒立ちになっちゃう感じ、
あー多分ああいうのだろうなってわかる気がして
いいなって思いました。
「動けなくなる」の結句に緊張感があるような気がしました。

音符を入れたうた。
田村穂隆さんの
風呂のため衣服を脱いでいくときの一つずつ弱くなっていくおれ
お風呂に入るために、
服をひとつひとつ脱いでいく。
うん、とても当り前の行為だと思います。
服は身を守るためのものでもあるので、
やっぱりひとつひとつ脱ぐたびに、
ひとつひとつ弱くなっていく、
これも、そうだよねー
って感じではあるんですが、
それをあえて、
改めて言葉にして確認してるところが
なんか好きだなって思いました。
それはそうなんだけど、
毎回お風呂に入るたびに、
そう感じながら脱ぐってワケじゃないですよね。
このうたの主体は、
なにかがあって、
そういうことにすら、弱味みたいなものを感じてしまうぐらい
ナーバスになってる
とも思えます。
「おれ」がひらがな表記なのも、
なんとなく、弱っぽくていいなって思いました。

薄荷。さんの
癖までもお揃いであるわたしたちはじめの一歩は左足から
「お揃い」っていいですよね。
意識して揃えるのもいいんだけど、
あ、同じだ
って気がつくような、
そういうお揃いはもっとうれしい。
色々似てるところが多いんだけど、
中でも
「はじめの一歩」が同じ足からっていうの、
二人がこれから歩いて行く道の明るさが感じられて、
いいなって思いました。
「はじめの一歩は左足から」って
まあ、右足か左足かの二択ではあるけど、
多分圧倒的に右足から出る人の方が多そう。
だからよけいに、
親近感がぐっと湧くんでしょうね。

うたの日(11月10日)


11月10日のお題は「自由詠」でした。

わたしは最後の部屋の「自由詠」に出しました。
さっちゃんはコアラみたいな顔だったねと言われて記憶が上書きされる(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
梶原一人さんの
船を待つ待合室の長椅子にいつまでもある父の外套
わー、これいい!
って思って、
うたの日のコメントも思わず文字数多めになっちゃいました。
全文引くと
なんとも言えない静けさがあって、とても惹かれるうたでした。
自宅でもなくて、いつも立ち寄るような場所でもなさそうな「船を待つ待合室」(この言い方については、もしかしたらもっと良い言葉があるのかも知れませんが)に、「いつまでもある」という長すぎる時間と長椅子にある外套という父の不在を示すもの。どこへ行くための何の船なんだろうって気になりました。
ね、ながーい。
「待合室の長椅子」「父の外套」
どちらも、きっと年代ものと言ってもいい、
使い込まれたものなんだろうなとか想像すると、
なんとなく、それらの匂いまで感じられそう。

音符を入れたうた。
杉本茜さんの
ものすごい懺悔を1人でした後のわたしに黙って剥かれる葡萄
このうた、
「黙って剥かれる葡萄」の、
粒感みたいなものが想像されて、
そこがなんかすごく好きだなって思いました。
ただ、「葡萄」って言った場合、
だいたい房の葡萄を連想させると思うんですが、
このうたでは、
ただただ、黙って皮を主体に剥かれている一粒
な、わけですよね。
もちろん葡萄が黙っていないで何か言うとか
そういうことは無いんですが、
ひとしきり一人懺悔のあとの主体には、
その静かさが、
なにかコイツだけは自分を何も言わずに許してくれる
みたいな気持になって、
「黙って剥かれ」てくれると思えちゃうんでしょうね。

常盤このはさんの
渡せずにいたものばかりに気がついて今日は娘に戻っています
うわー、切ないな
って最初読んだ時思いました。
そして、そういう事って
わたしにもいつか来るんだろうなって
そう思いました。
このうたでは、
はっきりとは誰に「渡せずにいた」のか表現されていませんが、
「娘に戻」るというので、
多分、主体の親なんだろうなって思います。
「渡せずにいたもの」は、
例えばプレゼントだったり、何かのお祝いだったり、
そういうモノでもあるんでしょうけれど、
それ以外の、
感謝の気持だとか、何かの言葉だとか、
もうとにかく、
思い出したら、あれもこれも……
ってなってしまいそう。
でも、何かの理由でそれを実際に渡すことができないので、
「娘」として思いを馳せている、
みたいな感じかな
って思うとホント切ないなって。
「今日は娘に戻っています」
しみじみといいなぁ。

小宮子々さんの
またひとつ何かを捨てて誕生日死んだ詩人の本をあがなう
誕生日に自分へ特別な本を買うこと、
何かを捨てたその空白を埋めるのが、
その特別な本であること、
そういうのステキだなって思いました。

木村比呂さんの
眠ってるあいだに時効が訪れたこどもの横でもう寝てしまう
「眠ってるあいだに時効が訪れたこども」
寝る前にしたいたずらや失敗が、
眠った後で発覚しちゃったんでしょうか。
でも、今起こして叱っても仕方ない。
朝まで待って叱るほどのことでもない。
「もう」の一語が、
怒りたいけど怒れない、というか
寝顔を見てたら怒る気もなくなったお母さんの心情っぽくて
いいなって思いました。

うたの日(11月9日)


11月9日のお題は「午前」「棘」「大阪」「殺」でした。

「棘」
人類は木星に着きあの日ささった棘はとうとう心臓に着く(しま・しましま)
子供の頃、指に刺さった棘を放っておくと、
だんだん体の中に吸収されて、
それが血管の中に入り込んで、
いつか心臓に辿り着いて死ぬ
みたいな話で震え上がったものですが、
何度か棘をほっといたんですが、
今のところは大丈夫みたい。

ハートを入れたうた。
ミルトンさんの
とげとげのひっつき虫をポケットにかくしてきみの隙をうかがう
素直に、
かわいいうただなって思ってハートでした。
「とげとげのひっつき虫」
っていう表現がまずかわいい。
ポケットに隠せるぐらいだから、
これはオナモミのひっつき虫かなぁ。
オナモミの実を発見して、
急に子供の頃を思い出しちゃって、
ついいたずら心がむくむく。
そんな事気付いてない「君」に
くっつけようと思うだけで、
くすぐったいような興奮が湧いてくる
みたいな状況を想像してしまいました。
ところで、
このひっつき虫ですが、
実は「オナモミ」って絶滅危惧種なんだそうですね。
普段わたしたちが目にするのは、
外来種の「オオオナモミ」なんだとか。
っても、
1960年代にはすでに絶滅に瀕していたみたいなので、
わたしが子供の頃の思い出のひっつき虫も
オオオナモミの思い出なんでしょうね。
話が脱線しちゃいましたが。
主体のワクワクした気持が感じられて、
ホントかわいいうたって思いました。

音符を入れたうた。
文月郁葉さんの
抜くときも痛むだらうか一本の棘はまつすぐ海馬に立ちて
何か記憶のなかに、
「一本の棘」としてささってる痛みがあるんでしょうか。
今ももちろん考えるだけで痛いけど、
「抜くときも」痛いのかもしれない、
もっと痛いかも知れない
そう思うと、その痛みをなんとかしようとする気持が
ちょっとぐらついてしまう
みたいな感じかなって思います。
場所が「海馬」ですからね。
比較的新しい記憶の痛みだと思うんで、
早く抜くことができれば、
それがいいんだろうけれど、
もっとその時は痛いかもって思うと、
なかなか……
って思う気持、なんとなくわかるなぁって思いました。

ぽつりさんの
意地悪は意地悪にしかわからない 見えない棘を潜ませる場所
あー、わかる。
わたしも意地悪だから分るわー
ってなったうたでした。
本当に心のきれいな、疑うことを知らない人は、
その嫌味や嫌がらせに気がつかないんですよね。
しかも、
実際に「意地悪」さんは、
どこにそれを潜ませたら効果的なのか
とか、考えてちくちくやってる訳です。
伝わらないなんて考えもしないで。
伝わるのは、同じ「意地悪」さんにだけ、
なのかもしれません。
ところで、
このうたの「意地悪は意地悪にしかわからない」の
最初の「意地悪」と
次の「意地悪」って、
微妙に意味が違うことば、
ですよね?
「意地悪(な、行為)」と「意地悪(をする人)」
「意地悪」さんを判別できるのが「意地悪」さんである
ということではないだろう、
と思って読みましたが、
この辺がやや読みが揺らぐところかなって
ちょっとそんな気がしました。

うたの日(11月8日)


11月8日のお題は「連絡」「背」「殻」「描く」でした。

「描く」
もう月が消えてしまったこれからは何のひかりで描けばいいの(しま・しましま)
最近うたの日にコメントを入れてなくて、
なんとなく気になってます。
一言ずつでも入れておきたいです。

ハートを入れたうた。
中山とりこさんの
桃色があふれる君のキャンバスに描かれて僕も桃色になる
あー、なんかいいなって思いました。
「桃色」、
色んな意味に取れる色だと思うんですが、
わたしは普通に
色味としての「桃色」と取りました。
女の子っぽい、明るくてかわいい色味。
実際の「僕」自身は、
そういう色合いじゃないんだけど、
「君」のフィルターを通すと、
「僕」が「桃色」になってるんだ
っていうことを
肉眼で確認した
みたいな感じかなぁ。
「君」も幸せで、
「僕」もうれしい、
って感じがしてすてきなうただなって思いました。

音符を入れたうた。
有櫛由之さんの
犬に眉描くのが上手い少年が引越してきてざわめきの町
マジックで犬に眉毛を描いちゃう少年。
おっとそれは少年時代のうちの夫と同じ。
本人は「絶対よろこんでた!顔がうれしそうだった!」
って言い張るんですが、
それは描いた眉の効果だろって気がしますが、
まあ、
そんなに匂いのきつくないマジックなら、
犬も遊んでもらえて嬉しいのかも。
このうたで、
特にいいなって思ったのが、
結句の「ざわめきの町」。
この体言止めがびしっと決ってるなぁって思いました。
俗な内容を詩的に昇華させてるような
そんな気がします。

天使きらりさんの
クレヨンで大きな丸を描きし子は丸に入りてまた丸を描く
お子さんの一生懸命な様子が
目に浮かぶようなうたでした。
いくつもの丸が登場して、
ぐるぐるぐるぐるってなる(うーん、伝わるでしょうか?)
夢中な感じ。
ただ、
わたしは
この「描きし子は」は、
「子の」ってさらっと続けた方が
それに続く「丸に入りてまた丸を描く」が
鮮明になるような気がしたんですが、
その辺は多分好みなんだろうなって思います。

うたの日(11月7日)


11月7日のお題は「包」「シンプル」「純」「幸」でした。

「幸」
コンビニにプリンいろいろ幸いが甘いかどうかは誰も知らない(しま・しましま)
プリンの種類、多いですよね。

ハートを入れたうた。
スコヲプさんの
贅沢と幸福はやや似ていますバウムクーヘン半円にして
うたの日のコメントに
結婚式の引き出物のバウムクーヘン
というシーンを想像した、と書きましたが、
たぶん、
「幸福」で「バウムクーヘン」なので、
そういう連想になったんだと思います。
「贅沢」と「幸福」、
美味しいものを食べるのは幸福だし、
それを一度にがっつり食べるのは贅沢って感じだけど、
とりあえず主体が感じたのは、
「贅沢」の方で、
そこから「幸福」の方をひっぱってきた
んじゃないかなぁ
って思ったうたでした。
自分だってこんな贅沢食いしちゃって
それはそれで幸せなんだから
みたいな。
そんな風に読んだんですが、
どうなんでしょうね。
ずれまくってる可能性あります。

音符を入れたうた。
一〇〇八さんの
長ねぎを刻めばいつも背後から幸せなのかと問う父の声
このうたも、
どうも自分勝手に想像しすぎた可能性があります。
えーっと
わたしの場合で申し訳ないんですが、
たまに空耳で父が「おい」っていうのを聞くんですが、
そんな感じに、
ふっと父の声が聞こえるような気がした
みたいな感じかなって思いました。
それが「幸せなのか」
という言葉っていうのは、
父の声を借りた、
自分自身の疑問であり、
なんとなく父に対して
そういう疑問を持ちつつ生きていることに負い目があるのかな
とか思ったりして。
「長ねぎを刻めば」「いつも」
というフレーズから、
「長ねぎ」が何かのキーワードなんだろうなって
思ったりするんですが、
それは多分、主体と父、あるいは主体にしか分らない理由なのかも
って思います。

東風めかりさんの
幸せにすこし近づく手始めにポップコーンはキャラメル味で
「幸せにすこし近づく」
っていうアクションを起こす
ってところがいいなぁって思いました。
よし、近づこう
って思って、
まずその手始めとして、
「ポップコーン」、
それも「キャラメル味」をチョイスする。
遠くへ求めるような幸せじゃなくて、
まず手始めは身近なとこから
って感じがするのがすきです。
「ポップコーン」の音の
弾む感じも「幸せにすこし近づく」食べ物として
すごく相応しい感じするなぁって思いました。

「未来」八、九月号掲載分


八月号は、四首も落とされて、
これはかなりがっくり来ました。
でも、その八月号に掲載されたものについて
人にツイートしてもらったり
十一月号で他の方に引いてもらえて
ショックな号でもありうれしい号でもありました。

ところで、
八月号は四首でしたが、
だいたい私は毎月三首は落とされるんですけども、
五月号から数えて、
もう二十二首が
闇に消えたことになります。
手を入れればなんとかなる素材なのか
このまま闇に葬った方がいいものなのか、
ちょっと悩みますね。

「未来」八月号
今買った映画の券が手の中で折れる桜も散って久しく
たいがいは痛みが先にやってきて傷だとわかる 青草を漕ぐ
目を閉じていても光を追ってしまう眼球という淋しい羽虫
裸婦像の大きな影の中にいてまだ立ち上がることができない
損ばかりしてきたような足の小指に空とおんなじ青のぺディキュア
このあとはだれかの時間顔を拭いたタオルで洗面台を軽く拭う

「未来」九月号
六月のまだひんやりとしすぎてる日影に入る こどもを避けて
「しあわせにくらしました」の過去形に済んだことだと念押しされる
石鹸を三回撫でる 決められてないことばかりに縛られている
エスカレーターの手すりに触れるいつだって君は冷たいことはなかった
「しっぱい」と言われてふいに収縮するエクボがあればその下あたり
まだ家に帰りたくない右の手がパンのトングをかちかち鳴らす
今もちゃんと切符を握っているだろうか時々わたしは手の中をみる

うたの日(11月6日)


11月6日のお題は「神社」「カード」「片」「最高」でした。

「片」
「ごめんね」の返事は「いいよ」片耳でふゆのはじめの風を聞きつつ(しま・しましま)
nu_koさんから評をいただきました。
幼稚園とか小学校の特に低学年ぐらいで
よく先生主導の仲直りとして
「ごめんね」「いいよ」
っていうやりとりがなされること、ありますよね。
長い間これが疑問で、
そんなことでホントにいいの?
先生から無理矢理言わされた「いいよ」で
それでお互いにいいの?
って思ってたんですけども、
実際にそのぐらいの年齢の子供を持ってみて、
このやりとりって必要だったんだなぁって
ひしひしと感じました。
このぐらいの子の喧嘩って、
だいたいどうでもいいようなことがきっかけだったりするんですよね。
大人の視点で見て、
というよりも、
多分本人も、途中から、
メインテーマはきっかけの出来事ではなくて
「喧嘩していること」
になってることが多いんですよねぇ。
もちろん、もっと根本的な問題があることも
まれにありますが。
えーと、
2015年の角川「短歌」1月号に
いつまでも謝りつづけるひとりゐて児らの遊びのすさみてゆけり(栗木京子)
といううたが掲載されてて、
当時まだ短歌を
ほとんどまともに読んでも詠んでもいなかったんですが、
非常に感銘を受けました。
「ほんとそれ」
って感じで。
その時は、とにかく作者の非情な観察眼が
うわーしびれるって思ったんですが、
これも「いいよ」で終ることなんじゃないかなって。

ハートを入れたうた。
塾カレー
生き方を問ふかのやうに片方の靴下だけに空いてゐる穴
そう!
そうそう!
靴下の穴ってそうなんですよね。わかるー。
と、めっちゃ共感して
すぐにハートに決めてしまいました。
わたしも、
「未来」の結社誌に
くつしたは教えてくれる傷むのはいつも大事なところからだと
というのを出したことがあるんですが、
ホントに、
「生き方を問ふ」
って感じ。
お前はこういう履き方をした
こういう扱いをした
こういう歩き方をした
っていうのが
如実に靴下にあらわれる、
という気がします。
履き方、扱い方、歩き方、
そういうのも「生き方」のひとつですよね。
「片方の靴下あけに空いている穴」
を発見するというトホホから、
「生き方を問ふ」という
広げ方をしてあるところも
すてきだなって思いました。

音符を入れたうた。
山川翠さんの
窓枠に片肘つけばちょうどいい僕を枕にきみの夜行バス
パッとすぐには
その情景が浮かばなくて、
頭の中で少し整理が必要だったんですが、
ほんわかといい光景だなって思いました。
二人で夜行バスに乗ってるんですよね。
で、「きみ」が静かになったなって思ったら、
「僕」に持たれて眠ってる。
「きみの夜行バス」がいいなぁ
夜行バスは初めてで、
すごくワクワクしてる「きみ」とか
そういうこのうたのシーンの前が想像されます。
「僕」は「きみ」を起こさないように、
「窓枠に片肘」ついて、
しずかに窓の外を眺めたり。
「僕」の「きみ」への眼差しの温かさが
ホントすてきでした。

うたの日(11月5日)


11月5日のお題は「箸」「音」「π(パイ)」「楽」でした。

「楽」
猫舌のふりしてふうふう冷ましてた楽しい時間が続けばよかった(しま・しましま)
なんか甘いですねぇ。
たまには甘くてもいいかなって思ったりして。

ハートを入れたうた。
森下裕隆さんの
信楽焼(しがらき)のたぬきが多い町だなと気づいた時には手遅れだった
なんだかよくわからないけど、
なにかやばい、きな臭い気配がします。
昔話でたぬきに化かされた人とかなら、
手遅れというよりも
あとで、「あー悔しい化かされた!」
ってなるので、
そこまで緊迫感がないんですが、
このうたの場合、
「気づいた時には手遅れだった」
って、とにかくやばい感じ。
「だった」という過去形が、
だとしたら今は……と想像を掻き立てます。
面白いうただなーって思いました。

音符を入れたうた。
nu_koさんの
楽園はどこにもなくて地図帳で変な地名をさっき見つけた
このうたを見て、
ぱっと頭に浮かんだのが
「エロマンガ島」と「がっかり島」でした。
このうたではどんな地名が見つかったんでしょうか。
地図帳で楽園を探す
っていうのもロマンがあるような
ないような、
ちょっと気の抜けた行動ですが、
楽園のかわりに、
うっかり変な地名を発見してしまうって
その落差が面白いなって思いました。

五條ひくいちさんの
駅前のかに道楽の看板が手を振っている別れの季節
「別れの季節」
っていつでしょう。
人によって春だったり、
夏が終った秋の初めだったり、
いろいろだと思いますが、
なんとなくこのうたの「別れの季節」は
秋の終りから初冬
って感じがします。
「かに道楽」の看板も
当然一年中あるものですが、
ふっと目が温かさを求めて、
それが「かに道楽の看板」だったと思うと、
めっきり寒くなったぐらいの季節かなー
って思った次第です。
「かに道楽の看板」のかにの動きさえ
「別れ」の手を振っているように見えてしまう、
そんな視点が面白いなって思いました。

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