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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(11月23日)


11月23日のお題は「おにぎり」「ばね」『 「恋」の字を使わない恋の歌 』「長袖」でした。

「おにぎり」
でたらめに握ってもいいおにぎりに定型警察は存在しない(しま・しましま)
きれいな三角じゃなくてもいいし、
きれいな俵型じゃなくてもいいし、
なんならにぎらなくてもいい、
という
とうとう本末転倒気味の世界に突入しつつある
「おにぎり」。

ハートを入れたうた。
雀來豆さんの
ころころとおにぎりさえも行き過ぎてぼくには今日も手紙は来ない
おにぎりだろうとおだんごぱんだろうと
ころがりがちな食べ物ですが、
とくに「おにぎり」は、
やっぱり「ころころ」ころがって、
とうとう手が出せないところまでいっちゃいますね。
おだんごぱんならきつね、
おにぎりならねずみのところへ辿り着くはずですが、
「ぼく」のところは素通りしてしまう。
それと
「今日も手紙は来ない」
ことと、
特に因果関係はないと思うんですが、
こういう一事が万事、みたいな感覚、
とくにダウナーな気持のときはあるなぁって思います。
うん、そう。
わたしのところにも
今日も手紙は来ません。
来なくて不思議は無いけど、
「来ない」と思うとさみしいですよね。

音符を入れたうた。
杏野カヨさんの
おにぎりにミートボールを入れてみる旅先できみが笑えるように
「旅」に先立って、
おにぎりを握っている主体
っていうのがまずいいなって思いました。
それも、
「旅先できみが笑えるように」
という下の句から、
もしかしたら主体は同行しない旅みたいにも思えます。
旅先で、おにぎりを食べてみて、
あ、中身ミートボールなんだ
って、思わず笑ってしまう「きみ」を
思い浮かべながらおにぎりを握る
って、なんだかいいなぁ。
誰かのためににぎる「おにぎり」の
あったかさと、
「ミートボール」の
みっちりした丸いかたちと、
「きみが笑えるように」
というフレーズの、
どれもが温かさを感じるようで、
すてきなうただなって思いました。
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うたの日(11月22日)


11月22日のお題は「夫婦」「キック」「天国」「ウェディングドレス」でした。
11月22日はいい夫婦の日、だそうですね。
そうですね。

「ウェディングドレス」
ウェディングドレスがしずかに引いてゆく誰かの落とした名刺と共に(しま・しましま)
深影コトハさんから評をいただきました。

ハートを入れたうた。
nu_koさんの
夢ですよそれは花嫁ではなくて九月の風とレースカーテン
「夢ですよ」と言ったのは誰で
言われたのは誰なんだろうと
少し不思議な雰囲気が漂ううたでした。
レースのカーテンを風がそよがせる場所で
うたたねをしてて、
そこに「夢ですよ」なんて
言ってくれる人ってどういう関係なんだろう
って思って、
もしかしたら自分自身に
「夢ですよ」って自嘲まじりにつぶやいたのかも知れないけど、
自嘲というには
「夢ですよ」は優しすぎて、
やっぱりわたしは誰かに誰かが言った言葉と取りたい気がします。
それにしても、
うたの日のコメントにも書きましたが、
ほんと、
なんて儚い花嫁なんだろうって
とにかくステキだなって思いました。

音符を入れたうた。
黒井真砂さんの
リカちゃんに白いハンケチ巻きつけて意味も知らずに誓う永遠
主体の過去回想のうたと思ったんですが、
「ハンケチ」っていう表現に
ちょっとひっかかってしまいました。
初代リカちゃんとしても
さすがに高度経済成長以降のおもちゃなので
「ハンケチ」の古さと合わないような気がするんですよね。
でも、そこ以外の部分で言うと、
とてもステキで、
過去から現在に、現在から過去に、
意識がぐぐーっと流れる感じがあって、
好きだなって思いました。
ハンカチとか、
けっこう着せ替える服の代用品になってましたよね。
で、白いハンカチで、
純白のウェディングドレスに
っていう子供ながらも
ポイントをきちんとついてる感じ、
たしかにそうだよなぁって思いました。

温子さんの
母さんに甘える最後の儀式のよう試着しまくるウェディングドレス
思わずふふっと笑ってしまったうたでした。
いえ、
この作品そのものに笑ったんじゃなくて、
自分の結婚式の前のことを思い出しちゃって。
わたしも、
ドレスをとっかえひっかえして、
最終的に母と大喧嘩になって、
電話で一方的に
「じゃあ結婚式なんてしなくていい」
って言われちゃった思い出が
ぶわーっと蘇ってきました。
いや、全然甘くない話ではありますが。
「甘える最後の儀式」っていうのがいいですよね。
新婦のほんのりとした覚悟みたいなものも
そこから感じられます。
これで甘え納め、みたいな。
「儀式のよう」「ウェディングドレス」
という上の句と下の句の最後のフレーズが
意味的に繋がってるのに、
文章的には途切れているところが
ちょっと気になりましたが、
わかる!そうだよねっ!
って大共感のうたでした。

うたの日(11月21日)


11月21日のお題は「軽」「飼」「絵の具」『「ん」で終わる歌』でした。

「飼」
飲み会の半ばあたりでえへへって飼い犬の匂いをさせてくる(しま・しましま)
えだまめさんから評をいただきました。

ハートを入れたうた。
nu_koさんの
秋がきて夕陽はおちてかぶとむし飼育セットをかたづけている
「かぶとむし飼育セットをかたづけている」
という、
あっさりとした表現の裏に、
そこで現在飼育されているかぶとむしがいない
という前提があるんだよね
っていうのが、
なんていうか非情だなぁって思います。
かぶとむしはもうここにいないんだよ
夏は終ったんだよ
っていうダメ押しみたいな感じ。
「秋がきて夕陽はおちて」
っていう並べ方もいいなって思いました。
そこに因果関係はないけど、
当り前のように並べちゃうところが
じわじわ面白いなって思いました。
面白くて非情って、
めちゃ非情じゃないですか。

音符を入れたうた。
大葉れいさんの
人影があればゆらりと浮いてくる真っ赤な鯉を心に飼って
「真っ赤な鯉」って、
なにかドキッとさせられるフレーズで
とても印象的でした。
「人影があればゆらりと浮いてくる」鯉っていうのは
割とふつうの鯉な気がしますが、
それが「真っ赤な鯉」で、
しかも「心に飼ってる」っていうところが
おおっと思わせられました。
心に何か生き物を飼うみたいな詩的表現って
これもまた割とあるような気がしますが、
なかなか「鯉」を飼ってる人はいないですよね。
しかも、
やたらと人恋しそうなところを
あえて隠さずに詠んじゃうところが
なんだか好きだなって思いました。

うたの日(11月20日)


11月20日のお題は「清」「正義」「似ている言葉」「風」でした。

「正義」
針葉樹の香りの残るバスルームを出て行く足に正義が触れる(しま・しましま)
「正義」
難しい題だなぁってまず思いました。
意味とかテーマとか
そういうものがない短歌が好きなので、
どう「正義」と向き合おうって
ちょっと悩みました。
ちなみに我が家で最近愛用されているのは
「温泡ONPO」って入浴剤です。

ハートを入れたうた。
たかだ牛道さんの
暖房はきみの正義と違うけど僕はやっぱり石油ストーブ
冬の暖房を正義じゃないっていう
そういう正義は確かにありそう。
地球規模で見た正義、みたいな
そういうのを想像しましたが、
そういうことでいいのかな?
だいたいはその正義に付き合って上げられるけど、
暖房はやっぱり欲しいし、
チョイスするなら「石油ストーブ」
っていうの、
なんかすごく分ります。
自分語りで申し訳ないんだけど、
うちも数年前から
ファンヒーターをやめて、
石油ストーブを使ってますが、
これが非常に温かい。
風が出ないので、
猫も火の前に座って満足げ。
「石油ストーブ」
って、ちょっと昭和っぽいアイテムなんですが、
ちゃんと現役だし、
理想より現実、
みたいな感じと
ほんのり昭和ロマンみたいなものがあって、
感じがいいなって
勝手にパワーワード認定させてもらっちゃいます。

音符を入れたうた。
太田宣子さんの
手羽先はかく喰ふべしと鬱陶しいきみの正義はきみに似てゐる
「手羽先」、うん。
この食べ物のチョイスがいいなって思います。
たしかに食べ方に一家言ある人がいそうではあります。
どう食べればいいかなって思ってるときなら
それをアドバイスとして受け入れられるんだけど、
度が過ぎると単なる押し付けですよね。
しかもそれが正しいとなると、
非常にうっとおしいことこの上ないですね。
自分勝手な食べ方の押し付けだと
うっせばーかって思ってればいいんだけども。
「喰ふ」「鬱陶しい」という表記が、
よりうっとおしさを増してて
面白いなって思いました。

雀來豆さんの
あなた初めて正義の箱を開けてみた子どもみたいに泣いているのね
どきっとさせられるうたでした。
どうだろう、
わたしは「初めて正義の箱を開けてみた」時、
泣いたのかな。
それが泣くべき場面、
泣かずにおれない場面なんだなって思うと、
多分、泣かずにやりすごしてしまったわたしの子供時代が
それ以前にどこかがすれてしまっていたようで
とても残念な気がします。

うたの日(11月19日)


11月19日のお題は「編」「枯れる」「武器」「待つ」でした。

「枯れる」
取れかけてたはずのボタンはもうなくてそこから枯れていくんだろうね(しま・しましま)
亀山真実さんから評をいただきました。
あとで付け直そうと思ってたボタン、
ちっちゃな喪失ってなんとなく後をひく気がします。

ハートを入れたうた。
荻森美帆さんの
陽に当てておいても枯れる鉢植えと共にわたしも越冬したい
うたの日に
共に越冬したいということは、その鉢植えは本当に枯れてしまったのではなくて、次の年にまた新しい芽を出すために眠っている多年草なんですね。次の春までひっそりしてたいという気持、でも出来れば一人ぼっちではなくてっていうところがいいなって思いました。
とコメントしましたが、
数日たって、
改めて読んでも、ホントそう。
「越冬」って、
春を待つ、未来のある感じで、
今はダウナーな気持であるかも知れないけど、
完全に枯れてないんだなってところが好きですね。
ダメなときはとことんダメだったりするけど、
でも、それが全てじゃないんだなって。
すてきなうたでした。

音符を入れたうた。
春森糸結さんの
枯れてなお濃いむらさきをのこしてるアメジストセージ晩秋の風
「アメジストセージ」の、
強い存在感と、
晩秋の冷たい風の対比が
きれいにきまったうたって思いました。
「晩秋の風」は、
枯れかかったアメジストセージを揺らしながら、
そのままドライフラワーにしているような雰囲気もしますし、
何より、
セージと風の間に、
主体が立って、その二つの交わりを見ている、
そういう視線のようなものを感じました。
ただ、
うーん、
これは単なるわたしの好みの問題とも思えますが、
「のこしてる」という
い抜き言葉の舌ったらずさが
なんだか惜しいなあって思います。
「枯れてなお」とか
「晩秋の風」とか、
きりっと決った言葉なので、
い抜き言葉の幼さが気になる感じでした。

うたの日(11月18日)


11月18日のお題は「象」「ロケット」「近」「しま・しましまさんの絵」でした。

そう、今回のお題の一つは私が描いたイラストだったのでした。
わたし自身は「ロケット」で出したんですが、
「しま・しましまさんの絵」で詠んでくださった方へ
感想を少しずつかかせていただきました。
ホントに感激でした。
感激すぎて、その中からいくつか選ぶとか、
とても出来ませんでした。

「ロケット」
これは月へこれは星へと並べられ長いつみきの全てロケット(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
笠和ささねさんの
ぞうさんもさんしょううおも置いてゆきロケットはきょうコロニーへゆく
こういうSFな舞台装置に日常系、
大好きです。
というか、そう読ませてもらいました。
「ぞうさんもさんしょううおも置いてゆき」
これって、この日のお題全部詠みのうたかな
って思うんですが、
(わたしのイラストは山椒魚でした)
そういうパズルチックな感じを余り漂わせずに、
ナチュラルに「ぞうさん」「さんしょううお」が
そのイメージをきちんと結べる形で登場してる
って気がします。
わたしの想像の中では、
これらは幼い子供のおもちゃ。
地球から(とは限らないのかも知れませんが)
宇宙コロニーへロケットでお引っ越しの当日。
おもちゃを全部は持っていけなくて、
古いおうちにおいてきぼりになっちゃう
「ぞうさん」「さんしょううお」。
彼らに辛くて淋しい気持を残しつつも、
新しい生活の始まりにわくわくを押さえきれない子供
っていう感じがして、
うーんすてきだなって思いました。
時代が変わっても、
どんなに科学が進んでも、
人の心の機微までは
そう変っては行かないんじゃないか、
そんなことを思いました。

音符を入れたうた。
松岡拓司さんの
ぼうだいな使い捨てだよロケットは 落ちる破片に雨傘を差す
言われてみれば、
たしかにロケットの部品の大部分が使い捨て
というか、
まともな形で地球に戻ってくる部分の方が
少ないんでしょうね。
ロケット、とは違うんですが、
このうたを読んですぐにわたしが思い浮かべたのは、
映画インデペンデンス・デイのラストシーン、
エイリアンの巨大母艦の破片が
燃えながら落ちてくるのを、
独立記念日の花火に例えるシーンでした。
あそこまでど派手ではないとは思いますが、
ロケットの破片が落ちてくるというのに、
それに「雨傘」で対処するという
なんというか洒脱さみたいなところが
すてきなうただなって思いました。

けらさんの
ありふれた飛行機雲も信じれば「ロケット月へ」それでいいじゃない
「飛行機雲」
それだけで、子供の頃はわあって気持の盛り上がるような
そういうものでしたが、
さすがに大人になると、
そこまでは盛り上がれない。
「ありふれた飛行機雲」
って一蹴するほどでもないですが。
しかも
地面に対して垂直に延びているように見える飛行機雲です。
特別な飛行機雲ですよね。
いや、
あれは飛行機の航跡に出来た雲で、
排気ガスの中に含まれる水分や、
部分的に気圧が下がって出来る云々
とか言われても、
あんまり嬉しくないかも。
「ロケット月へ」
そう思う人がいたら、
その場はそれでいい、
そうだよなぁって思います。
「それでいいじゃない」というフレーズに、
有無を言わせない、
それで決まり!みたいな強さがあって
そこが好きだなあって思いました。

うたの日(11月17日)


11月17日のお題は「順」「アスファルト」「知らんがな」「運命」でした。

「アスファルト」
泣き顔のきみは知らない人みたいアスファルト蹴ったら冬が匂った(しま・しましま)
安野カヨさんから評をいただきました。

ハートを入れたうた。
太田宣子さんの
ぬばたまの月に濡れたるアスファルト影絵つくれば影絵もはしやぐ
「ぬばたま」って枕詞ってやつですよね。
わたしはホント汗かくぐらい古典に疎いので、
そういうことかな
ぐらいしかわからないんですが、
「ぬばたま」は黒とか夜に掛かる枕詞
ということなので
このうたの場合は、
多分すぐ後の「月」ではなくて「アスファルト」の方に
かかることばなんでしょうね。
いやでもほんとに、
アスファルトが月光を反射して、
濡れてるように見える夜ってありますね。
これが月が出てればいつでも
って感じでもなくて、
たまにそういう夜あると、
おおってなっちゃいます。
主体もきっとそうなんじゃないかな。
自分の全身の影を「影絵」に見立てて、
その「影絵」がはしゃいでるっていう
うん、そういう気持すごく分るなぁって思いました。

音符を入れたうた。
荻森美帆さんの
人間が夜を渡れるように敷くアスファルトにはガラスを混ぜる
ガラスを混ぜて敷かれるアスファルトありますね。
夜の安全性の向上のために、
光が当たるとキラキラするガラスが混ぜてあるとか
聞いた事があります。
それを、
「人間が夜を渡れるように」
と表現されているのが、
ホントすてきだなって思いました。
現代の文明の成熟、科学の進歩をもってしても、
まだ、
人間って補助がないと夜も渡れない生き物なんだ
って気がします。

中牧正太さんの
アスファルトがぼくを見るたび語りだす若者たちのスキップ離れ
すっとぼけた感じが面白くて好きです、このうた。
「アスファルト」なんていう、
地面に敷いてある、
しかもいたるところにきっちりくまなく敷いてあるものが
「ぼくを見るたび語りだす」
という、この感じ。
主体はどんだけ語られ続けてるんだ
っていうね。
しかもその話題が
「若者たちのスキップ離れ」。
いったい、この「アスファルト」の記憶のどこに、
若者がスキップと親密だった時代があるんでしょうか。
考えてみれば、
「若者の○○離れ」ってよく聞きますが、
実際に言われてることでも、
いくつかは、
そんなもともと親密じゃなかったでしょ
ってことありますよね。
そう考えると、
うっすらと社会詠ぽい……のかな。

踏霞さんの
「上善は水の如し」か、夕立ののちアスファルト乾くはやさよ
「夕立」ってことは夏の情景ですよね。
うーん、別に俳句じゃないから、
そんなに季節が違うとか考えなくてもいいんだろうけど、
どうしても、そういうことを考えてしまうのは、
ちょっと心が狭いでしょうか?
でも、面白いうただなって思いました。
真夏の熱せられたアスファルトが、
夕立で一度は濡れたのに、
雨があがればすぐに乾いてしまった。
ということにふと気がついた主体。
そこから、
「上善は水の如し」っていう老子の言葉が
口を突いて出て来たという、
その繋がりはいまひとつ分りませんが、
ふっと口を突いて出てきたような
『「上善は水の如し」か、』
の「か、」の部分の息遣いみたいなものが
生々しくていいなって思いました。

うたの日(11月16日)


11月16日のお題は「白菜」「銀杏」「黒猫」「青空」でした。

「銀杏」
冗談のようにあかるい土曜日の銀杏並木だ 走ってぬける(しま・しましま)
荻森美帆さんに評をいただきました。

ハートを入れたうた。
冬桜さんの
銀杏をペンチで割った父親の腕の血管すこしこわくて
幼い頃の回想のうたと思いました。
実はわたしはぎんなんを割った経験がないんで、
どのぐらい力を込めないと割れないものなのか
わからないんですが、
このうたの感じでは、
コツがいるのか、力がいるのか、
そう簡単に割れるようなものでもないのかな。
そういえば、
うちの実家はトンカチで割ってたような……。
それはどうでもいいんですが、
このうたでは、
ちょっと固い殻だったのか、
「父親の腕」に「血管」が浮くぐらい、
力をこめておられたんでしょうね。
それの様子を、
幼い主体は、「すこしこわく」感じたっていう。
普段は見ない父の姿だったんだろうな
って思います。
「父親の腕の血管」、
その一点だけの視点が
なんか鮮やかでいいなって思いました。

音符を入れたうた。
太田宣子さんの
銀杏の翡翠摘まんでまぶしげに無口なひとの無口にゐたり
「無口なひとの無口にゐたり」
うーん、上手いなぁって
思いました。
「ゐたり」の「たり」の使い方とか
もうすごくいいな
って。
わたしは、
この「ゐ」るのは、
主体と読んだんですが、どうなんでしょう。
今になって、ちょっとぐらついてますが。
「銀杏の翡翠摘まんでまぶしげに」
しているのは、このうたに登場する「無口な人」で、
主体は、そうやって静かに「まぶしげ」な様子でいる人の
その無口圏内で、やっぱり同じように静かにしている
みたいな。
そういう感じに読んだんですが、
もしかしたら、
無口な人が無口でいる、
ということなんでしょうか。
誰かが、何か遠い幸せな(と思われる)記憶を、
黙って思い返している場に、
なにか磁力があるようで、
そこがすごくステキだなって思いました。

ヤシローさんの
それからというものイチョウはだんまりではらりはらりと葉だけ落とした
「それから」という言葉って、
何かパワーがありますよね。
え、どこから?いつから?
みたいな突っ込みを許さないような。
あと、とにかく一首の口当たりがよくて、
声に出して読みたくなっちゃう。
それにしても、
改めて考えてみれば、
イチョウって確かに、
葉を落すまでは、
華やかな木ですよね。
信じられないぐらい黄色一色にそまって、
とにかくドラマチック。
それが、落葉しはじめとたん、
「だんまり」になって
「はらりはらりと葉だけ落と」す。
うん、
なんとなくですが
「だんまり」がハマるような気がします。

ぽつりさんの
捨て去ったすべてが黄金に輝いて銀杏は後悔しないだろうか
このうたでは、
そのイチョウが落とした葉を、
もしかして自ら捨ててしまったものだけど、
こんなに美しいんだから、
捨てたことを「後悔しないだろうか」と
ふと思う主体なわけです。
もしかしたら、
もしかしたらですが、
主体自身が何かそういうような種類の後悔を
かつてして来たんだろうか、
って気がします。

鳴瀬 諒さんの
抽斗の祖母のペンチは錆びついて もう銀杏を剥くこともなく
「祖母のペンチ」というのは、
なかなかミスマッチな組み合わせのような気もしますが、
それが「銀杏を剥く」ためだと分ると、
すとんと納得しますね。
マイペンチを持つ祖母っていうよりも
家族のためにせっせと銀杏を割っている祖母。
そのペンチも今は抽斗の中で錆びついてしまってる。
持主の不在を感じて切ないですね。
しかもどうやら、
誰かが祖母の代りに使ってるわけじゃないようで、
そこがまた切ない気がします。
しっとりと切なくていいなって思ったんですが、
「錆びついて」「剥くこともなく」
と、
上の句も下の句もいいさしのまんまなのが、
なんとなく宙ぶらりんで落ち着かない感じがします。

うたの日(11月15日)


11月15日のお題は「静」「悪」「90年代」「ページ」でした。

「悪」
ハーゲンダッツ買って行くから またこわいわるい二匹のうさぎになろう(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
雀來豆さんの
悪人とばかり思っていた母が魔女だと知った夜のキッチン
「夜のキッチン」
って、それだけで何か雰囲気がありますよね。
「かいじゅうだちのいるところ」で有名な
モーリス・センダックの絵本にも
「まよなかのだいどころ」って本がありますが、
あれは幼い少年の、不思議で楽しくて、
ちょっと怖い気もする冒険のお話。
このうたの「夜のキッチン」は、
子供が入っちゃいけない、危険な匂いのする、
「母」だけの聖域って感じがします。
子供ごころに、その「母」を「悪人」だと思っていたという、
子である主体。
それは、もしかしたら余り深い意味はなくて、
ただ「悪い人なんじゃないかな」っていうだけのもの
だったのかも知れないんですが、
まずそう子に思わせる母親ってどういう感じなんだろうって
興味をひかれました。
周囲の真面目な感じのお母さんと比べて、
ぼくの母は違う、
そういう感じだったのかなって思いますが、
どうなんでしょう。
それが、ある夜、
ふと見えてしまったキッチンで……
みたいな、そういうドラマを想像しました。
「魔女」ってものの捉え方で、
かなり雰囲気というか方向性というかが
違ってくるんじゃないかと思いますが、
かわいいファンタジックな「魔女」というよりも、
禁忌としての「魔女」を思って、
ショックを受けつつ、
なんとなく納得もする、みたいな少年を思って、
うーん、好きだなぁって思いました。

音符を入れたうた。
照屋沙流堂さんの
腹が減っては悪事もできぬとキッチンで袋麺さがす、正しく作る
「腹が減っては戦は出来ぬ」
ということわざがありますが、
この言葉は使い勝手がいいみたいで、
戦の部分を何かと替えて使われているのを
よく見かけます。
このうたでは「悪事」。
単に「悪事は出来ぬ」ではなくて、
「悪事も出来ぬ」というところに
なんとなく作者の含羞を感じます。
というか、
ホントに思わず口を突いて来た言葉みたいな
そんな感じがしますね。
勝手に妄想しちゃいますが、
時間帯は夜。
主体の他に家族がいるとしても、
もう寝てるところとか想像します。
あまり大きな音を立てないようにしながら、
ごそごそと袋ラーメンを探して、
裏に表示してある通りに
「正しく」作るラーメン。
基本真面目な人なんだろうなって思います。
「腹が減っては~」ということわざを使うにしても、
定型をはみ出してもその辺はきちんと使ってしまう
というところにも、
その真面目さがうかがえるようで、
こんなに破調な感じなのに、
真面目そうなイメージが面白いなって思いました。

山縣 春さんの
わるいことしてきた人がたべさせてくれるクリーム餡のぬるいたい焼き
このうたの「わるいこと」は、
主体ではない別の人物がしてきたことなんですね。
どんな悪い事かははっきり明記しない
というよりも、
主体も、どんな悪い事なのか、
実はよく知らないのかもって思いました。
それにしても、
なんだか、ぞわぞわと生理的な気持悪さの募るうたで、
そこが妙に味があるなぁって思いました。
「たべさせてくれる」
という、
あたかも「わるいことしてきた人」に
庇護されて生きているような感じと、
「餡のぬるいたい焼き」
しかも「クリーム餡」!
という、
食べさせてもらうとしたら、
これはちょっとなにか、
うーん、
べたっとして気持が悪いような……。
このぞわっと落ち着かない気持にさせるところが
このうたの魅力だなぁって思います。

一〇〇八さんの
おやすみが過ぎたキッチンこっそりと悪だくみするプリンとビール
一読して、その現場が想像されて
あーかわいいっ
って思ったうたでした。
「プリンとビール」が「悪だくみ」。
それはきっと、
まだ厳格に就寝時間が決められてる幼い子供と、
そのお父さんって気がします。
「おやすみ」って言って、
もう本当は寝ていなくてはいけないプリンと
本当は寝かせなくてはいけない方のビールが、
こっそりキッチンで悪だくみ。
うん、かわいすぎるなぁ。
前述で、
「夜のキッチン」を母の聖域と書きましたが、
このうたの「夜のキッチン」は、
管理者不在のおいしいものが隠れている場所
って感じでしょうか。
昼間のキッチンで食べるプリンとくらべて
特別な味がするのは
多分「悪」の隠し味なんでしょうね。
ところで、
「おやすみが過ぎたキッチン」という表現、
「おやすみ(の時間)が過ぎたキッチン」なのか、
「おやすみ(の言葉を)が」
「過ぎた(=交わされた後の)キッチン」
なのか、
大体状況としては同じようなものですが、
微妙に違うような気がするので、
どっちなんだろうなって思ったりします。

UrbanBluesさんの
建て付けの悪い机に気になっていたらどうにも夏が終わった
何の机なのかは分かりませんが、
なんだか妙にがたつく、
あるいは引き出しが軋む
みたいなことが気になって仕方がない
なんてことで、
うだうだしてて
気がついたら夏が終ってしまった。
という感じかなって思います。
まあ、
うだうだしててってのは、
わたしが勝手に脳内で付け足したんですが。
そんなことにかまけてる場合じゃなかった!
みたいな思いって
だいたい後の祭りだったりするんですよね。
「どうにも」という一語が
じんわり味があっていいなぁって思います。
わたしの大好物のトホホ感がこの一語から漂います。
ただ、
ただですね、
「建て付けの悪い机に気になっていたら」
の「に」という一語、
わたしはこれが気になります。

笠和ささねさんの
ねぇ どうして インコがページ噛んだこと返すときうまく言えないんだろう
「インコがページ噛んだこと」を
その本を返すときにうまく言えない
って、
なんかすごくいいなって思いました。
インコ!インコって!
みたいな。
ありそうでなさそうで、
でも、インコ飼ってたらそういうこともあるのかな
っていう微妙なリアリティと、
それが「うまく言えない」ことのリアリティ。
すごーく好きな感じなんですが、
それをなんでドリカム包みなんだろうなって
そこがとても気になるうたでした。

うたの日(11月14日)


11月14日のお題は「先生」「私」「酒」「別」でした。

「酒」
カップ酒ちょっとこぼして開けながら馬鹿になるってたまにしんどい(しま・しましま)
年取ったなぁ
って思うことのひとつに、
酒量が減った
というか、あんまり飲めなくなった
ってのがあるんですが、
それでもなんだかんだで毎日何かしら飲んでるわたしです。
でもそういえば、
カップ酒って年に一、二度ぐらいしか飲まないですね。
だからなのか、
単純に不器用だからなのか、
蓋を開ける時にいつもちょびっとこぼしてしまいます。
実はカップ酒って、いいイメージないんですよね。
随分前のことなんですが、
ぱっと見普通の40代か50代ぐらいの女の人が、
お酒の自販機につかつかとやってきて、
カップ酒を買って、
もうびっしょびしょにこぼしながら蓋を開けて
その場でぐいーっとあおって、
もう一つ買って、
今度は端から見てもかなり気をつけて蓋をあけて、
それもその場で一気に飲んで去っていったのを
バスを待ちながら目撃してしまって、
あれはとても衝撃的でした。
普通の奥さんぽいかっこをした、
普通の女性だったんですけども。
いや、うたとは全然関係ないカップ酒の思い出なんですけどね。

そういえば、
「酒」という題でしたが、
あんまり酒飲みさんは参加されてなかったのかな
っていう印象。

あー、いい酒飲んでるなぁって思ったうたを
選んだ感じになりました。

ハートを入れたうた。
たかだ牛道さんの
酔うほどに歌論を熱くたたかわす男が今日は恋に終始す
わーいいなって思いました。
まず、
「酔うほどに歌論を熱くたたかわす」
って、いいなぁ。
そういう正面から語り合える人がいるって
いいですよね。
さすがにここで
「歌論」
なんて言葉がバーンと出てるからでしょうか。
文語が効いてるうただなって思います。
選をしていたときは、
詠われてる内容と、「恋に終始す」という結句がいいな
って思ったんですが、
改めて読んでみると、
微妙に主体の身の乗り出し方というか、
テンションの違いが感じられて面白いなって思いました。
「酔うほどに歌論を熱くたたかわす」
の、A音の多さに対して、
「今日は恋に終始す」では、
ほとんどA音がないという。
歌論ほどは熱く語り合えないけど、
それでも、今夜はそれで付き合うよ
みたいな感じでしょうか。

音符を入れたうた。
松岡拓司さんの
酒旨し只それだけを云うために語尾を重ねる酒呑みである
酔うために飲むんじゃなくて、
旨いから、
旨いって云うために飲む
って、それは幸せな飲み方なんだろうなって思います。
うたの日のコメントにもちょっと書きましたが、
「語尾を重ねる」
という表現が、
余り見慣れなくて、
うーん、たぶんこう言う事かな?
程度の把握になっちゃったんですが、
「旨いなぁ」「なあ」
ってことでホントに良かったでしょうか。
ともかく、
確かに旨そうな感じがして、
あーなんかいいなって思いました。

西村曜さんの
スパークリングの日本酒飲んでわたしたちそれはすてきな誤読でしたね
「スパークリングの日本酒」と「すてきな誤読」
この、どちらも本気で入り込みすぎない立ち位置と
おしゃれ感あるけどおしゃれ過ぎない、
みたいな雰囲気が、
すごく似合うなぁって気がしました。
このうたの「わたしたち」、
知り合ってそんなに長くない男女と想像しましたが、
どうなんでしょうね。
女性同士で、
ちょっといたずらっぽく言うのもステキではありますが。

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