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しま・しましま

Author:しま・しましま
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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(11月30日)


11月30日のお題は「税」「水玉」「痣」「眺」でした。

「痣」
生まれつきある痣みたいな顔をしてあなたの日々にわたしはいたい(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
永昌さんの
右膝に赤い痣ありよく見れば生まれ故郷のかたちに似ている
訥々とした雰囲気が、
どことなく山崎方代を思わせて、
あーすきな感じのうただなって思いました。
うたの日に
「生まれ故郷」をどのぐらいの範囲で考えるんだろうと思った時、都道府県ではなくて、もうちょっと狭い範囲なんじゃないかなって思いました。なかなかぱっと出て来る形ではないと思いますが。
すてきなうたで惹かれました。
と、コメントしたんですが、
痣のかたちを何かに似てるって思うのは、
本人よりも他人みたいな感じがするんですが、
これは多分本人の痣を、本人が思ってるんだろうな、
っていう、
そのちょっと自分自身から離れた感じがいいなって思いました。

音符を入れたうた。
桔梗さんの
死んでる、とふいに言ひたるひとの手にあをく滲んだその死に触れる
うたの日にもコメントしましたが、
「死んでる」という発見の言葉、
これがまず目を引きました。
「死んでるとふいに」ではなくて
「死んでる、とふいに」
と、読点が入ったことで、
そういった人と、聞かされた主体のおどろきが感じられました。
わたしは、
その人の手の中に、
何か実際に、生き物が死んでいるのが乗っている
って読んだんですが、
どうなんでしょうか。
「死んでる」って宣言されて、
見せられることで、
その生き物の死が、
記号としての「死」になっているようで、
なにか非常に切ない気がしました。

加賀田優子さんの
脇腹に薄くひろがる水たまりふりむくときにさざなみが立つ
薄いあざが脇腹のあたりにある、
そういう人を見ているのだと思いました。
薄い灰色って、
水の色に似てますよねー
ってそういうことではない?
もしかしたら、
本人は気にしてる痣なのかも知れないし、
そうではないかも知れないけど、
その痣のことは
お互いに口にしないんだけど、
でも主体は、
そこに水を見てる
っていいなって思いました。
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うたの日(11月29日)


11月29日のお題は「恩」「山手線」「スニーカー」「自由(自由詠ではない)」でした。

「自由」
結局は自己責任というわけね こわごわかじるきのこの右端(しま・しましま)
雨宮司さんから評を頂きました。
このうたのどこにも、
それを思わせる言葉を入れてないので、
もちろん、知らんわ
ってなるとは思いますが、
アリスがかじるきのこをイメージしてあります。
っていっても、
実際のきのこも、
野生種なら自己責任ですよね。
目的が
美味しく頂きたい
というものとは限らないですが。

ハートを入れたうた。
下弦さんの
「この頃は墨絵もします」寡婦となりし友の葉書を泳ぐ出目金
いいなって一目見て思いました。
葉書を出した友も、
それを受け取った主体も、
お互いを労ってるようなやさしさが、
言外に溢れてるって気がします。
「寡婦」っていう言葉、
単純に夫と死別、あるいは離婚した人っていうのと、
ちょっと雰囲気が違うような気がします。
普段あんまり使わない言葉ですし、
あえて「寡婦」という言葉を使われたということは、
法律上の「寡婦」の定義に合った存在になった
ってことかなって思います。
とすると、
妻という存在ではなくなったけれど、
そのために、
生活が苦しくなったとか、
これから子供(あるいは他の家族)を、
養っていかないといけない立場になった
という人なのかなって。
表立ってあれこれと世話を焼くわけにはいかないけど、
ずっと主体は彼女の事を心配してたんじゃないかな
って気がします。
だからこそ、
「この頃は墨絵もします」という言葉と、
出目金の絵に、
ああ、この人の新しい生活が軌道にのりつつあるんだな
ってホッとされたんじゃないかなぁ。
その葉書を書かれた友も、
心配してるだろう友人(主体)に、
もう大丈夫ってことを
そうやって伝えてるんだろうなって思うと、
心がほわっと温かくなるうたでした。
「この頃は」というフレーズがいいですよね。
どのぐらいの時間を要して、
「この頃」へ至ったんだろうって、
想像されます。

音符を入れたうた。
南瑠夏さんの
朝焼けは自由の匂い まだ意味を持たない空気ばかりで満ちて
「朝焼け」という
鮮やかなイメージを喚起するフレーズ
からの詠み出しが印象的なうたでした。
早朝という時間帯もあって、
たしかに
夕焼けとかと比べて
何かリセットされたばかりの
ニュートラルな雰囲気がするような気がします。

はだしさんの
ふざけるのもふざけないのも自由です マヨネーズでそう書いてある
あー
なんかいいなって思ったうたでした。
何に、とか誰が、とかわからないけど、
とにかく
「マヨネーズ」で
「ふざけるのもふざけないのも自由です」
って書かれてる。
すでにそれを書いた人はふざけてるのかも知れないし、
大真面目なメッセージなのかも知れないけど、
とにかく
そう書かれているのを主体は目にした
といううたですよね。
このうたを読んで、
あ、この感じどこかで見た覚えがある!
って思ってたんですが、
わたしの大好きな大原まり子の小説の中に、
ムースタイプのローションを手のひらに出したら、
「寿」という一字が飛び出してきた
というくだりがあって、
あー、これだこれだって
今確認して胸のつかえが下りたところです。
多分、
このマヨネーズのメッセージも
天啓なんじゃないかなって気がします。
天啓ですよね。

ナタカさんの
自由とは軽やかなもの美容室帰りはちょっと速く走れる
美容院帰りって
確かに心地良くって、
軽やかで足取りも軽くなっちゃいますよね。
それはもしかしたら、
長い間イスに固定されて動けなかったことの
反動のようなものなのかも。
「ちょっと速く走れる」
っていう、
この「ちょっと」のところがいいなって思いました。

久哲さんの
全わたし「あっ」と言わせた大賞はあなたの「今はフリー」宣言
リズムがいいですよね。
「全わたし」
「あっと言わせた大賞は」
「あなたの」
「今はフリー」
「宣言」
弾んだリズムが主体の心の弾みを思わせるような気がします。

うたの日(11月28日)


11月28日のお代は「癒」「引」「頬」「最近怒ってること」でした。

「引」
引き合いに出されることで妹の(枝毛だらけだ)近況を知る(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
冬桜さんの
長すぎる引用、コピーペーストの末に私はあなたになった
「あなた」はきっと主体が憧れる人なんでしょうね。
異性として、あるいは同性としてでも、
とにかく憧れて、
その言動をつぶさになぞってしまって、
その結果
「私はあなたになった」
と、感じるっていう。
高校生ぐらいの女の子の感じがして、
はっきりと、
こう!
とは言えないんだけど、
なにかヒリヒリした肌感があって
好きな感じだなぁって思いました。
なりたくてなったワケじゃないだろうし、
そもそも、
主観としては「あなたになった」と思っても
多分、なってはいないんだろうけど、
その辺の自我のボーダーライン感みたいなのが
すごく若い女の子っぽいなって気がしました。

音符を入れたうた。
霜月実結さんの
ニュートンも気付かぬ「力」に従って 毎年届く故郷の林檎
詠まれていない背景が、
わーっと広がるようでステキだなって思いました。
さらっとした手触りで、
離れて暮す家族の温かさが描かれてるところが
いいなって思います。

宮嶋いつくさんの
アスリートなら引退を考える歳と鏡のおれにつぶやく
うん、なんかもう、
「アスリートなら引退を考える歳」
からもすでに遠い身にとって、
これは笑えるというよりも、
とても身につまされてつらいうたでしたね。
どっから出してきた
みたいな唐突な「アスリートなら」っていうのも
そうじゃないけど、
そろそろ何かラインが引かれそうな
微妙な年齢、
しかも
鏡を前にしてるところとか
なんか分るようでつらいですね。

秋軸ざきこ。さんの
いやそこで星野源さんを引き合いに出すのはルール違反じゃないの
思わずふふっと笑ってしまったうたでした。
いやたしかに
そこで(どこででもですが)
「星野源さん」を引き合いに出されるのは
無茶が過ぎますよね。
特異なキャラクター過ぎます。
旬なネタとしての「星野源さん」だとしても
来年またこのうたを目にした時も
多分同じように、
ふふっと笑ってしまう、
そういう特異なキャラクターだと思います。
星野源さんって。

うたの日(11月27日)


11月27日のお題は「魚偏」「冗談」「童貞」「竜」でした。

「竜」
竜になる出口もなくてゆうぐれにばしゃんばしゃんと跳ねる鯉たち(しま・しましま)
安穏としてることも、
たまには息苦しく感じたりしますよね。

ハートを入れたうた。
小宮子々さんの
それは竜なのかもしれずひとことも交わさぬままに稲妻を見る
実際には稲妻は上から下へ下りているはずなのに、
天へ竜が昇っていくように思える、
そんな稲妻を見たことがあります。
太い光の線で、
怖いけれども本当に生き生きと見えた稲妻を
このうたで思い出しました。
主体は今見えた稲妻が、
もしかして竜なのかもって
そんな気がしてる。
一緒にいる人物がどういう人なのかは分りませんが、
多分その人も、
だまって稲妻に見入ってるんでしょうね。
不思議に音の感じられない
静謐な雰囲気があって、
すてきだなって思いました。

音符を入れたうた。
桔梗さんの
ひとづてに訃報を聞いた冬の日に買ひしめてゐる竜胆のあを
人伝てに聞く訃報って辛いですよね
って書こうとして、
よく考えたら訃報を人伝て以外で聞くことはないかな
とか思ったりしました。
ご遺族から直接ではなくて、
まわり回ってほかの人から、
ということだとは思いますが。
それにしても
「竜胆のあを」が
凛としててステキだなって思いました。
きっと故人は、主体にとって、
とても凛とした魅力的な人だったんだろうなって思います。

大葉れいさんの
欲しいのは綺麗なだけの物語リュウグウノツカイは打ち上げられて
「リュウグウノツカイ」は、
普段めったに(水族館でさえ)目にする事のない
巨大な深海魚です。
「竜宮の使い」という名前や
妖しい背びれの感じから、
美しいイメージがありますが、
死んで打ち上げられているリュウグウノツカイは
やっぱりグロテスク。
そういうのじゃない、
そういうのが見たいわけじゃない
っていう辛さ、
なんとなく分るなぁって思いました。
辛さっていうか、痛みみたいな感じが
切実感を持って詠まれてるような気がしました。

多田なのさんの
君が竜であるなら滝と呼びたいな 雨かと思えば君ならいいな
下の句の
「雨かと思えば君ならいいな」
がホントすてきだなぁ。
それはほんとにいいなって共感しました。
ひどいどしゃぶりだとしても
それは「雨」ではなくて
「滝」と呼ぶことにした「竜」の「君」だった
なんていう、
雨が降ればいつも竜のきみに会えるとか
たしかにいいな。
そうならいいなって思いました。
もちろん
「君」は「竜」でさえなくて、
「雨かと思えば君」なんてことは
ないんだけれども。

うたの日(11月26日)


11月26日のお題は「キッチン」「女子高生」「棚」「けいとさんの写真」でした。

「キッチン」
ホットケーキ!ホットケーキを焼かなくちゃ キッチンは涙が沁みやすい(しま・しましま)
多香子さんから評をいただきました。
評でご指摘があったように、
雪舟えまさんの
ホットケーキ持たせて夫送りだすホットケーキは涙が拭ける
といううたを下敷きにしています。
でも、本歌を知らないと成立しない、
というほどではないかなぁって
自分では思ったんですが、
どうなんでしょうね。
常套的と言われてしまったので、
多分どちらにしても失敗だったのかもって思いますが。

ハートを入れたうた。
久哲さんの
美しい瞳のままでキッチンのフロアマットにいる目玉焼き
「目玉焼き」って
そのネーミング自体が、
擬人化のたまものだと思うんですが、
それを改めて擬人化させた「いる」という二音が
存在感があって
面白いうたって思いました。
なんとか加工のフライパンなのか、
何かのはずみに
床に落ちてしまった目玉焼き
というところだと思うんですが、
それが、きれいな着地を見せて、
半熟の黄身の部分が
上向きで、しかも割れることなく
「キッチンのフロアマット」の上に。
落ちてしまったというのはもう過去の話で、
ここではもうすでに
「いる」
っていうところがいいなって思いました。
床の目玉焼きの「美しい瞳」と
床の目玉焼きを見る主体の瞳が、
ひしっと見つめ合った瞬間かもしれません。

音符を入れたうた。
えんどうけいこさんの
キッチンの塩の在りかがわからない 一年ぶりの実家は寒い
下の句の、
「実家は寒い」が
ホント実感だなぁって思って
いいなって思いました。
単純に、実際に寒いということもあるかもですが
やっぱり、
こう、所在ないというか、
何をするにも、
塩を取るということにつけても
何かもう知らないことが増えてて
身の置き所がない感じが、
「寒い」
に表われてるようでした。
「一年ぶり」っていう期間が
これが絶妙だなって思いました。
「塩の在りか」が分っても分らなくても
どっちも当然とも思える期間だなって気がします。

遠木音さんの
あたためて忘れられてたコロッケが発見される朝のキッチン
あるある系のうたですが、
これが
誰があたためてたのか
って想像をたくましくすると、
脳内でドラマが展開されるなぁって思いました。
自分のためにあたためてたもの
であれば、
うわ、なんかコロッケごめん
みたいな気持で終りなんですが、
これが夕食の時間には間に合わなかった家族の誰かの
って思うと、
なんだか辛いなぁって。

うたの日(11月25日)


11月25日のお題は「真実」「じゃん」「ドーナツの穴」「勘」でした。

「勘」
勘のいい子供はきらいなんて言う二歳ちがいの姉の横顔(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
ほしさんの
一円まで割り勘したる合コン後をかしくて友とわらひ帰りぬ
以前からしょっちゅう書いてますが、
わたし、
トホホ系が大好物なんです。
ほんのりとユーモアとペーソスに包まれたトホホ。
このうたも、
そういうところが大好き。
「一円まで割り勘したる合コン」
という、
主体が男性なのか女性なのかは分りませんが、
主催側ではないらしいことだけは分る、
トホホ案件と言っていいような合コンの、
その後の情景が描かれてるわけですが、
「をかしくて友とわらひ帰りぬ」
とさらっと描かれてるところが
いいなって思いました。
不満というよりも、
とにかく笑っちゃうような合コンだったんだろうなって。
「友とわらひ帰りぬ」
というのが、
このうたのメインなんだと思うんですが、
このさらっとした感じがいいなって思いました。

音符を入れたうた。
温子さんの
知りたくもないのに勘が働いて責めたくもない男を責める
「知りたくもないのに勘が働いて」と
「責めたくもない男を責める」
の二つの文章の、
パワーバランスがすごく拮抗してて、
そこが魅力的だなぁって思いました。
知りたくなかったことを知ってしまった辛さ

責めたくない人を責めざるを得ない辛さ
との辛さ度合も拮抗してるような。
もうね、
「勘」からスタートしたものが、
主体自身でもどうにもコントロールできないような
そんな辛さが感じられちゃうなぁ。

うたの日(11月24日)


11月24日のお題は「平仮名だけの歌」「したい」「ダイオウグソクムシ」「飽」でした。

「ダイオウグソクムシ」
深海に降りつむひかり星鮫を太らせダイオウグソクムシを太らせ(しま・しましま)
雨宮司さんと佐藤博之さんから評をいただきました。
そうですね、
三好達治のあの詩が念頭にありました。
「太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎をねむらせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」のあれです。
自動詞、他動詞問題に関しては、
全然気にしてなかった、
というか、
これで自動詞でいけると思い込んでたので、
勉強していきます。
ところで、
この日の「ダイオウグソクムシ」という長いお題。
わたしを含めて多くの人が、
詠み込まれてたようですが、
三音、四音、
あるいは五音、六音、
ぎりぎり七音までなら、
七五調に無理なく詠み込める単語って思いますが、
「ダイオウグソクムシ」は九音もありました。
句またがり必須ではありますが、
句まがたりしつつも、どこかで軽く切れる部分があるはず。
今回のお題をきっかけに、長い単語を詠む場合、
どう切れを入れるのか、
そういうことが気になってきました。
ということで、
ツイッターで八音以上のお題を募集させてもらって
それで詠んでみる、
というチャレンジを二度ほどさせていただきました。
それについてのまとめは
また後で、ブログに書いていくかと思います。

ハートを入れたうた。
一〇〇八さんの
真夜中の不在着信残された「もしもし、ダイオウグソクムシです」
ダイオウグソクムシも、
たまに人恋しくなるんでしょうか。
電話に出てもらえなかったダイオウグソクムシの、
その切なさを思うと、
むねがぎゅっとなります。
もちろん
本物のダイオウグソクムシじゃない可能性もありますが、
ふざけて電話したとしても
真夜中に掛ける電話って
なんとなく切実な淋しさを感じます。
上の句の
「不在着信残された」
の部分に、
やや詰まりぎみな感じがありますが、
おかしくて切なくてすてきなうたでした。

音符を入れたうた。
ハナゾウさんの
プロポーズありがと嬉しいでもわたし寝起きはダイオウグソクムシだよ?
プロポーズの返事として、
「寝起きはダイオウグソクムシだよ?」
って言われたら、
どう受け取ったらいいんでしょうね
って
面白いなって思いました。
「ありがと嬉しいでもわたし」
という
「ありがと」「嬉しい」「でも」「わたし~」
というのを
リズミカルにつなげてあるところも
楽しかったです。
それにしても、
ダイオウグソクムシ的な寝起きって
どういう感じなんでしょうね。

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