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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(充)

うたの日
3月13日歌題「充」

なに一つ上手に充たせなかった手じっとミルクの冷めるのを待つ(しま・しましま)

この日のお題は「充」「手袋」「万」。
最初にわたしが「充」で作ってみたのが、
充分に両肘張って開きますポテトチップス塩田しお味
というアホみたいな歌でした。
黙ってボツにするつもりだったけど、
なんとなくここで紹介したりして。
ちなみに
出した方の歌は、石川啄木の
はたらけど
はたらけど猶わが生活(くらし)樂にならざり
ぢつと手を見る
が頭の底にありました。

わたしがこの日好きだった歌は、
「充」では小宮子々さんの
泣きながら夜の彼方に投げ出したスマホの充電まだ終わらない
という歌。
「泣きながら夜の彼方に投げ出した」というセンチメンタルできれいな上の句から、
「スマホの充電まだ終らない」と
ふと素にかえって充電のパーセントを確認してるところ、
あー、なんかそういうことってあるよね
と、共感しました。
どんなに自分の中の悲しみに浸ってても、
頭のどこかで現実が気になっちゃう。
そういう歌なのかなと、思って。

「手袋」の歌の中では、藤 かづえさんの
わたくしが落としたままの手袋は寒いあなたを暖めましたか
という歌、
「万」のお題では、桔梗さんの
わたくしのクラッカーから飛びだした万国旗めく春の庭園
という歌がそれぞれ一番好きでした。
たまたまなんですが、どちらも「わたくし」で始まる歌ですね。
えー、
まだ短歌を始めてあまり長くないので、
自分が詠んだ短歌の数も、
誰かが詠んだ短歌を鑑賞した数も多くなくて、
余り「短歌とは」と言えないのでアレなんですが、
詩歌って、基本的に
この歌の主人公はこの人、あるいはこれですよって
明示されてない場合、
自分が主人公だと思うんですよね。
だから基本的に一人称は必要がない。
そこに、あえて一人称を入れるというのは、
その自分がどういう人なのかがわかりやすいように
とか
相手「あなた」とか「君」に対する「自分」を際立たせるとか
何かしら理由があると思うんです。
で、
この二つの歌ですが、
「わたくし」という一人称が使ってあって、
わたしの感じるところでは、
この「わたくし」って矜持のようなものをあらわしてる一人称じゃないかと
そう思ってるんですよね。
ほかの誰でもない、「わたくし」なんですよ
って。
それで、この二つの歌は
その矜持がとても効いてる歌だと思ったわけです。
手袋の歌の方は、
自分の手袋が、誰かを暖めた、そう思いたいという
やさしい歌。
一目見たとき、以前もうひとつのブログ「海に出るつもりじゃなかった」でも紹介した
「てぶくろ」という絵本のことを思い出しました。
あの手袋は、たくさんの動物たちを暖めたんですよね。
あそこまでたくさんの誰かを暖めたとは思えないけれど、
「わたくし」の手袋が、きっと誰かを暖めただろうと、
その誰かに語りかけてる、
やさしい歌だと思いました。
「万」の歌の方は、
若葉が萌え、さまざまな色の春の花が彩る春の庭園を詠んだ歌。
それを直接詠まずに、
「わたくし」のフィルターにかけてあるんだと読みました。
「わたくしのクラッカーから飛びだした万国旗」
のような明るい色とりどりの世界、
それが「わたくし」の「春の庭園」です
って言ってるみたいでした。
「クラッカー」「万国旗」の弾むようなリズムも
クラッカーのパンとはじけるような音も
「春」のよろこびや躍動感が感じられて、
すてきな歌だなぁと思いました。

なんか長くなっちゃってすいません。
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