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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(ごはん・砂)


うたの日

8月29日歌題「ごはん」

犬小屋を持たない犬のいる家の作法にそったたまごかけご飯(しま・しましま)

この日のお題は「ごはん」「裏」「これ」
わたしが出したのは「ごはん」の方でしたが、
なんと!「これ」のお題は
この夏のうたの日ネプリ祭りに便乗して出させてもらったネットプリント、
「ああ、これはフエキどうぶつのりの匂いだ」由来のもの。
うれしくなって、
「これ」の全首にコメントを入れちゃいました。
時間内に間に合わなくなって二首ほど結果発表後になってしまいました。
いやー、難しかった。
今までは、うーんわかんないな。
だったら、スルーで終ってたところを
せめてどう分からなかったか、どこはつかめたかを書こうと思ったんですが、
整理して言語化するの、きつかったですね。
しかも、こういうことだな、いいなって思った歌の歌意が、
作者さんによるとあさっての方向だったり。
それにしても、いい経験でした。

ということで、「これ」のいいなと思った歌、その他の歌の感想は
うたの日の方で書きつくしたような気がしますので、
「ごはん」のすきな歌。
こりけケリ子さんの
猫たちにごはんをあげる仙人が町内会に叱られている
もう、ありありとその姿が想像できちゃって、
うわー、可愛くてほろっと切なくていいなって思いました。
仙人然とした、というよりも
もうすでに実際に仙人と化していてもおかしくない老人。
よく猫たちにごはんをやっている姿が目撃される「仙人」が、
今日は町内会の人たちに叱られているところを目撃してしまった。
って感じでしょうか。
ちらちら見ながら通り過ぎて、
猫にごはんあげるいい仙人なのにな……って思ってる小学生とか想像しました。
それにしても、
多分独居老人と思われるこの仙人が、
よってたかって町内会の人から叱られている姿って
想像するだに切ないものがあります。

鹿沢和元さんの
「ごはんでも行こう」と言われ食欲は関係なしのごはんへ向かう
心がうれしい「ごはん」だな、これは。
と思って好きな歌でした。
希和子さんの
お裾分けの茄子の煮物と語り合う一人暮らしの母の食卓
何かの折に帰省してて、ふと見てしまった母の姿でしょうか。
ひとり言は一人暮らしの習い性みたいなところがあると思うんですが、
それがモノへの語りかけに進化してるところが
一人暮らしの長さを感じさせて、切ないですね。
しかも視点が娘というところが切ないです。
「お裾分けの茄子の煮物」という話し相手のチョイスも
何か切なさを増幅させるようでした。
千花さんの
義務なのか優しさなのかテーブルにラップをかけたレタスチャーハン
テーブルに置かれたレタスチャーハンのみに焦点が当てられてて、
印象鮮明な歌でした。
「義務なのか優しさなのか」という疑問を持ったのが、
チャーハンを用意した本人なのか、用意してもらった人なのか、
あるいは第三者なのかで、微妙にこの歌の雰囲気が変わるような気がしますが、
どちらにしても、「優しさ」であってほしいと思ってそう。
「レタスチャーハン」というごはん一品ものというのも
その疑問を掻きたてる絶妙なチョイスだなって思いました。



8月30日歌題「砂」

リビングを掃けば集まる砂たちのどこの海から来たんだろうか(しま・しましま)

この日のお題は「砂」「夕」「嘘」
しかし、ホントにこの砂はどこから来るんだろうか。
うちはもう小さい子供はいないし、
猫は外に出さないので、
そうそう外の砂が家の中に入ってくる要素がない気がするんですが。

この日好きだった歌は
沼尻つた子さんの
skypeへ途切れがちなる声を乗せ友は砂塵の国に生きおり
「砂塵の国」から、中東の国を想像しました。
なんとなくのイメージで申し訳ないけど、
中東の国と日本をつなぐもの、
それはやっぱりインターネットという感じがします。
イスラム国関係の印象が強く残ってる所為だと思うんですが。
だからこの「skype」がすごくいいなと思いました。
そこへ乗せる肉声が途切れがちなのは、
政情の不安定さか、本人の健康状態からか、
何か単純な理由なのか、
もしかしたら砂塵のざらざらなのかもと
想像が広がっていきました。
「生きおり」が重く響く歌だなぁってしみじみ思いました。

こりけケリ子さんの
砂浜で涙を流しているものの全てがカメじゃないよナターシャ
なんでしょうか。
しょっちゅうこりけケリ子さんの歌の感想を書いてるような気がします。
この歌は、
「砂浜で涙を流しているものの全てがカメじゃない」という真理と
「ナターシャ」という特定の人物への呼びかけの
相乗効果がものすごく面白いと思いました。
琥珀さんの
そびえ立つサンドアートの神の手に生命線が刻まれている
「神の手に生命線」
もうそれだけで皮肉が効いてて面白いんですが、
初句に「そびえ立つ」とその形状を端的に形容して、
そのサンドアートを見ている主体を意識させるところがいいなぁって思いました。
黒川ひかげさんの
好きだけどもう無理なんだ脱ぎ捨てた貝に呟く砂を引きずる
これも面白い歌だなぁって感心しました。
「好きだけどもう無理なんだ」という詠み出し、
恋愛関係のアレかと思ってたら、
あっ!これはアレじゃない、アレだ、ヤドカリだ!
ってなって、
しかも
「砂を引きずる」が、なんとなくヤドカリの癖に渋い哀愁を漂わせているようで
ホント最後まで面白いなぁって思いました。

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