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しま・しましま

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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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うたの日(爆・岸)


うたの日

9月19日歌題「爆」

火のどこかぱちんと爆ぜて手が止まる燃やせば消えるわけでもないか(しま・しましま)

この日のお題は「速」「爆」
「火のどこか~」のうた、下の句がもうちょっと練られたらなぁって我ながら思います。
っていうか、相変わらず全体像がよくわからないうたになってんなぁ。

この日いいなと思った歌。
きいさんの
じゃあねって別れたあとで加速する後ろ姿を見送っている
「じゃあね」って言う別れって、
多分日常の中の一こま的な、軽い別れなんだと思います。
学生が自転車で下校するシーンとか想像しました。
友達同士でも恋人同士でもどちらでも読めますね。
普段は「じゃあね」で別れて、
自分もそのまま自転車で帰っちゃうんだけど、
その日はなんとなく相手を見送ってしまって、
そのぐんぐん加速していく後ろ姿を見ちゃった。
(普段は自分も多分そうやって帰ってるはずなんだけど)
ちょっとは振り返ってくれないかな、とか
作者がそんなことを書いているわけじゃないのに、
色々と「加速する後ろ姿」から想像されて、
ほんわり切ないところがいいなぁって思いました。
楽水童子さんの
天高く正午の発破こだまして山喰ふ町に吾は棲みをり
うーん、いいなぁっておもう歌です。
「発破」「山喰ふ」というワードから、
採石場があるのか、山を削って何かをするのが日常的にある町を想像しました。
わたしが住んでいる町、ではないんだけど、
近くの町にも採石場があって、よくそこを見ながら通り過ぎるんですが、
ぐわっと削られた山肌と、その裾に山肌と同じ色の、
トラックなどに踏み固められた平地が広がる光景は、
「山を喰う」という感じがたしかにある気がします。
もちろん、これは外部の人間が通り過ぎるときに感じるものなので、
そこの町に住んで、発破音を聞いて暮す人ならば、
もっと深い感懐での「山喰ふ」なんだと思われます。
初句の「天高く」が、あざやかでいいなぁって思います。

太田宣子さんの
わたくしの速度を思ふ生きてきた距離を四十四年で割つて
距離÷時間=速度、というのは小学生で習う公式ですが、
それで「わたくしの速度」というのが面白いなぁ。
多分、作者ご自身の年齢が「四十四年」なんだと思いますが、
こうやって具体的な数字を出してきて、
衒いがあまり感じられないところがいいなと思います。
chariさんの
すれ違う列車の音はどちらへも行けずその場に置き去りになる
そういえばそういうことって考えたことなかったな……
っていうものを詠まれて、
「その場に置き去りになる」
と言い切られると、
そうか、そうだよなあって思わず納得してしまいますね。
どこへもついていけない切ない「音」、
それを「速」というお題から導き出すという発想がすてきでした。
えがぷりさんの
15段変速チェーンがよくはずれ要らなくなったライダー自転車
子供用の自転車(しかもライダー自転車)で15段変速!
っていう大袈裟な感じがいいですね。
ギミックに満ち溢れた昭和の子供用自転車の感じが
ありありと浮かんできます。
大目のギミックは少年たちを大興奮させてくれるけど、
手間がかかるものを愛せるほど子供ってのんびりしてないんですよね。
切ないなぁって思います。
荻森美帆さんの
眠れずにプリングルズを食べる手の速度で底のある夜が明ける
プリングルズの筒形の容器の底を、
夜の底と重ねてあるところが面白いなって思いました。
「プリングルズを食べる手の速度」っていうのも、
なんとなくいいな。
これがチップスターだったら、
夜が明けるのを待たずに底がきちゃうような気がします。
門脇篤史さんの
爆発物処理班のやうな面持ちでやりがいのある飲み会に行く
「やりがいのある飲み会に行く」
って、よく考えるとちょっと変わった言い回しだなぁって思います。
「やりがいのある飲み会」って言うと、
飲み会の幹事としてやりがいがある、っぽいけど、
そこに「に行く」がつくと、幹事ではなくて一参加者っぽい。
「飲み会」なのに「やりがいのある」ということは、
「飲み」の部分よりも重要な「やること」がある会のような気がします。
で、
その「飲み会」に、
「爆発物処理班のやうな面持ちで」行くっていうわけです。
気持じゃなくて「面持ち」なんで、
自分自身を、すこし外側から客観的に見た感じなのかな。
もしかしたら、飲み会の会場へ行く途中、
どこかのガラスなどに映った自分の顔が、そう見えたということなのかも。
我ながら緊張してるな、みたいな顔だったのかなぁと思います。


9月20日歌題「岸」

秋草の黄色ゆらゆら揺れるから此岸を少しはみ出している(しま・しましま)

この日のお題は「彼」「岸」
前にも書いた気がするけど、
わたし、秋の黄色い花が大好きなんです。
特にセイタカアワダチソウが好きで、
それを見るために秋になると川べりを意味なく通ったりしてました。
まあ、秋の花粉症を発症してしまったので、
今は車で通り過ぎるときに見る程度ですが。

この日いいなと思った歌。
希和子さん
岸辺へとあなたにゆっくりいざなわれ両足が着く ここがふるさと
不思議な感触のする歌だなぁって惹かれました。
現実として、そういうことがあったようにも、
夢っぽい、あるいは何かの比喩的でもあるような感じ。
「あなた」の「ふるさと」が、どこかの島で、
そこへ案内された、とも読めるんですが、
なんとなくほのかにエロティックな感じがして、
むーん、言葉にしようとすると難しいけど、なんか好きだ
ってなりました。

ナタカさんの
この人と他人になること予感して名前も知らぬ海岸を行く
この歌も、
現実として読むことが出来るんだけど、
どこか現実感が薄くて、不思議な感触。
夢の中の出来事みたいな、ふわふわした感じが
やわらかい痛みの予感みたいで好きかも。
蓮さんの
国道を大型トラック走り抜けここも三途の岸辺であらん
「国道」「大型トラック」「三途」
どきっとする言葉が並んでいて、
だけど、どぎつく感じないところがいいなと思います。
普段は同じような場所、同じような状況にあっても、
特に何も感じないのに、
ふいにセンシティブに
「死」と隣り合わせにあるように思われることってあるなぁ。
佐藤博之さんの
デモ隊の中に岸上大作とスクラムを組み暗く更くる夜
「岸上大作」、
まずこの人名でおおっとなりました。
60年安保の時代の歌人で、恋に死んだ岸上大作が、
今、ここで出てくるかーって感じでした。
いや、今だから出てくるのかも。
この歌の「デモ隊」は、現在の安保のデモだと思われます。
作者がこのところの「デモ隊」について、
どういう考えをお持ちなのかはこの際置いておいて、
とにかくここに「岸上大作」を連れてきて、
「スクラムを組」んでいるところがいいなぁ。
作者の年齢は分かりませんが、
多分彼が亡くなってから生まれた人ではあるんじゃないでしょうか。
で、多分(たぶんたぶんてうるさいですね)
岸上大作が亡くなった年齢よりも、ある程度年上なんだと思います。
最近のデモに実際参加されたのか、TVなどでその姿を見たのか、
とにかく、デモの中に「岸上大作」と自分を入れて、
スクラムを組ませるというのは、
過ぎ去った青春性への強い憧憬のようなものを感じました。
結句の「暗く更くる夜」がまた、いいなぁ。
ハートを迷って、結局♪を入れるに留まってしまいましたが、
やっぱりこの歌すきだなぁ。
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