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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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うたの日(泥)


うたの日

10月2日歌題「泥」

のろのろとかかる満月つま先のわずかな泥を乾かせてゆく(しま・しましま)

この日のお題は「ラーメン」「泥」
「つま先」は靴のつま先のつもりで詠んだんですが、
そう読んでもらえるとは限らないんだなぁ。
自分の中だけでわかってること、
な表現だったかなぁと反省。
今年の満月は、わたしのところではあいにくの天気で、
夜になっても厚い雲でなかなか満月を目にすることができませんでした。
前日の中秋の名月は、雲が薄かったようで、
雲が掛かっていたのにもかかわらず、キレイにその姿が見られたんですが。

この日いいなと思った歌。
藤田美香さんの
泥沼に肩までつかってびばのんの猿と一杯やっております
「びばのんの猿」
魅力的な言葉です。
ドリフの「いい湯だな」のアレだと思いますが、
頭に手拭を乗せたニホンザルがパッと浮かんできて和みます。
その猿と一杯やってるってとこがまた……。
しかし、その気持ちよく浸かってるのが
泥湯ならぬ泥沼!
泥沼に首まで浸かってるというのは、
厄介事からもう抜け出せない状態のことを言うと思うんだけど、
とりあえず、まだ「肩まで」状態で、
しかも、それなりに楽しいみたいで、
なんとなくうらやましい気がします。
これはアレですね。となりの泥沼は浅い、みたいな感じでしょうか。

木村比呂さんの
稲刈りのあとひび割れて眠ってるうれしい泥ようれしい僕よ
うたの日に

稲刈りという一大イベントを終えたほっとした気持の主体でしょうか、
通りがかりのご飯大好きな人かも知れません。
大切な稲を育て上げてしばらくお休みの田圃の泥へまで感謝の気持を送るところがいいなぁって思いました。

と、書きましたが、
一晩たって、やっぱり田んぼの主ではない人かなあと思います。
というか、この「僕」は子供なのかなぁとか思ったりして。
「うれしい泥ようれしい僕よ」
の「よ」が、「うれしい泥(なの)よ」「うれしい僕(なの)よ」
の、「よ」みたいに見えてくるんですよね。
多分その前の「眠ってる」という言葉から感じる口語の幼さが、
そんな風に思わせるのかも。
あえて、野暮も誤読も承知の上で書きますが、
農家の子供が、稲刈り前までは、
田んぼどころか畦道さえ入ることを許されなかったのに、
稲刈りが終って、田んぼで遊ぶことを許されて、
田んぼを駆け回りながら、
新米への喜びと田んぼの泥への感謝と、
その田んぼで遊べる嬉しさを表現しているのかも。
とか
まあ、これは今日になって思ったことなんですけどね。
大葉れいさん
足首の泥は乾いてぱらぱらとはがれてしまう 忘れるべきだ
足についた泥が乾いて落ちる、
という感覚が、この歌ではっとよみがえってきました。
大人になるとなかなかそういう事態にならないですが、
なんだかなつかしい感覚が思い出されて、
あーって気持になりました。
一字空けの結句「忘れるべきだ」
身からはがれてゆくものを忘れるべきものと言い切る潔さ、
ちょっとツライですね。
井田了平さんの
泥どろの犬にざぶざぶ水かけるように私を起こしてくれた
実際にふとんで眠っているときにそれをやられたら
多分「起してくれた」という気持にはなれないでしょうね。
っていうか、何かの目を覚まさせてくれた、
ってことだと思いますが。
「ざぶざぶ水かけるように」というのは
ちょっと乱暴な感じだけど、
汚れた犬をきれいにするための水かけだったら、
愛情の裏打ちのある乱暴さなんだろうなぁって思えて、
そういうのもいいなぁって気がします。
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