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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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うたの日(丼)


うたの日

11月10日歌題「丼」

どんぶりの底に沈んだ一滴の涙に触れず食わねばならぬ(しま・しましま)

この日のお題は「いい人」「丼」
「いい人」っつったら、「伊豆の踊り子」ですよねー。
というかそこから抜け出せなくて「丼」にしました。
うん、飯食ってる時に泣くなよ
という歌
とも言えるでしょうという歌でした。

この日いいなと思った歌。
加賀田優子さんの
青い目出し帽のほうが二、三回手首の跡をさすってくれた
「いい人」と言わずに出す「いい人」感……
っていうか、この歌の状況を想像するに、
これは「いい人」ではなくて「わるい人」の一人ではないんだろうか。
多分ですが、この歌の主体は、
なにか犯罪に巻き込まれていて
というか、ぶっちゃけ人質になっていて、
黒や茶色の目出し帽をかぶった人よりも、青い目出し帽の人の方が
比較的「いい人」という判断を下した
ということなんでしょうね。
この程度で「いい人」認定してしまうなんて、
ちょろい、あんたちょろいよ……
って思ってしまうんですが、
非日常の中にいるとその辺の感覚もちょっとおかしくなるのかも。
意外な方向からの「いい人」へのアプローチが面白かったです。
薄荷。さんの
予想よりミニ丼が大きくて世間との差を噛み締めている
ミニ丼っていうから、このぐらいかなって思ったら、
意外に大きくて、ちょっとご飯多すぎて食べきれないかも……
という、割とあるあるなシーン。
些細なことなんだけど、
これを「世間との差」ってやや大袈裟に捉えてしまうところが
なんか分かるなって思いました。
些細なことが、妙に大きく心に響いちゃうことありますよね。

さわらさんの
いい人になれはしないと知った夜の無念と安堵を忘れずにいる
今回のお題の「いい人」、
社会的道徳的に「いい人」
(お向いの山本さんのご主人、ホントにいい人なのよ、的な、
「伊豆の踊り子」的な)
恋愛対象としてみた場合の「いい人」
(紳士的行動をする安全な人、
あるいは、いい人なんだけどという前置きのための言葉としての)
いわゆる恋人、愛人としての呼び方
(好い人、佳い人、「雨の慕情」で連れて来て欲しいって言われる人ね)
など、いろいろあると思うんですが、
この歌の「いい人」は、
一番目のタイプを指してるのかなと思います。
主体は多分、自分が「わるい人」ではないことを前提に、
何か「いい人」と呼ばれることになるかもしれないチャンスのような
そんな出来事に遭遇して、
でも、結局そう呼ばれるかもしれない行動が出来なかった、
という感じかなって思いました。
その夜噛み締めた「無念と安堵」、
ほんのりとした諦観が切ないなって思いました。
照屋沙流堂さんの
いい人になってしまった帰り道ふたりでホッとしたのもたしか
こちらの歌は、わたしは上記の分別で言うと、
二番目のタイプかなって読んだんですが、
うたの日の他の方のコメントのように、一番目のタイプとしても
確かに読めますね。
デートの帰り道かなってわたしは読みました。
「ホッとしたのもたしか」という言葉から、
ホッとしないのが一般的な事柄なのかな、と思ったんで、
きっと照屋さんの歌も、さわらさんの歌同様「安堵と無念」が、
ほんのりあったのかなぁ。
でも、この歌は一人でそれを噛み締めるんじゃなくて、
「ふたりでホッと」してるんで、
そこまで重たい出来事ではないような気がします。
まあ、「いい人になってしまった」方なので、それは当り前かもだけど。
勇気がなかったのか、チャンスがなかったのか
とにかく紳士的なデートに終ってしまって、
ふたりの仲がぐっと進展するようなことにならなかったけど、
それはそれでよかったのかも
っていう歌かなって思いました。
なんとなくほんわりとした空気と含羞がいいな。
松木秀さんの
天丼の旨い町なり室蘭は特に『天勝』と『蛯天』がよい
「丼」の歌は、いろんな○○丼が登場して、
どれも見てるだけでお腹がすいちゃう感じだったんですが、
中でもこの「天丼」が美味しそうで、
もう参っちゃいました。
北海道室蘭、行ったこともな場所ですが、
いかにも天ぷらの材料が新鮮そうな気がします。
「『天勝』と『蛯天』がよい」という
店の名前を二つ出して断定してあるところも
「天丼の旨い町なり室蘭は」という上の句に
説得力があったように思いました。
木原ねこさんの
男児から青年になる茶碗からどんぶりになるおかわりもする
「男児から青年になる」
多分、ほんの十年足らずの間のことで、
言葉にすればこんなに短いけど、
現在まだ「男児」のお子さんをお持ちのお母さんにとっては、
(もちろん、すでに「青年」になったお子さんのお母さんにとっても)
長い長い時間になるんだと思います。
その間にある、様々な成長の様子を
「茶碗」から「どんぶり」になる「おかわりもする」
とご飯の量で表現されているところがいいなって思いました。
この畳み掛けるようなご飯量のステップアップが
読んでいて心地よくて好きな歌でした。
桔梗さんの
真夜中のラーメン店にひとりゐて対話のやうに飲み干すスープ
この歌の対話は、
もちろん「対話のやうに」なので比喩としてのものですが、
誰との対話のように、ということなのかを、
ラーメンそのものとの対話かなって読みました。
「真夜中」に「ひとり」で「ラーメン店」。
そこまでして食べたいラーメンなのかと思いますが、
多分そんなラーメンがあるんでしょうねと判断したわけです。
しかも結句「飲み干すスープ」ですし。
最初から最後まで、このラーメン、スープ一滴までも味わう
という意思に満ち溢れた歌って思いました。
樫本らむさんの
鰻丼をかきこんでたら口の中に違和感、指環、ほほえむあなた
これはまた……
こんな「プロポーズはいやだ」みたいな歌で、
妙な魅力のある歌でした。
鰻丼を食べていて、ふと「口の中に違和感」
というのが、まず生理的な嫌さがあって、
多分口に手を入れて取り出してみたんでしょうね。
そしたら
「指輪」
で、思わず顔を上げたら
「ほほえむあなた」
という目線の順番がまた……
「ほほえむあなた」じゃねぇよ…って感じの
うすら怖い情景な気がしますがどうでしょうか。
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