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しま・しましま

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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(貝・凶器)


うたの日

11月24日歌題「貝」

貝の口へねじ込むナイフ出来るならさっきの嘘をつきなおしたい(しま・しましま)

この日のお題は「貝」「席」
嘘を嘘で上書きするんじゃなくて、
あ、ああいえばよかったなって思うことありますよね。

この日いいなとおもったのは
楽水童子さんの
「貧(ヒン)」は貝がつく「富(フ)」はつかない(金持ちはカネなんて気にかけねえか)
面白い歌だなって思いました。
「貧」と「富」という字をなんとなく眺めていて、
「貧」の方にだけ、貝という文字が入っていることに
注目した主体。
貝って、古代中国やその他の国で通貨として使われたもので、
貝=金って感じなのになんか皮肉だなぁ
とか思いかけて、
それを
(金持ちはカネなんて気にかけねえか)
ってあっさり打ち消す主体。
破調のリズムや「かけねえか」というやや乱暴な言葉遣いもあいまって
毎日のやりきれなさから
つい投げやりになってしまう感じが出てて
いいなって思いました。

塾カレーさんの
ひとつ、またひとつと開きゆく貝につひに開かぬものの混じれり
他の貝はひとつひとつ開いていくのに、
最後まで開かなかったものがあった
って、あるあるのようで、
「つひに開かぬもの」、取り残されてしまう貝の
なんともいえない残念さ、
侘しさが感じられていいなと思いました。
ハート級にいいなと思ったんですが、
「混じれり」で、急に貝と自分との距離感が出来たような
そんな気がして……
わたし自身が開かない貝みたいに読んでたんで
あれ?って気になってしまいました。
吉川みほさんの
貝殻の螺旋の中の「しん」という音が聴こえる 水から生まれた
巻貝などを耳に当てたとき、ゴォーって音が聞こえますよね。
潮騒のような音だけど、
本当は自分の体を流れる血液の音だと聞いたとき、
それはそれでロマンチックだなぁと思った覚えがあります。
この歌では、その音ではなくて
「しん」という音が聞こえる、と。
「しん」という音ということは、聞こえない音が聞こえた
ってことかなと思います。
その聞こえない音が「水から生まれた」っていうところが
素敵だなぁと思いました。
いや、もうこの結句の「水から生まれた」のフレーズだけに
やられたような気もするぐらい素敵でした。
水から生まれたのは、「しん」という音でもあり、貝殻であり、
その貝殻から「しん」を聞き取った主体そのものであるんでしょうか。
成瀬山水さんの
自分には真珠があると信じてた 蓋を開けると何もなかった
上の句の
「真珠があると」という気持、
「何もなかった」という気持、
分かります。すごくわかります。
「信じてた」「なかった」の過去形の並列が
切なさを増幅させますね。
まだ何もしていない十代のころの万能感と
その後いくつかのことを経験してからの挫折感。
それが痛いほどわかって、うんうんと共感する歌でした。
でも実際のところ、
まだ「真珠」を巻いている途中だったりもするんですよね。
何もなかったと判断するには、
作者の年齢には関係なく、
早過ぎる
気がします。
真珠でも巨神兵でも、
何らかの成果や形になるには
時間が必要ですよ。うん。
と、わたし自身に言い聞かせております。

11月25日歌題「凶器」

君に捧げるバールのようなものにあるバールのようなものの影濃く(しま・しましま)

この日のお題は「病院」「凶器」
「凶器」と言われて浮かんだのが
「鈍器のようなもの」と「バールのようなもの」でした。
こういうときに、
あー、わたしってあるある星人なんだなぁと
しみじみ思って反省したり。

この日いいなと思った歌。
ひらたてるさんの
僕ひとり殺せるだろう包丁で切ったトマトをふたりで食べる
包丁の持つ潜在能力について
多分彼女と思われる人がそれを使っているのを
後から眺めながら考えている。
というのはかなり怖い情景だなぁと思います。
これが立場が逆だったら、
わりとあるような気がするんですが。
彼ひとり殺せるだろう包丁で……
みたいな、ね。
多分多分で申し訳ないけど、
多分包丁を使う彼女は、普段そういう言動をするような
そんな人じゃなくて、すごく優しい人なんじゃないかな、
でも、主体はついそういうことを考えてしまう。
「トマト」がまたいいなって思います。
包丁の切れ味を示すのに、完熟トマトがよく使われますが、
そういう点から、きっとよく切れる包丁なんだろうな、とか
「トマト」を切った時、赤い液体が出るのが
ちょっとだけ血液を連想させるな、とか
それでいて
「トマト」を食べるというのは
なんとなくカジュアルで明るい雰囲気があるようで、
そのギャップが怖い歌だと思いました。

小宮子々さんの
今はただブックエンドを演じつついつか凶器となる広辞苑
あるときは本が倒れないように支えるブックエンド、
あるときは人を傷つけるための凶器、
しかしてその正体は
言葉を調べるための辞書。
そうか、広辞苑っていうものには
さまざまな用途の可能性があるんですね。
この歌では、正しい用途については
一切言及されてないところに
ほろりとユーモアがあって面白いなと思いました。
それにしても、
あの分厚い広辞苑で殴られたら、
多分死にはしないと思いますが、
そうとう痛いだろうなと思われます。
宮木水葉さんの
一振りを手挟み立てり市ヶ谷の空は遥かに遠くなりしか
11月25日「市ヶ谷」
といえば、三島由紀夫の割腹自決。
この日のことを「憂国忌」とも言いますね。
主体は、そのことに思いを寄せて、
「市ヶ谷の空」
今現在の空ではなくて、その日の空が
「遥かに遠く」なったのかと考えている
という情景かなと思いました。
上の句の
「一振りを手挟み立てり」
が、動詞がごちゃっとしてるような気がして、
せっかくの「一振り」がすこしぼんやりしたかな
って思ったりしました。
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