プロフィール

しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

うたの日(近くの公園でいちばん大きな樹)


うたの日

18日、19日の分をすっとばしての20日のから。
だだっと全部書いちゃおうと思ったんですが、
近々から書き始めたら、
いきなり20日の分が長くなっちゃって、
とりあえずこれからアップしてしまおう
という。
19日にアップした17日のうたの日の記事ですが、ツイッターで、一人ご意見をくださった方がいて、ホントうれしかったです。
とても参考になりました。ありがとうございました。
引き続き、何かあったら是非当ブログなりツイッターなりでコメントいただけるとうれしいです。

12月20日歌題「近くの公園でいちばん大きな樹」

どこからかその大木の根元には小さなプロペラつぎつぎに着く(しま・しましま)

この日のお題は「近くの公園でいちばん大きな樹」「など」
今思うと、あれはカエデの大木だったんですが、
子供の頃は全然そうと気がつかなかったです。
大木すぎて、紅葉しても、
めっちゃ高いところでのことなので、
見上げないと分からなかった
のかも知れません。
低いところに、幹の太さと不似合いな
若い枝がにょりんと伸びてて、
そこの葉っぱが紅葉してたのは
今思い出しましたが、
そういえば、
この木紅葉が生えてる!
みたいな感覚でいましたね。

この日いいなと思った歌。
荻森美帆さんの
公園の主として立つ巨木には誰の子どもものぼらずにいる
「誰の」がめっちゃいいなと思いました。
公園の主のような顔をしてある巨木。
巨木なんだから、主体がこの公園で遊んでいたころも、
やっぱり巨木だったんでしょうね。
大人になって、この公園にまた来るようになったけど、
こどもたちはこの巨木に登ったりしない。
という歌意でしょうか。
単純に
大きすぎて登り難いから誰もチャレンジしない
ということかも知れないし、
何か古いもの大きいものへの敬虔な気持から
かも知れないし、
今の子は自然物に興味なんて持たない
というような理由かも知れません。
とにかく、
この「子ども」が単なる子どもじゃなくて
「誰の子どもも」というのがいいですよね。
かつてこの公園で主体と一緒に遊んだ仲間たち、
その仲間たちの子どもがいて、
その「誰の子どもものぼらずにいる」
主体の世代は、その巨木にのぼったんでしょうか、
今の子どもたちと一緒でのぼらなかったんでしょうか。
現在の巨木のある公園の風景から、
すーっと一つの語で過去へさかのぼる感じがすてきでした。
何の木か明記されないところも
「巨木」って感じがします。

雀來豆さんの
そのむかし西行法師を見たという砂場の横の山桜の木
おおー!って思って、
その後、またじわじわじわじわと面白さの広がってくる、
そんな歌でした。
西行法師といえば
願はくば花の下にて春死なむこの如月の望月のころ
角川書店の創立者でもある角川源義の俳句に
花あれば西行の日とおもふべし
というのもあります。
で、公園に「山桜」です。
これはなかなか樹木チョイスのシブい公園ですね。
しかも「砂場の横」という
ミスマッチ気味な。
「そのむかし」「西行法師を見たという」「山桜の木」
という雅な中に、
ぽこんと置かれたような「砂場」の俗っぽさの
バランス感が面白いなぁ。
いや、一つぽこんと置かれてある異物は、
実景では公園の中の「山桜」なのかも知れませんが。
で、
「西行法師を見たという」
というのは、
どうなんでしょうね。本当なんでしょうか。
もう勝手に妄想しちゃいますが、
多分この山桜は、どこかの山にあったものの接木で出来た
そういう山桜なんじゃないでしょうか。
で、そのどこかの山を、
誰か(出来れば大人の人だといいな)が、
吉野山からだと言ったんじゃないかな。
もちろん山桜の樹齢から言って、
どう考えても西行法師をみた木にはならないだろうけど
接木の山桜

吉野山からの接木

吉野山で桜といえば西行法師

西行法師の歩いたあたりにもともと生えていたかも

見たかも知れないな

見たんじゃないかな

見たという
と、なったんじゃないかなぁって思うと
楽しいなと思います。
「西行法師」「が」見たんじゃなくて
「西行法師「を」見たというのも
いいなと思いました。
中牧正太さんの
栄(さか)えあれどんぐりを生(な)すシラカシのこども銀行造幣局に
初句の「栄えあれ」がいいですよね。
言祝ぎから始まる感。
「こども銀行」と「造幣局」という、
くっついてもおかしくないけど、
今までこれらがくっついたところを
見た事がないところをもってこられて、
おおーってなりました。
「シラカシ」という具体的な樹木名も
大人視点で詠まれている感じがあっていいなって思いました。
天野うずめさんの
ブランコの隣にポプラの木があって毎晩誰かに蹴られたりする
辛い歌です。
でも、どことなくあったかい感じがするのは、
「ポプラ」の包容力のなせるわざでしょうか。
夜、誰もいなくなったブランコに腰掛ける人は
なにかしら
辛い気持を引きずっている人じゃないかなって思います。
しばらくブランコに腰を下ろしてうなだれてて、
なんとか気合を入れて立ち上がって、
ついでに隣のポプラに蹴りを入れて、
それでやっと家に帰れる。
そんな大人を想像しました。
きっとポプラとしては
昼間幼い子どもたちに蹴られるのは
全然平気なんだと思うんですよ。
でも、夜の蹴りの重さは、
やっぱりポプラでもちょっと辛すぎるんじゃないかな
と、主体が感じているような気がします。
でもだまってポプラはそれを受け止めてくれるんですね。
スポンサーサイト

<< うたの日(歯・温泉) | ホーム | うたの日(夏にやり残したこと) >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 ホーム