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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(1月6日)


うたの日

1月6日のお題は「腕」「音」。

電車が通り過ぎた後の線路は熱いのかしら 耳を澄ませる(しま・しましま)

全部の感想を書いた後なんですが、
なんか今日はいつにも増して、
自分でもまとまらない文章になってしまったことを
先にお詫びしておきます。

この日いいなと思った歌は
吉川みほさんの
星空にふれて鳥肌たてている屋上に立つ少年の腕
「星空にふれて鳥肌たてている」
からの
「屋上に立つ少年」「の腕」
の流れがすごく好きです。
「星空」の映像から「屋上」にいるんだと分かるまでに、
ぐるっと夜空がパノラマ状に広がって、
ちょっとねじれて
屋上に視点が着地するような感じがします。
で、
その屋上に一人の少年が軽装で立ってて、
そこからその腕にズームされる。
もうその映像が素敵だなって思いました。
この「少年の腕」に「鳥肌」がたっているのは
どうしてなんだろう。
まあ、実はうたの日のコメント欄の方で、
作者の吉川さんから教えてもらっちゃったんですが、
昨夜のわたしの思ったことを書きますね。
圧倒的な星空と一人で対峙することによる
高揚感によるものなのか、
夜の屋上に立っていること
(気温とか風とか、あるいは孤独感からとか)
によるものなのか、
もっと心理的なもので、
例えば何か強い決意を持って屋上に立ったけど、
どうしても肌が粟立つような気持で立ちすくんでいるところ
とか、
色々考えちゃいました。
でね、
このうたは「少年の腕」を見てるわけなんですが、
その視線の主は誰なんだろうって思うわけですよ。
一緒に屋上に居るんだろうか、
そしたら、とりあえず、
わたしの考えた最後のパターンは無いだろうな。
もしかしたら
少年は作者自身が自分を客観的に見ているところなのかも。
とか、
色々と考えられて、そういうところも好きだなぁって思いました。
犬飼あきさんの
お隣にテレビの音が響くからボリュームを下げて、下げて、下げて
下の句の「下げて、下げて、下げて」の繰り返し方が、
神経質で、何か切迫したものを感じます。
何度かお隣さんに、うるさいって言われたのかな。
それで神経過敏になってるのかなって思いました。
この「下げて」って言葉は、誰か家族に言っている言葉ではなくて、
そういう気持に押しつぶされそうな人の
心の叫びみたいに感じました。
もしかしたら、お隣との関係は本当はそこまで重たくなくて、
何か別にストレスがかかることがあって、
ちょっとの事でも重大に考えてしまうような気持なのかなとか
そういう切羽詰り方の人みたいで
怖いし、何か身につまされるような気持がして、
素通りできない歌でした。

きつねさんの
どうであれ僕は花束抱えたい両腕に持ちきれないほどに
ええと、まず何から書いたらいいのかな。
この「うたの日」というネット歌会のシステムでは、
選者一人につき、一つの特選(ハート)が選べます。
そのハートの数が一番多かった人は、
その日の「花束」がもらえるわけです。
で、この日の前夜、ツイッター上で、
「うたの日の成績そのものは気にならない」「気になる」的な話題があって、
「正直、花束は欲しいよ」
みたいな流れがありました。
で、昨日の今日なので、
この歌も、その「花束抱えたい」という
そういう意見表明かなとも思えて、
それはそれで清々しいなぁと思いましたが、
考えてみれば、「花束」を「抱え」るという状況は、
色々と考えられますよね。
貰った時も抱えるけど、渡す時も抱えてるわけで、
だいたい「どうであれ」ってあるんで、
それはどっちでもいいのかもとか思います。
祝われたい/祝いたい
そのために「両手に持ちきれないほど」「花束抱えたい」。
まあ、祝われたいが本音かと思うけど、
飾らないストレートな言葉がいいなと思いました。
森下裕隆さんの
非常ベル誤報ののちの夕暮れに曖昧な笑み交わす僕らは
非常ベルの鋭い音が鳴り響いて、
あわててみんなで席を立ってると、
そのうちそれが誤報だったと知らされたときの、
なんとなく妙な空気のままで席に着いた感じ、
あー、わかるなぁって感じでした。
この歌、「僕らは」ってあるけど、
この雰囲気は子供ではないんじゃないかな、
っていうか、
会社でのまあまあいい年の大人の男性陣ではないかな
って思います。
「曖昧に笑み交わす」って、
何かあったあとの、「ごにょごにょごにょ」感というか、
なしくずし演出っぽくて
いかにも大人の所作って気がします。
非常ベルが鳴った後しばらくのドサクサの
多分子供っぽい感じから、
それが誤報だとわかってほっとした後、
いい大人が子供っぽいことをしたような気持になって、
それをごまかすように
「曖昧な笑み交わす」んだけど、
主体的にはその行為の大人っぽさに、
ちょっとテレが生まれて、
それであえて「僕ら」ってやや子供っぽく表現したのかなぁ。
考えすぎ?
でも、こういう機微が大好きなんです。
伊藤 紺さんの
ガチャンッ ガチャンッ 君がEnter押す時の 呪いの踊りみたいなポーズ
思わず笑ってしまいました。
いるいる、そんな感じにエンターキー押す人。
「ガチャンッ ガチャンッ 」で始まる破天荒な感じも
なんかすごく面白かったですね。
デスクトップ用の、ちょっと古いタイプのキーボード、
キーのでっぱりが1センチぐらいありそうな、ふがふがするやつ。
あれを打ってる感じがします。
楽しい歌でした。
スコヲプさんの
控え目に警告音を二度鳴らす困るわたしに気づいてほしい
実は、この歌を選んだとき、
自転車とか自動車に乗ってるところとは
全然思ってなかったんですよね。
普段の生活の中で、
自分の中で踏み込んで欲しくないところ、
してほしくないことについて、
「控え目に警告音」を鳴らして、
相手にわかってほしいと思ってる人。
そういう情景を想像してました。
で、
うたの日で
「主体はきっとやさしい人なんだろうなって思います」
ってコメントになったわけです。
そうか乗り物の場合もあったなぁって
他の方のコメントを見て唸ってます。
矢波多恵さんの
「ほらできた」「温まったよ」「冷めるよ」に「はいはいはーい」と応えてひとり
わかります、わかります。
電子レンジですね、わかります。
と、めっちゃ分かっちゃう歌でした。
何が分かるかというと、
「ほらできた」からの「温まったよ」「冷めるよ」の三段階の、
「冷めるよ」のところ。
しょっちゅう電子レンジに放置して、
「冷めるよ!」「冷めるってば!」って急かされるように
音を鳴らされてしまうんですよ。
この歌では「はいはいはーい」と素直な主体が描かれてますが、
わたしなんて
「ちっうっせーな」で、
一度ドアを開けて、取り出さずにバタン
みたいなことがよくあるパターンです。
電子レンジの機械音を、人間の言葉に直してあるところに、
なんとなく侘しさというか、うっすらさみしい感じが漂って、
そこに素直な「はいはいはーい」の返事がくることで、
面白いけど、じわっと一人暮らしの寂しさが透けてるようで、
なんだかたまらないなぁとか思ったりしました。
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