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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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うたの日(1月12日)


うたの日

1月12日のお題は「肌」「寿司」

手の中で温めすぎてだめにした人肌なんかじゃ何も孵らない(しま・しましま)
「肌」にひっぱられちゃった感じで、
下の句がぐだぐだしてますね。
もしこれに手を入れるとしたら、
下の句を全部削って大幅な飛躍した方が楽しそう
と、二日後になって思いました。

この日いいなと思った歌。
木原ねこさんの
実を拾い葉を眺め木の肌に触れ息子はようやくシラカシと言う
この歌を見た途端、
これはきっと木原さんちのご長男の姿なんだろうなって
確信がありましたが、
やっぱりそうだったみたい。
なかなか素敵に学者肌の少年ですよね。
まず木のそばに落ちている「実を拾い」
多分ここで、
その実が何なのかある程度絞られてるはずなんだけど、
次に「葉を眺め」
そして「木の肌に触れ」て、
ようやく
「シラカシ」の木であり「シラカシ」の葉であり
「シラカシ」の実であると口にする。
この重々しさがいいなって思います。
いかにも好きなものへのこだわりがあって、
絶対に軽んじてはいけないものって感じがします。
で、ね。
この「息子」さんの行動自体もいいなって思うけど、
それをつぶさに見ている母の視線が
ホントすてきだなって思うんですよ。
少年が「シラカシ」を丁寧に見ているその間、
母はそんな「息子」を丁寧に見て、
それを一歩引いたところから描写してる。
という気がします。
この一歩だけ引いた距離感がいいな。

文屋亮さんの
肌に出る性質(たち)の子である食のこと心のことが紅く浮き出る
こちらの歌も、
(多分)自分のお子さんを詠まれたものと思います。
「肌に出る性質の子である」
と、少し離れたところからの分析から詠み出されて、
「食のこと心のことが紅く浮き出る」
で、出来るだけその子に心を添わせようとしている
という感じがします。
うちの次女もアトピー体質でストレスが体に現れやすいので
共感するものがありました。
出来るだけ肌に負担のかからない食生活を心がけても、
どこかで心を痛めて肌を荒らしてしまう子。
「紅く浮き出る」という結句に、
子の肌の状態と同時に、
親の心の状態がそうであるような
そんなイメージが浮かびます。
加賀田優子さんの
ここのとこ、ああ、コーラスが噛んだあと、こーらす、コーラスはむかしの犬、
今はもういない犬への思いが切ない歌。
犬の名前が三度出てきますが、
それぞれ違うニュアンスがあって
そこが切ないなって思いました。
最初の「コーラス」は、呼びなれた名前として
真ん中の「こーらす」で
その語感を改めて確認するように、
最後の「コーラス」は、
かつてそう呼んでいた名前として。
最後の読点に、
もっともっと「コーラス」について語れるところを
あえてここで終わらせたような感じがして、
うーん、切ないなって思いました。
遠井海さんの
肌色はうすだいだいに名が変わりうすだいだいで顔を塗る子ら
かつて「はだいろ」でお馴染みだった色の名前が、
この色を肌の色だと決め付けるのは
人種に関する意識から問題だってなって、
「ペールオレンジ」「うすだいだい」
と言い換えられるようになりましたね。
アメリカでも、白人の肌の色に近い色につけられた名前が
その関係で言い換えられたとか。
この歌は、
そうやって名称が変わった後の、
子供の様子を淡々と提示しているようで、
なにかうっすらとした皮肉が感じられるような気がします。
名前がかわったからって
用途は変わらないんだよっていう。
でも、それがあんまり露わにされてなくて、
「うすだいだい」という雅な言葉が二度も出てくることで、
なにかほんわりと品の良さがあるのも、
なんとなくいいなって思いました。
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