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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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うたの日(1月25日)


うたの日

1月25日のお題は「はちみつ」「うどん」

はちみつをたらふく食べてはちみつの振りしてはちみつ採りに行くよ春(しま・しましま)
最後が「蜂」だったら、という評を頂きました。
ああー、確かに、たしかに。
クマははちみつを沢山食べると蜂毒に抗体が出来る
っていうのをフィクション作品の何かで呼んだことがあるんだけど
それが書かれている作品がなんだったのか
思い出せなくて昨夜から、
ちょっと気持の悪い状態にいます。

この日は久しぶりに両方の選をしました。

この日いいなと思ったうた。
こたきひろしさんの
そういえば思い出したよあったのを遺品の中に蜂蜜の瓶
唐突に「そういえば」と始まる歌。
何を受けての「そういえば」なのかは分かりませんが、
「思い出したよあったのを」
なので、
「あったかなかったか」という話が出たんだろうなって思います。
どういう情景、どういう顔ぶれ、どういう話の流れで
ということは一切なくて、
ただ、
「遺品の中」の「蜂蜜の瓶」
だけがバンと提示されることで、
「蜂蜜の瓶」が鮮やかに浮かび上がってくるうただと思いました。
それにしても、
遺品の中に食品というのは、
なんだか不思議な感じがします。
例えば故人が一人暮らしをしていたとしても、
あまり戸棚や冷蔵庫の中身を
「遺品」って言いませんよね。
でもこれが「蜂蜜の瓶」だと、
なんとなく、ありそうな気がしないでもない。
中身はからっぽの瓶だけっていう場合もあるかも。
そう考えると、
物を大事に使っていた故人の生活態度などが
ふわっと浮かんで来るような気もします。
その人の思い出話のついでに、
「蜂蜜の瓶」の話が出たのかもしれません。
「そういえば」と軽い感じの詠み出しですが、
「蜂蜜の瓶」の話をしている人達にとって、
とても大切な人だったんだろうなって気がします。
大切な人を亡くしてすこし時間が経って、
そうやって軽く口に出せるようになった
とか想像してしまいました。

雨さんの
いま白いのはかけ饂飩だけでいい湯気の向こうのあなたはいやだ
どういうことなんだろう
と、思いつつ、
ただ強い拒絶が伝わって来ます。
「あなたはいやだ」
って結句で言ってますからね。
でも、どんな「あなた」が嫌なのか。
「湯気の向こう」の「あなた」が嫌みたいなんですが、
「湯気の向こうのあなた」そのものじゃなくて、
どうやら「白い」のが嫌っぽいですね。
湯気の向こうでぼやっと白くなってるのが嫌なのかな?
向かい合ってかけうどんを食べてるのかな?
じぶんのうどんの湯気と相手のうどんの湯気の
ダブル湯気で、
より白っぽくなってる??
っていうか、
かけうどんって白いか?
それってうどんが白いだけじゃない?
と、
疑問がわんわん浮かんで来るんですが、
とにかくきっぱりと
「いま白いのはかけ饂飩だけでいい」
「あなたはいやだ」
って言い切ってるところが魅力的でした。
もう、統合性みたいなものを全部ほっぽりだして
「いい」と「いやだ」を言い切っちゃうという
このわがままさんなところが
めんどくさくて可愛い恋人って気がします。

はたの小石(葵の助)さんの
はちみつをあふれさせるの私だけ傷ついてると思う朝には
「私だけ傷ついていると思う朝」
という下の句のフレーズから、
傷ついてなさそうな人が同じ「朝」の場面にいるのか、
あるいはそういう人と「朝」を迎えたかと思います。
つまり
昨夜の喧嘩か、それに準じるもめごとのしこりを
自分だけが引きずってるか、
相手(多分配偶者か恋人)は気がついてないけど、
わたしを傷つけてたんだって思ってる
って感じかなと思いました。
で、一人でとる朝食の
パンケーキとかトーストとかに
せめて「はちみつをあふれさせる」ことで
傷ついた自分をいたわってる
みたいな光景を想像しました。
はちみつって殺菌作用とかあるらしいし
多分こころの傷にも効くんじゃないでしょうか。
「あふれさせる」という小さな贅沢感も
きっとこころに効くんじゃないかなぁ。
流川透明さんの
パンケーキのふわふわの日々とろけてくわたしはバター君はハチミツ
「パンケーキのふわふわの日々」
この上の句のふわふわあまあまな感じ。
そして「とろけてく」であり
「君はハチミツ」ですからねー。
さらに甘くてとろとろです。
恋愛初期の地に足がつかない感じでしょうか。
昨夜は「わたしはバター」の「バター」のしょっぱさが
面白いなって思ったんですが、
今日改めて読むと、
っていうか「バター」とろけてるやん!
ってことで、
バターのしょっぱさが引き締めているというよりは
よりとろとろあまあまさが増してるなっ!
という感じですね。
この一部の隙もないふわとろあまあま感、
昨夜とはやや違う理由になりましたが、
やっぱり音符を入れたいうたでした。
ふひひ。
小宮子々さんの
この冬の底のあたりでくたくたのうどんを好きになりかけている
とうとつにじぶんうどん語りを始めちゃいますが、
わたしはくたくたうどん大好き。
なんか前にもどこかで書いた気がするけど、
大昔、松江城の近くに、
めっちゃやわらかくて箸で持ち上げたら切れちゃうような
そんなうどんを出す(というか、たしかそれしかない)うどん屋さんがありました。
そのうどんのやさしいイメージもあって
くたくたうどんは、何か疲れた体や心に沁みるもの
という気がします。
「この冬の底」って
丁度今頃のことかな。
深い雪や強い寒気の夜って「底」感ありますよね。
主体は普段は腰の強いうどんが好きな人なのかも。
そういう人も、こういう夜はくたくたうどん、いいなって思うのかも。
薄荷。さんの
母さんは見てるからねと言いたげにうどんにのってる半熟玉子
受験勉強の夜食、みたいなのを想像しました。
鍋焼きうどんでしょうか。
がんばってるあなたの後姿、ちゃんと見てるよって
そういうメッセージ。
母の優しさですよねー。
といいつつ、
実はこのうた、めっちゃ怖いなって思って票をいれたのでした。
「母さんは見てるからね」
って、
監視されてるみたいな気がしちゃって。
ヤバい、半熟玉子の黄身を見つめちゃったら、
視線が合っちゃう?
みたいな想像まではさすがにしないけど。
(実はさっきした)
母親の視線恐怖症みたいなのが
わたしのなかにうっすら(?)あるから
ということなんでしょうか。
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