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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(2月18日)


うたの日

2月18日のお題は「湯」「二度見」「各」でした。

書き出した手紙の中で彷徨える湯冷めの頃をとおく過ぎても(しま・しましま)
ふっと「夢見る頃を過ぎても」という言葉を思い出して、
そこから出来た歌でした。
この間、本当に久しぶりに手紙的なものを書く事になって、
うーんうーんと困ってた時の感じです。
いや、ホントに手紙とか、特定の人に宛てた文章を書くのが
めっちゃ苦手なんですよ。

この日いいなと思った歌。
西村曜さんの
白湯飲めば白湯の味する不思議さよ臥せる窓辺にひかりは満ちて
何か具合が悪くて寝付いてしまった人が、
少しだけよくなってきた、
というところなのかなと思います。
「白湯飲めば白湯の味する」
ということを「不思議さ」と表現されたことに
回復期のよろこびとイノセントさを感じます。
白湯が白湯の味、
当たり前なんだけど、
それを味わうことが出来ることって
どこか自分にそれだけの余裕がある
そういうことでもあるのかな、と。
この作品を読んで、北原白秋の詩を思い出しました。
有名な詩ですが、
短いものなんで、ここにマルッと引いてみます。

「薔薇二曲」



薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花咲ク。

ナニゴトノ不思議ナケレド。



薔薇ノ花。
ナニゴトノ不思議ナケレド。

照リ極マレバ木ヨリコボルル。
光リコボルル。



白秋は薔薇の木に薔薇の花咲く当たり前さを
「不思議ナケレド」
といい、
西村さんは
「白湯飲めば白湯の味する」
ことを
「不思議さよ」
と言ってますが、
どちらも、ある種のセンス・オブ・ワンダーの
喜びが「ひかり」になって溢れてる
ような気がします。
すてきな歌でした。

薄荷。さんの
君の分買い揃えていく嬉しさよ湯呑み茶碗のうさぎもはねる
嬉しさですよね。
ハートを入れた西村さんの作品と
似た構成の作品だったんだなって
今日になって気がつきました。
こちらは下の句がダメ押し的にも感じられますが。
でも、「嬉しさ」のダメ押しって
わたしはわりと好きですね。
「嬉しさ」と直截に言ってしまっても
まだ有り余る嬉しさみたいな
もう、あちこち跳ね回ってるような
嬉しさが微笑ましいなって思えて。
一緒に暮すようになる、
あるいは、頻繁に同じ家で食事をするようになる
そういう「君」のために
生活用品を買い揃えていくという
そういう場面で
「うさぎ」のついた湯呑み茶碗をチョイスするところ、
かわいいなって思います。
ただ、うたの日のコメントにもあったように、
「うさぎも」の「も」はダメ押しのダメ押しだったかもです。
主体の気持はすでに「嬉しさよ」で
はっきり出されてるので、
「うさぎも」(わたしも)「はねる」
と読まれてしまう「も」で繋がない方がよかったかな
って思いました。
秋山生糸さんの
帰宅して冷えきった手を洗うためお湯が出るまで流される水
給湯器のスイッチを入れて、
蛇口から水じゃなくてお湯が出るまでの間っていう
誰もが冬季毎日何気なく体験してる時間を、
その間流れる「水」だけにスポットを当ててあって、
おおっって思わされる歌でした。
清々しいほどに
「水」だけを描かれてるところが
面白いなって思います。
流川透明さんの
今日を過去に洗い流して湯船から吾をリユース、多少キズあり
今日あったいろんな出来事を
お風呂の中で洗い流して、
また新たな明日のための自分になる
みたいな感じでしょうか。
「吾をリユース、多少キズあり」
がすごく好きです。
言い方を変えると重くなることを
カタカナで、
すごくフラットな感じに、
リズミカルに畳み込むところが
明日への勢いをつけてるようで好きです。
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