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Author:しま・しましま
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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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うたの日(3月5日)


うたの日

3月5日のお題は「結晶」「標識」「墓」でした。

啓蟄の月煌々と山墓を出でゆく影がありはしないか(しま・しましま)
もぞもぞっと何か出てくるとしたら、
やっぱり山墓かなぁ
という、
割とアホみたいなことなので、
あえて硬く詠んでみました。

この日いいなと思った歌。
文屋亮さんの
墓域より天の裾野を白く染めこれは世界の狭間に降る雪
美しい雪の情景を、
幻想的に詠まれててすてきだなって思いました。
うたの日のコメントにも書きましたが、
山の斜面にあるお墓かなぁって思います。
その「墓」というよりもそこを含めた周辺
ってことで「墓域」でしょうか。
雪といえば、当然ながら、上から下へ降って来るものですが、
それが
「墓域より天の裾野を」
と、下から上へという逆の視点から見てるところが面白いって思いました。
たしかに積雪は下から上へと積もっていきますし。
で、
そこから
「これは世界の狭間に降る雪」
という下の句。
わたしの勝手な想像の読みではありますが、
この下の句冒頭の「これは」の「これ」って、
上の句で表現した積雪の情景のことではなくて、
今現在、主体の周りで降ってる雪じゃないかなって思います。
「世界の狭間に降る雪」
って、はっきり「降る雪」って言ってるわけですし。
まあ降る雪も積もる雪も、
多分同時期に降った雪じゃないかと思うんですが、
上の句の、広域の情景から、
下の句で、ぐっと自分自身に引き寄せて詠まれてるところが
いいなぁって思ったわけです。
「世界の狭間」というフレーズが、
実はどういう感じなのかはっきりと分かりませんが、
人が生きて暮らす世界(地)でも、天でもないところのことかな。
まだ着地しない雪はそういうあいまいなところにあって、
それが着地とともにこの世界のものになって、
やがて墓域が下から上へ積もって行く様に
天と地を繋げるのかも知れない、
みたいな感じかなぁと。
長々と自分でも
分かったような分からないようなことを書いてしまいましたが、
ホント幻想的ですてきなうたって思いました。

羽島かよ子さんの
墓地公園前で一度に乗客が降りるまひるは故郷を思う
「○○墓地公園前」っていうバス停たまにありますね。
「公園前」とか「高校前」みたいな感じで。
そこで乗り降りする人が、
すべてお墓参りの人ではないかも知れませんが、
多分目的がお墓参りの人も沢山いると想像します。
主体もきっと、そう想像されたんだと思います。
その人たちの背中を見ながら、
ふっと、
あまり帰ってない故郷や、
そこにあるお墓、
(しばらくお墓参りしてないな、怒ってるかな)
そして、
故郷に住むあの人はああやってお墓参りに行くんだろうな
とか思いを馳せられたんじゃないかと思いました。
「まひる」とひらがなに開いた真昼という時間帯に、
なにか明るすぎる光やイノセントなものを
感じて、いいなって思いました。
琥珀さんの
少しずつ染め上げられる桃の花父の墓前に寄り添う春よ
「少しずつ染め上げられる桃の花」が
いいなって思いました。
桃の花のちょっと鄙びた明るさや
その花の蕾から満開までの、
色の変化やゆっくりした時間の経過が感じられます。
主体自身は、「父の墓」に「寄り添う」ことは出来ないけれど、
「桃の花」が春の間「父の墓」に寄り添ってくれる
って思うことで、
お墓の父も慰められるだろう、
自分にとってもそれが慰めになる、
みたいな感じかなと思います。
「墓前に寄り添う」の「前」という言葉が
この場合いいのかどうなのか、
そのあたりがちょっと疑問ではありました。
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