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しま・しましま

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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(3月7日8日)


うたの日

3月7日のお題は「ある」「要」「それから」でした。

エクストラバージンオイルのバージンに尊い意味はあるの?(ねえ、オリーブ)
(しま・しましま)
レベッカの「OLIVE」的なイメージ。
ちなみに、バージンオリーブオイルは
オリーブの果実から得られたもともとの油のことです。
別に尊い意味はないです。
一般的なバージンにも
尊い意味はないと思ってます。
あるの?(いやない)
という反語的なところを出したかったんですが、
あんまりうまく行かなかったみたい。

この日いいなと思った歌。
森下裕隆さんの
黄緑のレゴブロックがいもうとの偏愛歴のはじまりにある
「黄緑のレゴブロック」
って、ちょっと珍しいかなって気がしますが
最近の(うーん、ちょっと前も昔もか)
レゴ事情に詳しくないので
そうでもないかもですが、
まあ一色にこだわるとしては
やや珍しい色かなって思います。
子供の頃一緒に「いもうと」とレゴで遊んでいて、
妙に「黄緑の」レゴに執着する妹
というのが印象に残ってたんでしょうか。
自分だって使いたいときもあるのに、
ぐっと我慢してたのかも。
「偏愛歴のはじまり」
ってところで、
長じても変らない偏愛の癖が覗われます。
兄として、なにか思うところがあるのか、
特にないけどふと思い出しただけなんでしょうか。
「黄緑のレゴブロック」が
「はじまり」に「ある」
というのが鮮やかでいいなと思いました。

西村湯呑さんの
昔々あるところにもいただろう「そうだそうだ」と言うだけの役
おもわず、おおぅと唸らされてしまった
たのしいうたでした。
「昔々あるところに」は
昔話の出だしの王道ですが、
これが昔話そのものに直接繋がらずに、
学芸会などの昔話をベースにした劇の
メタ的な状況へ繋がるところが
めっちゃ面白くて
皮肉めいてていいですね。
「そうだそうだ」の棒読み感もすてきです。
もうちょっと深読みすると、
いつの時代も「そうだそうだ」と言うだけの、
モノゴトを煽ったり、追従するだけの人間がいる
という風にも読めて、
昔話や学芸会っぽさを全面に出しながら、
キツイ皮肉にもなってるところにしびれます。
音叉さんの
鶴を折る紙片の角は密接で君に幼き潔癖がある
このうたは、
とにかく「幼き潔癖がある」
がいいなって思いました。
折り紙の角からの「幼き潔癖」って
ああ、分かるような気がする
って感じ。
実際に今折り紙を折っている「君」は
多分すでに幼くはないんだと思いますが、
折り紙、それも「鶴」を折るということは、
その背後にも何かドラマがありそう。
ただ、
実は「紙片の角は密接」というのが、
いま一つ分からなかったんですよね。
鋭角すぎるほど鋭角、みたいな感じかなぁ
と想像しましたが。


3月8日のお題は「心」「月」「つまらない」でした。

すぷうんで月をはこんでいくきょうぎふらふらはるのほぐれていくよ(しま・しましま)
     ↑
   いま月はここまで運ばれた!
みたいなイメージで、「月」だけ漢字表記にしてみました。

この日いいなと思った歌なんですが、
実は選んでコメントも準備していたのに、
ふと気が付くと投票時間を過ぎていて、
投票することができなかったという……。
ということで、
以下はコメントだけつけた(票を入れようと思っていた)もの。
菊池優花さんの
「そこからの月は綺麗か」綺麗よ、と言えば安心したような声
うーん、ほんわりとしたやさしさがあって、
素敵だなって思いました。
こんなよい月を一人で見て寝る
という尾崎放哉の俳句がありますが、
このうたを見て、ふっとこの句が浮かんできました。
放哉は、一人で月を見る事について、
わずらわしい人間関係からはなれて
そうする時間がもてることの嬉しさと淋しさ
みたいなものを詠んだんじゃないかと思われますが、
菊池さんの「月」は、
こんなよい月だからこそ、誰かと一緒に見たい
という気持がいいなって思います。
実際に詠まれているのは「声」だけなのに、
綺麗な月と、
その綺麗な月を共有できるよろこびと、
お互いに相手を思いやる気持が感じられるようでした。

琥珀さん
竹やぶの夢を何度も見てるからわたしはいずれ月へと帰る
月を見て「いずれ月へと帰る」と思う
んじゃなくて、
「竹やぶの夢を何度も見てるから」
というのが面白いですね。
え、そっち?
みたいな。
「竹やぶの夢」という意外性のある初句で
ぐっと興味をひきつけられました。
ユーモアのあるうたなんだけど、
何か主体にはその他にも
「いずれ月へと帰る」んじゃないかと
そんな風に思う理由がありそうで、
読後にふわっと痛みが残るような気もします。
遠井海さんの
海を越えどうぶつの森で再会し共に眺める液晶の月
おおっ「どうぶつの森」!
しかもこれは3DSの「おいでよどうぶつの森」!
ということが、ちゃんと分かるようになってますね。
コードを交換しあって、
遠く離れた友達とも村を行き来できること、
(カレンダーをいじってなければ)
現実の季節、時間と連動してて、
月がきれいな季節は一緒にお月見も楽しめるし。
ゲーム内のキャラクターをアバターとしてですが、
遠く住む友達と再会できた喜び、
美しい月を並んで眺められる喜び
いいなぁって思います。
ただ、結句を「液晶の月」としたことで、
ふいにアバターではなくて、
ゲームの外の本当の主体の視点になってしまうのが
残念な気がしました。
でも、この「液晶」があるから、
3DS感が出る気もするので、
難しいところだなぁって思ったりして。
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