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しま・しましま

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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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うたの日(3月10日)


うたの日

3月10日のお題は、「自由詠」でした。
つまり、お題なし。
三部屋どこも「自由詠」。
ということで、
それぞれから二首ずつ選んでみました。

まだ一段あると思った階段でたたらを踏んだ星のない夜(しま・しましま)

この日いいなと思った歌。
荻森美帆さんの
真夜中にわたしは目覚めてみるけれど居間の母から愚痴が聞こえる
真ん中の部屋でハートを入れたうたですが、
もう、全体を通して、
一番好きなうたがこれでした。
深夜ふと目が覚めて、
ついでにトイレに行こうとして居間の前を通った時、
ぼそぼそと母親が誰かと話している声が洩れ聞こえてくる
という感じかなと最初思いました。
でも、なんとなく違和感があるんですよね。
ふと目覚めてしまったのではなく「目覚めてみる」と、
何か自力で試してみたような言い方、
「けれど」という繋ぎ方の違和感が、
なにか主体の暗い思いが表われているようでぞわっとしました。
「居間から母の愚痴が」ではなくて
「居間の母から愚痴が」という表現もぞわっとします。
もしかしたら、居間の前なんて通ってないのかも。
というか、居間に母はいるんだろうか、
母の声が聞きたい主体が、
あえて真夜中に「目覚めてみた」のだとしたら
とも思えてきます。

すみみさんの
割りきれない数で出てくる胡麻団子 もうじゃんけんはしなくなったね
ある程度、長い時間を共有した誰かと主体の関係性が
ほんのりと匂わせてあって、
それが中華の強い匂いの後から、
ふわっと漂う感じが好きです。
「もう~はしなくなったね」
って、さみしい呼びかけだと思うんですよね。
呼びかけだけど、
多分、実際には口にしないたぐいの。
「じゃんけん」は、
もうそんなに子供じゃなくなった
とも思えるけど、
そういう子供っぽい行為を一緒に出来るほどに
親しくしていないとも思えて、
どっちにしても、
ほんのり切ないような気がします。
借みねさんの
限界は、ぷつりと来たりとおき日の林檎の皮がシンクにとどく
うたの情景的にも好きな感じなんですが、
仕掛けがいくつかうたのなかにあって、
そこも面白いなって思いました。
意味的には
限界はぷつりと来たり//とおき日の/林檎の皮がシンクにとどく
っていう感じじゃないかと思うんですが、
「限界は、」の読点の場所、
これがまず「限界」のぎりぎりの感じを演出してる
という感じがします。
ここに読点があるせいで、
一読では意味が取り辛いような気もするんですが、
あえての読点なんでしょうね。
ここに読点を置いた事と、
三句目の「とおき日の」というフレーズから、
「ぷつりと来た」「限界」が、
林檎の皮だけじゃないことを強く思わせます。
もう一つの仕掛けが
「ぷつりと来たりとおき日の」
の部分の「とおき」のひらがな表記じゃないかな
って思いますがどうなんでしょう。
「ぷつりと」「来たりと」
と、いわゆる韻じゃないけども、
見た目に韻を踏ませて、
林檎の皮のうねうね感がここにあるような気がします。
三句目までがこんな感じの
仕掛け感満載だけど、
四句結句をきちんと定型に納めて、
「シンクにとどく」と軽い感じの韻を踏ませてるので、
全体的にうるさい感じがしないのも
考えられてるなぁって気がしました。

西村湯呑さんの
新聞をひらいて落ちた花びらが号砲だった駆けだしていた
春のわっと心が弾む感じが
「だった」「駆け出していた」
で勢いよく広がるすてきなうたでした。
「花びら」を「号砲」と捉えるところもすてきですが、
「新聞をひらいて落ちた花びら」
っていうのが好き。
まず自分の胸の前で新聞がひらいて、
そこから零れ落ちたものを号砲とするって
その自分の胸にまずワンクッションある感じが
うーんいいなぁって思います。
桔梗さんの
掃除機のコードのやうにしゆるしゆるとからだよ部屋のふとんに帰れ
「しゆるしゆる」の擬音がいいなって思いました。
掃除機のコードが巻き戻る音としては
とてもまっとうな擬音なんですが、
それがコードではなくて、
「からだ」が「ふとん」に帰る音
っていう意外性と、
「帰れ」という強い命令形で、
どんだけ一刻も早くふとんに帰りたいんだよっていう
切迫感が面白いなって思いました。
ちょっと妖怪っぽいですよね。
しゅるしゅると布団に巻き戻っていく人間の体って。
「掃除機のコード」と、
無機物の家電を先にイメージさせておいての
「からだ」も面白いなぁ。
中牧正太さんの
夜の多い映画だったねそれだけが成果だったね、恋人の襟
「夜の多い映画」
それだけが成果だったっていう
この上の句は、
作者の本意がそうなのかは分からないけど、
共感するところでした。
夜のシーンの多い映画って、
家でテレビで見るのつらいんですよね。
映画館で見るのには、暗いシーンも綺麗に見えるけど。
って、
もしかしたらそういう意味で「成果」と言ってる
のではないのかもですが。
結句の「恋人の襟」が
実はさっぱり分からなかったんですが、
「夜の多い映画だったね」という詠み出し方が
めっちゃ好みだった、といううたでした。
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