プロフィール

しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

うたの日(3月11日12日)


うたの日

3月11日のお題は「奥」「細」「道」でした。

驚いてそれから少し腹を立てた急に知ってる道なんかに出て(しま・しましま)

この日いいなと思った歌。
大橋春人さんの
ボヘミアン・ラプソディを聞きつつ帰るぺんぺん草の伸びてる道を
うーん、
すごく郷愁を感じさせてくれて好きなうたです。
中高校生ぐらいのとき、
こんな感じだったなぁって思い出します。
今ならスマホかiPodあたりなんだろうけど、
わたしの時代だと
カセットテープかCDを再生するウォークマンですね。
まあ当時のCDウォークマンは
めっちゃ乾電池を使う割りに、
アルバム三回聴けるか聴けないかぐらいで
電池切れになっちゃうものだったので、
やっぱりカセットのウォークマンかも。
どこにいくのにもこれが必須という感じ。
わたしの場合は中学も高校も
自宅から1キロ以内の近いところにあったんで、
登下校時はそこまでのんびりしてなかったけど、
まあなにせ暇をもてあましてたので、
あちこちダラダラしてたころを思い出させてくれました。
と、だいぶ自分語りしちゃいましたが、
このうたの
「ボヘミアン・ラプソディ」のチョイスと、
「ぺんぺん草」がいいなと思います。
広がりがありますよね。
「ぺんぺん草」が「伸びてる」っていうささやかな叙景も
ちゃんと「ぺんぺん草」、ナズナのことですが、
これが生えてる感じが見えるとこと思います。

きいさんの
それぞれの出口に向かう足音が朝の地下道吹き抜けてゆく
このうたも、ホントいいなって思って、
ハートを迷いました。
「足音」が「吹き抜けてゆく」
ってところが好きなんですよ。
これね、
結句が違えば、
作者が違えばもしかしたら、
めっちゃ重たい足音を響かせたかも知れない。
それを結句で
力強く、明るい未来へ吹き抜けさせちゃった
という感じがして感銘を受けました。
井田直さんの
海のある町に生まれていつからかきみを見上げる坂道が好き
「海のある町」で坂の多い町って
けっこうありますよね。
神戸長崎尾道などがぱっと浮かびますが、
このうたの町も、
そんな坂の多い町なんじゃないかと思います。
もともと坂道は日常生活の中で見慣れたものだけど、
その中でも
「きみを見上げる坂道が好き」になったのは
いつからなんだろう、と
坂道のことを言いながら、
どのぐらいきみのことがずっと好きかが
表現してあって、
さわやかでいいなぁって思います。
「海のある町」「坂道」で、
脳裏にぱっと風景があざやかに浮かび上がりました。



3月12日のお題は「長」「()」「優」でした。
まんなかの()は、丸かっこ。
バーレンというそうです。
短歌するまで知らなかった言葉です。

優しいは重いんだろう天秤がやさしい人に傾いている(しま・しましま)

この日いいなと思った歌は
くろじたうさんの
優先もくそもあるかと桟橋を行き交う霊はいきいきと群れ
霊が行き交う「桟橋」って、
やっぱり三途の川のほとりにあるんでしょうか。
「優先もくそもあるか」の毒づきがまず面白くて惹かれます。
逆に考えると、
やっぱり三途の川でも優先がある場合があるんでしょうか。
だとしたら、どういう人が優先で舟に乗れるんだろう。
ともあれ賑やかに「いきいきと」霊たちが群れている
という、
死者なのにホント「いきいき」してそう。
っていうか、
「行き交う」ってことは戻ることもあるってこと?
と思って、
うーん、こんなに生き生きしてたら、
そういう霊もいるのかもとか思ったりします。
楽しいうたでした。

琥珀さんの
優しさの象徴としてそこにあるシルバーシートに座る夕焼け
うたの日にもコメントしましたが、
このうたを読んで、
吉野弘の「夕焼け」という詩を思い出しました。
あの詩はシルバーシートではないですが、
満員電車で少女が老人に席をゆずり、
老人が降りたので席に座り、
別の老人が乗ってきたので、
少女はまた席をゆずり、
老人は電車を降り、少女が座り、
そして三度目の老人にはゆずらなかった
というような流れ。
(めっちゃはしょってますが)
琥珀さんの短歌では、
シルバーシートがあり、
そこに座っているのは
老人でも娘でもなく「夕焼け」。
吉野弘の詩のなかの少女も、
きっと「シルバーシート」であれば
座らずに席を空かせていたと思うんですよね。
美しい夕焼けも見ないで、
うつむいて座り続けることもなかった。
そう思うと、
このうたの「優しさの象徴」が、
なんだか沁みるなぁって思います。
春森糸結さんの
優しいといわれるたびに減ってゆくわたしのなかの尖った子ども
子供の頃、
父から「人の痛みがわかるようになれ」と言われて、
「わかるよ、友達が転んで泣いてたらわたしも泣いちゃうし」
と、そう答えた頃は、
まだ人の痛みがわかってなかったんですよね。
大人の優しさって、
この「人の痛みがわかる」ってことなんだと
わたしは思ってますが、
人の痛みがわからないのが、
逆に言えば子供の尖がった部分かなと。
「優しい」と人から言われることで、
それがまた呪縛になって、
人の顔色をつい見ちゃうってことも
あるよね。うん、あるある。
大人社会でスムーズに生きていくには、
「尖った子ども」は必要ないかも知れないけど、
失ってしまうのはつらいですよね。
前田沙耶子さんの
馬鹿だな と笑い差し出す左手がお皿のように優しいかたち
「お皿のように優しいかたち」
が、めっちゃ好きです。
大きくて平たくて、いかにも頼れそうですよね。
もう全身まるごと乗っけても大丈夫そう。
上の句がやや詰まっているようにも感じますが、
「お皿のように優しい」という表現が
とてもすてきでした。
スポンサーサイト

<< ネプリ句集の季語夏編3 | ホーム | うたの日(3月10日) >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 ホーム