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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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うたの日(3月23日)


うたの日

3月23日のお題は「せい」「カーテン」「影」でした。

髪の毛を切るてごたえは癖になる貴方のせいではないのだけれど(しま・しましま)
髪の毛を鋏で切るのって
特別な手ごたえがありますよね。
特に、束で切るとき。
子供の頃は禁断の手ごたえでした。

この日いいなと思った歌。
えんどうけいこさんの
叱られて夜が来るまでしゃがんでた セイタカアワダチソウの茂みに
「セイタカアワダチソウ」がいいですね。
あの、秋の山野や川辺に
ばかみたいにのっぽな群れを作って、
黄色い花を揺らしてる
セイタカアワダチソウ、大好きです。
考えてみれば、
たしかにあの高さは、
「叱られて夜が来るまで」隠れているのには
もってこいかも。
大人でもしゃがんだら、姿が見えなくなってしまいますね。
「夜が来るまで」の
夕焼けから日暮れまでの空の色の変化と、
セイタカアワダチソウの黄色い花の対比が、
どこか温かくて童画のような景が想像されて
そこも素敵だし、
上の句の、
体が冷え切るまで小さくなってる子供の
辛い気持と意固地さのいとけない感じも
ああー好きだなぁって思いました。

矢波多恵さんの
誰のせいでもないことも分かってて、ただ大根の下茹でをする
「誰のせいでもない」
ということはわかっていても、
だから平気って訳には行かないのが
人の感情ですよね。
だけど平気じゃないからって
だれかに気持をぶつけるわけにもいかなし、
全てを放り投げてしまうわけにもいかない。
そのどうしようもないことを
ぐっと飲み込んで
台所に立っている主体の
諦観がしずかにただよう歌と思いました。
「大根の下茹で」
という具体的な行為、
その丁寧さが
静かな諦観に合ってるなぁって思いました。
「ただ」で繋いであるのは、
うたの人のコメントにもありましたが
やっぱり少し気になる感じ。
「ただ」がなくても、
十分、ほかになすすべがないことは窺えるし、
「ただ○○をする」というと、
ほかに何もしないって感じになっちゃうので、
仕方なくキッチンに立って夕食の支度をしている
というよりも
何かにとりつかれたように
「大根の下茹で」だけをしている人
のようにも思える……
と思うのはうがちすぎでしょうか?
東風めかりさんの
一昨日の黄砂のせいだ指文字で残されている「洗車しなさい」
あるあるって思わず笑ってしまいましたが、
愛車にそんな文字が残されてたら
多分笑えないんだろうなぁ。
黄砂の上から指で落書きとか!
洗車しても、下手するとうっすら傷になって残りますし。
とはいえ、
やっぱり笑えるトホホですよね。
ちなみに、
指を使って文字を書く事も
「指文字」っていうみたいです。
外川菊絵さんの
ちゅうこうせい かれらはひとつにまとめられ駐輪場の春を賑わす
「ちゅうこうせい」は中高生のことと思います。
中高生を表現するのに、
「駐輪場の春を賑わす」って
いいな、いい表現だなって思いました。
駅の駐輪場かな、
大人にはぱっと見に、
どの制服、どんなヘアスタイル、
どんな表情が中学生で、高校生なのかが
わからないんですよね。
特にあたらしい年度の始まる春の、
浮き足立った感じが出てていいなって思いました。
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