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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(3月26日)


うたの日

3月26日のお題は「導」「似」「昨日」でした。

昨日すれ違った人を覚えているとでも言いたげにチューリップは揺れる(しま・しましま)
危険なうたでした。
というのも、
昨日これを投稿した時は、
よし、ギリで定型感は残ってるな
って思ったはずなのに、
今日になって見たら
あれ?めっちゃ破調っていうか、破調でしかない?
ってなってしまって。
我ながら、あれー??ってなって、
しばらく眺めていてやっと、
昨日すれ違った/人を覚えて/いるとでも/
言いたげにチュー/リップは揺れる
っていう句またがりに継ぐ句またがりだったことを
思い出しました。
自分自身でさえ、
あれ、どう読むリズムだっけ
ってなるのは危険だなぁ。

この日いいなと思った歌。
薄荷。さんの
ひとりだけ昨日に取り残されたよう脱衣所の隅に落ちた靴下
洗濯機を回してしまった後で、
床に落ちていて気がつかなかった靴下などに
気がつくことってありますね。
他のものは、
今洗濯機の中で洗われて
すでに明日を見据えた今日の住人なのに、
「脱衣所の隅に落ちた靴下」だけが
まだ「昨日に取り残され」ているように感じてしまう。
で、
この歌は、上の句の
「ひとりだけ昨日に取り残されたよう」

下の句の
「脱衣所の隅に落ちた靴下」
の二句で構成されてますが、
上の句が「ように」で下の句に直接繋がる形ではなくて
「よう」で切れているんで、
下の句に繋がるようでいて、
はっきりそうとは言い切れないところがあるなぁって
思ったりしました。
そうすると、
この「昨日に取り残されたよう」に感じたのは
「靴下」の他に何があるんだろうって思って、
やっぱり、主体自身なのかなって思います。
靴下もそう、自分もそう、
みたいな。
日常のあるあるから、
ふとした淋しさを掬い上げた感じがいいなって思いました。

葵の助さんの
(雲の上だったな昨日の今ごろは)3度めの洗濯機をまわす
このほんのり感、いいなぁって思います。
飛行機を使った旅行から帰った翌日でしょうか。
三度も洗濯機を回すということは、
家族旅行かな。
非日常から日常へ切り替わって、
残念なような、ほっとしているような、
でもやっぱり、
まだ旅行気分が残ってて、
日常にもどって来たことが残念な感じ。
丸かっこでくくられたモノローグが
ほんのりユーモアを漂わせてて、
いいな、好きだなぁって思いました。
重箱の隅ではありますが、
「3度め」の数字の表記は、
漢数字の方がいいなって思います。
アラビア数字というか算用数字が入ってると、
ぱっと見にまずその数字部分に目がいっちゃって、
うたの流れが少し乱れるような気がします。
(これは個人的な感覚かもですが)
天野うずめさんの
昨日から漬けてたきゅうりを頬張って君とこのまま生きていきたい
きゅうりの浅漬けをぽりっと噛んで、
「君とこのまま生きていきたい」
って、幸せの象徴っぽくて素敵です。
「昨日」というお題を、
短いながらも積み重ねた幸せの時間として
きゅうりの浅漬けで表現されてるところがステキ。
過去、終ったもの、過ぎたこと、
重さ、古さみたいな、
マイナスでなくてプラスに作用させてるところとか
うーん、好きすぎる。
昨日、ツイッターで、
(短歌のテーマが)明るいほうが好まれる傾向
みたいな話をある方としたんですが、
この歌のように、
たくさんある短歌の中で、
ふっと優しい明るさを放ってると、
どうしても惹かれちゃうなぁって思ったりします。
ただただ楽しくて明るい、という訳じゃないところも
いいなって思うポイントです。
この歌も、幸せなのに、
突き抜けて明るい楽観、とまではいかない、
理由のない不安があって、
それを前提とした祈りのようです。
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