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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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うたの日(5月24日)


うたの日

5月24日のお題は「歩」「おしゃれ」「攻」「サンショウウオ」でした。

なんとなくわかったと思いますが、
ここのところ一日おきに投稿してます。
なので、たまたまですが、
「サンショウウオ」のお題が昨日でホントよかった!
サンショウウオ、
というよりも
オオサンショウウオが大好きなんです。
きっかけは、
ある水族館で当時展示してあった、
成体のオオサンショウウオの模型に出合ったこと。
触ってOKの展示だったので、
触り尽くして、そしてすっかりファンになってしまいました。
もともと爬虫類とか両生類は好きだったんですが、
もうオオサンショウウオは別格ですね。
今回は、投票も楽しくて、
普段より少し多めになってしまいました。

オオサンショウウオは吐き出す ながいながいゆめをみていたなごりの水を(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
藤田美香さんの
新しいクラスに山椒魚がいてノート貸したり借りたりする仲
ああ、すごく好きなうたでした。
めっちゃ想像が広がります。
この山椒魚は、
もしかしたら、真珠取りをしていた山椒魚の末裔なんじゃないんだろうか、
とか。これはカレル・チャペックの「山椒魚戦争」からの連想ですが。
田舎の学校で、
いつの間にか人間の子供の中に
オオサンショウウオが紛れ込んでるって考えるのも楽しかったです。
「サンショウウオ」が漢字表記なのもいいなって思いました。
前述の「山椒魚戦争」もそうですが、
今回の投稿歌でけっこうモチーフにされていた(とおもう)井伏鱒二の「山椒魚」も、
いわゆるサンショウウオではなくて、
オオサンショウウオのことですよね。
このうたの「山椒魚」も、ずんぐりでっかいオオサンショウウオなんだろうな
ってすんなり入ってきました。
「ノート貸したり借りたりする仲」
っていう下の句もいいですよね。
リズムがすごく明るくて楽しくて、
すてきにポップな「サンショウウオ」のうたでした。

音符を入れたうた。
小宮子々さんの
雨の夜をひとりで眠る剥製にされたサンショウウオのかたちで
「剥製にされたサンショウウオのかたち」
で、眠るって、
これはなかなか大変なポーズで寝ることになるのかなぁ
ってまず思いました。
まず、うつ伏せ寝は決定ですよね。
まあこれは「剥製」にされたものでなくても、
同じポーズではあるんですが、
あえて「剥製にされたサンショウウオ」であるって
いうところにぐっと来ました。
多分、じっと動かないでいるんでしょうね。
そして、目を閉じて、
雨の音だけを聞いている。
ひとりっきりで水底にいるような気持がしそうです。
「剥製にされたサンショウウオ」のように、
何も考えたりしないで、
ただじっと、水の底に沈むように眠りにつこうとしている
そういう情景を想像しました。
下弦さんの
いつからか胸に流れる小川にはあの娘がサンショウウオと住んでる
「あの娘」はきっと主体が気になっている女の子ですよね。
いわゆる不思議ちゃんではないけど、
でもどこか不思議な雰囲気があって、
ぐいぐいアピールすることが躊躇われる、
でもとてもチャーミングな女の子、とか想像します。
「いつからか胸に流れる小川」
がいいですよね。
片想いのうただけど、清涼感や明るさが感じられます。
もともと主体の「胸に流れる小川」には、
サンショウウオが住んでたんだけど、
いつからか、「あの娘」もそこに住むようになってた、
胸の中では「あの娘」も「サンショウウオ」も、
お互い楽しそうにやってるようだ
みたいなところまで想像してしまいました。
堂那灼風さんの
鬱々と引きこもりがちな六月をサンショウウオの指輪と過ごす
「六月」。
梅雨時ということもありますが、心身ともにそういう気持になりそうな
そんな月って気がします。
それを「サンショウウオの指輪」と乗り越えるという主体。
銀細工の指輪って様々なものがありますが、
その中でも、蛇とかトカゲとか、
比較的手に入りやすいモチーフではなくて、
「サンショウウオ」を選んで、
これと過ごすっていうところが
水っぽい「六月」に似合ってるなって思いました。
「鬱々と引きこもりがちな」というフレーズは
最初、重くて説明的かなとも思ったんですが、
「サンショウウオの指輪」が
ちゃんと受けとめてくれそうって思いました。
気分上げてくれそうでもあるし、
そんな「六月」に肯定的に同化させてくれそうでもある、
そんな指輪かなって思いました。
桜望子さんの
山椒魚揺れる都会の街角で変わっているねと言われるために
サンショウウオモチーフのアクセサリーとか
ストラップ的なものとかを想像しました。
山椒魚自体、たしかに好き。
でも、それを身につけてアピールするのは、
ある種のプロテクトとしてなんだ
っていうようなイメージをもちました。
「変わっているね」を喜ぶ自分って
本当は認めたくないところだと思うんですが、
そこをすぱっと言い切ったところ、
シニカルでいいなって思いました。
跳ね返って、自分にも響いてきて、
ちょっとしんどいところもありましたが。てへ。
絹更ミハルさんの
ペンギンとサンショウウオの小屋なくし明るく寂しくなった公園
「ペンギンとサンショウウオの小屋」!
そんなものがある……いや、あった公園!
もう、
そう考えるだけで嬉しくなってくるうたでした。
それにしてもなんていう組み合わせなんだろう。
これが実際の景だとしても、
空想の景だとしても、
考えるだけで楽しくなってくるなぁ。
(どうやら、実際にそういう公園があったという話なんですが、
それを知ると余計に嬉しい気持になりますね)
やや大きい公園なんでしょうね。
わたしの知ってる何かを飼育している公園って
何故か「猿」と「鳥」の組み合わせが多いんですが、
こんな水っぽい生き物の小屋があるって
うん、
しつこいようですが、ホントすてき。
でも多分、老朽化したときに、
目も当てられないことになってそうでもあります。
だからこそ、撤去されたのかも。
主体も、特に頻繁にそこを訪れる人ではなかったのかも。
でも、その建物が撤去されて、
がらんと明るいスペースを見たとき、
何かこみ上げてくるものがあったんだろうなって思います。
荒井青さんの
真向かいの家で桜が咲いたらしいが僕の部屋には小海老もいない
言葉として「サンショウウオ」が登場しないうた。
描写としても「サンショウウオ」は登場しません。
それは多分、「僕」自身が山椒魚だったんじゃないか
って思います。
それも、井伏鱒二の「山椒魚」だったんじゃないかなって。
岩屋から出ることができないあの山椒魚。
部屋から出ることが出来ない「僕」を、
そこに重ねたうたと思いました。
で、
僕を慰めるものとして、
いや、慰められないものとして登場するのが
「小海老」。
蛙ではなくて、小海老ってところが
「僕」の感性なんだろうなって思います。
近所に咲いた桜さえ見にいけない「僕」と、
この物思いを共有してくれるの「小海老」だろうと
思われたのかなって思いました。
ところで、
このわたしの感想があさっての方向だったら
別にかまわないんですが、
井伏鱒二の「山椒魚」だったとしたら、
「小海老」表記はどうかなぁって、ちらっと思いました。
今、手元に本がないので、確認が出来ないんですが、
別の表記だったような気がします。
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