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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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うたの日(5月28日)


うたの日

5月28日のお題は「全部」「Twitter」「鳥」「商」でした。

夕暮れを鳴きかはす鳥そんなにも終りが来るのが怖いといふの(しま・しましま)
たまたまこの日の夕方、松江城山のはしっこにいたんですが、
聞いてる自分が不安になるぐらい鳥が鳴いてて、
こんなうたになりました。

ハートを入れたうた。
桔梗さんの
ハシビロコフと書けばロシアの殺し屋のやうなる鳥のまなざししづか
「ハシビロコウ」、あの大きな鳥の佇まいが感じられるうたでした。
すてき。
端正ななかに、遊び心がいくつもあるところもすてき。
すてきでした。
「ハシビロコウ」は漢字で書くと「嘴広鸛」。
くちばしの広いこうのとり、という意味ですね。
なので、たしかに旧かな遣いで表記すると「ハシビロコフ」。
うん、たしかにロシア人の名前みたいにも思えます。
このうたは旧かな遣いで書かれた作品ではありますが、
そうするとやっぱり「はしびろこふ」とそのまま音読したくなります。
それに、「ロシアの殺し屋」!
「まなざししづか」で終わる端正なうたに、
まさかの定番ダジャレが仕込んであるとは。
「ロシアの殺し屋おそロシヤ」の殺し屋ですよね。
(と、決め付ける)
誰も見たことないけど、みんな知ってる
あの「ロシアの殺し屋」を思い出させる名前になる
っていうの、面白くてすごく好きです。
ハシビロコウって、灰色の大型の鳥で、
とにかくじっとしてる、というイメージなので、
その辺りもたしかに「殺し屋」的な雰囲気にマッチすると思うんですが、
それを「ハシビロコフ」という名前の方で使って、
そのまなざしはただ「しづか」としたところ、
うーん、カッコいいなって思いました。
「ハシビロコフと書けばロシアの殺し屋のやうなる」→「鳥の」→「まなざし」
までがひと繋がりで、
最後にびしっと「しづか」と置かれたところがまた
すてきすぎました。

音符を入れたうた。
紆夜曲雪さんの
もうゐないもののけはひのきらめきていま月光のすまふ鳥籠
美しい映像が浮かんで来るうたでした。
わたしはだいたい一度目読だけじゃなくて
実際声に出すか出さないかは別として
一応口の中で読んでみる派なんですが、
このうたの魅力は四句目の
「いま月光の」の部分だなって思いました。
ここにめっちゃ盛り上がりがあるなぁって。
その鳥籠には、少し前までちゃんと鳥がいたんでしょうね。
今はからっぽの鳥籠なんだけど、
なんとなくそれを片付けることが出来ないままだった、
みたいな感じを想像します。
ふっとあの鳥がいるような気配がして、
思わずからっぽの鳥籠に目をやると、
そこに一条の月の光が差し込んでた、
みたいな。
美しい情景だなぁって思いました。
ペットを亡くしたいたみや喪失感が、
ほんのり昇華していくような気がします。
ただ、
「月光がすまふ」より前に、
「きらめき」が登場すると、
「月光」のインパクトがやや薄れるかもとか思いました。
あと、
これはわたしだけかも知れないんですが、
上の句のオールひらがながちょっと読みにくくて、
最初
「もうゐない」「もののけは」「ひの」「きらめきて」
と読んでしまって、
「日?火?どっちにしても月光じゃないな」とか
とんちんかんなことを一瞬思ってしまいました。
すいません。
有櫛由之さんの
梟の啼き声に遭ふ夏にしてきみのふるさと 夜深かりき
うたの日には
夏の夜って生命感にあふれた感じがありますが、普段の生活で耳にする事のないフクロウの声、生活の明るさの届かない夜の暗さに圧倒されたのかもと思いました。
と、コメントしましたが、
実は、もう一つ、
どうしてもこのうたで思い出してしまうものがあって、
それを重ねて読んで、
いいな、好きだなって思いました。
それは、「ふるさとは、夏」(芝田勝茂)という児童文学。
この作品から、その本を思い出して、
余計うわーってなりました。
アニミズム的な生命力だなって。
田舎の夏の夜を体験したことへの、
いつまでも色褪せない思い出だけじゃなくて、
そこで生まれ育った「きみ」への
思いも感じさせるうたって思いました。
chariさんの
いつまでもただの小鳥じゃないのです投げ捨てられたシュシュは空色
「投げ捨てられたシュシュは空色」が
鮮やかですてきだなって思います。
いつまでも籠の中に守られて生きる小鳥なんかじゃないんだって
飛び立っていく感じと
イメージが重なります。
いつまでもあなたの小鳥なんかじゃない
みたいな雰囲気だと
ちょっと不健康な感じがしますが(当社比)
「いつまでもただの小鳥じゃないのです」
って、なんかいいなって思います。
「ただの」の辺りに色々な想像が広がる感じもあるし、
今まで自分を小鳥のようにしていた誰かへの
ほんわりとしたやさしさがあるような気がします。
「シュシュ」は髪をまとめるためのものですが、
ぎゅうぎゅうに縛り上げるようなものじゃないですよね。
とてもやさしく見守られてきた小鳥だったんじゃないか
そういう気がします。
土屋タオルさんの
ひとだかり押して進めばペンギンのなにかに耐えている立ち姿
「ペンギンのなにかに耐えている立ち姿」が
ホントいいなって思いました。
多分、主体がそうだと思ったときのハッとする感じが、
そのまま読んでいるわたしに伝わってくるようでした。
この「なにかに耐えている立ち姿」という
四句五句の句またがりのリズムが、
ちょっとうねっとしてて、
飲み込めないものを必死に飲み込もうとして硬直してるペンギン
あるいは主体
とリンクしてるのかなって思います。
ええと、
恥ずかしい話ですが、
このフレーズが好きすぎて、
実は
「ひとだかり押して進めば」の部分をまるっと流してましたけど、
うたの日の、別の方の評を読んで、
あー、なるほど、たしかにそういうことなのかも
と、ひとしきり唸ってました。
主体がペンギンに出会うまでの、
軽い導入部分的に考えてたけど、
そこにきちんと主体の姿が描写されてるのに
流しちゃいけないなとか反省しました。
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