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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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うたの日(6月4日)


うたの日

6月4日のお題は「列」「捨」「豆腐」「ユニクロ」でした。
この日は投稿もしてみました。

「かわいそうだけど捨ててきなさい」と声がして覚める(雨の音だった)(しま・しましま)
実際のところ、
わたしは捨て猫や捨て犬を拾ってくるような子供ではなかったので、
そういうことを言われたことは無いはずなんですが、
そういう言葉が聞こえてハッとすることがあります。
なんなんでしょうね。
()に収めた結句をもうちょっと変えてみたいです。

ハートを入れたうた。
藤原頼良さんの
捨てたのか捨てられたのかは分からずに 終わった恋の名残を惜しむ
「終わった恋の名残を惜しむ」
みたいな感覚って、
微妙に余裕がないと出来ないような感じで、
はっきり振られたとか振ったとかの場合は
そんな感じにはならないんだろうなって思います。
「捨てたのか捨てられたのか」が分らない終り方だった
そういうぼんやりした終わり方をした恋だったら、
あとからあとからじわじわと
いろんなことを考えて「名残を惜しむ」感じになりそう
って思いました。
「終わった」「名残を惜しむ」
の微妙なズレが面白いなって気もしました。
一般的に「名残を惜しむ」って、
まだ完全には終わらない場面ですること
って気がしますが、
ここでは「終わった恋」の「名残を惜し」んでる。
それこそ
「捨てたのか捨てられたのか」、
終わったはずだけど終わったのかもイマイチ分らない
ぐらいのぼんやりした終りの感じだなぁって。

音符を入れたうた。
音叉さんの
捨てるのはいつでもできると言いながらいちばん奥で鍵をかけてる
古い写真とか手紙とか、思い出にまつわるものか、
あるいは記憶そのものかも知れません。
捨てることなんて簡単なことだけど、
今はまだ思いきれない、って感じでしょうか。
これはもちろん、自分のことを詠んでるといううたと思うんですが、
それを一歩引いたところから描写してるところが
ちょっと面白いなって思いました。
どうせ捨てるってことはしないんだろうな
ってことをすでに分ってる視点からの描写ですよね。
そんな自分のことが好きな感じが
ほんわりと感じられていいなって思います。
樂々さんの
地図を見て女房はすごく嬉しげに「姨捨山ってほんとにあるのね」
長野県にある山らしいですね。
伝説の「姥捨て山」が実際にあるなんて!
っていう単純なうれしさが、
「姥捨山ってほんとにあるのね」発言で、
多分ほかに他意はないんだと思います。
っていうか、
わたしも思わず言っちゃいそう。
その発言を聞いた夫が
どんな風に感じるのかは、
普段の妻の言動や夫の性格や環境によって
変わってくるんだと思いますが。
それにしても「女房」って言葉が、
なんだか妙に生々しく響いて
そこからの
「姥捨山」も、
何割増しかで生々しいものになってる気がします。
秋軸ざきこ。さんの
初めての失恋だからどうやって捨てるかわからず蜜漬けにする
「蜜漬け」がいいですよね。
めっちゃ甘そう。
何年かたって、引っ張り出して味見するのもよさそうで、
「蜜漬け」、いいなぁって思いました。
「失恋」を「捨てる」
っていう感じは
分かるような分からないような気がします。
終わった恋を気持の上で処理する
ってことだとは思うんですが、
なんとなく、
なんとなく、
もう失ってんじゃん
という気がしなくもない……。
まだくすぶってる恋心を
ってことだとは分かるんですけどね。
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