プロフィール

しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

うたの日(6月7日)


うたの日

6月7日のお題は「舞」「船」「谷」「屋根」でした。

一階のちいさな屋根にくる鳥のなまえも知らず二階から呼ぶ(しま・しましま)
一階の幅一メートルぐらいの屋根に小鳥が時々来るんですが、
これがかわいくて猫と一緒に眺めたりしてます。
「いっかい」「にかい」で
リズムに緩急を入れたかったところもあって、
あえてどちらも入れましたが、
あまり成功してないぽい?

ハートを入れたうた。
土屋タオルさんの
いつか屋根に投げた前歯が台所裏のすみれの傍らにあり
このうたの
「すみれ」の文字を発見したときに、
なんかぞわっとするものを感じました。
台所裏、
昔の家のつくりだったら、お勝手口がある横あたりに
なるんでしょうか。
そこで古びた乳歯を見つけた、
といううただと思うんですが、
それを見つけたときに、
これは自分の歯、しかもあの時に投げたあの前歯だ
ってハッと気がつく感じと、
それが可憐な「すみれの傍ら」に転がっていた
っていうミスマッチな感じが
なんかぞわっとするんですよね。
たしかにすみれってちょっと日影の湿った感じの場所に
咲いてることありますよね。
台所裏にどこからか飛んで来た種が芽吹いたようなすみれ
ってもの自体が
もう、いいな、好きだなって思うんですが、
そこに「歯」が落ちているのを発見してしまうという
そんな主体の目が好きだなって思います。
結びも「ある」ではなくて「あり」という連用形になってて、
その後に続く「……」を想像させるところも
いいなって思いました。
何気ない、もしかしたらよくある光景かもしれないものを
軽くスケッチして、
うっすらした湿りけが感じられるところが
なんか凄いなって思いました。

音符を入れたうた。
祐鈴さんの
抜けた歯を投げられなくて妹は団地の中でまだ泣いている
まだ幼い「妹」が、
団地の中庭あたりで泣いている。
っていうイメージが
なんかものすごく好きだなって思いました。
「妹」「団地」「泣いている」
うーん、この郷愁溢れる並び。
泣いてる理由が
「抜けた歯を投げられ」ないという
他愛もないといえば他愛もない理由なのも、
「まだ」の一言で、
かつての幼い「妹」が、
兄(か姉か)がもうすっかり大人になった今でも、
兄(か姉か)の心の中の団地で泣いたままなんだ
って思うと、
そのいとけなさにほろっとしちゃいますね。
ただ、
これは完全なわたしの好みの問題かと思いますが、
妹が泣いている

抜けた歯を屋根に投げ上げることが出来ないから

なぜならば、
彼女が住んでいるのは団地であり、
とうてい屋根まで届かせることが出来ないから
っていう、
理由としての「団地」になっちゃうところが
残念だなぁって思ったりもします。
「団地」という場所やその名前が醸し出す
なんともいえない郷愁がすごくいい!
と思うと同時に、
「団地」が泣いている理由のネタ晴らしみたいに
なってるところが
うーん、わたし的には残念だけど、
でもやっぱり「団地」は替えがたい魅力だよねとか
そんなことを思ったりして。
心伝さんの
屋根裏で猫と一緒に本を読む私らだけの神話の世界
「屋根裏」で「本を読む」って
あこがれますよね。
若草物語のジョーがりんごをかじりながら、とか、
はてしない物語のバスチアンが、とか
誰にも邪魔されずに本の世界に没頭するのに
うってつけの場所って感じがします。
主体は「猫と一緒」なので、
一人きりではないわけで、
ちょっと淋しがりなのかな
とか思ったりもしますが、
どうやらこの猫も読書の邪魔とかしないようで、
(おりこうだなぁ)
静かな屋根裏全体がもう、
読んでいる本の世界の一部になってるような感じなのかも。
「私ら」(わたしら)という、
ややくだけた言葉に、
一瞬ひっかかるんですが、
このくだけた言葉が、
猫と主体、主体と屋根裏、主体と神話が、
親密な関係なんだなって思わせる働きもしてるかも
とか思いました。
スポンサーサイト

<< うたの日(6月8日9日) | ホーム | うたの日(6月6日) >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 ホーム