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こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(6月10日)


うたの日

6月10日のお題は自由詠でした。
わたしが参加したのは四つ目の部屋。
投票も四つ目の部屋のみでした。

Hey Siri サバンナのきりんが膝をつきまた立ち上がるところを見せて(しま・しましま)
一度膝を折ってしまったものが
もう一度立ち上がるって
野生でもあるものなんでしょうか。

ハートを入れたうた。
いちさんの
ぼろぼろのカバーが今も外せない 消えかけた名の眠るけしごむ
誰か、自分の名前じゃない名前が消しゴム本体に書かれた
しかもある程度使われた後の古い消しゴム。
その消しゴムそのものじゃなくて、
主体にとって大切なのはそこに書かれた「消えかけた名」
というのが、
なんだかぎゅんとくるうたでした。
うたの日のコメントで作者いちさんが、
「けしごむに名前を書くあのおまじない」と書かれているので、
恋のおまじないとして、かつて自分が書いた
好きな人の名前だったことが分かりましたが、
それにはまったく思い至らなくて、
好きな人、あるいはともだちの消しゴムを
借りっ放しになっているか何かでまだ持っている
というのを想像してました。
まあ、本人が書いた名前でも、
おまじないのために主体が書いた名前でも
それはどちらでもそこまで味わいに変化はないかもですが、
そのまま使っちゃっても、
もしなんなら捨てちゃってもいい、
ていうか、古くなって端っことかビロビロになっちゃった
消しゴムのカバーぐらいは捨ててもいいようなものだけど、
この名前を保護するために捨てられない
って、
主体が最初にそう思った瞬間から、
ずっと大切に取ってあるんだな
って思うと、
なんだか甘酸っぱいような単にすっぱいような感じで
うーん、この感じ好きだなって思いました。

音符を入れたうた。
冨樫由美子さんの
海峡をもう渡らないてふてふの礼儀正しき標本を見き
「自由詠」なので
この日は何を詠んでもいいわけですが、
「自由」を裏(?)テーマにして詠まれたうた
かなぁって思います。
「海峡」と「てふてふ」というと
安西冬衛の「春」と題された詩
てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった
を、どうしても思い出してしまいます。
このうたの「てふてふ」がその蝶と同じ蝶なのか、
それとも一般的に渡りをする蝶の一匹である
というだけなのかはわかりませんが、
現在はもう飛ぶことすらできない「標本」になっている、
のを、見た、といううた。
標本箱のなかにピンで留められているわけですから、
(もちろん死んでるんですが)
もう飛びまわれるわけがない「てふてふ」の不自由を、
「礼儀正しき」とされたところに
あっと思うものがありました。
笠和ささねさんの
髪型のせいかなぼくもラプンツェルだったと知らず読んでた童話
うたの日の他の方の評を読んで、
なるほど、そうも読めるんだ
ってびっくりして、
一方向にしか読めない自分の残念さを噛みしめた次第。
塔の中に、そうと知らず囚われたままで成長して、
やがて外の世界を知ってしまうラプンツェル。
このラプンツェルの童話を読んでいた「ぼく」自身、
気がつかなかったけどもラプンツェルだった
という意味で取ってましたが、
ラプンツェルの童話を「あのラプンツェル」だとは気がつかないで
読んでたよって意味にも取れますね。
とりあえず、前者の方で感想書きますが、
「髪型のせいかな」という、
ちょっとずれた、でも確かにぃって思わせる初句のフレーズの
軽いユーモアがいいなって思います。
「ぼく」は、今はもう「ラプンツェルだった」と
すでに気がついてしまってるわけですが、
「ぼく」の塔に訪れてくれた人はどういう人だったのか、
想像が広がるうたですてきだなって思いました。
雀來豆さんの
セーターを被れば青い薄闇に包まれたまま抜け出せぬ夜
フリオ・コルサタルの短編小説を思い出させるうたでした。
あれはセーターから抜け出せない話ですが、
こちらは、
「抜け出せ」ないのは「セーター」なのか
「青い薄闇」なのか「夜」なのか、
その全てなのかをはっきりさせないところが
いかにも
「薄闇に包まれたまま」な感じでいいなって思いました。
池田澄子の俳句にも
セーターにもぐり出られぬかもしれぬ
というのがありますが、
特に首の詰まったタイプのセーターって
誰しもそういう不安を一度は抱くのかも。
このうたの場合は
しかも「青」なのがいいなって思いました。
天野うずめさんの
愛情は形があったほうがいいカボチャの煮物をもぐもぐ食べる
愛情を形にしたものが、
今現在主体が食べている「カボチャの煮物」、
なのかどうかは分かりませんが、
たしかに
「愛情は形があったほうがいい」し、
「カボチャの煮物」は「もぐもぐ」食べるのが正解
という気がします。
奇を衒わずに、
でも、なんだか妙にとぼけた味わいがするところが
魅力的なうたでした。
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