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Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(6月11日)


うたの日

6月11日のお題は「17時」「結婚」「蛍」「印象」「残業」でした。
なんと5部屋になってしまいました。

指差して蛍をひとつずつ灯し奈落の淵を遊んでいたね(しま・しましま)
蛍の名所でかつ穴場スポットみたいなところって
足許が悪いんですよね。
足をちょっと滑らせたら
あの蛍たちの漂ってるど真ん中に滑り落ちちゃうなって
ふっと思ったりします。

ハートを入れたうた。
小川けいとさんの
一粒の光はツイと糸を曳き川辺の闇をより深くする
ついこの間、
うちの家の前というか、
玄関前の車を置いているスペースの
玄関と車の間で、
一匹だけ蛍を視ました。
じっと動かずに、ただ点滅してるだけですが
なんでこんなところに一匹だけ?
と思って家族と眺めてました。
何かで読んだんですが、
光を引いて飛び回るのはオスで、
草の上などでじっとしてるのがメスだとか。
それでいうと、
わたしが見たのはメスで、
このうたの「一粒の光」はオスなのかもしれません。
ということで
このうたの感想なんですが(やっとか)
カタカナ表記の「ツイ」が目を引きます。
これが効いてるなぁって気がしますね。
蛍が光を曳く動きと、作者の目の動きを感じます。
うたの日のコメントにも書いたんですが、
このうたを読んで
光とかいてかげと読ませることをふっと思い出しました。
光ゲとかとも表記されることがありますが、
これ、俳句するまで全然知らなかったことばで、
「ひ…ひかりげ?」とか内心思ってて、
これでかげって読むんだって教わったときは
かなりびっくりしましたね。
蛍が乱舞してるような場所なら、
少なくとも光ってる間は闇は小さくなっちゃうところですが、
「一粒の光」が漂うというさみしげな川ならば、
その光があるために、
よけいに「闇をふかくする」ように
感じられるだろうなって思ううたでした。

音符を入れたうた。
南瑠夏さんの
サボテンと何処へも行かない私たち蛍光灯の明かりの下で
あえて「蛍光灯の明かりの下で」
とあるので、
本来は別の明かりの下が望ましい、って
そう思うのかな、とか考えました。
別の明かりってなんだろうな、
やっぱり人工の光に対しての
自然光、なのかな。
そういえば、
サボテンを育てるのがちょっと流行ってるっぽいですよね。
「私たち」と、
「私たち」が育ててる「サボテン」が
ただ室内で「蛍光灯の明かりの下」にいる
というだけなんですが、
何かうっすらと、主体の忸怩たる気持みたいなものが
漂うようで、惹かれるうたでした。
七緒さんの
真夜中の枇杷の実は芯よりひかる 果物籠の蛍さびしゐ
難解なうたなんだけど、
なんともいえない魅力があるなって思います。
「真夜中の枇杷の実は芯よりひかる」
の「芯よりひかる」は
心象なんだと思いますが、
こぶりでぎゅっと実のしまった枇杷の実が
内側から発光してるように光っているって
なんかいいなって思いました。
月の光を受けているところとかを想像します。
最初は木になっている枇杷を思ったんですが、
「果物籠」があとから登場するんで、
これは果物籠の中で
月光を受けて光ってみえる枇杷なんでしょうね。
それを作者は「蛍」とイメージして、
「さびしゐ」と感じた
ってことかなと想像します。
籠の中に囚われているけれど、
檻状にはなってないから飛んでいけるはずなのに、
飛んでいけない、
なぜならこの「蛍」は本当はひかる「枇杷」だから
って思うと、なんだか切なく感じます。
で、この「さびしゐ」という表記が目を惹きますよね。
旧かな遣いで「さびしい」を「さびしゐ」とするのって、
北原白秋の魚の詩以外に
目にした事がないんですが、
あの詩のこわいさびしさが、このうたに乗ってきて、
よけいにさびしさがつのるようでした。

ところで、昨夜つらつら自分のうたの日の短歌について考えてたんですが、
もうずっと花束(というか現在はバラという名の主席)が
もらえてない。
というのはまあ仕方ないところではありますが、
同時に、0票~2票ぐらいの大はずしも
ここのところないなぁって。
今までの自分のうたの日の成績を振り返ると、
大はずしの多いときは主席になることとかもあって
のびのびと攻めたうたを詠んでたのかも、
とか思うわけです。
そこそこ程度がずっと続くって、
これは全然のびのび感がないんじゃない?
と、にわかに不安につつまれて、
ついうっかり
「うたの日をおやすみして、水素水を季語にする活動に身を投じる!」
という宣言をツイッターでしてしまいました。
いや、この日に、
水素水っていつの季語?とかいう話題がちらっとあったので。
まあ、
正直「水素水」を季語にするのは難しいところではありますが、
宣言してしまったので、
しばらくは本当にうたの日をお休みして
この活動をしてみようと
昨夜からささやかにやってみてます。

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