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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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夏の季語としての「水素水」その1


水素水は季語になりえるか
について考えてみる。
発端は、ツイッターでみかけた
水素水っていつの季語
というもの。
うん、多分季語なら季節は夏だろうな
と反射的に考えたのが最初だった。
基本的に冷たい状態で楽しむ飲み物はだいたい夏なのだ。
ビール、冷酒、麦茶はその代表的なものと思うが、
アイスコーヒー、アイスティー、
ラムネ、ソーダ、サイダー、
他にも探せばもっとあるだろう。
かなり時代を感じさせるが砂糖水というものもある。
清涼感があって喉を潤すもの、
という観点から言えば、
水素水も季節は夏、と考えてもいけそうだ。
よく考えると、水素水の先輩にあたる
アルカリイオン水、海洋深層水、
なんとか還元水……はまあ横に置いておいても、
これらもまだ夏の季語とはなっていないし、
もっともっと大先輩にあたる
ミネラルウォーターでさえ、正式な季語認定はされてないのではないだろうか。
いや、もしかしたら歳時記によっては
ミネラルウォーターが季語と認定されているものもあるのかもしれないが、
今のところ目に触れないということは、
少なくとも一般的な認知はされていないところであろう。

さて、「水素水」を夏の季語と仮定して、
次にわたしが出来ることはなんだろう。
基本的な、新季語がどうやって決められて認知されていくか、
をおさらいしていく必要があるのかも知れない。
が、新季語が決まる過程というのは
多分はっきりとした決まった道筋はないはずである。
現在は、各派閥、各出版社の歳時記編集の場で
これを新季語として入れるかどうか会議か何かが行われるのかも知れないが、
俳句の歴史を振り返ってみると、
どちらかといえば、
提唱者が実際に使っていくことでなし崩し的に周囲に認めさせる
というパターンの方が多いのではないだろうか。
この辺りについては
多分それを調べるだけでかなりの時間がかかる事が想像されるので、
今回は多分そうじゃないだろうかそうだったらいいなという希望的な想像で
進めさせていただく。

ちょっと待って、
それ以前に、「水素水」ってなんだよ
という疑問が湧くかも知れない。
それについては正直に、
よく知らないけど今話題のやつ、という程度の認識しか
わたしも持っていないことを
先に白状しておくべきだろう。
水素分子のガスを溶解させた水、とWikipediaにはある。
まだ正式に認められていないが健康にいいらしいというふれこみの
無味無臭の水、
つまりひとことでいうと新しい飲料水のひとつ、
という認識でいいだろうか。
遅ればせながら
わたしも伊藤園の水素水を一本購入してみたが、
ちょっと高価な水、という感じ。

さて、
水素水の現物を手に入れるより前に
フライング気味にわたしが
水素水で詠んだ俳句が以下のものである。

相槌をひとつ省略水素水
水素水嫌ひな人へ盾とする
水素水星への願ひ早口に
水素水ふくれつつらを隠しけり
トラックの影に入りぬ水素水
空腹を後生大事に水素水
水素水父より高き母のこゑ
逃げ場にもならないなんて水素水

ボトルタイプの水素水をイメージしてみた。
ついでに

値札まで濡れて海洋深層水
海を見せむと海洋深層水

と、海洋深層水を夏の季語として詠んでもみた。

詠んでみてわかったことは、
「水素水」は妙に語呂がよすぎて
使い勝手がいいのが困る
ということである。
逆に言うとひっかかりがないので
微妙、とも言える。
基本的に
夏の季語というのは、
多くの人に、その言葉だけで
夏っぽい、
しかもだいたい似通ったイメージを喚起させなければならない。
ところが、
われらが「水素水」は、
このイメージ喚起力が圧倒的に弱い。
あるのは多分、
最近話題のあやしい水のひとつ
ぐらいなものだろう。
これは現在水素水を売り出している各メーカーが
夏に喉を潤すなら水素水!
というところをばばーんとみんなに印象付けてくれなければ
どうしようもないところである。
メーカーががんばって認知度を上げ
あやしいイメージを払拭してくれなければ
「水素水」季語化への道のりは遠いのだ。
残念ながらいまのところ、
「水素水」はのっぺらぼうな言葉でしかない。
なのに、
こののっぺらぼうのような言葉が、
半端に使い勝手がよくて、
とりあえずはどうとでも置ける
というのはちょっと困る……
ような気がする。
先にわたしが挙げた句を
例えばソーダ水と入れ替えて読んでみてほしい。
どうだろう、
それはそれでアリという気はしないだろうか。
これが世に言う
「季語が動く」
というやつである。
ついでに詠んだ海洋深層水と較べても、
フックの弱さは否めないところだろうと思うが
どうだろうか。
ただ、
これは二句一章の形式で詠んだもので、
この二句一章という形式そのものが、
季語が動きやすい危険があるものなので、
仕方ないところがあるかも知れない。
違うアプローチで
「水素水」を詠むことが
必要となってくるかも知れない。

というところで、
今回のレポートは終わることにする。
ただ、
最後にどうしても声を大にして言っておきたい。
わたしは、本当にこの「水素水」を季語として定着させたい
という気持をさらさら持っていないということである。
正直、自分のうたの日の成績にがっかりして、
なにかに逃避していたいだけなのだ。
次回、さらなる「水素水」俳句が出来れば
その2の記事がかけると思うが、
問題はすでにわたしが水素水に飽きはじめているということである。
もう少し水素水で粘れるか、
あきらめてうたの日にもどるか、
それは次の水素水俳句の出来次第かもしれない。
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